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3. 5. 1. 自由主義者たちの悪意

2006年05月02日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)


5.自由主義(リベラリズム)の風に直面して(その1)


自由主義者たちの悪意


 新任神学校長であるセザル・ベルテ (Cesar Berthet) 神父はその最初、マルセルを暖かく迎え入れた。しかしマルセルの心は皆から愛されていた旧神学校長の追憶で締め付けられていた。ルフェーブル神学生は神学生たちからその春の陰謀事件の性格が「スキャンダラス」であることを教えられていた。彼はそれについて憤慨していたが、後に言うようにそれは自由主義者たちの悪意に関する摂理的な実践授業だった。


「私はその後、特に私が司教となった時、教会を現代の誤謬と妥協させようとする者たち全てに対して常に疑いを抱くようになった。それは私に油断してはいけないということと、司祭たちが私を訪問するとか私が教区を訪問している時、ああだこうだという報告を聞く時、常に目をきちんと開いて覚めていなければならないということを悟らせてくれた。そのような話を聞く度に、私は次のようにすぐその場でこう考えていた。オッと! 自由主義者たちがいるから、お互いに対立したのだ、と。 」


 相変らず時々、幾人かの神学生たちは荷物をまとめなければならなかった。何故なら、長上神父の言葉によれば「ローマの雰囲気は彼らにあわない 」という理由のためだった。彼らは「アクション・フランセーズ賛同者」と言われていた。事実、彼らはル・フロック神父が去ったという事実と新しい雰囲気を耐えることができなかった。ジョルジ・フレノ- (Georges Frenaud) は彼らのうちの一人のようだった。ソレムは彼を歓迎したが、ソレムの修練院長はこのような「黒い羊」に対して特別な理解の心を持っていたからだ。マルセル・ルフェーブルはサンタ・キアラにとどまったが、彼の妹クリスチアンヌの言葉によれば、彼はル・フロック神父の「支持者たちを監視するためになされていた地下の権謀術数」をひどく苦しんでいた。彼女は「それは、高く評価することの出来た以前の平和な雰囲気をひどく害するものであった」と言った。

 

(つづく)

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