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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2022年3月2日 灰の水曜日 聖ピオ十世会 カトリック聖伝のミサの報告 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass in Tokyo

2022年03月03日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2022年3月2日、灰の水曜日、東京では午後6時半から灰の儀式とミサが行われました。東京の18:30の灰の水曜日のミサに来られた方は、子供達も入れて合計56人でした。「暁の星の聖母」修道院でも朝7時15分から灰の儀式とミサが行われ、9人が与りました。天主に感謝いたします。

良い四旬節をお過ごしください!

来る主日(3月6日)東京と大阪で、それぞれのミサの後で、まだ灰を受けることができなかったご希望の方々に、ミサの後の祈りの後に灰の儀式を行う予定です。

【報告】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the Ash Wednesday evening mass in Tokyo today.

The total number of attendees at the 18:30 Ash Wednesday mass in Tokyo today was 56, including children.

M: 26 (incl. 4 children)
F: 30 (incl. 4 children)
Total: 56 (incl. 8 children)





祝別されたオリーブ油と、その使い方について

2022年03月03日 | お説教・霊的講話
祝別されたオリーブ油についての説教

ドモルネ神父

はじめに

先週の主日には、準秘跡についてお話ししました。準秘跡とは、この世での霊的な恩恵を得るために、教会が、その祈りを結びつける、行為や物のことです。今日は、特に準秘跡の一つである、祝別されたオリーブ油と、その使い方について、皆さんに注目していただこうと思います。

オリーブ油の祝別

この準秘跡を通して、教会は、病人の癒やしと、悪魔に打ち勝つための力という、二つのことを願い求めます。まず、司祭が、次のように唱えて、油に悪魔払いをします。「敵の力、悪魔の軍団、そしてサタンのすべての攻撃と策略が、この油という被造物から払いのけられ、遠くへ追い払われますように。この油が、それを使うすべての人に、心身の健康をもたらしますように」。そして、司祭は、次のように唱えて、この油を祝別します。「私たちが天主の御名によって祝別するこの油を使う者が、汚れた霊によるあらゆる攻撃から守られ、また、あらゆる苦しみ、あらゆる病苦、そして、敵のあらゆる策略から解放されますように。御子の尊き御血によって贖われた人間が、二度といにしえの蛇の刺に苦しむことのないよう、この油が、あらゆる困難を避ける道具となりますように」。

教会は、この準秘跡のために、オリーブ油を使います。なぜでしょうか? オリーブ油は、教会が求める恩寵を、象徴しているからです。実際、この油は、体の傷を癒やすのに使われます。ですから、この油は、教会が求める、身体的な癒やしや、霊的な癒やしの恩寵を、象徴しているのです。この油は、体の筋肉を柔らかくし、また強くします。ですから、この油は、教会が求める、悪魔との霊的な戦いにおける力の恩寵を、象徴しているのです。

この準秘跡の使い方

この準秘跡は、どのように使えばよいでしょうか? 自分の必要に応じた祈りを唱えながら、額や、体の病んだ部分に、この油を塗ります。たとえば、教会の祈りを使って、こう唱えます。「イエズスの御名によって、あらゆる憂いや病気から、また、悪魔のあらゆる罠や攻撃から、解放されますように。アーメン」。

教会の祈りは効果的で、私たちに、癒やしと力の恩寵を取り成します。しかし、これらの恩寵を受けるには、私たちの側で、それを受けるための心構えが整っていなければなりません。私たちが持つべき、正しい心構えとは、どのようなものでしょうか? 聖霊が、集会の書第38章で言っておられることを、聞いてください。「子よ、病気になっても焦るな、むしろ、主に祈れ、そうすれば癒やしてくださる。罪を避けよ、手を清く保ち、心をあらゆる罪から清めよ。甘い香りと、精製小麦粉を、記念の供え物として捧げ、豊かな供え物をせよ。それから医者にまかせよ、彼も、主につくられたのだから。彼を遠ざけるな、あなたには彼がいる」(集会書38章9節)。

聖霊のこれらの言葉が何を意味しているのか、もう少し詳しく見てみましょう。

癒やしのために祈ること

「子よ、病気になっても焦るな、むしろ、主に祈れ、そうすれば癒やしてくださる」。まず、私たちは天主に祈らなければなりません。なぜでしょうか? なぜなら、天主は、生と死の主でいらっしゃるからです。私たちが、謙虚で、誠実で、熱心な心をもって、天主にお願いすれば、そして、もしそれが、私たちの永遠の救いに役立つならば、天主は、その恩寵を私たちに与えてくださるでしょう。ですから、聖書では、天主は、エゼキヤ王を癒やされ、さらに15年の寿命を与えられたのです(イザヤ38章5節参照)。時には、私たちが、私たちの病気を通して、より高い徳を実践し、それによって、天国でのより大きな栄光を得るようにさせるために、天主が、私たちに癒やしの恩寵を与えられないことがあります。しかし、その場合、天主は、私たちが勇気をもってその病気に耐えるための恩寵を、私たちに与えてくださるのです。

私たちの罪の痛悔

次に、聖霊は、「罪を避けよ、手を清く保ち、心をあらゆる罪から清めよ」と言われます。病気の最初の原因は、私たち自身や他の人々の罪です。原罪の前は、アダムとエワは病気になることはなく、苦しみもありませんでした。福音の中で、イエズスは体の麻痺した人を癒やされ、そして彼に、こう言われました。「どうだ、あなたは治った。さらに悪いことが起こらぬように、もう二度と罪を犯すな」(ヨハネ5章14節)。聖パウロは、大罪の状態でご聖体を受ける人について、次のように言っています。「主のお体をわきまえずに飲食する者は、自分自身への裁きを飲食することである。そのため、あなたたちの中には、弱い者、病気の者が多く、また、死んだ者も少なくない」(コリント前書11章29-30節)。聖バジリオは、こう言いました。「病気は罪の罰であり、それについては、自分の生活を改める以外に、できることはない」。ですから私たちは、病気になったとき、医者のところへ行く前に、自分の霊魂を清めなければなりません。つまり、自分の良心を調べ、あらゆる罪を心から反省し、二度と罪を犯さないように固く決心し、他人に対して犯した不正を正し、最後に、悔悛の秘跡を受けるのです。

罪の償い

その後、聖霊は、「甘い香りと、精製小麦粉を、記念の供え物として捧げ、豊かな供え物をせよ」と言われます。この言葉の意味するのは、私たちの罪によってお怒りになった天主に対して、償いを捧げなければならないということです。それはどんな償いでしょうか? 私たちは、祈りと犠牲と善い行いによって、そしてとりわけ、ミサのいけにえを捧げることによって、自分の罪を償うのです。このいけにえこそが、あらゆる罪を完全に償い、あらゆる恩寵を得ることのできる唯一のいけにえなのです。

医者または司祭のところへ行くこと

最後に、聖霊は、「それから医者にまかせよ、彼も、主につくられたのだから。彼を遠ざけるな、あなたには彼がいる」と言われます。天主は、奇跡によって、病人を即座に癒やすことが、おできになります。しかし、通常、そうはなさいません。天主は、人が兄弟愛をもって、互いに助け合うことを望まれます。ですから、天主は、ある人々には身体を癒やす医者になるように、ある男性たちには霊魂を癒やす司祭になるように、望まれるのです。

結論

そこで、まとめると、教会は、祝別された油を通して、私たちが自分の罪を後悔して、自分の罪の償いをするだけ、私たちに、力と癒やしの恩寵を取り成してくださるのです。1858年のルルドのご出現の物語の中に、この現実がよく示されています。ルルドには、清らかな水の泉があり、聖母が、この水によって、多くの奇跡的な癒やしを与えてこられたことは、皆さんご存じでしょう。しかし、最初に起きたことを思い出してください。当初、この泉は、少しばかりの濁った水でしかありませんでした。2月24日の水曜日、聖母は、痛悔と償いを呼びかけられました。「償い! 償い! 償い! 罪人のために、天主に祈りなさい!」。そして翌日以降、聖母は、聖ベルナデッタに、償いのわざを求められました。それは、この気持ちの悪い泥水を飲み、雑草を食べ、地面に接吻し、ひざまずいたまま移動することでした。泥水は、やがて少しずつ、清らかな水の出る豊富な水源となりました。そして、翌週の月曜日に、最初の病人が、この水によって、奇跡的に癒やされたのです。それと同じように、病人は、癒やしの恩寵を得る前に、痛悔と償いによって、自分の霊魂を清めなければならないのです。

病人の快復なる聖母が、私たちに、霊魂と体の健康を与えてくださいますように。




準秘跡についての説教 教会は、準秘跡を通して、私たちに、どのような恩寵を取り成すのでしょうか?

2022年03月03日 | お説教・霊的講話
準秘跡についての説教

ドモルネ神父

はじめに

この前の木曜日は、聖ブラジオの祝日でした。この祝日に、教会は、信者がのどの痛みや他の病気から解放されるように、特別の祝別を与えます。私は、このミサの後、その祝別を行うつもりです。この説教では、この祝別について、またさらに、準秘跡一般について、お話しします。

聖ブラジオと癒やしの賜物

聖ブラジオは、元々は医者でした。彼は、その後、アルメニアのセバステという町の司教になりました。天主は彼に、病気を癒やす賜物を授けられました。野生の動物さえもが、病気を治してもらうために、彼のもとにやってきました。後に、ローマ皇帝リキニウスのもとで、キリスト教徒に対する新たな迫害が始まりました。聖ブラジオは捕らえられ、牢獄に入れられました。しかし、人々は、聖ブラジオのもとに病人たちを連れてくることができたため、聖ブラジオはその病人たちを癒やしました。ある日、魚の骨を飲み込んでしまった幼い子どもが、彼のところに連れて来られました。この子どもは、息ができなくなり、今にも死にそうでした。聖ブラジオが、この子どものために私たちの主に祈ると、その子どもは、すぐに癒やされました。それからしばらくして、聖ブラジオは殉教し、死刑に処せられました。316年のことでした。聖ブラジオの死後、のどの痛みに苦しむ人々は、彼に祈り、その痛みから癒やされたのです。

のどの祝別

天主は、宇宙の主でいらっしゃいますが、ご自分だけで、宇宙を支配されるのではありません。世界の統治において、善い天使たちや、聖人たちと一緒に、統治なさいます。ですから、天主は、ある特定の恩寵については、特定の聖人たちの取り次ぎによってのみ、それを私たちに与えることになさいました。それはなぜでしょうか? 聖人たちは、天主の友人であるため、天主は、私たちが聖人たちに頼ることで、聖人たちを敬うことを望んでおられるからです。ですから、たとえば、天主は、特別な癒やしの恩寵を、特に、のどの痛みのための恩寵を配るよう、聖ブラジオを選ばれたのです。このことは、聖ブラジオが行った、数多くの奇跡的な癒やしから、明らかです。

教皇たちは、このことを理解していました。そこで、教皇たちは、聖ブラジオの取り次ぎによって、信者ののどの痛みや、その他の病気を癒やしてくださるよう、天主に求める特別な祝別を制定したのです。祝別とは、天主が、人、あるいは物に、恩恵を与えてくださるように求める、教会の祈りです。

のどの祝別では、司祭は2本のろうそくを取り、それを十字架の形に持ち、聖ブラジオの取り次ぎを祈り、十字架のしるしをしながら、それを人々ののどに当てます。ろうそくは、世の光である私たちの主を意味します。十字架の形をしたろうそくは、イエズスが、十字架上のいけにえによって、あらゆる恩寵を得られたことを意味します。同じ理由から、司祭は、祝別の言葉を発しながら、その人に、十字架のしるしをします。ろうそくを、人々ののどに当てるのは、特にのどの病気の癒やしを、求めるためです。

準秘跡一般

こののどの祝別は、準秘跡です。準秘跡とは、カトリック教会が恩恵、特に霊的な恩恵を得るために用いる、物や行為のことです。これらの物には、例えば、水、塩、オリーブオイル、ろうそく、ロザリオ、メダイ、スカプラリオなどがあります。これらの行為には、例えば、祝別、悪魔祓い、奉献などがあります。

教会は、これらの物や行為を用いて、教会の祈りの内容と、教会が求める恩寵を、外的に示すのです。実際、私たちは人間ですから、霊的で目に見えない現実をより良く理解するために、外的で、目に見えるしるしを必要とします。例えば、洗礼の秘跡について、私たちの主がなさったことを見てください。主は、頭の上に水を注ぐという行為によって、霊魂の浄めを、外的に示すことにされたのです。水が頭の上を流れるのを見ることによって、私たちは、霊魂が原罪の汚れから洗われることを、理解するのです。

教皇たちは、イエズスが示された例に倣います。教皇たちは、教会の祈りの内容と、教会がどのような恩寵を求めているかを、外的に示すために、目に見える物や行為を用います。これらの物や行為は、七つの秘跡と少し似て、霊的な現実を示すものであることから、「準秘跡」と呼ばれます。

準秘跡によって得られる恩寵

教会は、準秘跡を通して、私たちに、どのような恩寵を取り成すのでしょうか?

・教会は、私たちが良きキリスト的生活を送るための、助力の恩寵を取り成します。例えば、結婚式のミサで行われる、婚姻の祝別を通して、教会は、夫婦がキリスト的な結婚生活を送ることができるための恩寵を求めます。不思議のメダイを通して、教会は、それを身につける人々を守ってくださるよう、聖母に求めます。

・教会は、私たちのために、小罪の赦しの恩寵を取り成します。例えば、灰の水曜日の灰を通して、教会は、私たちが心から自分の罪を悔い改め、赦しを得るための恩寵を求めます。

・教会は、私たちのために、悪魔とその攻撃から私たちを守るための恩寵を取り成します。例えば、聖水、聖別された塩、聖ベネディクトのメダイ、悪魔祓いなどを通して、教会は、悪魔を追い払います。

・教会は、私たちのために、天主の栄光と、私たちの霊魂の救いに役立つ限り、私たちのこの世での生活に、健康と、保護と、繁栄の恩寵を取り成します。ですから、教会は、家、車、畑、食べ物などを、祝別するのです。

結論

準秘跡には、教会の祈りが込められています。しかし、教会の祈りは強力です。ですから、準秘跡を、信心深く、受け、使うことによって、私たちは、今述べたような多くの恩寵を、本当に得ることができるのです。ですから、準秘跡を、とるに足りないもの、あるいは、無知な人々のためだけのものなどとして、軽んじてはいけません。それは大きな間違いです。この説教の最後にあたって、教会が、カトリック教徒でない人たちにも、ほとんどの準秘跡を受けることを認めていることを、述べておきます。教会は、カトリック教徒でない人たちが、準秘跡を通して、「唯一のまことの天主と、その方が遣わされたイエズス・キリストを知る」(ヨハネ17章3節)ために、特別の恩寵を取り成すのです。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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