Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「私の身の上に起きたことを思え、それは定めである。昨日は私だった、そして今日はあなたの番だ」

2022年03月07日 | お説教・霊的講話

マリア・テレジアさんの埋葬についての説教

ドモルネ神父さま

マリア・テレジアさんの埋葬レクイエム・ミサを捧げています。小野田神父様が2020年12月、マリア・テレジアさんに最後の秘跡を授けました。私たちは、マリア・テレジアさんが死後の裁きを受けるために、私たちの主イエズスに会うべき正しい心構えにあったと確信しています。今日、私たちはミサを捧げ、もしマリア・テレジアさんが今、煉獄におられるのであれば、一刻も早く煉獄から解放されるように祈ります。この埋葬の機会に、死という現実を思い起こしましょう。

死は私たちに必要な終わり

マリア・テレジアさんは106歳でした。100年以上…この世でそんなに長く生きられると本当に思っている人は、きっと誰もいないでしょう。しかし、どんなに長い人生にも、死という終わりが来るのであり、これはみんな同じです。聖書の次の言葉を、思い起こしましょう。「アダムの一生は930年であった。そして彼は死んだ。セトの一生は912年であった。そして彼は死んだ。エノシュの一生は905年であった。そして彼は死んだ。ケナンの一生は910年であった。そして彼は死んだ。マハラレエルの一生は895年であった。そして彼は死んだ。エレドの一生は962年であった。そして彼は死んだ」(創世記5章5-20節)。私たちは、どんなに長い人生であっても、最後には死ぬのです。

特に若いうちは、自分の死という現実を忘れてしまうかもしれません。宗教を人生の付属物と考え、真剣に気にするのは老後だけでいいという、誘惑に駆られるかもしれません。その結果、天主に最小限の時間しか捧げず、仕事、家族、社会活動、娯楽に忙殺されることになるのです。そんな、この世的な考え方と、霊的な生ぬるさのせいで、私たちは、聖徳を実践するのを怠ることになり、簡単に罪に陥るのです。福音の中にある、私たちの主イエズスの警告を思い起こしましょう。一生懸命に働き、この世のことに非常に積極的な金持ちがいて、こう言いました。「『魂よ、おまえはもうこれから長い年月を過ごせる多くの財を蓄えたから、休め、飲め、食べよ、楽しめ』。ところが、天主はその人に『愚かな者よ、おまえの魂は、今晩呼び戻されるのだ』と仰せられた」(ルカ12章19-20節)。

今日、マリア・テレジアさんの死は、どんなに長い人生でも終わりが来るということを、私たちに思い起こさせてくれます。この世での私たちの人生は、永遠と比べれば、とても短いものなのです。聖書の中で、ヨブは、こう言っています。「思い出したまえ、私の命は息吹に過ぎないことを」(ヨブ7章7節)。また、聖ヤコボは、こう言っています。「あなたたちの命とは何か。あなたたちは、しばらく現れて、瞬く間に消える湯気である」(ヤコボ4章14節)。私たちはいつか死ぬのですから、その覚悟をしておかなければなりません。

死を思い起こすこと

霊性の大家たちは皆、しばしば死を思い起こすように、と勧めています。これは、この世の精神や、霊的な生ぬるさをすべて振り払い、三つの情欲という錯覚を払いのけ、ありのままの現実を直視するための強力な手段です。その現実とは、天主と永遠です。イエズスは、こう言われました。「天地は過ぎ去る、だが私の言葉は過ぎ去らぬ」(マテオ24章35節)。

この世と私たちが持っているものは、消えてしまいますが、私たちの死後のイエズスによる裁きは永遠に続きます。「父の祝せられた者よ、来て、世の始めからあなたたちに備えられていた国を受けよ」、あるいは「呪われた者よ、私を離れて悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ」(マテオ25章34、41節)です。

死を思い起こすことは、私たちが悪を避け、聖徳を実践するのを助けてくれます。原罪が起きた時、楽園で何が起こったかを、心にとめておくのは興味深いことです。アダムとエワが、禁断の実を食べてはならないという掟に従うよう、天主は、死について、はっきりと強く警告されました。「その実を食べたら、おまえは必ず死なねばならぬ」(創世記2章17節)。しかし、エワは、悪魔に誘惑されたとき、こう言いました。「『それを食べても、それに触れてもいけない、そうすると、死ぬことになる』と、天主は言われました」(創世記3章3節)。エワは、天主の警告を真剣に受け止めず、死とその結果について、真剣に考えなかったのです。悪魔は、このことを理解し、それを利用したのです。すぐに、エワの抵抗に打ち勝つために、死という考えを捨て去ったのです。「いや、そんなことで死にはしない」(創世記3章4節)と。そして、エワは、それを信じ、罪に陥りました。

結論

親愛なる信者の皆さん、マリア・テレジアさんは、もうこの世におられず、その旅路は終わりました。私は、個人的にマリア・テレジアさんにお会いしたことはありません。しかし、私と皆さん全員にとって、今日、マリア・テレジアさんは、特別に好意を寄せる人です。マリア・テレジアさんは、私たち自身の死を思い起こさせてくれます。マリア・テレジアさんは、棺の中から静かに、集会書の次の言葉を私たちに伝えてくれます。「私の身の上に起きたことを思え、それは定めである。昨日は私だった、そして今日はあなたの番だ Memor esto judicii mei : sic enim erit et tuum : mihi heri, et tibi hodie.」(集会書38章22節)。

マリア・テレジアさんが安らかに眠り、永遠の光がマリア・テレジアさんを照らしてくれますように。アーメン。

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「喜べ、童貞マリアよ。御身は、たった一人で、全ての異端を滅ぼし給うた。」まさに今日、このマリア様の力が必要とされている時です。

2022年03月07日 | お説教・霊的講話

2022年2月19日(土)聖母の土曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(修道院)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

まず皆さんに、感謝の気持ちを申し上げたいと思います。4ヶ月の間留守をしておりましたが、皆さんがドモルネ神父様を助けて下さって、一生懸命ミサに与ってくださり、そして私の為にも、ミッションの為にもお祈りして下さった事を深く感謝しております。…

今日はマリア様の、土曜日のマリア様のミサをしています。詠唱の中にはこういう一言があります。
“Gaude Maria Virgo, cunctas haereses sola interemisti.”
「喜べ、童貞マリアよ。御身は、たった一人で、全ての異端を滅ぼし給うた。」

まさに今日、このマリア様の力が必要とされている時です。なぜかというと、去年の10月から、ローマではシノドスについての教会会議というものが始まりました。これは、今までになかった新しいやり方の、名前の付いていないいわば「第三バチカン公会議」です。教会における革命、教会を根本から変えてしまおうとする会議が今開かれています。

まず最初に、各地方でそのような会議、シノドスを開いて、つぎには大陸のレベルで開いて、そして最後にはローマで、2023年最終のシノドスを開く、という事です。これはどのようになるかというのはドイツのシノドスをみれば分かります。

ドイツでは、ローマに先だって似たような会議が今行われています。2月に、つい最近、採決しました、聖職者や平信徒たちの集まりが投票しました。コロナの中で皆、教会を閉じて、お祈りもやめて、という中でも、ドイツではシノドスがずっと続けられたのでした。

それによると、色々ありますが、特に「女性の司祭を認めよう」、「司祭の独身制を廃止しよう」、それから「同性愛を認めよう」あるいは「大罪の状態にある霊魂たちにも、御聖体拝領を授けよう」、などというものが、賛成多数で可決されました。

教会の聖伝の教え、使徒継承の教えとは離れています。カトリックの一・聖・公・使徒継承の教えからは離れていることが可決されてしまいました。これはとどのつまり、ミサ聖祭を攻撃するものです。

女性の司祭は聖伝に反しています。使徒継承の教えに反しています。イエズス・キリストの制定された司祭職によって、旧約時代から新約時代に至るまで、全て男性が受け継ぐものです。そしてヨハネ・パウロ二世が言った通り、ラッツィンガー枢機卿が言った通り「女性は司祭になる事が決して出来ない」のです。

司祭の独身性も、使徒継承のものです。特に西方教会ではいつも守られてきた事で、東方教会でも司教になる為には必ず、つまり司祭職の最高のものであるためには必ず、独身でなければなりません。

同性愛というのも、自然に反するものです。また大罪の状態にある罪の状態にある霊魂が御聖体を拝領する事ができるというのも、これもイエズス・キリストの教えに反するものです。

これらの異端の説に、教会は巻き込まれてしまうのでしょうか?そのような考えが今後、世界中で投票されて、可決されて、そしてついには来年の10月にローマでも可決されるようになってしまうのでしょうか?私たちはどうしたら良いのでしょうか?

マリア様にお祈り致しましょう。このすべては、マリア様が解決する事ができるからです。

なぜかというと、マリア様は、最高司祭イエズス・キリストを生んだ御方だからです。マリア様があたかも香部屋のように、マリア様の胎内で、イエズス・キリスト、天主の御言葉が人間となって、イエズス・キリストとなって、大司祭となりました。ですからマリア様が一番、誰が司祭になるべきか、という事を知っている方です。

マリア様は童貞です。そしてそれを生涯守られた方です。ですからこそ、イエズス・キリストを孕す事ができたし、イエズス・キリストの御体を触る事ができました。イエズス様はまさに御聖体において真にましますので、マリア様のような司祭が必要です。つまり童貞の司祭が必要です。

マリア様は全く罪の汚れのない無原罪の御孕りでありました。ですからこそマリア様はイエズス様を孕す事ができました。御聖体はイエズス・キリストの御体、天主の御体ですから、聖なるかな、聖なるかな、聖なる方で、全く罪の影もそこにあってはならない方です。ですから私たちは、成聖の状態で、罪の無い状態で御聖体を拝領しなければなりません。ですから御聖体拝領をする方は、マリア様を倣わなければなりません。

今日、土曜日の聖母のこのミサを捧げながら、マリア様に是非お祈り致しましょう。汚れなき御心にお祈り致しましょう。

教会を守って下さいますように、特に日本の教会を守って下さいますように、私たちの信仰を汚れなく守って下さいますように、そしてミサ聖祭を必ず守って下さいますように。教会の伝統を破壊して、ミサに対する攻撃をするようなものは長く続きません。イエズス・キリストに打ち勝つ事はできません。マリア様がそれら全てを、足で噛み砕く事でしょう。

ですから私たちは、その日が一刻も早く来るように、そしてこのマリア様の最も大切にするミサが守られて、多くの方々に与えられますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


2022年3月5日(初土)男らしいカトリック信者たちが、凍える冬のワルシャワで跪いてロザリオで聖母に祈っています。

2022年03月07日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2022年3月5日(初土)男らしいカトリック信者たちが、凍える冬のワルシャワで跪いてロザリオで聖母に祈っています。https://twitter.com/i/status/1500056962654171139

Sachin Jose

Catholic men's Rosary rally in Warsaw Twitter

 


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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