Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母信心への結果としての、イエズス様とマリア様の内に燃えていた「霊魂を救いたい」というその熱烈な望み

2021年06月16日 | お説教・霊的講話
2021年5月6日(初水)秋田巡礼
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父霊的講話4

「聖母信心への結果としての、イエズス様とマリア様の内に燃えていた「霊魂を救いたい」というその熱烈な望み」



シャミナード神父様による、「マリア様が私たちの母である」という話の続きを致しましょう。

私たちは最初に1回目に、シャミナード神父様の経歴と私たちの関係を見て、そして特に、フランス革命の時にスペインに行って、特別のマリア様のインスピレーションを得た、特に「マリア様が私たちの母である」という事に対して、大切である、という事を深く確信した、そしてその私たちがマリア様の子供であって、マリア様が私たちの母である、という事に基づいて、修道会を創ったり、そして私たちにマリア様に対する信心を広めようとした、その信心の理想像が、イエズス様である。私たちのマリア様の信心というのはつまり、「イエズス様を真似する事である、キリストに倣う事である」という事を見ました。

イエズス様が私たちの聖母の信心の理想である、それを真似するのが私たちにとって一番の願いであって、最高の息子であるイエズス様がなさった最高の母親に対する愛を、私たちもそれを真似したい、イエズス様と一致する、キリストの真似をする、というこの究極はどこにあるかというと、「イエズス様がなさったように、私たちもマリア様に奉献する。」

そして昨日、マリア様に対する奉献について見ました。マリア様は私たちの母であって、私たちはマリア様のものであるので、その所有権を持っておられるので、それをもう一度確認する。そしてイエズス様の持っていた子としての愛を、もう一度私たちの内に実現させる。

そしてマリア様の私たちに対する愛を知れば知るほど、特に十字架の下での苦しみを知れば知るほど、私たちもマリア様に愛を以って返そうとする、という事を見ました。

では、そこからの論理的な結果で、マリア様が私たちの母で、イエズス様の真似をする、そしてイエズス様の真似をして奉献する。でも一体何の為に、イエズス様は人となって、何の為に、イエズス様は贖いの業をしたのでしょうか?

それは、私たちを超自然の命に生み出す為、私たちを天主の子供とする為、御恵みを、超自然の恵みを私たちに与える為、私たちの救霊の為でした。

そして十字架の上で、そして十字架の足下で、イエズス様とマリア様は二人で、私たちを超自然の命に生み出そうと、言葉にもする事のできないほどの恐ろしい、ものすごい苦悩を受けられました。

そして私たちもその願いに、その望みに、イエズス様と一致して、「霊魂を救おう」と思うわけです。
そこで今日は、イエズス様とマリア様の内に燃えていた、その「霊魂を救いたい」というその熱烈な望みを、聖母信心への結果として、私たちの心にも持つように致しましょう。

先程、「マリア様に対する信心は、イエズス様を真似する事である」と申しましたけれども、イエズス様を真似すればするほど、イエズス様を真似て聖母への信心をすればするほど、聖母は私たちにですね、こういう事を言っているのです。

“Quodcumque dixerit vobis, facite”「彼の言う事を、何でもしなさい。」(ヨハネ2:5)

ちょうどカナの婚宴の席であったように、そこで私たちのイエズス様に対するキリストの模倣は、ますます完全なものとなっていきます。キリスト者の目標は何かというと、「キリストを真似する者」であって、「キリストに従う者」ですけれども、どこにどうしたら、イエズス様の命や、イエズス様を見つける事ができるでしょうか?

それはマリア様です。シャミナード神父様によると、「私たちはマリア様の胎内にでしか、イエズス様を見出す事ができないし、イエズス様の命を見出す事ができない。第二のキリスト“Alter Christus”、もう一人のキリストとなる為には、どうしてもマリア様を通さなければならない。

もしも聖パウロが言った事を言いたいのならば、『私にとって生きるとはキリストなり』(フィリッピ1:21)これをするには、どうしてもマリア様によらなければならない。

そして『マリア様に私たちを奉献した』というのは実は、その意味は、私たちがイエズス様とマリア様を真似するのみならず、ちょうどイエズス様が、イエズス・キリストがマリア様と共に霊魂の救いの為に働かれたように、私たちもマリア様と共に霊魂の救いの為に熱心に働く、という事である。聖母に対する奉献はつまり、『霊魂の救いの為』である」と言います。

こうやって、シャミナード神父様によると、「マリア様に私たちを奉献させるというのはすなわち、『霊魂を救う為に、多くの霊魂を救う為に、私たちの全てを使って下さい』と言う事と等しい」と仰います。

多くの霊魂の救いの為に私たちを使う、という事はどういう事かというと、「マリア様に、私たちの考えとか、言葉とか、あるいは仕事とか、あるいはお祈りとか、あるいは全てを、日常生活の全ての犠牲や、苦しみ、病気、あるいはその他をマリア様に捧げて、それを使って下さい」と言う事。という事は、「聖母の御恵みの分配の仕事に、使命に与る、参加する」という事。

もうちょっと詳しく言うと、「御恵みを分配するというのはつまり、悪魔の手から霊魂を引き離して、天主の命へと導く事。つまり悪魔との戦い、ルチフェルとの戦いに参加して、そして遂には勝利を得る。マリア様の勝利の側に立つという事だ」と言います。

説明します。マリア様のミッションというのは使命というのは何かというと、「全ての人々の母となる」という事です。ある人間は子供たちは、本当はマリア様の子供となるべく生まれてきたのですけれども、いわばそれが出来ずに、地獄に落ちてしまう、つまり流産してしまう、生まれずにそのまま死んでしまう、という、それがないように、多くの人間が、できるだけ多くの人が、生けるマリア様の子供たちとなる事です。

言い換えると、マリア様の使命は今でも続いていて、それがイエズス・キリストの命を私たちの内に作り出す、という事、全ての人々において作り出すという事、イエズス・キリストを私たちにおいて形作る事です。

その為にこそ、イエズス様は十字架で苦しまれましたし、御血を流されましたし、その為にこそ、マリア様は十字架の足下で涙を流されて、その殉教の苦しみを御捧げしました。

ですからこの私たちが、マリア様に私たちを奉献するというのは、天の最も崇高な戦い、霊魂を救うか救わないか、永遠の命に導くか導かないか、という最も高いレベルの戦いに参加するという事です。

地獄に対する敵対に、私たちは戦いを挑んでいるという事です。マリア様が蛇の頭を踏み砕くのに参加する、それをそれに手助けをするという事です。そして全世界を、イエズス様の元に連れて来る、多くの人々をマリア様の子供として、イエズス様の命を与える。キリスト者という、マリア様の子供を増やす。どこに、世界中どこであっても、真の信仰と、イエズス・キリストの本当の教えを、宗教を広める、導入させる、それを伝える。

これが、私たちのマリア様の奉献の結果の態度です。

ですから、このマリア様に私たちが奉献するという事は、非常に深い、また高い意味を持っています。つまり、私たちが霊魂の救いを、多くの霊魂たちが天国に導かれるようにと、マリア様と共にいつも一致している、という事ですから。今、これほど必要とされているものはありません。

なぜかというと、今、「霊魂の救い」という事を私たちに言って下さるのは、今世界中どこでも、ほんの例外を除いて、無くなってしまったからです。

もちろんテレビやラジオではそんな事言いませんし、ニュースもそんな事はありませんし、教会でさえも、エキュメニズムとか、あるいは自然環境を守るとか、絶滅危惧種を守るとか、100年前にファチマにマリア様がお現れになって、悲しい顔をして霊魂の救いを訴えて、「祈りと犠牲を捧げてほしい。」天使が額ずいて御聖体を礼拝しながら、霊魂の救いの為に、子供たちにお願いして、「祈りと犠牲を捧げてほしい。」その事を言う人の声がますます少なくなっている今、無くなって消えかかっている今、まさにマリア様への奉献が必要となっています。

なぜかというとイエズス様は、マリア様を通してのみ、私たちの元に来る事ができましたし、マリア様がいなければ、私たちはイエズス様を見出す事ができませんし、マリア様がないところでは、イエズス様は来られないからです。

ですから、もしも霊魂を救いたいと思うならば、どうしても聖母と共にしなければなりません。それこそが、私たちがイエズス様と私たちを一致させる事で、それで私たちの考えも、望みも、行動も、すべてイエズス様と一つになって、マリア様を通して捧げる、そうすればマリア様が、全ての必要な御恵みを霊魂たちに分配する事ができる、その特権を使う事ができるからです。そうすればマリア様は、遂には、蛇の頭を粉々に砕く事ができるからです。

もちろん、無原罪の御宿りで蛇の頭は粉々に砕かれました。しかし、まだ私たちに対しては襲いかかっています。その私たちに襲いかかる蛇の頭を粉々に砕く事が、マリア様にはできます。

そこで私たちのマリア様への信心は、「霊魂を救いたい」という母の熱烈な思いに一致するものであって、「私たちの全てを、マリア様と共に、マリア様において、マリア様の為にする」という事です。

これは聖マリ・グリニョン・ド・モンフォールの言い方ですけれども、シャミナード神父様は、「マリア様の名前において、マリア様の栄光の為にしなさい」と仰っています。

そしてこの信心について、シャミナード神父様のその考えをうまく表現した弟子がいて、それがエミル・ヌヴェールという人です。

これはマリア会の司祭で、その神父様が(今私が話した事はこの神父様が書いた事をコピーしただけなのです)、『我が理想:マリアの子なるイエズス(シャミナード霊父の精神による)』という本を書きました。小さな本なのですが、「イエズス様が持っていたマリア様に対する信心、マリア様に対する愛こそが、私たちが取るべき理想であって、これこそが最高のマリア信心である」という内容の本なのです。

これを最後に皆さんにお読みする事をお勧めしたいと思っています。そうする事によって私たちが、マリア様の良き子供として、そして奉献をして、そして遂に霊魂の、多くの霊魂の救いの為に、どんな事をする事が良いか、という事をこの本で皆さんに詳しく、実践的なやり方で具体的にヒントを提示しています。

それでは今から10分ほど休憩を入れて、それで次にドモルネ神父様の話を聞きましょう。




2021年5月4日(火)秋田巡礼 講話3 「聖母に自分を奉献することの意味」

2021年06月16日 | お説教・霊的講話
2021年5月4日(火)秋田巡礼
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父霊的講話3
「聖母に自分を奉献することの意味」

今日のこのお話は、2つの部分に分かれています。

⑴最初は、「MI:汚れなき聖母の騎士」について、

⑵次に、明日行なう「奉献」についてです、「奉献とは何か」という事について。

⑴では、「MI」について。
これは今日、ドモルネ神父様がポンマンの聖母について話して下さった、マリア様が挿絵というかビジュアルな形で示して下さった事が、実際に私たちが行なう事ができるように、組織を作るようになったことです。

1917年10月、ちょうどファチマの太陽の奇跡があって4日後、10月17日、コルベ神父様はローマに居て、「悪の勢力と、キリストの勢力が戦っている」というのを目の当たりにして、「そのマリア様の勝利の為に、聖母の軍隊を作るべきだ」とインスピレーションを受けて、そして10月17日に初めて、汚れなき聖母の騎士会を創立しました。ローマの神学校で創りました。

コルベ神父様によれば、「私たちは天主の御旨を果たさなければならないけれども、その御旨は、2つにまとめられる。その2つは、愛の掟であって、『天主を愛する事』、そして『隣人を愛する事』である。」

私たちの理想は、私たちがこの天主の御旨を果たす事ができる為には、イエズス・キリストの真似をしなければなれなりません。イエズス・キリストがなさったように、しなければなりません。
「私があなたたちを愛したように、隣人を愛しなさい。」

ところで、「天主に対する愛」、それはまぁ、天主様の御憐れみと御助けによって、一生懸命する事を守ろうとしますが、ところで「隣人愛」については、「イエズス様がなさったように、私たちが隣人を愛する」というのは、非常に難しい、極めて高い教えのように私たちには響きます。

どうしたら良いのでしょうか?イエズス様がなさったというのは、「隣人の為に自分の命を捨てて、その救霊の為に全てを捧げた」という愛だったからです。

そこで私たちは、隣人を愛する為に、イエズス様と同じように愛する事ができる為に、隣人の永遠の命、つまり本当の愛徳を求める為には、私たちはイエズスがなさったというその贖いの業のみならず、イエズス様がなさった事全てを真似る必要があります。

つまり、「イエズス様がなさったように、マリア様と共に、隣人の救霊の為に力を尽くす」という事です。そしてそれはどういう事かというと、「隣人をやはり天主の子供とする為に、マリア様の子供とする。それこそが、私たちにとってできる事だ」という事です。

「この事をイエズス様は私たちに求めている、『私がやったように、互いに愛しなさい。』」

では、その為にはどうしたら良いかというと、「マリア様にはそれをする功徳があって、力が与えられて、それをする事ができる。ただ、マリア様がそれをする事ができる為に、『パイプライン』が必要だ。運河というか『水道』が必要であって、そのマリア様の御恵みを運んで、それを適用させる何かが必要だ、その『道具』が必要だ。もしもその水道がなければ、道具がなければ、本当にチャチなものであっても、ダムに湛えられた水は流れない。」

「それなので私たちは、『マリア様の忠実な道具となる』事が求められている、パイプラインとなる事が求められている。そして私たちが、そのマリア様からの影響をたくさん送り出す事ができるような、良いパイプラインになればなるほど、ますますマリア様は働く事ができる。」

では、どのように私たちは良い道具となる事ができるでしょうか?

それは、私たちがいつもマリア様と接触している事であって、マリア様と繋がっている事なのですけれども、そしてマリア様と繋がる最大のやり方は、お祈りであって、そして最高のお祈りは、「ミサ聖祭」。ファチマのマリア様が仰ったように、「『祈り』と『犠牲』によって、罪人の回心を祈りなさい。」

「ミサ」、「祈り」、「犠牲」。

そしてこの犠牲の中には、「どのような犠牲が一番効果がありますか?イエズス様の聖心に適うものですか?」とシスタールチアが聞いたら、マリア様は、「私たちの日常の義務を、それをイエズス様に捧げる事だ」と仰いました。

マリア様はですから、「イエズス様と一緒に一致して、私たちの日々の生活を、マリア様を通してお捧げする事。」

これはこの教えはちょうど、ドモルネ神父様が仰ったFr.ゲラン主任司祭、ポンマンの主任神父様、あるいはドン・ボスコがある時、駅で冒瀆を吐いてる人の為にお祈りをしたら、その人は後に回心したとか、あるいはジャシンタ、聖ジャシンタが小さな子供であるにも関わらず、病の身をいけにえにして祈りを捧げて、祈りを込めてそれを捧げた、そして多くの回心の為に祈った、罪人の回心の為に祈った、それと繋がっています。

では、どのようにこの道具となるという事でしょうか?私たちは非常に弱いものですから、「そうだ!道具になろう!」と思っても、1時間後には忘れてしまうかもしれません。

それで、それがないように、特別な組織をコルベ神父様は創ってくれました。それが、『無原罪の聖母の騎士』です。私たちが、「マリア様の道具として私たちを奉献して、マリア様に使ってもらうようにお願いする」という事です。

この道具は同時に、悪魔との戦いの道具であるので、『騎士』という名前が付いています。なぜかというと、このマリア様の為に戦うという事は、「マリア様の元に付く」者は、「悪魔と蛇の頭を踏み砕く側に付く」という事で、既に世の初めから、世の終わりまで、悪魔とマリア様の間に敵対が置かれているからです。

では、この奉献の為にはどんな事が必要なのでしょうか?何か条件があるのでしょうか?

非常に簡単なのです。私たちをマリア様の為に、「マリア様の道具として使って下さい」という奉献の祈りを私たちが申し上げて、そしてそれを時々思い出して更新する。

そして毎日不思議のメダイを身につける。

不思議のメダイに与えられたそのお祈りを毎日1回唱える、『ああ原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え。また御身に依り頼まざるすべての人々、特にフリーメーソン会員のため、また御身に委ねられしすべての人々のために祈り給え。』

それだけです。そしていつも私たちのする祈りや日常生活を、マリア様の思し召しのように使って下さるように、という意向を持つだけです。


⑵では、この「聖別」「奉献」というのは一体どういう事なのでしょうか?

この「奉献」という事をですね、今日は、シャミナード神父様が何と言っているか、という事をちょっとご紹介したいと思っています。

私はシャミナード神父様の言っている事が、聖グリニョン・ド・モンフォールと同じなので、これはきっと(聖母マリアへのまことの信心を)読んだに違いないと思ったのですけれども、よく調べてみると、グリニョン・ド・モンフォールの書かれた本『聖母マリアへのまことの信心』は、フランス革命の前に書かれて、フランス革命の間は隠されていて、その後発見されたのですけれども、発見された時は1840年で、シャミナード神父様がもはや80歳の時だったので、そして既にそれの前から同じ事を、グリニョン・ド・モンフォールが言っている事をですね、既に言っていたので、おそらくこれはグリニョン・ド・モンフォールの本を読んだのではなくて、サラゴサの柱のマリア様からの特別の啓示があったから、これは確かなのです、それからインスピレーションを受けたのだ、と研究者は言います。

そこで、シャミナード神父様によると、「奉献とは何か」という事を、「マリア様の子供」という観点から言っているので、少し紹介させて下さい。

では、4つのポイントで、シャミナード神父様は奉献についてこう言っています。

第1のポイントは、まず、「マリア様が私たちの母なので、母親としての所有権を持っているから。母としての権利があるから。」

第2のポイントは、「私たちがマリア様に対して持っている愛は、イエズス様の、子供としての持っているマリア様に対する忠孝の愛、親孝行の愛を再現したいから。」

なぜかというと私たちは、シャミナード神父様によると、「イエズス様が十字架の上で、ヨハネを指し示しながらマリア様に向かって、『汝の子を見よ』と言った時に、実はこの『汝の子』というのは、実は自分の事であって、『私と一致している者、私の一部である。これも私の一部であるから、お前の子供である。私と一つになっている者だ』と言った」と解釈しています。

ですから私たちも、「そのイエズス様の持っていた愛を、私たちにおいても再生したい、もう一度それを作り出したい、と思うから。」

3番目は、「マリア様は、私たちの幸せと至福を願っている。マリア様が願っているのはただ私たちの全ての幸せと、喜び。そしてその為にこそ、私たちは悪魔の支配から離れて、天主様に近寄らなければならない。幸せの元に行かなければならない。つまり回心して聖化されなければならない。」

そして、「ところが天主の御計画によれば、この『回心』と『聖化』というのは、マリア様とイエズス様とが一緒になってなされたので、人々の回心や聖化(聖となる事)も、私たちとマリア様が一緒に協力してこそなされるようになる、という事を望む。なぜかというと、私たちとイエズス様は同じだから、一体だから。私たちもイエズス様と一体となって、マリア様と協力して、霊魂の救いの為に働く。これが天主様の計画である。」

ですから、「贖いの聖寵が誰かに与えられる為には、誰かの協力が必要である。マリア様がそれを与える為には、誰かの協力が必要である。例えばイエズス様が、使徒や司教様や司祭たちを使って御恵みを、秘跡などを与えるように、マリア様も天主様の計画によって、御恵みを与える為に、マリア様の子供が、そのお母さんを助ける必要があるように望まれた。」

では最後4番目には、ではこのマリア様への奉献というのは、どんな特徴を持っているのでしょうか?

それは、子供としての、子供らしい特徴を持っています。つまり、「お母さんからの愛を受けて、それへの感謝として、それの応えとして、愛に挑発されて、愛し返したい、という思いによる奉献」です。

そして、「このマリア様の愛に応える為に、私たちが頂いたものを全て、マリア様のものとなりたい。イエズス様が全て御自分をマリア様のものとしてなさったように、御胎内におられて、そしてマリア様の良い子供となられたように、マリア様の初子であるイエズス様がなさったように私たちも、イエズス様と一緒になってマリア様のものとなりたい。」

そういう忠孝の子供の心で、マリア様に奉献するという事です。

そしてこの受けた愛を、また愛で応える事によって、その愛は更に強くなって、強烈になって、そして「できれば、その私たちを愛して下さるそのマリア様の利益の為だけに、お喜びの為だけに、他の事は何も考えずに与えたい。全てを与えたい。命も死も、身も心も、全て使って下さい、と言いたい。そうする事によって霊魂を救いたい。そうする事によって、イエズス様がなさったように隣人を愛したい」と思います。

それから最後に、この特徴として、もちろん私たちの奉献は非常に自分の利益を求めない、正真正銘のマリア様の事だけを考える信心で、マリア様の子供である、というその特権を持つだけでもう、それだけで十分なのですけれども、でも私たちは知っているのです。マリア様があまりにも良い方であるので、私たちが与えれば与えるほど、マリア様はもっと下さる、与えれば与えるほど、私たちはもっと受け取る、という事を知っているのです。別にそれを求めているわけではないのですけれども、そうなるという事を知っているのです。マリア様の事をよく知っているので。それなので、この全く無私の奉献なのですけれども、その結果、思いがけずに私たちは、更に大きな愛と恵みを受ける事になる、という結果を受けざるを得ない奉献なのです。

では、時間になりましたので、皆さんお疲れのところ最後までお付き合い下さってありがとうございます。ではこのような奉献式を明日行ないます。もしもこの「マリア様の騎士になって、マリア様に喜んで頂きたい。マリア様の道具となって、マリア様の為になりたい」と思われる方がいましたら、自由にこの入会申込書に記入して下さい。また、もう入会されている方は明日、その更新も致しましょう。





--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】