アヴェ・マリア!
エキュメニズム関係のニュースです。
【世界宗教者会議:京都で開幕 2000人が参加】
世界宗教者平和会議が京都市左京区の国立京都国際会館で26日に開催。
これは世界宗教者平和会議(WCRP)の第8回世界大会で、100カ国・地域から約2000人が参加し、29日まで全体会議や個別テーマごとの小部会で対話を重ねたそうです。
これは70年の京都大会以来、36年ぶりの日本開催だそうです。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060826k0000e040023000c.html?in=rssw
【世界宗教者会議には、教皇ベネディクト十六世もメッセージ】
http://blog.livedoor.jp/cjcpress/archives/50574508.html
【法務省は北朝鮮の参加者6人の入国を拒否】
北朝鮮のミサイル発射に対する政府の制裁措置に盛り込まれている「北朝鮮からの入国審査の厳格化」を適用したとのことです。同省は「北朝鮮の公務員が含まれると判断した」としている。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20060825k0000e040066000c.html
【世界宗教者平和会議日本委員会のホームページ】
世界宗教者平和会議日本委員会のホームページは次にあります。
http://www.wcrp.or.jp/
現在の国際委員長団のカトリックのメンバーは次のような名前が挙げられています。
リタ・バーリー修道女 イギリス/バチカン カトリック国際修道女連盟(カトリック)
ジョン・O・オナイケン大司教 ナイジェリア アブジャ大司教(カトリック)
白柳誠一枢機卿 日本 東京大司教、WCRP日本委員会理事長(カトリック)
オスカー・ロドリゲス大司教 ホンデュラス ラテンアメリカ司教会議会長(カトリック)
ウィリアム・キーラー枢機卿 アメリカ ボルティモア大司教、WCRPアメリカ委員会共同会長(カトリック)
ノルベルト・クレース博士 ドイツ ビュルツブルク大学教授(カトリック)
ハンス・キュング博士 ドイツ チュービンゲン大学教授(カトリック)
ゴッドフリード・ダネールス枢機卿 ベルギー メヘレン-ブリュッセル大司教(カトリック)
また、(財)世界宗教者平和会議日本委員会の主な役員のうちカトリック関係者は次の通りだそうです。
理事長 白柳誠一 カトリック東京教区 大司教・枢機卿
評議員 平山高明 カトリック大分教区 司教
評議員 田中健一 カトリック司教
評議員 森 一 カトリック司教
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r4.htm
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
http://blog.with2.net/link.php?269452
【↑ えっ! ハンス・キュングが国際委員長団のメンバー? エキュメニズムの今後の行き先が心配だという方は、クリックをお願いします。】
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
【ファチマ・パースペクティヴズ エキュメニズムの最終的な結末】
これに関連して、クリストファー・A. フェララの記事をお読み下さい。
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fp0523.htm
エキュメニズムは、非カトリックの全ての諸宗教に対して友好と信頼と交流を促進させている。
しかし、エキュメニズムは、カトリック信徒らをして教会からの離反を促しており、そのようなエキュメニズムを受け入れなかったルフェーブル大司教についてのみ、敵対的な態度を取らせている。
しかし、世界宗教者平和会議が設立されて、世界から本当に戦争がなくなったのだろうか? その反対ではなかっただろうか?
世界宗教者平和会議は、世界平和というよりも、カトリックの背教へとのみ導くだろう。
世界の本当の平和のためには、むしろファチマの聖母マリアのいうように、聖母の汚れ無き御心への信心をこの世に確立しなければならないだろう。私たちはそれを信じている。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
以下にそのポイントを列挙します。
エキュメニズムの最終的な結末は教会からの離反である。
エキュメニズムのために例えば、アメリカの聖ベネディクト・センターはカトリックであることをやめなければならなかった。
聖ベネディクトのシスターたちはヴァチカンに、カトリック修道会としての彼女たちの誓願からの適用免除を請願し、そしてその要求は叶えられた。
修道誓願を断念し、ローマによって認められたカトリック宗教共同体としてのその存在を終えた。
誓願とエキュメニカルな共同体とは基本的に相容れないのであり、そしてそれゆえに最後には出ていかなければならないのは誓願だったのである。
ルフェーブル大司教は、彼が彼の修道会を一つのエキュメニカルな共同体へと変えるために彼の聖霊会神父としての誓願を免除されるように求めたのではなかった。そのような場合にはヴァチカンは許可を与えたであろう。
むしろ、1988年に大司教は教会における無類の危機と混乱の時期の間、伝統的なミサ、諸々の秘蹟そしてカテケージスを守るために司教たちを叙階しようと努められたのである。そしてこれらの叙階のために(そのうちの一人の聖別に対してヴァチカンはすでに原則的に同意した。ただ聖別の日付だけが同意に達せずに残されていたにすぎない!!!)大司教は72時間以内に「破門される」と宣言された。
実際、教会の規律上の権威は厳格にそして迅速に機能しつづけていると思われる - しかしそれはただ教会の規律の破壊に反対し、それについて何かをなそうと努力している人々に対するときにだけそうであるが - 。
もし、エキュメニズムが「エキュメニズム」のためにカトリック教会の放棄へと導くならば、まず第一にそのような諸活動へとカトリック教徒たちをさらすのか?
エキュメニズムは、シスター・ルチアが第二ヴァチカン公会議以来の教会の「悪魔的な方向感覚喪失」と呼んだ精神的混乱の一形式である。
信仰と道徳に関するカトリック教会の最も基本的な教えを拒否するプロテスタントたちと共に、共同体において生活するために自分の誓願を放棄することは、客観的に言うならば背教としてしか見られ得ない。そのような背教が、今日教会をしっかりと捕らえているエキュメニカルな狂気の最終的な結果である。
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fp0523.htm
http://blog.with2.net/link.php?269452
【↑ クリックで応援をお願いします。】