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新しいミサに関するベネディクト十六世教皇の言葉

2006年08月08日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア!


新しいミサについて


 ベネディクト十六世教皇の言葉


「古代教会の聖体秘跡書以来、何世紀も綿々とつづいてきたミサ典書の使用禁止は、典礼の歴史における断絶を意味するものであり、その影響は計り知れないものです。(a breach into the history of the liturgy whose consequences could only be TRAGIC.)」

(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 162~163ページ)


「歴史的に成立してきたものに対して、新しい家を対立させ、これを禁止したと言うこと、典礼を生きたもの、成長するものとしてではなく、学者たちの仕事、法律家の権限によってつくりだされたものとしたこと、これらが私たちに大きな損害を与えたのです。これによって、典礼は人間に先立って神から与えられたものではなく、つくられたもの、人間の裁量の領域のうちにあるものであるという印象が出来上がってしまったのです。」

(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 163ページ)


私たちが今日経験している教会の危機は、「もし神が存在しなかったとしても」(etsi Deus non daretur)の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております。今日、典礼において、神が存在しており、神が私たちに語りかけ、私たちの祈りを聞いて下さるということは、もはや問題外のこととなっているのです。

 もし典礼において、信仰の共同体、世界に広がる教会の一致とその歴史、生きているキリスト者の神秘が現れるということがもはやないのであれば、どこにおいて教会はその霊的な本質を現すのでしょうか。そこでは共同体は自分自身を祝うだけであり、それは何の役にも立たないのです。共同体は、常に主から与えられた信仰によってのみ、一つの教会として存在するのです。教会は自分自身において存立しているのではないのですから、このような条件の下では、教会が自分自身を引き裂き、党派的な対立と党派への崩壊の道をたどることになるのは、必然的なことであります。」

(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164~165ページ)



 だから、こそ聖ピオ十世会は、
 まず、(1)ベネディクト十六世教皇様のために天から、トリエント・ミサと呼ばれている永遠のミサ聖祭を完全に解放するために必要な力を勝ち取るために、教皇様に百万環のロザリオの祈りを霊的花束としてお捧げしたいと思っています。


 そして、聖伝のミサの聖寵を通して(2)私たちの主イエズス・キリストの社会的王権が復興するため、また(3)聖母の汚れ無き御心が凱旋するために、祈りたいのです。


 兄弟姉妹の皆様の寛大なご協力をお願い申し上げます。


 天主様の祝福が豊かにありますように!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



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3. 6. 2. 既に立派な管理者

2006年08月08日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)


6.聖トマス・アクィナスの哲学・神学体系(トミズム)とローマ精神
 (その2)



既に立派な管理者


 10月 22日月曜日、アムラン神学生はこう書き記した。「マルセルは私たちをほったらかした。学校では 60年の間、公教要理を教えることが禁止されてきた・・・。若者達は見捨てられた (これは 1929年 2月11日までの状況だった、とアムランは書き加えている)。そこで、マルセルは通りに出て行って、貧しい子供達を集めた。」 これは一人の先輩神学生の指導を受けて後輩の神学生たちがイタリア語で公教要理を教える幼い少年たちのことで、神学生たちは彼らの初告解及び初聖体を準備していた。しかしまだ文字を読むことができない十三、四歳の子供のための初聖体準備をするために通りに出て行くとは! 登録した 100人の中で 60人がヴィア・デイ・チェスタリ (Via dei Cestari) 通りにあるオラトリオ(小聖堂)で公教要理に規則的に通った。このオラトリオの教室は、ミネルバ (Minerva) 教会の隣の教会の下に横たわっている聖女にちなんで、「聖カタリナ事業」と呼ばれた。この事業は公教要理の少年たちに贈り物が付いたクリスマス・ツリー、授賞式及びポンテ・ロット (Ponte Rotto) で黙想会に参加する機会、等々を提供した。


 マルセル・ルフェーブルは公教要理の子供達(ragazzoni)の話す口語のイタリア語に親しんだ。その年、ピエール・ボニション (Pierre Bonnichon) は、ラルニコル (Larnicol) 神父によって事業の責任者に任された。一方アンリ・フォックデーは、ジュスト・リジェ-ベレール (Just Liger-Belair) から公教要理の指導を引き継ぎ受けた 。マルセル・ルフェーブルは実用的な賜物をもっていた。それをいかして資金を捜す責任を引き受けるようになった。彼は、ジェローム・クリキ (Jerome Criqui) を含む二人の神学生の助けを借りながら、新刊図書及び古本屋を運営した。「マルセル・ルフェーブルは何でもよく知っていた。文学が分かったし、会計を引き受けただけでなくとてもよく処理していた。」とジェローム・クリキ神父は後に言う 。彼らは書籍を売るだけなく副業として中古品、ローマン・カラー(collaro)及び帽子を売り、また床屋の仕事をしてトンスラ(聖職者が頭のてっぺんの一部の髪をそること)を剃り直した。収益金は全部聖カタリナ事業に行った 。そしてマルセル・ルフェーブル神学生のおかげで、神学生たちは各自の必要な図書を購入することができた。彼の準備した書籍は、教皇文書をはじめとして、「良書」のみであった。


(つづく)


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