アヴェ・マリア!
<<ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい!>>
アリンゼ枢機卿はキリスト者らに、ダ・ヴィンチ・コードに反対して行動を起こさなければならない、と要請した。
報道によればアリンゼ枢機卿は「キリスト者は、椅子に座って何もせずに「赦し忘れる」だけで充分だとは言ってはならない。政治的な行動を取ることも時には私たちの義務である」と言った。
「キリストを冒涜し、それをよしとする人々は、キリスト者が自分たちを侮辱する人々を赦し愛するということを乱用している。」
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/4750283.stm
http://www.sabcnews.com/world/europe/0,2172,126503,00.html
私たちは、私たちの救いのために生まれ十字架につけられた天主を冒涜するのを黙って見ているわけにはいかない。
これはあまりにも重大な問題だ。かつてそのような映画が日本で世界で作られたし、これからも創られ続けるかもしれない。もうたくさんだ。
もはや、黙っていることは私たちにとって許されない。この種のジョークや笑い話はもうたくさんだ。まことしやかに語られる嘘はもうこりごりだ。この種の邪悪な反キリストの映画について、私たちも声を挙げなければならない。
この冒涜は全世界であまりにも宣伝され注目を浴びた。ここで私たちの主イエズス・キリストが冒涜されて、黙っているのは正義が許さないだろう。私たちカトリックは、この本を拒否しなければならない。
何故なら、ダ・ヴィンチ・コードにおいては
私たちの主イエズス・キリストが天主ではないからだ。
イエズス・キリストは単なる人間にすぎないからだ。
このフィクションによれば、イエズス・キリストは、ダヴィドの王家の極めて優れた男であるが、天主ではない、マグダラのマリアと結婚しこの地上の王座とソロモン王のように、王家の血統を残したいと考えた、キリストが十字架につけられた後、妊娠していたマグダラのマリアはフランスに逃げ、キリストの子孫はメロヴィング朝王家の元となった、この血統は今日でも続いているが、敵から隠されていなければならない、その敵とは男性支配社会のカトリック教会である、カトリック教会は権力を握り続けるために嘘の歴史を作り上げた、云々。全く荒唐無稽な話だ。
ダ・ヴィンチ・コードは、冒涜とデタラメの極みだ
ダン・ブラウンによると、マグダラのマリアが中世に何故人々があれほど「聖なる杯」を求めていたかを理解する鍵となる、何故なら「聖なる杯」とは2000年前にキリストが最後の晩餐で最初のミサ聖祭を捧げたその物質的なカリスではなく、キリストの王家の血統のことだ、ということになっているからだ。マグダラのマリアがキリストの血統を運ぶカリス(杯)である、というのだ。
ダン・ブラウンの想像によると、カリス(杯)というのは、古代において女性のシンボルだったと主張する。ブラウンによると聖杯は、神聖な女性のシンボル、フェミニズムのシンボル、となる。ブラウンはそこで中世の教会がマグダラのマリアを売春婦と「見なした」とする。それはキリストが元来望んだ地位に女性がつくことを防ぐためであった、とする。
ブラウンによると、マグダラのマリアを頭とする平等な教会をキリストは望んでいた、ことになっている。何故ならマグダラのマリアが「神聖な女性的原理であり女神(divine feminine principle and goddness)」であるからだ。ブラウンがこれによって何を言わんとしていたのか私たちには分からない。彼はそれを説明しようともしないからだ。ただコンスタンティン皇帝によって公認されたカトリック教会は「女性を従属させ、女神を追放し、不信者を焚刑にし、異教を禁止した」ということで間接的に「女性の原理」を描写するだけだ。
まったく歴史的な証拠もなく、読者はそのような「歴史の秘密」を聞かされ、それを信じるように期待されている。歴史はカトリック教会の「陰謀」だった。マグダラのマリアの血統を隠しつづけようという陰謀だった、という「秘密」だ。ブラウンはマグダラのマリアの血統がシオンの修道院(1099年創立)の秘密兄弟会によって数世紀にわたって守られてきたとフィクションする。
ファンタジーは続く。このシオン修道院は、神殿騎士会(the Order of the Knights Templar)を成立させた秘密結社であり、創立の最初の九名の騎士はキリストとマグダラのマリアとの血統に関する秘密文書を密かに入手することが出来た(!)、そしてこの秘密文書はエルサレムのソロモンの神殿に隠されていた(もうめちゃくちゃ!)、そこで神殿騎士会がそこを本部とした。中世の十字軍の理想も、じつは神殿騎士会の目的を遂行させるためのカバーアップだった(!)、とされる。
神殿騎士会については、多くの学術論文や研究書がある。中には極めて批判的で否定的な著者も存在している。しかしこの騎士会がマグダラのマリアの骨と「王家の血筋」を守るために創立された、などというのは全くの空想でありおとぎ話、荒唐無稽なデマに過ぎない。ブラウンは、しかし、今まで隠されていたマグダラのマリアの「遺物」がパリのルーブル博物館の大ピラミッドの下に隠されている(!)と言う。(あまりにもくだらない)
もしも本物の聖女マグダラのマリアの聖遺物を崇敬したいのなら、フランスのヴェズレー(Vezelay)というところにある修道院とバジリカに存在している。マグダラのマリアは、私たちの主イエズス・キリストの御復活の後、ユダヤ人達の迫害があまりにも厳しく、ガリア(フランス)のマッシリア(マルセイユ)に逃れてきた。聖女はマルセイユの近くのサント・ボームという洞窟で苦行の生活をして一生を終えた。彼女の聖遺物は、ヴェズレーにある聖女に捧げられた大聖堂に運ばれ、そこで彼女の取り次ぎにより、多くの奇蹟がおこった。中世の間、有名な巡礼地となった。
ダ・ヴィンチ・コードは、ここがおかしい!
ダン・ブラウンの説は、冒涜であるばかりか内容が自己矛盾している。
ブラウンはマグダラのマリアが「神聖な女性的原理であり女神(divine feminine principle and goddness)」であると主張するが、何故、神聖な(divine)存在になり、女神(goddness)となったか、というとその理由は自分の胎内にイエズス・キリストの種を運んだからだ、と言うことになっている。しかしブラウン自身はイエズス・キリストが天主であることを否定している。もしイエズス・キリストが神でないなら、何故マグダラのマリアが女神(goddness)となることができるのか?
もしもキリストのおかげでマグダラのマリアが神となったなら、イエズス・キリストも神なのではないか??
ダ・ヴィンチ・コードは、ここがデタラメ!
ダン・ブラウンの説は、冒涜であるばかりか基本的歴史的事実に反している。
ダン・ブラウンは今までの過去の歴史はすべてが「勝利者」によって書かれているので、覇権的・特権的・男性的利益の観点から書かれている、従って、全歴史を見直す必要があると主張する。「歴史家」が自分の望むようなことを除いて、すべての現実を否定し、すべての歴史を書き換える、これが彼の立場だ。ブラウンは事実や真理は存在しない、と言う。だから事実や真理に基づく歴史は存在しないと言う。
ブラウンの愚かさは、例えば西暦三二五年に開催されたニケア公会議が、イエズス・キリストを「単なる人間」から「天主の聖子」と変えたと主張することだ。これなどは、それ以前は、イエズス・キリストを天主であると考えていた人はいないかのような主張だ。ブラウンは、それ以前の三世紀の間、イエズス・キリストのみが天主であると宣言し恐るべき迫害で殉教していった数百万のキリスト者たちの流した血を全く無視している。
ニケア公会議以前、初代教会の教父たちは、イエズス・キリストが天主であることをくり返しくり返し説いていた。アレクサンドリアの聖クレメンテは一九〇年にこう書いている。
「キリストのみが、同時に天主であり人間である。そしてキリストは私たちのすべての良きものの源である。」
ニケア公会議はローマ皇帝によって招集されたかもしれないが、約二五〇名の司教らがそれを指導した。そしてキリストの天主性を否定したアリウスを排斥・断罪した。ブラウンはアリウスは賛否両論で票が割れたと主張するが、事実はアリウスを支持して投票した司教は二名だけだった。これが歴史的事実だ。ブラウンが捏造することとは全然違っている。
ブラウンは、イエズス・キリストとマグダラのマリアとの結婚と平等主義の教会について、グノーシスの福音に基づく、と主張している。ブラウンによれば、キリスト教とはグノーシス教会の腐敗変形したもの(!)で、元来のグノーシス教会では女性神を礼拝していた。彼は、本当に言いたい放題! まずあたかもグノーシスが統一教義を持っていたかのようにブラウンは考えている。これは歴史的事実に全く反している。
グノーシスは、極めて多種多様で数多い汎神論的なセクト・カルトで、キリスト教以前に栄えていたが、紀元後三世紀に復活しだして現代に至っている。グノーシスは基本的に、物質が霊を悪くさせるもの、物質=悪、霊=善、と考える。そして全宇宙は神が物質により悪化したもの、と考える。
グノーシスの「福音」には色々あるが「フィリッポの福音」によれば「この世は罪によって存在し始めた」とある。グノーシスは物質の悪を克服して、霊に戻ることがすべての存在の目的であると説く。中には女性神として「母」や「智恵(ソフィア)」と呼ばれる原理を説くものがある。しかしそれらは、グノーシスの一部だ。ブラウンの主張は、グノーシスがすべて女性神を礼拝すると主張する点で、グノーシスを歪曲している。
聖書学者はこの点で一致しているが、グノーシスの「福音」と呼ばれるものは、キリスト者の信仰を反映するものでは全くなかった。グノーシスの書物はキリスト者によって、廃棄され、無視されていた。最近になって発見された「福音」と言われるものは、皆、古代のゴミ捨て場から出てきたものだ。
フェミニズムの先頭を行く「神学者」と言われるような人々やシスターも、キリストとマグダラのマリアとの結婚やグノーシスの福音について歴史的信憑性は全くないと主張している。
私たちが今もっている四福音書は正真正銘の歴史であると、教会教父らによって既に二世紀には証明されている。(もしも、それに少しでも虚偽があったら、ユダヤ人達はそれみよがしに、それを指摘して突っ込んでいただろう。しかし彼らはそれが出来なかった。)
Carl Olson and Sandra Miesel, The Da Vinci Hoax (San Francisco: Ignatius Press, 2004)
従って、ブラウンの主張は全く根拠がない。
これを書くのに
The Da Vinci Code: Blasphemous Thesis and Bad History
by Marian T. Horvat, Ph.D.
published by Tradition in Aciton, Inc.
を参照にした。
クリックで応援して下さいね。↓
http://blog.with2.net/link.php?269452