Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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3. 5. 2. 完全に神学的な力強さ

2006年05月03日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

5.自由主義(リベラリズム)の風に直面して(その2)


完全に神学的な力強さ



 神学校の新しい方針はルフェーブル神学生にとって試練であったが、それを乗り越えるために、若い神学生は1927年に到着した新しい霊的指導者、すなわち聖霊修道会に属していたルイ・リアグル (Louis Liagre) 神父から多くの素晴らしい助けを得た。この神父は、マルセルの同郷人で 1859年にトゥルクァンで生まれ、一生涯を教授と霊的指導者として奉仕した。彼は尊者リベルマン神父の充実な弟子として、寛大に離脱することにより全面的に天主の御旨の嘉することに全く身を委ねて固執するように霊魂たちを励ましてくれた。この離脱を基礎にして、リアグル神父が指導している者等を真の謙遜、平和及び絶え間ない念祷の生活を確立させており、これへと霊魂達を方向付けていた。ところで神父様は、喜びにあふれた、愛に満ちた、天主に対して自分を忠孝な子供とする離脱を求めていた 。

 マルセルはこのような態度を取って平和を得た。


 1928年 1月 2日、リアグル神父は霊的講話のシリーズを始めたが、テーマはまさに「聖ヨハネと聖パウロによる愛徳 」であった。聖ヨハネは、天主は愛だと言う。天主の法は、被造物の法と同じく、愛徳である。自分から出て、他者に自分を伝える、出来る限り他者のために自分を犠牲する。この愛徳の循環の中に入って行き、「天主が私たちのために持っている愛」を悟ること、そしてそれを「信じる」こと、つまり"Credidimus caritati "


 リアグル神父は文通の相手に次のように繰り返した。
「神学とは、天主の学識だ。そして Deus caritas est! 天主は愛だ! 願わくは、聖ヨハネに基づく「神学」のこの崇高な要約が、形而上学の概念及び方式を遙かに超えて、君にとってますます意味深く見えてきますように。 」

 試練を経験して傷ついた神学校によく適合して、この教えはマルセルをつかまえ、彼を天主にまで持ち運んでくれた。彼はそれを自分の教え及び生命にしたし、後日には自分の司教職のモットーとするだろう。


 他方で、リアグル神父は自分が指導している生徒たちにまともに黙想することが出来るために、黙想の方式から脱することを勧告した 。彼が愛する幼きイエズスの聖テレジアは、ピオ11世によって 1925年 5月 17日列聖されたが、聖女は霊的生活を始めるその最初から、天主にたいする大いなる愛を抱くことを願い、それは霊的生活のわずか最後の瞬間ではなかった。すなわち天主に対する愛は霊的闘いの土台にあるべきであった、闘いの後で天主に対する愛があるのではない。
「彼女ははじめから魂を信頼と愛そうという熱望で開花させ、喜びと勇気を息吹かせ、霊魂を勇敢にし強くした。 」


 マルセルは天主の愛に対する観想において天主に心を集中し、しおしおと悲しみに負けはしなかった。彼は気持ちに左右されなかったし、辛い感情に負かされることもなかった。これは彼が後にエコンの神学生達に勧めた態度だったが、これをまず自分が 1927-1928年にサンタ・キアラで身につけたものだった。ルフェーブル大司教はエコンの神学生達にこう言うだろう。


 「皆さんの神学校生活を通じて、皆さんが天主様へのそれほどの愛に、天主に対するそれほどの緊密さにたどり着くようにと私は願います。これがあなたたちに、天主の愛における、天主への愛着における、均衡と平和、堅固さ、恒常性を与えることでしょう。そうなるとあなたたちの人生の間に耐えなければならないあらゆる試練、あらゆる難しさ、不愉快さなどのすべての事が、天主様に対するあなたたちの愛に、もはや手を付けることがないでしょう 。」


 このように純然に神学的な力強さで武装したおかげで、マルセルは残念に思うことも黙ることが出来たし、反感にも打ち勝ち、一致と平和のために全てを尽くし、ベルテ神父のデリケートな任務をもっと容易にし、正しい態度を維持することに決心した。すると彼の同僚学生たちが彼を称えて神学校の「天使」と渾名を付けたのも、理由がないわけではない。他方でまた、彼の他の同期生たちはマルセルは「その敬虔、従順の精神及び熱心に勉強する態度で、認められていた」と証言している 。


 グレゴリアン大学で神学専攻 2年目に登録したマルセル・ルフェーブルは、フェリクス・マリア・カペロ(Felix-Maria Cappello) 神父の指導の元に教会法の勉強を始めたが、聖イグナチオ教会にあるカペロ神父の告解室は常に告解を受けようとする人々が行列をなし、神父は教授として 38年を在職した後「聖人 (un uomo santo)」の噂のうちに死を迎えた。彼はいろいろな人々から相談を受けたが、最高の原理を完全に把握していたために、そこから自分の答えを司牧上の視野の広さと固い確かさ込められたものとして汲みだしていた 。彼はマルセル神学生をして、教会の法に現われた教会の母親のような慈しみ深くて整然としている精神を愛するようにさせた。


 ハインリッヒ・レネルツ (Heinrich Lennerz) 神父とラッザリーニ (Lazzarini) 神父の教義神学過程で、マルセル神学生は命題を暗記するのが非常に大変だった代わり、命題よりも聖トマスの神学大全 (Summa Theologica) について非常に良く養成してくれる、教えの手順 (ordo disciplinae) の方を好んだ。遂に彼は 6月 27日試験に通過し、7月 2日神学学士学位を受けた 。

 

(つづく)

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