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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「助産婦の手記」22章 『今日では、結婚した人たちは――殊に上流社会では――別の課題を持っているのです。』

2020年08月10日 | プロライフ
「助産婦の手記」

22章

別荘「こうの鳥の巣」は、教会の傍らに立っている。それは、緑色の鎧戸(よろいど)と、赤い瓦の屋根を持った質素な白い別荘であるが、それはちょうど、窓の飾り縁の上や、その家の周囲に咲いている色とりどりの花と同じように、さも喜ばしげに、世間を眺めている。樅(もみ)と樺(かば)は、今は丈高く成長し、そして外界と区切る白い格子囲いの後ろにある水松(いちい)の生垣は、その家の周囲に広がっている大きな庭の中を、好奇的な人々がのぞき込むのを防いでいる。しかし、その生垣の後ろは、どんな様子であるかということは、村の者はみんな知っている。それは、医者の家である。ウイレ先生、すなわちその地方全体で一番よくはやるお医者さんが、そこに住んでいる。家の後ろには、多くの果樹と、一軒の東屋(あずまや)のある大きな草っ原がある。そこでは、お医者の子供たちが、山羊と駈けっくらべをしている。

ウイレ先生は、殆んど二十五年も、この村に住んでいる。先生のお父さんも、以前からここの医者であった。そのお方が、年をとって隠居しようと思ったので、御子息のウイレ先生が患者を引き継いだのである。戦争の二三年前に、先生は結婚した。二人の快活な上品な人間が、ここに邂逅したわけで、こんなことは珍しいことである。私たち助産婦は、どんな家へでも訪ねていく――しかも、日曜日に、わざわざとりつくろったよい部屋へだけ通されるのではない! それゆえ、人間について何ものかを理解し、人間を見分けることを学んだのであった。

結婚式から二三ヶ月後に、ウイレ先生は、往診の途中で、私と出会い、そして言われた。
『リスベートさん、一度、家内を訪問して下さらねばいけませんよ。』
『承知しました。で私も、誠にお目出とうと申上げます!』私は、喜ばしげに叫んだ。しかし先生は少し狼狽して笑った。
『いや、リスベートさん、それはまだ早すぎますよ。御存知ですかね。家内のマリーレは、ヨゼフ樣のような結婚生活が、我々二人にとっては、一番美しく、一番上品なものだと信じているのですよ。しかし、僕は――僕としては、十人も男の子があれば、もっと美しいものだと思うし、その上、さらに半ダースも女の子があれば……』
『ほんとですよ、先生。さもなければ、独身でいるべきですわ。先生は、そのことをまだ奥さんにおっしゃらないのですか?』
『いや、まだです。あなたがまあ言って見て下さい。偶然のような具合にね、すると耳ざわりが遙かによいと思います。あなたは、御自身、オールド・ミスですから、この問題を両面から明らかにすることができるわけですね。』

まあ、助産婦を何の用に使おうとするのであろう! そこで私は、ある暇な午後、黒い前掛をかけ編物を籠に入れ、そして医者の奥さんのところへ出かけた。奥さんは、私を古い知り合いのように迎えた。『主人は、あなたがお出でになるってことを、私に言っていました。でも、よくいらっしゃいました。』 間もなく、私たちは、庭の中で、湯気の立っているコーヒーの皿の傍らに坐った。婦人というものは、実によくおしゃべりするものである。私たちも、そのように、あらゆることについて話し合った。私はちょうど(故意に)、子供のズボンを編んでいたので話の糸口は、間もなく、思う壺の題材に結びついた。
『もし困ったお母さんを御存知でしたら、早速私のところへ来て下さい。私は喜んで、おむつや、その他いろいろのものを差上げて、助けてあげたいと思いますわ……』
『誠に有難う存じます。私たちは、とても色々な境遇に出くわすのです。赤ちゃんが六十人ほどいますが、いつも何事かが起ります。』
『このような村に、わずか六十人だけですか?』と、医者の奥さんは、驚いて言った。
『そうです。もし以前のようでしたら、大体八十人か九十人かでしよう。しかし、每年二、三人ずつ少くなります。』
『それは、どういうわけですの? 以前より結婚する人が少なくなったのですか?』
『いえいえ、結婚する人は多いんです。しかし、若い奥さんたちは、今日では、もう赤ちゃんをほしがりません。上流の方々は、子供を儲けないことをフランスから学んだのです。そして細民たちは今では、そういう人たちの真似をするんです。まあちょっと、私たちの周囲を御覧下さい。子供を持っているのは、薬剤師は一人、も一人の医者はなし、支配人もなし、森林参事官は一人、酒類問屋は半分、監督は一人……』

若い奥さんは、半分の子供というのに少し笑ったが、それから狼狽して臆病げに言った、『ブルゲルさん、それとは違ったゆき方もあり得るわけじゃないでしようか? 理想的な理由から、子供を持たないこともできるものですね。』
今や私たちは、私が行きたいと思っていた所に辿りついた。『確かに、奥さん、それはできます。しかし、大抵はそうではありません。今日では、大抵違ったことをやっています。そして御覧のように、それは害悪を与えます。細民たちは、富んでいる人々を見て言います、もしあの方たちが子供を育てる力があるのに、そうしないのなら、どうして我々は、育児で苦しむ必要があろうか、と。』
『でも、私にとっては、夫婦が兄妹のように生活することは、 とても美しいもののように思われるのです。一体、どうして人間は、そうしては、いけないのでしようか?』
『それは人々に、あなたのお考えのような理想主義と、そのことに対する理解とが欠けているからです。そしてそれは、全く一般の人間の性質に反しているからです。私たちの救世主は、御自分でおっしゃいました。「すべての者がこの言葉を理解するのでなく、むしろこの言葉を与えられた人々のみが、そうするのである。こういう事は、人間が自分自身で解決するものではなく、天主が定め給うのである。」 と。天主は、大抵の人を結婚するようにお定めになりました。それは、人類が生きつづけ、そして天国の人口を増やすためです。そしてそれゆえ、人間はまた、正しい夫婦として、一緒に生活すべきです。もし、そうでなければ、そこには祝福はないわけですね。』
『でも、私たちは、とても幸福に一緒に暮しているんですが……』
『奥さん、何かお尋ねしても宜しいですか? あなたは、結婚式の前に、御主人とそのようなお約束をなさったのですか?』
『いえいえ。その時には、私はそんなことは考えていませんでした。私たちがあの晚、ここにこうして一緒に座ったとき、はじめて私は、このことを思いついたのです。そして私がこのことを言いますと、主人は反対をせずに、まあ試しにやって見てもよかろうと言ったのでした。』
『御主人は、あなたを大変愛していらっしゃるから、あなたのために犠牲を捧げ、そしてあなたが正しい道を見いだすまで、待っていらっしゃるのです。悪いことではありませんよ、奥さん。しかし、御主人が確かに夫婦愛を熱望していらっしゃるのに、あなたがそれを、おあずけにしていらっしゃるということは、御主人に対して一つの不正なことではないかどうかということを、一度お考え下さい。御主人は、子供ができることを、いつも望んでいらっしゃるのですよ……』
『でも私たちは、一緒に天国への道を歩んで行こうとお互いに約束したのです。お互いに聖(きよ)くなるよう助け合おうということを。』
『そのことは、もちろんあなたも、なさるべきです。しかし奥さん、あなたが一たび婚姻の秘蹟をお受けになった以上は、たとえあなたが、その秘蹟を実行し、そして妻としてのあなたの権利を行使されても、それには、あなたと御主人とが、天国への道を辿られるのに何の妨げともならないのです。善良な正しい夫婦も、私たち独身者と同様に、聖くされることができるのです。恐らく、もっとよく。そして、いいですか! もちろん私は主任司祭ではありませんから、このことをそのように言うことはできないのですが――しかし結婚しても処女でいる人は、半端な物に過ぎないのです。処女は、主のものならんことを求むるなりと、使徒聖パウロは書いています。しかし、あなたは、なおもっと御主人のことを思い、御主人と仲良くしようとつとめ、御主人の気に入り、愛せられようと望んでいらっしゃるのです。御主人を慕い、そして、お互いに信頼し合って同棲することと、深い愛情とを望んでいらっしゃるのです。そして、あなたの御主人も確かに、それとは違ったお気持ちではないと思います。御主人は、每日犠牲を捧げ、そして、こう自分で言っておられるのです。私は、いわゆる「妻」を持つことをあきらめ、そして待っているのです、と。そして天なる天主は、こう考えていらっしゃいます。あすこで、またしても二人のものが、私のために一緒に苦しんでいる。あの人たちは、結婚についての私の意向を実行して、一緒に全く幸福になろうとせずに、自分たちの誤った理想主義をもつて、私の計画を妨げている、と。』
『ブルゲルさん、いいですか、私はこう考えたのです。人々が現在ではもう、禁欲というものはできるものではないと考えているものですから、その人たちに向って、これを実際やって見せねばならない、と。』
『純粋な処女生活をして世間の人に見せることは、私たち独身者に任せて置いて下さい。みんなが、まだ子供を持つ喜びをもっと感じており、そして家庭一般に子沢山であった時代ですと、そのような全く禁欲的な夫婦生活は、一つの使命を持つことができたでしょう。しかし、今日では、結婚した人たちは――殊に上流社会では――別の課題を持っているのです。この村では、人々はこうは言わないでしよう。お医者さん御夫婦は、純潔な禁欲生活をしていらっしゃる、我々は御夫婦に倣おうではないかと。そうではなく、人々はこう言うでしよう。あれ御覧、どうすれば子供が出来ないかということを、お医者さん御夫婦も御存知だ。それなのに、私たちは子供を持ち、そしてそのために苦しまねばならないんだと。このことは、医者への信頼を破壊します。あなた方のなさるそれ以外の善いことを、ぶっこわしてしまいます。しかし、私がこんなにお説教したことを、どうかお許し下さい。私は思ったままを言ったばかりです。さて、これから私は、妊婦たちを見に行かねばなりません。』
『あなたは、今、いくたりお世話をしていらっしゃるのですか?』
『二人です――はじめてのお方と、十一人目のお子さんの方とです。このことについては、またこの次ぎにお話しましよう。人は誰でも、それぞれ一篇の小説を持っているものです。』

私たちは、それからなお三十分も一緒に歩きながら、母の悩みと母の喜びとについていろいろ話し合った。 いかにして人生が、それらのものをもたらして見せるかということを。 それから医者の奥さんは、心を改めた。奥さんは、帰宅の途中、教会に行って、長い間、静かに、かつ瞑想に耽りながら、天主の御母の祭壇の前にひざまずいた。 (このことは、奥さんが、後で私に話して下さった)

この晩、アンゼラスの鐘が鳴りわたった時、一つの大きな純粋な光が、この静かに祈っている処女の喜びに満ちた心の中にさし込んだ。『マリア様は言われました、われは主の婢(つかいめ) なり――仰せの如くわれになれかしと。私もまた、天主様の全く忠実な婢となって、私の婚姻上の義務を果すこととします。私が結婚式のとき、祭壇の前でそのことを身に引き受け、そして天主の御前で誓った通りに。もうこれからは、私の意志ではなくて、主よ、御身の御旨です――その御旨は、いま私のために、およそ正しく善い一切の事柄について、私の夫の意志の中に現われるべきなのです。』 子供を得たいという意志が、彼女の心の中に、全く甘美に、かつ大きく目覚めた――子供への熱望が……
あくる年の夏、ちょうどヨハネの祝日に、小さなハンスがこの医者の家で生れた。
『リスベートさん、うんと高い勘定書を差し出しなさいよ。』と当時、多くの人たちが私に言った。
『でも、あんたがそこへ行くのも、これが同時に最後だということは確かですよ。』

しかし、彼らは、大間違いだった。ハンスにつづいて、グレーテルとパウロとペーテルレとメヒトヒルドとフランツェル……へえ、とばかりに、村の人々は驚いた! 彼らは、この「こうの鳥の巣」は、教会堂から落っこちて、今そのそばに立っているんだ(だからあんなに、子供が多いんだな)と、低い声で、あざけりはじめた。
その後さらに、ゲルトルードが生れたときには、お医者さんにとっては、その家は小さ過ぎるようになった。そこで彼は、屋根裏を改造して、子供たちのために美しい寝室を作り、そして原っぱにある園亭を遊戯室に改造した。同時に、彼は自宅の門の上に、大きな字で、かつ、ざっくばらんに、次のように書かせて、嘲笑の鋒先きを巧みにくじいた。
別荘 こうの鳥の巣

十羽の幼いこうの鳥が、今日までこの巣の中にいる。そして我々の村は、まだまだ、多くの他所のように、そんなに全く不道徳な、みじめなものではないということは、まず第一に、我々の医者の実例で証明できる。




新使徒憲章 Praedicate Evangelium プレディカーテ・エヴァンジリウム【福音を宣教せよ】(その2)

2020年08月10日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

今年の12月8日、第二バチカン公会議の閉幕55周年を迎えます。公会議でまかれた種が木になり、実を結び続けています。アマゾン・シノドスは「新たな聖霊降臨」とされましたが、教皇フランシスコは「新たな聖霊降臨」を待望しています。

新使徒憲章 Praedicate Evangelium プレディカーテ・エヴァンジリウム【福音を宣教せよ】公布は間近いとのニュースを耳にします。これにより、バチカン改革と主要枢機卿ポストの交替が目前に迫っています。

第二バチカン公会議以前には、カトリック信仰こそがカトリック教会の宝であり、最も大切なものでした。したがって、検邪聖省(Holy Office)が、最も重要な機関でした。

しかし、第二バチカン公会議以後は、検邪聖省は単なる「教理省」となり、「国務省」が「教理省」より大きい権力を持つようになりました。

新しい使徒憲章によって、教理省は「教理部署」になるか、あるいは、リストの順位が一位になる「福音宣教部署」に統廃合されて飲み込まれて、無くなってしまう可能性もあります。

女性が様々な部署の長官になるでしょう。

世俗の国家のように、国務省と財務部署が、権力を振るうでしょう。

計算し尽くせない結果が新しい使徒憲章から生じると思います。しかし、教皇の使命は「兄弟たちの信仰を固める」ことです。

私たちは、今までに増して、教皇聖下の為に祈ります。

さて、日本語に訳された記事から、以下、要点をご紹介いたします。

カトリック教会の中心にあるバチカン、その官僚機構のメンタリティと構造を改革しようする教皇フランシスコの現在の最も野心的なプロジェクトだ。

フランシスコは2013年3月に教皇に選出されてちょうど一か月後、「枢機卿顧問会議(C9)」を設けた。

当初、世界各地から教皇が選んだ9人で構成され(現在メンバーは6人)、そして、現在のバチカンの体制を規定している使徒憲章『Pastor Bonus』に代わる新使徒憲章によって、バチカンを抜本改革する計画を策定するという具体的な使命も与えられている。

『Praedicate Evangelium』の草案は1年以上前に完成しているが、教皇は世界各国の司教協議会、特定の修道会の総長たち、そして何人かの神学者たちから、追加の提案を受けることを希望された。

今年の2月22日の聖ペトロの使徒座の祝日、遅くとも6月末の聖ペトロ・聖パウロの祝日までに最終文書が発表される、ということが、今年の年初には言われていた。

バチカンの情報筋によると、新使徒憲章『Praedicate Evangelium』は完成し、教皇フランシスコが既に署名を終え、主要言語への翻訳作業に入っている。翻訳が完成すれば、新使徒憲章は正式に公開される、という。

新使徒憲章がいつ発表されようと、それは歴史的なものとなり、影響は多岐にわたると予想される。

新使徒憲章が実施に移されると、バチカン幹部の大規模な人事異動だろう。

間もなく、バチカンを拠点に活動する枢機卿20人以上が司教定年=現職の閣僚ポストからの退職の年令=を迎える。このため、あたらな指導者たちの任命が必要となる。

・司教省長官
教皇フランシスコは、司教省の長官、マルク・ウエレット枢機卿の後任を決めねばならない。

・典礼秘跡省、東方教会省、教育省の長官
典礼秘跡省の長官を務めているロバート・サラ枢機卿も6月15日で75歳になった。

・東方教会省長官のレオナルド・サンドリ枢機卿も76歳で、交替期を迎えている。

・教育省長官も交替するだろう。現長官のジュゼッペ・ベルサルディ枢機卿は今月末に77歳になる。

・聖職者省長官、列聖省次官
聖職者省の長官を務めてきたベニアミノ・ステラ枢機卿も交替が求められている。
聖職者省の次官、ジョエル・メルシェ大司教も交替となる可能性がある。年初に75歳になっているからだ。
列聖省の次官、マルチェッロ・バルトルッチ大司教も、このほど76歳となったため、教皇フランシスコが彼の辞表を受理すると予想される。

・バチカン市国の管理者たち、内赦院長
現在の行政庁長官のジュゼッペ・ベルテッロ枢機卿は2011年からこの職に就いており、あと3か月で78歳の誕生日を迎える。
総務局長を2013年から務めている大司教フェルナンド・ヴェルジェス・アルザガ大司教も定年だ。2人とも交替となる。
内赦院長のマウロ・ピアチェンツァ枢機卿もそうだ。
・教理省長官
教理省長官のルイス・ラダリア枢機卿。スペイン人イエズス会士は今年4月に76歳になった。

・新福音化推進評議会議長サルバトーレ・フィジケッラ大司教
教皇フランシスコは現在、 同評議会の廃止、福音宣教省への機能統合を進めている。教皇は福音宣教省の長官に63歳のフィリピン人アントニオ・タグレ枢機卿を任命したばかりだ。

経済評議会(財務評議会)the Council for the Economyを構成する8人の枢機卿のうち、5人ないし6人が退任する。
経済評議会の座長で66歳のミュンヘン大司教、ラインハルト・マルクス枢機卿は同評議会に残る。

教皇は、バチカン財務の実権握る財務評議会議員に女性6人任命
バチカンは6日、教皇フランシスコが財務評議会の新議員に女性6人を任命した、と発表した。
財務評議会は、教皇庁の各省庁や聖座とバチカン市国に関連する諸機関の財務の管理・運営を監督する機関。
議長に教皇の腹心とされているラインハルト・マルクス枢機卿を置き、教皇がバチカンで最重要視する機関の一つ。これまで全員が男性で占められていた定員15人の議員ポストに一挙に6人の女性任命。

バチカン改革で枢機卿も欠員を補充せねばならないが、対象者はまだ枢機卿になっていない者も含まれる可能性がある。そのような予想の根拠は、近く開かれるであろう枢機卿会議に備えて15個の指輪を発注したことにある。









公式発表が間近に迫ると言われている新しい使徒憲章「Praedicate Evangelium プレディカーテ・エヴァンジェリウム」

2020年08月10日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

すでに一年前に報道された内容ですが、あまり知られていませんし、公式発表が間近に迫ると言われているので、新しい使徒憲章「Praedicate Evangelium プレディカーテ・エヴァンジェリウム」についてご紹介いたします。

草案をもとに一年前に報道された内容によると、新しい使徒憲章「Praedicate Evangelium プレディカーテ・エヴァンジェリウム」は、国務省への権力の集中化と、教義的規律の弛緩化につながるだろうと予想されています。要点を挙げます。

*バチカンの行政機構を完璧に変革させる。バチカンの様々な部署を合理化し統廃合しスリム化する。
*「省 Congregations」などは皆、「部署 dicasteries」に名前を変える(格下げされる)。

*「福音宣教部署」がリストの最初に挙げられる。教会が何を優先するかを暗示させる。(今までは「教理省」がリストの最初にあり、省の中で一番重要であると考えられていた。)

*すべての部署は、互いに法的に平等だとされる。ただし、例外は「国務省」(Secretariat of State)である。国務省は、名前もそのまま残る。

*いままでは、各省は、教皇からの恒常的な委任を受けていたので、教皇の権威をもって一般法令を発布することができたが、これからは、すべてにおいて教皇の特別の許可が必要となり、教皇に権力が集中する。しかし、教皇の許可を一つ一つ、各部署が取ることは極めて困難になるので、国務省の力がますます強くなる。

*平信徒も(女性を含めて)各部署の長官となることができる。(今までは聖職者のみが統治の行使を実行できると教会法の規定があった。)ただし、国務省の長官だけは、枢機卿でなければならない。(現在は、ピエトロ・パロリン枢機卿)

*新使徒憲章は、前書きで団体主義 collegialityや、補完性 subsidiarity について語っているが、実際は単なる「国務省」への権力の集中化。教皇の承認なくしては何もできず、教皇に近づくには国務省長官を通さなければならない。

*部署の長官たちは、頻繁で定期的な会合を行うことが想定されている。「崇高な原理」だが「デザインにより不効率」に終わるだろう。ソヴィエト式モデルに従って、話し合いは多いが、国務省[書記長]が全てを決める。計画的に教皇の承認を受けるのが難しくしてある。

*国務省への権力の集中化にバランスをとるために、各国の司教評議会により大きな権力が移譲される。

*改革された「教理部署」は、「信仰の擁護」のために、地方の司教評議会と協力することになり、補完性の原理を適応する。個別教会については地方の司教評議会が「主要な責任」を負い、彼らが「正真の教義的権威」を享受する。

*この草案に対する反応をいくつか挙げると、今後は、ローマは、地方のことに口をはさまない。離婚して再婚した人たちに聖体拝領をするか否かで大きな混乱が起こったばかりであるが、地方の司教たちに「真正の教義的権威」があるとすることは、より大きな混乱が予想される。各国の司教評議会との「連邦制」の始まり。これは、教皇庁が解決するために存在している諸問題を、まさに、作り出すために計画された新しいシステム。権力と資金は全て国務省に行く。そのほかは全て窓から捨てられる。

Analysis: New Vatican constitution to centralize power in state secretariat


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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