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3. 7. 3. ローマ・カトリック神学博士の学位 (ルフェーブル大司教の伝記の続き)

2006年08月28日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)


7.ローマの司祭、神学博士


ローマ・カトリック神学博士の学位


 二人の妹の修道院、すなわちトゥルネ(Tournai)にあるジャンヌの修道院とジュイ-オ-アルシュにあるベルナデットの修道院とでそれぞれ2回の初ミサを立てて後、若きルフェーブル司祭は博士の学位を得るためにローマに戻った。彼は司祭神学生の身分でサンタ・キアラ付属の「パラッツォ」と呼ばれる建物に澄むことになった。グレゴリオ大学では「神学過程 4年 」として、彼はドグマでは「人になった御言葉(イエズス・キリスト)」及び「聖寵」に関して深く研究し、倫理神学では「徳」を研究した。ますます深く、私たちの主イエズス・キリストの神秘及びキリストの天主的-人間的霊魂論に身を沈めた。聖寵に関する研究では司牧活動に役に立つ大きな原理、すなわち原罪の傷の結果や、天主の聖寵の二つの役目である治癒と完成 - gratia sanans and gratia elevans 、自然的手段だけでは、最低限の超自然的生命を生み出すためにも根本的に無力であることなどを引き出した。彼は一生涯、この倫理神学の基本原理の見地で生きて行くだろう。


 最後の三ヶ月の間、毎日夕方に皆と天使祝詞 (Ave) を唱える前に、マルセルは、自分の一番の親友であるルイ・フェランと神学カリキュラムの 100の命題 を互いに暗誦しあった。二人はその日の祝日の聖人の教会あるいはその日の指定巡礼教会までピンチオ (Pincio) の小通りを歩きながらラテン語で定義したり、論議したりしていた 。


 既に哲学博士であるルフェーブル神父は 1930年 7月 2日神学博士になった。エギー (Haegy) 神父が鮮やかな言語で説明したようにルフェーブル神父は、これからはもう一般聖職者のように「ビレタを角がない方の反対側にある角をなした部分をつかむ 」必要がなくなった。(注: 一般聖職者用ビレタと博士の学位を持った聖職者用ビレタはその形が少し違っている。一般聖職者用ビレタには角のある部分が三箇所で、博士聖職者用ビレタには四つの角がある。一般聖職者用ビレタを取る時には必ず角がない方の反対側にある角を手に取らなければならない。) これはもちろんそれのとても小さな部分にすぎなかった....。ローマ・カトリックの博士号の中で一番重要な部分は、それを獲得する時に生じる総合的な知識、全神学の厳格な原理についての完全なそして充分に深めた知識にあった 。


 しかしマルセル神父は神学校で義務を怠らなかった。彼は主席式長として新しく任命された枢機卿たちを歓迎する儀式を準備する責任があった。すなわちパチェッリ (Pacelli) 枢機卿を 1930年 1月 26日に、とまたリエナール枢機卿を6月 17日に歓迎した。3日後にはローマを去る神学生たちに謁見を許可した教皇ピオ11世に会いに行った 。


 彼に永遠の都市ローマを去らせるまえに、この若い司祭の特徴を描いて見よう。知性的というよりはむしろ観想的なルフェーブル神父は、それにもかかわらず活動的で組織立っていた。そしてこの対照的な性格は全く見かけ上のものにすぎなかった。超自然的な知恵は、私たちをして天主に結合させるので、万物及び万人を最高の師である天主に秩序立てる傾向があるのではないだろうか。彼は、見せびらかすことのない敬虔さを持っていた。ある学友は「彼は非常に単純だったし、自分を消そうとしていた、隠れていた、決して騒ぎを起こさなかった 」と言ったように、マルセルは自分の日常の行動を修道精神で満たしていた。そして彼は毎日のミサを、自分の身の振る舞いの慎みの模範としていた。


 彼が敬虔であることがはっきりと現われを一つ見るだけでもそれがわかるだろう。例えば、1929年 11月 21日スュアール (Suhard) 司教が神学校に、幼きイエズスの聖テレジアの聖像の除幕式を行いに来た時、共同体の名前で自作の祈祷文を唱えた神学生がマルセル・ルフェーブルだった 。


 また健全な教理 (sana doctrina) が危機に瀕する時に、マルセル・ルフェーブルは「とても断固とした確固な信念を持った強い人物 」であることをすでに見せていた。やはり彼は「信じがたい位に親切な」神学生だったし、「否認することができない程の霊的な雰囲気 」を持ち、献身的で奉仕精神に満ちていた。他の証人はこう言っている。「彼はいつも私たちの模範だったし、いつもほほ笑みを絶やさず、常に親切だった。そして良いベルテ神父様は彼を私たちにそう紹介してくれた 。」


 このように極めて対照的で均衡がよくとれた特徴と人柄をもっていたことに加えて、常日頃の穏やかさと組織体系化する能力を持っていた。特にまた彼は健全な判断力を持ち、原理をよく消化してそれに精通していた。要するに頭が良かった。彼は、教会に最高の奉仕をする能力を持つ最上の選びの器だったと言わなければならないのではないだろうか。

 



(つづく)

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