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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

今日、2020年8月5日は、八月の初水曜日(月の初めての水曜日)です 聖ヨゼフ!我らのために祈り給え

2020年08月05日 | カトリックとは

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、2020年8月5日は、八月の初水曜日(月の初めての水曜日)です。
初水曜日に「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。


聖ヨゼフはこの世で天主イエズス様と浄配なる聖母マリア様を最も良く知り、愛された御方であり、その隠れた徳ゆえに偉大なる御方、イエズス様とマリア様の最大の命の恩人であられました。

また、聖ヨゼフは、この世では、全てを天主の栄光のために、隠れてその生涯をささげられたが故に、天にて聖母の次に最大の栄光をあたえられていらっしゃいます。

聖伝では、水曜日は聖ヨゼフに捧げられた曜日であり、月の最初の水曜日を聖ヨゼフに捧げることで、聖ヨゼフを讃え、その御取次に信頼し、その御徳に倣って、聖ヨゼフを通して、天主イエズス様とマリア様をお愛しすることができますように。

初土曜日の「聖母の汚れ無き御心」への信心にならって、この「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」のどれかを「15分間黙想」することにいたしましょう。

聖ヨゼフの帯の信心については、下記リンクをごらんください。
聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph

聖ヨゼフの御取次ぎにより、聖母の汚れ無き御心とイエズスの至聖なる聖心ヘの愛をますます与えてくださいますように!
聖ヨゼフの御取次ぎにより豊かな祝福がありますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失なわんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔き良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。



2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、
天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。



3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、
イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。



4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、
数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。



5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、
御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。



6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、
天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。



7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。



交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。

参考リンク
サンタフェ~奇跡の階段 コラレス通り1丁目 この記事に昔の階段の様子の写真があります。

聖ヨゼフの階段(アメリカのニューメキシコ、サンタ・フェにあるロレット・チャペル)



英語ではこちら。
THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.


「助産婦の手記」17章 『わたしのただ一人の黄金の恋人……』

2020年08月05日 | プロライフ
「助産婦の手記」

17章

新しい便郵局長が、この村へ引越して来た。まだ比較的若いお方だ。さて、ここは一等郵便局ではない。もし種々の工場がなかったら、恐らく私たちはまだ――数十年前と同様に――郵便代理店を持ったに過ぎないであろう。しかし紡績工場ができたため、郵便事務が増えた。殊に、たとえ、販路は小範囲でも、製品を外部に送り出す繊維製品工場が附設されてからは、そうである。

この新しい郵便局長は、非常に興味をひく男であった、というのは、まだ奥さんが無かったからである。このことが、彼にとって最も重要な点である。このことが、彼をば、赴任早々、村全体の興味の中心に置いた。今や一方では上級官吏のお嬢さん、他方では豪農の娘さんたちが、郵便局長の出勤しているときには、互いに争って郵便切手を買い求めたり、または郵便に関する種々の事柄を伺おうとしたりした。そして結婚適齢の娘をもつ母親たちは、彼がやっと就任挨拶に来るのを待ちくたびれていた。実際、そんな生捕れる可能性のある未婚の男性は、一つの重要な対象である! しかしこの興味ある男が、まだ村の社会へ、すっかり入りきらない前に、一つの新しい事件が起った。

ある日曜日に、郵便局長は村をぶらぶら歩いて通ったが、その腕の中には、彼が駅で出迎えた一人の女性が抱かれていたのである。この女性は、裾のつづまったスカートをはいていたので、卵を生もうとする牝鶏のように、小跨に歩かねばならなかった。幅が七、八十センチメートルもある帽子が頭に載っかっていて、全く勢いよく斜めに、三本の帽子針でしっかり留めてあった――さよう、一頃、そんなのが、はやっていた。

さてこの場合、この帽子は、いいことであった。一体、その女性は、憐れな郵便局長にひどく押しかかって行く奇妙な性質をもっていたので、道路が十分に広くないため、彼はしょっちゅう溝に落ち込んだ。(この溝の中には、田舎の常として、大抵、エナメルの靴と派手な花模様のあるソックスのためには、あまりためにならないような成分が見いだされた。)こういう次第だから、もしも帽子が無かったら、この小娘は、きっと頭を郵便局長の肩の上にもたせかけたであろう。しかし帽子があるために、彼女は頭をまっ直ぐにしていなければならなかった、このことは、常にこの御両人の間に一定の距離を保たせておいたのである。私たちは、この大ぴらな、殆んど恥ずかしいほどの媚態には見慣れていなかった。そこで、もちろん、すべての人は道の上に立ち停って、この御両人を眺めた。そしてこれについて、誰もが多かれ少なかれ、冷笑的な解釈を施した。

この日曜日に、新任の郵便局長は、方々を訪問し、そして同時に彼の花嫁を紹介した。その午後、ちょうど軍人協会の例年の祝典があったので、彼は彼女をそこへ連れて行った。村中の人々は――労働者たちは、なおさらのこと――この御両人を嘲笑した。その小娘は、一瞬もかの男を安らかにして置くことができなかった。或いは手をこすり合い、或いは足を踏み合い、或いは彼の腕にぶら下った。そして、みんなが、このことを非難したので、軍人協会の会長は、郵便局長に、低い声で何事かをささやいた。彼は赤面して、花嫁を少し傍らに押しのけた。間もなく、彼らは退席することとなった。もちろん、ヘルマンの居酒屋へ行ったのだ。

私は、その夕方、御両人が駅の方へ行こうとしているのに、また出会った。もう幾分暗くなっていたのだが、それでも、その二人が、一体どの程度にすれば適当かということを、今なお御存知ない様子であることを観察するには十分明るかった。私はその小娘をたしなめてやりたくて仕様がなかった。もし、女もまた、全くはめを外し、結婚式の前に、すでにあらゆる慎みを失うようなことがあったら、男から何を期待すべきであろうか? それは、どういう結婚になることであろうか?

とうとう婚礼の準備は、はかどった。結婚式は、この村ではなく、花嫁の故郷で挙げられた。おきまりの蜜月旅行の後で、この若夫婦は、郵便局内の職員住宅へ引越して来た。

最初の日の朝、十時半頃に、局長夫人は、郵便事務所へ来て(住宅は、下の一階にある)、夫君にキッスし、そして笛のような声を立てた、『可愛いい人、さあコーヒーを飲みにいらっしゃい。』
『でも御覧、こんなに仕事があるんだから。』
『ああ、あなた、たった十五分間だけよ、でなきゃ、わたしちっともおいしくないんですもの。』
そして引っぱるやら、突くやら、ねだるやらして止めないので、とうとう彼は仕事を置いて一緒に行った。その部屋には、ほかに女の郵便局助手が一人いた。
十一時頃に、局長夫人は、もう下で叫んだ。『可愛いい人、あなたなかなかお八つを召しあがりにいらっしゃらないのね。だから、わたし、あなたのところへ行かなきゃならないわ……』
『僕はきょうは時間がないんだよ。まあ、ひとりでおあがり……』
『いやよ、そんなこと、わたしほんとにできないわ……では、あなたはもう、わたしを好かないんでしょう……』そして彼の首にぶら下った。『わたしのただ一人の黄金の恋人……』
こういう調子が、一日中つづいた。彼が椅子に腰を下ろしていると、彼女はそのまま見のがして置くことはできなかった。直ぐさま彼の膝の上に腰をかけた。彼が、新聞を読んでいると、首にぶら下った。彼は、彼女の着物のボタンを外したり、かけたりしてやらねばならなかった。最も内輪な事柄でも、彼女は無遠慮に郵便事務所に持ちこんで来た。下女は――それは単純な正直な心の持主だった――は、三週間後に、暇をとって帰った。彼女は、私にこう言った、皆さんの御存知の通り、あの新婚の若い方々は、私たちのとは、丸で違ったいろいろな型を持っていらっしゃると。で、その後も、そこでは、相変らず、旧約聖書中の淫蕩の町ソドムやゴモラにおけるような事が行われた。

そう、あなた、わたしのただ一人の黄金の恋人……
こういうことは、すべてただ暫らくの間、美しいだけである。
男にとっては、そんなに苦もなく手にはいるもの、そんなに押しつけがましいものは、非常に速かに刺戟を失うものである。男の性質には、征服欲と絶えざる所有欲とがある。そんなに押しつけがましく提供されるものは、一度は楽しまれるが、しかし同様に速かに棄てられる。この観察を、私は非常にしばしば若い新婚夫婦について行なった。妻が、いつも夫に対して媚びをかけ過ぎ、そして官能的なものをもって挑発するなら、夫の方では、すべてのより善い感情が非常に急速に冷却する。彼は、もうそれに飽き、冷たくなり、そして顧みなくなる。このことは、彼の官能が、彼女の動物的満足に遠く及ばず、そして忠実に、非常に正確に、それに歩調を合わすことができない場合もそうである。これに反して、妻が非常な愛情を持ちながらも、賢明な抑制(私はそれを「やさしい羞恥心」と呼びたい)を持ちつづけて行くことを心得ている場合には、妻への真の尊敬と優しい畏懼(いく)とが、夫の性愛に対して、さらにつけ加えられる。こうすることによってのみ、継続的な、かつ互いに幸福にし合うところの心の一致が作られ得るのである。
このことを 理解しないために、少なからざる婦人が、自分の幸福と相手の男とを共に破壊した。己れの純潔を棄て去った婦人は、この深い真理に対する理解力を、大抵、失ってしまっている。

しかし、私は説教しようと思っているのではない、むしろ、私の物語を、終りまで話そうと思っているのである。あの郵便局長の場合でも、愛の過剰による徴候が、非常に速やかに認められるようになった。彼女が妊娠したとき、彼は彼女の身辺から非常に離れはじめたが、子供に対する顧慮ということをその口実に使った。こういうことについては、彼女はいさいかの理解もなかった。反対に、無教育な女が妊娠すると、これに伴って実際いつも起るところの我ままが、彼女の場合にはいよいよますます肉感的方面に集中された。彼が冷たくなればなるほど、彼女はそれだけ、しつこくなった。そして逆に、彼女がしつこくなればなるほど、彼はそれだけ冷たくなった。

そこで、 彼女が媚びをもって、彼を襲いに事務所にやって来ると、彼はぶっきら棒にこれを防いだ、『お止しったら! 村の人たちが、みんな我々を笑い草にしているのを君は知らないの?』
『野蛮な人、あなたは、もうわたしを好かなくなったのよ! ……お腹の子は、一体あなたのじゃないの?』 それから、彼女は泣き叫びはじめたので、彼は彼女をまた住居へ連れて行くのに骨を折った。
今までは気にもかけなかった小さな事柄が、喧嘩口論の種となった。彼女は、襟ボタンを買うのを忘れていたが、彼はそれが一個必要になった。『ああそんなこと何でもないわ、可愛いい人。そのお詫びに、キッスを十ぺんしてあげるわ。』――『キッスじゃ、襟ボタンをつけることはできないよ!』と彼は、どなって戸を強くしめた。こういう仕打ちに対しては、最初のうちは、彼女は泣きじゃくりをもって応じていた。ところが、これが目的を達しなくなると、彼女は狂言自殺によって、印象づけようと試みた。彼女は、窓から飛び下りた。ところが、その一階はあまり高くなかったので、ただ脚を折ったに過ぎなかった。しかし、予期されたように、流産がそれに続いて起った。電報で呼び寄せられた姑は、両手をもんだ……
そう、私のただ一人の黄金の恋人……

しかし、単にわずかばかりの恋情により、または、わずかばかりの金銭目当てに結ばれたに過ぎない婚姻は、いかに恐ろしく憐れなものであろうか! こんな婚姻にあっては、婚姻の永続性に対する信念が欠けているため、嵐の時が来ても、よくこれを凌いで行くことのできる確固たる基礎は、置かれていないのである。郵便局長夫人のベットのそばで、私は始めて、新旧結婚観の底知れぬ対照を意識したのである。この新婚夫婦の場合でも、より高いものは、全く見いだされなかった。そこには、いかなる犠牲を払っても、自分自身の利益のみを追求することと、ただ自分が幸福でありたいということのみである。しかしながら、一般に人生においては、なかんづく最も意義深い結婚においては、真の幸福というものは、ただ相手を幸福にすることによってのみ、ただ己れを棄てることによってのみ、見いだされるものであるということは、理解されていないのである。

この事件は、与えられたいろいろの条件によって、当然そうなるように進行した。妻の病気中に、今までやりつけない禁欲を、今さら行おうとは思わなかったその夫は、ほかの女と関係を結んだ。彼は、こういった関係では、選り好みをしなかった。その相手は誰かといえば、家庭では下女――事務所では助手――のその女であった。そして郵便局長夫人は、保養のため療養地へ行き、そしてそこで彼女も同様なことをやった。それから離婚と、同時に局長の転任とが行われた。
これをもって、この物語は、私たちの村に関するかぎりは、終りとなっていたはずである――、もしも、その憐れな郵便局助手が、この事件の結果を担わなくてもよかったならば。 この事については後になお述べることとしよう。




【拡散希望】ヴィガノ大司教とタウシグ司教との二つのパレーシア(臆することなく発言すること):ヴィガノ大司教のサン・ラファエル教区の神学校の閉鎖に関する手紙

2020年08月05日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年7月30日付でヴィガノ大司教はタウシグ司教に手紙を書きました。

【手紙の背景:手による聖体拝領の強制:サン・ラファエル司教区の神学校の閉鎖】


アルゼンチンのメンドーサ州、サン・ラファエル司教区のエドゥアルド・マリア・タウシグ(Eduardo Maria Taussig)司教は、アルゼンチンで一番神学生が多い保守的な神学校を廃校にすることを決定しました。

タウシグ司教は、コロナウイルスによる教会閉鎖が終わって、教会が再開された時に、コロナウイルスを口実に、聖体拝領は手だけに与えることを命じました。しかし、サン・ラファエルの神学校では150以上の家族と神学生たちは手による聖体拝領を拒否しました。神学校校長は神学生たちには口で聖体拝領をする当然の権利があると、跪いて口による聖伝のやり方を弁護しました。そこで、司教は校長の司祭を解任して復讐し、さらに他の教授の司祭たちも口に聖体拝領を授けているので、「聖座からの指導に従い」、2020年末に「天主の御母聖マリア神学校」を廃止することを7月27日に発表しました。

サン・ラファエル司教区長は、廃校までの間、一時的にビクトル・トレス・ホルダン(Víctor Torres Jordán)神父を新しい校長として任命しました。

この神学校は1984年に創立され、現在39名の神学生がおり、アルゼンチンでは、Instituto del Verbo Encarnado修道会の神学校の次に、大きい神学校です。この神学校で学んだ司祭たちは、司祭職を辞める人の率が最低で、過去15年でたった一人のケースだけでした。

口による聖体拝領を許していた問題で、サン・ラファエル司教区近隣の司教がつい最近そのポストを失ったので、タウシグ司教はそれを恐れているのかもしれません。手による聖体拝領を押し付けるために神学校を閉じさせる、それが「聖座からの指導」つまり「憐み」の聖マルタの家からの命令だったのでしょう。(1976年にも似たようなことがエコンの神学校にもあったことを思い出します。)「手による聖体拝領」が、教会改革を推進する人々にとって、どれほど最重要課題なのかを、垣間見ることができます。

(上の写真は、司教に懇願する信徒たち)

【手紙の内容】
そのショッキングなニュースを受けて、ヴィガノ大司教はタウシグ司教に手紙を書きました。イタリア語版は、いくつかのウェブサイトなどで読むことができます。英語版はここにあります。

ヴィガノ大司教は、手紙の中で、パレーシア(これはギリシア語で、危険を冒してもあえて話すことを含め、包み隠さず、全てを"臆することなく話す"(使徒行録4:13)こと)という単語を出して、パレーシアをしていてそれは良いことであるとタウシグ司教を褒めます。

元駐米教皇大使は、最高の玉座に座すフランシスコ教皇から、私たちがパレーシアを実行するように招かれていることを想起させ、教皇がこのパレーシアによって聖職者中心主義を打ち砕き、教会をもっと改革するように進めておられることにも触れています。

まさに、このパレーシアこそ、この手紙のキーワードだと思います。

ヨハネ・パウロ二世は1986年のアシジの諸宗教の集まりこそが、第二バチカン公会議を正しく理解するためのイラストレーションである、と言いました。

ブラジルの引退司教クラウジオ・ウミス(Cláudio Hummes)は、アマゾン・シノドスが第二バチカン公会議の結論であると説教で説明しました。

教皇フランシスコは、アブダビ宣言の「文書は第二バチカン公会議から一ミリもずれていない、この文書は第二バチカン公会議の精神において作られた」と包み隠すことなくはっきり言い、パレーシアを実践しました。“dal punto di vista cattolico il documento non è andato di un millimetro oltre il Concilio Vaticano II. Niente. Il documento è stato fatto nello spirito del Vaticano II”

【教皇フランシスコとアル=アズハルの大イマームが署名した世界平和と共存のための人類の兄弟愛に関する文書、いわゆるアブダビ宣言には、天主が性別(人間の本性に基づく)を欲するように、宗教の多様性も欲する、「宗教の多元性と多様性」が「天主の知恵深い御旨」である、という天主の第一戒に反する内容がある。】

たとえ第二バチカン公会議の中に明記されていなくとも、たとえそれが第二バチカン公会議以降、例外事項として特例として許されている事柄であったとしても、第二バチカン公会議の正しい解釈の仕方が何かを、実際の行動で示しそれを強制することもパレーシアです。

本当は違法なのだけれど、本当はカトリック教会がかつては禁止してきたことだけれども、その違法と禁止条項を行うことこそが、第二バチカン公会議の精神による正しい行いであって、いままでのような信仰は、「考え方」を変えなければならない、とはっきり力づくで押し付けるパレーシアです。第二バチカン公会議は過去と断絶しているものだとはっきり言うボローニャ学派の主張です。この主張は「連続の解釈学」ではなく「断絶の解釈学」です。

いままでは、「一部の司教や司祭の権力の乱用」だとか、「第二バチカン公会議を誤解」しているとか、ごまかしていたけれども、じつは乱用でも誤解でもなく、第二バチカン公会議後の新しい教会は、乱用とか誤解と思われていたことをしなければならない、それが公会議後の、with公会議の「新しいノーマル」だ、「教会は元には戻らない」ということを臆面もなく言い放つパレーシアです。たとえば、口による聖体拝領はもう終わった、と。

フランシスコ教皇は、現在はC6と呼ばれている六名の枢機卿たちを顧問としたグループを任命していますが、教会の行政機構をもとに戻すことができないほど変更させると言っています。教会は、「健全な非中央集権化」され「交わりのプラットフォーム」「情報・意見交換のためのフォールム」となる、と言われています。

第二バチカン公会議後、カトリック信仰の正統性については、ますます重要性を失わされてきています。例えば、第二バチカン公会議により、公会議以前にはもっとも重要であった検邪聖省(Holy Office)が教理省になり下がりました。第二バチカン公会議の正しい理解をはっきりと示すために、パレーシアを実践するために、もしかしたら、「教理省」はもっとその力を弱めるようになるかもしれません。もしかしたら、将来、例えば、タグレ枢機卿(ボローニャ学派と言われている)が現在長官である「福音宣教省」に飲み込まれてしまう、とか。あるいは、平信徒(女性を含める)が、司祭の代わりに小教区を運営する、とか。

だから、アルゼンチンのタウシグ司教は、神学校廃校をもってそのパレーシアを実践しました。

だから、スイスのバーゼル教区のフェリックス・グミュール司教は、女性が祭服を着て「ミサの真似」を定期的に行っていても、何の処罰も受けないのです。これもパレーシアの実践です。

だから、日本でも、いろいろな口実を使って手による聖体拝領が強制させられ、もしも、誰かが新しいミサの最中に跪くのならば罰を受けるのです。これも第二バチカン公会議後のやり方は過去とは断絶してこれからは新しい教会、「手作りの教会」を作るのだから、おまえらは新しい宗教についてこい、と行動をもって発言しているパレーシアです。

だから、ヴィガノ大司教もパレーシアを実践します。聖霊にみたされたペトロが、ユダヤ人のかしらたち、長老たち、律法学士たちに対して「臆することなく話した」ように、空気を読むことなく、ヴィガノ大司教は言うべきことをズバリと言います。

● 手による聖体拝領を拒否した平信徒や神学生たちは、福音が「羊は彼の声を知っている」と言う良き牧者たちに従っている。

● 手による聖体拝領を強制するのは「羊のことを心にかけぬ」雇い人であり、そのような司教には、彼らは従わない。

● 雇い人のような司教らにとっては、手による聖体拝領を強制して御聖体を冒涜しても、たいしたことではないし、定期的に不正かつ冒涜的に女性が「ミサを挙行」しても、同じくどうでもいい問題だ。

● 手による聖体拝領を拒否した平信徒や神学生たちがいるということは、教会において聖霊が働いていることを証明している。慰め主なる聖霊は、謙遜な人々や弱い人々に剛毅の賜物を注入し、御聖体への信仰を明らかに宣言させている。

● 手による聖体拝領の強制には、父や兄弟として気遣いも無ければ、まことの愛徳もまったく存在していない。そこには善と真理とがないからだ。キリストの教会の破壊に参加していることだからだ。

● 手による聖体拝領を強制することは、重大な悪であり、重大な償いの義務を課す。


では、次に日本語訳をご紹介いたします。

ヴィガノ大司教のタウシグ司教への手紙

2020年7月30日

司教様、

サン・ラファエル教区の神学校を閉鎖し、同校の校長アレハンドロ・ミゲル・シアロッチ神父(Fr. Alejandro Miguel Ciarrocchi)を解任するという決定について国際的な報道で知って、私は戸惑い、心を痛めています。

この決定は、あなたの熱心な求めにより、ローマの聖職者聖省によってなされたと言われています。ローマの聖職者聖省は、あなたの裁治権下にある一部の聖職者たちが、いとも聖なる御聖体を、舌の代わりに手に授けたり受けたりするのを拒否しているのが容認できないと考えた、と。サン・ラファエル司教区の司祭たち、聖職者たち、信徒たちの称賛に値する首尾一貫した態度を絶好の口実にして、アルゼンチン最大規模の神学校を閉鎖し、他の場所で、あまりにも模範的なために今では空っぽになっているいろいろな神学校で神学生らを再教育するために彼らを散り散りにさせたのではないかと、私は思いました。司教様は、パレーシア[parrhesia]【訳注:危険を冒してもあえて話すのを含め、包み隠さず洗いざらい全てを"臆することなく話す"(使徒行録4:13)こと】への招きを実際の行動に移すという非常によい仕事をされています。私たちは、そのパレーシアの名によって、最高の玉座【教皇】によって糾弾された聖職者主義という災いを打ち負かすこととされていますから。

過去数十年の間にわたって行われてきた超近代主義者による教化という弛まぬ叩き込みにもかかわらず、司教の宮廷への臣下の服従を優先させるよりは、御聖体が当然受けるべき敬意を払う勇気ある司祭たちや聖職者たちがいまだに存在するのを見て、あなたが失望したのを私は理解できます。また「アンデスのヴァンデ」【訳注:フランス革命時のカトリック王党派による革命に反対したヴァンデ地方の民衆になぞらえている】と呼ばれてきた地域の平信徒や全家族さえもが、福音が「羊は彼の声を知っている」と言う良き牧者たちに従い、「羊のことを心にかけぬ」(ヨハネ10:4,13)雇い人たちには従わないのを見たことによる、あなたのいらだちを私は想像することができます。

これらのエピソードは、教会における聖霊の働きを裏付けています。慰め主なる聖霊が謙遜な人々や弱い人々に剛毅の賜物を注入し、高慢な人々や権力を持つ人々を戸惑わせ、一方では祭壇の至聖なる御聖体の秘蹟への信仰を明らかにし、他方では世間体による罪深い冒涜を明白にします。この世の考え方に従うことで、司教様は教会の敵による安易で利己的な喝采を得るかもしれません。しかし、良き人々が全員一致で認めないことは避けられないでしょうし、御聖体のベールの下に御自身の御体、御血、御霊魂、御神性においてまことに現存され、聖なる牧者たちに御自分の証人となることを、御自身への裏切り者や迫害者ではなく証人となることをお求めになる天主の御裁きをも避けられないでしょう。

司教様、あなたが司教の紋章にお選びになった標語「Paterna Atque Fraterna Charitate(父として、兄弟としての愛徳)」とあなたの行動とには一種の矛盾がある、と私が指摘することを司教様は許してくださることでしょう。聖なるホスチアを冒涜したくない司祭を罰することについては、父として気遣いは何もありませんし、また、不当な命令に従わなかった人々へのまことの愛徳も、いかなる形であれ何もありません。
愛徳とは、善と真理のために行使されるものです。もしそれが誤謬を起源とし、悪を目的とするならば、それは聖徳の奇怪な猿真似にすぎません。王の中の王に帰されるべき名誉を擁護し、この崇高な目的のために努力する人々を称賛する代わりに、栄えている神学校を閉鎖し、公に自分の聖職者を叱責するまでに至った司教は、愛徳の行為ではなく、むしろ嘆くべき虐待を行っているのであり、天主の御裁きの座の前で責任を問われるでしょう。
永遠の観点のもとで(sub specie aeternitatis)その行為自体において、更にまた、その行為が小さき人々につまずきを起こしているという理由で、あなたの行為がどれほど深刻なものであるかをあなたが理解なさることを私は祈っています。教皇庁立聖トマス・アクィナス大学(Angelicum)であなたは学んだのですから、司教様の健全な悔い改めのわざの助けになるはずですし、この悔い改めは、[司教様に]重大な(sub gravi)償いの義務も課します。

報道によると、バーゼル教区[スイス]のリギ・カルトバート教会では、祭服を着た女性が、叙階された司祭の不在の中、聖変化の言葉のみを省略しつつ、ミサの挙行の模倣を定期的に行っているとのことです。バーゼルのフェリックス・グミュール司教は、ローマの聖省に依頼して、ミサの冒涜的な模倣を模範的に処罰することで、あなたが持っておられるのと同じような熱意を持って、功績を挙げてくださるのでしょうか。

しかし、私は、あなたに従わない義務を果たした司祭らを罰するためにあなたが示した柔軟性のなさを、スイスでは競ってやろうとはしないと思います。確かに、もしある司祭がリギ・カルトバートの同じ祭壇でトリエント典礼のミサを挙行していたならば、教区長の矢が彼を射って撃ち落するのはすぐになされたでしょうが、不正かつ冒涜的に「ミサを挙行する」女性は、今日では、たいしたことではなく、ちょうど祭壇の聖なる秘蹟である御聖体を冒涜するのと同じように無視できるものと考えられているのです。

あなたが不当に処罰し、重大な侮辱を与えた教区の聖職者たちや信徒たちとともに、司教様、私はあなたのために、また聖座の高官たちのために、そして特に、ベニアミノ・ステラ枢機卿のために祈ります。
私はこの枢機卿のことを、私が教皇使節代理の資格でコロンビアのボゴタを訪問した時、熱心な司祭であり忠実な教皇大使として知っていました。彼はかつて私の友人でした。私は何年にもわたって彼とともに国務省で働いていました。残念なことに、今やもうこの頃では、彼がキリストの教会の破壊に参加しているために、私は彼をもはや昔のままの彼を認めることができません。

私たちは、あなたの回心のために祈ります。その回心は、私たち全員が呼ばれているものですから。しかし、天主の栄光のためというよりも霊魂たちの善に反し教会の名誉に反して働いている人々にとっては、この回心をもはや先延ばしにすべきではありません。

司教様、あなたが宣戦布告なさったサン・ラファエルの神学生と信徒のために私たち全員で祈りましょう。
真理において、兄弟の愛をもって

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ


【再掲】2017年8月5日(初土) 雪の聖母の祝日 「私のためにここに聖堂が欲しい」とおっしゃったのは何故か?

2020年08月05日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年8月5日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。

2017年8月5日(初土)雪の聖母の祝日 聖母の汚れなき御心の随意ミサ 
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年8月5日、雪の聖母の祝日、8月の初土曜日のミサをしています。今日この御ミサは、聖母の汚れなき御心の随意ミサです。

この御ミサが終わった後で、聖書の続きのお話があります。今日は聖書の中に出てくるポンシオ・ピラトというのは一体どういう人なのかとか、あるいはファリサイ派とかサドカイ派という名前が出てくるけれども、一体どういう人たちで、何を主張していたのかという事をお話したいと思います。もしお時間のある方は与って下さい。

それから8月には、夏休みでもあるので、8月15日の被昇天の大祝日を祝うために、特別の聖母小黙想会を開きたいと思っています。

その黙想会というのは8月11日から15日まで、毎日朝午前10時30分からミサがあって、午後にはお話がマリア様の事を黙想するお話があって、特にファチマのマリア様のお話があって、8月15日の午後には聖母行列をしたいと思っています。もしできたらいらして下さい。マリア様が多くの人々から愛されて、慕われて、讃美されますようにお祈り致しましょう。特にマリア様のお神輿を担ぐ男の子が必要ですので、男性の方々はたくさん来て下さい。


「『見よ、これが汝の母である。』そしてその時から弟子は、母を自分の家に受け入れた。」

聖父と聖霊との御名によりてアーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日雪の聖母の祝日を祝っています。そこで今日の初土曜日の信心をするにあたって、マリア様は一体この雪の聖母という事で、一体私たちに何をなさったのか?

そしてその雪の聖母というのと、初土の信心というのは一体どういう関係があるのか?マリア様はその雪の聖母という事をやっただけなのか?他にも何か似たような事をなさったのか?それを見ると、「あぁ、」マリア様は一体何を私たちがする事を望んでいるのか、という事が共通点が分かるので、理解できると思います。

そこで特に今日は小さなお友達によく理解してもらうためにも、雪の聖母について、この雪の聖母と同じような事をマリア様はたくさんなさったという事、日本でもなさったという事、じゃあ私たちは今日から何をしなければならないか、という事を黙想しましょう。

第1点は、まず雪の聖母というのは一体何なのか?

はい。これはローマで起こった、本当に起こった話しなのです。その証拠は、今でもローマに行くと、この「雪の聖母」というマリア様の教会が立っています。

どういう事かというと、ローマの貴族、特に貴族の中でも一流の貴族がいました。それはパトリシウスの階級の、特に皇帝のすぐ下の、一番身分の高い貴族のカトリックの夫婦がいたのです。大金持ちで、先祖代々からの名門の家系でした。その家系のヨハネという貴族は、奥さんと結婚したのですけれども、残念ながら子供に恵まれませんでした。莫大な財産をどうしたら良いかという事で、マリア様にお願いしました、「マリア様の一番お望みのようにするにはどうしたら良いでしょうか?」

それは4世紀の事です。「マリア様、マリア様がお望みになるように、私たちが持っている財産をマリア様のお望みのまま、貧しい人に捧げろと言えば貧しい人を養いますし、もしもこの財産を使って何か病院を建てろと言えばそうします。マリア様の一番お望みは何ですか?」という事を二人でお祈りをしていたのです。

するとマリア様はこの熱烈なお願いを聞いて、この二人に夢を見せました、「私は、私のための小さな教会が欲しい。それでその場所がどこに、どこに欲しいかという事は、そこの所に雪を降らせる」と夢で出られたのです。真夏の、8月5日の今日の事でした。

ローマの夏は日本の大阪の夏と同じです。摂氏30度以上になって、もうアイスクリームも冷たい水も、ちょっと外に置けばすぐにグダッてしまって、ドロドロに溶けてしまいますし、外に出ると太陽がカンカンに照るので、冷たい物はあり得ません。当時はクーラーもなかったし、冷蔵庫もなかったし、この真夏に雪が降るなどという事は考えられませんでした。もしも誰かがトリックでそんな事をしたいと思っても、できません。

そうしてマリア様は、エスクリーノという丘の上に雪をたくさん降らせて、雪を積もらせました。そして「そこに自分の聖堂が欲しい」と仰ったのです。そしてその事と同時に、教皇様にも教えました。その事を教皇様に言うと、確かに教皇様も同じ事を夢で見たのです。実際にエスクリーノという丘に行ってみると、雪が積もっていました。真夏の汗もだくだくのうだる真夏に、そこだけ雪がたくさん積もっていたのです。

こんな事ができるのは天主様しかいません。天主のお母様しかいません。そこで、「まさにここにこそ、マリア様が自分の教会を望んでいるのだ」と分かって、そして自分の財産を使って、そこに教会を建てました。

残念ながらその教会は時が経つにつれて、改築が必要だったり、もっと大きな教会にする事が必要になりました。そこで教皇シクストという教皇様が、5世紀に432年に、ちょうどその1年前にエフェゾ公会議ということで、「マリア様は本当に天主の御母である」という事を宣言したその記念に、まずこのマリア様に最初に捧げられた教会、雪の聖母の教会を改築して、もっと大きく素晴らしいものにしようとしました。

そして今、その時に改築された432年に建てられたそのままの物が、今でも残っています、ローマに行くと。大きな教会で、そして外は真っ白で、今では雪の聖母の大聖堂とか、あるいはサンタ・マリア・マッジョーレ、聖母大聖堂と言われていて、ローマにある教会の4大バジリカ、特別な教会の4つに数えられています。

1つはバチカンにある聖ペトロ大聖堂、もう1つは至聖救世主大聖堂あるいは聖ヨハネラテラノ大聖堂、あるいは門外の聖パウロ大聖堂と並んで、聖マリア大聖堂、この4つはローマの最も重要な御聖堂の1つになっています。

教会の中には、天井には、コロンブスがアメリカから持って来たといわれる、黄金で塗られた天井や、あるいはモザイクという、小さなきれいな色の付いた石を埋めて絵を描いたモザイク様式のマリア様の、天主の御母なるマリア様、その絵やモザイクや、あるいはマリア様が確かに私たちの女王様であって、私たちの御母である、天主の御母である、私たちの御母であるという事を表すような、多くのきれいな芸術作品がたくさん散りばめられています。

またコンスタンティノ皇帝のお母様が、聖ヘレナがエルサレムから大切に持ってきた、ベトレヘムのまぐさ桶の聖遺物も、聖マリア大聖堂に置かれています。ですから聖マリア大聖堂はローマにおいては、ベトレヘムと同じように考えられています。

ですから聖ヒエロニモという、聖書をラテン語に訳した大聖人がいますけれども、その大聖人は生涯べトレヘムの洞窟で聖書を訳していました。その遺骸は今では、ローマのベトレヘムである聖マリア大聖堂のそのまぐさ桶の聖遺物のすぐ下に、遺体が埋葬されています。

あるいはロヨラの聖イグナチオという方は、イエズス会という大きな修道会を創った方ですけれども、昔の若い時から、「エルサレムの聖地に行きたい」「行きたい」と思っていました。しかし、「そこに行って、一生をそこで過ごしたい」と思っていたのですけれども、それは叶いませんでした。でも司祭になった時に、初ミサ、最初のミサをたてる時には、「何よりも聖マリア大聖堂のそのまぐさ桶のある所に行ってミサを捧げたい。イエズス様がお生まれになったそのまぐさ桶の所で、私もミサをしてイエズス様に天から来て頂きたい」と思って、そこでミサを捧げた所なのです。

そして聖マリア大聖堂は、カトリックの歴史の深い色々な出来事が、歴史上大切な事がたくさん起こっている大聖堂となって、今でもきれいに私たちを歓迎して、手を広げて待っています。どうぞ小さなお友達も、大きくなったらローマに行って、聖マリア大聖堂に行ってみて下さい。大きな大聖堂で、そしてきれいに飾られていて、マリア様が私たちをいつも待っていられる、私たちの中にマリア様はいつもおられる、という事を表しています。

マリア様はこれと同じような事を何度かしました。

有名なのは、メキシコのグァダルーペの聖母です。これは16世紀に、まだアメリカ大陸にキリスト教が入ったばかりの頃でした。メキシコ人たちはとても野蛮で、間違った宗教を信じていました。その間違った宗教というのはどういうものだったかというと、アステカの神々が地球を滅ぼしてしまわないように、人間の心臓を生きたまま殺して、それを神々に捧げると、その血を吸ってそれで宥められて、それで地球が滅ぼされずに済むという恐ろしい教えでした。ですから多くの子供たちや大人が生きたまま殺されて、その心臓を偶像に捧げられていました。

そのような宗教を信じていたところにマリア様が現れて、ホワン・ディエゴという人に、「私はここに、私の御聖堂が欲しい」と仰ったのです。「なぜなら私は、この皆の母であるから。天主の母であり、皆を愛する母であるから。もしも辛い事があったら、悲しい事があったら、私の所にすぐ来て祈る事ができるように、御聖堂が欲しい」と。

そしてその後にメキシコの人々は、10年の間に何百万人と洗礼を受けてキリスト教になりました、大奇蹟が起こりました。

同じような事がルルドでもありました。ルルドのマリア様は、「ここに小さな御聖堂が欲しい。」

今では何百万人という人がルルドにお祈りに行きます。すると奇跡が起こったり、お恵みを頂いたりして、マリア様の祝福をたくさん頂いて家に帰ります。つい最近でも、もうお医者様から見放されて、「もう治らない」と言われたものが治ったとか、目の玉がなくて神経がないにもかかわらず、見えるようになったとか、信じられないような説明できないような奇蹟がたくさん起こっています。

ファチマでも今から100年前に起こりました。マリア様が3人の子供たちに現れた時に、マリア様に「あなたはどなたですか?何をお望みですか?」「私は、10月に私が誰か、また私が何を望んでいるかを言いましょう」と仰ったのです。

そしてその10月には、7万人からあるいは10万人が見るものすごい奇蹟が起こりました。太陽がダンスをしたのです。これはそこに居合わせた何万人もの人が見ているので、もうこれは新聞にも載りました。それを、昔は信じなかったような嘲笑ったような人たちもそれを見て、「本当に起こった」と記録に残しています。

そしてそのマリア様も仰っています、「ここに小さな御聖堂が欲しい。なぜならば、私が皆の間に居て、皆が私のもとにお祈りをする事ができるように。そして私の心の中に入る事が、御聖堂の中に入って、私の御心の中に入る事ができるように。そしていつもどんな事があっても、私が皆の間に居て、慰める為に愛する為に居る事ができる」という、見えるシンボルとして御聖堂を求めました。

聖フランシスコ・ザヴェリオは日本に到着した時に、それは8月15日で、聖母の被昇天でした。ですから聖フランシスコ・ザヴェリオは「これを特別な日だ」と考えていて、それを特に、「マリア様に捧げられた御聖堂を造りたい。特に日本の首都に造りたいと」思っていました。

長崎には東洋一といわれている、無原罪の御孕りの大聖堂が大浦に造られました。その大浦に造られた大聖堂は特に、「マリア様が私たちのために母としておられる」という事のシンボルでした。

この大浦の大聖堂は、8月9日に原爆であっという間に、ちょうど燔祭となって燃え尽きてしまったのですけれども、ちょうどその原爆がそのマリア様の無原罪の御孕り大聖堂に炸裂したその時、実は日本の首都の東京では、天皇陛下が御前会議というのを行っていて、これから「戦争を終わらせたい」という事を、他の反対する政府の首脳たちに説得していた時でした。反対論があって、なかなかその説得はうまくいかなかったのですけれども、結局その長い会議が、マリア様の大聖堂が燃え尽きた真夜中に、燃え尽きて無くなってしまったその時に、結局「戦争を終わらせよう」という事で決着がつきました。

あたかも、そのマリア様の大聖堂がいけにえとなる事によって、私たちの代わりに灰となる事によって、日本が救われたかのようです。

一体なぜマリア様は、ご自分の身代わりとなるような大聖堂を、私たちの間にこうやってお求めになるのでしょうか?

はい。それはマリア様が、イエズス様の御言葉を、天主の御言葉をその通り実践しているからです。十字架のもとでイエズス様は、まずマリア様にこう仰ったのです、「女よ、見よ。ここにお前の子がいる。」

マリア様にとっては、自分の本当の御子であるイエズス様の代わりに、罪人である私たちが子供として与えられたのです。でもマリア様は、私たちを自分の子供として、イエズス様を愛するがようにこれから愛しなさいという、「子供として愛しなさい」という命令を受けたのです。

ヨハネも同じでした。その次にヨハネの方に向かって、「汝の母、ここにあり」とイエズス様は言いました。ヨハネはそれ以後、マリア様を自分の母として自分の家に受け入れました。

マリア様はですから、イエズス様の仰った通り、私たちを本当の子供として愛しています。世話をしています。特別の愛情を注いでいます。ですからその母としての愛情を、「母として私たちの所に居たい」と、「目に見える形で居たい」と思っているからです。

私の長上には私の上司にはドイツ人の神父様がいます。シュテーリン神父様という方で、ドイツ人で、お父さんは動物を飼っていて、お母さんは料理がうまくてレストランを経営している、お父さんはその畑の肥やしを準備するために、動物の体から出る汚い汚物を肥やしのために準備していました。

私の上司のシュテーリン神父様はまだ子供の頃、ちょうどお友達くらいの小さな頃、お父さんの真似をして、「お父さんの手伝いをしたい」と思っていたのです。そこで肥やしを作ろうとその動物の汚物の中に入ろうとするのですけれども、「あ!」足を取られて汚物の中に、汚い臭い中にズブズブズブズブと潜ってしまったのです。底なしの沼のようにゴボゴボゴボゴボッと、小さな子供だったので男の子だったので、どんどんどんどん下がってしまいます。「あれ?」そしてもがけばもがくほど下の方に落ちていって、「もうこのままでは息もできなくなって、これで溺れて死んでしまうかもしれない。あぁどうしよう、このまま死んじゃう!」と思ったので、シュテーリン神父様はカール君は、「お母さーん!!」と叫びました。

するとお母さんは料理を、レストランの料理を作るために一生懸命台所で、きれいな服を着て、きれいに清潔にお料理を作っていたのですけれども、カール君の叫び声を聞いて、「あぁ大変だ!カールが溺れる!あそこにいる!」料理をほったらかしてダーッ!と走って行って、その汚物の中にドボン!と入ったのです。

もちろん全身汚くなって、泥だらけの汚物だらけになって、子供を抱いて、そして救って、きれいに洗ってくれたのだそうです。

マリア様も、もしもたとえ私たちが汚い泥のような罪にいたとしても、どんな苦しい中にいても、マリア様に、「マリア様!助けて!!」と言えば、すぐに走って来て、私たちを汚いところからも救ってくれます。

アメリカでちょっと前にニュースを見ました。本当にあった話です、新聞で読みました。「本当にあったかな?」と思って、インターネットで見たら、本当に出てきました。それは男の子が、やっぱり小さな4歳か5歳の男の子が家の前で遊んでいたら、ピューマという、チーターとかあるいは大きな猫の虎に似た、獰猛な動物が子供に襲って来たのです、食べようと。野生のピューマでした。

それを見て、お母さんは見ていたので気が付いたのです。子供が、「あー!!お母さーん!!」と言ったら、「子供がピューマに食べられてしまう!あんな獰猛な動物に食べられてしまう!」と思って、走って行って、ピューマと戦ったのです。

お母さんがその時にあまりにも一生懸命戦ったので、ピューマはそのまま逃げてしまいました。考えられません。お母さんは傷もなく、子供を救いました。

どんなに恐ろしい悪魔が私たちの霊魂を襲おうと来ても、「マリア様!!」と言えば、マリア様は悪魔をやっつけてくれます。

昔、日本はとても貧しかったので、例えば戦争が終わった時には、戦争で孤児で、お父さんが兵隊で、お父さんがいなくなってしまった、お母さんが一人で子供を、たくさんの子供を育てなければならないという時がありました。その時の思い出話を歌にした演歌があります。

その演歌によると、その男の子は学校でいじめられて辛い事があって、なんだかんだと言われた。すると「『何だ』とお母さんに文句を言おう」と思って、お母さんの所に行ったら、お母さんは土方をやっていたのです。土方というのは、力仕事をして、道路で工事をしたり、こうシャベルで男の人と一緒にこう鉢巻きを巻いて働いていたのです。お母さんがその時に、他の男の人と一緒に、「子供のためならエンヤコラ!」と一生懸命働いていたのです。「子供のためならエンヤコラ!もう1つおまけにエンヤコラ!」と一生懸命働いていたそうです。それでそれを見て、「あぁ、もう文句は言えない」と、子供は涙を流して帰ったのです。

マリア様も、私たちが「あぁ、マリア様、助けて下さい!」と言うと、マリア様は、「あぁ、この霊魂を救うためなら、どんな事でもしてあげる。エンヤコラ!」と、もしも日本のお母さんがそうであったら、天のお母さんはもっとです。

何でこんな話をしたかというと、マリア様は私たちに1つの願いがあるのです。それは、「マリア様がイエズス様を生んだ天主様の御母であり、同時に霊的な私たちの母である、という事を皆に知ってもらいたい」と思っているのです。

なぜかというと、私たちが天国に生まれるのを望んでいるからです。天国に皆を連れて行きたいと思っているお母様であるからです。

そのためにも、天国に行く事ができるためにも、いつも私たちがマリア様にお祈りをする事ができるような場所が欲しい、マリア様が私たちの真ん中に、いつも真ん中に居るという事を皆に知ってもらいたい、と思っているからなんです。ですから今日のような祝日があるのです。

それだけではないのです。マリア様はもう1つお望みがあって、実はマリア様の御聖堂というのは単なるシンボルでしかない、単なる物体的なものでしかない、その裏にはその心は、そのもっともっと奥には、マリア様は実は、私たちの霊魂の中に住んでいたいと思っているのです。私たちの霊魂は天主様の神殿であって、これを清くきれいなものとして聖なるものとして守りたい。そしてその中にマリア様はいつも居たいと思っているのです。なぜかというと、マリア様は私たちの霊的なお母様であるからです。

ヨハネは、使徒のヨハネはイエズス様から、マリア様が、「これはお前の母だ」と言われて何をしたか知っていますか?マリア様を自分の家に受け入れました。それと同じようにマリア様も、ヨハネからしてもらったように私たちの心の中に、私たちが、「マリア様が心の中に来てほしい」と、招いてもらいたいと思っているのです。

でも多くの人は何をするか知っていますか?マリア様が、「あなたの心に訪問したい。なぜかというと、たくさんのお土産と贈り物をあげたいから。プレゼントをしたいから。祝福をしたいから」と、「自分の子供として皆を愛したいから。」でも多くの人は、「あぁ来るな来るな、しっしっ。マリアいらない。」マリア様はですから、とても悲しく思っているのです。

ですから今日は、どうぞ特に小さなお友達には、マリア様に、「あぁマリア様、私の心に来て下さい。マリア様、私がマリア様を愛する事ができるように力を下さい」とお祈りして下さい。そしてマリア様を大歓迎して、「マリア様が私たちの心に来ても恥ずかしくないような、きれいな心を下さい」というようにお祈りして下さい。これがマリア様の汚れなき御心の信心の実践の1つなのです。

特に御聖体拝領ができるお友達は、御聖体拝領をマリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償うためにも、御聖体拝領をなさって下さい。

「『見よ、汝の母ここにあり。』この時から弟子は、彼女を自分の家に引き取った。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




【再掲】2019年8月5日(月)雪の聖母の大聖堂の奉献のミサ ミサの前のお話

2020年08月05日 | お説教・霊的講話
2019年8月5日(月)雪の聖母の大聖堂の奉献のミサ ミサの前のお話 
聖ピオ十世会司祭 小野田神父



教皇リベリウスの在位の時、あるローマの貴族は子供が無く、遺産を聖母に与えようと望みました。彼らは何をするのが聖母を喜ばせるかを知ろうと、熱烈な祈りを捧げました。

聖母は、彼らの祈りを聞き入れ、奇跡を持って「私の為の御聖堂が欲しい」という夢を見せました。

その当時8月5日、ローマは暑くて暑くて、鉄の溶けるほどと思わせるほどの暑さだったのですけれども、マリア様が、「私の教会を建ててほしい」という所には、その夜、雪を降らせました。聖母は、夫婦のそれぞれに、自分の望むところには雪が積もっていると夢で教えました。

夢を見た通りを教皇に報告しに、行ってみると、教皇も「あぁ、実は私も夢を見た」と答えます。教皇は、聖職者を連れて、その場所に行ってみると、そこに、マリア様が欲しいと言った所に、雪が降り積もっていました。

今でも教会が建っています。“サンタ・マリア・マッジョーレ Santa Maria Maggiore”『聖マリア大聖堂』です。

ファチマの聖母の会100周年でローマに行った時に、私たちもそこの教会に行きました。これはマリア様に捧げられた最初の、世界最初の教会でした。

マリア様は教会を建てる事によって「さぁ、私はここにいますよ。困った時があったら、私にお祈りしに来なさい」と、待っています。

そのマリア様に、雪の大聖堂のマリア様にたくさんお祈りしましょう、「私たちにも、教会を与えて下さい。」


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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