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ロブ・ムッツァーツ補佐司教「典礼は教皇の玩具ではなく、教会の遺産である」

2021年08月10日 | カトリック・ニュースなど
「典礼は教皇の玩具ではなく、教会の遺産である」

ロブ・ムッツァーツ(Rob Mutsaerts)補佐司教による
『トラディティオーニス・クストーデス(Traditionis Custodes)』に関する
非常に激烈な声明(オランダ、セルトーヘンボス's-Hertogenbosch)

オランダのセルトーヘンボスの補佐司教であるロブ・ムッツァーツ司教は、この激烈な声明を自身のブログで発表しました。ロブ・ムッツァーツ司教自身は、聖伝のミサを捧げたことはないのですが、それでも、最近の自発教令の問題点を指摘しています。フランシスコ教皇はパレーシア(すべてを語ること)を頻繁に求めてきましたが、今、世界中からのパレーシアが求められています。

フランシスコ教皇の邪悪な勅令

ロブ・ムッツァーツ司教
セルトーヘンボス補佐司教

教皇フランシスコは協働性を推進しています:誰もが話すことができ、誰もが聞かれるべきあると。しかし、最近発表された『トラディティオーニス・クストーデス』は、聖伝のラテン語のミサを直ちに中止しなければならないというウカセ(勅令)であり、そのようなことはほとんどありませんでした。フランシスコは、古いミサに十分な機会を与えていた教皇ベネディクトの自発教令『スンモールム・ポンティフィクム』に大きな太い線を引いています。

フランシスコがここで何の相談もなく権力の言葉を使ったことは、彼が権威を失いつつあることを示しています。このことは、以前、ドイツ司教会議が協働性のプロセスに関する教皇の助言に何の注意も払わなかったことで、すでに明らかになっています。

アメリカでも、教皇フランシスコが、アメリカ司教会議に対して相応しい聖体拝領に関する文書【堕胎を推進する議員たちを破門するというアメリカ司教たちの準備した文書】を作成しないように呼びかけたときも同様でした。教皇は、聖伝のミサの話をしている今(この場合は)もう助言ではなく、執行令状を出したほうがいいと考えたのでしょう。

使われている言葉は、まるで宣戦布告のようです。パウロ六世以降のすべての教皇は、常に古いミサに余地を残してきました。例えば、1984年と1989年のインダルトに見られるように、(その開口部に)変更が加えられたとしても、それは小さな修正でした。ヨハネ・パウロ二世は、司教はトリエント・ミサを寛大に認めるべきだと固く信じていました。ベネディクトは、「当時神聖であったものは、今も神聖である」という『スンモールム・ポンティフィクム』で扉を大きく開きました。フランシスコは『トラディティオーニス・クストーデス』でその扉を強く叩きました。それは裏切りのように感じられ、彼の前任者たちへの平手打ちでもあります。

ところで、教会は典礼を廃止したことはありません。トリエント公会議でさえ[そうした]ことはないのです。フランシスコはこの聖伝を完全に破っています。自発教令には、いくつかの命題や命令が、簡潔かつ力強く書かれています。物事は、付随する長い声明によって、より詳細に説明されています。この声明には、かなりの数の事実誤認が含まれています。その一つは、パウロ六世が第二バチカン公会議の後に行ったことは、ピオ五世がトレントの後に行ったことと同じであるという主張です。これは全く真実からかけ離れています。トリエント公会議以前には、様々な写本が流通しており、あちこちでその地方の典礼が生まれていたことを思い出してください。混乱した状況だったのです。

トリエント公会議は典礼を復元し、不正確な点を取り除き、正統性をチェックしようとしました。トリエント公会議は、典礼を書き直すことには関心がなく、新たな追加事項、新たな聖体の祈り、新たな典礼書、新たな典礼暦などにも関心がありませんでした。それは、途切れることのない有機的な連続性を確保することでした。1570年のミサ典書は1474年のミサ典書に遡り、さらに4世紀にまで遡ります。4世紀からの連続性があったのです。15世紀以降は、さらに4世紀にわたって連続性があります。時折、祝日や記念日、ルブリカの追加など、せいぜい数回の少しの変更が行われただけです。

第二バチカン公会議の文書『典礼憲章』では、典礼の改革を求めています。しかし、この文書は保守的なものでした。ラテン語は維持され、グレゴリオ聖歌は典礼の中で正当な位置を占めていました。しかし、第二バチカン公会議の後の動きは、公会議の文書とはかけ離れています。悪名高い「公会議の精神」は、公会議文書そのものにはどこにも見当たりません。トリエントの旧ミサ典書の祈りのうち、パウロ六世の新ミサ典書に[そのまま]見られるのは17%にすぎません。これでは、連続性や有機的な発展を語ることはできません。ベネディクトはこのことを認識しており、そのために旧ミサに十分な余地を与えたのです。彼は、誰も彼の許可を必要としないとさえ言いました(「当時神聖であったものは、今も神聖である」)。

教皇フランシスコは今、自分の自発教令が教会の有機的発展に属しているかのように装っていますが、これは現実とは全く矛盾しています。ラテン・ミサを実質的に不可能にすることで、ローマ・カトリック教会の古くからの典礼の聖伝とついに訣別したのです。典礼はローマ教皇の玩具ではなく、教会の遺産です。古いミサはノスタルジーや趣味の問題ではありません。教皇は聖伝の守護者であるべきで、教皇は創造者ではなく庭師です。

フランシスコ教皇がやっていることは、福音化とは無関係であり、憐れみとも無関係です。むしろイデオロギーに近いものがあります。

旧ミサが捧げられている教区に行ってみてください。そこには何があるでしょうか?カトリックでありたいと願う人々です。彼らは一般的に、神学的な論争をする人ではなく、第二バチカン公会議に反対する人でもありません(第二バチカン公会議の実施方法には反対ですが)。

彼らはラテン・ミサの神聖さ、超越性、その中心にある霊魂の救済、典礼の尊厳さを愛しています。大家族に出会い、人々は歓迎されているように感じます。しかし、これはごく限られた場所でしか行われていません。なぜ教皇はそのような人々を否定したいのでしょうか?先ほどの話に戻りますが、それはイデオロギーです。それによれば、第二バチカン公会議(その実施とその異常なやりかたを含む)を選ぶか、あるいはまったくの無か、どちらかなのです。このイデオロギーによれば、聖伝のミサに馴染んでいる比較的少数の信者(ちなみにノヴス・オルドが崩壊しつつあるため、その数は増加しています)は、根絶されなければならないし、根絶されるだろう、です。これはイデオロギーであり、悪です。

本当に福音を宣べ伝えたいのならば、本当に憐れみ深いならば、カトリックの家庭を支えたいのならば、トリエント・ミサを尊重して保持することです。自発教令が発行された時点では、旧ミサは教区の教会では捧げることができません。(それではどこでしょう?)司教の明確な許可が必要で、司教は特定の日にしか許可しないかもしれません。今後、叙階され、旧ミサを捧げたい人は、司教がローマに助言を求めなければなりません。どれだけ独裁的で、どれだけ非司牧的で、どれだけ無慈悲になりたいのでしょうか!

フランシスコは、その自発教令の第1項で、ノヴス・オルド(現在のミサ)を「ローマ典礼の祈りの法の独自の表現」と呼んでいます。そのため、彼はもはや通常形式(パウロ六世)と特別形式(トリエント・ミサ)を区別しません。ノヴス・オルドに限らず、どちらも祈りの法の表現であると常に言われてきました。繰り返しますが、旧ミサが廃止されたことはありませんベルゴリオからは、無数の小教区のあちこちに存在する多くの典礼の濫用について聞くことはありません。小教区では、トリエント・ミサを除いて、どのようなミサでも何でも可能です。旧ミサを根絶するために、あらゆる武器が投入されます。

なぜでしょう?いったい、なぜでしょうか?フランシスコのこの執念は、聖伝主義者の小さなグループを消し去ろう[注*]とするものなのでしょうか?教皇は聖伝の守護者であるべきで、聖伝の看守であってはなりません。『愛のよろこび(Amoris Laetitia)』は曖昧さに秀でていましたが、『トラディティオーニス・クストーデス』は完全に明確な宣戦布告です。

私は、フランシスコがこの自発教令で自分の足を撃っているのではないかと思います。聖ピオ十世会にとっては、これは良いニュースとなるでしょう[ソノママ]。彼らは教皇フランシスコにどれほどの恩義を感じているかを想像することはできなかったでしょう....

(司教のブログにオランダ語で掲載)

[注*]この司教は、ヒトラーが地図から都市を消すときに使ったドイツ語のausradieren(消し去る)という言葉を使っています。"Wir werden ihre Städte ausradieren."(我々は彼らの町を消し去ろう)。


聖伝のミサの記憶は、ローマ教皇の法的実証主義の行使によって根絶することはできない。それは何度でもよみがえり未来の教会が自らを測る基準となる。

2021年08月10日 | カトリック・ニュースなど
ミサと記憶 by マルティン・モーゼバッハ

以下のリンクの翻訳です。

教皇フランシスコは、『トラディティオーニス・クストーデス』の中で命令を下しています。これは、教皇の権威がかつてないほどに崩壊しているときに行われたものです。教会はとっくに統治不可能な段階に進んでいます。しかし、教皇は戦い続けています。教皇は、「傾聴」「優しさ」「憐れみ」といった、判断や命令を拒否する最も大切な原則を放棄しています。教皇フランシスコは、教会の聖伝という彼を悩ませるものによって目を覚まします。

教皇の前任者たちが典礼の伝統に与えた限られた余地は、もはや老人のノスタルジーによって占められているだけではありません。聖伝のラテン語ミサは、教皇ベネディクトが古い典礼と呼んだように、「野原に埋もれた宝」を発見し、愛することを学んだ若い人々をも惹きつけています。教皇フランシスコの目には、これは抑制しなければならないほど深刻に映ります。

自発教令の言葉遣いの激しさは、この指示が遅すぎたことを示唆しています。典礼の伝統を守る界隈は、確かにこの数十年で劇的に変化しています。トリエント・ミサには、子供の頃の典礼を懐かしむ人だけではなく、典礼を新たに発見し、その魅力に取りつかれた人たちが参加するようになりました。典礼は彼らの情熱であり、その詳細を知っています。彼らの中には司祭の召命を持つ者も多くいます。これらの若者は、伝統的な司祭修道会が維持している神学校に通うだけではありません。彼らの多くは通常の司祭訓練を受けていますが、それにもかかわらず、聖伝の典礼を知ることによってこそ、自分の召命が強化されると確信しています。抑圧されていたカトリックの伝統に対する好奇心は、多くの人がこの聖伝を時代遅れで不健全なものとみなしていたにもかかわらず、高まっています。オルダス・ハクスリーは『素晴らしい新しい世界(Brave New World)』の中で、歴史観を持たない近代エリートの青年が、前近代文化の溢れんばかりの豊かさを発見し、それに魅了されることで、この種の驚きを示しています。

教皇の介入は、典礼の伝統回復の増大を一時的に妨げるかもしれません。しかし、彼がそれを阻止できるのは、彼の任期の残りの期間だけです。というのも、この伝統的な動きは、表面的な流行ではないからです。それは、ベネディクトの『スンモールム・ポンティフィクム』という自発教令に先立つ数十年間の抑圧の中で、カトリックの完全な充足性に対する真剣で熱狂的な献身が存在することを示しました。教皇フランシスコの禁止令は、まだ自分の人生が目の前にあり、時代遅れのイデオロギーによって自分の未来が暗くなることを許さない人々の抵抗を呼び起こすでしょう。ローマ教皇の権威をこのような形で試すのは良くないことですが、賢くないことでもあります。

教皇フランシスコは、小教区の教会での旧典礼のミサを禁止し、司祭に旧典礼のミサを捧げる許可を得ることを要求し、まだ旧典礼のミサを捧げていない司祭にも、司教からではなくバチカンから許可を得ることを要求し、そして旧典礼のミサの参加者に良心の究明を要求しています。

しかし、教皇ベネディクトの『スンモールム・ポンティフィクム』は、まったく別の段階で論証します。教皇ベネディクトは「古いミサ」を「許可」しておらず、それを祝う特権も与えませんでした。要するに、後継者が撤回できるような規律的な措置をとったわけではありません。『スンモールム・ポンティフィクム』の新しさと驚きは、「古いミサを捧げることは許可を必要としない」と宣言したことです。これまでは禁止されていなかったので、禁止することはできませんでした。

これは、教皇の権限には、固定され、乗り越えられない限界があると結論づけることができます。聖伝は教皇の上に超越してあります。キリスト教の最初の千年紀に深く根ざした古いミサは、原理的には教皇が禁止する権限を超えています。教皇ベネディクトの自発教令の多くの条項は、脇に置くことも修正することもできますが、この教導権の決定は、そう簡単には片付けられません。

教皇フランシスコはそのようなことをしようとはせず、無視しています。2021年7月16日以降も、すべての司祭が禁止されたことのない古い典礼を捧げる道徳的権利を持つという聖伝の権威を認めているのです。

世界のカトリック教徒のほとんどは、「トラディティオーニス・クストーデス」に全く関心を示さないでしょう。聖伝主義者の共同体の数が少ないことを考えれば、ほとんどの人は何が起こっているのか理解できないでしょう。確かに、性的虐待の危機、教会の財政スキャンダル、ドイツの「シノドの道(synodal path)」のような分裂運動、中国のカトリック教徒の絶望的な状況などの中で、教皇はこの小さくて献身的な共同体を弾圧すること以上に緊急の課題がなかったのかと、私たちは自問しなければなりません。

しかし、聖伝を重んじる人々は、教皇にこう言って認めなければなりません。教皇は、少なくとも大グレゴリオの時代にまで遡る伝統的なミサを、彼らと同じように真剣に受け止めていると。しかし、彼はそれを危険なものと判断している。彼は、過去の教皇たちは何度も何度も新しい典礼を作り、古い典礼を廃止してきたと書いている。しかし、その逆が事実だ。むしろ、トリエント公会議は、ローマ教皇たちの古代のミサ典書を一般の使用のために規定したのであり、そのミサ典書は古代末期に成立していた。これは、宗教改革によって損なわれていない唯一のものであったからだ、と。

教皇の最大の関心事はミサではないのかもしれません。フランシスコは、第二バチカン公会議で教会が伝統と訣別したと主張する神学派の「断絶の解釈学」に共感しているようです。もしそれが本当であるならば、聖伝の典礼の司式はすべて阻止されなければなりません。古いラテン語のミサがどのガレージでも行われている限り、それまでの二千年の記憶は消えていないことになるからです。

しかし、この記憶(memory)は、ローマ教皇の法的実証主義の無遠慮な行使によって根絶することはできません。それは何度でもよみがえり、未来の教会が自らを測る基準となるでしょう。






マルティン・モーゼバッハ(Martin Mosebach)は”The 21”の著者です。



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