アヴェ・マリア!
■ 第二奉献文について
1969年に新しいミサが現れ「歴史的に成立してきたものに対して、新しい家を対立させ、これを禁止したということ、典礼を生きたもの、成長するものとしてではなく、学者たちの仕事、法律家の権限によってつくりだされたものとした」。「これによって、典礼は人間に先立って天主から与えられたものではなく、つくられたもの、人間の裁量の領域のうちにあるものであるという印象ができあがってしまった」(ラッツィンガー枢機卿)。
新しい三つの「奉献文」(preces eucharisticae)の共通の特徴は、新しい神学に基づき、机上で学者が何から何まで捏造したものであり、それ以前の数世紀もの典礼のやり方と典礼精神を突如として断絶させるものだった。
たとえ「第三奉献文」「第四奉献文」の中に、sacrificium (犠牲) 或いは victima (いけにえ)という言葉は存在するとしても、ミサ聖祭が罪の償いのために捧げられるという目的は言及されていない。私たちの主イエズス・キリストのいけにえの前兆であるアベルのいけにえ、アブラハムのいけにえ、メルキセデクのいけにえについては姿を消した。天主の御母聖マリアは、終生童貞とは言われなくなった。諸聖人の功徳は無視されている。聖ペトロの名前さえも消えた。地獄についても語らない。
■ オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿とはパウロ六世教皇にこう報告している。
「第二奉献文はそのあまりの短さに信者達にすぐに躓きを与えた。この第二奉献文に関しては、全実体変化やミサの犠牲の性格のどちらももはや信じていないような司祭が良心の呵責を全く持たずにこれを捧げることが出来ること、また、プロテスタントの牧師が自分の典礼サービスのためにこの奉献文を十分に使い得ることが鋭く指摘されてきた。」
様々な位階の天使達も「第二奉献文」の新しい序唱から消え失せてしまった。(これは以前にはなかったことである。)
■ 第二奉献文は「ヒッポリトのカノン」(三世紀)と言われているのではないか?
第二奉献文は昔の「ヒッポリトのカノン」と主張する人がいるが、実際はいくつかの言葉が使われているだけで、何も残ってはいない。
Hippolyte de Rome, La Tradition apostolique, texte latin, introduction et notes de Dome Botte O.S.B., Paris, Cerf, "Sources chretiennes", 1946, p. 32.
ヒッポリトは、2番目の対立教皇であった。カトリック教会でこの「カノン」が実際に使われていたかどうかは確かでは全くない。
■ 聖ヒッポリトゥス 217-235 は聖人ではないか?
新しいミサの促進者であるロゲ神父(Pere Aimon-Marie Roguet O.P.)は、こう説明している。
「ヒッポリトは典文としてこの文章を掲載したのではない。典文としてとは、固定されて義務である祈りの形式としてという意味である。そうではなく、自由創作のモデルとしてこれを載せた。彼の文章は決してこのまま使われたのではないだろう。最後に、彼は極めて反動的な人物であり、自らを対立教皇として立てたほどローマ位階制度に反対していた(そしてこれを自分の殉教で贖った)。従って、多分に彼は、このアナフォラ(=ミサ聖祭の祈り)をローマでその当時使われていたミサ聖祭の祈りに対立するものとして提示したのだろう。」
(Aimon-Marie Roguet O.P. Pourquoi le conon de la messe en francais?, Paris, Cerf, 1967, p. 23)
【参考資料 その1】
◆ オッタヴィアーニ枢機卿はパウロ六世に「第三奉献文」について、こう報告している。
「第三奉献文*84」(Vere sanctus, p.123)に於いては、次の言葉が主に対して発せられる。「御身はご自分のために民を集めることを絶えず続け給う。そは日の昇るところから沈むとことまで御身の御名に清き捧げものが捧げられん為なり。*85」ここで、「そは、~が為なり」(ut)という言葉のために、ミサを捧げるために必要かくべからざる要素として司祭よりも民が全面にでている。そして、ここでは誰が捧げるのかが明らかではない*86ために、会衆は司祭を必要とせず、独立の司祭職を行使する権能を持っているかのように見える。この段階から、それほど長くない間に平信徒が司祭と共に聖変化の言葉を発するのが許されるようになったとしても(このことは既にあちらこちらで見受けられているが)、それは驚くに値しないだろう。
*84 Prex eucharistica III
*85 "populum tibi congregare non desinis ut a solis ortu usque occasum oblatio munda offeratur nomini tuo"
*86 原注17: ルター派とカルヴィン派は全てのキリスト者が司祭であり、全てのキリスト者が晩餐を捧げると主張している。しかし、トリエント公会議に従えば(第22総会Canon 2 DS1752)、「全ての司祭は、そして司祭だけが、ミサのいけにえの二次的な司式者である。キリストがミサの第1の司式者である。信者も捧げるが、それは厳密な意味におけるのではなく、司祭を通して、間接的に捧げるのである。」(A. Tanquerey, Synopsis thologiae dogmaticae Desclee 1930, t. III)
新しく作られた3つの「奉献文」のうちどれも死んだ人々の苦しんでいる状態を言及するものがない。特定の死者の記念の可能性さえない。これら全てはまたしてもミサのいけにえの罪を償い贖う性質についての信仰を破壊してしまうことだろう。
式次第の全てから、新しい3つの「奉献文」を含めて、ローマの教会の創立者である使徒聖ペトロと聖パウロ、そして唯一の普遍の教会の基礎かつ印であるその他の使徒達の名前を全く省略されてしまったのは耐えることが出来ない。唯一それが残っているのはローマ・カノンのコムニカンテスの中でだけである。これによって教会の一致は非常にゆゆしく弱められるだろう。
【参考資料 その2】
■ 新しいミサの結果
たとえばカトリック大学の神学講座では十字架のいけにえ、というよりもプロテスタントの概念に従った「聖餐の秘跡」が教えられるようになった。
國 井 健 宏
●授業の目的・内容・進め方・履修上の条件等
ミサの基本構造である「ことば」と「食卓」がどのように誕生したか。特にミサの後半,主の食卓を囲んでの「感謝の典礼」は,最後の晩餐の主のことばと動作が儀式化されたものである。奉納(パンを取る)-奉献文(感謝をささげる)-拝領(裂いて与える)という3部構造の研究。奉献文の起源と構造,各部の意味について調べる。また日本での適応や創作の可能性について考える。
●評価方法
授業への積極的な参加態度と,レポート,発表など。学期末の試験ないしレポートによる評価。
●参 考 書
J. F.ホワイト『キリスト教の礼拝』日本基督教団出版局,J. Kodell 'The Eucharist in the NT' The Liturgical Press
2002年度上智大学大学院 神学研究科 神学専攻/組織神学より
■ 召命の危機
われわれは衰微する教会を見ている
【参考資料 その3】第二奉献文のラテン語原文
Prex Eucharistica II
Vere Sanctus es, Domine, fons omnis sanctitatis. Haec ergo dona, quaesumus, Spiritus tui rore sanctifica, ut nobis Corpus et + Sanguis fiant Domini nostri Iesu Christi.
Qui cum Passioni voluntarie traderetur, accepit panem et gratias agens fregit, detitque discipulis suis, dicens :
"Accipite et manducate ex hoc omnes: Hoc est enim Corpus meum quod pro vobis tradetur"
Simili modo, postquam cenatum est, accipiens et calicem, iterum gratias agens dedit discipulis suis, dicens :
"Accipite et bibite ex eo omnes: Hic est enim calix Sanguinis mei, novi et aeterni testamenti, qui pro vobis et pro multis effundetur in remissionem peccatorum. Hoc facite in meam conmemorationem."
Mysterium fidei :
Mortem tuam annuntiamus, Domine, et tuam resurrectionem confitemur, donec venias.
Memores igitur mortis et resurrectionis eius, tibi, Domine, panem vitae et calicem salutis offerimus, gratias agentes quia nos dignos habuisti astare coram te et tibi ministrare.
Et supplices deprecamur ut Corporis et Sanguinis Christi participes a Spiritu Sancto congregemur in unum.
Recordare, Domine, Ecclesiae tuae toto orbe diffusae, ut eam in caritate perficias una cum Papa nostro N. et Episcopo nostro N. et universo clero.
Memento etiam fratrum nostrorum, qui in spe resurrectionis dormierunt, omniumque in tua miseratione defunctorum, et eos in lumen vultus tui admitte.
Omnium nostrum, qaesumus, miserere, ut cum beata Dei Genetrice Virgine Maria, beatis Apostolis et omnibus Sanctis, qui tibi a saeculo placuerunt, aeternae vitae mereamur esse consortes, et te laudemus et glorificemus per Filium tuum Iesum Christum.
Per ipsum, et cum ipso, et in ipso, est tibi Deo Patri omnipotenti, in unitate Spiritus sancti, omnis honor et gloria per omnia saecula saeculorum.
Amen.
【参考資料】
PREX EUCHARISTICA II
PREX EUCHARISTICA II
Eucharistic Prayer II Prex Eucharistica II
Ordinarium Missae
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*****
■ 自由についての一般的考察 「自由」の3つの意味
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?
■ 本来の意味での「信教の自由」:人間人格の尊厳は、真理を考慮に入れない自由には存しない。
■ 19世紀の教皇たちはこぞって、いわゆる「良心と諸信教の自由」を排斥した
■ 諸教皇は、何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?
■ 信教の自由とその新たな「根拠」:およびそれへの反駁
■ 真理探求の自由は宗教的自由の根拠となり得るか
■ 宗教無差別主義について確認しておくべき点
■ 信教の自由は人間人格の基本的権利なのか、歴代の教皇様は何と言っているか?
■ 聖書の歴史に見られる、宗教的事柄においての強制
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非 (つづき)
■ 世俗の共通善、カトリック宗教とその他の諸宗教
*****
●聖ピオ十世会韓国のホームページ
●トレント公会議(第19回公会議)決議文
●第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
●聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
●グレゴリオ聖歌に親しむ会
●教宗額我略十六世 <<論自由主義>> (Mirari Vos) 通諭 懲斥自由主義謬論 1832年8月15日
●教皇グレゴリオ16世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
●教宗良十三世頒布《自由》(Libertas) 通諭 1888年6月20日
●教皇レオ13世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
●教宗庇護十一世通諭“Quas Primas”基督君王 1925年12月11日
●教皇ピオ11世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
■ 第二奉献文について
1969年に新しいミサが現れ「歴史的に成立してきたものに対して、新しい家を対立させ、これを禁止したということ、典礼を生きたもの、成長するものとしてではなく、学者たちの仕事、法律家の権限によってつくりだされたものとした」。「これによって、典礼は人間に先立って天主から与えられたものではなく、つくられたもの、人間の裁量の領域のうちにあるものであるという印象ができあがってしまった」(ラッツィンガー枢機卿)。
新しい三つの「奉献文」(preces eucharisticae)の共通の特徴は、新しい神学に基づき、机上で学者が何から何まで捏造したものであり、それ以前の数世紀もの典礼のやり方と典礼精神を突如として断絶させるものだった。
たとえ「第三奉献文」「第四奉献文」の中に、sacrificium (犠牲) 或いは victima (いけにえ)という言葉は存在するとしても、ミサ聖祭が罪の償いのために捧げられるという目的は言及されていない。私たちの主イエズス・キリストのいけにえの前兆であるアベルのいけにえ、アブラハムのいけにえ、メルキセデクのいけにえについては姿を消した。天主の御母聖マリアは、終生童貞とは言われなくなった。諸聖人の功徳は無視されている。聖ペトロの名前さえも消えた。地獄についても語らない。
■ オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿とはパウロ六世教皇にこう報告している。
「第二奉献文はそのあまりの短さに信者達にすぐに躓きを与えた。この第二奉献文に関しては、全実体変化やミサの犠牲の性格のどちらももはや信じていないような司祭が良心の呵責を全く持たずにこれを捧げることが出来ること、また、プロテスタントの牧師が自分の典礼サービスのためにこの奉献文を十分に使い得ることが鋭く指摘されてきた。」
様々な位階の天使達も「第二奉献文」の新しい序唱から消え失せてしまった。(これは以前にはなかったことである。)
■ 第二奉献文は「ヒッポリトのカノン」(三世紀)と言われているのではないか?
第二奉献文は昔の「ヒッポリトのカノン」と主張する人がいるが、実際はいくつかの言葉が使われているだけで、何も残ってはいない。
Hippolyte de Rome, La Tradition apostolique, texte latin, introduction et notes de Dome Botte O.S.B., Paris, Cerf, "Sources chretiennes", 1946, p. 32.
ヒッポリトは、2番目の対立教皇であった。カトリック教会でこの「カノン」が実際に使われていたかどうかは確かでは全くない。
■ 聖ヒッポリトゥス 217-235 は聖人ではないか?
新しいミサの促進者であるロゲ神父(Pere Aimon-Marie Roguet O.P.)は、こう説明している。
「ヒッポリトは典文としてこの文章を掲載したのではない。典文としてとは、固定されて義務である祈りの形式としてという意味である。そうではなく、自由創作のモデルとしてこれを載せた。彼の文章は決してこのまま使われたのではないだろう。最後に、彼は極めて反動的な人物であり、自らを対立教皇として立てたほどローマ位階制度に反対していた(そしてこれを自分の殉教で贖った)。従って、多分に彼は、このアナフォラ(=ミサ聖祭の祈り)をローマでその当時使われていたミサ聖祭の祈りに対立するものとして提示したのだろう。」
(Aimon-Marie Roguet O.P. Pourquoi le conon de la messe en francais?, Paris, Cerf, 1967, p. 23)
【参考資料 その1】
◆ オッタヴィアーニ枢機卿はパウロ六世に「第三奉献文」について、こう報告している。
「第三奉献文*84」(Vere sanctus, p.123)に於いては、次の言葉が主に対して発せられる。「御身はご自分のために民を集めることを絶えず続け給う。そは日の昇るところから沈むとことまで御身の御名に清き捧げものが捧げられん為なり。*85」ここで、「そは、~が為なり」(ut)という言葉のために、ミサを捧げるために必要かくべからざる要素として司祭よりも民が全面にでている。そして、ここでは誰が捧げるのかが明らかではない*86ために、会衆は司祭を必要とせず、独立の司祭職を行使する権能を持っているかのように見える。この段階から、それほど長くない間に平信徒が司祭と共に聖変化の言葉を発するのが許されるようになったとしても(このことは既にあちらこちらで見受けられているが)、それは驚くに値しないだろう。
*84 Prex eucharistica III
*85 "populum tibi congregare non desinis ut a solis ortu usque occasum oblatio munda offeratur nomini tuo"
*86 原注17: ルター派とカルヴィン派は全てのキリスト者が司祭であり、全てのキリスト者が晩餐を捧げると主張している。しかし、トリエント公会議に従えば(第22総会Canon 2 DS1752)、「全ての司祭は、そして司祭だけが、ミサのいけにえの二次的な司式者である。キリストがミサの第1の司式者である。信者も捧げるが、それは厳密な意味におけるのではなく、司祭を通して、間接的に捧げるのである。」(A. Tanquerey, Synopsis thologiae dogmaticae Desclee 1930, t. III)
新しく作られた3つの「奉献文」のうちどれも死んだ人々の苦しんでいる状態を言及するものがない。特定の死者の記念の可能性さえない。これら全てはまたしてもミサのいけにえの罪を償い贖う性質についての信仰を破壊してしまうことだろう。
式次第の全てから、新しい3つの「奉献文」を含めて、ローマの教会の創立者である使徒聖ペトロと聖パウロ、そして唯一の普遍の教会の基礎かつ印であるその他の使徒達の名前を全く省略されてしまったのは耐えることが出来ない。唯一それが残っているのはローマ・カノンのコムニカンテスの中でだけである。これによって教会の一致は非常にゆゆしく弱められるだろう。
【参考資料 その2】
■ 新しいミサの結果
たとえばカトリック大学の神学講座では十字架のいけにえ、というよりもプロテスタントの概念に従った「聖餐の秘跡」が教えられるようになった。
國 井 健 宏
●授業の目的・内容・進め方・履修上の条件等
ミサの基本構造である「ことば」と「食卓」がどのように誕生したか。特にミサの後半,主の食卓を囲んでの「感謝の典礼」は,最後の晩餐の主のことばと動作が儀式化されたものである。奉納(パンを取る)-奉献文(感謝をささげる)-拝領(裂いて与える)という3部構造の研究。奉献文の起源と構造,各部の意味について調べる。また日本での適応や創作の可能性について考える。
●評価方法
授業への積極的な参加態度と,レポート,発表など。学期末の試験ないしレポートによる評価。
●参 考 書
J. F.ホワイト『キリスト教の礼拝』日本基督教団出版局,J. Kodell 'The Eucharist in the NT' The Liturgical Press
2002年度上智大学大学院 神学研究科 神学専攻/組織神学より
■ 召命の危機
われわれは衰微する教会を見ている
【参考資料 その3】第二奉献文のラテン語原文
Prex Eucharistica II
Vere Sanctus es, Domine, fons omnis sanctitatis. Haec ergo dona, quaesumus, Spiritus tui rore sanctifica, ut nobis Corpus et + Sanguis fiant Domini nostri Iesu Christi.
Qui cum Passioni voluntarie traderetur, accepit panem et gratias agens fregit, detitque discipulis suis, dicens :
"Accipite et manducate ex hoc omnes: Hoc est enim Corpus meum quod pro vobis tradetur"
Simili modo, postquam cenatum est, accipiens et calicem, iterum gratias agens dedit discipulis suis, dicens :
"Accipite et bibite ex eo omnes: Hic est enim calix Sanguinis mei, novi et aeterni testamenti, qui pro vobis et pro multis effundetur in remissionem peccatorum. Hoc facite in meam conmemorationem."
Mysterium fidei :
Mortem tuam annuntiamus, Domine, et tuam resurrectionem confitemur, donec venias.
Memores igitur mortis et resurrectionis eius, tibi, Domine, panem vitae et calicem salutis offerimus, gratias agentes quia nos dignos habuisti astare coram te et tibi ministrare.
Et supplices deprecamur ut Corporis et Sanguinis Christi participes a Spiritu Sancto congregemur in unum.
Recordare, Domine, Ecclesiae tuae toto orbe diffusae, ut eam in caritate perficias una cum Papa nostro N. et Episcopo nostro N. et universo clero.
Memento etiam fratrum nostrorum, qui in spe resurrectionis dormierunt, omniumque in tua miseratione defunctorum, et eos in lumen vultus tui admitte.
Omnium nostrum, qaesumus, miserere, ut cum beata Dei Genetrice Virgine Maria, beatis Apostolis et omnibus Sanctis, qui tibi a saeculo placuerunt, aeternae vitae mereamur esse consortes, et te laudemus et glorificemus per Filium tuum Iesum Christum.
Per ipsum, et cum ipso, et in ipso, est tibi Deo Patri omnipotenti, in unitate Spiritus sancti, omnis honor et gloria per omnia saecula saeculorum.
Amen.
【参考資料】
PREX EUCHARISTICA II
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Eucharistic Prayer II Prex Eucharistica II
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■ 自由についての一般的考察 「自由」の3つの意味
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?
■ 本来の意味での「信教の自由」:人間人格の尊厳は、真理を考慮に入れない自由には存しない。
■ 19世紀の教皇たちはこぞって、いわゆる「良心と諸信教の自由」を排斥した
■ 諸教皇は、何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?
■ 信教の自由とその新たな「根拠」:およびそれへの反駁
■ 真理探求の自由は宗教的自由の根拠となり得るか
■ 宗教無差別主義について確認しておくべき点
■ 信教の自由は人間人格の基本的権利なのか、歴代の教皇様は何と言っているか?
■ 聖書の歴史に見られる、宗教的事柄においての強制
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非 (つづき)
■ 世俗の共通善、カトリック宗教とその他の諸宗教
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●聖ピオ十世会韓国のホームページ
●トレント公会議(第19回公会議)決議文
●第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
●聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
●グレゴリオ聖歌に親しむ会
●教宗額我略十六世 <<論自由主義>> (Mirari Vos) 通諭 懲斥自由主義謬論 1832年8月15日
●教皇グレゴリオ16世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
●教宗良十三世頒布《自由》(Libertas) 通諭 1888年6月20日
●教皇レオ13世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
●教宗庇護十一世通諭“Quas Primas”基督君王 1925年12月11日
●教皇ピオ11世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日