Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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【再掲】長崎原爆死者合同葬においての永井博士の弔辞 1945年11月23日 (手稿全文)をご紹介します

2020年08月08日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 8月9日は長崎の原爆の記念日です。長崎のカトリック信徒の方々が、聖母被昇天の大祝日の前の準備のための告解の秘跡が行われていました。信徒も12,000人のうち、8,500人が爆死し、平和のために祈りと犠牲を捧げた日です。長崎の信徒代表のパウロ永井博士の弔辞をご紹介いたします。

「全知全能の天主の御業は常に讃美せらるべきかな!浦上教会が世界中より選ばれ燔祭に供えられたことを感謝致しましょう!浦上教会の犠牲によりて世界に平和が恢復せられ、日本にカトリック信仰の自由が与えられたことを感謝致しましょう!」

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


長崎原爆死者合同葬においての永井博士の弔辞(手稿全文)


昭和20年8月9日午前10時30分から、大本営に於いて戦争最高指導会議が開かれ、抗戦か終戦かを決定することになりました。この会議の結果に日本の運命のみならず世界の運命がかかってきました。世界に新しい平和をもたらすかそれとも人類を更に悲惨な戦乱に陥れるか、運命の岐路に世界が立っていた時、即ち午前11時2分、一発の原子爆弾は吾が浦上の中心に爆裂し、信者八千の霊魂は一瞬にして炎々と燃え上がりし猛火は忽ちにして東洋の聖地を灰の廃墟と化し去ったのであります。その日の真夜半天主堂は突然火を発して炎上しました。それと全く時刻を同じうして大本営に於いては畏くも天皇陛下が軍部の強硬なる抗戦論を押さえ 世界平和の為に終戦の聖断を下し給うたのでございます。

八月十五日終戦の大詔が発せられ、世界あまねく平和の朝を迎えたのでありまするが、この日は実に聖母の被昇天の大祝日に当っておりました。日本は聖母に献げられた国であり、吾浦上の天主堂もまた特に聖母に献げられたものであることを想い出します。

これらの奇しき一致は果たして単なる偶然でありませうか、それとも天主の妙なる摂理の現れでありませうか。長崎市の中心、県庁付近を狙った原子爆弾が天候のため北方に偏り浦上のしかも天主堂の真正面に流れ落ちたという事実や、この原子爆弾を最後として地上何処にも戦闘の起こらなかったという事実などを併せ考えまするならば浦上潰滅と終戦との間に深い関係の在ることに気付くでありましょう。即ち、世界戦争という人類の罪の償いとして浦上教会が犠牲の祭壇にそなえられたのである、いと潔き羔として選ばれ屠られ燃やされたのであると私共は信じたいのであります。

アダム・エワが知恵の木の実を盗んだ罪と、弟を打殺したカインの血とを承け伝えた人類が、同じ天主の子でありながら愛の掟に背いて、互いに憎み合い互いに殺しあったのがこの世界大戦争でありました。昭和六年満州事変以来十五年間の戦乱を終わり再び平和を迎えるためには世界人類が深くその罪を悔い改めるばかりでなく、適当な犠牲を天主に献げてお詫びをせねばなりませんでした。これまでうちに幾度か終戦の機会はあり、爆撃により全滅した都市もまたいくらもありましたが、しかしそれは犠牲としてふさわしくなかったから天主はいまだこれを容れ給わなかったでありましょう。然るに浦上教会を挙げて献げた時始めて天主はこれを善として容れ給い、人類の詫びを聞き入れ、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたものに違いないと拝察するのであります。言い換えれば浦上が犠牲になったからこそ終戦となったのである、この犠牲によって十数億の人類が戦乱の惨禍から救われたのであると思うものであります。

信仰の自由なきわが国において豊臣徳川の迫害に滅ぼされず、明治以来、軍官民の圧制にも負けず、いくた殉教の血を流しつつ四百年、正しき信仰を守り通したわが浦上教会こそはまこと世界中より選ばれて、天主の祭壇に献げられるべき潔き羔の群れではなかったでしょうか。ああ世界大戦争の闇まさに終わらんとし平和の光さしそめる八月九日この天主堂の大前に立てられたる大いなる燔祭よ。

悲しみの極みのうちにも私共はそれを美しきもの、潔きもの、善きものよと仰ぎ見たのでございます。

 西田神父様、玉屋神父様。純心や常清の童貞様、宿老様、教方様、十字会の姉様、親戚、友達、うちの者・・・・・・誰を思い出しても善い人ばかり・・・・・・しかもふくれ饅頭の祝日のために告解を済まし或いは糾明を終えていたあなた方でありましたから八千人お揃いで天国行きの雲にのせられたことと思っています。

敗戦を知らずにこの世を去ったあなた方こそ幸福であると言わねばなりません。潔き羔として天主の御手に抱かれているあなた方に比べ、生き残った私共はなんという哀れな惨めな者でしょうか。日本は負けました。浦上は全くの廃墟です。見ゆる限りは広々とただ灰と瓦。住むに家無く、着る衣無く、薯畑も荒れ果て耕す人もなし。大事な働き手だったあなた方を失った私共わずかばかりの遺族はただぼんやり焼け跡に立ち、迫りくる雪空を仰いで祈りを捧げているのです。あの日、あの時あなた方となぜ一緒に死ねなかったのでしょうか。なぜこんな惨めな敗残者として生き残らねばならないのでしょうか。

今こそしみじみ私の罪の深さを知らされました。私どもはまだ償いをはたしていなかったから選び残されたのです。余りに罪の汚れが大きいために祭壇に供えられなかったのでありましょう。

 私共がこれから歩まねばならぬ敗戦国民としての道は真に悲惨であり苦難に満ちたのものであるに違いありません。又ポツダム宣言に基づき私共に課せられる賠償は実に大きな重荷であります。この重荷を負うて行くこの苦難の道こそ然しながら私どもの罪の償いをはたすことのできる希望の道ではありますまいか?

福なるかな泣く人、彼らは慰めらるべければなり。この御言葉を信じ天国に容れられる喜びを予期しつつこの苦難の道を私共は正直に、ごまかさずに進んでゆこうと思います。嘲られ、罵られ、鞭打たれ、汗を流し、血にまみれ、飢え渇きつつ私共が賠償の重荷を担い行く時、かのカルバリオの丘に十字架を担いのぼり給いしわが主イエズス・キリストは必ず私共を勇気づけて下さるでしょう。どうか特別の勇気を弱き私共に賜りまする様、聖母の御取次ぎにより天主に御願い下さいませ。

 本日は長崎教区主催にてあなた方のために、この浦上天主堂の廃墟に於いて合同葬が営まれ仙台浦川司教様の歌ミサと赦祷式とがあげられました。浦上出身の司教様、神父様、童貞様が日本中から帰り来られ八千本の十字架をかかげる二千名の遺族と共に心しみじみ祈りを捧げております。天主の御憐みによりこの御ミサの功徳により、煉獄の火に浄められて早く天国へ上って下さい。

 ああ、全知全能の天主の御業は常に讃美せらるべきかな!浦上教会が世界中より選ばれ燔祭に供えられたことを感謝致しましょう。浦上教会の犠牲によりて世界に平和が恢復せられ、日本に信仰の自由が与えられたことを感謝致しましょう。

 願わくは死せる人々の霊魂、天主の御哀燐によりて安らかに憩わんことを。アーメン。
(長崎大学論叢 第18号 小西哲郎「永井隆の原子爆弾死者合同葬弔辞」より)






「助産婦の手記」20章  『母親は自分の心、自分の感情の一片をも一緒に、赤ちゃんの生命の中へ与えるのです。』

2020年08月08日 | プロライフ
「助産婦の手記」

20章

村の真中にある大きなパン製造所と、そのそばにある一軒のよく繁昌する居酒屋とは、フーベルの持ちものである。彼は、二人の職人を使ってやっている。開市日には、この村で、そのほかに十軒も居酒屋が営業しているのに、フーベルのところでは、もはや空席が一つもないぐらいであった。市日には、普段は免許を得ていないパン屋や、その他、小商売をしている店でも、居酒屋をしてよいという古い習慣がある。さてブーベルの奧さんもまた、一緒によく働く。彼女は、全くきちんとした女である、しかし……

そうではあるが、しかし…… もしフーベル奥さんが 妊娠すると、彼女は全く常規を逸するのである。ちょうど、今、またもや、そのようになっているように見える。きのう私が妊婦たちのところへ行こうとしていたとき、教頭の奥さんが家の戸口に立っていた。
『フーベル奥さんは、御病気ですね』 と彼女は真に気の毒そうに言った。『あの人は、ほんとに可哀そうに見えますよ。昨晚、私のところへ来て、どうか一度、団子を作ってくれと言うんです。自分の家では、何も食べる気がしないんだそうです。どこか、よそで出来たものなら、多少おいしいらしいんですね。』
『でも、フーベル奧さんの病気は、直きにまたよくなるでしょう、』 と私は言い返した。『あの人は、もう三度もそんなに変になったことがあるんです――そしてまたその後で、赤ちゃんが、生れたのですよ。』
『そうでしょうか? 私は、きのう、宅の主人に言ったばかりなのですが、もし私もそんなことをするようになったら、全く恐ろしいことだ、と。』
教頭は、若くて結婚し、そしてこの村に来てからまだ長くならないのである。
『大抵の婦人は妊娠すると、そのように多少は、気むずかしく不機嫌になろうとする傾向や、我儘勝手をする傾向や、または不安と興奮とを起すものです。しかし、そういうときには、歯を食いしばって、それに敗けてはならないですね。自制しなければなりませんね。もしそのとき、上機嫌になり喜ばしそうな顔をして、自分自身に向って、カロリーネよ、お前は多分気が違っているんだろうね! そんなことは、我々の家には全くないことなんだよ、と言い聞かせ、そして何か歌をうたうか、または、口笛を吹きはじめるなら――そうすると、そんなことは直ぐ消えうせてしまって、正常な状態にかえるのです。私たち婦人は、もう每月でも、こういうことを観察できます。一定の数日間というものは、感情生活が肉体上の出来事によって影響されます、なぜなら、人間は二つの分離した部分から成り立っているのではなく、身体と霊魂と心臓と感情とが、互いに関係し合っているからです。でも、フーベル奥さんのお母さんは馬鹿なことをしたもので、その娘さんにあらゆる愚かなことや、気まぐれをやらせて置いたんです。多分、ひとり娘だと思います。「娘のアンネルは、このことには堪えられない、そしてあのことはできない」と、母親はいつも言っていたんです。そして今日では、フーベルの奥さんのアンネルは、そのような数ヶ月間というものは、村全体の笑い草になるんです。』
『でも、もしそれが私にも関係があることなら、私はよく気をつけることにしましょう。』
『そのときは、それは赤ちゃんに関する問題だということをよくお考え下さい。教頭の奥さん。お腹の赤ちゃんは、母親自身の気まぐれによっても、もう育て損われるんです。もし妊娠した母親が、喜ばしく上機嫌であり、そして自制するなら、その赤ちゃんは、もし母親が怒りっぽく不機嫌で、あらゆる気まま勝手を自制もせずにするか、または怒って、何でもたたきこわすというような場合に比べて、全く子供の出来が違うものなのです。母親は、赤ちゃんに肉と血を典えるばかりでなく、自分の心、自分の感情の一片をも一緒に、その生命の中へ与えるのです。もし母と子が、そんなに密接に結びつけられているということを考えると、いま言った良い母親の心得に反するようなことは、とても出来るものではありません。』
『では、赤ちゃんを持つということは、ほんとに好ましいことに違いないですね……私たちのところでも、この前の時から次の子まで、あまり間が長くあかなければいいと思いますが! 宅の主人は、いつも、子供の泣き声なんか聞きたくないと言うんですよ……』
『生れぬうちは、殆んどすべての男の人は、そう言うんです。ところが、後では、その人たちは、泣き声を大抵よく我慢できるものです。』
『ですが、私は一体、フーベル奥さんをどう扱ったらいいんでしょうか? きのうは、もちろん、あの人の言う通りにしてやりましたが。』
『あの人に親切な言葉をかけてやり、そして、こう言ってやりなさい、あんた、そんなことをして廻ってはいけませんよ―赤ちゃんのために、と。もっとも、私はあの人に、ここ数年来、もう十回もそのことをたしなめてやったのですがね。あの人は、今はもう子供が三人あります。多分あの人は、私の言うことを聞かないと同様に、あなたの言うことも聞かないでしょう。そして最後には、もしある人が、しょっちゅう同じことを行っていると、その習慣は、その人の個性よりも強くなり、そしてその人は間もなく、もうそれを変えられなくなりますね。』

それから、三日後、夜おそくなって、私はあるお産のため呼ばれた。月がもう明るく空にかかっていた。村では燈火は、消されていた。ただ教員の家と村長の屋敷で、まだランプが部屋についていた。そして教会の高壇の窓を通して、不滅の燈火が輝いていた。そこの聖櫃の中にいらっしゃる一人のお方(キリスト)、 そのお方は、決して眠られることはない。非常に暗い路の上でも、私たちと共に起きておられ、かつ私たちと共に心をくばられる一つの霊がまします、ということを知ることは、非常に好ましいことである。

そのとき、私は、私から程遠からぬところで、一人の女が生垣をくぐり抜けて庭にしのびこむのを見た。一人の大柄な女が。まさか。そうなのではなかろうと思うが……しかし、まさにそうだった。私がもっと近づいてゆき、そしてその女がもはや私を避けることができなくなったとき、それはほんとにフーベル奥さんであった。彼女は、他人の庭で豆とサラダを、前掛けに一杯むしり取ったのであった。
『ちょっと、やっただけですよ。で、私はうちへ帰ったら、豆サラダを作るんです……』
『でも、フーベル奥さん、お宅の庭には、青い物が十分、生えているじゃありませんか――それなのに、夜中にうろつき廻って……』
『ここのは、私のうちのよりも、ずっと美しいのです、だから欲しくて堪らないんです――私は、今度もまた、うちのものは、もう何も食べることができなくなってしまったんです。』
『あなたは、口のおごった病身の三人のお子さんの月謝をまだ十分払っていないぐらい、お困りなんですかね? あなたは、ますます悪くなって行かねばならぬでしょうか?』
『ハハハ、でも私は仲々そんなことにはならないでしょう! 私はもうこんなに、みじめになっているんですから、そんなことは、まだ起らないでほしいものです……』

それから、なお数週間もの間、フーベル奥さんは、村中でいたずらをした。あるいはここに、あるいはあすこに、彼女は自分勝手にお客におしかけた。あるいはこの庭で、あるいはあの庭で、彼女は自分の気に入ったものを盗んだ。日中であろうが、夜分であろうが、ちょうど好い機会を狙って。幼い雄鶏やスープ用の雌鶏すらも、のがれぬ運命にあった。人々は、そのことで彼女をあざけった――ときどきあまり馬鹿なことをやられると、彼女に小言をいった。 しかし、彼女は、何といってもフーベルの奥さんであったから、人々は彼女の邪魔をせずに、思うままにさせて置いた。人々は、彼女がときどき気狂いになるのをよく知っていた。

それから、この物語は、変って行った。今や、フーベル奧さんは、自分がまたもや『そのように』なったことを確実に認識するに至った。これまでの食欲の無かったのとは引きかえて、今やその反対のことが起こった、しかもまたもや際限もなく。今や彼女は、殆んど一日中むさぼり食べた。いくら彼女に言いつけても、それを変えさせることは、もはやできなかった。克己心のない彼女の本性が、食うことと、飲むこととに集中された。早朝のコーヒーには、冷たい豚の切肉、十時頃には、ハムつきの卵、正午には雀つきの炙肉(あぶりにく)、午後にはサラダつきのカツレツと豚肉の腸詰、晚には焼いた肝臓、生の挽き肉、または、その他、何でも手当り次第にかき集められ得るもの。さらに、最後に、夜食としてハムパン三個。しかも、これらすべてのものは、もちろん、酒なしでは、平らげられなかったのである。今や彼女はブドー酒店の最もよい顧客にさえなった。彼女は、前にはみじめで痩せて見えたが、今や短時日の間に、太って丸々となったので、転がしてゆくことができそうになった。

以前と同様に、彼女は理性へは近寄って行けなかった。私にしろ、他の人々にしろ、いくら彼女を非難しても、彼女はそれを受けつけなかった。『私は、いまは二人分、食べなくちゃならないんですよ。』 そしてずっと、そのように続けてやった……
とうとう女の児が生れた。その日のことを、私は決して忘れることはできない。それは、私が四十年間に経験したうちで最も恐ろしいお産の一つであった。その子の目方は、十三ポンド以下ではなかった。私たちは、医者を二人も呼んで助けてもらわねばならなかった。もちろん、それは、フーベル奧さんの馬鹿げた栄養過多の結果に外ならなかった。それから、その憐れな女は、数ヶ月間、まるで縛りつけられ、縫いつけられたように、重い病の床につかねばならなかったが、ようやくのことで、それに戦い抜くことができた。私たちは、もともと彼女が、そのお産に堪えられ得ようとは信じていなかったのであるが……

幾年かが過ぎた。天主様は、フーベル奥さんよりも深い思慮見識を持っておられた、何となれば、もはやその後は、子供が生れなかったから。反対に、先に生れた三人の子供は、死んでしまった。小児病が村で流行するたびに、最初の犠牲者の一人は、必ずフーベル奧さんの家で見いだされた。『あすこの子供たちには、何の不自由もないんだがねえ。』と、人々は言った。『それでいて、その子供たちは、何一つ幸福を持っていないんだ。』いや、それどころか、それは子供たちにとっては、まさに不幸であった。子供たちは、すでに母親の食いしんぼうな、自制心のない本性を受け継いで生れて来た、そして誤った教育が、子供たちの中にあるその性質を一層発達させたのである。そこで、三人の太った子供たちは、もう生後一ヶ年で、栄養失調の生存能力のない子供に変じ、そして最初の嵐が来ると、すぐ圧しつぶされたのであった。
ただ一番幼いアンネレだけは、命を持ちつづけた、そして、その子は、もちろん、生きのびたがために、それこそ非常に育てそこなわれた。もう三つになると、そのいたずらっ子は、チョコレートを買うとか、またはメリーゴーラウンドに乗るとかするために、店の錢箱の中から銀貨を盗み出した。
ところが、母親はそれに対して笑った。『それは仕方がないでしょう。子供が何か食べるなら、私はそれが嬉しいんですよ。』

学校では、困ったことが引っきりなしに起った。なぜなら、アンネレは、ほかの子供たちから本や手帳や、その他の全財産を奪い取ったし、また、もし彼等が抵抗すれば、それらの物を引き破ったり汚したりした。それは本当に、貧乏からではない。その子は、欲しいものは、実に何でも与えられることができた。ところが、他人の所有物を自分のものにしたいという性質が、宿命のように、その子供のうちに潜んでいた。やがて、こういうような出来事は、学校内には、限られなかった。村の商店は、父親のフーベルに向ってアンネレのことを訴え、そしてその子の持って行った品物を返すように要求し始めた。 ますくその性質が悪化したので、途には、その子がはいって行った店では、陳列してある品物のどれかが驚くべき機敏さで必ず盗まれるようになった。色のついた子供帽、ボール、小刀、髪紐と首飾り、小さな財布とおいしいもの――何でもが、もはやその子の前には安全ではなかった。両親がきつい顔をして、その子にそんな仕業を止めるように、真剣に命じようともせず、そして『こんなことは、しかし、無邪気な子供のいたずらでしょう』と言って、すべてを片づけてしまうような有様なので、人々は怒った。憲兵が、この事件に口を出してきた――そしてある日、フーベル奥さんは、アンネレを感化教育から免れさせるために、寄宿舎に入れねばならなかった。
戦争が始まったとき、アンネレは大きな娘になっていた。彼女は、ときどき家へ帰って来たが、ほとんど通りには姿を見せなかった。多分、以前の行為を思い出されるのを恥ずかしく思ったからであろう。恐らく彼女は、以前の間違っていた習慣を打破したのであろう、なぜなら、もはや決して一つの訴えも聞かれなかったからである。とにかく、彼女は、よその家へ行くことは心配して避けた。

そして有難いことには、歲月は、地上にある非常に多くの物に変化を起させるものである。インフレーションのため、フーベルは、家屋と営業を譲り渡して、町へ引越して行った。
ある日のこと、そこの主任司祭が私をお呼びになった。行って見ると、区裁判所の公文書が、テーブルの上に置いてあった。
『困ったことになりましたよ、リスベートさん! あのフーベル・アンネレさん、今は結婚して フライターグの奥さんですがね、あの人が常習窃盗犯で拘留されたのです。貧乏のせいではない。経済状態は、非常によろしい。御主人は、何も御存知ない。恐らく他の事情によるものであろうということです……家庭の状況を尋問されています。あなたは、村のことはよく御存知でしたね。』
『母親の罪です! あなたはまだ、私の村にいらっしゃったことがないのです、神父さん。 母親のフーベル奥さんは、妊娠している時には、よその庭からサラダを、家畜小屋から鶏を盗んでいたのです。あの人のように、あんなに欲ばりな、自制心のない女を、私はこの村ではほとんど見たことはないんです。』
母親の罪……





--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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