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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.3.9.ローマ-モスクワ協定

2008年09月07日 | ルフェーブル大司教の伝記
III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)

ローマ-モスクワ協定

 モスクワは、公会議がピオ十一世がした共産主義に対する断罪を荘厳に更新すること以外には、恐れるのがなかった。このような事が起こることを阻むために、クレムリンはバチカンに次のような取り引きを提案した。エキュメニズムのために、オブザーバーがモスクワ総大司教区から公会議に来ることを望みますか? 彼らにはとてもそのようなことを受け入れる準備ができていない。しかしローマが総大司教に特別招請状を送り、且つ、公会議が共産主義について沈黙を守るのなら、われらは彼らが公会議に参加するように決心するようにするでしょう。

 1962年 8月、パリで、モスクワ総大司教ニコディム (Metropolitan Nikodim) とヤン・ビレブランツ大司教(Jan Willebrands)の間に結ばれ、次にメス (Metz) で同じニコディムとロシア語を話すティスラン枢機卿との間で追認された協定の主旨はそのようなものだった。

 フランス共産党の中央で発行する週刊紙フランス・ヌヴェール (France Nouvelle) はこの協定の内容に関して報道(1963年1月16日から22日号の15ページ)し、次に 2月 9日のル・ロレーヌ紙 (Le Lorrain)と 2月 15日のラ・クロワ紙が会議に関してその状況を詳細に説明した。

 実際にビレブランツ大司教は 1962年 9月 27日から 10月 2日までモスクワを訪問することができたが、それは、招請状を総大司教に伝達し、公会議が「反共産主義の論争に入らない」と保証するためであった。

 そうして 10月 11日第二バチカン公会議の開催式のために、二名のロシア正教のオブザーバーがローマに到着し、上層部から下る指令によって、「どのような司教でも、共産主義問題を取り上げようとするたびに、公会議議長団テーブルから [ティスラン] 枢機卿が干渉して、この主題に関して教皇は沈黙することを望むということを思い起こさせていた。」(長年ティスラン枢機卿の協力者であったモンシニョール・ジョルジ・ロシュ(Georges Roche)が書いた、ジャン・マディランへの1984年5月14日付けの書簡

「"時の印" を識別する任務を自ら引き受けた公会議は、この極めて明白で怪物のような時の印に関して沈黙を守るようにモスクワによって不能にさせられたのです!」(ルフェーブル大司教)

【参考資料:世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている
バチカン・モスクワ協定 Jean Madiran 著
第2バチカン公会議に関する秘密の合意
悪魔の最後の戦い われわれの時代のための黙示録的解答

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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員

II. 革命が始まる

III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)


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