Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ヨゼフは、かつてイエズス・キリストを守ったように、全世界におけるカトリック教会の守護者として聖伝のミサがいつでも捧げられるように、御聖体が私たちに与えられるように守っておられる

2022年03月24日 | お説教・霊的講話

2022年3月20日(主日)四旬節第三主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日聖パウロは書簡の中で、私たちにこう招いています。
“Estote imitatores Dei.”「天主を真似る者たちであれ」と。

この言葉を聞くと、私たちはどうしても、イエズス様がなさったそのことに目を向けざるを得ません。

ところで、天主イエズス様は私たちに、何を、どのような模範を見せているでしょうか?

イエズス様がなさったことの内で、特に今日私たちが黙想を提案するのは、イエズス様が持っていた、「聖ヨゼフに対する信頼」です。

天主イエズス・キリストは、御自分の人生を全て、聖ヨゼフに委ねました。聖ヨゼフを、地上で「お父さん」と呼ばれました。この天主に、私たちも倣うことに致しましょう。イエズス様と同じ信頼を聖ヨゼフに持つように致しましょう。

イエズス様が聖ヨゼフの子供となったというのは、これは偶然ではありません。そうではなくて、永遠の昔から、天主聖父は、全能の天主三位一体は、聖ヨゼフを、人となった御言葉の養父として選んでおられたのでした。聖ヨゼフは永遠の昔から選ばれていました。その為に必要な特別の御恵みを、聖ヨゼフに与えていました。

現代、教会は聖ヨゼフの地位についてはっきり分かっています。教皇様たちが教えています。聖ヨゼフは、旧約の全ての太祖、アブラハム、モーゼ、あるいは全ての預言者、イザヤ、エレミヤ、あるいは洗者聖ヨハネよりも偉大な方である。新約の十二使徒、聖ペトロ、聖パウロ、あるいは殉教者たち、偉大な聖人たち、聖イグナチオ、聖フランシスコ・ザベリオ、あるいは大聖人よりもさらに偉大な方であることを。

なぜかというと、聖ヨゼフの使命は、特別にイエズス・キリストの御托身と、その御生涯に一致していたからです。イエズス・キリストとマリア様を守る為に、特別に選ばれた方だったからです。

天主が、最も大切な宝を、特にイエズス・キリストを、聖ヨゼフの手に全く信頼して委ねたからです。

聖トマス・アクィナスによれば、与えられた使命のその重大さによって、聖寵の大きさも違う、イエズス・キリストに近ければ近いほど、それだけ多くの恵みが与えられる、と教えています。

この聖ヨゼフに対しては、特別に旧約で前兆がありました。たくさんの前兆がありました。その中でも特に有名なのが太祖ヨゼフです。エジプトに売られて、そして遂にはファラオの下で宰相となって、エジプトのトップに立った男です。太祖ヨゼフは夢を見て、七年の豊かな時と、七年の飢饉が来るだろう。だから既に、飢饉の時の為に準備をしていなければならないということをあらかじめ天主によって知らされました。そこで七年の豊かな取り入れの時に備蓄をするようにしていました。その為に、恐ろしい飢餓がやってきた時でも、エジプト人たちには溢れるばかりのパンがありました。

これは聖ゼフの前兆でした。つまり、新約の御聖体を下さるべきイエズス・キリストが、御聖体を制定することができるように、イエズス・キリストの命を、幼い時から30年間守った方が、聖ヨゼフだったからです。もしも聖ヨゼフがいらっしゃらなかったら、イエズス様の命も守られなかったかもしれません。つまり世の贖いも、そして御聖体もあり得ませんでした。

私たち将来の全ての贖われた者たちを御聖体で養う為に、イエズス様の命を聖ヨゼフは守っていたのでした。イエズス様は、天主イエズス・キリストは、全てを聖ヨゼフの御手に任せました。

聖ヨゼフの仕事は、天国に上げられてそれで終わったのではありませんでした。今でも続いています。

今日聖パウロの書簡は、本当に美しい書簡です。それを読むと、イエズス様が私たちの罪の償いの為に、天主にとても香りの良いいけにえとして捧げられた。私たちを愛して、御自分を全て捧げられたということが語られます。イエズス様は私たちのパンとなるばかりでなく、御聖体として御自分を全て与えるのみならず、私たちの罪の償いとして、いけにえとして屠られた、その十字架の木になる実りとして、御聖体を与えて下さいました。

ですから、この私たちにとって御聖体というのは、ミサ聖祭というのは、最も大切な、この地上での最高の宝なのです。これ以上私たちに高価な宝はありません。人類が持つ最高の価値のあるものは、イエズス・キリストの御体、御聖体です。

そしてイエズス・キリストの御聖体から湧き出る全ての御恵みです。つまり七つの秘跡です。七つの秘跡は全て、御聖体を中心に回っています。洗礼を受けるのも、堅振を受けるのも、あるいは終油の秘跡を受けるのも、あるいは司祭職があるのも、告解の秘跡があるのも、御聖体を私たちがふさわしく受けることができる為です。もちろん婚姻の秘跡もそうです。御聖体を作る司祭を産むことができるように、御聖体を私たちが受ける霊魂たちが生まれる為に。

その御聖体を私たちはどうしても守らなければなりません。例えどのような恐ろしい疫病があろうと、教会が閉まってしまうことは、私たちにとってはあり得ません。なぜかというと、御聖体こそが、最も基本的で、最も大切で、生活の、命の為に、最も必需品であるからです。超自然の命の為の恵みの源であるからです。例え病院が閉鎖されても、例えスーパーマーケットが閉鎖されても、たとえ電車が動かなくなっても、例え警察が機能しなくなったとしても、ミサは立て続けられ、そして御聖体が私たちに与えられなければなりません。なぜかというと、御聖体やその他の秘蹟は私たちの命の源であるからです。全ての御恵みの源であるからです。秘跡が私たちには必要だからです。

イエズス・キリストの御聖体がなければ、この地球が大戦争になったり、あるいはどのような危機に陥ってしまうかも分かりません。この世界の保存の為にも、平和の為にも、私たちが生きる為にも、必ず絶対に必要なものが、ミサ聖祭です。なぜかというと、イエズス・キリストの十字架がここで、いけにえが再現されるからです。最も私たちの命にとって、超自然の命にとって大切な恵みが、ミサ、この祭壇から流れ出るからです。イエズス・キリストの、天主に快い香りのいけにえであるからです。

聖ヨゼフは、これを今でも守って下さっています。かつてイエズス・キリストの命を守ったように、普遍教会の守護者として、全世界におけるカトリック教会の守護者として、このミサがいつでも捧げられるように、御聖体がいつでも私たちに与えられるように、守って下さっています。

ですから私たちは、イエズス様がなさったように、天主にまねて、聖ヨゼフに全幅の信頼をこめることに致しましょう。よく私たちが見る聖ヨゼフの御影(ごえい)は、イエズス様を抱いておられる、そしてイエズス様が聖ヨゼフに全く信頼して寄りかかっている御影(ごえい)です。私たちがいつも安心して御聖体を頂くことができますように、ふさわしく頂くことできますように、聖ヨゼフが持っていたように、イエズス・キリストを、御聖体におけるイエズス・キリストに対する愛と、そして特別な親密な関係が持たれることができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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