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3. 6. 3. 頑固なトミズム神学者の熱情(ルフェーブル大司教の伝記の続き)

2006年08月11日 | ルフェーブル大司教の伝記


第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

6.聖トマス・アクィナスの哲学・神学体系(トミズム)とローマ精神 (その3)



頑固なトミズム神学者の熱情


 今年は司祭叙階の年である。マルセル・ルフェーブルは神学修士 (licence en theologie) の学位を得ようと専心全力をつくして勉強した。グレゴリオ大学の講義は、ルネル (Lennerz) 神父の受け持っていた、天主について、創造について、また聖寵に関する講座があり、また聖書のギリシャ語に補完される旧約及び新約聖書の講座があった。彼は 1929年 6月 22日にポリタトス (polytatus) とも呼ばれる修士試験に合格した。


 神学校では、同僚学生は労を惜しまないで熱心に勉強する彼の態度を驚歎してやまなかった。ジェローム・クリキはこう言う。「彼は深い知性を持ち、集中して勉強し努力家だった。夕方には自由休憩時間があったが、彼は自分の部屋で勉強するのを好んだ。」他の神学生はこう回想している。「私たちの勉強でが何か理解するのが難しい時、彼は常に私たちを助けてくれるが用意ができていた。彼は哲学及び神学的理解水準がとても高かった。」 ある聡明な仲間はこう言った。「ところが私には、彼が知的という感じよりは、活動家という感じがもっと強かった。」 彼が良く好んだスコラ神学の「討論(disputatio)」という立派な知的訓練を無視することなく、ル・フロック神父と同じように霊性生活を養い、使徒的熱心を養成するために、神学の中心概念を観想し、愛する聖トマスの基礎命題に関して黙想するのを好んだ。


 毎週の神学復習の時間には、他の同僚学生によると、
「有能なドグマの教師であるラルニコル神父は、私たちがグレゴリオ大学で学んだことを簡単に復習し、容易に理解することができるようにしてくれ、しばしばそれを深めて展開してくれた。この授業でマルセルはとても積極的に参加した。討論する時には、普通は様々な意見があった。そんな場合に、マルセルはただ聖トマスが教えたこと以外は受け入れなかった。それは時々、他の神学生たちが彼のことを「化石化したドグマ家」とまで呼ぶほどだった。この名は彼に留まり、むしろマルセルはそれを誇りに思っていた! 彼はきわまりなく聖トマスに極めて忠実に留まった!」


 この形容はしばしば「化石化した健全な教理」 sana doctrina petrificata とも呼ばれていた。マルセルにとって教理は、キリスト教的また使徒的生活の知恵の直接的な源泉だったから、決して化石のように死んでいたのではなかった。しかしマルセル・ルフェーブルが確実で信頼に値する立場にたち、この態度を頑強に守りたがったことは事実だった。


 こんな態度裏面には、他の人々をよくからかうのを楽しむ賢人の茶目っ気があった。これは、彼の多くの同僚学生たちが後で思い出して証言している彼の性格の特徴だった。「彼は神学校にいるうちから頑固になっているように見えた。」と彼らの一人が言っている。そしてまた別の同級生は次のように明らかにしている。


「素晴らしい、そして手強い学生、何年も年月が経ってみて、私たちにこのようにマルセル・ルフェーブルという人物が見えてくる。素晴らしいとは、聖トマス・アクィナスに基づいく、彼の真理に対する希求心のためだ。そして手強かった、何故なら自分の見解と一致しない者等については手強かった! 彼の信仰は神学的ニュアンスをもてあそぶアマチュアを敗走させた。彼は天性的に「妥協」する体質ではなかった。主は彼をこのように創ったのだ。」


 「このように」マルセル・ルフェーブルは存在していた。しかし彼のトミズム神学に対する熱情は根が極めて深かった。彼は手引き書や教科書では決して見つけることができないことを、聖トマス・アクィナスの著作それ自体の中に見つけた。彼はこう説明している。「彼らは皆、聖トマスから霊感を得ることはしても、彼らには聖トマスを息吹く聖霊, まさにその精神がない。事実。聖トマスは読んでも無味乾燥だ。しかし教えの霊的な側面を要約し、眼を打つ一、二の極めてうまい言い回しがたびたび存在している。」


 マルセル神学生は、ピオ11世のように「天使的博士、すわなち聖トマス・アクィナスにおいて、教理と信心、神学的学識と聖徳、真理と愛徳との例外的な完全な結合が実現しているのを見いだしていた」のであった。そして、これは、サンタ・キアラで力強く勧められていたことであった。マルセル・ルフェーブルは、教皇と同じく、愛する聖トマス・アクィナスにおいて、「聖パウロが "智慧の御言葉" と言っていること、そして、謙遜と祈祷を愛する精神、また天主の愛とがとてもよく調和しあっている、天主から超自然的に注入された智慧と体験によって獲得された智慧との2つの智慧の結合」を感嘆していた。



(つづく)

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