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ヴィガノ大司教「もしこの公会議が私たちの信仰を変えなかったなら、聖ピオ十世のカテキズム、聖ピオ五世のミサ典書に戻り、ご聖櫃の前で、告解、償いの精神、悔悛と苦行を実践しよう。」

2020年07月21日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ライフサイトニュースのジョン・ヘンリー・ウェステン氏は、ヴィガノ大司教に第二バチカン公会議に関して質問をしました。

ヴィガノ大司教は彼の質問に答えているので、その日本語訳をご紹介いたします。英語訳の意味が取りにくい個所については、原文のイタリア語を参照しました。

素晴らしい日本語訳を作ってくださった大阪と東京の信徒会長お二方に心から感謝いたします。

ヴィガノ大司教の主張の要点は次の通りです。【小野田神父によるまとめ】

* ヴィガノ大司教は、第二バチカン公会議が無効なエキュメニカル公会議であると考えたことは決してないし、そう断言したこともない。第二バチカン公会議は最高権威者である教皇によって招集され、世界のすべての司教がそれに参加し、第一バチカン公会議やトリエント公会議と同じ権威に支えられた有効な公会議である。

* しかし、第二バチカン公会議は最初から、裏切りにより、その目的を捩じ曲げる深刻な操作の対象とされた。

* 第二バチカン公会議の中に、正統的な内容が存在しているからといって、それが他の異端的な命題の存在を排除するのでもないし、異端的な命題の深刻さを軽減するものでもない。

* 教会を破壊することを目的として、一部の者たちによって考え出されたイベントに「公会議」というレッテルが貼られ、陰謀家たちは悪意と破壊主義的な目的を持って行動した。首謀者たちの一人は告白している:「われわれはそれ【=陰謀】を【公会議文書では】外交的に【=曖昧に】表現しているが、公会議の後には、その暗示している結論を引き出す。」

* 第二バチカン公会議は、今までの教会を破壊し信仰そのものを変え、新しい教会を再構築しようとしていた。ラッツィンガー枢機卿もこれを証言している。

* 第二バチカン公会議を破壊主義的な出来事としようと企画した人々は、公会議までは教会法による懲戒によって活動を制限され、教えることを禁じられていた、いわゆる神学者たちであった。

* 疑惑の解釈法は、疑惑について正当な根拠があることを示し、その疑惑が意図的な欺瞞の確実性を論証するに役立つのならば、歓迎すべきだ。

* 近代主義の異端に染まり、道徳的に不品行な人々の狡猾な欺瞞によって、良き司教たちは誤謬へと道を誤らされてしまった。この欺瞞は、破壊工作の容器として公会議を利用した。パッケージに貼られた「公会議」というレッテルは、その内容を反映しない。

* 「公会議の精神」とは「妥協の精神」だ。新しいミサを作ったブニーニの発言から、典礼改革の意図は、異端者たちの気持ちを害さないためにカトリックの真理の隠すことだったとわかる。エキュメニズムの名の下に恐ろしく醜いものとされたミサだけでなく、教義の表明についても同じだ。

* 公会議とは、そもそも、信仰と道徳についての明確であいまいなところのない規範でなければならない。従って公会議の正しい「解釈」を望むこと自体が不条理だ。

* 第二バチカン公会議の中には、宣言された誤謬、あるいは、わざと行間で理解されるように仕組まれた誤謬が、事実上数多くあるのだから、この公会議を正規の公会議の目録から削除することが正しいかどうか問うことできる。

* 私たちは、法律のことよりも、永遠の救いを、すべての人に救いの真理を宣べ伝えることをまず求めるべきだ。

* もし第二バチカン公会議が本当に私たちの信仰をいささかも変えなかったのであれば、聖伝の信仰をそのまま実践しよう。聖ピオ十世のカテキズムを手に取り、聖ピオ五世のミサ典書に戻り、ご聖櫃の前にとどまり、告解室を捨てることなく、償いの精神をもって悔悛と苦行を実践しよう。

 

Archbishop Viganò: I do not think Vatican II was invalid, but it was gravely manipulated

ヴィガノ大司教「第二バチカン公会議が無効であったとは思わないが、深刻な操作が行われたと思う」
「私は、第二バチカン公会議が無効な公会議であると考えたことはこれまで決してありませんでしたし、ましてや、そう断言したこともありません・・・公会議は深刻な操作の対象とされたのです」。

2020年7月3日(金)米国東部標準時間午後3時30分

(編集者注:前駐米教皇大使カルロ・マリア・ヴィガノ大司教との以下のやりとりをご紹介するのは、教会において考えるべきこの重要な問題についての大司教の立場を明らかにするためです。)

【ジョン・ヘンリー・ウェステン氏のヴィガノ大司教への手紙】

親愛なるヴィガノ大司教様、

第二バチカン公会議に関するあなたの最新の文章について、あなたに明確にしていただきたいと思っているところがあります。

6月9日付の文章の中で、あなたは「第二バチカン公会議以降、キリストのまことの教会の上に、それに真っ向から反対する並行の教会が建てられたことは否定できない」と述べられました。

その後フィル・ローラー氏のインタビューで、彼はあなたにこう尋ねました

「何が解決策なのでしょうか。シュナイダー司教は、将来の教皇が誤謬を否認しなければならないことになると提案しておられますが,ヴィガノ大司教はそれでは不十分であると考えておられます。しかしそうすると、教導権の権威を維持しつつ、いかにして誤謬を訂正することができるのでしょうか?」。

あなたは、こうお答えになりました。「キリストの代理者である彼の後継者の一人が、その使徒としての権能を十分に発揮して、切れた聖伝の糸をつなぎ直すことでしょう。これは敗北ではなく、真理と謙遜と勇気の行いとなるでしょう。使徒のかしらの後継者の権威と不可謬性は、無傷のまま、再確認されることでしょう」。

このことからでは、あなたが、第二バチカン公会議は無効な公会議であり、従って完全に否認されるべきだと信じておられるのか、それとも、有効な公会議ではあるが多くの誤謬が含まれているため、信徒はこの公会議を忘れ、むしろ第一バチカン公会議や他の公会議を頼りにした方がよいと信じておられるのか、が明確ではありません。

私は、これを明確にしていただくことが有用だと思います。

キリストとその愛する御母において。
JH


【ヴィガノ大司教のジョン・ヘンリー・ウェステン氏への手紙】

2020年7月1日
私たちの主イエズス・キリストのいと尊き御血の祝日に

親愛なるジョン・ヘンリー様、

お手紙をくださり感謝します。あなたはこの手紙によって、第二バチカン公会議について私がすでに述べたことを明確にする機会を与えてくださいました。この微妙な議論には、教会における著名な方々や、少なくない博学な平信徒の方々がかかわっておられます。私のささやかな貢献が公会議に重くのしかかっているあいまいさの覆いを取り去り、共に合意できる解決策に導く一助になると信じています。

あなたは、私の最初の見解を取り上げられます。「第二バチカン公会議以降、キリストのまことの教会の上に、それに真っ向から反対する並行の教会が建てられたことは否定できない」。そして、今日私たちが直面している行き詰まりの解決策についての私の言葉を引用されます。「キリストの代理者である彼の後継者の一人が、その使徒としての権能を十分に発揮して、切れた聖伝の糸をつなぎ直すことでしょう。これは敗北ではなく、真理と謙遜と勇気の行いとなるでしょう。使徒のかしらの後継者の権威と不可謬性は、無傷のまま、再確認されることでしょう」。

その後あなたは、私の立場が明確ではないと述べられます。「第二バチカン公会議は無効な公会議であり、従って完全に否認されるべきだと信じておられるのか、それとも、有効な公会議ではあるが多くの誤謬が含まれているため、信徒はこの公会議を忘れた方がよいと信じておられるのか」。

私は、第二バチカン公会議が無効なエキュメニカル公会議であると考えたことはこれまで決してありませんでしたし、ましてや、そのように断言したこともありません。実際第二バチカン公会議は最高権威者である教皇によって招集され、世界のすべての司教がそれに参加しました。第二バチカン公会議は、第一バチカン公会議やトリエント公会議と同じ権威に支えられた有効な公会議です。

しかし、私がすでに書いたように、第二バチカン公会議が、その始まりから、教会のまさに中心にまで浸透した第五列【味方であるはずなのに敵に味方するスパイや裏切り者のこと】によって、その目的を捩じ曲げる深刻な操作の対象とされたことは、その悲惨な結果から誰の目にも明らかです。フランス革命では、1789年5月5日にルイ十六世によって「三部会」が合法的に招集されたという事実があっても、事態が革命やテロへとエスカレートするのを防ぐことにはつながらなかったことを忘れないでおきましょう(スーネンス枢機卿がこの公会議という出来事を「教会の1789年(フランス革命)」と呼んだので、このたとえは場違いではありません)。

ヴァルター・ブラントミュラー枢機卿閣下は、最近の発言で、公会議は聖伝との連続性の内にあると主張し、その証拠として次のことを挙げておられます。

「本文の注釈を参照するだけで十分です。そうすれば、この本文は過去10回の公会議を引用していることが分かります。その中で、第一バチカン公会議は12 回、トリエント公会議は16 回引用されています。このことからだけでも、例えば、『トリエントから距離を置く』となどという考えが絶対的に排除されていることは明らかです。教皇では、ピオ十二世が55回、レオ十三世が17回、ピオ十一世が12回引用されていることを考えれば、聖伝との関係はさらに密接なものだと思われます。これらに加えて、ベネディクト十四世、ベネディクト十五世、ピオ九世、ピオ十世、インノケンチウス一世とゲラシウスも引用されています。しかし、最も印象的な面は、『ルーメン・ジェンティウム(Lumen Gentium)』の本文の中に教父たちからの引用があることです。公会議は、アウグスティヌス、アンティオキアのイグナチウス、チプリアヌス、ヨハネ・クリゾストムス、イレネウスを含む教父たちの教えを44回も参照しています。さらに、教会の偉大な神学者たちや教会博士たちが引用されています。たとえば他の7人の大神学者たちとともにトマス・アクィナスの12の節が引用されています」。

しかし、ピストイアの司教会議(シノドス)という類似の事例で私が指摘したように、正統的な内容が存在しているからといって、それが他の異端的な命題の存在を排除するものでも、それらの異端的な命題の深刻さを軽減するものでもありませんし、また、たとえただ一つの誤謬であっても、真理を使ってそれを隠すことはできません。その反対に、他の数々の公会議や教導権の決定、あるいは教会の教父たちを多数引用することは、悪意をもってすれば、物議をかもす諸点をまさに隠蔽するのに役立ち得ます。この点に関して、レオ十三世が回勅「サティス・コニトゥム(Satis Cognitum)=十分に知られている」の中で引用した、以下の「アリウス派に反駁する正統信仰についての論(Tractatus de Fide Orthodoxa contra Arianos)」の次の言葉を思い出すことが有益です。

「教理のほぼ全体を認めながらも、一滴の毒を使うようにただ一つの言葉によって、私たちの主によって教えられ使徒の聖伝によって受け継がれてきた真のかつ素朴な信仰を汚染させる異端者たちほど危険なものはありません」。

Nihil periculosius his haereticis esse potest, qui cum integre per omnia, decurrunt, uno tamen verbo, ac si veneni gutta, meram illam ac simplicem fidem Dominicae et exinde apostolicae traditionis inficiunt 

そう言ってからレオ十三世は、こう述べています。

「教会のなしてきたことは、教父たちの一致した教えに示されているように、常に同じでした。その教えによれば、教会の権威ある教導権によって提案された教理のどのような点からも、いかに少しでも離れる者は誰であれ、カトリックの交わりの外にあり、教会に無縁の者であるとされます」。

Idem semper Ecclesiae mos, idque sanctorum Patrum consentiente iudicio: qui scilicet communionis catholicae expertem et ab Ecclesia extorrem habere consueverunt, quicumque a doctrina, authentico magisterio proposita, vel minimum discessisset.

ところで、2013年4月14日付の教皇庁機関紙「オッセルバトーレ・ロマーノ(L'Osservatore Romano)」の数ページにわたる記事で、カスパー枢機卿は次のことを認めました。

「多くの箇所で[公会議の教父たちは]妥協の表現を見つけなければなりませんでした。そこではしばしば多数派(保守派)の立場が、それを限定することを目的とした少数派(進歩派)の立場と併記されていました。従って、公会議の文章自体が衝突に向かう大きな可能性をはらんでおり、双方に選択的に受け入れられるようになっています」。

[Un concilio ancora in cammino di WALTER KASPER
"... In molti punti, [i Padri conciliari] si dovettero trovare formule di compromesso, in cui, spesso, le posizioni della maggioranza [conservatori] si trovano immediatamente accanto a quelle della minoranza [progressisti], pensate per delimitarle.
Così, i testi conciliari hanno in sé un enorme potenziale conflittuale; aprono la porta a una ricezione selettiva nell’una o nell’altra direzione."]

これが、問題に関するあいまいさ、明白な矛盾、そして深刻な教義上かつ司牧上の誤謬の起源なのです。

教導権は信仰において信徒を固めることが目的でなければなりませんから、教導権の行為に悪意があるという前提で考えをすすめることは完全に拒絶すべきだ、という異論があり得るでしょう。しかし、おそらく、まさに意図的な欺瞞のゆえに、ある行為が教導権によるものでないことが証明され、その行為を非難することが認められ、そしてその無効性が宣告されるのです。【注:「教導権の行為だから悪意はない」というよりは、むしろ「悪意があったので教導権の行為ではなかった」というべきだということ。】

ブラントミュラー枢機卿閣下は次のようにコメントを締めくくられました。「最初から対話の相手が異端の概念を持っていると非難する『疑惑の解釈法』は避けるのが適切でしょう」。私は確かに抽象的にも一般的にもこの気持ちを共有してはいますが、この【第二バチカン公会議という】具体的なケースをもっと分かりやすい形にするために、ある区別を定式化することが適切だと思います。これを行うためには、律法主義的な考え方を捨てる必要があります。つまり、教会に内在するすべての教理上の問題を、主に規範への参照によって単純化し解決することができる、という考え方です。【注:ある文書が正統であるか否かは、その中身の吟味がなくても、過去の権威的な文献を参照しているから良いものであるとか、ある文書は内容が疑わしくても「規範」だから従うべきだ、という考え】

法は真理に奉仕するためのものであって、その逆ではないことを忘れてはならないからです。また、法の役務者にして真理の守護者である権威についても同じことが言えます。一方で、私たちの主がご受難に直面なさったとき、当時の衆議所は、旧約に忠実な、選ばれた民の導き手としての本来の機能を放棄してしまいましたが、それはちょうど高位聖職者たちの一部が過去60年間にわたってしてきたことと同じです。

この律法主義的な態度が、革命を始めるための非常に簡単な方法を考案した革新主義者たちによる欺瞞の根底にあります。その方法とは、信仰の真理を「聴従教会(Ecclesia discens)」を拘束する強制力をもって定義するために「教導教会(Ecclesia docens)」が使う行為をもって、権威の力によって、それ(革命)を強制するというもので、等しく拘束的な他の文書の中での教えを、それとは異なる程度の拘束力ではあるけれども、繰り返し述べながら行いました。要するに、教会を破壊することを目的として一部の者たちによって考え出されたイベントに「公会議」というレッテルを貼ることが決定され、それを実行するためにその陰謀家たちが悪意と破壊主義的な目的を持って行動したのです。エドワード・スキレベークス神父(ドミニコ会)は、次のように率直に述べています。「われわれはそれを外交的に表現しているが、公会議の後には、その暗示している結論を引き出すことになる」«Nous l’exprimons d’une façon diplomatique, mais après le Concile nous tirerons les conclusions implicites.»(De Bazuin, n.16, 1965)と。

したがって、これは「疑惑の解釈法」の問題ではなく、それどころか、疑惑よりもはるかに深刻な問題であり、そのことは事実の冷静な評価とその首謀者たち自身の告白によって裏付けられているのです。この点で、彼らのうちで当時のラッツィンガー枢機卿【公会議時代は神学顧問】よりも権威がある人がいるでしょうか? 誰もいません。

「教会の中には今や不動なものは何もなく、すべてが修正される余地があるという印象が着実に強まっていきました。ますます公会議は、自分たちの望みに従ってすべてを変え、すべてを再構築することができる、教会の大きな議会のように見えてきたのです。非常に明らかになってきたのは、ローマと教皇庁に対する憤りが強まり、ローマと教皇庁が新しく進歩的なものすべての真の敵であるように見えてきたことでした。公会議での論争は、ますます近代の議会制度の党派モデルに沿って描写されるようになりました。情報がこのように提示されると、それを受け取った人はどちらかの一方の党派に味方せざるを得ないと思ったのです。・・・もしローマにいる司教たちが教会を、そして信仰そのものさえも変えることができるとしたら(それができるように見えていました)、なぜ司教たちだけができるのでしょうか? いずれにしても、それ以前に私たちが思っていたすべてのこととは違って、今や信仰を変えることができる、ないしはできるように見えたのです。信仰はもはや人間の決めることから免れているようには見えず、今やむしろ人間の決めることによって決定されているように見えました。そして私たちは、その司教たちが今提案している新しいことは、神学者たちから学んだことを知っていました。信者にとって、自分の司教たちがローマにおいて、地元で見せていた顔とは異なる顔を見せているように見えたことは、驚くべき現象でした。[ヨゼフ・ラッツィンガー『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 2005, La mia vita, Edizioni San Paolo, 1997, pp. 99, 英訳 Milestone, Ignatius Press, 1997, pp. 132-133]」。

今、世界情勢の中で繰り返される矛盾点に注意を向けるのは正しいことです。つまり、いわゆる主流派は、主流派自身が考案した陰謀を明らかにして糾弾する人々を「陰謀論者」と呼びますが、それはその陰謀から注意をそらし、その陰謀を糾弾する人々を非正当化するためです。【そのような態度は】同様に、公会議の欺瞞を明らかにして糾弾する人々は誰でも、まるで「対話の相手は最初から異端の概念を持っている」と不当に非難する人々であるかのように、彼らを「疑惑の解釈法」として定義する危険性があるように思えます。

そうではなく、公会議の主役たちの行動によって、彼らに向けられた疑惑についてその疑惑が正しいことを証明するには至らないとしても、その疑惑を正当化することができるのかどうか、また彼らが得た結果によって公会議全体あるいはその一部に対する否定的な評価が正当化されるのか、あるいはそうではないのか、を理解する必要があります。

第二バチカン公会議を破壊主義的な出来事としようと企画した人々が、敬虔さにおいては聖アルフォンソに、教理においては聖トマス・アクィナスに匹敵していたと考え続けるならば、私たちは福音の命令とは合致しないナイーヴな素朴さ(un'ingenuità)を示していることになり、また実に、共謀とまではいかないまでも、確かに愚かさ(la sprovvedutezza)のぎりぎりのところにいると言うことができます。【注:ここでの福音の命令とはマテオ10:16にある「私が、あなたたちをおくるのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。だから蛇のようにさとく、鳩のように無邪気であれ。」のことだと思われる。】

当然、私がここで言及しているのは、疑いなく敬虔で聖なる意向を持っていた大多数の公会議の教父たちのことではありません。そうではなく、私が話しているのは第二バチカン公会議までは教会法による懲戒によって活動を制限され、教えることを禁じられていた、公会議イベントの主役である、いわゆる神学者たちのことです。ところが彼らはまさにこの理由から選ばれ、昇進し、助けを得ましたが、その結果、彼らの異端としての資格が彼らの功績の理由となったのです。一方、オッタヴィアーニ枢機卿と検邪聖省の協力者たちの紛れもない正統性こそが、ヨハネ二十三世の同意のもと、公会議の準備草案を廃案とするのに十分な理由だったのです。

一人だけ名前を挙げるならば、ブニーニ大司教については、彼に対して慎重な疑念を抱く態度がとがめられるべきだとも、あるいは愛徳に欠けるとも思いません。逆に、この「ノブス・オルド・ミサ」の作者が自分の目的を追求するにあたっての不誠実さ、フリーメーソンへの固執、そして報道機関に提供した自らの日記における彼自身の告白が、パウロ六世が彼に対してとった措置があまりにも甘く、効果のないものであったことを示しています。なぜなら、彼が公会議の(任意)委員会や典礼省で行ったすべてのことはそのまま残り、それにもかかわらず、それらが公会議の決定(Acta Concilii)やそれに関連する改革の不可欠な一部となったからです。

したがって、疑惑の解釈法は、これが疑惑について正当な根拠があることを示し、そしてその疑惑がしばしば意図的な欺瞞の確実性において実際のものとなることを論証するのに役立つのならば、非常に歓迎すべきものです。

では第二バチカン公会議に話を戻して、善き司牧者たちが陥ってしまった罠を示すことにしましょう。近代主義に酷く感染して悪名高く、自分の道徳的な品行でも頻繁に道を誤った人々によってなされ最も狡猾な欺瞞によって、良き牧者たちは自分の群れと共に誤謬へと道を誤らされてしまったのです。先に書いたように、この欺瞞は、破壊工作の容器として公会議を利用すること、そして、公会議が招集され、公会議の教導権が行使されるまさにその目的に存在論的に反する教義的、道徳的、典礼的、霊的な革命を強制するために、教会の権限を利用することにあります。繰り返しますが、パッケージに貼られた「公会議」というレッテルは、その内容を反映するものではありません。

私たちは、カトリック用語の同じ単語を理解する、新しく、これまでと違う方法を目撃しました。トリエント公会議に与えられた「エキュメニカルな公会議」という表現は、第二バチカン公会議の推進者たちが与えた意味とは一致しません。彼らにとっては、「公会議 concilio」という用語は「和解・協調 conciliazione」を、「エキュメニカル」という用語は宗教間対話をほのめかすものです。この集会【第二バチカン公会議】が教会の歴史上初めての、この世との協調的対話についての荘厳かつ公の証明であったように、「公会議の精神」とは「協調の精神、妥協の精神」なのです。

ブニーニは次のように書いています。「私たちは、カトリックの祈りとカトリックの典礼から、私たちの分かれた兄弟であるプロテスタントにとって、ほんのわずかでもつまずきの石となる可能性のあるものすべてを取り除かなければならない」[オッセルバトーレ・ロマーノ『L'Osservatore Romano』1965年3月19日号参照]。これらの言葉から、公会議の精神(mens)の実であった改革の意図は、異端者たちの気持ちを害さないためにカトリックの真理の宣言を減らすことだったのがわかります。そして、これこそがまさに実行されたことであり、(エキュメニズムの名の下に恐ろしく醜いものとされてしまった)聖なるミサだけでなく、教理的な文書における教義の表明についても同じでした。「subsistit in」の使用は、その非常に明確な例です。【注:subsistit in という表現については、例えば「第二バチカン公会議の文書の曖昧な性格は何に由来するのか?」の記事参照】

おそらく、教会に大きな影響を及ぼしたこの前代未聞の出来事を引き起こした「動機」について議論することがいずれ可能になるでしょう。しかし、私たちはもはや証拠を否定したり、第二バチカン公会議が第一バチカン公会議とは質的に異なるものではなかった、という偽りの主張をしたりすることはできません。第二バチカン公会議を無理やり正常な公会議と解釈するために、最高の権威によってさえなされた、英雄的かつ記録に残る様々な努力にもかかわらず、それは変わりません。公会議は信仰と道徳についての明確であいまいなところのない規範であり、またそうでなくてはいけないのですから、公会議を「解釈」したいと望むことが不条理であることは常識のある人なら誰にでもわかります。

第二に、もしある公会議の行為がそれ以前の公会議の行為との教義的な一貫性を欠いているかもしれないという重大かつ熟考された議論が提起されるならば、異端的な点がただひとつでも存在することが宣告されたならば、いずれにせよその文書全体の信用が失墜することは明らかです。さらには、宣言された誤謬、あるいはわざと行間で理解されるように仕組まれた誤謬が一つや二つに限定されず、確言された誤謬が、膨大な量の確認されなかった真理に劣らず数多いという事実をも踏まえれば、この最後の会議を正規の公会議の目録から削除することが正しいかどうか、自らに問うことが可能です。

その判決は、公的な文書によって下されるより前に、歴史によって、そしてキリスト教の民の信仰の感覚(sensus fidei)によって下されることでしょう。木はその実によって判断されるものであり、教会を苦しめている厳しい冬を隠すため「公会議の春」を語ったり、召命を崩壊から救うため既婚司祭や女性助祭を考案したり、より多くの合意を得るため福音を現代のメンタリティに適応させたりするのでは不十分です。キリスト教徒の生き方は兵士であって、田舎の楽しい遠足ではないのであり、このことは司祭の生き方にさらによく当てはまります。

最後に、公会議に関する議論に実りある発言をしている人々へのお願いを申し上げます。私たちは何よりもまず第一に、すべての人に救いの真理を宣べ伝えることを望むようにしましょう。なぜなら、彼らと私たちの永遠の救いはそれにかかっているのですから。また、私たちは第二バチカン公会議によって提起された教会法上かつ法律上の意義には二次的な関心しかもたないからです。「アナテマ・シット(anathema sit)=排斥されよ【異端排斥文】」であっても、「ダムナチオ・メモリエ(damnatio memoriae)=記憶の断罪【その記録を完全に抹消すること】」であっても、ほとんど変わりません。

もしこの公会議が本当に私たちの信仰をいささかも変えなかったのであれば、聖ピオ十世のカテキズムを手に取り、聖ピオ五世のミサ典書に戻り、ご聖櫃の前にとどまり、告解室を捨てることなく、償いの精神をもって悔悛と苦行を実践しようではありませんか。それこそが、聖霊の永遠の若々しさが湧き出る泉です。そして何よりも、私たちの行いが、私たちが説くことの堅固で首尾一貫した証しとなるようにしようではありませんか。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ


「助産婦の手記」 2章 『今度があなたの始めてのお仕事でしょう。どうしても男の子でなくちゃ!』『いいえ、女の子ですよ!』

2020年07月21日 | プロライフ
「助産婦の手記」

2章

開業第一週の土曜日に――もう遅くなって、私たちが、ちょうどベッドに入ろうとしていたとき――駅長が見えた。来てもらえないでしようか。多分、夜が明けないうちに、家内はお産をするでしょう。真夜中になってから呼びに来るのは大変だから、私の家の暖かい部屋で、待っていてもらう方がよいと思う、ということであった。
『もちろん、すぐ御一緒に参ります。でも、ちょっと靴をはかなければ。』 私は、仕事がすぐ始まったのと、それから、若い未婚の助産婦に対する婦人たちの反感は、そんなに強いものではなく、結構それを抑えてしまえるということが大へん嬉しかった。
『この前のときは、非常に早く生れたので、私は自分で、助産婦にならねばならなかったんです。年寄りの助産婦のバベットさんが着くまでには、万事終ってしまっていて、お婆さんは、ただ子供に湯を使わせる仕事があっただけでしたよ……』と駅長は、そのあいだに物語った。
『あなたは、お子さんはもう三人おありでしょう?』と私の母が尋ねた。
『そうです、娘二人に腕白一人です。今夜、リスベートさんが、男の子か女の子か、どちらをそれにつけ加えるか見たいものです。この村では、今度があなたの始めてのお仕事でしょう。とにかく、どうしても男の子でなくちゃ!』
『いいえ、女の子ですよ!』
『もちろん――御婦人たちは、いつでも一緒になって、我々に反対するものです!』
『リスベートや、お前ほんとに自信がおありかね……』 私の母は、大へん興奮していた。
『でもお母さん、私よく教わって来たのですもの。心配しなくていいわ。神父様は、私にこうおっしやいました。仕事に専念するときには、いつでも、すべての天使のお助けを求めなければならない、私の天使と、母親の天使と、赤ちゃんの天使に。すると、きっとうまく行くでしょうと。』
『何ですって……赤ちゃんの天使に……』
『そうです。天使は、赤ちゃんが母の胎內で生命を授かるその瞬間から、そのそばにいるのです。赤ちゃんは、霊魂を持っています――そしてその霊魂は、赤ちゃんが母胎に宿ると同時にすぐ持つものです――ですから、赤ちゃんもまた、一人の守護の天使を持っているわけです。』
『私はもう子供が三人ありますが、そんなことはまだ聞いたことがありませんでした――だが、確かにその通りです。「汝等の天使は、天にまします父の御顏を常に眺むるなり」と、我等の主イエズスは申しておられます。 後ほど、この話を私の家內にもしてやって下さい。』
『娘がこんな職業に引きずり込まれたのは、私にはどうも面白くないんですよ』と、母はまたしても歎息した。『どんなことが起きることやら……娘が帰って来るまでは、私は気が気ではありません……』そのうちに、私は出掛ける支度が整った。駅長は、私に味方をして言って下さった。
『しかし、娘さんは習っていらっしゃったんですよ、奥さん。御覧なさい、最近私は一人のごく若い鉄道職員候補者をやとい入れました。そんな坊やでも、何かの役に立つだろうと思ったからです。で、一昨日のこと、分岐器が一つ故障を起していましたが、その若者以外は誰もそれに気がつきませんでした。もしそうでなかったら、すんでのことで列車の大衝突が起きるところでした。その若者は、自分の仕事を正しく学んでいたので、正しく処置することができたのです。人間は誰でも、いつかは、独り立ちせねばならないのです。』
『私は、バベッド婆さんに、お前と一緒に行ってもらうように、頼まねばならないのじゃないかね…』
『でもお母さん、どうか私に恥をかかせないで下さい! もし、そうすれば、私はいつまでもこの村では何も仕事ができなくなってしまうでしょうから。女の人たちは、ただ私が娘だというので、私のことを余りよく思っていないんです。――お母さん、ちゃんとベッドにはいってお休みなさい。そして、もし今夜、目が覚めたら、お助け下さるに違いない天使様のことをお考えなさい。では、お休み、お母さん!』

駅の建物は、村からよほど離れて立っていた。私たちが、そうして一緒に歩いて行くと、居酒屋から出て来た数人の男に出会った。『また急行列車が御入用かね?』と、一人が上機嫌にからかった。
『一つ傑作を仕出かして、 この村での開業を飾って下さいよ!』 と、その人々の中にいた村長さんが、私に呼びかけた。
私たちが駅長の家の階段を上って行くと、奥さんは、入口の戸の下に立っていて、真鍮の呼リンの引き手をピカピカに磨いていた。彼女は笑って、私たちを迎えた。『あすの朝、皆さんがお祝いにいらっしゃるまでには、万事きちんと整えて置かねばなりません。私の義姉妹は、夜行で立って、やっと明方に着くはずです。』
奥さんは、歯をかみしめて、陣痛のため身をもんだが、その陣痛は、奥さんの話によると、もう三時間この方、ますます募って来たそうである。
『全く恐ろしく不愉快なことです、これも昔のエヴァのお陰ですが――あの呪われた林檎……』彼女は、しかし、また笑った。部屋の中には、食卓が布で被われていた。『主人は、夜業から、すぐあなたを迎えに行かねばならなかったんです、リスベートさん。では、一つおいしいコーヒーでも一緒に飲むことに致しましよう。外から来たときは、それはいつもいいものですからね。』
彼女は、相変らず主婦の仕事をすることを止めようとはしなかった。しかし、そうしながらも、あの引きつって、引き裂くような苦痛が起るたびに、歯を喰いしばり、両手で背中をひっつかんだ。
『母になることは、そう簡単なものじゃありませんよ。でも、やがて終ってしまいます……』と、彼女は私たちの同情を拒んだ。『その代り、私は赤ちゃんを授かるのです!』そして、その母親の眼はまたもや期待に満ちた喜びに輝いた。
『あすの朝早く、ペーターとグレートとリーゼロッテがあすこの小さなベッドの中に、とても小っちゃい赤ちゃんが寝ているのを見たら、驚いて目を丸くすることでしよう。あの子たちは、一日中、赤ちゃんはまだ来ないか来ないかって尋ねるんです。辛抱し切れなくて、私をほとほと困らせてしまったのです。』
赤ちゃんを入れる籠が、真白な布で被われて、きちんと置いてある。下着とおむつ、脱脂綿とリゾール、水と小さな浴槽、このような、お産の時いつも必要なものは、この母親はもう整頓していた。
これは始めてのことではないからと、彼女は、私の賞讃の言葉に対して答えた。これで、何がどのようにして、ということが、もう幾らか判るわけだ……。
私たちは、なおもあれこれとしばらくおしゃべりをした。時間は、どんどん早く経って行った。それから、駅長の奥さんは、御主人をベッドへ送った。『ペーター、わからぬことを言わないで、お休みなさいよ。あなたは、私の手助けにはならないんですから。リスベートさんが、ここにちゃんといて下さるんです。私たち二人で間に合いますよ。もし足りなければ、あなたを呼びます。でも、あなたは、あすはまた、頭をはっきりして置かねばなりませんよ、あすは日曜ですから、交通量が普段よりは多くなりますからね……』
少しばかり抗弁した後、御主人は譲歩した。彼のベッドは、こうした時の用意のために、子供部屋に運んであった。そこで、彼は私たちにお休みと言った。奥さんは、夫にタベの祝福を与えた。夫は聖水をもつて妻の額に二つの小さな十字を切った。『私たちの赤ちゃんのためにも祝福を。』 私はそのとき、こう思った、まだ生れぬうちから、このような両親の共同の愛と忠実と配慮とをもって大切にされる子供は、確かに祝福された子となるに違いないと。父性というものを、こういう風に解している夫に対しては、妻である母親は、杖とも柱とも頼めるのである。このような夫は、子供の世話と、子供に対する責任とを、母親にのみ背負わすようなことは、絶対にないであろうと。
『だが、私を呼びなさいよ……』
『間もなく、あなたが必要となるでしょう、きっと。女の赤ちゃんが直きに泣くのが聞えるでしょう……』と彼女は、うなずきながら、つけ加えた。
『お前もやはり女の子というのかね――女ではないよ――私は男の子が欲しんだよ……』
『男というものは、私たちよりずっと心配が多いものなんですね――真面目な男たちは――』
と、父親が出て行った後で、母親は言った。『いま天主様は、私たちに赤ちゃんをお授け下さいます。でも、私は悲しもうとは思いません、たとえ暮しが苦しくなろうとも……』
陣痛が、いよいよ激しくなったので、私は、母親もベッドにはいらねばならぬとすすめた。段々、間隔をちぢめて苦痛が起って来た。彼女の両手は、掛布団に痙攣的にすがりついた。波のように、苦痛が、体中を暴れ廻ったので、母親は歯をギシギシ軋ませ、そして陣痛が頂点に達したとき、低い呻き声を発した。しかし、陣痛がほんの少しやわらいだので、 この気丈夫な婦人は、涙を目から拭った。
『人生は、大変苦しいものです……赤ちゃんは、生れるとき、泣きます……いえ、母親は、それと一緒に泣いてはいけません。赤ちゃんに喜ばしい挨拶を贈らねばなりません……愛は、喜びであり、ほほえみでなければなりません……』
『では、赤ちゃんには、どんな名前をつけるおつもりですか?』
『ヨゼフか、ヨゼフィーネです――男か女かによって。お父さんか私か、一体どちらに授けられるかを見た上です。お父さんが男の子をいただくか、私が女の子をいただくか……ところで、リスベートさん、あなたが初めてここにいらしたとき、何をお考えになりましたか……?』
『私は、いつものように、聖母マリア様のことを考えなければなりませんでした。というのは、こうです。マリア様は、その御独り子が橄欖山に行き、捕えられ、むち打たれていることを御存知でした……で、マリア様は、自分のお部屋で、これらのすべてのことを確かに一緒にお苦しみになりましたが、とうとう堪えかねて、御子のもとにいらっしゃいました――まさしく十字架の下へ……もともとマリア様は、その御子の御誕生の際には、普通の母親がその子のためになめるような苦しみを味わわれたのではありませんでした。しかし、最後のときには、それだけ多くの苦しみを味わわれたのです……そうです、それから一番最後に、御復活の朝が訪れたわけです。私は、赤ちゃんが生れると、いつでもほんとに復活祭の喜びのような気がするのです。苦しみは打ち勝たれ――新しい生命が生れました――愛は、勝ちました。母性愛は、自分で戦い取った勝利を喜んでいいわけです……』
『結構な立派なお考えですね、リスベートさん。ただ、あなたは、使徒たちのように、眠りこみ、そして逃げ去ることだけは、してはいけませんよ。あなたは ここにいて、目を覚ましていらっしゃって、私を助け、そして……祈って下さらねばなりません。御知存のように、こんなときには、人は天主様のお助けを欲しく感ずるものです――別の世界からの力を……』
朝の三時頃に、その苦痛は頂点に達した。私たちは、もう互いに何も話さなかった。母親は、全く苦しみの中に埋もれた―そして、私は深い興奮に捉われた。こんな時刻に、母と子と私とだけで過ごしたのは、初めてであった。私には、あたかも、私の霊魂が千本の手をさしのべて、天の御父にすがろうとしているかのように思われた……
それから、ヨゼフが生れた。
弱り果て、疲れ果てて母親は、褥(しとね)に横たわっていた。しかし、私が、泣いてる小さな男の子を洗って、きちんとしているうちに、またもや母親に陣痛がはげしく起り、そしてますます強い勢いで襲いかつて来る波が、疲れた母親の体を揺り動かした。
そして三十分後に、小さなヨゼフィーネが生れた。
そこで、私たちは、お互いに笑いあった。母親は、目に涙を浮かべて。ヨゼフとヨゼフィーネ。ほんとにソロモンのような判決だ! 今や父親と母親とは、それぞれ自分の希望を達した。そして私が、母親に、二番目の赤ちゃんを渡すと、彼女は赤ちゃんの皺のよった額に小さな十字を切った。母の初めての祝福。そしてその小さなものに、接吻した。『お前の小さな兄さんのように、愛らしくなりなさい。お前は、後から生れて来たのだから、何の心配もしなくていいのだよ……』
死んだように疲れて、彼女は眠りこんだ。
駅長が、朝早く六時半頃に手伝いに来たが、白い籠の中に、マルチパン菓子のように薔薇色をした小さな一対の赤ちゃんがいるのを見たときの驚きようはなかった。そして数時間後に、三人の兄さんと姉さんが、この祝福に驚いてからの質問と不思議がりは、果てしもなかった。
『小さな弟と、小さな妹! それ、どこから来たの?』
『天主様から、』と父親が言った。『天主様が私たちに贈って下さったのだよ。』
『天の父から? 天から? では、どうして降りて来たの? 天使が持って来たの?』
『聖天使たちが、一緒に来たのだよ。一人の天使は小さな弟と一緒に。そして、もう一人の天使は、小さな妹と一緒に。弟と妹の守護の天使たち。それは、いつも二人のそばについていて下さるのだよ。お前たちの弟と妹とは、こんなに小さくて弱いのだから、可愛がってやらねばならないよ。そうしなかったら、天使たちは悲しむに違いないから。』
六本の小さな手は、籠の中の小さな赤ちゃんを撫で廻した。三つの小さな口は余り長く赤ちゃんにキッスしたので、赤ちゃんは、その慣れない、まだ訳の分らない愛撫を嫌って泣き出した。そこで私たちは、その愛情を止めさせなければならなかった。
『でも、一体どちらが弟なの?』と六つになるリーゼロッテは、非常に考え深そうにのぞき込んだ。
『ジャケツに赤いリボンをつけた方だよ……』
『でも、もし寝巻を取りかえたら……?』
そのとき、叔母さんが駅からやって来た。すると子供たちの注意は、それてしまった。駅長は、外出の支度をした。
『お父さん、どこへ行くの? も一人のおばさんを迎えに行くの?』
『いや教会へ行くんだよ。天主様に、赤ちゃんが生れたお礼を言いに……』





イエズス様はこう思われるでしょう「マリア様がいるから、日本の全てを赦そう。この国を守ってあげよう。この国の人々を保護しよう。」

2020年07月21日 | プロライフ
2020年7月12日(主日)聖霊降臨後第6主日のミサ

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父ミサのお知らせ(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

1つだけお知らせをさせて下さい。

7月24日、スポーツの日、国民の祝日には、私たちはマーチ・フォー・ライフを行なおうと思っています。ファチマのマリア様も一緒に、大阪の市役所から御堂筋を1時間ほど、ロザリオを唱えながら、命の為の行進をしようと思っています。

なぜかというと、日本では、日本の公式の統計によると、例えば2017年には1年間の間で、16万4621名の赤ちゃんが、全く罪を犯さないのに、全く何の責任もないのに、お母さんのお腹の中で安らかに生きていたのに、殺されてしまいました。

日本で一番大きな死因というのは、ガンでもなく、交通事故でもなく、火事でもなく、コロナでもなく、その他何でもなくて、こうやってお母さんのお腹の中で、罪の無い子供たちが亡くなっていることです。

それで天主は、聖書によると、「罪の無い人の命の血が流されたら、私はその血の要求をする」と「必ず正義の要求がある」と書かれています。「罪の無い人の命を殺害するということは、天に復讐を叫ぶ罪である」と言われています。

もしもこの償いを誰かがしなければ、ミサを捧げて、あるいはお祈りをして、犠牲を捧げて、その罪の償いをしなければ、誰かの血が流されるということになってしまいます。つまり戦争が起こったり、コロナウィルスが終わらなかったり、あるいはますます多くの方がその罪の償いとして捧げられなければならないかもしれません。

その昔、ソドムとゴモラという所で、自然に反する同性愛の罪が行なわれました。これは天主の最も憎むもので、天主はこれに耐えきれずに、「もうこの街を滅ぼしてしまおう」と思いました。そこの街は最も豊かで、土地が肥えていて、美しい街でした。でもその罪のある所は、そんなものはどうでも良かったのです。「滅ぼす」と、「天から火を降らせる」と。

そこでアブラハムは言いました。
「お願いですから、もしもそこのソドムとゴモラに50名の義人がいたら、その50名の為にこの何万人を滅ぼすのですか?この50名の為に、どうぞ容赦して下さい。」
「よし、容赦しよう。」
アブラハムは、「もしかしたら、10名足らない40名かもしれません。そしたら、40名に10名足らなかったが為に滅ぼすのですか?」
「OK。」
「30名かもしれません。」
「分かった。」
「20名かもしれません。」
「分かった。」
「10名かもしれません。」
「10名の為に、滅ぼさない。」

ところが、足りませんでした。ソドムとゴモラは10名にも足らない、義人が足らなかったので、その為に滅ぼされて、今でも姿はありません。

私たちはもしかしたら、足りないかもしれません。そこで、マリア様と一緒に来てもらって、「私たちは足りないので、マリア様を御覧になって下さい。」「どうぞ憐れんで下さい。」「罪を赦して下さい。」「どうぞ、どうぞこのマリア様に免じて勘弁して下さい。」

御堂筋をマリア様と一緒に、命の行進をしようと思っています。そうするとおそらくイエズス様は、マリア様を御覧になって、「マリア様がいるから、日本の全てを赦そう。」「この国を守ってあげよう。」「この国の人々を保護しよう。決して私は罰することはない」と仰るに違いありません。

ですからこの日に、スポーツの日には皆さんいらっしゃって、マリア様と一緒にマーチ・フォー・ライフに参加されることを是非、是非、是非、お願いしたいと思っています。特に小さな子供たちも一緒に来て下さると、非常に嬉しく思います。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




私たちは、足りないかもしれません。私たちの血が将来流されるのを防ぐ為に、足りないかもしれません。だから・・・

2020年07月21日 | お説教・霊的講話
2020年7月12日(主日)聖霊降臨後第6主日のミサ

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 ミサのお知らせ(東京)


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2020年7月12日、聖霊降臨後第6主日のミサをしております。

7月23日の海(産み)の日にも、ここで同じ時間にミサがあります。朝9時からと11時からと12時半からミサがあります。そして午後の16時から、常磐公園という東京駅のすぐ近くから、日比谷公園まで、ファチマのマリア様と共にマーチ・フォー・ライフがあります。皆さん是非いらして下さい。・・・

アメリカでは、一人の黒人の方が、麻薬の疑いがある等という事で警察によって取り調べられている間に、残念な事に亡くなってしまいました。たった一人の黒人の方の命を巡って、アメリカが大混乱に陥りました。今でも続いています。「命を守らなければならない!」大暴動が起こりました。

2017年、日本で、1年間だけで、日本のお母さんの胎内にいる赤ちゃん、何の罪もなくスヤスヤとすくすくと育っている赤ちゃんが、都合が悪い、という事で、あるいはその他の理由で、16万4621名、16万4千!! 日本で、その年に生まれるはずの7人に1人が亡くなりました。

もしもこのような事を続けていたら、天主様は私たちに、その無罪の子供たちの血を要求するに違いありません。誰かが代わって、償いの血を流す事になります。つまり大戦争、大災害などが起こる危険があります。これは、私たちがそれに目が覚める為です。

私たちはですから、ちょうどアブラハムがソドムとゴモラの街に言ったように、「どうぞ、ヤーウェ。もしもここに50人の良い方が義人がいるならば、その50人の為に、そのソドムとゴモラの街を滅ぼすのですか?」「いや。」
「40名。」「滅ぼさない、その40名の為に滅ぼさない。」
「30名。」「その30名の為に滅ぼさない。」
「20名。」「20名の為に滅ぼさない。」
「10名。」「10名の為に滅ぼさない。」

もうこれ以上バーゲンをする事はアブラハムはやめましたけれども、しかしそれも足りませんでした。ソドムとゴモラは滅ぼされてしまいました。

ですから私たちは、足りないかもしれません。私たちの血が将来流されるのを防ぐ為に、足りないかもしれません。そこで、マリア様に来て頂いて、「ファチマのマリア様がここにいるので、どうぞ憐れんで下さい。どうぞ私たちを赦して下さい。どうぞ、どうぞこの罪のない赤ちゃんたちが亡くなったという事を、マリア様に免じて憐れんで下さい」とお願いしようと思っています。

そこで是非、愛する皆さんに来て下さるようにお願い致します。

本当ならば、大司教様や神父様たちの指導の下に、リーダーシップの下に、私たちも参加したいのですけれども、... 何もないので、私たちは私たちの命を守る為にも、赤ちゃんの命を守る為にも、仕方がなく、私たちがしなければなりません。どうぞいらして下さい。

コロナウィルスの為に数百名の方々が日本で亡くなりました。しかし自分の命の危険も顧みず、お医者さん達が一生懸命、命を守ろうと全力を尽くしています。それを見て、色んな市役所の役員の人たちが一斉にある時、時間を決めて、警報と共に立ち上がって、拍手を送って、そしてお医者さん達に感謝しました。

東京のその都庁の色が感謝の色に変わる、あるいは防衛庁の防衛大臣がブルーインパルスを飛ばして感謝する、もしもそのような事が日本であるならば、もしもその私たちのこのマーチを見て、天使たちが感謝して、私たちの祖国の周りを守って、お祈りして下さるに違いありません。殺されるべき亡くなってしまうべきだった赤ちゃんたちも、私たちに感謝するに違いありません。

イエズス様も、「最も小さな者にした事は、私にした事だ。命を守ってくれてありがとう」と感謝して下さるに違いありません。

ぜひ皆さん、いらして下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




2020年7月11日(土)御聖体降福式にて:ファチマでマリア様は「マリア様だけが、私たちを助けることができる」とはっきり仰いました。

2020年07月21日 | お説教・霊的講話
ファチマでマリア様は「マリア様だけが、私たちを助けることができる」とはっきり仰いました。

2020年7月11日(土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

御聖体の内に真に在し給うイエズス様の聖心の御前で、マリア様の汚れなき御心に対する信心として、7月13日にファチマにお現れ下さったマリア様を讃えて、私たちの讃美と愛を御捧げ致しましょう。

イエズス様は、マリア様に対してなされる讃美と愛は、イエズス様御自身に捧げるものよりも、はるかに御喜びを感じて下さると。

ファチマの信心を行なっていた広島のイエズス会の修道院に、原爆がそのすぐ近くに落ちたにも関わらず、全く無傷でした。無原罪の園のコルベ神父様、もちろん、そのすぐ近くに原爆が落とされることも有り得たのですけれども、そうではありませんでした。守られる場所に居るようになりました。

マリア様を讃美して、マリア様に愛を示す人々に、イエズス様は特別の心で喜びを示して下さいます。奇跡さえも行なって下さいます。

ファチマでマリア様は、「マリア様だけが、私たちを助けることができる」とはっきり仰いました。

イエズス様は、戦争を終わらせる、どうしても人間の力では難しい複雑な戦争でしたが、マリア様は終わらせる事ができる、その力を与えました。




この地球、この全宇宙は、私たちが永遠の命を受けるが故に、価値があるものなのです。もしもそれが、私たちの永遠の滅びの元となったら悪いものです。

2020年07月21日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年7月5日(主日)聖霊降臨後第五主日に東京で録画した小野田神父のメッセージをご紹介いたします。

〜〜〜〜〜

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、来週の主日7月12日には、どうぞ聖伝のラテン語のミサに与りに来て下さい。東京では午前中3回、そして大阪では夕方18時からミサがあります。

なぜかというと、7月13日、ファチマの日の前日だからです。

100年前、ファチマでマリア様は私たちに、現代の21世紀の私たちに、最も大切なことを教えて下さいました。子供たちに地獄のビジョンを見せました。多くの霊魂が、雪のように地獄に落ちている風景を子供たちに見せました。

これが現実です。マリア様はとても悲しい顔をしておられます。そして天主聖父もとても悲しい顔をしました。聖子を私たちの救いの為に、永遠の救霊の為に与えて、御血を流し、十字架に付けられ、そして私たちを永遠に救おうと全てをしたのにも関わらず、多くの霊魂が失われている、永遠に失われている、もう決して戻らない、失われたらもうそれ以上、それっきりだ。

これを何とかして救いたい。その為に、子供たちに言います、「子供たちよ、祈りなさい。犠牲を捧げなさい。霊魂を救う為に、罪人の回心の為に祈りなさい。」

これこそが最も重要な問題です。地球上の全ての富、あるいは動植物、全宇宙、この全世界を、もしも私たちが綺麗に保存して、そして得たとしても、霊魂を失ったら一体何の利益があるでしょうか。

この私たちの持っているこの地球、この全宇宙は、私たちが永遠の命を受ける、得る為にのみ与えられました。私たちが永遠の命を受けるが故に、価値があるものなのです。もしもそれが、私たちの永遠の滅びの元となったら、これは悪いものです。私たちはその事をよく知らなければなりません。

マリア様はこの霊魂を救う為に一生懸命になって、天から私たちに警告されて、「その為に、多くの霊魂を救う為には、方法がある。私の汚れなき御心に対する信心を行ないなさい」と仰いました。

どうぞマリア様のこの悲痛な母の叫びを聞いて下さい、「霊魂を救う為に、助けて下さい。」

どうぞミサに与って下さい。そして汚れなき御心に対する信心を行なって下さい。

もちろん、リサイクルをする、プラスチックの量を減らす、あるいは地球環境を守るということは大切です。清貧の精神にも合っていることです。でも小学校でもそれは学びますし、市役所でも言っています。

私たちにとってもっと大切なことは、マリア様にとって、至聖三位一体にとって、イエズス・キリストにとって、カトリック教会にとってもっと大切なことは、「霊魂の永遠の救い」です。

どうぞこの来週の主日にミサにいらして下さい。そして一緒に霊魂の救いの為にお祈りしましょう。御聖体を礼拝して下さい。御聖体を拝領して下さい。マリア様にお祈りして下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】