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3. 5. 3. 自由主義的な方針に関する批判的な見解

2006年05月04日 | ルフェーブル大司教の伝記


第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

5.自由主義(リベラリズム)の風に直面して(その3)

 

自由主義的な方針に関する批判的な見解


 しかしいくら勉強に熱心であり従順の精神を持っていたとしても、私たちのマルセル・ルフェーブル神学生の先見の明を邪魔することはできなかった。無慈悲にも新任長上は神学校に新しい方針を与えた。ルフェーブル大司教はベルテ神父に対して次のような現実的なイメージを持ち続けるだろう。「2つの顔を持った人、見かけは伝統的であるが、しかし同時に非常に融通の利く人。誤謬に対してこれを断罪するとか、誤謬と争うとか、誤謬を攻撃するとかということは、もう問題ではなくなった。そんなことはほっておいて、私たちは賢明に立ち振る舞おう。 」


 ル・フロック神父の反自由主義からこのようにはっきりと離脱することは、教皇が直接ベルテ神父に指示したことだった。新任神学校長は、神学校の校報『サンタ・キアラのこだま Echos de Santa Chiara』紙に、次のように書いた。「ほとんど 1時間も謁見をした際に教皇聖下は、そして何回も会った研学聖省長官枢機卿様は、私に次のような明確な指示を与えてくれた。...過度に行き過ぎることがないように予防し、暗礁を避けなさいと。」


 1928年 4月 22日にはベルテ神父に別の私的な謁見が与えられ、さらに 1928年 6月 16日にはフランス神学校全体に与えられた謁見でピオ11世は「神学校の運営において、教皇の意向を大変よく理解」したと言って神学校長を褒めた 。


 マルセル・ルフェーブルはこの言葉を聞いた。彼はピオ11世が神学校の方針において変化を与えた源泉であることを理解しただろうか? 彼は教皇自身が直接に、十字軍の精神の代りに、緊張緩和を要請したということを悟っただろうか? それはあまり考えられない。何故なら、ピオ11世に対する彼の献身はその生涯変わらないものだったからだ。またずいぶん後になってベルテ神父の指導下にあった時代について話す時にも、ルフェーブル大司教は教皇に何らの非難も加えなかったからだ。彼はただこう言うだけだ。「その当時、神学校の最後の数年は、そのために少し辛かった」と。


 方針の変化の現実を理解するためには、1932年にデレンム (Dhellemmes) 神父が聖霊修道会会報に書いた明解な解説を読むだけで充分だ。


「学生達が将来的に行使しなければならない行動を予想して、生徒たちの実践的養成は判別をもって推し進められて来た。教皇様が何回にもわたって表明したお望みによれば、一番重要な事は神学生たちに、それにおいて実生活の偶発的諸条件に原理を適応するその条件を正しく認識することが出来るようにさせることである。」


 明らかに、マルセル・ルフェーブルはル・フロック神父から原理は状況を変化させるためにあるのであって、状況が原則をその状況に合わせて変わるためにあるのではない、ということを学んだ。この混乱の背後にはまさしく言葉上の論争を越えるものがあった。何故ならデレンム神父は次のように続けて書いているからだ。


「青年らの傾向は、完璧主義へと傾いている。彼ら考えによれば、原理は完全で絶対的な適応を要求する。彼らの過度な主知主義は、自分たちの厳格な原理から導かれる結論に一緻しないようなすべての行為に対して、 喜んで臆病であるとか、惰弱であるとか、無知であるとかと決めつける。それらを合理的なやり方で確立された方針の理性的で合法的な適応であるに過ぎないのにもかかわらず。 」


 これはル・フロック神父が生徒たちの心に灯した健全な熱意の火を吹き消すこと、すなわち彼らの生活の喜びだった「原理を力強く生きること」を拒否することだった。マルセル・ルフェーブルは、絶対に原理から脱することができない程にトミスト(=聖トマス・アクィナスの体系を身につけた神学者)だった。彼は聖トマスと共に、難しい時代の不幸のために、或る一つの原理が適用されえない時には、その原理よりももっと高次元的でより一般的な他の原理が適用されなければならないということ 、そして絶対に原理自体をあきらめることではないことをよく知っていた


 これを言ったのち、マルセル・ルフェーブルにとって、第一原理は, 特にその原理が自然法や天主の法に関わるのならば、決してその権利を失わなず、決して希望もなく棄てられてはならない 。同じく、いくら偶然の状況に適応されうるように環境に順応したことだと言っても、最後の原理から由来する行為が、無条件に誉められることはできない。ところが、デレンム神父はこう言葉を結んでいる。

「そう考えると、或る者たちの目によれば、私たちの社会的組織、職業的組織、国際的組織が受けている不評判の説明が付く。これらの組織は、まず最初に、彼らには秩序と権威の原理に矛盾しているように思われている。」この極めて当を得た不評判と、不賢明な評判との間をマルセル・ルフェーブルは選んだ。


 また、ピック (Pic) 司教が神学校でした「フランス・カトリック王党派の第三共和制への参加運動 (le Ralliement)」に関する講話、アルヌ (Arnou) 神父のジュネーブ機構 に関する講話、及びリエナール (Lienart) 司教の労動組合主義 に関する講話はルフェーブル神学生の批判的な判断を働かせた。特にリールのリエナール司教は聖職者について次のように語って自分の講話を始めた。

「私たちは煉り粉をふくらませるパンだねであり、私たちの教義や信仰を現代の思想と混合させなければならない。」最後に彼は講話をこう言って終えた。「キリスト教的労働組合は、知性と心を形成するだろう。それは信仰により社会生活に染み込むだろう 。」

 


(つづく)

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