アヴェ・マリア!
兄弟姉妹の皆様、
ピオ十二世教皇の1954年10月7日発布の回勅“AD SINARUM GENTEM ”(支那の国民に対し)を推薦します。
これを読むために、次のような歴史的経過を頭に置いて下さい。
◆ 中共のカトリック教会迫害
1949年に「中華人民共和国」が成立。共産主義の中国では、毛沢東がキリスト者を「帝国主義のスパイ」と見なして教皇大使代理(internuncio)と外国人宣教師たちを全て国外追放に処した(その当時、合計約3000名)。
1951年、「三自」運動を開始し、中国大陸に残る100の司教区にいる2500名の中国人司祭と400万名の信徒たちで三自教会を設立しようとした。
「三自運動」とは、プロテスタント起源(中国基督教協進会の主席呉耀宗を中心とする)の中共政府との協力運動であり、≪三自運動≫の教会につく者のみが、真に祖国を愛する者であるとの誤った主張。≪国民的≫教会を設立する事を目論んでいる。「三自」というのは自治(中国人が自分で教会を管理運営する。司牧権の独立)、自養(教会運営資金は自分で稼ぎ、外国宣教団からもらわないで、金銭面でも自分の力で教会を維持する。経済的独立)、自伝(中国人のみが自分たちの布教活動を行い宣教する。教導権の独立)ということであり、「三自運動」組織は人民団体として、中共政府の指導のもとに革命と建設に協力する。こうして中国ではキリスト教会は「三自愛国運動」という政府管理下の組織だけが活動を公認された。
中国の天主教会(カトリック教会)では、支那の教会の司牧、経済、宣教に関する独立を目ざして、一人の司祭と約四十人の信徒の集団を端に、「三自」革命運動が始まった。約5年間の運動の後、三千人の支那人司祭の中、約三十人が「三自運動」に荷担したが、大部分の支那人司教、司祭及び信者達は監獄にあって迫害に耐えた。
ピオ12世教皇様は、1951年4月9日、教皇様の任命(或いは追認)なき全ての司教たちを、その国籍と典礼様式を問わず、全て自動破門( ipso facto excommunication )とする法令を発布した。それ以前の制裁は、聖職停止だけ。(1917年の教会法「聖座を許しを与えるまで法自体によって聖職停止になる」(Ipso jure suspensi sunt, donec sedes Apostolica eos dispensaverit. Canon 2370, CIC 1917、1983年の教会法もこれを踏襲して、聖座に許しが限定された自動破門 excommicatio latae sententiae (Canon 1382, CIC 1983))
また、同時にこの教皇の許しなき司教聖別に関わる全ての司教たちをも同じ罰で処罰することにした。1952年1月18日の使徒書簡( Cupimus in primis )で、ピオ12世は中国人たちが共産主義者の迫害に抵抗するように励ました。そして怖ろしい迫害が始まった。
1954年10月7日、ピオ十二世は、回勅「アド・シナールム・ジェンテム“Ad Sinarum Gentem”(支那の国民に対し)」を発表。
回勅「アド・シナールム・ジェンテム“Ad Sinarum Gentem”(支那の国民に対し)」【英語版】
1957年、中共は「三自運動」の延長線上に、中国天主教愛国協会を設立。1958年6月29日、ピオ12世は新しい回勅「アド・アポストロールム・プリンチピス(Ad apostolorum principis)を発表し、「愛国協会」は離教状態にあること、そしてカトリック信徒はそれに加わってはいけないことを命じた。何故なら、彼らはキリストの真の教会とは別の「教会」を捏造したからだ。
1958年12月の枢機卿会議で、ヨハネ二十三世はこの排斥を繰り返した。
◆ この回勅の中で、ピオ十二世教皇様は次の3点を指摘しています。
≪司牧権の独立≫
(1)外国人宣教師らは、世俗的理由に動かされているのではなく、キリスト教の教理の光に依て照らし、キリスト教的道徳を以って教育し、超自然的愛を以って助ける事以外何も要求せず、またそれ以上に何か良い事があるとも考えていない。
(2)支那自国民の聖職者が増加し外国人宣教師の共同活動を必要としなくなった暁に於ても、キリストの地上の代理者たる教皇に、彼が信仰及び道徳に関する事柄には密接に繋がっているが故に、全く従わねばならない。
(3)天主の御旨に依て一般人或は地上の権力が教階制度の諸権利と構成を侵す事が禁じられている(トリエント公会議 Sess. XXIII, De ordine cann. 2-7; 及びヴァチカン公会議 Sess. IV; C. I. C. Cann. 108と109参照)。
≪経済的独立≫
(1)教皇は、支那の信者自身に依てなされる援助が支那のカトリック教会の必要を満たすに足るようになり得る事を切に希望している。
(2)諸外国に於いて集められた寄附は、キリスト教的愛から起こったもの。この愛に於いて、或は兄弟の契を以て互に結合もし、或は聖なる愛に動かされて、各人の力の限り我等の贖主の御国の拡張の為、あくまで挺身しなければならない。
≪教導権の独立≫
(1)キリスト教の教理に於ても≪独立≫ということはおかしい。イエズス・キリストによる天与の福音を、各国に違ったように解釈し得ないからだ。
(2)牧者は発明家でも創始者でもなく、只単に、権威の番人であり、天主より定められた伝達者であるに過ぎない。人間精神の所産たる教理の教師ではなく、主キリスト御自身が教え給い、しかして己が使徒とその後継者達に教えるよう厳粛に托し給うた御教を、職務上の良心にかけて受け取り、且つそれに忠実に従うべき。
教会の≪カトリック性≫乃至≪超国家性≫
≪三自運動≫とか、その他それに類するものにと連なる危険な諸原理を保持する人々のように、以上説明した事と違って宣言し且つ教える人は、誰しもカトリック者とは考えられない。彼等は自分等の頭の中で捏造した教会、即ち≪三自運動≫の教会につく者のみが、真に祖国を愛する者であるとの誤った主張をしている。力にかけても≪国民的≫教会を設立する事を目論んでいる。しかし、それは、イエズス・キリストに依って築かれた真の教会、且つ国民を包括する普遍性乃至は≪カトリック性≫を否定しますが故に、それは最早カトリック教会ではない。
◆ この回勅をお読みになった後に、「カトリック教徒たちは中国における2008年オリンピックから閉め出されるべきなのか?」をもお読みになって、中共の迫害に苦しむカトリックの信徒の方々のためにお祈りをお願い致します。
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●聖ピオ十世会韓国のホームページ
●トレント公会議(第19回公会議)決議文
●第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
●聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
●グレゴリオ聖歌に親しむ会
兄弟姉妹の皆様、
ピオ十二世教皇の1954年10月7日発布の回勅“AD SINARUM GENTEM ”(支那の国民に対し)を推薦します。
これを読むために、次のような歴史的経過を頭に置いて下さい。
◆ 中共のカトリック教会迫害
1949年に「中華人民共和国」が成立。共産主義の中国では、毛沢東がキリスト者を「帝国主義のスパイ」と見なして教皇大使代理(internuncio)と外国人宣教師たちを全て国外追放に処した(その当時、合計約3000名)。
1951年、「三自」運動を開始し、中国大陸に残る100の司教区にいる2500名の中国人司祭と400万名の信徒たちで三自教会を設立しようとした。
「三自運動」とは、プロテスタント起源(中国基督教協進会の主席呉耀宗を中心とする)の中共政府との協力運動であり、≪三自運動≫の教会につく者のみが、真に祖国を愛する者であるとの誤った主張。≪国民的≫教会を設立する事を目論んでいる。「三自」というのは自治(中国人が自分で教会を管理運営する。司牧権の独立)、自養(教会運営資金は自分で稼ぎ、外国宣教団からもらわないで、金銭面でも自分の力で教会を維持する。経済的独立)、自伝(中国人のみが自分たちの布教活動を行い宣教する。教導権の独立)ということであり、「三自運動」組織は人民団体として、中共政府の指導のもとに革命と建設に協力する。こうして中国ではキリスト教会は「三自愛国運動」という政府管理下の組織だけが活動を公認された。
中国の天主教会(カトリック教会)では、支那の教会の司牧、経済、宣教に関する独立を目ざして、一人の司祭と約四十人の信徒の集団を端に、「三自」革命運動が始まった。約5年間の運動の後、三千人の支那人司祭の中、約三十人が「三自運動」に荷担したが、大部分の支那人司教、司祭及び信者達は監獄にあって迫害に耐えた。
ピオ12世教皇様は、1951年4月9日、教皇様の任命(或いは追認)なき全ての司教たちを、その国籍と典礼様式を問わず、全て自動破門( ipso facto excommunication )とする法令を発布した。それ以前の制裁は、聖職停止だけ。(1917年の教会法「聖座を許しを与えるまで法自体によって聖職停止になる」(Ipso jure suspensi sunt, donec sedes Apostolica eos dispensaverit. Canon 2370, CIC 1917、1983年の教会法もこれを踏襲して、聖座に許しが限定された自動破門 excommicatio latae sententiae (Canon 1382, CIC 1983))
また、同時にこの教皇の許しなき司教聖別に関わる全ての司教たちをも同じ罰で処罰することにした。1952年1月18日の使徒書簡( Cupimus in primis )で、ピオ12世は中国人たちが共産主義者の迫害に抵抗するように励ました。そして怖ろしい迫害が始まった。
1954年10月7日、ピオ十二世は、回勅「アド・シナールム・ジェンテム“Ad Sinarum Gentem”(支那の国民に対し)」を発表。
回勅「アド・シナールム・ジェンテム“Ad Sinarum Gentem”(支那の国民に対し)」【英語版】
1957年、中共は「三自運動」の延長線上に、中国天主教愛国協会を設立。1958年6月29日、ピオ12世は新しい回勅「アド・アポストロールム・プリンチピス(Ad apostolorum principis)を発表し、「愛国協会」は離教状態にあること、そしてカトリック信徒はそれに加わってはいけないことを命じた。何故なら、彼らはキリストの真の教会とは別の「教会」を捏造したからだ。
1958年12月の枢機卿会議で、ヨハネ二十三世はこの排斥を繰り返した。
◆ この回勅の中で、ピオ十二世教皇様は次の3点を指摘しています。
≪司牧権の独立≫
(1)外国人宣教師らは、世俗的理由に動かされているのではなく、キリスト教の教理の光に依て照らし、キリスト教的道徳を以って教育し、超自然的愛を以って助ける事以外何も要求せず、またそれ以上に何か良い事があるとも考えていない。
(2)支那自国民の聖職者が増加し外国人宣教師の共同活動を必要としなくなった暁に於ても、キリストの地上の代理者たる教皇に、彼が信仰及び道徳に関する事柄には密接に繋がっているが故に、全く従わねばならない。
(3)天主の御旨に依て一般人或は地上の権力が教階制度の諸権利と構成を侵す事が禁じられている(トリエント公会議 Sess. XXIII, De ordine cann. 2-7; 及びヴァチカン公会議 Sess. IV; C. I. C. Cann. 108と109参照)。
≪経済的独立≫
(1)教皇は、支那の信者自身に依てなされる援助が支那のカトリック教会の必要を満たすに足るようになり得る事を切に希望している。
(2)諸外国に於いて集められた寄附は、キリスト教的愛から起こったもの。この愛に於いて、或は兄弟の契を以て互に結合もし、或は聖なる愛に動かされて、各人の力の限り我等の贖主の御国の拡張の為、あくまで挺身しなければならない。
≪教導権の独立≫
(1)キリスト教の教理に於ても≪独立≫ということはおかしい。イエズス・キリストによる天与の福音を、各国に違ったように解釈し得ないからだ。
(2)牧者は発明家でも創始者でもなく、只単に、権威の番人であり、天主より定められた伝達者であるに過ぎない。人間精神の所産たる教理の教師ではなく、主キリスト御自身が教え給い、しかして己が使徒とその後継者達に教えるよう厳粛に托し給うた御教を、職務上の良心にかけて受け取り、且つそれに忠実に従うべき。
教会の≪カトリック性≫乃至≪超国家性≫
≪三自運動≫とか、その他それに類するものにと連なる危険な諸原理を保持する人々のように、以上説明した事と違って宣言し且つ教える人は、誰しもカトリック者とは考えられない。彼等は自分等の頭の中で捏造した教会、即ち≪三自運動≫の教会につく者のみが、真に祖国を愛する者であるとの誤った主張をしている。力にかけても≪国民的≫教会を設立する事を目論んでいる。しかし、それは、イエズス・キリストに依って築かれた真の教会、且つ国民を包括する普遍性乃至は≪カトリック性≫を否定しますが故に、それは最早カトリック教会ではない。
◆ この回勅をお読みになった後に、「カトリック教徒たちは中国における2008年オリンピックから閉め出されるべきなのか?」をもお読みになって、中共の迫害に苦しむカトリックの信徒の方々のためにお祈りをお願い致します。
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●聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
●グレゴリオ聖歌に親しむ会