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カトリック信仰

2008年09月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 猛暑のニースから、秋のようなエコンの神学校に行きました。その後、真夏のソウルに戻り、夏の終わりを告げている日本にしばらくいましたが、今は、真夏のフィリピンに来ています。8月9日は、長崎と日本のことに思いを馳せていました。今は時差ボケと戦っています。

 何故、何故天主様は、十字架にかかったのでしょうか?天主様のなさることには、間違いがないはずです。全ては、永遠の無限の智恵で、計画されたはずです。

 イエズス・キリストが、天主なら、何故、そんなに弱いのか?何故ゲッセマニでそんなに悩んだのか?シナイの恐ろしい天主を知っていたユダヤ人にとっては、イエズス・キリストが天主であることを信じるのは、楽ではなかっただろうに。天主が苦しみ、死ぬなんて!天主は死なないはずだ。自分の弟子たちから捨てられて、裏切られるなんて!イザヤの預言による表現を借りるなら、ライ病の患者のように、それと見分けることが出来ないほど美しさを失っている。そんな声が聞こえてきます。

 私たちの主が天主であって、だから、苦しみも悶えも死もあり得ない、と考えた人は、全ての出来事にもかかわらず、イエズス・キリストには苦しみも悶えも死もない、全ては正常だ、血も流れていないし、苦しんでもいない、死んでもいない、と言い張るかもしれません。

 あるいは、アリウスのように、苦しむイエズス・キリストは、天主ではあり得ない、というかもしれません。

 しかし、現実は、イエズス・キリストは本当に苦しみ、死に給うたのです。真の天主にして真の人間であるイエズス・キリスト様の神秘。人となった天主様が、天から地に下った天主様が、会堂から破門され、十字架の上に死に給うたのです!
 全能の天主が選んだ使徒の一人は、天主を裏切ったのです。この世の基準で言えば「失敗」したのです。

 ところで、今、カトリック教会で、全てが正常に機能している、と思っている人には、私の言うことはほとんど理解することが出来ないでしょう。ラッチンガー枢機卿の十字架の道行きを読むと、カトリック教会で全てが正常だとは考えられません。異端を説く司祭、涜聖、相対主義。何を信じるのか、何故信じるのか、知らない信徒たち。

 最近では、聖ピオ十世会でもなければ聖伝支持者でもない人も、この現状を直視しだしています。そんな人は、たとえばジャン・ミゲル・ガリーグ神父は、教会の死の悶え(アゴニー)について語ります。少し前は、教会の危機について言われていたのですが、これからは教会の死の悶えです。死に対抗する命の最後の闘いです。

 天主の教会が、一体何故、危機や死の悶えを体験しなければならないのでしょうか?何故、天主の教会が、40年間も、第二バチカン公会議の砂漠をさまよい、弱っているのでしょうか?天主の教会が、ゲッセマニで悶えているのでしょうか?何故、40年以上も、典礼で間違った翻訳が全世界で行われ続けているのでしょうか?教会の指導者たちが、聖伝を捨てて、道を間違え続けているのでしょうか?教会は、十字架の上で死んだキリストのように、死んでしまうのでしょうか?教会は地上から姿を消してしまうのでしょうか?地上から信仰は消えてしまうのでしょうか?

 イエズス・キリストはその花嫁を見捨てることはないでしょう。私たちの主の恵みによって、たとえ少数でも、聖伝の信仰を守る人々はあることでしょう。幹は死んだように見えても、常に緑の青々とした小さな枝があることでしょう。

主よ、哀れみ給え。
天主の御母聖マリア、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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