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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

今年は秋田巡礼は行いますが、聖体奉仕会には訪問できません

2020年08月04日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア・インマクラータ!
 
秋田巡礼にお申込みくださった、愛する巡礼者の皆様、
 
秋田巡礼はあと10日となりました。いかがお過ごしでしょうか?
 
さて、聖体奉仕会から私どもの担当者に連絡があり、コロナウイルスで聖堂を閉じておりますが、8月1日からは聖堂に加え、庭園を含む修道院の敷地全体を閉鎖するとのことです。いつ再オープンするかも未定だそうです。そこで、今回は、聖体奉仕会の敷地に行くことができそうもありませんが、私どもは感染対策を行いつつ、秋田巡礼をそのまま実行いたします。
 
何故なら、たとえ秋田の聖母をすぐ目の当たりにできなくとも、日本各地から聖母のもとに集い、数日間ミサと黙想と祈りで過ごすことは、有意義なことだと信じるからです。
 
ところで巡礼を予定されておられる愛する兄弟姉妹の皆様の中で、もしも、聖体奉仕会のマリア様に近づけないのならば、或いはその他の理由で、せっかくだけれどキャンセルしたいという方がらっしゃいましたら、お気持ちは大変良く理解できますので、その旨、お申し付けくださいますようによろしくお願いいたします。
 
秋田巡礼における私たちの感染症対策は次の通りです。
 
最近私たちは、新型コロナウイルスの感染者数が増えた、という不安なニュースを毎日たくさん聞かされております。日本を代表する優秀なお医者さんたちからのアドバイスに裏付けられたものであるはずの Go to キャンペーンも、まさかこんなことになるとは、というストレスいっぱいの反応も聞きます。そのような不安をマスコミがさかんに報道している時ですからこそ、私たちはますます「元后、憐みの御母、我らの命、慰め、望みなるマリア」に向かいて呼ばわり、ひたすら仰ぎ望み奉ろうと思います。
 
現代医学によると、不安とストレスが増大すると、人間の免疫力は下がることが分かっていますし、心の状態が人間の健康状態に大きな影響を与えることが知られています。友人や知人との社会的なつながりが、ストレスを和らげることによって、間接的に感染症などに対しての免疫力を強化する可能性が指摘されています。今のような不安なニュースが飛び交う時こそ、聖母に向かうと同時に、秋田巡礼で日本の各地から巡礼者たちが一緒に幸せな時を過ごすことを望んでおります。
 
同時に、私たちがいままで東京と大阪とで取り続けている基本的な感染症対策を、秋田巡礼でもそのままやり続けます。状況がいつもと異なるため、今年の秋田巡礼は今までとは少し違ったプログラムとなり、当初に予定していた幾つかはできなくなると思われます。そのため私たちの巡礼中の活動には修正を加えなければならないということを、何卒ご了承ください。しかし、私たちの霊的な喜びと平和と幸福だけは、変わらずに維持したいと思っております。
 
【ホテル・プラザ・クリプトンにて】
 
クリプトンさんのご協力のもと、次の事項を計画しております。
 
● 会場の換気を最高度によくする
 
● 食事の時にはおしゃべりをせず、黙想会のように霊的良書の朗読を聞く
 
また、巡礼者の皆様にも大変恐縮ですが、次の事項をお願いしたいと思います。
 
● 手洗いをこまめにすること(医者の指摘によると、体の中で手が一番不衛生な部分です。)
 
● 不要な会話を慎しむこと(特に御聖体が安置されている「聖堂」の中ではよろしくお願いいたします。しかし、マスクで隠されていたとしてもニコニコの笑顔はいつもの通りお願いいたします。)
 
● 太陽の光を浴びながら秋田の大自然に浸る(熱中症対策をしながら、密を避けるために、戸外での聖母行列なども予定しています。)
 
● 睡眠時間をよくとる(今までは、巡礼者のお友達同士で夜もおしゃべりをしたことがあったかもしれませんがお控え下さり、夜は早めに就寝されるように願います。)
 
【聖体奉仕会の訪問について】
 
すぐ近くにまでは来ているのですが、秋田の聖母の御像のすぐ近くには行くことが難しくなりました。そのため、聖体奉仕会に行く代わりに、別の有益な心に残るプログラムを計画しております。巡礼者の皆様の寛大なご理解をお願い致します。
 
もちろん、秋田のマリア様は私たち巡礼者が犠牲を払って、別の予定をキャンセルしてまで、遠くの道のりを飛行機で、新幹線で、車で、或いは北海道から或いは関西地方から、遊びに行く代わりに秋田の地に集い、ミサ聖祭を捧げ、祈り、聖歌をお捧げするのをご覧になり、「私に会いに来てくれた」とお喜びくださるに違いありません。私たちは、それには相応しくないとは思いますが、聖母の母親としての優しさから私たちを大いに憐み下さると信じています。
 
今年の秋田巡礼は、特に「感謝」の意向で行いますが、刻々と変化する世界情勢を見て、秋田の聖母が、私たちにメッセージとしてお願いされた「祈りと償い」のためにこれを行う必要があるとますます確信しております。特に、聖母が懇願された通り、教皇・司教・司祭・修道者たちのために祈りたいと思います。
 
愛する巡礼者の皆様、どうぞ、ご心配なさらずに参加ください。
 
その他、ご質問などがありましたら、ご連絡くだされば、幸いに存じます。
 
では、秋田の地で、巡礼者の皆様の笑顔にお目にかかれることを大変に楽しみにしております。
 
天主様の祝福が豊かにありますように!
 
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
 
 
To all our beloved pilgrims who have signed up for the Akita pilgrimage 2020
 
Our pilgrimage to Akita has only 10 days left. How have you been?
 
The Convent of the Handmaid of the Holy Eucharist has informed our contact person telling that they would close the entire premise of the convent, including the gardens. They do not know yet when they can reopen.
 
So, although it is unlikely that we will be able to visit the convent this time, we will still carry out our Akita pilgrimage as it is planned, while taking measures to prevent infection against Coronavirus as we are doing now.
 
We believe that even if we cannot see Our Lady in Akita unfortunately, it will be worthwhile for us to gather near Our Lady from all over Japan and spend few days offering the Traditional Latin Mass, and prayers.
 
However, if any of you would like to cancel this pilgrimage, for this reason of inaccessibility or some other, we understand you very well. Please have no worries. We would be grateful if you let us know your decision if you change your mind! Thank you for your cooperation.
 
Our measures to combat Coronavirus during the Akita Pilgrimage are as follows.
 
We hear a lot of news of anxiety every day about novel coronavirus. We hear stressful information through mass media. Therefore, we want to have recourse to the "Holy Queen, Mother of Mercy, our Life, our sweetness, our Hope", to cry and to send up our sighs.
 
According to modern medical science, it is known that an increase of anxiety and stress lowers the human immune system and that the state of mind has a great impact on our health. It has been suggested that social connections with friends would indirectly strengthen our immunity to infections and other diseases by relieving stress. In these times of anxiety, it is our hope that pilgrims from all parts of Japan will have a happy time together during the pilgrimage, with blessings from Our Lady.
 
At the same time, we will continue with our basic measures against virus that we have taken in Tokyo and Osaka for our Masses. We will just continue them for the Akita pilgrimage.
 
Due to the unusual circumstances, this year's pilgrimage will have a slightly different program and we may not be able to do some activities which we had originally planned. Please be kindly informed that we will have to make some adjustment of our program. However, we hope to keep our spiritual joy, peace and happiness as we had planned!
 
[At the Hotel Plaza Crypton]
 
With the help of Hotel Crypton, we are planning the following:
 
● Ventilation of the place to the maximum
 
● Listening to good spiritual readings in silence while we eat, instead of chatting at the table.
 
I would also like to ask the pilgrims some cooperation.
 
● Wash your hands frequently (doctors point out that hands are the most unsanitary parts of the body)
 
● Refrain from unnecessary conversation (especially in the "chapel" where the Blessed Sacrament is present. However, please keep your smiles as always, even if they are hidden by masks)
 
● Not afraid of sunshine and enjoy the great nature of Akita (we will have procession(s) of Our Lady outside, while taking precautions against heat stroke).
 
● Get good sleep (we ask that you refrain from chatting with your fellow pilgrims at night.)
 
[Regarding the visit of the Convent]
 
Although we are just around the corner, we cannot go to the statue of Our Lady of Akita, this time. Therefore, we are planning to make other activities as replacement but as useful and memorable. Thank you so much for your kind understanding!
 
Of course, Our Lady of Akita, seeing us making great sacrifices by canceling other plans to come all the way to Akita instead of going for fun, would be very pleased. Our Masses, prayers, and singing of chant would console her. We believe that Our Lady will have great mercy on us, her little children, because of her motherly tenderness, though we are not worthy for it.
 
This year's pilgrimage is offered with the intention of "thanksgiving," however, we are increasingly convinced that due to ever-changing world and ecclesiastical situation, we need to make this pilgrimage for the "prayer and reparation" that Our Lady of Akita has asked us. In particular, let us pray for the Holy Father, bishops, priests and religious, as she begged us to do.
 
If you have any other questions or concerns, please contact us and we would be happy to assist you.
 
Now, I am very much looking forward to seeing you smiling in Akita.
 
May the Lord God bless you!
 
Father Thomas Onoda,
 
priest of the Society of St. Pius X




御聖体を敬わない、冒涜の罪の償いのために、国際十字軍がシュナイダー司教様により発動されました_世界で日本で御聖体を敬う者は迫害されています

2020年08月04日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年8月2日、聖霊降臨後第九主日に東京で録画した小野田神父のメッセージをご紹介いたします。

シュナイダー司教様は御聖体への冒涜の罪の償いのための国際十字軍を始動されました。皆様、ぜひ参加してください!

この8月をこの償いに参加することで、8月を聖なる月としてください。

このお願いをする1つの理由があります。それはヴィガノ大司教のある司教への手紙を読んだからです。以下の記事をご参照ください。

【拡散希望】ヴィガノ大司教とタウシグ司教との二つのパレーシア(臆することなく発言すること):ヴィガノ大司教のサン・ラファエル教区の神学校の閉鎖に関する手紙

 

シュナイダー司教様は、天主を侮辱するこれらの罪の償いのため、ファチマの天使の祈りを祈ることを呼び掛けておられます。

Bp. Schneider: Join me in crusade of reparation for sins against Jesus in Holy Eucharist

Bp. Schneider: Join me in crusade of reparation for sins against Jesus in Holy Eucharist

In the current so-called COVID-19 Pandemic Emergency, horrible abuses ...

LifeSiteNews

 

 

聖ピオ十世会では聖伝のミサの後の感謝の祈りとしてファチマの天使の祈りを唱え続けます - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、恵みにあふれた2017年もあと一日を残すところとなりました。いかがお過ごしでしょうか。...

聖ピオ十世会では聖伝のミサの後の感謝の祈りとしてファチマの天使の祈りを唱え続けます - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

 

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「助産婦の手記」16章 いつになったらは妻は、夫に対して指導者であり得るような結婚生活をさせ得るだろうか?

2020年08月04日 | プロライフ
「助産婦の手記」

16章

ある朝、大へん早く、そう四時頃に、ウンテルワイレルからパン屋の職人が自転車で私のところへやって来た。急いで親方の奥さんを見に来てくれということであった。そこで私は驚いた。彼女は、数日前に私のところへ来たのであるが、妊娠約四ヶ月であった。何が起ったのであろうか?

そこで私は急いで着物をきて、自転車に乗った。非常に冷たい五月の空気の中を進んで行った。それは、まさに季節おくれの北極的な寒波襲来であって、誠に「氷聖人」というその名称を辱かしめない。助産婦というものは、鋼鉄のような健康を持たなくてはならない、さもなければ、体がもたない。というのは、私たちが、いかにしばしば晚おそく、真夜中に、または朝非常に早く、ベッドから狩り出されるかということを、人は何とも思わないからである。しかも、それは夏であろうが、冬であろうが、雨の日も、暑いときも、早く早く何事か起った、というわけである!

初めて妊娠した若いパン屋のお上さんは、強い出血をやっていた。流産の確実な徴候だ。しかし、こんなに朝早く、どうして、そんなことがあり得るであろうか? 彼女は全く健康な女だから、そんなことは起りそうもないのであるが。私は、医者に報告するため、その職人を再び使いにやった。その間に、私は、理由と原因がどこにあるのだろうと、用心深くあれこれと質問した。
一体、彼女はきのう何の仕事をしたのか? 洗濯でもしたのか? それとも水を庭に運んだのか?何か重いものを持ち上げたのか、または何かに衝突したのか?
『いえ、そんなことは全くなかったんです。でも、私はただちょっとした家事をし、そして時々お店の手伝いをせねばならないんです。それは重い仕事ではありません。お医者さんは、慣れた仕事だけなら、続けてやってもよいとおっしゃるのです。』
では、彼女は落っこちたのか? それとも、自転車に乗ったのか、または何事かで非常にびっくりしたのか?
別段にこれということは、何もなかった。彼女は、昨晚は非常によい状態でベッドにはいったようだ。その前の数日間も、何事も起らなかった。
そこで私は、ほんとに一つの謎の前に立った。医者が来てから、私が原因を全く発見でないことを告げると、彼は答えた。
『リスべートさん、あなたはすべてをお考えになりました――ただ一つのほかは。というのは、この人たちは結婚してはいるが、結婚衛生については、何の観念も持っていないということだけは、お考えにならなかったのです。こういう人たちは、次の世代に対して何の責任感も持っていないんです……』
そうだ、私はほんとに、このことは考えなかった。ウイレ先生は、一つの問題を提出なさった。

若いパン屋のお上さんが、その胎児は早産して死ぬんだということを知ったとき、彼女の悲嘆は慰めるべくもなかった。彼女は、赤ちゃんが宿ったのを非常に喜んでいたのだ。乳母車がすでに用意されてあった、そのほか子供の衣類など一式。ところが、今や彼女は、赤ちゃんをその車にのせることができないのみか、埋葬せねばならなかった。私たちは、彼女を慰めるのに骨を折った。ただ、彼女が、また赤ちゃんを得ることができるという希望のみが、彼女を幾分かは、なぐさめた。
彼女は、床払いをすることができるや否や、医者の指図に従って直ちに三ヶ月間、サナトリウムに行かねばならなかった。それから彼女は、はつらつとして元気よく帰って来た。そして数週間後には、医者は早くも、彼女が新しく妊娠したことを確認した。今度は、ウイレ先生は、パン屋の親方のところへ行って、今度こそは妻をよくいたわらねばならぬと話された。すなわち、一度流産した後は、もし夫婦の交わりがさらに行われると、不幸が繰り返される危険がある。夫は、子供の生命のみか妻の生命をも危険にさらしてはいけない。なぜなら、流産というものは、決して無害な事柄ではないから。それくらいな自制は、男として払わなければならないと……しかし、頑迷なパン屋の親方はただ一つのことを言い返すことを知っているだけであった。
『何のために人は、妻を持っているのですかね?』
そして、まさにその通りであった。その後、あまりたないうちに、憐れなパン屋のお上さんは再び流産した。そこで私は、新たに妊娠した場合には、妻は子供のために、夫を拒まねばならぬことを彼女に說明しようと試みた。しかし、彼女は、夫婦の交わりをするのは、妻の義務であること、夫を拒むことは罪であることを固執した。まことに遺憾ながら、以前には、人はただ妻に対して義務だけを強いて、権利は認めなかったのである。男性の今日の気まま勝手の大部分は、確かに、男の過大な要求に対して、女が正しいときには、自己を防衛するということを、良心上、不可能にされたことに帰することができる。こういうことは、カトリック的道徳の中に存するのではない――そうではなくて、長い間かかって作り上げられたその解釈によるのである。しかし、誤りは、矯正されねばならない、さもないと、それは他日、急進主義へ移るおそれがあるからである。

その後なお二回、私はパン屋のおかみさんについて、流産を経験した。彼女は、やつと一九一五年に子供を得た、なぜなら、彼女の夫は当時、よい具合に、出征していたから。今や彼女は、私たちを信用しはじめた。そのパン屋は、子供の洗礼のため、賜暇(しか)を得て帰って来た。しかし、それは産後、三週間目のことだったことは、母親のためにも幸福であった。私も洗礼に出席して、いろいろなことを見聞した。

こういう話は、もう十分であろう。
私たち助産婦は、次のようなことに関する話を知っている、すなわち、性的要求の限度を全然知らず、かつその行使を全く自制することを知らぬ夫をもつ妻が、何を経験せねばならなかったかということ。そして、それに原因する流産、婦人病および癌腫発病についてである。
果していつになったら、男女に対して、許されたものの限界は、どこにあるかということをよく判らせ得るであろうか? そして、女に対しても、許されないものを拒絶する権利を与え得るであろうか? いつになったら、女を合理的に教育して、これらの問題においても、――いな、まさにこれらの問題において――妻は、夫に対して指導者であり得るような結婚生活をさせ得るだろうか?

もつとも、ただ一つのことだけが、私には明らかである、すなわち、処女的純潔をもつて結婚する婦人のみが、このことをなし得るであろうということである。結婚前に男に許した女は、結婚してから、夫に対して、これらの問題について制限を設け、かつ夫の要求を合理的限度に抑えつける力を、もはや持つことはないであろう。
そして結婚前に、純潔な禁慾生活をしなかった男は(何となれば、彼はこのことを重要視しなかったから)、結婚してからも、性の問題において、何が至当であるかということを知らないであろう。このことについては、私たちのように、長年、助産婦をしているものは、何百という物語を述べることができるであろう。




【再掲】2018年8月4日(初土)  聖ドミニコの祝日 「聖ドミニコの精神」

2020年08月04日 | お説教・霊的講話
【再掲】2018年8月4日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ 聖ドミニコの祝日
小野田神父 説教



聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年8月4日、聖ドミニコの祝日です。今日は初土曜日ですので、聖母の汚れなき御心の随意ミサをしています。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は8月の初土曜日で聖母マリア様の汚れなき御心の信心の日で、そしてファチマの日でもあります。ファチマでマリア様が「初土の信心をするように」と仰って下さったので、それで特にファチマでは御出現の度ごとに、「毎日ロザリオを唱えるように」と仰いました。

そして今日は初土であると同時に聖ドミニコの祝日であるので、マリア様が私たちに彼を通して聖ドミニコを通して下さった、そのロザリオの、その聖ドミニコの祝日であるので、ぜひ、

⑴ 聖ドミニコという方がどういう人であったのか?

⑵ 聖ドミニコは私たちに一体どんな事を教えているのか?特に21世紀のこの日本で、聖ドミニコの精神がどれほど大切であるか、という事を一緒に黙想する事を提案します。

⑶ そうする事によって私たちが初土の信心、そして初土のこのマリア様への信心がどれほど重要であるか、という事をますます気が付く事ができると思うからです。

ですから聖ドミニコの生涯を黙想する事によって、更にマリア様の初土の信心を深める事ができるからです。

⑴ では一体、第1のポイントに、聖ドミニコはどういう人だったのでしょうか?

聖ドミニコは、1170年にスペインで生まれました。スペインのカレルエーガという所に、デ・グスマン家いう非常に高貴な貴族の子供として生まれました、1170年です。そのドミニコの叔父さんに神父様がいました。この神父様は甥子のドミニコに良い教育を与えようと思って、一番良い学校に送りました。パレンティアという所にある学校に、非常に有名な名門校だったのです。

お父さんとお母さんは貴族で、まだドミニコがお腹にいる時に、お母さんは夢を見ました。その夢によると、この子供は小さな子犬のようで、しかも口に松明を咥えていたのです。それでこの子供が生まれると、その子犬が世の中に出てくると、この松明の火を以て世界中に火を付けた、という夢を見ました。このお母さんの夢がどのように実現するか、これが実は正夢だったのだ、と後で人々は解釈します。

そしてそこで聖ドミニコの肖像画、聖人のドミニコの御影は、ドミニコ会の修道服を着た、白い修道服を着て、そして聖ドミニコはあるいはロザリオを手に、あるいはその下には子犬がいて、口に松明を咥えている犬が描かれています。これを見たら、「あ、これは聖ドミニコだ」と思って下さい。なぜかというと、ドミニコ会には色々な聖人がいます。例えば聖ヴィンセンシオ・ア・フェレール、あるいは聖トマス・アクィナス、あるいは聖ピオ五世教皇等々、多くの聖人たちがいるのですけれども、聖ドミニコの御影には、あるいはロザリオ、あるいは犬がいる、という事を知って下さい。ラテン語で「犬」の事を“canis”と言います。そして「主」というのは“Dominus”と言います。そこで「主の犬」というのは、“Domini canis”(ドミニカーニス)という言葉遊びでもあるのです。

ところで、聖ドミニコがパレンチアの名門校で勉強をしている間に、非常に優秀な子供であるという事、特に勉学が優れていて、そして聖書に対して非常に大きな関心を持っている、という事に人々が気が付きました。それのみならず、聖ドミニコが非常に愛徳のある学生である、という事にも人々が気が付きました。

ある時には、その当時、本は一冊一冊が、まだ印刷機がなかったので非常に高価な物でした。ある時、飢饉で食べ物が無くて困っていた人たちを、その犠牲者を被災者を助ける為に、自分の持っていた大切な本を売ってしまって、そのお金でその被災者を助けた、という事さえもありました。非常に貴重な物だったのですけれども、聖ドミニコは助ける為には何も惜しみませんでした。

こうやって学徳と愛徳に秀でた聖ドミニコは、司祭となります。私たちは聖ドミニコの聖人伝を見ると、本当にドミニコは子供の頃から、天主への愛と隣人への愛に、この2つに燃えていた、という事が分かります。天主への栄光をいつも考えて、また隣人の霊魂の救いを考えていたという事です。天主の事をいつも考えていて、そして天主の御摂理を隣人に伝えていたという事です。

司祭になると、非常に学徳のあり、そして聖徳の高い、愛徳の深い司祭だという事で、すぐに司教様によって、その当時聖ドミニコがいたのはオスマン司教区の司教座聖堂の特別会員となって、そして特別の名誉ある地位を得ました。これは教会参事会員といって、ラテン語では“Canonicus”と言って、「カノンの司祭」と言われていて、それはいつもカテドラルで決められた時間に、聖務日課を他の司祭たちとそのカノンたちと一緒に唱える、という特別な名誉ある地位を得ました。司教座付きの特別の司祭という事です。

これは当時スペインにとって名誉ある地位であって、エリートコースであって、将来はどこかの大きな大司教様になるとか、枢機卿様になるとか、あるいはそういうような出世コースでした。しかし聖ドミニコはあまりそういう事には興味がなくて、むしろこのような地位が与えられたという事は、ますます自分が他の人に奉仕しなければならないという事で、ますますその責任があるという事で、より多く他の人々の救霊の為に尽くしました。

そのような聖ドミニコの態度を見て、オスマ司教区の司教様だったディエゴ司教様は、特に聖ドミニコを選んで、その当時スペインのカスティリア王国の王様によって任された使命を、聖ドミニコと2人で一緒にやろうと、ミッションの旅に出ます、外交の旅に出ます。旅をしながらディエゴ司教と聖ドミニコは色々観察して、そしてヨーロッパの教会が受けている弱点などを見ました。2つありました、当時。

1つは、特にヨーロッパの北の方では、ノルウェーとかデンマークとか北欧の方では、まだキリスト教が十分に伝わっていない、まだキリストを知らない多くの人々がいる、という事に気が付きました。

もう1つは、特にフランスの南部では異端説が多く広がっていて、そこでキリスト教を離れている、離れつつある人が、信仰から遠ざかっている人が、ますます増えつつある、異端説に惑わされている人々が多くいる、という事に気が付きました。

何とかしなければならない、という事を2人で話し合って、2人でその王様のミッションが終わった後に、ローマに行って教皇様に話をします、「何とかしなければならない。」すると教皇様は、「まずキリスト教のその異端を、まだ芽生えている所から、その芽を取らなければならない。真理を教えなければならない。だから」と言って聖ドミニコに、特に南フランスに行って、アルビ地方に行って、そこにいたカタリ派というアルビ派の異端に説教をお願いしました。聖ドミニコは教皇様の命に従って、フランスに行って、異端に対して説教をします。

これはどういう異端かというと、「二元論」という説を取っていた人でした。二元論というのはどういう事かというと、「善と悪の2つの神様がいる。2つがあって、それが戦っているのだけれども、悪は非常に強い。」そこで、「物体が全て悪である。霊が善であって、物体は全て悪だ」というものです。

これはどこが間違っているかというと、「天主様は霊も物体も全て創った方であって、天主は最高の善であって、悪の神というのは無い」というカトリックの教えとは違っているからです。このアルビ派の異端によると、「物体は全て悪だから、物質に関わるものは全て悪だ」と言います。これはですから、「肉体に関わる事は全て悪だ。ご飯を食べる事も悪だ。結婚をする事も悪だ。子供を産むのも悪だ。イエズス様が人となったのも悪だ。だからイエズス様が人となったのではない。」あるいは、「秘跡は水で授けるけれども、例えば洗礼を水で授ける、あるいは堅振は聖香油でオリーブの油で、あるいは御聖体はパンで。しかしこういう物質は皆悪だから秘跡は間違っている。」あるいは、「イエズス様は復活したと言うけれども、肉体というのは悪だから、復活はない」等と、キリスト教の教えをひとつひとつ否定していきます、拒否していきます。

すると、非常に単純な教えなので、「あぁ、物質は悪だ。」「あぁ、確かにお金があると悪に染まるし、お酒を飲むと酔っ払うし、食べ過ぎると悪だ」と非常に単純な教えなので、人々はコロリと騙されて、アルビ派の方に行ってしまいました。

聖ドミニコはこれを何とかして、「そうではない」と説明するのです。聖ドミニコが一生懸命説教しても、人々はあまり聖ドミニコの話に関心を示しませんでした。涙ながらにマリア様にお願いすると、マリア様は聖ドミニコにロザリオを与えます、「これをお祈りしてから、説教をしなさい。」

ロザリオをお祈りしてから人々に説教をすると、人々は、「確かにドミニコの言う通りだ」とカトリックに戻ってきました。

そして聖ドミニコはロザリオと、また自分の苦行の生活、清貧の生活、貞潔の生活を以て、人々に模範を示しました。「確かにアルビ派は、『物質が悪い』と言って清貧の生活をしているように見えるけれども、実は陰で、『物質が悪だ』と言いながらも、しかし、しかし陰では食べているじゃないか。本当のやり方は、私たちがキリストに倣うやり方だ」と、聖ドミニコは模範を見せながら説教をしました。

聖ドミニコはこの特に、キリスト教から離れつつあった異端説に対して正しい教えを教えながらキリスト教を強化していきましたが、その聖ドミニコの弟子たちはヨーロッパの国境の方に行って、そしてまだキリスト教を知らない多くの人々に伝えました。

⑵ 特に聖ドミニコが強調したのは2つでした。
「キリスト教を正しく伝える為に、私たちは正しい神学を深く学ばなければならない。」そこで当時、聖職者たちは大学で勉強をするという事とかにあまり関心を持たなかったですけれども、聖ドミニコは、「良い学校で、良い神学を、良い先生の元で学ぶべきだ」と、そして弟子たちに深く神学を学ぶ事を教えました。
それと同時に、聖母マリア様に対する祈りを教えました。祈りの生活を教えました。観想の生活を教えました。黙想の生活を教えました。

そこで聖ドミニコは、ドミニコ会をトゥルーズという所で創ります。トゥルーズではドミニコ会のモットーとして、「観想した、黙想したその内容を、隣人に伝える」“Contemplata aliis tradere”というのをモットーとしました。「天主とのお話、会話をして、その内容を隣人に伝える。」「天主の愛の火を隣人に伝えるという事です。」これは初土の信心、まさにその通りです。

このようにして聖ドミニコは、自分の弟子たちを世界中に送って、私たちがイエズス様との対話の、黙想の内容を他の人たちに伝える事をしましたが、その為に、「更にそれを効果的にする為に、何かが必要だ」という事で、特に「多くの女性の方が修道生活をするように」と勧め、そしてこの修道女たちが一生を、黙想とイエズス様との対話とお祈りの生活をする事によって、その霊的な力によって、世界中にいる宣教師たちを祈りで支える、という事の必要性を強調しました。

これはルフェーブル大司教様も強調していた事でした。神学校を世界中に建てる時には、「神学校を支える為に、カルメル会の観想の修道会が必要だ」という事で、世界中に聖ピオ十世会の神学校は6校ありますが、世界中にカルメル会も6箇所修道院を作って、そして司祭たちの為にお祈りをするようにお願いしています。

⑶ 聖ドミニコは私たちに2つの事を教えています、「天主への愛と天主の栄光を求める愛」と、「隣人を救うという愛」です。

初土の信心も、ファチマのマリア様も同じ事を仰っています、「イエズス・キリスト、その天主があまりにも罪によって悲しんでおられるので、それをお慰めする事。」特にこれは聖フランシスコ、ファチマの聖フランシスコが特にやっていた事でした。「それと同時に、地獄に落ちつつある霊魂を救う。」これもファチマのジャシンタ、聖ジャシンタが一生懸命関心を持ってやっていた事でした。

これをどのようにやるかと言うと、マリア様は、「毎日ロザリオを唱える事によってしなさい」と教えています。ですからこの事を思うと、聖ドミニコの人生とファチマのマリア様の教えがピッタリと重なって、カトリックの教えが、私たちに、時代も場所も超えて同じである、という事を示しているように思われます。

ですから今日私たちは、聖ドミニコのお取り次ぎによって、ますます初土の信心を深めていく事に致しましょう。罪を償う為に、マリア様に対して犯される罪を償う為に、御聖体拝領をなさって下さい。皆さん既に告解をなさいました、今日あるいは昨日なさいました。ロザリオも今朝唱えました。ですから今日はロザリオの玄義を黙想するだけです。聖ドミニコに、私たちの信心をますます深めて下さるようにお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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