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「助産婦の手記」33章 「賜暇(かし)のお土産」

2020年08月26日 | プロライフ
「助産婦の手記」

33章

今や私たちは、もう数ヶ月以来、世界戦争の真只中に立っている。誰かが予感したよりも早く、戦争という宿命がやって来た。あんなにたびたび人の言った、あの愚かな無思慮な言葉が、その怪物の鎖を解いてやったかのように。今やそれは、四方の国境で荒れ狂い、不幸と腐敗とをヨーロッパ中に吐き出した。

作物が取り入れを待っている八月一日に、農民は大鎌を片づけた。労働者は、工場から流れ出た。その工場では、すべての車輪が停ってしまった。祖国を防衛することが、死活問題であった! 心の一致が、たちまちにして老若、貧富、上下の間に作られた。こういうことは、以前には誰も経験したことはなかった。切迫した共通の危険が、種々の対立を解消して、人心を一つにしたのであった。

工場の女工たちは、百姓の女たちと一緒に田畑に出て、正直に陰日向なく、全力を尽くして収穫物を運び入れ、 田畑を耕やす手伝いをした。そのお礼として彼女たちは、その農場から取れたパンと馬鈴薯、粉と卵をもらった。貨幣は、田舎ではますます少なくなって行った。しかし、農業を手伝った女たちは、毎日のパンを持ち合わしていたので、それを買うお金を必要としなかったことは、彼女たちに取っては、また愉快なことであった。

数ヶ月後には、様相が変わって来た。これまでの前線における進軍が、不幸な陣地戦に移り変わった。戦争は直ちに終るだろうとの希望は、消え失せた。人々は、長期戦に備えはじめた。工場は、操業を再開した。セメント工場ですら、経営を開始した。軍隊の需要を満たすことが肝要であった。全馬力を出して、生産が行われた。ただ手さえ持っているものは、工場へ行かねばならなかった。婦人や、また殆んど学校を出たか出ないような児童が、出征の父親の後を受け継いで働いた。捕虜になったロシア人が、一部分は農業へ、一部分は石坑とセメント工場へ投入された。

種々な社会問題が続出して、殆んど私たちの手におえなかった。すでによほど以前から出来ていた幼稚園に、なお一つ秣槽(まぐさおけ)が置かれて、母親たちは、赤児をその中に一日中、入れておくことができた。それゆえ私は、監督せねばならぬ仕事が沢山あった。数名の上流婦人、すなわち工場支配人の奧さん、医者の奥さん、ヨゼフィン、その他の方々は、非常によく助けて下さった。私たちは、指導を分担した。私が職務上、差支えのある場合には、妹が私の代理を勤めねばならなかった。

それから、さらにスープを作る仕事が増えたが、それは、工場通いの母親や赤ちゃんに、お昼には少なくとも温かいスープを与えるためであった。彼女たちは、自分でそれを作る時間がなかった。最初の年には、出産が比較的多かった。そこで私は、そのために、いかに婦人たちが、すでにしばしば健康が衰えて来ているかということを知った。そして、このことが、スープを作るきっかけを与えたのであり、その指導は、ベルトルー夫人に委任された。

このようにして、 次第にすべてのものは、 持久状態へ移行しているように見えた。軍人の奥さんは、今や扶助料をもらった。彼女たちの大多数は、その上にさらに、自分でも稼いだ。それゆえ、この意味における困難は、当時はまだなかった。しかし、十人の赤ちゃんが、すでに戦争の第一年目に、父なし児として生れた――この村だけでも。

ある日、ウイレ先生が私をお呼びになった。『リスベートさん、一緒に行って、ロート奥さんのために、「賜暇のお土産」【註、賜った休暇のとき出来た子供の意味】 をほどく手伝いをしてあげて下さい。』と。ロート奥さんは、結婚してから十三年間も子供がなかったのであるから、もう赤ちゃんを得ようという希望は一切捨てていた。彼女は、すでに四十の始めになっていた。ところが、不思議にも――彼女の夫が賜暇で帰って来てから、本当に妊娠した。それは、あたかも自然が、戦争による人間の生命の損失を再び補おうと考えているかのように思われた。こんな例外は、戦争では到るところで現われる。私の同僚は誰でも、そのことを知っている。ロート奥さんは、自分の年では、もはやうまくお産ができぬのではないかと非常に心配している。そこで奥さんは、早速医者を呼びにやった。しかし、それは全く正常なお産であった。そして、その年を取ってからの子供についての母親の喜びは、筆紙に尽くされぬほどであった。
『私は、今はもう、この世に独りぼっちではないんです。私のヘルマンに万一のことがあっても、この子供が私のそばにいるんです。リスベートさん、もしあなたが、誰か貧しい母親をお知りでもしたら、私は喜んで、もう一人ぐらいの赤ちゃんの面倒は一緒に見てやりましょう。』ロート家は金持だから、そんなことはもちろん出来るわけだった。それゆえ、私も喜んで、その申し出を二度とは繰り返えして言わせなかった。貧しい母親に何か親切なことをしてもらえるというのに、どんな助産婦が、そのために当惑すると いうようなことがあるだろうか? 本当に、もし、そういう助産婦があったら、その人は自分の職業を正しく理解していないのだ!
『それは全く有難いことです。何週間も前から、私はどうすればブレーム奥さんを助けて上げることができるか、考えていたんです。』
『あの仕方屋の、あの肺労【肺結核の旧称】の? もうまた、そうなんですか?』
『そうです、ロート奥さん、もうまたなんです。あのうちの事情は悪いんです。いつかのヘルツォーグさんの場合よりも、もっと悪いんです。九ヶ月毎に一人の赤ちゃん。しかも、お上さんは、今では旦那さんと殆んど同じように相当弱っています。そしてお上さんは、確かに肺労じゃありませんが、しかし食べるものが丸っきりないんです。お上さんは、十分に稼ぐことができません。稼げるのは、いつも僅か二三ヶ月だけです。旦那さんは、一本立ちの親方ですが、現金もなければ、保険にもかかっていません。そしてお役所も、もう何もしてくれません。というのは、この場合は、絶望だからです……親方は、数年前から、もう一針も縫っていないからです。』
『旦那さんは、体力もなくなっているんだと思います。でも確かに、もう少しは働けるんでしょうがね。』
『しかし、誰でも、その親方に仕事をさせると、病気がうつりはしないかと心配するんです。』
『そういう人たちが、もう子供を作らないというぐらい、理性的であればいいんですがねぇ……』
『そのことは、私も前に考えて、繰り返しブレーム奥さんと話したんです。お上さんは、旦那さんを非常に愛しています。旦那さんの健康も、以前には全く普通だったのです。ただ結婚してから、早くも約二年後に病気になったのです。しかし今でも奥さんは言っています。「あの人は、私の夫です。そして私は、あの人と一緒にその十字架を背負わねばなりません。そのような病人は、夫婦愛を特別に必要とするんです。そのことは、私、よく知っています。そして私は、あの人がどんなにその病気で苦しんでいるかということ、そして非常に弱っているため、自分で容態を変える力がなくなっているということを每日見ているんです。」と。』

そこで、ロート奥さんは、非常に考え深そうに言った。『私だって、もしもそんな事情だったら、主人を拒むことはできないでしょう。その時には、私も主人の妻でなければならぬでしょう。人妻というものは、そういうとき、夫をつれなく拒み切れないものです。そんなときには、妻はいつも譲步するのでしょう。というのは、妻は夫を愛しており、そして夫の病気をとても気の毒に感じるからです。』
『もし人がそのことを話すと、ブレーム奥さんの眼には、すぐ涙が浮ぶのです。「私は村中の人々が私のことを嘲っているのを知っています。何だってあの夫婦は、あんなに子沢山なんだろうって! しかし、私はいつもこう考えねばならないのです。いま私の夫は、あの通りの病人です。どのくらい生き長らえるものか、誰が知りましょう。もし死んでしまうと、私が夫と仲を好くしなかった月日と、一つ一つのつれなかった言葉が、私を後悔させるでしょう。そうすると、私は主人が死んだ後でも、自分自身を責めねばならぬのです。」と。』
『リスベートさん、なるほど今よくそれが判ました。ねえ、私はこう考えるのです。私のヘルマンは、あす帰って来ますが、間もなく再び戦争へ出かけねばならぬでしょう、多分永久に。ですから、私は、あの人のしたいと思うことは、何でもやらせたいと思うのです……』
『今、あの可哀想なお上さんは、五番目の子供が生れるんです。十ヶ月每にまさに一人の割です。どれもみな惨めな子供です。風が吹けば、倒れます。それなのに、この村では、誰もあのお上さんのために、何かしてやろうとはしないんです。』
『でも、あの方は、盗みをしちゃいけなかったんですね……そのことが、みんなを非常に怒らせたんです。』
『ロート奥さん、私はその盗みを確かに弁護はしません。でも、何を盗んだというのでしょうか! 一度、畑から馬鈴薯を一籠ぬすんだだけです。それもある日、子供たちに食べものを全く与えることができず、しかもどこへ行っても、一塊(ひとかたまり)のパンさえ、掛け【代金後払いで商品を買うこと】で手に入れることができなかったからです。もし、この村の誰かほかの女が、そんなに貧しく暮しているとしたら、その人も豊富に食物を持っている人のところから、盗まないかどうかを、私は見たいのです……
二度目は、こうなんです。あのお上さんは、ほかの人たちと同様に、赤ちゃんを、さっぱりした身なりで、種痘へ連れて行けるように、よその生垣から、二三枚のおしめと子供用の上衣を取ったのでしたが、帰宅したら、それを洗って、またそこへ掛けて置こうと思っていたのでした……
ところが、お上さんは、間の悪いことには、飛んでもない人に当たったのでした。あの太った指物師のお上さんですが、あの人ったら、かみそり研ぎ師のようなうるさい口を持っていて、その仕立屋のお上さんを村中追い廻し、そしてその後ろから、大声でわめき立てたんです……
そして三度目には、お上さんは病気の赤ちゃんのために茶を沸かし、そして一番小っちゃいのに、ミルクを温めてやろうと思って、木切れを二三本、取ったのでした。このような事柄が、私たちの間から起らねばならぬということは、キリスト信者団体にとって一つの恥ですね。』
『リスベートさん、すぐ出かけて、あのお上さんを見てあげて下さい。もし、ある人たちは非常にいい境遇にいて、赤ちゃんをレースやリボンの中に包みこんでいるのに、ほかの母親は、赤ちゃんを飢え死にさせないために、盗みに行かねばならないということを、考えねばならないとすると、私は今夜眠ることができないでしよう。私の妹に言いつけて、色んな物を入れた籠を一つ、あなたのところへ送らせましよう。』
『私は、あのお上さんがそんなに困っていることを知ってからは、いつもよく見守っています。あの憐れな女が、誤った考えを抱かないように。現に、きょうも、あるお節介な忠告者が、こう言っていましたよ。「赤児をおろしてもらいなさい、 あんたは子供を育てることはできないんだ、そんなことは、お金持の奧さんのすることだよ」、と……

そして別の忠告者が来て、こう言っていました。「もし御亭主が健康に注意しようとしないなら、あんたの方で用心しなさいよ」、と。』
『そんなことをしてはいけません。それは自然に反しますね。もし、このような事柄を明るみに出して、色んな詰らぬことをするようなことがあれば、多分私は、主人が厭になるでしょう……夫婦が正しい愛のうちに、ぴったりと一体になるということは、自然に生じるものでなければなりません――もっとも、私たちはもともと、それがどういうようにしてかは、自分では知らないんですが……』
『ブレーム奥さんも、そう感じているんです。あの人は、一度私にこう言いました。「私は、夫に対して身を守らねばならないなんて、言うことはできません。なぜなら、私は夫を愛すればこそ、夫のために喜んで、それをするのだからです。それは、夫の方からの強制ではありません。私は、夫のために存在しているんです――そして私は、神かけて、それとは違ったことはできません」……』
『自分自身に対して、そんなに誠実な婦人、しかも真理から生じるいろいろの結果を自分で引き受ける婦人に対しては、私は心からの敬意を捧げます。何百というほかの女たちは、自分自身の良心を欺くことになってしまうのでしょう……』
『ただ、あのお上さんも、困難があまり大きいと、気が変になるのです。五人の子供は、食べるものが何もありません。あの人は、もはや、おむつも肌着ないんです。それなのに、いま六番目の子供が生れようとしているんです……そして、それが生れるとすぐ、多分、七番目のが出来るでしょう。四人食べているところでは、また五人食べられるとは、うまく言ったものです。そうです。しかし、五人飢えているところでは、六番目のものが、よりよい扱いを受けるということは、確かにありませんね。子供を、いきなり飢えの中へ、全くの不幸の中へ生み落すということは、母親にとって、恐ろしくつらいものです。そういう時には、母親が何事かを仕出かしても、怪しむには足りないでしょう……』
『なぜまた、天主様は、そんな場合に助けて下さらないのでしょうか?』
『それは、困難なときに、人間が人間を助けねばならないように、天主様は兄弟愛を御命じになったからです。この村の誰かが、そんなに貧乏のために苦しむということは、やむを得ないことなんでしょうか? しかも、あのお上さんだけが助けを要するただ一人の母親ではないんです……』
『私は、あの人が、ほかの人からは、何も貰おうとしないということを、人から聞いたことがあるんです。そうでなければ、私はもっと早くあの人をたずねたことでしょう。』
『問題は、 どういう風にして助けるかということです。もしも、こう言ったとしたら、どうでしょう。お前は実に憐れむべきものだから、私はお前を助けることにしてやろう――そして、そのことを後で、村中に吹聴しよう、と――すると、ロート奥さん、御存知のように、誰もそんなことを喜びはしませんね! そうではなくて、もしあなたが、いま生れる赤ちゃんの代母とおなりになったなら、あなたは、いつでもその赤ちゃんのところへ行って、いつでもあなたの好きなだけ、そして出来るかぎり、沢山の贈物をすることができるでしょう。代母というものは、親と共同して子供を養育する権利と義務とを当然持つものです。そして、代母がそうすることは、誰も悪く取ることはないし、むしろ人は、そうすることを代母に期待するのです。私たちカトリック信者が、他人の感情を損うことなしに、彼らを助けることの出来るこの方法を用いることが非常に少ないということは、ほんとに遺憾なことです! 私は、このことを、どうもよく了解することができませんでした。』
『全く、それはほんとですね!』
『私は、代母になってやった子供が二人います。そして私の妹も、そうしました。それくらいのことは、私たちにもできます。しかし、もしもそういう子供があまり多くなると、もう適当に助けることができなくなってしまいます。』
ロート奥さんの『賜暇のお土産』は、仕立屋のお上さんだけでなく、きょうまでに、さらにほかの二人の母親にとっても幸いとなった。ほかの多くの奥さんたちは――未婚の職業婦人もまた――この方法によって、自分が愛し、保護し、世話をする何ものかを、というのは、自分の子供に代るものを、つまり自分の生活のための正しい内容を、自ら作ったのであった。




【再掲】 2018年8月12日主日説教 「イエズス様は良きサマリア人である」

2020年08月26日 | お説教・霊的講話
2018年8月12日(主日)イエズスの聖心小黙想会
聖霊降臨後第12主日のミサ

小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年8月12日、聖霊降臨後第12主日のミサをしています。

15日の、聖母の被昇天の為の聖歌の練習も計画
“Homo quidam descendebat ab Jerusalem in Jericho.”
「ある人が、エルサレムからイエリコに下って行った。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日イエズス様が、「私たちにとって隣人とは誰か」という事を教える為に、例えの話をします。「エルサレムから、聖なる街、天主ヤーウェの神殿のある街、ユダヤ教の中心地エルサレムから、娼婦で有名なイエリコまで、ある人が下って行った。」

このエルサレムとイエリコの間は、聖書学者によると、37kmあるそうです。そしてエルサレムは聖なる山の上にあったので、イエリコまではずっとほぼ下り坂で、1000mの高さの違いがありました。

この人は簡単な下り坂をトボトボと歩いて行きました。現代でも、つい最近までは今でも、警察、あるいは駐屯所があったにもかかわらず、警備していた人がいたにもかかわらず、非常に強盗や盗賊、追い剥ぎなどで有名だったところです。

この寂しい道を、この人は通っている間に、やはり強盗に追い剥ぎに遭って、暴力を受けました。

殴られ、叩かれ、身ぐるみを剥がされて、そして持ち物を全部奪われ、傷付き、血だらけになって、半死半生になって、ぐったりと道に倒れて、息絶え絶えに助けを待っていました。

そのままほっぽらかされていて、この男はきっと入祭誦の始めにあったように、「天主よ、早く我が救いに来たり給え。早く助けに来たり給え。とく助けに来たり給え」と心の中で祈っていた事でしょう。

祈りが通じました。このかわいそうな人、この人の近くを、司祭が通ったのです。旧約の司祭です。おそらく神殿での務めを終えた事でしょう。エルサレムからイエリコの方へと歩いて行きます。「あぁ、司祭が来た!」声も出せずにその方を見ていると、司祭はこの人を見て、そのまま通り過ぎました。うめき声をあげて、「助けて下さい」と言っていたかもしれません。司祭は手ぶらで何もする事ができなかったのかもしれません。声すらもかけませんでした。横目でチラリと見て、通り過ぎました。ラテン語によると、“praeterivit.”「横を去って行った。」

「主よ、早く助けて下さい。」“Deus, in adjutorium meum intende. Domine, ad adjuvandum me festina.”何度お祈りした事でしょうか、「助けて下さい。あぁ、来たり給え。」

すると、レビ人がレビ族の人が、ユダヤ人がやって来ます。「あぁ!来た来た来た!」レビ族も特別に天主から選ばれた、神殿に仕える者です。「あぁ!」

「主を、全てを越えて、心を尽くし、力を尽くし、精神を尽くし、愛せよ」という掟を知っているはずの男のはずです。しかしこの彼を見ると、そのまま通り過ぎて行きます。“pertransiit.”「そのまま通過した。」

同胞の聖なる人々から見捨てられた、このかわいそうなユダヤ人。息絶え絶えに、「ハァ、ハァ、もうこのまま、ここで息尽きるのか」と思っていると、そこによそ者がやって来ます。サマリア人で、ユダヤ人からは憎まれていて、呪われた人々、破門された人です。

この人はきっとお金持ちだったのかもしれません。歩いていたのではなくて、動物、家畜を持って、それに荷物を運んでいたらしいのです。そしてブドウ酒や、旅行用の油も持っていました。この彼が来るのを見ると、「あぁ、この人また通っちゃうのかな。ユダヤ人ではないな。サマリア人のようだ。この帽子のかぶり方から、服から、ユダヤ人じゃないな。これはダメだ。」

すると、サマリア人はその様子を見て、半死半生のこの傷だらけのぐったりした人を見て、近寄って、そして哀れに思って、「大丈夫か」と声をかけました。「ハァ、ハァ、はい…はい…。」

そしてこの傷にブドウ酒を注いで、ドクドクと注いで洗って、そして油も塗って、早くこの油の染み通って、早く傷が治るように、そして息絶え絶えのこの男をきれいにしてから、今度は抱きかかえて、自分のその持っていたこの家畜の上に乗せて、それから近くの旅籠屋(はたごや)、宿屋まで連れて行くのです。

そして宿屋に一緒に泊まって、この男を看病します。「大丈夫か。」「ご飯を食べろ。」「さぁ、このきれいな布団で寝ろ。」

翌日、この男は行かなければなりません、このサマリア人は行かなければなりません。「あぁ、あなたの名前は何ですか?どうしてこの私の、ユダヤの私に、あなたはそんなに親切をしてくれるのですか?」

このサマリア人は旅館の主人にお願いして、「ここにお金があるから、2デナリオ、(1デナリオは1日の給料、肉体労働の値でした。それを2デナリオ与えて)、これをやるから、どうぞこの男を看病してほしい。面倒を見てほしい。もしも足りなかったら、十分なはずだけれども、足りなかったら、また用事が終わって帰ってくる時にもっと払う。」それを見て旅館の主人は非常に喜んで、「あぁ、分かりました!」と言ったに違いありません。

イエズス様はこの例えを聞かせて、一体、私たちにとって隣人は誰かというと、もちろんこの憐れみを下した人が私たちの隣人です。確かに、同胞、同じ血を持つ者としては、司祭、あるいはレビ人が最も隣人であったかもしれません。しかし本質を知っていた彼は、「憐れみを施した者がそうだ」と言います。

今日、ではこの例えが私たちに語っている事は何でしょうか?

この聖なる街エルサレムからイエリコに下って、簡単な下り道を下りて行った人は、私たちです。私たち一人ひとりでした。この薄暗い、誰も人通りのないような寂しい道を、トボトボと簡単に下って行く間に、私たちは敵に襲われました。この世と、悪魔と、肉欲でした。

そして私たちも、このかわいそうなユダヤ人のように、敵に、三重の敵に襲われて、身ぐるみを剥がれ、天主から受けた全ての超自然の恵みも、聖寵の御恵みを奪われて、傷付き、罪と誘惑の傷を受けて、血もダラダラになって、傷を受けて、もう一人で立ち上がる事ができないほど半死半生の身で、このままほっぽらかされて、そのまま永遠の死を迎えなければならない、地獄の火で焼かれるべき者でありました。

私たちもお祈りをしました、「あぁ、このまま死んでしまうのか。このまま息絶え絶えに、もうそのままどうしようもないのか。誰か救いの手は差し伸べられないのか。」

旧約の教えは力がありませんでした。旧約の司祭は、たとえモーゼのような者であったとしても、その栄光に満ちた者であったとしても、石に書かれた文字の宗教では、私たちを生かす事はできませんでした。私たちはただその律法の重さと厳しさに、罪に定められ、裁かれるだけでした。レビ族も何もできません。

しかし、天から良きサマリア人、イエズス・キリストが来られました。私たち、罪を負っている、罪によって傷付いて、半死半生の私たちを探して来られました。イエズスの聖心は来られました。私たちを癒す為に、私たちを聖とする為に、私たちに命を与える為に、私たちに赦しを与える為に、私たちの無知を照らす為に、教える為に、探して来られました。

そして御自分の御血を、ブドウ酒のようにドクドクと流して、きれいに洗ってくれます。そして御自分の聖霊を、油のように染み通らせて、私たちを力強めてくれます、養ってくれます。私たち一人ではとても動く事ができない、体中が痛く、足もぎこちなく、頭もふらふらしている私たちを抱きかかえて、ちょうど迷子の子羊を良き牧者が肩に担いで運んでくれるように、傷付いた私たちを抱きかかえて、イエズスの聖心は、宿屋まで運んでくれます。

この「宿屋」というのは、御自分が立てた「聖なるカトリック教会」です。そしてこのカトリック教会の主人に、聖職者たちに、司祭たちに委ねます、「この罪人を彼を世話をしてほしい。さぁ、ここにデナリオがある、秘跡がある、ここに教えがある。これを使って、彼の世話をしなさい。また私がもう一度戻った時には、報いを与えよう。」

この「デナリオ」というのは、「イエズス様の十字架の死によって勝ち得た贖い」でした。私たちに命を与えるそのお金でした。その功徳でした。

私たちは、今日福音で語られたこの傷付いたユダヤ人です。しかし、傷付いて道で息絶え絶えに救いを待っていたユダヤ人ですが、良きサマリア人、イエズス・キリストに出会って、救われて、教会の中に運ばれた、このユダヤ人です。そしてイエズス様からワイン、ブドウ酒と油を塗ってもらった、この介抱されたユダヤ人です。良きサマリア人に出会ったユダヤ人です。

今日、ミサ聖祭だ、それと同じ事が起こっています。イエズス様は私たちを、御自分の旅籠屋に旅館に連れて来ました、「この彼の世話を、このデナリオでこの世話をしなさい。十字架の贖いであるミサの効果を以て、御聖体を以て、御血を以て、この世話をしなさい。聖霊の油を以て、この霊魂の世話をしなさい」と教会に委ねています。

皆さんが今日御聖体を拝領する時には、教会はこう歌います、「主よ、御身の御業の実りは、この地上、大地を満足させる。御身は力、この大地からパンを導き出し、そしてブドウ酒は人の心を喜ばせる。」

私たちも、ブドウ酒を御聖体を受けるので、心は御聖体拝領の時に喜びます。そして「油において、私たちのその顔は喜ぶ。パンは人の心を強める。」私たちもこの御聖体拝領する時に、看病を受けたサマリア人のように喜び、心は強められ、主に満たされる、満足します。

これが今日私たちの、福音の事が私たちに今日起こる事です。

典礼学者によると、「サマリア人が連れて行った、良きサマリア人イエズス様が連れて行ったこの旅籠屋、旅館とは、カトリック教会の事であって、そして良きサマリア人が注ぐ油とワインは、御聖体の事であって、聖霊の御恵みの事である」と言います。

「更に、書簡を通してこの福音を見る事によって、書簡と奉献誦を比べてみる事によって、実は旧約の時代の司祭たちは、無力のあまりに通って行ったけれども、それでもこの司祭職は栄光あるものであった。なぜかというと、モーゼが十戒を、石に刻まれた十戒を受け取る時に、天主とその顔と顔を合わせて話を対話をしていた。それなので、その顔は、その天主と対話したそのモーゼの顔はあまりにも輝いていて、イスラエルの人たちはモーゼの顔を見る事ができなかった、直視する事ができなかったので、モーゼは自分の顔の前にベールを被らなければならかった。それほどモーゼの、旧約の時代の司祭職でさえも栄光に満ちたものだった。」

モーゼがせっかく十戒を持って地上に帰っても、イスラエルの子らは偶像を作って、天主以外のものを崇拝していました、礼拝していました。そこでモーゼは非常に怒って、十戒を粉々に、石を粉々にして、また天主に行きます。そして何とか彼らの為に取り次ぎを願います。すると天主はその怒りを宥めて、モーゼの言う事を聞きます。モーゼの言う通りにします。

「たとえ力の無い旧約の職務でさえも、これほど力があって栄光に満ちているものであるならば、新約の本物のモーゼ、イエズス・キリストの栄光とその聖務は、どれほど力があり、どれほどの栄光に満ちたものであるのか。良きサマリア人イエズス・キリストはどれほど力に満ちているものか、という事を教えようとしている」と言います。

ところで典礼学者は、「私たちはモーゼよりも更に恵まれている。モーゼでさえ、旧約の王でさえダヴィドでさえ見る事ができなかった、聞く事ができなかったものを、私たちが見る事ができ、聞く事ができるから。」「なぜかというと、私たちはミサの時に、イエズス様を見て、イエズス様を拝領して、イエズス様とお話をする事ができるから。愛の対話をする事ができるから。」ですから、「私たちの顔はモーゼ以上に輝かなければならないのではないか。」

聖体拝領誦でも言います、「油において、私たちの顔は喜びに輝く」と。

ミサの時にイエズス様と親しく一致して、会話のできる私たちは、何と幸いな事でしょうか。

モーゼがこの旧約の人たちをイスラエル人たちの為に取り次いで下さったように、良きサマリア人であるイエズス・キリスト、新約の本物のモーゼはイエズス・キリストは、私たちの為に更に取り次いで下さいます。

これが、イエズス様の聖心の愛であって、私たちに注がれる、溢れるばかりの愛情です。どうぞ良きサマリア人の愛を感じ取って下さい。この中に深く入って下さい。

この話を黙想している中に、少し私も個人的に考えた事があります。

もう長くなるので、本当はもうこの私の勝手に考えた事は言わないようにしようかな、とも思うのですけれども、1分間、話を続けます。

確かに旧約の、確かに傷を受けたユダヤ人が、この話は愛徳の話と、天主に対する愛の話と、そして旧約と新約のその違い、新約の優位さ、優位性について私たちに教えるものです。

しかし21世紀の日本に生きる私たちにとって、何んで、なぜこの司祭たちは傷付いた人を、この同胞の、同じユダヤ人を見て見ぬふりをして通り過ぎてしまったのだろうか?と思いました。

一体、別の仕事があったのだろうか?仕事が終わったから、もう早く家に帰って休みたいと思ったのだろうか?それとも無関心だったのだろうか?「関係ねぇよ」と思ったのだろうか?でも同じ、同じユダヤ人なのに?「これはお医者さんの仕事であって、司祭の仕事じゃないから」と思ったのだろうか?あるいは見るからに身ぐるみ剥がれて、手伝ってやってもお金も持ってなさそうだし、お礼もする事もできないし、そのまま「儲からないよ」と思ったのだろうか?「面倒くさい」と思ったのだろうか?一体何だろうか?と思いました。

この傷付いた人は私たちですけれども、どのようなもので傷付いたのだろうか。

罪を負っていて、この「罪の重荷に、傷を早く癒やしたい」と思っている私たちです。ですから「告解をしたい」と思って、「罪の、告解の秘跡を受けたい」と思っている人たちなのかもしれません。しかし「告解を聞いて下さい」と言っても、もしかしたら聞いてくれる人はいなかったのかもしれません。

あるいは、イエズス様についての、天主についての真理にあまりにも無知で、息絶え絶えだったのかもしれません。しかし公教要理について教えてくれる人がいなかったのかもしれません。

あるいは、この世俗の考えに惑わされたり、あるいは肉欲に引かされて家庭がボロボロになっていったり、苦しんでいたりする人なのかもしれません。

しかし、イエズス様のカトリックの教えを本当は聞きたくて、知りたくて、御恵みを受けたかったのですけれども、それを本当に受けるべき人から、受ける事ができなかった霊魂たちの事も表しているのかもしれません。

イエズス様はこの例えの時に、福音書を読むと、こう質問されるのです、「永遠の命を受ける為には、どうしたら良いのですか?」
「永遠の命を受ける為には、何と書かれているのか?」
「はい、全ての力を尽くし、霊魂を尽くし、精神を尽くし、天主を愛する事。」

真の宗教というのは、天主への愛に基づいています。天主への愛に基づく、隣人への愛に基づいて教えています。カトリックの教えは、「人間と天主との愛の関係」を教える宗教です。

「天主が聖父であって、憐れみ深い聖父であって、私たちがその被造物であって、子供のように愛されている、聖父と親子の関係のように愛されている」という事を教える宗教です。

しかし、もしその超自然の、「天主が聖父である、天主が聖父であって、私たちを愛している」という聖心の神秘の中に深く入る事ができないと、もしかしたら宗教は、イエズス様の当時のユダヤ教のように、形式的で、外的で、見かけだけのものに成り下がってしまうかもしれません。

ですから「外見だけやってればそれが宗教だ。だから、一致のために、日本では、御聖体は手で立って拝領しなければならない。」「もしもそうしなければ、一致を乱す。」「もしもそうしなければ、教会から離れている。」
今の新しいミサの教会のようです。

でもカトリックの本当の真髄は、天主を全てに超えて愛して、心を尽くして、力を尽くして愛して、そしてこの私たちを子供として愛する父のような天主の愛、この親しい関係にあるのではないか。もしそのような時に、この天主を愛を込めて礼拝する時に、なぜ跪いてはいけないのか。もしもそのようであれば、もしもそのような天主への愛をもしも表してしまったとすると、呪われた者になります。破門された者になります。教会から離れた者になります。一致を乱す者に。

非常に外見的で、形式的で、もしかしたらファリサイ人のような態度になってしまうような危険があるのではないでしょうか。

でもこの罪に傷付いた私たち、イエズス様への命に、イエズス様への教えに渇く霊魂たち、また超自然の命を受けたくて、「救い主は来ないか、救いの手は来ないか」と待っていた私たちに、良きサマリア人がやって来ました。

この良きサマリア人は現代では、ルフェーブルと言われています。そしてちょうどこの良きサマリア人ルフェーブルは、傷付いた私たちの所にやって来て、そして油とブドウ酒を注いでくれます。

「ブドウ酒」は「聖伝のミサ」であって、「油」は「聖伝の堅振の秘跡」です。

ちょうどあと数日後に、デ・ガラレタ司教様が私たちに、良きサマリア人のように来られるというのも、ちょうどこの主日のミサが私たちに現実に起こりつつある、という事をイエズス様が準備して下さっているかのようです。

イエズス様の深い愛の中にますます入る事に致しましょう。イエズス様は私たちを決して見捨てたり、そのまま通り過ぎたりする事はありません。イエズス様の愛がますます理解できるように、マリア様にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




【再掲】あるサマリア人が、彼を見て憐れみを起こした。

2020年08月26日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年8月7日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年8月7日 聖霊降臨後第12主日
小野田神父説教

“Samaritanus autem quidam videns eum,misericordia motus est.”
「あるサマリア人は、彼を見て憐れみを起こした。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は有名なサマリア人の話です。
今日はサマリア人が一体、このイエズス様の例えで何を仰りたいとしたのか、このサマリア人の例えを教父たちは一体どのように解釈していたのかという事を見て、ではその教父たちの解釈を超えて何かそのサマリア人に似たような人物が今現代にいるのではないか、という事を見て、
第3にでは私たちは、イエズス様が最後に「行って同じようにしなさい」と仰ったのですから、サマリア人のようにするには、サマリア人を真似るにはどうしたら良いのだろうかという事を考えて、遷善の決心を立てる事に致しましょう。

ではこの今日の例えは、どういう機会にどういう事を言われたのでしょうか?これはある時に律法学士が、イエズス様を試みようと、「律法の中で一番重要なものは何ですか?」と聞くのです。するとイエズス様は、あまりにも公教要理のABCの最も基本的な質問なので、「お前は一体聖書の何を読んでいるのか。何と書かれているのか言ってみなさい」と言うと、
自分で答えて、「天主を心を尽くし、力を尽くし、精神を尽くして愛し、隣人を同じように愛する事です。」
「まさにその通りだ」と言われてしまい、何かあまりにも下らない質問をしたという事がばれてしまいました。そこで自分を何とか正当化しようとして、「私の聞きたかった事はそれではなくて、隣人とは一体誰かという事なんです」と言ったのです、「私の隣人とは一体誰ですか?」そして私の隣人とは誰か、という事にその答えをする為に、イエズス様はこのサマリア人の例えを出しました。でもイエズス様がその答えようとした時には、この律法学士の答えに直接その通りに答えるのではなくて、ちょっとだけ観点を変えて説明しました。それは律法学士でも「そうだ」とすぐ答える事ができる為でした。

エルサレムからエリコに旅をするある人が、これはユダヤ人なのかサマリア人なのかどこの国の人なのか、どんな宗教の人なのか分からないのです。ある人が強盗に奪われて、そして倒れて半死半生になって、身ぐるみ剥がされてしまった。そこを旧約の司祭が通るのです。何もする事なしに却ってそれを避けて通ってしまうのです。司祭よりもちょっと階級の下のレヴィ族の人がやって来るのです。やはり同じようにします。ところがユダヤ人とは全く関係のない、異邦人の異端の異教のサマリア人がやって来ると、この半死半生の犠牲者を、盗賊に遭った人に近付いて、きっと道すがら忙しかったと思います、何かビジネスをやっていたかもしれません。でもその事をほっぽらかしてその人に近付いて、憐れみを起こして、まず持っていたぶどう酒でその傷口を洗って、その傷口が早く治るようにオリーブオイルを塗って、そして自分の持っていた動物の上に乗せて、宿屋まで連れて行って、宿屋の主人に、「さぁお金をここにやるから、是非この病人を看病して欲しい。そしてあのもしもこれ以上お金が必要ならば、帰って来てまたここに来るからその時に借金を払う。さぁお願いする。」

そしてこの例えをした後で律法学士に、「ではこの3人の内に、一体この盗賊に遭った人にとって隣人として態度を見せたのは、隣人の態度を見せたのは、この怪我をした人にとって、半死半生した人にとって隣人であろうとしたのは一体誰か?」と言うと、律法学士は、「それは、憐れみを見せた人です」と言うのです。そしてイエズス様は、「その通り。お前も同じようにせよ」と言うのです。

この例えではイエズス様が、「私にとっての隣人は誰か」というのを、「傷を付いた、憐れみを必要とする人にとって、隣人として行動したのは誰か」という風な質問に変えたので、「ちょっと理解ができない」と思われる方も、「難しい」と思われる方もいるかもしれません。

しかしイエズス様はそれが、「憐れみを必要とする人が誰であれ、どの国籍の人であれ、肌の色が何であれ、どんな言葉を話すのであれ、その人を隣人として取り扱え」という事を仰ろうとしていました。これは律法学士にとっては革命的な事でした。律法学士にとってはユダヤ人にとっては、ユダヤ人はこれは隣人だけれども、まさか他の人にとっては隣人とは思えずに「敵ではないか」と思っていたからです。

教父たちはこれを大きく解釈しました。つまり、「どのような全てこの全人類、ユダヤ人のみならず全て全人類は実は、天の成聖の状態から悪へと傾いてしまった。そしてその為に悪魔によって成聖の状態を取られてしまった、半死半生の状態になってしまった。もう天国には行く事ができない罪人の状態になった。もう霊的には生きているのか死んでいるのか分からない状態である。そのそれを救う為には、ユダヤの旧約の教えは律法は全く用が立たなかった、レヴィ族も用が立たなかった、何もする事ができない。しかし天から降りて下さった天主の御言葉イエズス・キリストが私たちを憐れんで、これにぶどう酒を注ぎ、つまり御血、御自分の御血を流して罪を赦し、そして油を注いだ、オリーブ油を注いだ、つまり聖霊の御恵みを私に与えて下さった。そして私たちを御自分の肩に担いで、公教会に私たちの霊魂を委ねた。そして公教会にその霊魂を委ねながらも、『私が帰ったら、この霊魂をよく世話した報いを与えよう。』と仰った」と解釈しました。「良きサマリア人とは実はイエズス・キリストの事であって、私たちを霊的に死から生けるようにして下さった、憐れんで下さった方である」との解釈でした。

この教父たちの解釈を見ると、私はどうしても、聖ピオ十世会の創立者であるルフェーブル大司教様の事を思い出します。

何故かというとルフェーブル大司教様は、ローマで教皇様から選ばれて教皇使節としてアフリカに、教皇様の代理として仕事をして、多くの神学生たちを指導し、司祭を指導し、将来アフリカに備えて立つ司教様たちを選んで、そしてアフリカのカトリック教会の独立の為に、しっかりと白人たち無しに自分たちで進んでいく事ができるように基礎を築いた方でした。

もうお年を召して引退されて、聖霊修道会の総長をされて、もう実は何もしなくても悠々と暮らしていく事ができたにもかかわらず、ローマの家もあったし何も苦労する事もなく、心配する事なく生きていく事ができたにもかかわらず、神学生たちが司教様に、「神学校ではこんなおかしな事を勉強しています、神学校ではこんな事が起こっています、」という報告を聞いて、「是非司教様、なんとか私たちを助けて下さい。」或いは世界中の方々がルフェーブル大司教様に、「どうぞ良い司祭を送って下さい。私たちはもうミサが無くて半死半生です」と言う声を聞いて、もう老人であったにもかかわらず、その霊魂を助けようと神学校を創立し、聖ピオ十世会を創ったからです。

霊魂の管理の為に、霊魂の世話の為に、自分の名誉が傷つけられる、その世間体がどうなってしまうにもかかわらず、破門という汚名を外面的には着せられつつも、「何とかして霊魂を救いたい。教会の為になりたい」と命をかけて、名誉をかけて、全てを尽くして、霊魂の救いの事だけを考えてきたからです。ルフェーブル大司教様の姿と、良きサマリア人の姿が、私にはどうもこう一緒に重なってきます。

では、私たちの主イエズス様はこの例えの後に、「隣人とは誰か?つまりこの目の前にいる憐れみを必要としている人だ」という事を、「それが誰であっても、憐れみを必要としてる人がそうだ」という事を教えながら、「行って同じようにせよ」と言われました。ルフェーブル大司教様も同じようにしました。

では私たちは一体どのようにしたら良いのでしょうか?

2000年6月29日にローマは、「ファチマの第3の秘密」と呼ばれるものを公開しました。それによると、シスタールチアはあるビジョンを見たのです、そのビジョンの内容というのは、「教皇様のような白い服を着た司教様が、半分瓦解している、死体だらけの大きな街を歩んで行く」と言うのです。そして「司教様たち、神父様たち、修道者、男女の修道者、そして色んな身分の階級の色んな方々の、平信徒の男女の方々が居る。その方々が、一人一人、殺されていく、殉教していく。そして遂にはそのような死体を通って、屍を通って行って、遂には十字架の下に行くのです。その十字架の下で教皇様さえも、この白い服を着た司教様さえも銃殺されてしまって、そして二位の天使がその殉教者の血を集めて、天主様に近寄ろうとする霊魂の為に振りかけている」というビジョンがあります。

これがファチマの第3の秘密で、来年私たちはそのファチマの100周年を祝おうとしています。その他にも実はまだ公開されていないマリア様のお言葉というのがあると私には思えます。しかしそのビジョンによればそうです。

これはもしかしたら霊的な事を言っているのかもしれません。多くの霊魂たちが、司教様も、神父様たちも、修道者たちも、或いは男女の多くの信徒たちが、或いは多くの人たちが霊的にもしかしたら苦しんで、半死半生である、という霊的な状態をシスタールチアに見せたのかもしれません、幼きルチアに見せたのかもしれません。

或いは1週間前のジャック・アメル神父様の教会でミサをやっていた時に人質になって、そして殺害された、そのテロリストの事を考えると、或いはそのIS関係のテロが色々な所であちこちで頻繁に起こっているのを見ると、もしかしたらこれは霊的な事だけではなくて、本当に実際に肉体的にそのような事が全世界で起こってしまうのかもしれません。

それが何であれ私たちは、その現代世界が今、多くの悪魔によって半死半生になった傷付いている、霊的に傷付いている多くの人々が私たちの目の前にいらっしゃるという事を教えています。

すると私たちは良きサマリア人として行動する為に、この傷付いてる人たちに対してどのようにすれば良いのでしょうか?或いは旧約の司祭がやったように、「あぁ、関係ない、知らない」と言って横を素通りして、何もそのまま通り過ぎてしまうべきでしょうか?

それともこの霊魂の救いの為に私たちが何か近付いて、憐れみを起こして、そしてぶどう酒と油を注いで、何とかしてそれを宿屋まで運んであげるべきでしょうか?

イエズス様は、「同じようにしなさい」と言いますから、私たちも少なくともこの多くの傷付いた、霊的にまだ死んでいる、罪の状態にいる多くの方々の為にお祈りをする事に致しましょう。

聖ベルナルドによると、「このサマリア人の油は『お祈り』の事だ」との事です。私たちもこの私たちの日常、目に見える方、生きてはいるのですけども霊的にはまだ罪の状態にいる様な方々、イエズス・キリスト様を知らないような方々の為に、イエズス様の事をよく知り、罪の赦しを受けて天国に行く事ができるように、お祈りをして、お祈りの油をそこに注ぐ事に捧げて、注ぐ事ができるように致しましょう。

ルフェーブル大司教様がアフリカにいた時にこう決心したそうです、色々な決心があるのですけれどもその内の1つが、「霊魂たちを成聖の状態の観点から見る」という事が1つの決心でした。つまり、「この霊魂たちが霊的に生きる事ができるように力を尽くす」という事でした。「この霊魂たちが罪が赦され、天国に行く事ができるように、霊的に天主によって生かされるという事だけを、その観点だけを見る」という事を決心していました。

まさに私たちもそれに倣って、この道で会う方、或いは電車に一緒に乗る方、或いは仕事をする方の「霊的な傷が癒されますように、成聖の恩寵に生きますように」とお祈り致しましょう。そればかりでありません。この良きサマリア人がぶどう酒をこの傷口に注いだように、私たちも小さな犠牲を捧げる事に致しましょう。小さな犠牲によって、私たちの苦しみや悲しみや、疲労、或いは侮辱、誤解、嫌がらせなどもマリア様の御手を通してお捧げ致しましょう、「是非この方が回心しますように、この方がイエズス様を知る事ができますように。」

では最後にどの様な決心をしたら良いでしょうか?

私はこの是非ロザリオの十字軍に参加する事が、この良きサマリア人になる為の一番の方法であると確信しています。何故かというと、マリア様は8月19日にこの3人の子供たちに言ったからです。

「多くの霊魂が地獄に行っている。この半死半生のまま地獄に行っている。何故かというと、彼らの為に祈りと償いをする、犠牲を払う人がいないからだ。」

ロザリオの十字軍はまさにこれに応える為に作られました。どうぞ皆さんのこの寛大な参加をお願い致します。

「あるサマリア人が、彼を見て憐れみを起こした。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。






今日の富士山

2020年08月26日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

この頃は、富士山の姿を見ることがなかなかできませんでした。
今日は、少し、頂上が見えますね。





--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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