アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
ドゥニ・ピュガ神父は、2021年7月18日(日)、パリの聖ニコラ・デュ・シャルドネ教会でこの説教を行いました。
愛する兄弟の皆さん、
金曜日にある出来事がありました。ご存じの方も多いと思いますが、「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)という、この自発教令が発表され、典礼の面での停戦が終わったと言えるでしょう。教皇フランシスコは、権威主義とまでは言わないまでも、権威を持って、教皇ベネディクト十六世が、その自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)で行った譲歩(それは譲歩にすぎませんでした)を、すべて取り除くことを決定しました。
これは、教会の歴史にとっては非常に重要な出来事であり、特に皆さんの中の若い方々には、この恐ろしい教会の危機において、どのようにしてこの時点にまで至ったのかを思い起こしていただきたいと思います。皆さんの中でも特に年配の方々、つまり私のような年配者にとっては、皆さんがここであずかっておられるミサは、世界中のすべての教会で行われていたミサでした。私たちは、どこでミサにあずかるかという問題を考える必要はありませんでした。主日に村に入り、村の小教区の教会に行き、このミサにあずかる、それがどこでも普遍的に受け入れられていたのです。
その後、第二バチカン公会議の後の1969年に、第二バチカン公会議の結果として、私たちは、ローマのインテリの典礼学者たちによって、【このミサが】ゼロから発明されたと言っていいでしょう。彼らは、役務や司牧的世話の現場よりも、図書館やオフィスで多くの時間を過ごしていました。さらに言えば、このノブス・オルド・ミサを準備した人々には、プロテスタントの牧師たちが関わっていたのです。典礼やミサについてのプロテスタントの概念と、カトリシズムの間にある根本的な違いを知ると、この新しい典礼にはすでに何か、悪いパン種があったことが分かります。この新しい典礼は、本当に親愛なる兄弟の皆さん、皆さんの中で年配の方々がその証人ですが、力ずくで、そうです、力ずくで押し付けられたのです。いたるところで信徒からの抵抗があり、司祭たちからも抵抗がありました。多くの司祭、修道者、修道会は、この新しいミサを望んでいなかったため、力ずくで押し付けられたのです。
【皆さんがここであずかっているこのミサは、世界中のすべての教会で捧げられていたミサ】
この新しい典礼は、ミサの聖なるいけにえの本質的な面、特にそのなだめの面については沈黙していたため、1970年からすぐに反発が起こりました。この新しいミサが公布された直後から、「いいえ、私たちは聖伝のミサを守り続けます」という人々の抵抗がありました。それは、「分かち合い」「生きている世界のために分割されたパン」と言われるような、もはや十字架のいけにえの更新ではない聖体祭儀(ご聖体)に焦点を当てようとする教会のこの新しい教理に対して、自分を守るための方法でした。
もちろん、その中にはルフェーブル大司教もいて、この目的のために、司祭とミサについての聖伝の概念を維持するために、聖ピオ十世司祭兄弟会を設立しました。何年か後の1984年、抵抗する信者の数が多くなり、メディアがそのことをそれまで以上に話題にするようになると、教皇ヨハネ・パウロ二世は一つの決定を下しました。それは、特定のケースにおいて、非常に厳しい条件付きながら、「聖ピオ五世のミサ」として知られる聖伝のミサを捧げる可能性を再び認めることでした。必要なのは、公会議に関するルフェーブル大司教の立場とは無関係であることを宣言するだけでした。皆さん、教会の危機が高まる一方なのはご存じでしょう。
1988年には、その2年前に起こったことに続いて、アッシジのドラマが起こりました。これは、私たちの主イエズス・キリストの聖痕を帯びた偉大な聖人である聖フランシスコの墓の上で、すべての宗教が再会するという、信じられない、想像を絶するほどひどいものでした。すべての宗教が祈るというこのエキュメニカルな会議で、私たちは現存するご聖体が取り除かれた聖櫃の上に仏陀が設置されているのを見たのです。ルフェーブル大司教がこの機会に司教を聖別したことはご存じでしょう。このことは大きな騒動を引き起こしましたが、この戦いを継続するためには必要なことでした。ローマは、エクレジア・デイ委員会という一つの委員会を設立し、いわゆる「離教したルフェーブル大司教」に従いたくない人々を歓迎することにしました。でも、離教はなかったのです。聖伝のミサは、ある意味で、市民権を持ったのですが、それは、常にいかなる関係も持たない(nullam partem)という条件付きで、つまり、第二バチカン公会議を批判した人々とはいかなる関わりを持ってはならないという条件での市民権でした。
その後の2007年、教皇ベネディクト十六世が選出された後のことです。ベネディクト十六世は、ルフェーブル大司教と議論した当時、教理省長官だったため、良心の呵責に耐えられなかったのでしょう。ラッツィンガー枢機卿の時代には、1969年に聖伝のミサが禁止されたかどうかを調査する委員会の議長を務めました。この委員会は、90%という大多数の賛成を得て、教会法的にはこの聖伝のミサが廃止されたことはないと回答しました。しかし、この委員会の決定は、沈黙のうちに葬られ、それをアーカイブに閉じ込めて、それについて話すことさえありませんでした。教皇ベネディクト十六世が、まさにこの良心の呵責のために、聖伝のミサの市民権を回復させた可能性は十分にあります。
この聖ピオ五世のミサを新しいミサと同居させることを認めるとともに、どの司祭でもこのミサを捧げることができ、すべての信者がこのミサにあずかるという自由が認められたのです。ですから、多くの人々がこの何世紀もの歴史を持つ古い典礼にあずかることができるようになったのは、この体制の下でのことです。
【現教皇自身は、ラテン教会にノブス・オルド・ミサのみを認める。これは聖伝のミサに対する一種の破門】
ラテン教会に二つの典礼があったのではなく、二つの典礼を一緒にし、そのうちの一つは古くて聖伝の合法的な典礼であり、もう一つはそうではない、ということは、何か異常なことです。そのわけは、新しいミサが聖座の権威によって公布されたものではないという理由ではなく、ミサの聖なるいけにえに関する聖伝の教理から外れているという理由で、合法的ではないからです。
例を挙げれば、ある晴れた日に合法的な妻を捨てて非合法の妻と結婚した父親が、子どもたちに対して、こう要求するようなものです。「さあ、この非合法な女性を、おまえたちの母親だと認めなさい」。すると子どもたちは拒否します。その時、父親はこう言います。「私は合法的な妻と非合法の妻と一緒に住む。家には二人いるから、みんな幸せになるんだ」と言うでしょう。そんなことをしても事態が解決しないのは、お分かりになるでしょう。
一昨日の正午、教皇フランシスコがこの自発教令を発表するまで、私たちはこのやや不安定な状況の中で生きていたのです。自発教令とは、教皇が強制する決定のうち教皇自らが行うもののことです。聖ピオ五世のミサにあずかったり、このミサを捧げたりする可能性を、苛酷で厳しくかつ極めて厳格な調子で、独裁的と言ってもいいくらい、限りなく小さくしています。現教皇自身が、ラテン教会には一つの典礼しかない、それはノブス・オルド・ミサだ、と言っているのですから、これは一種の破門のようなものです。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、これは教皇聖ピオ五世が1570年7月14日の教書で述べたことに反しています。この教書が出された日という理由で、私は7月14日をお祝いするのであって、他の理由【フランス革命】ではありません。教皇聖ピオ五世はこの教書を出し、その中で、聖伝のミサ典礼書を使用している人々のために宣言しました。このミサ典礼書は―またこのことを教皇は使徒の権威の名で行っています―「如何なる教会においても…、如何なる良心の呵責無しに、或いは他の罰、宣言そして非難を全く課される事無く、今後このミサ典礼書それ自体に、全く従うように、そして、それを自由に合法的に[使用する事が可能であり適法であるように、]…しかも永久のこの[文面]を以って、余は承認し認可する」と教皇ピオ五世は述べたのです。
「なぜでしょうか? それは、このミサが最終的な発展に到達し、教会の信仰のすべてを、祭壇の聖なる秘跡において、ミサの聖なる犠牲において、完全に表現したからです。そうです、聖ピオ五世が典礼を発明したのではなく、教皇ベネディクト十六世はまさに、それはむしろ「聖ピオ五世のミサ」というよりもむしろ、「グレゴリオのミサ」というべきだと言いました。なぜなら、その本質は、6世紀の教皇聖グレゴリオにまでさかのぼるからです。思い出しますけれども、それほど昔ではありませんが、9世紀、つまり1100年以上前のアイルランドの修道士たちの写本を調べる機会がありました。当時は印刷機がなかったので手書きの写本でしたが、ミサを捧げるために使われていました。それを読むと、その中には、私が唱えている祈り、毎日ミサで唱えている祈りのすべてが書かれていました。
このように、1000年以上前にミサを捧げた修道士たちと私たちの間には、つながりがあるのです。皆さんお分かりのように、今日、私たちは「教会の交わり」についてよく話していますが、それはこの世での距離という観点からのみの教会の交わりだけではなく、時間的な交わりでもなければなりません。カトリック教徒でありたいと望む人は、信仰における自分の先人たち、信仰を自分に伝えた人々から自分を切り離すことはできませんし、自分を聖伝から切り離すことはカトリック教会を放棄していることになってしまいます。今、教皇フランシスコは、自発教令で、すべての人は公会議に戻らなければならないこと、また彼が与える譲歩、今でも聖伝のミサのために与える小さな譲歩は、まだ残っていますが、これらの人々が新しいミサに戻る準備をするためのものであり、その目標は明確に述べられているのです。
【教皇は、聖伝のミサへの愛着を、自分にとっては「スノッブ(上流気取り)」だと語る。】
では、なぜ突然、私たちがそれが起こると分かっていたにもかかわらず、なぜ突然、このような雷鳴が起こったのでしょうか? 親愛なる兄弟の皆さん、私たちはさまざまな理由を見つけることができます。
まず第一に、私がそれを考案したものではありません。インタビューでそれを宣言したのは教皇フランシスコであり、知ろうとして自問したからです。ここで私は、皆さんのうちで特に若い人々にお話ししますが、「なぜ皆さんはこの聖伝のミサに引きつけられるのですか?」、彼は「私には理解できません」と答えています。年配者が自分たちの知っていた古代の典礼を懐かしみ、残念がっていることについては、彼は「それは分かります」と言いましたが、若い人々が聖伝のミサに引きつけられていることについては、彼はそれを理解せず、こう言ったのです。「それはスノッブ(上流気取り)だと思う」。ほら、思った通りです。これが彼の持つ考えであり、現実を全く無視しています。第一に、それが若い人たちを引きつけるのであり、つまり危険なのです。
第二の理由は、主が多くのことを利用されるということです。それは、私たちが生きている、そこから抜け出すことはできそうにない隔離、この健康危機です。隔離によって教会が閉鎖され、信者は世界中でミサにあずかることができなくなりました。そして、私たちの教会のような多くの教会がミサを放送しているので、信徒はインターネットに接続し、多くの人がこの機会に聖伝のミサの存在を発見しました。多くの人がその存在を知りさえもしなかったため、それによりこのミサに従う大きな運動が起こりました。これも私の考えではなく、教皇自身が最近イタリアで行った講演で述べたことですが、彼はこう言いました。「健康危機を利用して、ソーシャル・ネットワークを用いてこの典礼を広め、典礼に関する誤解を広めようとする者がいました」と。また、そのあと「若い人の召命の中には、聖伝のミサに引かれる人が一定数いる」ため、この聖伝のミサを発見して、それを捧げたり、信者たちにそれを提案したりし始める司祭が現れることを恐れているのです。
【戦争は再開されるか、継続される。この決定によって、私たちは自分の立場が正しかったことがわかる。】
最後に、根本的な理由として、ここには第二バチカン公会議の精神が見られますが、このミサ、聖伝のミサが、反エキュメニカルであるということです。パウロ六世のミサ、ノブス・オルド・ミサはエキュメニカルであり、さらにプロテスタントは、ノブス・オルドによるミサを捧げることは問題ないが、聖伝のミサを捧げることはできないと言います。聖伝のミサは、エキュメニカルなものではなく、宣教的なものです。第二バチカン公会議は、キリスト教でない宗教や分かれたキリスト教徒に対するこのエキュメニズムの扉を開いたのです。なぜなら、聖ピオ五世のミサは、十字架によって統治なさっている私たちの主イエズス・キリストの王権を宣言しているからです。
このことは、教皇フランシスコの琴線に大きく触れることであり、彼はこのキリストの王権を望んでいないのです。彼の在位期間中に私たちが見たのは、異教の偶像、パチャママをバチカンに再導入するという前代未聞のことでした。私たちがいわゆる童貞マリアのイメージとして誤って通用させようとしたパチャママですが、これは異教の偶像であり、南米ではルチフェルの偶像でさえあります。南米の国々出身の人はみな、それを知っていますが、そのことは彼をまったく悩ませませんでした。また、「聖霊の意志を受けたすべての宗教」についての公式文書もあり、教皇は公式文書でそう言っています。異端者として非難されることのない偉大な神学者や長老たちがいて、離教的な教皇の可能性を検証しました。そうなれば、自らを教会の聖伝から切り離す教皇になるだろう、と彼らは言っています。私たちは、その段階にいるのではありませんか?
愛する兄弟の皆さん、ですから、この戦争は、再開されるか、少なくとも継続されるでしょう。独裁的と言ってもいいこの決定によって、説明できないこの決定によって、私たちは自分の立場が正しかったと、慰めを得ます。
しかし、公会議を批判しなかったエクレジア・デイ共同体については、新しい典礼の迷走の批判がかなり「弱々しく」、彼らはひどく打ちのめされています。エクレジア・デイ委員会は、教皇によって純粋かつ単純に廃止・解体されました。
勝利の聖母に、この戦いに自信を持てるようにお願いしましょう。私たちの主は勝利されるでしょう。私たちは、すべてのカトリック教徒の権利を思い出し、それを繰り返さなければなりません。それは、天主への礼拝を明確に、神聖に、敬意をもって表現する典礼に従うことであり、時の終わりまで永遠に更新される信仰、祭壇の上で更新される私たちを救ってくださる主のいけにえへの信仰なのです。
出典:聖ニコラ・デュ・シャルドネ教会のユーチューブ・チャンネル
ドゥニ・ピュガ神父(聖ピオ十世会)
フランス・パリにて