Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ファチマのシスター・ルシアの初聖体「主よ、私を聖人にしてください。あなたのためにだけ、私の心を常に清く保ってください。」

2021年08月19日 | ファチマ

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ファチマのシスター・ルシアの初聖体の出来事に関することを、ファチマの聖母の会・プロライフののブログの中のシスターの手記からご紹介いたします。

3. ルシアの初聖体

小教区の主任神父様が定めた子供たちの荘厳初聖体の祝日が近づいて来ました。私がすでに6歳になっていたことと、私が公教要理をよく覚えていたの事実により、母は私が初聖体を受けることができるかもしれないと思いました。このために、母は、主任司祭が子供たちに教えていた初聖体の偉大な日を準備するための公教要理に、私を姉のカロリナと一緒に送りました。私はすぐに初めて天主様をお受けすることができると期待して、喜びに輝いて教会に行きました。

神父様は、教壇の上にある倚子に座って子供たちに教えました。
司祭は、私をご自分のそばの脇に呼び置き、もしもある子供が司祭の質問に教えられなかったら、その子供の代わりに私に答えさせ、彼らに恥をかかせました。

初聖体の前日がやって来ました。神父様は子供たちは午前中に教会に来るようにと伝言を送りました。それは神父様がどの子供が初聖体を受けることができるか最終の決定をすることができるためでした。神父様が私をお近くに呼んで私の頭を撫でてから、私が7歳になるまで待たなければならないと言った時、私はどれほどがっかりしたことでしょうか!

私はすぐに泣き始めました。ちょうど私が母にしていただろうように、頭を神父様の膝に埋めて泣きじゃくりました。ちょうどその時、告解を聞くために助けに呼ばれた別の神父様 6 が教会に入ってきました。この姿勢を取っている私を見て、神父様は私が泣いている理由を尋ねました。

6 この司祭は、後に聖徳で有名な、イエズス会のクルズ神父(1948年没)であったと後に分かった。

理由を知らされ、この神父様は私を香部屋へ連れて行って、公教要理とご聖体の神秘について私に質問をしました。この後、私の手をとって、主任神父様のところへ連れて行き、こう言いました。
「ペナ神父様、この子を初聖体に行かせることができますよ。この子は他の多くの子供たちよりもよく理解しているから」と。
主任神父様は「でも、わずか6歳ですよ」と反論しました。
「大丈夫ですよ。その責任は私が取りましょう。」
「それなら、分かりました。」

良い主任司祭は私にこう言いました。
「お母さんのところに行って、明日は初聖体を受けると言いなさい。」

私はその時に感じた喜びをいい表すことができません。聖堂の外へ出て、嬉しさのあまりに両手をたたき、母によいニュースを知らせるために、家にまでずっと走りました。

母は、すぐに、その日の午後私がすべき告解の準備をさせてくれました。母は私を教会に連れて行き、教会に着くと、私は母に別の神父様に告白したいと言ったので、私たちは香部屋へ行きました。そこにこの神父様が倚子に座って告解を聞いておられました。

母は、順番に告解する自分の子供たちを待っている別の母親たちと一緒に、香部屋の入り口に近い主祭壇の前に跪きました。その祭壇の御聖体の前で、母は私に最後の勧めを下さいました。

4. ロザリオの聖母はルシアに微笑む

私の順番が来ると、私は罪の許しを乞い求めて、主の役務者である神父様において代表される私たちの愛する主の足元へ跪きました。告解を終えると、だれもが笑っているのに気がつきました。母は、私をそばへ呼んで、こう言いました。
「わが子よ、告白は秘密のもので、低い声でするものだって知らなかったの? 皆におまえの言うことを聞こえたのよ!誰にも聞こえなかったのはたった一つだけで、それはおまえが最後に言ったことだよ。」

家へ帰る途中、母は告解の秘密と自分が呼んだことを知ろうと何度も試みました。しかし、母が得た私の唯一の返事は、完全な沈黙でした。

しかし、今、私は司教様に初めて、私の最初の告解の秘密を言い表します。
告解を聞き終わった後、例の神父様は、次のように言いました。

「わが子よ、あなたの霊魂は聖霊の神殿です。それをいつも清く保ちなさい。聖霊がご自分の天主としての働きを、あなたの霊魂の中に実現することができるように。」

これらの言葉を聞いて、私は自分の内的なものに対しての畏敬で満たされたように感じ、親切な聴罪師に自分が何をしなければならないかを尋ねました。

「あそこの聖母の前にひざまずき、大きな信頼を持って、あなたの心を世話して下さるように、明日聖母の愛する御子イエズスをふさわしく受けるように準備して下さる用意、またあなたの心を、イエズスのためにだけに取っておくように願いなさい!」

教会には、聖母のご像はいくつかありました。しかし姉たちは、ロザリオの聖母の祭壇を飾る役目を持っていたので、私はいつもそこに祈りに行きました。そこでこの機会にもロザリオの聖母像 7 の前へ祈りに行きました。私は全身全霊を込めて、私の貧しい心を天主様のためだけに守ってくださるようにお願いしました。

[7 この美しい御像は今でも小教区の教会に、入って右側に立っている。]

この拙い祈りを何度も何度も繰り返し、聖母像を見つめていると、おん母が、愛を込めた眼差しとご親切なジェスチャーとで、私に微笑み、そうすると私に保証して下さったように見えました。私の心は喜びにあふれて、一言も発することができませんでした。

5. 初聖体を待ち焦がれて

姉たちは私のために白いドレスと花冠を作るために、その夜はずっと起きていました。私といえば、あまり嬉しくて眠ることができませんでした。あたかも時間が全く進まないかのように思われました。私は何度も起き上がって、朝が来たのかとあるいは、もしも姉たちが私に白いドレスや花冠をつけて見たいか、と尋ねてばかりいました。

ついに幸せな日は昇りました。しかし9時になるのは、どれほど長かったことでしょうか!私は白いドレスを着て、姉マリアは私を台所へ連れて行きました。それは、両親に背いた数々の罪を詫び、両親の手に接吻して、祝福を受けるためでした。この後、小さな儀式があり、母は私に最後の忠告をしてくれました。母は私に、

イエズス様が私の心に来られる時、私が何を願わうことを望んでいるかを教えて、こう言って別れました。
「何よりもまず、イエズス様におまえを聖人にしてくれるように願いなさい。」

母の言葉は、私の心に消すことのできない深いものを刻みつけましたので、聖体を拝領して、私が最初に私たちの主に言った言葉はそれでした。母が私に言ったその時の言葉の声のこだまが、今でも聞こえるように感じます。私は姉たちと教会に向かいました。兄は道から来る埃の汚れが私に触らないように、教会まで私を抱いてくれました。教会につくや否や、私はすぐに聖母マリアの祭壇の前へ走って行って跪き、私の願いを繰り返しました。私はそこに留まり、前日の聖母の微笑みを思い出しながら祈っていました。姉たちが私を探してやって来て、私のために決められた場所に連れて行きました。
4列に並んだー男の子が二列、女の子が二列ーたいそう多くの子供たちがいて、教会の入り口から祭壇の御聖体拝領台までずらりと並んでいました。私は一番小さかったので、祭壇のそばの足元にある天使たちの近くにいました。

6. 偉大な日

歌ミサが始まり、御聖体拝領の瞬間が近づくにつれ、貧しい私の霊魂に一致しようと、天から降りてきて下さろうとする天主様のご訪問を待ち望んで、私の胸はますます速くドキドキしていました。主任司祭が祭壇からおりてきて、子供たちの列の方に近づき、天使たちのパンを配りました。私は最初に御聖体拝領をする幸運に恵まれました。司祭が祭壇をおりてこようとするとき、あたかも私の心臓は胸から飛び出てしまうかのように感じました。しかし司祭が私の舌に天主のホスチアを授けるや、私はえも言えぬ静けさと深い平和を感じました。
超自然の雰囲気にあまりにも浸りこんでいるのを感じたので、私たちの愛する主の現存が、あたか私の体の感覚で主を見て主の言葉を聞いたかのように、はっきりと感じとれました。
そこで私は主に祈りをしました。
「主よ、私を聖人にしてください。あなたのためにだけ、私の心を常に清く保ってください。」
その時、私の心の奥底で、私たちの愛する主が次の言葉ではっきりと私におっしゃったようでした。
「今日、おまえに与えられためぐみは、おまえの霊魂に生きて留まり、永遠の命の実を結ぶだろう。」
私は天主の中に姿を変えてしまったかのように思いました。

儀式が終わったのはほぼ午後の1時でした。何故なら遠方から来られた司祭たちの到着が遅れたこと、お説教、洗礼の約束の更新などがあったからです。母は心配して、私が弱って気を失ってしまうのではないか、と案じて、私を探しにやって来ました。

しかし、私はと言うと、天使らのパンであふれ出るほど満たされ、どんな食べ物も食べることができありませんでした。この後、私はこの世の物への興味と関心を失い、たった一人で静かなところにいるときだけ、私は安心して、初聖体の喜びを思いすことが出きました。

7. ルシアの家族

そのような離脱の時はまれでした。司教様はもうご存じの通り、私は、隣人たちから私たちに委託された子供たちの世話をしなければなりませんでした。この他にも、母は看護婦としてたくさんのことを求められていました。たいしたことのない病気の場合、病気の人々は私たちの家に来て母のアドバイスを求めました。しかし病人が外に出ることができないときには、今度は彼らが母に自分たちの家に来てほしいと頼まれました。母は病人の家で昼間を何日も過ごし、時には夜も過ごしました。病気が長引いた場合、或いは病人の状態がそれを必要としたなら、母は時折姉たちを送って病人の寝台の傍らで夜を過ごすように命じました。それは病人の家族に休むチャンスを与えるためでした。病人が若い家族の母親である場合には、或いは、子供たちの騒がしさを耐えることができない人の場合、母は幼子たちを私たちの家に連れてきて私がその世話をするように命じました。私は子供たちと遊び、どうやって機織りの糸を準備するか教えたりしました。子供たちは木の糸巻きを回転させて、それに糸を玉状に巻いて、それをかせに巻き取り、枠に縦糸が準備されるように糸の玉を導きました。

こうして、私たちにはいつもやることが一杯ありました。普通、私たちの家には、機織りや服を作るのを習いに来た数名の女の子たちが働いていました。通常は、これらの女の子たちは私たちの家族に大きな愛情を示し、自分たちの人生で最高の日々が私たちの家で過ごした日だったとよく言ってくれました。一年のある決まったときには、姉たちは日中に畑仕事に出なければなりませんでした。そこで姉たちは、機織りや縫い付けを夜しました。夕食の後、父が祈りの先唱をして夕の祈りがあり、それから仕事が恥じましました。

誰もが何かをしなければなりませんでした。姉のマリアは機織り仕事に行き、父は糸巻きを一杯にして、テレサとグロリアは裁縫に行きました。母は回転糸巻きを取り、カロリナと私とは、台所をきれいにかたづけた後、裁縫の手伝いをしなければなりませんでした。仮縫いを取り、ボタンを縫う、などなどです。うとうとするのを遠ざけるために兄はアコーディオンを弾き、私たちは様々な種類の歌をそれに合わせて歌いました。しばしば隣人たちも私たちと一緒にいるために家に来ました。これは彼らの睡眠時間がなくなるということを意味していましたが、私たちの陽気な音楽が自分たちの心配を無くさせてくれ、自分たちを幸せで満たすのだとよく私たちに言っていました。

私はいろいろな婦人たちが母に時々こう言うのを聞きました。
「あなたって、ほんとに幸せね!天主様があなたになんてすてきな子供たちを与えたんでしょう!」

トウモロコシを収穫するときが来ると、私たちはトウモロコシの皮を月明かりで見て取りました。私はトウモロコシの積まれた山のてっぺんに座って、濃い赤の穂軸が現れたら、そこにいる人々に抱擁をするように選ばれていました。


8. 振り返って

私の初聖体について話した事実が現実なのか、あるいは子供の錯覚なのか、私には分かりません。私が知っているのは、これらの出来事は、私を天主と一致させるために、私の心に強い影響を与えたし、いまでも与えている、ということです。私が知らないのは、何故私が今司教様に私たちの家庭生活についてのことを全てお話ししたかということです。しかし、そうするように私に息吹いてくれたのは天主で、天主はその理由を知っておられます。おそらく、これは司教様が、私にそれほどまで多く降り注がれた愛情を受けた後であればあるほど、私たちの愛する主が私にお求めになろうとする苦しみを、私がそれだけ深く感じたと言うことをお知らせになるためかもしれません。司教様は、私たちの主が私に送り給うた全ての苦しみと、主がその御憐れみによってかたじけなくもくださった御恵みとを書くように私に命じられたので、私は、それらの出来事が実際に起こったがままを述べるのが最も良いことだと思います。8

更に、私はそれについて全くの平安を感じています。何故なら、司教様が天主といとも聖なるマリア様とのより大いなる栄光のためにならないとご覧になるものはどんなものであれ、司教様は火に焼き捨ててくださるだろうと私は知っているからです。

8. このことはルシアの単純さを明らかにしている。また彼女の書いたものにおける彼女の潔白さと誠実さを示す。


聖ヴィアンネ神父様は、全ての小教区の司祭たちの守護の聖人です

2021年08月19日 | お説教・霊的講話
2021年8月8日(主日)聖霊降臨後第11主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は8月8日で、聖ジャン・マリ・ヴィアンネ神父様の祝日です。伝統的には今日が祝日です。そして聖ヴィアンネ神父様は、全ての小教区の司祭たちの守護の聖人です。ですから今日は、神父様、司祭たちの為にたくさんお祈りしましょう。



ヴィアンネ神父様がアルスという寒村に任命を受けた時、どうやって行くか分かりませんでした。その時に、町で道で出会った男の子に、「アルスの村にはどうやって行くのか?」と聞いたら男の子は、「私が教えます」と言って道を教えてくれました。そのお礼に神父様は、この少年にこう答えたそうです。「坊や、ありがとう。君は私にアルスへの道を教えてくれたから、今度は私がお礼に天国への道を教えてあげよう。」


神父様の義務は、人々に天国の道を教える事です。

ビアンネ神父様はこんな事を言っていました。
「司祭職というのは、イエズスの聖心の愛だ。だからあなたが司祭を見たら、イエズス様の事を考えなさい。」



またこんな事も言いました。
「司祭というのはどれほど偉大なものであるか!もしも司祭が、自分が一体何であるかを理解したら、きっと死んでしまうだろう。その喜びと驚きで死んでしまうだろう」と言っていました。

またこうも言っていました。「司祭がなければ、イエズス様の御受難と死の全ての御恵みは、全く意味がない。何故かというと、司祭がこの地上で贖いの業を続けているからだ。
一体、たとえ家の中に金・銀・宝石がたくさんあったとしても、もしも誰もそれを開けてくれる人がなかったら、何の役に立つだろうか。司祭が天国への門を開く鍵を持っている。司祭こそが、私たちの主の管理人だ。イエズス様の持っている全ての善を管理している方だ。Administratorだ。
だからもしも司祭がいなかったら、そのような小教区がもしも司祭がいなくて20年経ったら、きっとそこでは人々は動物を礼拝してしまう事だろう。司祭は、自分の為の司祭ではなくて、皆さんの為の司祭である」と。



ビアンネ神父様はこうも言っていました。「マリア様にお祈りをいつもしなさい」と。「何故かというと、ちょうど私たちがスパイスとか臭いの付いた、例えばシソの葉っぱを触っていると手にその匂いが付くように、マリア様にお祈りを捧げると、マリア様の匂いがそのお祈りに付くので、それが良い香りとなって受け入れられるからだ」と仰いました。

またビアンネ神父様は、「御聖体の前で使った時間は、一番最高の幸せな時だと考えなさい」と仰っていました。



最後に、ビアンネ神父様がなさった一番短い御説教をご紹介して終わりにしたいと思っています。何故かというと、ビアンネ神父様は司祭のモデルですが、私はこの点を真似しなければならないと思っているからです。

ある時、神父様は御説教を始めている時に、御聖体を指さして御聖櫃を指さしてこう言ったそうです。「Il est là.」そしてこれで終わったそうです。

何と仰ったかというと、御聖櫃を指して、「主は、ここにまします。聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン」と言って終わったそうです。

どうぞ皆さん、今日は司祭のためにたくさんお祈り下さい。カトリック司祭たちの為にお祈り下さい。また司祭たちがたくさん出ますように、与えられますように、日本からたくさんの司祭が、青少年が司祭を目指しますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




私たちを癒やす事ができるのは全世界で歴史上たった一人:イエズス・キリスト、真の救い主、真の天主、贖い主、私たちの王イエズス・キリストです

2021年08月19日 | お説教・霊的講話
2021年8月8日(主日)聖霊降臨後第11主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄妹の皆さん、今日、私たちの主イエズス・キリストは奇跡を行ないました。耳は聞こえずに、話をする事もできない人を、御自分の唾を付けて、「エフェタ」とお祈りをすると、耳が開けて、正しく話をする事ができるようになります。これは、人類がイエズス様と出会った時に行なわれる事の象りです、そのイメージです。



何故かというと、私たちは皆、天主の言葉を聞く事もできないし、天主に正しい讃美も、正しい祈りもする事もできずにいる、病を持った状態で生まれてきたからです。

なぜ病を持った状態であるかというと、これは罪のためです。天主は私たちを最初、アダムとエヴァを創った時に、完璧に創りました。どれほど完璧かというと、私たちが今失ってしまった2つの特別の御恵みを、アダムとエヴァは原初に持っていたからです。

その2つの御恵みというのは、まず「超自然の命、天主の命」を受けていました。成聖の状態にいました。

第2には、自然を補足する、それの付録が付いていました、おまけが付いていました。これを特別に、「外自然、自然の外の御恵み、賜物」と言います。それによって特別の4つの特権があります。おまけです。おまけに過ぎなかったのですけれども、これを見ると、どれほどのものが与えられたか、という事が分かります。

まず、私たちの「知性」は真理を、真理だけを求めるようにうまく秩序付けられていました。それを罪で失ってしまってから、私たちは真理が何かよく分からなく盲目になってしまいました。

また「意志」は、善だけを求めるようになっていました。しかし罪のためにそれは、悪意さえも持つようになってしまいました。

また私たちの「心」には、悪に対して強い意志を持って強い怒りを持って、この悪に打ち勝つ心がありました。善と悪に対して、対処が困難であると認識された時の能力で、困難に立ち向かって戦う時の力としての、義憤です。

しかし罪が入る事によって、惰弱に弱々しくなってしまいました。悪に打ち勝つ事が非常に難しくなってしまいました。

あるいは私たちの「欲望」は、全て理性の支配の下にあったので、節制がありました。しかし罪が入る事によってそれは、私たちには節制が難しくなり、邪欲に簡単に負けやすくなってしまいました。

しかしアダムとエヴァの時には、全ては真理と善とによって、そして知性と理性によって全て支配されていました。

人間の体が全て知性によって支配されているという事は、すなわちこれは「完全性」と言います。この完全性から更に生まれた、派生したのは、人間が苦しまないということです。人間の霊魂が肉体を完全に支配していたので、また人間が天主様の支配下に完全にあったので、御摂理によって、自然は私たちに害を与える事がありませんでした。どのような獰猛な動物も、昆虫も、私たちに危害を与える事はありません。

また肉体もいつも霊魂の通りに動いていたので、病気になる事も、苦しむ事も、傷を受ける事も全くありませんでした。いつも私たちは幸せに、楽しく、喜びに満ちて生きていました。これは「不可苦」、苦しみを受ける事ができない、という特別の御恵みでした。

それのみならず、更に死ぬ事もできませんでした。「死なない」という特権を持っていました。霊魂は肉体といつも一致していて、何百年でも何千年でも生きる事ができるようになっていました。そしてちょうど私たちが夜眠るように、自然と苦しみなく、天国に入る計画でした。
しかし、それも罪によって全て破壊されました。失われました。

更に天主様は、私たちが苦労する事なく真理を知る事ができるように、「知識」を私たちの中に注入して下さいました。ですからもちろん教わる事もできましたけれども、しかしあらかじめ必要な知識は知っていました。自然の神秘を知っていました。

これはただ付録に過ぎません。これよりも更にこれを超越する御恵みが、「超自然の御恵み」、すなわち成聖の恩寵です。

そしてイエズス様は、この病を受けた私たちに近寄って来て下さって、御自分の唾を付けて下さいました。これは「秘跡」の象りです。「七つの秘跡」の象りです。

「洗礼」の時には、特に私たちは司祭からイエズス様がなさった事と同じ仕草を受けます。耳に「エフェタ」と言って、鼻にも付けられます。またこれは、イエズス様はこうする事によって、秘跡を通して、私たちに超自然の御恵みを返して下さいました。

超自然の御恵みは、私たちが付録でもらった、死なないとか苦しまないとかという事よりも、更にもっと重大な、最も大切な御恵みでした。それをまず返して下さいました。

では、外自然という付録の御恵みはもう失われたままですか?
はい。もう元には戻りません。罪のためにもう永久に失ってしまいました。

ですからもしも、皆さん誰かがやって来て、「あぁ、このペンダントを買うと病気にならない。」「このツボを買うと健康になる。」あるいは「この薬を、注射を打つと死なない」などという人が来たら、眉に唾を付けて下さい。そのような事は一切ありません。医学がどんなに発達しても、どんなに科学がどんなに進歩しても、苦しみがない事や、あるいは死がないという事は、もう避ける事ができません。これはあり得なくなってしまいました。

しかしイエズス様は私たちに、復活の後に、天国でこれをもう一度、更にこれよりももっとすごい事を与えてくれます。不死・不可苦・注入された知識・完全性をはるかに超えた、栄光に満ちた、栄光の不死の喜びを与えられるようになっています。これは最後の最後のお楽しみです。

しかし、すでに私たちは超自然の命が、洗礼、そして秘跡によってますます与えられ続けています。この御恵みを私たちに与える事ができるのは、私たちを癒やす事ができるのは、全世界で歴史上たった一人しかありません。この事ができる名前はたった一つしかありません。イエズス・キリスト、真の救い主、真の天主、贖い主、私たちの王イエズス・キリストです。私たちはこの方と出会いました。御恵みを受けています。感謝致しましょう。

そして多くの方が、このイエズス様と出会って、憐みを受ける、超自然の、自然をはるかに超える御恵みを受ける事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】