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2006年7月30日に、カトリックへの帰正式を行ったシュティン・サンマーク師の紹介

2006年08月09日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア!


 シュテン・サンマーク(Sten Sandmark)牧師とは?


 2006年7月30日に、パリのサン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会でティシエ・ド・マルレ司教様の前で帰正式を行ったシュティン・サンマーク(Sten Sandmark 異端放棄宣言の録音ファイルによると自分のことをシュティン・サンマークと発音していた)牧師をご紹介します。

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 ルター派においては、修道会というものは存在していない。ただしスウェーデンにおいては例外である。何故なら、現在のスウェーデン国王がまだ皇太子であったとき、彼はベネディクト会の修道士になることを望んでいたことがあった。その当時(1970年)は、ルター派の教会はまだ国教会であった。そこで国会は皇太子のこの望みに当惑したものの、ルター派教会においても修道会を作ることを許す法律を制定する必要性に迫られた。しかしその後、皇太子は結婚することになり、修道士になるという夢を忘れた。しかしその時に制定された法律はそのまま残った。


 この法律を利用してシュティン・サンマーク牧師は1992年に、数名の友人とともにルター派としてアウグスティノ会(マルティン・ルターが元来所属していた修道会!)を創立することができた。そしてシュティン・サンマーク牧師は3つの修道誓願を立てた。(そのために2006年7月30日に、パリのサン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会で帰正式を行った時も修道服を着ていたし、その後もこの修道服を着続けるだろう。)


 2006年7月30日に、シュティン・サンマーク牧師とともにサン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会で帰正式を行ったブラザー・ヨアキム・シュヴェッソン(19歳)は、2005年7月に1年間の暫定誓願を立てていた。そこでパリでの帰正式を行ったその日のうちに、修道服を脱ぐことになる。


 シュティン・サンマーク牧師は、ドイツのツァイツコーフェンにある聖ピオ十世会の神学校に入学して神学を補足として学ぶ予定である。エコンではなくツァイツコーフェンに行くのは、シュティン・サンマーク牧師がフランス語よりもドイツ語の方をよく話すからである。



 全てが順調にいけば、天主の御助けとお恵みにより、シュティン・サンマーク師は2007年に聖ピオ十世会所属のカトリック司祭として叙階される。そして宣教のためにスウェーデンに戻るだろう。シュティン・サンマーク牧師は7月31日に、ツァイツコーフェンの神学校でシュミットバーガー神父様(聖ピオ十世会第二代総長)が指導する三〇日間の聖イグナチオの霊操の黙想会に入った。



 英語を話すヨアキム君は、9月1日にアメリカのカンザス・シティーにある聖ピオ十世会の大学、聖マリア大学 St Mary's College に入学し、全てが順調にいけば2年後の2008年にウィノナにある聖ピオ十世会の神学校に入学する。天主がお望みになれば、ヨアキム君はその後、その時には既にカトリック司祭となっているサンマーク神父のアウグスティノ会に入会することを望んでいる。



 シュティン・サンマーク牧師は、2005年9月に、自分の捧げている「ミサ」が無効であることを知った。何故ならその時に、使徒継承性が無いために自分の受けた牧師任命式では、ミサを有効に捧げることができないことを知ったからである。そのことがシュティン・サンマーク牧師をしてルター派教会を離れ去ることを決定的に決意させた。シュティン・サンマーク牧師によると、師は「ルター派教会の中にいながらカトリックである」と常に感じていた。



 2006年7月16日に、シュティン・サンマーク牧師は自分のオスカルシャム教会(Oskarshamn)で最後の義務を果たした。師は自分の教区民に率直に真理を語り、カトリック教会に帰正することを皆に呼びかけた。英国管区の聖ピオ十世会司祭キング神父は、この最後の「ミサ」に立ち会った。そしてシュティン・サンマーク師の招きに応じて、キング神父は、サンマーク師のミサのあとでそこの信徒の方々に説教をした。



 シュティン・サンマーク師によると、自分の教区民のうち30名ほどは同じくカトリック教会に帰正する準備ができている。そのうちの6名は教区教会の役員であり、シュティン・サンマーク師の辞任とともに彼らも辞職した。彼らは2007年に師がシュティン・サンマーク神父としてスウェーデンに戻る日を待って、カトリック教会に帰正するだろう。



 シュティン・サンマーク師には、別の使命が待っている。師によると、ルター派教会の内部には、いわば「聖伝派」の200名ほどのルター派牧師たちが存在している。(これはいってみれば英国聖公会のハイ・チャーチのような感じの存在である。)この「聖伝派」の牧師たちは、シュティン・サンマーク師の成り行きを見守っている。



 そこで、聖ピオ十世会には現在、天主の御恵みにより、3名のスウェーデン人神学生と1名の将来の司祭がいることになる。1名はエコンに在学中、もう1名はツァイツコーフェンに在学中、そしてウィノナの神学校に入学予定のヨアキム君、また将来のシュティン・サンマーク神父様である。




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http://www.kreuz.net/article.3452.html



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http://www.kreuz.net/article.3085.html
(この記事には、オスカルシャム(Oskarshamn)教会の祭壇の写真が掲載されている。)



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新しいミサについて

2006年08月09日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア!


新しいミサについて


「親愛なる友よ、教会と天主の啓示の諸々の伝統に反対して用いられる転覆の道具のうち、共産主義は最も目に見えるものでしかなかったということを考えてください。...

 私はファチマのルチアに対する聖母のメッセージによって心配しています。教会に脅威を与える諸々の危険についてのマリアのこの固執は、信仰と教会の典礼を変更するという自殺行為に対する天主の警告です。ペトロが疑ったように教会が疑うであろう日が来るでしょう。教会は人間が神となったということを信じるように誘惑されるでしょう。...

 われわれの教会において、キリスト者は、天主が彼らを待っておられるところで赤いランプ(=御聖体における私たちの主の現存を示す聖体ランプのこと)を探すが無駄でしょう。マリア・マグダレナのように、空になった墓の前で泣きながら、彼らはキリストをどこに連れ去ったのか、と問うことでしょう。」

(第二ヴァチカン公会議が始まるわずか数年まえのピオ十二世の言葉)
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fn980217.htm



「教会諸改革を導入することは聖座の機能ではないということは最も確実なことである。教皇の第一の義務は教会の諸々の伝統 - その教義、道徳、典礼の諸々の伝統 - を見守るために、第一位の司教として行動することである。」

(クラウス・ガンバー司教(ドイツのラチスボン教区司教)著『ローマ典礼の改革』より Msgr Gamber, Klaus. "Reform of the Roman Liturgy". Una Voce Press, San Juan Capistrano (1993) p. 38. )



新しい典礼改革は「伝統的なミサの、一千年以上もの歴史をもった伝統的なローマ式典礼の真の破壊」であった。
Msgr Gamber, Klaus. Reform of the Roman Liturgy. p. 102.



混乱は大きい! この暗闇のなかでまだ明らかに見ることができる人が誰かまだいるのだろうか? 私たちに正しい道を示すことのできる指導者が私たちの教会のどこにいるのだろうか? 自己増殖をし続け最も聖なる神秘のまっただ中でさえも汚染し続けている近代主義神学の癌のような増殖を、この癌が広がってより大きな損害を及ぼす前に切り取り捨てるだけの勇気のある司教たちはいったいどこにいるのか? 私たちにとって現代必要とされているのは新しいアタナシウスであり、新しいバジリオであり、四世紀にキリスト教世界がほとんど全てアリウスの異端に陥ってしまっていた時にこれに対して立ち上がって闘ったような司教たちである。今日、私たちには、信仰の残っている人々を一致団結させてくれるような聖人が必要である。それは私たちが誤謬に対して戦い、弱い者とフラフラしている者たちをその無力感から立ち上がらせることができるためである。」
Msgr Gamber, Klaus. Reform of the Roman Liturgy. p. 113.



聖伝のミサは「もう一度、私たちの信仰の規範となり、全世界においてカトリックの一致のシンボル、大変動と終わることのない変化の時代における安定の巌とならなければならない。」
Msgr Gamber, Klaus. Reform of the Roman Liturgy.

 


「ルフェーブルが代表している危険に気をつけなさい。そして第二ヴァチカン公会議のエキュメニズムと共に始められたアプローチの偉大な運動を続けなさい。

(ソビエト共産党機関紙 Izvestia によって教皇パウロ六世に与えられた、マルセル・ルフェーブル大司教をどのように扱うべきかに関する余計な忠告)
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fn980331.htm

 



「どこかあるいは別のところからサタンの煙が神の教会の中へ入って来た。...教会においてもまた不確かさのこの状態が支配している。公会議の後には明るい日が明けるであろうと信じられていた。しかしその代わりに雲や嵐や暗黒の日がやって来た。

(1972年6月30日 新しいミサの導入後3年後のパウロ六世教皇の言葉)

http://www.d-b.ne.jp/mikami/fn980308.htm

 



教会は自己批判の不安な時期、あるいはもっとよく自己解体と呼ばれ得るであろうもの、のうちにある。それは公会議の後に誰も予期しなかったであろう一つの鋭いそして複雑な大変動である。それはあたかも教会が自分自身を攻撃していたかのようである。」

(ファチマでシスター・ルチアと話すことを拒否された19ヶ月後の教皇パウロ六世の言葉)

http://www.d-b.ne.jp/mikami/fn980308.htm

 



 だからこそ

 聖ピオ十世会は、
 まず、(1)ベネディクト十六世教皇様のために天から、トリエント・ミサと呼ばれている永遠のミサ聖祭を完全に解放するために必要な力を勝ち取るために、教皇様に百万環のロザリオの祈りを霊的花束としてお捧げしたいと思っています。


 そして、聖伝のミサの聖寵を通して(2)私たちの主イエズス・キリストの社会的王権が復興するため、また(3)聖母の汚れ無き御心が凱旋するために、祈りたいのです。

 兄弟姉妹の皆様の寛大なご協力をお願い申し上げます。

 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



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