アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
「キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰」という記事の続きです。
岩下壮一神父様は、当時の日本人が誤解していた考え、特にプロテスタントの人々がカトリックの教えを誤解して理解したことに基づいてなされていた批難に答えようと努めておられました。では、一般の人々が誤解していることとは何でしょうか。それは、たとえば、教皇という地位とその特権に関するカトリック信仰に関する誤解などです。(そのほかにも「免罪符」だとか、「聖母マリア様を拝んでいる」とか、などもあるでしょう。)
よくある誤解は「教皇が朝起きてから夜寝るまで発言するすべての言葉が不可謬で誤りがない」というようなもので、これはカトリックの信仰ではありません。第一バチカン公会議によれば、信仰に関わることであっても、教皇が全世界のカトリックにそれを信じることを明確に強制しなければ、つまり信じなければカトリックではない、破門される、と信仰をドグマとしてはっきりと教えなければ、教皇がその教権・教導権を行使して私たちにそれを信仰箇条として信じ従うことを命じなければなりません。これは特別教導権の行使です。もちろん、教皇様が常にどこででも教え続けてきた同じ意味の同じことを(eodem sensu eademque sententia)、すなわちカトリック教会の聖伝をそのまま教えるのであれば、これは誤りがありません。これは通常普遍教導権の行使です。
しかし、もしも特別教導権を行使したのでもなければ、通常普遍教導権を行使したのでもないならば、それは必ずしも不可謬とは限らない、これは、カトリック神学の古典的な教えです。何故なら、カトリックの古典的な神学は、教皇その人とその職務とを区別することを教えているからです。何故区別するかというと、教皇がかつて、発言したあるいは命令した言葉が、すべてがすべて不可謬で誤りがない、とは明らかに言えない場合が歴史上存在しているからです。この現実を説明するために、カトリック神学は教皇のペルソナとその役職とを区別しました。つまり、教皇は、自分の最高の権威に訴えて教導職を行使しない場合には、個人として誤謬を犯しうる、ということです。
たとえば聖ペトロは、聖パウロから叱責を公にうける誤りを犯しました。聖パウロがアンティオキアに来たとき、聖パウロは面と向かってかれに反対しました。聖ペトロに非難するところがあったからです。聖ペトロはある人々がヤコボのほうから来るまでは、異邦人といっしょに食事していたのに、その人たちが来ると、退いて、割礼を受けた人々をはばかって異邦人を避けたからです。他のユダヤ人もかれにならって、いつわりの態度をとり、バルナバもそのいつわりにさそわれたほどでした。」しかし、それは悪い模範であって、全キリスト教会にそれを強要したのではありませんでした。
だから、たとえば教皇リベリウスは、半アリウス派の文章にサインをし、さらには聖アタナジオを数回破門(この聖アタナジオの破門は教皇リベリオの次の書簡によって再度確認されています。DzS 141 Pro deifico および DzS 142 Quia sxio および DzS 143 Non doceo)ました。リベリウスの統治下全世界はアリウス派の異端に染まってしまったかのようでした(聖イェロニモの描写によると「全世界はうめき、自分がアリウス異端説に染まってしまったのを知り驚いた」)。
ちょうどデカルトがアリストテレスのアナロジーの世界を否定して、この世界が精神と物体との二つしかないとそう思ったように、この世界にいろいろな程度があることを認めない態度があるようです。「教皇の発言はすべて無条件にキリストの意志を代表する、それがカトリック信仰だ」という態度です。教皇様が自分の発言をどのようなものとして発言したのかを考慮しないで、「教皇の発言だ、イエスかノーか、イエスということは教導権だ、イエスかノーか、教導権であるなら、従わなければならない」と十把ひとからげに論を進める態度です。
そこから、次の二つの態度が生まれてくるように思います。
第一の態度は、第二バチカン公会議の改革を受け入れる方々の態度です。教皇の言ったことはすべて正しい、教会は不可謬だ、だから、どんなことでも従わなければならない。たとえ、過去の教えと矛盾すると思われても、そのように考えるおまえが間違っている、そのように考えるおまえは、教会の不可謬性、教皇の不可謬性を信じていないのだ。
ところで、第二バチカン公会議とその後の改革は正当な教皇によって発布されたのだ。
従って、第二バチカン公会議とその後の改革はすべて合法的なものとして受け入れなければならない、というものです。
第二の態度は、セデヴァカンティストと言われる方々の態度です。これは、ノブス・オルドの態度に似ていますが、結論だけが違います。
教皇の言ったことはすべて正しい、教会は不可謬だ、だから、どんなことでも従わなければならない。
ところで、第二バチカン公会議とその後の改革は、客観的に見て過去の教えと矛盾する。
従って、カトリック教会は不可謬であるから、過去の教えと矛盾することは間違っている。間違うことを強制する教権は、本当の教権ではない、従って教皇は本当の教皇ではない、というものです。
私たちは、第一バチカン公会議の決議に従い、岩下壮一神父様のように考えます。つまり、キリストの御意志を代表する教導権を使う教皇様が、キリストを代表しようと意志しない時、それはもはや教導権ではなくなるが、しかし、だからといって教皇が教皇でなくなるわけではないのです。
では、第二バチカン公会議以後、教皇様たちは、エキュメニズムなど誤謬を教え、新しいミサという有害なものを強要したのではないでしょうか? 第二バチカン公会議の新しい教えは決して信じなければならないと特別教導権を行使して信じなければならないと命じられたものではありませんでした。何故なら、第二バチカン公会議は司牧会議を目指したからです。新しい教義を決定するのではなく、現代人に合った表現を使って述べるということを意図したものだからです。教皇たちのエキュメニズムに関する実践の乱用がありましたが、そして残念なことにそれがなされてしまったのですが、しかし厳密には「許可」でした。残念なことアシジの集会を開き、コーランに接吻をした教皇様もいます。しかし、全カトリック信徒たちに向かって、キリストの代理者の名前によってこれを強要したのではありませんでした。ここに教導権の行使の程度の違いがあります。
新しいミサについても、パウロ六世の使徒憲章のラテン語原文を見ると、新しいミサを強制したのではなく、ただ単に新しく導入されたものを使うことを許可するだけだったからです。厳密に法的に見ると、新しいミサは単なる「許可」に過ぎませんでした。これについては「新しいミサについての教会法上の観点からの考察」において考察されています。
典礼の法におけるカトリック教会の不可謬性については、Arnaldo Xavier Da Silveira 著の “La Nouvelle Messe de Paul VI : Qu’en penser?”の161ページから211ページに詳しい論述があります。私たちはダ・シルヴェイラの結論に従い、パウロ六世が不可謬性を行使する意向がなかったと判断します。何故なら1969年11月19日の訓話で新しいミサの典礼様式はそれ自体で教義的決定ではないと言っているからです。
厳密な意味で法的に義務ではなかったけれども、新しいミサが事実上「義務である」という状況にあったのは確かです。だからといって教会が不可謬権を行使していたとは言えません。何故なら、過去にも、典礼上の義務であったけれども撤回された例があるからです。たとえば、ピオ十二世の定義以前には、叙階式の典例法規の中に、聖具(カリスやパテナなど)に触れることによって司祭の刻印(カラクテル)が刻まれるということが記載されており、叙階を受ける者たちに聖具に触れさせることを司教に命じていました。
従って私たちは、教皇様の発言をすべて教皇の発言として敬意を払います。しかし、その内容については、いったいどれほどの権威を込めて発言したのか、どれほどの教導権の行使をする意図があったのかを客観的に見ます。
だからこそ、もし聖ピオ十世会がフランチスコ教皇を、あるいはベネディクト十六世を、ヨハネ・パウロ二世を、真の教皇と認めていつつも、司教団体主義や、信教の自由、また新しいミサなどを拒絶することができるのです。何故なら、これらの教皇たちは、キリストの後継者ではなくキリストの代理者であり、私たちは第一バチカン公会議に定められたとおり、目に見えるキリストの代理者の権限を知っているからです。
これはちょうど、父親から悪事を命じられた場合と類比されえます。これについては九年前に「マニラのeそよ風」に記事を書いたことがあります。
父親から悪事を命じられた場合との類比で、教皇様が誤謬を含んでいる、あるいは/かつ悪を促進することを命じられた場合、どうすれば良いでしょうか?
(1)教皇様は不可謬だ。教皇様が言うことは、全て真理であり、もしもそうでなかったとするならこれらからはそれが真理となる。ある教皇様がAはBだと言えばAはBとなる。そして次の教皇様がAはBではなくCだといえば、AはCとなることだ。カトリック信者は、現行の教皇様の言うことは、教皇様の言うことであるが故に、それが何であれ、それが真理であると信じなければならない。次の教皇様が別のことを言えば、新しい教皇様の言うことに従わなければならないことは言うまでもない。それがカトリック信者のあるべき態度だ。拒絶する権利などない。
(2) 教皇様の不可謬性とは、教皇様が罪や誤りを犯すことが出来ないと言うことではない。しかし、教皇様がEX CATHEDRAで(=教皇座から)宣言する時、すなわち、次の4つの条件を満たすとき、
(あ) 全キリスト信者の牧者として教師として,
(い) その最高の使徒伝来の権威によって
(う) 全教会が守るべき
(え) 信仰と道徳についての教義を決定する時
天主の助力によって、教皇様には不可謬性が与えられている。そのような特別な宣言は、信仰の遺産に含まれていた永遠不変で普遍の真理であるがゆえに、教皇様がそれを真理と確認することである。この真理は、何時どこでも真であり、真理であるが故に信じなければならない。教皇様の権威には喜んで従うが、もしも聖伝に矛盾することが命じられた場合、やむをえず、その悪い命令だけには従うことはできない。
(3)教皇様は不可謬だ。天主の掟に反するような悪事を説教し行動し命令するような人は、カトリック教皇ではなくなるし、教皇として認めない。
上記の(1)の態度は新しいミサに従い、第二バチカン公会議の改革に従う人々の態度のようです。
(3)の態度は、教皇聖座空位主義と言われている態度です。
私たちは、ルフェーブル大司教様とともに、上の(2)の態度をとり続けています。
何故なら、私たちは教皇の不可謬権の範囲を第一バチカン公会議に従って理解しつづけるからです。カトリック教会が過去の歴史上、公会議によって、異端として排斥された教皇たちも少数ですが存在します。(例えば、教皇ニコラス一世は、洗礼の時に使う祈りの文について誤りを犯しました。教皇ホノリウスは誤謬が自由に広まるのを許し、第三コンスタンチノープル公会議は彼に破門を宣告しています。この破門は教皇聖レオ二世によって確証されています。教皇ヨハネ二十二世は自分の誤りを死ぬ直前に撤回しています。)しかしカトリック教会は一度も教皇を教皇ではなかったと宣言したことはありませんでした。
ルフェーブル大司教様もいうように、もしも、異端説を唱えたことにより教皇ではなくなったとすると、その教皇によって任命された枢機卿たちは、本物の枢機卿ではないということになります。そうなれば有効に別の教皇を選ぶことができなくなってしまいます。そうなれば、もしもピオ十二世以後の教皇が教皇ではなかったとしたら、ピオ十二世以後の教皇たちが選んで創られた枢機卿たちは、正当な枢機卿ではなく、教皇を選ぶ権利を持たないことになります。するとカトリック教会には正当な教皇が得られる可能性がなくなってしまいます。(もちろん石ころからもアブラハムの子孫を創り出すことの天主にはなんでもできるし、死者を蘇らせることもできます。しかし天主の特別の奇跡に頼るなどというのは私たちの道ではありません。)
ルフェーブル大司教様のいうとおり、教皇が存在していないということを主張する人々の考え方は、教会を抜け出すことのできない状況に追いやってしまいます。しかし教会の可視性の問題にとって、教皇の存在はあまりにも必要であり、天主は過去数十年の長きにわたって無かったでは済ますことのできないことだからです。
カトリック教会は、indefectible (不可崩壊・不可破滅的)です。聖ピオ十世の公教要理によるとこうあります。
問178 カトリック教会が崩壊したり、破滅したりしてしまうことがあり得るでしょうか。
答 カトリック教会は迫害を受けることはありますが、決して崩壊したり、破滅したりしてしまうことはありません。約束されたように、キリストは世の終りまで教会と共においでになりますから、教会は世の終りまで存続します。
私たちの主イエズス・キリストは、聖ペトロの上に自分の教会を建てました。ペトロの後継者が半世紀以上も存在しないこと、そしてその後継者を得る手段が天主の直接介入する奇跡以外には存在しないこと、などはカトリック教会の不可崩壊性(indefectibility)に反していると思われます。
教皇がいなくなってしまい、教皇を選ぶ正当な枢機卿がいなくなってしまったのなら、いったい誰が私たちに将来の教皇がどこにいるかを教えてくれるのでしょうか? もはや正統な枢機卿たちが存在していないとしたら、いったいどうやって教皇を選ぶのでしょうか? 私たちはここに離教的な精神を見いだします。私たちの聖ピオ十世会はこのような考え方に入るのを絶対的に拒否します。
私たちはローマに、ペトロの後継者に固執し続けることを望み、それと同時に、歴代の教皇たちへの忠実さ故に、第二バチカン公会議以後のリベラリズムを拒否します。
【パウロ四世の大勅令】
(3)の態度をとる人の中には、パウロ四世の1559年2月16日の大勅令クム・エクス・アポストラートゥス(Cum ex Apostolatus)を持ち出すかもしれません。これは異端者が、教皇職を含めて、教会の職務に就くことができないということを述べた勅令です。
これについて、三点の困難な点を指摘します。
第一には、「異端者」ということの定義です。異端者には、二種類あります。どのような名前をつけて分類するにしても、その意味するところを理解することが大切です。一つの種類は、本当の(formal)異端者です。本当の異端者とは、教会の教えていることに反対していると知りつつ敢えて異端説を主張する人のことです。第二の種類は、内容だけの(material)異端者、その気が無かった異端者、善意の異端者です。これは、教会の教えがそうであるとはよく知らずに、あるいは誤解して、異端説を信じ・主張する人のことです。たとえば、マリア様の無原罪の御孕りのドグマや教皇の不可謬性のドグマが発表されない以前、天啓の一部ではあったにもかかわらずそれを否定していた人の場合です。後者は、たとえ知らなかったとはいえ、信仰の真理を否定していたことになります。
聖パウロがティトに「異説を立てる者は、一度か二度いましめてのち、それから遠ざかれ」と言うように、カトリック教会の教会法は私たちの主イエズス・キリストの命令に従って、異端者が本当の異端者となるためには、教会法に従った「警告」が必要です。パウロ四世の大勅令が適用されるためにも、その対象の人が、「形相的な」と言われる本当の異端者でなければなりません。第二バチカン公会議以後の教皇たちにいったい誰がその警告を出すことができるのでしょうか?
第二には、1917年の教会法の発布によって、この大勅令は廃止されたと考えられています。何故なら、同じ教会法の第六条には、1917年の教会法において採用されなかった法は、明らかに神法である場合を除き、すべて廃止されたと見なされるとあるからです。パウロ四世の大勅令は、その一部だけが採用されたに過ぎません (can. 1888.4 および 2314.1)。しかも教皇についての場合は言及がありません。
第1888条4項:「いかなる職務であれ、その事実(異端)自体(ipso facto)により、そしてもし被告が聖職者である場合には、同法規4項により容認される暗黙の辞任によって、いかなる宣告がなくとも空位となり. . . 公式にカトリック信仰から離脱する」。
第三に、教皇ヨハネ23世とパウロ6世の選出に有効であった教皇選出に関する法律は1945年12月8日に教皇ピオ12世(†1958)が制定したものです。それによれば「いかなる枢機卿であれ、どのような破門宣告、聖職停止、あるいはどのような種類の禁止令、または他の如何なる障害という口実あるいは理由により教皇の積極的かつ消極的選出(教皇選挙有権者と次期教皇候補)から除外され得ない。これにより私は単に上述した選出の目的のためにこのような非難を一時的に差し控える。」とあります。カトリック教会は、ピオ十二世の下で、異端者により無効に統治されるよりも、その異端者により有効に統治される方が自らにとってよりよいと判断したのです。こうやって、知らずにある無効な選出をしてしまうとか、あるいは、選出した“教皇“は真の教皇ではなかったという危険を避けたのでした。何故なら、真の教皇ではない「教皇」によって指名される司教達は各自が受け持つ司教区を統治する真の権利を持たないであろうし、彼が認める法律のどれも公教会を拘束することなく、そして特に彼によって指名される枢機卿達は将来の教皇の有効な選抜者ではないことになるからです。また、この隠れた破門制裁の事実が最終的に明るみに出るとき結果として生じる大混乱は想像を出来ないでしょう。そこで例え密かな異端者あるいは背教者であっても、もし教皇として選出されているならば、地上の普遍的教会に完全な教会法的権利をもってペトロの座に昇るであろう事を認めることにより、教会法はこの破滅的状況を予見し退避したのでした。
(続く)
聖ペトロとパウロ、我らのために祈り給え!
聖ペトロとパウロ、教皇フランシスコのために祈り給え!
聖ペトロとパウロ、聖ピオ十世会のために祈り給え!
聖ペトロとパウロ、日本のために祈り給え!
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
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「キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰」という記事の続きです。
岩下壮一神父様は、当時の日本人が誤解していた考え、特にプロテスタントの人々がカトリックの教えを誤解して理解したことに基づいてなされていた批難に答えようと努めておられました。では、一般の人々が誤解していることとは何でしょうか。それは、たとえば、教皇という地位とその特権に関するカトリック信仰に関する誤解などです。(そのほかにも「免罪符」だとか、「聖母マリア様を拝んでいる」とか、などもあるでしょう。)
よくある誤解は「教皇が朝起きてから夜寝るまで発言するすべての言葉が不可謬で誤りがない」というようなもので、これはカトリックの信仰ではありません。第一バチカン公会議によれば、信仰に関わることであっても、教皇が全世界のカトリックにそれを信じることを明確に強制しなければ、つまり信じなければカトリックではない、破門される、と信仰をドグマとしてはっきりと教えなければ、教皇がその教権・教導権を行使して私たちにそれを信仰箇条として信じ従うことを命じなければなりません。これは特別教導権の行使です。もちろん、教皇様が常にどこででも教え続けてきた同じ意味の同じことを(eodem sensu eademque sententia)、すなわちカトリック教会の聖伝をそのまま教えるのであれば、これは誤りがありません。これは通常普遍教導権の行使です。
しかし、もしも特別教導権を行使したのでもなければ、通常普遍教導権を行使したのでもないならば、それは必ずしも不可謬とは限らない、これは、カトリック神学の古典的な教えです。何故なら、カトリックの古典的な神学は、教皇その人とその職務とを区別することを教えているからです。何故区別するかというと、教皇がかつて、発言したあるいは命令した言葉が、すべてがすべて不可謬で誤りがない、とは明らかに言えない場合が歴史上存在しているからです。この現実を説明するために、カトリック神学は教皇のペルソナとその役職とを区別しました。つまり、教皇は、自分の最高の権威に訴えて教導職を行使しない場合には、個人として誤謬を犯しうる、ということです。
たとえば聖ペトロは、聖パウロから叱責を公にうける誤りを犯しました。聖パウロがアンティオキアに来たとき、聖パウロは面と向かってかれに反対しました。聖ペトロに非難するところがあったからです。聖ペトロはある人々がヤコボのほうから来るまでは、異邦人といっしょに食事していたのに、その人たちが来ると、退いて、割礼を受けた人々をはばかって異邦人を避けたからです。他のユダヤ人もかれにならって、いつわりの態度をとり、バルナバもそのいつわりにさそわれたほどでした。」しかし、それは悪い模範であって、全キリスト教会にそれを強要したのではありませんでした。
だから、たとえば教皇リベリウスは、半アリウス派の文章にサインをし、さらには聖アタナジオを数回破門(この聖アタナジオの破門は教皇リベリオの次の書簡によって再度確認されています。DzS 141 Pro deifico および DzS 142 Quia sxio および DzS 143 Non doceo)ました。リベリウスの統治下全世界はアリウス派の異端に染まってしまったかのようでした(聖イェロニモの描写によると「全世界はうめき、自分がアリウス異端説に染まってしまったのを知り驚いた」)。
ちょうどデカルトがアリストテレスのアナロジーの世界を否定して、この世界が精神と物体との二つしかないとそう思ったように、この世界にいろいろな程度があることを認めない態度があるようです。「教皇の発言はすべて無条件にキリストの意志を代表する、それがカトリック信仰だ」という態度です。教皇様が自分の発言をどのようなものとして発言したのかを考慮しないで、「教皇の発言だ、イエスかノーか、イエスということは教導権だ、イエスかノーか、教導権であるなら、従わなければならない」と十把ひとからげに論を進める態度です。
そこから、次の二つの態度が生まれてくるように思います。
第一の態度は、第二バチカン公会議の改革を受け入れる方々の態度です。教皇の言ったことはすべて正しい、教会は不可謬だ、だから、どんなことでも従わなければならない。たとえ、過去の教えと矛盾すると思われても、そのように考えるおまえが間違っている、そのように考えるおまえは、教会の不可謬性、教皇の不可謬性を信じていないのだ。
ところで、第二バチカン公会議とその後の改革は正当な教皇によって発布されたのだ。
従って、第二バチカン公会議とその後の改革はすべて合法的なものとして受け入れなければならない、というものです。
第二の態度は、セデヴァカンティストと言われる方々の態度です。これは、ノブス・オルドの態度に似ていますが、結論だけが違います。
教皇の言ったことはすべて正しい、教会は不可謬だ、だから、どんなことでも従わなければならない。
ところで、第二バチカン公会議とその後の改革は、客観的に見て過去の教えと矛盾する。
従って、カトリック教会は不可謬であるから、過去の教えと矛盾することは間違っている。間違うことを強制する教権は、本当の教権ではない、従って教皇は本当の教皇ではない、というものです。
私たちは、第一バチカン公会議の決議に従い、岩下壮一神父様のように考えます。つまり、キリストの御意志を代表する教導権を使う教皇様が、キリストを代表しようと意志しない時、それはもはや教導権ではなくなるが、しかし、だからといって教皇が教皇でなくなるわけではないのです。
では、第二バチカン公会議以後、教皇様たちは、エキュメニズムなど誤謬を教え、新しいミサという有害なものを強要したのではないでしょうか? 第二バチカン公会議の新しい教えは決して信じなければならないと特別教導権を行使して信じなければならないと命じられたものではありませんでした。何故なら、第二バチカン公会議は司牧会議を目指したからです。新しい教義を決定するのではなく、現代人に合った表現を使って述べるということを意図したものだからです。教皇たちのエキュメニズムに関する実践の乱用がありましたが、そして残念なことにそれがなされてしまったのですが、しかし厳密には「許可」でした。残念なことアシジの集会を開き、コーランに接吻をした教皇様もいます。しかし、全カトリック信徒たちに向かって、キリストの代理者の名前によってこれを強要したのではありませんでした。ここに教導権の行使の程度の違いがあります。
新しいミサについても、パウロ六世の使徒憲章のラテン語原文を見ると、新しいミサを強制したのではなく、ただ単に新しく導入されたものを使うことを許可するだけだったからです。厳密に法的に見ると、新しいミサは単なる「許可」に過ぎませんでした。これについては「新しいミサについての教会法上の観点からの考察」において考察されています。
典礼の法におけるカトリック教会の不可謬性については、Arnaldo Xavier Da Silveira 著の “La Nouvelle Messe de Paul VI : Qu’en penser?”の161ページから211ページに詳しい論述があります。私たちはダ・シルヴェイラの結論に従い、パウロ六世が不可謬性を行使する意向がなかったと判断します。何故なら1969年11月19日の訓話で新しいミサの典礼様式はそれ自体で教義的決定ではないと言っているからです。
厳密な意味で法的に義務ではなかったけれども、新しいミサが事実上「義務である」という状況にあったのは確かです。だからといって教会が不可謬権を行使していたとは言えません。何故なら、過去にも、典礼上の義務であったけれども撤回された例があるからです。たとえば、ピオ十二世の定義以前には、叙階式の典例法規の中に、聖具(カリスやパテナなど)に触れることによって司祭の刻印(カラクテル)が刻まれるということが記載されており、叙階を受ける者たちに聖具に触れさせることを司教に命じていました。
従って私たちは、教皇様の発言をすべて教皇の発言として敬意を払います。しかし、その内容については、いったいどれほどの権威を込めて発言したのか、どれほどの教導権の行使をする意図があったのかを客観的に見ます。
だからこそ、もし聖ピオ十世会がフランチスコ教皇を、あるいはベネディクト十六世を、ヨハネ・パウロ二世を、真の教皇と認めていつつも、司教団体主義や、信教の自由、また新しいミサなどを拒絶することができるのです。何故なら、これらの教皇たちは、キリストの後継者ではなくキリストの代理者であり、私たちは第一バチカン公会議に定められたとおり、目に見えるキリストの代理者の権限を知っているからです。
これはちょうど、父親から悪事を命じられた場合と類比されえます。これについては九年前に「マニラのeそよ風」に記事を書いたことがあります。
父親から悪事を命じられた場合との類比で、教皇様が誤謬を含んでいる、あるいは/かつ悪を促進することを命じられた場合、どうすれば良いでしょうか?
(1)教皇様は不可謬だ。教皇様が言うことは、全て真理であり、もしもそうでなかったとするならこれらからはそれが真理となる。ある教皇様がAはBだと言えばAはBとなる。そして次の教皇様がAはBではなくCだといえば、AはCとなることだ。カトリック信者は、現行の教皇様の言うことは、教皇様の言うことであるが故に、それが何であれ、それが真理であると信じなければならない。次の教皇様が別のことを言えば、新しい教皇様の言うことに従わなければならないことは言うまでもない。それがカトリック信者のあるべき態度だ。拒絶する権利などない。
(2) 教皇様の不可謬性とは、教皇様が罪や誤りを犯すことが出来ないと言うことではない。しかし、教皇様がEX CATHEDRAで(=教皇座から)宣言する時、すなわち、次の4つの条件を満たすとき、
(あ) 全キリスト信者の牧者として教師として,
(い) その最高の使徒伝来の権威によって
(う) 全教会が守るべき
(え) 信仰と道徳についての教義を決定する時
天主の助力によって、教皇様には不可謬性が与えられている。そのような特別な宣言は、信仰の遺産に含まれていた永遠不変で普遍の真理であるがゆえに、教皇様がそれを真理と確認することである。この真理は、何時どこでも真であり、真理であるが故に信じなければならない。教皇様の権威には喜んで従うが、もしも聖伝に矛盾することが命じられた場合、やむをえず、その悪い命令だけには従うことはできない。
(3)教皇様は不可謬だ。天主の掟に反するような悪事を説教し行動し命令するような人は、カトリック教皇ではなくなるし、教皇として認めない。
上記の(1)の態度は新しいミサに従い、第二バチカン公会議の改革に従う人々の態度のようです。
(3)の態度は、教皇聖座空位主義と言われている態度です。
私たちは、ルフェーブル大司教様とともに、上の(2)の態度をとり続けています。
何故なら、私たちは教皇の不可謬権の範囲を第一バチカン公会議に従って理解しつづけるからです。カトリック教会が過去の歴史上、公会議によって、異端として排斥された教皇たちも少数ですが存在します。(例えば、教皇ニコラス一世は、洗礼の時に使う祈りの文について誤りを犯しました。教皇ホノリウスは誤謬が自由に広まるのを許し、第三コンスタンチノープル公会議は彼に破門を宣告しています。この破門は教皇聖レオ二世によって確証されています。教皇ヨハネ二十二世は自分の誤りを死ぬ直前に撤回しています。)しかしカトリック教会は一度も教皇を教皇ではなかったと宣言したことはありませんでした。
ルフェーブル大司教様もいうように、もしも、異端説を唱えたことにより教皇ではなくなったとすると、その教皇によって任命された枢機卿たちは、本物の枢機卿ではないということになります。そうなれば有効に別の教皇を選ぶことができなくなってしまいます。そうなれば、もしもピオ十二世以後の教皇が教皇ではなかったとしたら、ピオ十二世以後の教皇たちが選んで創られた枢機卿たちは、正当な枢機卿ではなく、教皇を選ぶ権利を持たないことになります。するとカトリック教会には正当な教皇が得られる可能性がなくなってしまいます。(もちろん石ころからもアブラハムの子孫を創り出すことの天主にはなんでもできるし、死者を蘇らせることもできます。しかし天主の特別の奇跡に頼るなどというのは私たちの道ではありません。)
ルフェーブル大司教様のいうとおり、教皇が存在していないということを主張する人々の考え方は、教会を抜け出すことのできない状況に追いやってしまいます。しかし教会の可視性の問題にとって、教皇の存在はあまりにも必要であり、天主は過去数十年の長きにわたって無かったでは済ますことのできないことだからです。
カトリック教会は、indefectible (不可崩壊・不可破滅的)です。聖ピオ十世の公教要理によるとこうあります。
問178 カトリック教会が崩壊したり、破滅したりしてしまうことがあり得るでしょうか。
答 カトリック教会は迫害を受けることはありますが、決して崩壊したり、破滅したりしてしまうことはありません。約束されたように、キリストは世の終りまで教会と共においでになりますから、教会は世の終りまで存続します。
私たちの主イエズス・キリストは、聖ペトロの上に自分の教会を建てました。ペトロの後継者が半世紀以上も存在しないこと、そしてその後継者を得る手段が天主の直接介入する奇跡以外には存在しないこと、などはカトリック教会の不可崩壊性(indefectibility)に反していると思われます。
教皇がいなくなってしまい、教皇を選ぶ正当な枢機卿がいなくなってしまったのなら、いったい誰が私たちに将来の教皇がどこにいるかを教えてくれるのでしょうか? もはや正統な枢機卿たちが存在していないとしたら、いったいどうやって教皇を選ぶのでしょうか? 私たちはここに離教的な精神を見いだします。私たちの聖ピオ十世会はこのような考え方に入るのを絶対的に拒否します。
私たちはローマに、ペトロの後継者に固執し続けることを望み、それと同時に、歴代の教皇たちへの忠実さ故に、第二バチカン公会議以後のリベラリズムを拒否します。
【パウロ四世の大勅令】
(3)の態度をとる人の中には、パウロ四世の1559年2月16日の大勅令クム・エクス・アポストラートゥス(Cum ex Apostolatus)を持ち出すかもしれません。これは異端者が、教皇職を含めて、教会の職務に就くことができないということを述べた勅令です。
これについて、三点の困難な点を指摘します。
第一には、「異端者」ということの定義です。異端者には、二種類あります。どのような名前をつけて分類するにしても、その意味するところを理解することが大切です。一つの種類は、本当の(formal)異端者です。本当の異端者とは、教会の教えていることに反対していると知りつつ敢えて異端説を主張する人のことです。第二の種類は、内容だけの(material)異端者、その気が無かった異端者、善意の異端者です。これは、教会の教えがそうであるとはよく知らずに、あるいは誤解して、異端説を信じ・主張する人のことです。たとえば、マリア様の無原罪の御孕りのドグマや教皇の不可謬性のドグマが発表されない以前、天啓の一部ではあったにもかかわらずそれを否定していた人の場合です。後者は、たとえ知らなかったとはいえ、信仰の真理を否定していたことになります。
聖パウロがティトに「異説を立てる者は、一度か二度いましめてのち、それから遠ざかれ」と言うように、カトリック教会の教会法は私たちの主イエズス・キリストの命令に従って、異端者が本当の異端者となるためには、教会法に従った「警告」が必要です。パウロ四世の大勅令が適用されるためにも、その対象の人が、「形相的な」と言われる本当の異端者でなければなりません。第二バチカン公会議以後の教皇たちにいったい誰がその警告を出すことができるのでしょうか?
第二には、1917年の教会法の発布によって、この大勅令は廃止されたと考えられています。何故なら、同じ教会法の第六条には、1917年の教会法において採用されなかった法は、明らかに神法である場合を除き、すべて廃止されたと見なされるとあるからです。パウロ四世の大勅令は、その一部だけが採用されたに過ぎません (can. 1888.4 および 2314.1)。しかも教皇についての場合は言及がありません。
第1888条4項:「いかなる職務であれ、その事実(異端)自体(ipso facto)により、そしてもし被告が聖職者である場合には、同法規4項により容認される暗黙の辞任によって、いかなる宣告がなくとも空位となり. . . 公式にカトリック信仰から離脱する」。
第三に、教皇ヨハネ23世とパウロ6世の選出に有効であった教皇選出に関する法律は1945年12月8日に教皇ピオ12世(†1958)が制定したものです。それによれば「いかなる枢機卿であれ、どのような破門宣告、聖職停止、あるいはどのような種類の禁止令、または他の如何なる障害という口実あるいは理由により教皇の積極的かつ消極的選出(教皇選挙有権者と次期教皇候補)から除外され得ない。これにより私は単に上述した選出の目的のためにこのような非難を一時的に差し控える。」とあります。カトリック教会は、ピオ十二世の下で、異端者により無効に統治されるよりも、その異端者により有効に統治される方が自らにとってよりよいと判断したのです。こうやって、知らずにある無効な選出をしてしまうとか、あるいは、選出した“教皇“は真の教皇ではなかったという危険を避けたのでした。何故なら、真の教皇ではない「教皇」によって指名される司教達は各自が受け持つ司教区を統治する真の権利を持たないであろうし、彼が認める法律のどれも公教会を拘束することなく、そして特に彼によって指名される枢機卿達は将来の教皇の有効な選抜者ではないことになるからです。また、この隠れた破門制裁の事実が最終的に明るみに出るとき結果として生じる大混乱は想像を出来ないでしょう。そこで例え密かな異端者あるいは背教者であっても、もし教皇として選出されているならば、地上の普遍的教会に完全な教会法的権利をもってペトロの座に昇るであろう事を認めることにより、教会法はこの破滅的状況を予見し退避したのでした。
(続く)
聖ペトロとパウロ、我らのために祈り給え!
聖ペトロとパウロ、教皇フランシスコのために祈り給え!
聖ペトロとパウロ、聖ピオ十世会のために祈り給え!
聖ペトロとパウロ、日本のために祈り給え!
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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