アヴェ・マリア!
聖伝のミサの解放のニュース:フランスの司教団は反対
■伝統的なラテン語ミサの執行を原則的に認める自発教令(モトゥ・プロプリオ)を教皇ベネディクト十六世が準備している、との報道がある。しかしこれに対してフランスとドイツの司教団は反対の意思表明をしている。
何故なら、聖伝のミサは、第二バチカン公会議の新しい神学と相容れないからだ。何故なら、新しいミサは新しい神学の創ったものであり、聖伝のミサは聖伝のカトリック信仰によるものだからだ。
▲ トゥルーズの司教、ロベール・ル・ガル(Robert Le Gall)司教様はラ・クロワ(La Croix)紙にこう言っている。
「これ(=聖伝のミサの一般使用の自発教書)は、重大な困難を引き起こすかもしれない。特に第二バチカン公会議に忠誠を保った者たちにとってそうだ。私たちは聖座に悲しみと失意と落胆の前線を創ることになる。典礼は、氷山の単なる一角にすぎない。」
▲ パリの大司教アンドレ・ヴァントロワ大司教は「或る特定の典礼を守るというキャンペーンのもとには、第二バチカン公会議の根本的な批判がある。公会議の宣言の拒否さえある」という。
▲ ブリュッセル(ベルギー)のゴドフリード・ダニエルス枢機卿は、ラディカルな左翼で有名だが、こう語った。
「トリエントのラテン語典礼は、機関車にすぎない。本当の問題は、この機関車の後に付いて運ばれてくるものだ。この機関車の後についてやってくることが、私の望んでいないものだ。」
▲ リールの大司教ジェラール・ドゥフォワ(Gerard Defois)大司教は、ル・フィガロ紙にこう答えている。
「この典礼(聖伝のミサ)は、キリスト教徒の数世代を養成し真の偉大さを持っている。問題はそこではない! 問題はこの典礼を擁護する人々によって伝えられる世界観にある。教会が現代社会に適応することを拒否することにある。・・・ トリエント典礼様式が復興するのは私にとってたいした問題ではない。ただし、エキュメニズム、諸宗教との関係、良心の自由に関する問題を取り上げるという条件をつけるならば、だ。・・・問題は、まず霊的で教義的である。」
▲ リギュゲ (Liguge) のベネディクト会の大修院長ドン・ジャンピエール・ロンジャ(Dom Jean-Pierre Longeat)は、2つの神学が2つのミサを創ったと言っている。
「本当の問題は別のところにある。典礼は神学の場である。1969年のミサ式次第(=現行のミサのこと)は、第二バチカン公会議の『教会憲章』の神学を特に取り入れたものだ。『教会憲章』は教会をキリスト教徒の神秘体であると同時に、「キリストの名前において集う天主の民」として提示している。従って、教会を「キリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具である」(『教会憲章』1)とした。・・・
トリエント公会議の神学の優先は別のところにあった。それは、プロテスタントの宗教改革に対抗して、聖体化したパンとブドウ酒におけるキリストの現存の現実を際だたせることであった。従って、司祭の聖なる行為がそこでは価値を持たされた。司祭がキリストのペルソナにおいて(in persona Christi)発声する言葉が、パンとブドウ酒とをキリストの御体と御血とに全実体変化させる。たしかに1969年の典礼様式において、聖務者らがこの領域において本質的な役割を保っているとはいえ、彼らが教会共同体の役務者として(in persona Ecclesiae)、神秘体の頭の役務者として行為するということが強調されている。
▲ ジルベール・カファン神父(Pere Gilbert Caffin)は共産党紙であるリュマニテ紙にこう答えている。
「問題は、神学的観点から重大だ。聖ピオ5世のラテン語のミサは、全能の天主、この世から遠くある人間を裁く天主という考えを全面に出している。第二バチカン公会議以後の新しいミサは、人間の中にいる天主という考えを打ち出している。以前のミサでは、司祭は祭壇の階段を、つまり、天主へと上り、信徒に背を向けていた。新しいミサでは司祭は信徒らの中で集会の座長をする。それはキリストが人間の中に住まわれたようだ。2つの神学が対立している。2つの別の典礼において別の霊的態度が明らかになっている。芸術的なあるいは美的な受け取り方の問題ではない。そうではなくキリスト教のメッセージに与えられた意味の表れの違いである。」
■ パリの元教区長リュスティジェ枢機卿(Cardinal Lustiger)は、10月23日に、パリの現教区長パリ大司教ヴァントロワ大司教は10月24日と25日に、ボルドー大司教区のフランス司教会議議長のジャンピエール・リカール枢機卿は10月26日に、ローマに行き、ベネディクト十六世教皇様に聖伝のミサを解放する自発教令に反対の意を伝えた。
■ フランス司教評議会大会がルルドで11月3日から9日まで行われた。閉会のメッセージとして、フランスの司教らは第二バチカン公会議以前の典礼に固執する信徒たちが第二バチカン公会議の教えを明確に同意するジェスチャーを求める、と述べている。
■しかし、ウナ・ヴォチェの在ローマ顧問 モンシニョール・イニャシオ・バレイロ(Msgr. Ignacio Barreiro)によると、フランスの司祭召命の現状を考えると聖座は何かをしなければならないという。
第二バチカン公会議以後、召命の失墜は教会の恐るべき危機の明らかな印である、という。
例えば、パリ大司教区(158万の教区民がいる)では、
1996年に720名の教区司祭がいた。しかし2006年には583名だけになっている。
ボルドーでは、昨年司祭叙階は1名しかなかった。
またボルドー大司教区では、
1996年に290名の教区司祭がいた。しかし2006年には208名だけになり、3分の1が減っている。
ボルドーでは、1996年に97名の修道司祭が活動していた。しかし2006年には80名だけになっている。
「フランスのカトリック教会の統計を真面目に誠実に分析すると、第二バチカン公会議以後になされた司牧的な改革はあまり成功したとは言えないという雄弁な証言をしている。」
http://www.theconservativevoice.com/article/19745.html
◆参考資料◆
聖ピオ十世会は1970年にカトリック教会法典に従って創立され、1982年には、聖ピオ十世会は100名の司祭と世界中に50の修道院を持っている。
1994年には、聖ピオ十世会は120の修道院を世界中に持つ、司祭300名の会になった。
2006年、聖ピオ十世会の司祭数は460名であり、155の修道院を世界中に持っている。
■サンドロ・マジステルによる分析■
サンドロ・マジステル(Sandro Magister)による分析によると、フランス司教団は、聖伝のミサについて教皇様に対して拒否権の維持を望んでいるが、ベネディクト十六世教皇様は聖伝のミサを解放するつもりだとのことだ。
http://www.chiesa.espressonline.it/dettaglio.jsp?id=96802&eng=y
http://blog.with2.net/link.php?269452
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