Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖伝のミサ(いわゆるトリエント・ミサ、「ローマ典礼様式のミサ」)の予定

2008年12月21日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア!

■ 聖伝のミサ(いわゆるトリエント・ミサ、「ローマ典礼様式のミサ」)にようこそ!

 愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに歓迎します! 

何故なら、オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ両枢機卿とがパウロ六世教皇聖下へ報告したように、「新しいミサの式次第は、その全体といいまたその詳細といい、トレント公会議の第二十二総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱している」からです。

何故なら、「この新しいミサの典礼様式が新しい信仰を表明している」から「この新しい信仰は私たちの信仰ではない、カトリック信仰ではない」(ルフェーブル大司教)からです。

何故なら、新しいミサはエキュメニズムのために作られたからです。

<2008年12月の予定>



東京では・・・

20日(土)午後6時30分 グレゴリオ聖歌に親しむ会
     午後8時30分 グレゴリオ聖歌による終課

21日(主)午前10時   ロザリオ及び告解
午前10時半   待降節第四主日(一級)紫
     午後2時ごろ  公教要理の勉強
午後3時ごろ  休憩
     午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課

22日 月 午前7時 平日(二級)紫

【お知らせ】 天主様の御恵みにより、天主様の御旨なら、12月22日(月)、フランスのアヴリエ(Avrillé)にある聖伝のドミニコ会修道院にて、日本人のブラザー・ニシが、初誓願を立てる予定です。これは日本にとってとても大きなお恵みの時ですので、愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをひたすらにお願い申し上げます。


【ご注意下さい】
 12月23日 火 は、天皇陛下のお誕生日の休日で愛する兄弟姉妹の皆様とともに陛下のお誕生日を祝って日本で聖伝のミサを捧げたいのですが、ソウルでの深夜の降誕祭のミサ聖祭を準備しなければならず、また体力的にも力を付けておく必要があるので、12月は例外的に一日早くソウルに参ります。ご理解をお願いいたします。


【追加のお知らせ】
 日本の聖ピオ十世会は、来年の五月に、ファチマ・パースペクティヴを執筆しているクリストファー・フェラーラ氏を日本にご招待する予定です。愛する兄弟姉妹の皆様の御期待を乞います。

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2008.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。
それでは、皆様のおこしをお待ちしております。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2008, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2008" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/

【関連記事】
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
■ カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質:新しいミサはこの三つの特徴を満たすか?
■ モンシニョール・クラウス・ガンバー(Msgr Klaus Gamber)の「ローマ典礼の改革」
■ 今日経験している教会の危機は典礼崩壊が原因であると、私は確信する。(ベネディクト十六世)


聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区の行ったパレ・ル・モニアルへの巡礼の写真

2008年12月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区の行ったパレ・ル・モニアルへの巡礼の写真の続きをご紹介します。

パレルモニアルの小教区の教会です。


聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼
アヒルがたくさんよってきました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼
小教区教会

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼


聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

【関連記事】

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記13.1.4.雄弁な一覧表

2008年12月20日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


雄弁な一覧表

 公会議で大司教がどんなに活動したのかよく理解するために、百言よりも概要一覧表を見ることがずっと効率的だろう。

 一覧表の中で、それぞれ発言、提出、送付とは次の意味である。
発言--「公会議議場で朗読して発言」
提出--「公会議事務局に文書提出」
送付--「郵送で送付」

 主題と発言の日付また発言内容の順で掲載する。ページ数はフランス語版の J'accuse le concile に掲載されているページ。ローマ数字は公会議公文書(Acta Synodalia)の該当ページ。


第1総会 - 1962年秋

発言--全ての人々へのメッセージ 1962.10.20. 自然主義:単なる人間的な理想 (p.16)
(I、I、240)
提出--典礼 1962.10.29. 典礼司牧センター(Centre de Pastorale Liturgique)の覇権に反対する (I、I、633)
発言--公会議の目的 1962.12.1. 司牧的文書の他に教義を正確に述べるテキストを作るべきである。 (pp. 18-21) (I、IV、144 sq.)


第二総会 - 1963年秋

発言--司教団体制 1963.10.11. 司教団体制の2つの危険 (pp. 25-27) (II、II、471 sq.)
発言--司教団体制 1963.11.8. 裁治権上の団体制に反対する (pp. 30-31) (II、IV、643 sq.)
提出--エキュメニズムと信教の自由 1963.11. 「聖霊は 救いの手段として使うことを拒否しない」という表現 (pp. 33-34) (II、V、797 sq.)
提出--信教の自由 1963.11.26. ペルソナの誤った尊厳 (pp. 39-41) (III、II、832 sq.)


第三総会 - 1964年秋

発言--信教の自由 1964.9.24. 自由の間違った定義 (pp. 74-76) (III、II、490 sq.)
提出--世界における教会 (注意点) 1964.10.23. 教会には全ての問題に対する回答が既にある。ピオ十二世の教えに挑戦しないこと (pp. 83-85) (III、V、477 sq.)
発言--宣教活動 1964.11 ペトロが宣教に派遣する。司教たちの個人的権威 (pp. 77-82) (III、VI、561 sq.)

総会休会中 1964-1965

送付--信教の自由 (注意点) 1964.12.30. 良心と自由とについての誤った概念、権威の役割、共通善と真理 (pp. 41-48) (IV、I、792 sq.)

第四総会 - 1965年秋

提出--世界における教会 1965.9.9. 「新しい教え」 (pp. 88-93) (IV、II、781 sq.)
発言--信教の自由 1965.9.20. 18世紀のフリー・メーソンの哲学、天主様の規律 (pp. 95-98) (IV、I、409 sq.)
発言--宣教活動 1965.10.2. 非超自然主義と弛緩主義 (pp. 99-104) (IV、IV、551 sq.)

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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区パレ・ル・モニアルへの巡礼の写真

2008年12月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区の行ったパレ・ル・モニアル(Palais le Moninal)への巡礼の写真をご紹介します。


聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼
イエズス・キリストの聖心が現れた修道院

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼
En cette Eglise, Notre-Seigneur revela son Coeur a Sainte Marguerite Marie

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼
Chapelle des Apparitions

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼
昔の聖伝のミサの祭壇は取り払われ、食卓がおかれている。
残念ながら、カリスマ運動の中心地となってしまっているパレルモニアル。
(昔の御出現の祭壇は、今では、スイスのエンツィンゲンの教会に保存されている。)

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼
Je te constitue mon hermitage de mon Coeur.

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のパレ・ル・モニアルへの巡礼


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ファチマのシスター・ルチアは全世界が共産主義の手に落ちてしまうだろうと預言した

2008年12月18日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 1946年、ファチマのシスター・ルチアはインタビューにこう答えているそうです。
「シスターのお考えでは、全ての国々は例外なく共産主義に負けてしまうことになるのですか?」
「はい。」

「シスターのお考えでは、全ての国々は例外なく共産主義に負けてしまうことになるのですか?そして、つまり、アメリカ合衆国もそうなると言うことですか?」
「はい。」


Sister Lucia of Fatima in 1946 said that the whole world would become communist:

"While he was the pastor of Our Lady of Fatima Church in Ludlow, Massachusetts, I spent some time with Fr. Manuel Rocha, the interpreter selected for Mr. William Thomas Walsh, who wrote perhaps the most popular book on Fatima. Fr. Rocha told me that one of the questions Mr. Walsh asked him to translate to Sister Lucia during a three hour interview on the afternoon of July 15, 1946, while she was still Sister Maria das Dores, a Dorothean Sister at Vilar near Porto, Portugal, was ‘In your opinion, will every country, without exception, be overcome by communism?’ Her pale brown eyes staring into his, a ‘little dimple on each cheek,’ she answered, ‘Yes.’

"Fr. Rocha related to me that Mr. Walsh wanted to be positive about the answer and therefore repeated the question adding, ‘And does that mean the United States of America too?’ Sister Lucia answered, ‘Yes.’ [bolds from the original]

Unbelievable in 1946, not so far fetched today is it?

from Angelqueen


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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記13.1.3.公会議の目的を明らかにする

2008年12月17日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言

公会議の目的を明らかにする

 ルフェーブル大司教は最初の総会から公会議の曖昧さ(多義性)が現れたと書いた。いったい何のためにこの公会議を開催したのか? 教皇ヨハネ二十三世は、公会議を方向付けたそのやり方をしっかり語り、教理を司牧的に表明することをとした (10月 11日の講話)。

 ところが曖昧さ(多義性)はそのまま残った。公会議が何を言おうとしているのか公会議が望んでいたことを知ろうとすることが難しいと言うことに、様々な発言と討論とを通じて人々は気づきだした。

 人々は、こう言っていた。
 「公会議はドグマ的公会議ではなく司牧的だ、私たちは新しい信徳道理(ドグマ)を定義するのを望まない、真理を司牧的に説明するのだ」と。

 自由主義者及び進歩主義者たちは曖昧な雰囲気の中で生きるのを好む。何も定義しないということを口実に、健全な教理を明確に説明することも放棄するのだろうか?

 ルフェーブル大司教はこう説明する。
「だから、 11月 27日の私の提案、それは私が既に中央準備委員会に提出した提案で、 120人という大多数の委員たちの承認を受けた提案があったのです。公会議でその提案はルッフィーニ枢機卿及びロワ大司教(Mgr Moy, ケベックの大司教)を含める幾つかの票を得ていました。この提案は、公会議の‘司牧的’性格とは何だったのか正確に設定する機会となっていたことでしょう。」

 大司教はマイクの前に立ってこう言った。
「現代の誤謬に割りこむ余地を与えないように私たちの教理をどうやって定義し、そして一つの同じ文書の中で、どうやったら神学をよく知らない人々にこの真理を分かりやすく理解させることができるだろうか?」

 革新者たち皆が耳をそばだてていた。このルフェーブルという男は、彼らの計画を可能ならしめていた「司牧的」という単語の曖昧さを取り除いてしまおうと何を提案するのだろうか?と。

 ルフェーブル大司教はこう言った。
「それぞれの委員会は二つの文献、すなわち一つはより教義的なテキストで神学者たちのための文書であり、他方はより司牧的で、カトリックであれ非カトリックであれ、あるいは未信者たちであれ、その他の人々のための文書を作ることができるはずです。」


 大司教は自分が出す解法の長所を詳しく説明した。しかし彼らはこれ以上彼の言葉を聞こうと思わなかった。何だって? 二つの文書だと! そうなら仕事が二倍になる。いずれにしてもスコラ哲学的な用語を使うことなど問題外だ。

 勿論、ルフェーブル大司教は精緻な正確さを持ってこれら二つの反論に論駁していた。すなわち、むしろ仕事が単純になるだろう、そして皆が公会議から最大の利益を引き出すことができるであろう、と。

 しかし自由主義者たちと新近代主義者たちは、多義性というベールを保ち続けようと堅たく決心していた。

「公会議の目的を明確に説明するということは、彼らをとても苛立たせた。従って、私の提案は拒否された。」

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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言



聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区の行ったアルスへの巡礼の写真をご紹介します(3)

2008年12月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区の行ったアルスへの巡礼の写真をご紹介します。(つづきです)


聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼
聖ヴィアンネー神父様の聖遺物

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼
聖ヴィアンネー神父様の告解場

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼
アルスの小教区の教会のもともとの部分

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼
ヴィアンネー神父様の寝室

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼
アルスの聖司祭が使った祭服

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

【関連記事】


聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区の行ったアルスへの巡礼の写真をご紹介します。

2008年12月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区の行ったアルスへの巡礼の写真をご紹介します。


聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼
「御摂理の家」

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼
夜のアルスの聖司祭のバジリカ(教会)

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼
アルスの聖母像

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区のアルス(ARS)への巡礼


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201X年、第二次日本国憲法が出来た。これは本当の「革命」だった。・・・

2008年12月16日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでしょうか?
 世界中の学級崩壊が進む中で、将来日本がこうなってしまったら、カトリック教会のことと日本のこととを重ねてといろいろな考えがおきました。もちろん、カトリック教会にとって一番大切なのはカトリック信仰です。真理です。政治ではありません。教会と日本とは全く別の分野のことです。

 それを確かめた上で、すこし聞いて下さい。(以下の内容は実在の人物や地名とは関係がありません。)以下の内容は、あくまでも、もしもこうなってしまったら・・・、という架空以外の何でもないということでご理解をお願いいたします。

 愛する兄弟姉妹の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!

*****


 201X年、日本で憲法が改正され、第二次日本国憲法が出来た。これは本当の「革命」だった。新憲法を作るために働いた議員たちは、これは日本における「第二バチカン公会議」だと言ったほどだった。第二次日本国憲法が正式に成立するためには、国会の絶対多数が必要であったが、これには実はすこし足りなかった。本来なら成立してはならないものであった。

 第二次日本国憲法において、特に左派は民主主義を徹底させようと国家元首としての大統領制度を導入しようとしたが、しかし成功せず、国家元首として天皇陛下がまだ存在することが許されたので、従って、内閣制度が保たれ保守派たちは国体が守られたといって喜んだ。

 第二次日本国憲法が正式に成立するためには、国会の絶対多数が必要であったが、これには実はすこし足りなかった。本来なら成立してはならないものであった。しかし、保守派は、日本の安寧のために天皇陛下が第二次日本国憲法をお望みになるのだからといって、これを受け入れた。

 新憲法では、第二バチカン公会議にならって民主主義の徹底化がさらに進められた。

 一つは、日本の国政は首相と、県知事、市長、町長、村長など全ての地方自治体の長が一つの団体を作り「首長団」(司教団)を作ることとなった。行政・立法・司法の全てのレベルで「団体制」が採用された。地方行政では、例えば県知事、市長、町長などに対して、「公務員団」(司祭団)ができ、いろいろな人権委員(信徒会)、学校教育委員(典礼委員)、行政委員(教会運営委員)などが無数に作られた。
 立法にも、裁判所にも、いろいろな委員会が潜り込むことになった。


 第二に、日本は国際的に開かれるために日本らしくあってはならない(カトリックらしさを出してはいけない、どこが違うかよりもどこが似ているかを見るべき)とされた。世界連邦(世界宗教連盟)を作るために開かれた国となるために、国境をますます無くしていくことになった。日本に入国するにはビザを廃止するようにし、全ての国籍は等しく日本人であるとなった(エキュメニズム、無名のキリスト者)。そこで、外国の議員が国会に招待されたり(アシジの祈りの集会、非カトリックの役務者とのエキュメニカルな祈りの集い)、外国の裁判官が裁判するように招かれたり(プロテスタントの牧師たちとともに新しいミサを作る)、外国公務員が日本で働いて日本の給料を受けるようにもなった。

 日本の霊は全ての国籍の人が日本を愛するように働くと宣言され、日本以外の国籍の人は日本人と同じ権利を等しく享受すると言われた。

 日本の領土は全て地域のアジアのもの(教会は地域のもの)ということで、多くの外国人労働者が自由に出入りすることができるようになり、外国人犯罪も増えていった。

 第三に、子供から老人までの「国民の自由」(信教の自由)が宣言された。そのためにまず学校では全ての生徒の答えは正しい(全ての宗教は正しい)とされた。生徒の回答・発言・行動を間違っていると言ってはいけないとされた。幼児から老人まで人格の尊厳を守らなければならない、「あなたの発言は間違っている」ということはそれを素直に信じている人の人格を傷つけることであって、論争の元であり、ひいては戦争の元になる、だから、全ての言論は自由であって全て正しいはずであるとされた。体罰は禁止された。従って、学校に携帯を持つことも、授業中におしゃべりをすることも人権とされた。


 このような第二次日本国憲法(第二バチカン公会議)の原理の元で、いろいろな新憲法後の改革(公会議後の改革)が行われた。今までの日本ではなく、新しい国をつくる(第二バチカン公会議後の教会)とされた。まず、第二次日本国憲法の中には、日本語(ラテン語)を禁止するとは一つも書いてなかったにもかかわらず、これからは日本語の使用が禁止されているという誤解が日本全国に広がった。

 日本中の学校(教会)から日本語で授業(ラテン語で聖伝のミサ)をする学校があっという間に消えた。東京オリンピック誘致運動のせいだろうか、これからは、英語の時代だ、中国語の時代だ、国際化の時代だ、という声がわき起こり、日本語を教える学校が日本から消えた。第二次日本国憲法制定の四十年後には日本語を話すことができる天皇陛下や首相も存在するかわからなくなるだろう。数年後にして、市町村長は既に日本語を片言しか知らなくなかった。


 特に大東亜戦争の戦争責任や、アジアの国々の感情を傷つけないために、ということで、君が代(グレゴリオ聖歌)の斉唱が事実上禁止された。また、日の丸もアジアの国々の感情を傷つけないために、国旗の高揚は、常に、喪に服したように途中までしか上げなくなった(立ったままの聖体拝領)。

 隣国の議員さんたちがやっていることを真似しようという日本人国会議員が、日本国の国旗である日の丸を足で踏みつけるパーフォーマンスもやって見せ、日本人も強制的にさせられた(プロテスタント式の手による聖体拝領の強制)。これは現代の日本の踏み絵だった。もしそれをしなければ非国民のレッテルをはられるようになった。

 世界村の一つの地域としての日本ということで、他の国々を等しく尊重すると言うことで、国旗掲揚の時には、非常にしばしば中国、北朝鮮、ロシア、韓国、アメリカなどの旗の掲揚がなされた。これは両旗あるいは複数旗の高揚などと呼ばれた(プロテスタント式両形色の聖体拝領の導入)。

 学校でも役場でも公式儀式でも非常にしばしば起こったことだが、外国の国旗掲揚はあっても日の丸が揚げられないことがよくあった(平信徒が手にとって御血に浸して聖体拝領するやり方)。これだけは政府によって公式に禁止されていることであるが、皆は無視して行っていた。


 学校において教師は教えるのではなく、生徒の持っている真理を引き出すものだとされ、「対話」中心の教室作りが進められた。授業の本質がこうして生徒たちとの交わりの時間となった(ミサ聖祭は会食である)。教師は教壇に立って教えると言うよりは、校庭に出て生徒たちと遊んで幸せにさせる存在としてのみ強調された(司祭はミサのためというよりは宣教するためにある)。

 いままであった教壇は廃止され、教師は生徒の真ん中に立って、生徒の発言を聞くべき存在となった(祭壇は天主の方ではなく、信者の方を向く)。これからは主体は生徒である。今までは教師の独擅場であったが、これからは生徒の時代である。教師も生徒も平等である。万民教師説である。生徒も自由に教えるようになった(平信徒も御聖体を配る)。生徒は本当は教師から教えてもらいたいのだが、本音を言うと教師から怒られるし、せっかく教えようと張り切っている教師役の生徒ががっかりするかも知れないということで、仕方なくその生徒から講義を受けている。

 カリキュラムは全て新しい第二次日本国憲法の原理に基づいて変わった(公会議後に全ての秘蹟・聖書・教会法・公教要理・祈りが変わった)。日本人は、日本という国は第二次日本国憲法後にできたものだ、それ以前の日本は悪いものだ、分けもないのに日本語を使い、日本人が苦しんでいた国だと誤解し思いこみだした。

 学校では、県にもよるが、教師がディスコパーディーのような授業をしたり、ピエロの格好をしたり、何でもありとなった。なんでも良かったが、日本語(ラテン語のミサ聖祭)を話したり教えたり、日本の過去(カトリック聖伝)を肯定的に話をしたり、君が代(グレゴリオ聖歌)を歌ったり、先生が教壇に立ったり(いわゆる”背面”祭壇)すると、大問題であり、非国民(破門)のレッテルをはられるようになった。

 時には、一つの教室に数名の教師がやってきて授業を受け持った。これが団体制に基づく新しい共同教授(共同司式)である。一人の教師が生徒たちの真ん中に立って話をすると、その回りに立つ他の教師たちは一同にフムフムとうなずくのである。時には、スクリーンに映し出された画像に教師たちは同時に手を差し伸べて指し示すこともした。

 また団体主義のために、担任制も廃止になった。「チーム制」だ。複数の教師が複数のクラスを共同で受け持つ。ある生徒が事故を起こした、というときでも、責任の所在が不明であり、クラスメートが共同チームの教師の一人に報告すると、それは別の教師に言ってくれとたらい回しにされることが頻繁に生じるようになった。

 教師は、教えるということよりも、政治活動に夢中になり、授業中に特に中国共産党や金正日を応援するような政治的発言を良くするようになった。といっても、授業中に教師の話を真面目に聞く生徒も殆どいないので、たいした影響も無いようであるが。ある"右翼の"生徒らは、学校の裏サイトで、教師は中国共産党ではなくアメリカ民主党を応援すべきだと盛んに書き込みをするようになった。

 ある時、ある保守的な生徒が教師と会ったとき教師への尊敬から「気を付け、礼」と深々とお辞儀をしたら(跪いて聖体拝領)、教師は生徒を厳しくしかった。もしもそのようなことをやり続けるのならば、おまえは教室に入ってはいけない、退学させる、と。

 教師の服装も変わった。昔のように背広にネクタイをしては変な目で見られる。トレーニングの服、ジーパンにTシャツ、一番ラフな格好をするべきとされた。背広にネクタイをして教える教師は、校長から厳しく処罰され僻地の学校にとばされた。

 教師の中には、教科書を読んで自由に解釈すべきである(聖書の自由解釈)、とか、インターネットやグーグルで直接知識を得るべき(カリスマ運動、聖霊に直接聞く)だと主張するものも多く現れた。


 第二次日本国憲法後、日本は大混乱に陥った。日本人は日本人とは何かが分からなくなった。過去と断絶してしまった。日本人を止めたいという人々、日本を離れる人が続出した。中では、高級官僚だった人々も、数万名と外国へ亡命してしまった(第二バチカン公会議後、約二万名の司祭が司祭職を辞めた)。公務員や教師になろうとする青年も急激に無くなった。数年で教師たちの平均年齢は七〇才となるだろう。多くの学校は教師の不足で閉鎖された。つい最近は大阪で五〇の学校が一度に閉鎖されると新聞に載っていたばかりだった。

 それでも共産党とグリーンピースは第二次日本国憲法では満足しなかった。彼らは第三次日本国憲法を作ることを主張し、日本の領土は、自然のもの、世界のもの、日本が国際世界の一部の地域にすぎないのだから、第三憲法では所有権を全て廃止し、日本領土を世界領土と宣言し、全ての国民のものとする、軍隊のない国を作る、1対1のカップルには問題がある、個人を単位に生きる、ジェンダーフリー男女平等政策、男女共同参画、死刑廃止、最後に女性も相撲の土俵に立てるべきである、と訴え続けている。



 そんな中で、石原東京都知事がこの第二次日本国憲法を疑問視した。自ら、正当な国法に則り、学校を一校、石神井に作り、そこで日本語を教え、君が代を歌い続け、何も変えない教師を作る師範学校を始めた。マスメディアは、一斉に石原都知事を非国民扱いしだした。残念なことに、師範学校のあった練馬区の新区長が前任の区長が一度正式に発行した許可書を、全く独断で法に悖って廃止通知を出したこともあって、マスメディアは大きく騒いだ。しかしマスメディアが騒げば騒ぐほど、心ある日本人たちは、石原都知事を慕って是非、石神井の教師たちを送ってほしいと願うようになり、日本全国にこれらの教師たちは派遣された。

 不幸なときには不幸が重なるものなのだろうか、そんな日本に細菌テロによる新型インフルエンザが襲った。多くの方々が犠牲者となった。時の首相は、民主党の小沢首相であったが、首相の健康の状態が思わしくなく行動が遅れた、それでも、第二次日本国憲法の精神に基づいて中国とロシアから軍隊を送ってもらって日本人の援助を求める声明を出した。しかも日本語でその声明を出したので保守派の好感をかった。

 しかし、すぐには残念ながら日本には何の援助も来なかった。そんな時、細菌テロ(1988年のアシジの祈祷集会)に、日本のために何かをしなければならないという緊急状況を見た石原都知事は、多くの都民の犠牲者を見てすぐに自衛隊に援助を依頼した。「残念ながら現行法では、全部憲法にひっかかってくる。多くの生命を守るために憲法を無視してやる」と述べて、「私の場合は命がけでやるんだ。命がけで憲法を破るんだ。当たり前のことじゃないか」と答弁し、第二次日本国憲法をあたかも無視するかのような見かけを取って日本人の命を守るために自衛隊を発動させた。これによって関東地方の多くの日本にすむ日本人や外国人の犠牲者が助けられた。

 しかし、これは国会で大問題となり、裁判も無く、石原都知事と自衛隊の幹部責任者の四名は、第二次日本国憲法に則らないで細菌テロの犠牲者の日本人を助けた、ということですぐさま自動的非国民のレッテルが貼られた。石原都知事と自衛隊による救援活動を受ける日本人は、非国民行為をすることであり非国民となるとも脅された。非国民ということは、村八分である。脅しを受けた多くの日本人は、細菌に冒されつつ、援助も受けられず、命を落としていった。

 北朝鮮やモンゴルの日本ウォッチャーらは、ウェッブ・サイトを作り、日本人は石原都知事のところに行ってはいけない、憲法を守れと書きたてていた。

 しばらくして、中国の軍隊が送れて駆けつけて、やはり、第二次日本国憲法を無視する行動を頻繁にしたが、何の処罰も制裁もなかった(中国愛国協会の無許可の司教聖別)。

 保守派は、日本人は石原都知事ではなく、アメリカ軍の到来を待つべきだ、とか、あるいは小沢首相は聖人だ日本を国際化させてくれた、とか言うばかりであった。このように日本が苦しいときこそ政府の要求を飲んで、いろいろ問題はあっても、日本の政策に反映させることができないならば、それは、無駄だ。石原都知事は、日本を勝手に辞めていった、非国民のレッテルをはられるようになってしまった、だから日本について口を挟む資格はない。

 石原都知事の言うことに一見もっもとらしいことを感じても日本国民はそれを受け入れてはならない。日本国民を名乗るならば、石原都知事などに絶対に協力してはならない。これに協力することがかえって日本国内"保守"グループの力を分散させ、そのことが日本内赤化勢力に力を与えることになる、彼らに協力してはならない・・・・。中国語で良いじゃないか、英語で良いじゃないか、今の学校制度で良いじゃないか、妥協しよう、と。しかし、"保守派"には、既に郷土を愛するとは何か、日本人とは何か、法とは何か、命の大切さとはどういうことか、日本に革命があったこと、過去との断絶があったということが、よく分からなくなってしまっているようだ・・・。

 ここで、石原都知事は一人でぽつりとつぶやいた。
 日本で起こってしまったことは、まだカトリック教会の第二バチカン公会議でおこったことと比べれば、小さいことだ。何故なら、第二バチカン公会議では全世界のレベルで、しかも、超自然の命の救いのレベルでの話であったからだ。これを反面教師として、私は、日本人の命を救い、日本を守って行きたい。・・・

主よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

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韓国の小学校の教権墜落実態、アメリカでの実話

2008年12月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでしょうか?
 以前、韓国では学校に携帯を持ち込むことが学生の人権であると人権委員会の発表があったと読んだことをあったのですが、最近、韓国の「中央日報」紙のウェッブ・サイトで【社説】小学生が教師に悪口を浴びせる教室…を読みました。

「経歴35年の女性教師が最近、小説形式で告発した小学校6年の教室の教権墜落実態は衝撃的だ。 教師が叱りつけると児童は悪口を浴びせ、携帯電話を取り上げると警察に申告すると言って歯向かうなど、想像もできないことが起きているのだ。 各クラスで約5%の問題児が公然と教師を馬鹿にし、教室の雰囲気を乱していると、この教師は暴露した。 ・・・」

「今回本を出した教師は、世論の避難を覚悟して体罰許容を主張した。 先日は地方のある中学校で、保護者が体罰許容を決議している。 一部の生徒が勉学の雰囲気を害することで、多数の生徒が被害を受けるという状況を正すためだった。 それだけ韓国の教育現場が深刻な病にかかっているという傍証だ。体罰を含めて効果的な生徒指導方法について話し合う時期がきた。」

 また同紙「教師に罵声…小学校の教室がここまで崩壊」によると、

「なぜこうなったのか。 キム・ヨンファさんは教師の正常な教育活動を妨げる足かせに10年前から強化されている「体罰禁止」を挙げた。‘体罰できない’という事実が教師の弱点になったということだ。キムさんは「規定を破っても罰することができないので、学校を無法天下にする児童を制御できない」とし「場合によっては体罰も認め、退学もできるようにしなければならない」と強調した。 規則を破れば不利益があるということを小学校側がはっきりと教えなければならない、ということだ。」

 これを読んで、先月沖縄に行ってアメリカの信徒の方々が教えてくれたことを思い出しました。聖伝のミサに与るジョンさん(仮名)のお姉様であるメリーさん(仮名)は、アメリカにすみ、今では結婚し子供をもつ母親です。ところでこの子供ジョセフ君(仮名)は学校での態度があまりふさわしくなく、先生から母親が呼び出されたとのことです。ところでこのメリーさんは自分の子供の振る舞いにびっくりして子供と話し合って、そんなことではいけません、とお叱りをしたそうです。学校の先生はがらりと見違えるように態度が変わったジョセフ君を見て大変驚き、ジョセフ、一体何があったのか、と聞いたそうです。するとジョセフは、お母さんから体罰を受けちゃったよ、だから今は態度を改めている、と笑って答えたそうです。ところが「体罰」という言葉を聞いてびっくりした教師は、校長に通報し、校長は警察に通報し、警察がパトカーでメリーさんの自宅に取り調べに来たそうです。メリーさんは大変驚き、自分が一体どんな悪いことをしたのか、とジョンさんのところにお電話で相談があった、とのことです。

(つづく)


【最近の記事】

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるアルス(Ars)巡礼の写真

2008年12月13日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
いかがお過ごしでしょうか? 待降節ももう半ばとなりましたね。
 今回は、聖ピオ十世会アジア管区の巡礼団としてアルスに巡礼に行った時の写真をご紹介致します。


聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アルスの「摂理の家」

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アルスの「摂理の家」にて

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アジア管区のブラザーたちと

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アルスの「摂理の家」の食堂

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
日本からの巡礼団

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アルスの大聖堂(早朝)

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アルスの大聖堂の内部

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アルスの教会の説教台

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アルスの教会の中に安置されている聖ヴィアンネー神父様

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
聖ヴィアンネー神父様の使った告解場

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
聖ヴィアンネー神父様は、1856年5月1日に小教区を罪の汚れなく宿り給いしマリアに奉献した
聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
聖ヴィアンネー神父様が使った洗礼盤

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アルスの村

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
アルスの聖司祭の家

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
聖ヴィアンネー神父様が使った祭服

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。
聖ヴィアンネー神父様のお庭

聖ピオ十世会(SSPX)アジア管区によるフランスのアルス(Ars)への巡礼。聖ヴィアンネー神父様の教会に巡礼に行きました。


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カトリック神学によるユダヤの民(2)by Rev Padre Julio Meinvielle

2008年12月13日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

Julio Meinvielle 神父様の書いた『歴史の神秘におけるユダヤ人』"El judío en el misterio de la historia" から、

第1章、カトリック神学によるユダヤの民 (Capítulo I: El Judío según la Teología Católica) の続きをご紹介致します。

=====


エザウとヤコブ

 主が太祖イサアクに与え給うた二人の息子(エザウとヤコブ)が私たちに啓示することも同じ神秘である。

 創世の書の第二十五章を見てみよう。

21 イサクは、妻がうまずめだったので、その妻のために、主にこいねがった。主がその願いを聞かれたので、妻のレベッカは身籠もった。
22 ところが、胎内の子がぶつかり合うので、彼女は「こんなことでは生きていられません」といって、主にお伺いを立てに言った。
23 すると、主はこう仰せられた。「おまえの胎内には、二つの民がいる。おまえから出る二つの民は、離れ去る。一方の民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるだろう。」
24 生み月になってみると、胎内の子は双子であった。
25 初めの子が生まれたが、その子は赤毛で、毛衣のように毛深く、エザウと名付けられた。
26 次に生まれた弟は、エザウのかかとを手で掴んでいたので、ヤコブと名付けられた。

 聖パウロは、ユダヤ人の神秘について明らかにしているローマ人への手紙の中で、肉による長男であるエザウが、血肉のちぎりによってのみアブラハムと結びついているユダヤ人のことであり、他方、次男のヤコブが、(ユダヤ人と異邦人とから成る)カトリック教会であることを見せている。何故なら教会はキリストに対する信仰によってアブラハムと結ばれているがゆえに、エザウよりも好意を得ているからである。

 こうして聖書の言葉が成就した。「私はヤコブの方を愛し、エザウを憎んだ」と。こうして教会は会堂に勝利した。とは言ってもユダヤ会堂はエザウのように「激しい憎しみを持ち、心の中で弟のヤコボを殺してやろうと言う」ことになるのであるが(創世の書27:41)。

(続く)

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兄弟姉妹の皆様からいただいたお便りのご紹介

2008年12月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 お元気でいらっしゃいますか?
 兄弟姉妹の皆様からいただいたお便りをご紹介させてください。天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

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小野田神父様

   ・・・お疲れのようですね。

   SSPXのフェレー司教様の御意向に合わせて祈っております。世界中の様々な場で善のために人間が捧げているさまざまな努力と戦いのうちSSPXの戦いが一番人類の永遠の命と運命のために重要なものです

【答え】
 お祈りに心から感謝いたしております。

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アヴェ・マリア!

神父様!
公明党が国籍法を改訂しようとしています。
ご存知ですか?
日本のためにお祈りをよろしくお願いします。

【答え】
 日本のためにたくさんお祈りをいたしましょう!

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トマス小野田圭志神父様

十主の平安

アヴェ・マリア

大変ですね、お忙しいですね、どうぞ御身体お大切になさってくださいませ!

・・・・

32 悟り得なくとも、信ずべきことを何と申しますか。
   悟り得なくとも信ずべきことを、玄義ともうします。

と書いてあるのですが、奥義ではないのでしょうか?

御忙しいですのに申し訳ありませんが、宜しくお願い致します!


【答え】
 「悟り得なくとも信ずべきこと」は、ラテン語で mysterium と言います。これが日本語に訳されると、あるいは玄義、あるいは奥義、あるいは神秘となります。
 昔はよく「玄義」と訳されていました。

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【お知らせ】
 天主様の御恵みにより、天主様の御旨なら、12月22日(月)、フランスのアヴリエ(Avrillé)にある聖伝のドミニコ会修道院にて、日本人のブラザー・ニシが、初誓願を立てる予定です。これは日本にとってとても大きなお恵みの時ですので、愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをひたすらにお願い申し上げます。




【過去の記事から】

【インサイド・バチカン誌】ファチマの聖母が要求したロシアの奉献は、これからなされるべき

2008年12月12日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 クリストファー・フェラーラ氏のファチマ・パースペクティヴ(Fatima Perspectives - Perspective No.576): A Breakthrough for Fatima “Inside the Vatican”によると、有名な「インサイド・バチカン」誌が、キャシー・ピアソン(Cathy Pearson)の記事 Anniversary Our Lady of Fatima and the Catholic-Orthodox dialogue by Cathy Pearson 30-37pp. を掲載している、とのことです。

 彼女は、約八十年前にファチマで天主の御母聖マリアが要求されたロシアの奉献は、まだ時があるうちに、これからなされるべきである、と主張しているそうです。

 彼女はこう言います。「今は『ファチマの聖母マリアが要求されたこと、すなわち、教皇様と全ての司教達によってロシアが名指しで聖母の汚れ無き御心に奉献(consecration)されることは、ロシア正教の感情を傷つけるかもしれないから(might offend)、この通りには出来ない』と言っている人々をハッタリだと呼ぶ時だ」と。

 『インサイド・バチカン』誌の編集長である、ロバート・モイニハン(Robert Moynihan)は、「もちろん、カトリック信者は、奉献が既になされているかまだなされていないか自由に議論することができる」とこの記事に導入部を書いています。

 しかしピアソンは、世界の道徳は悪化の一方であること、生まれない子供達への戦争、同性愛、暴力と頽廃は留まることを知らない、と指摘しています。奉献の時は今である、と。これ以上遅らせててはならない、と。


【お知らせ】
 日本の聖ピオ十世会は、来年の五月に、ファチマ・パースペクティヴを執筆しているクリストファー・フェラーラ氏を日本にご招待する予定です。愛する兄弟姉妹の皆様の御期待を乞います。



【参考資料】
 以下も、陳さんからいただいた情報です。あくまでも参考資料としてのみお読み下さい。

●(「ロシア正教」を傷つけないように、というバチカン政治的配慮とは裏腹に)ロシア正教のアレクシー2世総主教は、KGB情報提供者としてのスパイの過去を持っていた。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2546426/3588481

●新ICBM、来年生産へ ロシア
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/200702/

●ロシアのせいで世界は実は1983年9月6日に滅んでいたかもしれない
ソ連の勇敢な中堅管理職の将校が軍規に反する行動をとらなければ、大韓航空機撃墜事件の直後の米ソはコンピューターエラーによって全面核戦争に突入していたとのことです。
ロシアの奉献がなされないと、同様の事件はまた起こるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95



天主様の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

【関連記事】


麻生首相と経済危機克服 

2008年12月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか? 
 日本で "初めて"(ダヴィド原敬も実は、受洗したカトリック信者でした)のカトリック首相がでて私たちは大変うれしく思っております。ぜひ、ロザリオの祈りで応援したいと思っています。

 首相には、是非「カトリックの首相が生まれてよかった」という国政をお願いしたいと思っております。

 今の金融危機は、首相にとって大きな問題だと思います。

 ウィリアムソン司教様は御自分のブログでこう言っています。多くの政府の巨大な介入で、今の経済危機が緩和することを多くの人が期待しているかもしれない、しかし、七つの理由で役に立たないだろう、ど。
 何故なら、今の嘆かわしい金融システムの構造的理由による、といいます。つまり、現在流通している通貨は、信用創造によって借りることによって存在しているからです。もしもだれも貸したり借りたりしなくなってしまうと、流通通貨が無くなってしまうからです。

 ところが、
(1)個人であれ、企業であれ、アメリカの最も強力な責務者はこれ以上借り入れることが出来ないほどの借金がある。彼らに融資することは無責任である。
(2)誰も借りたり消費したりすることを強制できない。
(3)だれも債権者をして融資することを強制できない。特に、債務者が支払い能力が無いときに。(4)今では(今までの乱費・借金のしすぎで)、貨幣を所持するならそれは借金の返済、あるいは貯蓄に使われて、もうこれ以上借り入れはないし、市場で消費もされない。

 「宴会」が終わったその他の理由は、
(5)不動産・金融・保険経済が死んでいるから。何故なら、投資や責務の速度が急速に減少しているから。これ以上速度が遅くなることを誰も止めることが出来ないから。
(6)政府と企業は、同じように、明日が支えてくれる昨日の収入を期待するという幻想の国に住んでいるから。
(7)アメリカはすでに全てがありすぎるから。ホテル、オフィス、家、車、テレビ、など。ゆっくりと動くことが出来るだけで最高。

 だから、宴会は終わった、終了した、といわれています。

 【麻生首相の講演詳報】(1)【麻生首相の講演詳報】(2)によると、麻生首相も6日夜の長崎県諫早市における講演で、こういわれたそうです。

====引用開始====


「金融が縮小する、あんまりみなさん生活に関係ないとお思いでしょうが、金融が動かないということは、皆さんが払い込まれているお金が相手の会社に届かない。皆さんへ会社が振り込んだはずの給与が、皆さんが銀行に引き落としにいくと落ちない。こら金融が動かないということはそういうことです。皆さん方のクレジットカード、皆さん方のエディーが動かなくなる、そういうことを意味します。したがって金融が動かないということは、そら普通の生活に多大なる影響を与える。したがって、この金融だけはきちんと動かさないと、こら次に普通の経済、実物経済、普通の商売が、普通の生活に間違いなく響いてきますから、従って、この金融危機というものは断固対応しないとえらいことになる」

 「われわれは日本は、1997年から8年にかけて、似たような経験がある。あのときえらい金融が困ったときの記憶を経営者だったら、まだ覚えているでしょう。10年前ですよ。貸し渋り、貸しはがしといわれたのは10年前です。何が起きましたか。三洋証券が倒産した。北海道最大の銀行・北海道拓殖銀行も倒産。すぐ山一証券も倒産した。そして98年に入って、不動産銀行、信用金庫みたいな不動産銀行が倒産、続いてあの長期信用銀行も倒産した。全部倒産して日本という国はえらい騒ぎになった」

「今、金融政策をいろいろやっているし、オレたちもやった。金融政策というものは、人がお金を借りに来るという前提で金融政策はできるけれども、金利がゼロでも、企業はお金を返しに来ない、ごめんなさい、お金を借りに来ない、金利ただでもですよ。金利ただでも、お金を借りに来ないという前提で書かれた経済学の本が世界中一冊でもあるなら紹介してくれ、そう言った記憶があります」

 「事実、2001年、ブッシュ大統領の下で、当時森(喜朗)内閣の時に、そのとき随行して米国にいて、その話をした記憶があります。理解ができないというか、オレたちだって理解できなかった。今まで経済学でこういったことが書かれたことは一回もない。しかし、今日本で起きてるのはそれだと、必ずオタクでも近々起きる、その可能性はバブルがはじけたら必ずなる、オレたちはそう思ってると言い切ったんですが、8年して今そういう状況になりつつあるんだと、これに対する処方箋(せん)はどうすればいいかというのは、今、金利をパッパッパと下げてるけど、日本でも効果がなかったのと同じように、たぶんアメリカでも効果は彼らが思ってるほどはない、そう思っている」

「従って、日本がどうやったかといった話をぜひ聞いた方がいい、といったような話をさせていただき、われわれの提案がほとんどのところで、この提案が通って、今少なくとも金融の面は動きつつあると思っております。まだ完全じゃありませんけど」

「次に実物経済。ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラー、ビッグ3といわれた巨大な自動車会社が今破綻(はたん)寸前。覚えています?」

 「1971年にアメリカのビッグ3が上陸してくるといって日本の自動車会社がみんなつぶれる。三菱重工(三菱自動車工業)つぶれる、トヨタも日産も全部だと言ったけれども、現実は逆になった。だからみんなが言うから、そうなるのかなとまず思わないでください。新聞がそうなると言ったら危ねえなあと、逆だなあと思った方が早い。僕はそう言うから新聞にウケることはない。しかし、現実問題として当時言われた風にはならなかったでしょうが、現実問題として。それが事実ですから、みんな頑張ったんですって。日本人のこの頑張りを評価しないから、おかしな世論評価とか、調査とかいうもの(しか)が出ないんですよ。個人個人のがんばりが、それが支えてるんですから」

====引用終了====


 日本はアメリカとは幸いにまだ異なるところが多くあります。しかし、お金、お金、という思想がますます浸透しつつあるように思えます。

 今回の金融危機を、是非、乗り越えることができるように祈ります。



 ところで、ウィリアムソン司教様は、全ての人間の中で、お金儲けを目ざす人々は最もかしこく立ち回るのだから、この構造的金融危機が来るだろうということを知らなかったはずがない、といいます。

 金儲けと世界の支配を望む人々は、すでに1905年から次のようなことを発表していた、と。(もしこれが本当なら、金融危機は何らかの目的のために意図的に作られたものであり、この危機を乗り越えるのは極めて難しいだろう。)

「飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、われわれは群集を動かし、かれらの手を使ってわれらが行く手を阻む者すべてを掃討するであろう。われわれは、自分たちが熟知している隠密な方法を総動員し、すべてわれわれの手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者群集をいっせいにまとめて路上に放り出すだろう。これらの群集は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りにあげ、連中の財産を略奪できるだろう。しかし、かれらは〝われわれのもの〟には手をつけない。・・・われわれは財産を守る手が打てるからである。」



 ウィリアムソン司教様は言葉を続けます。
「共産主義によって二十世紀のヨーロッパのために計画された階級闘争は、移民によって二十一世紀の全世界のために計画された人種闘争に置き換えられたかも知れない、しかし、それに至るために大規模な経済危機を作り出すということは変わっていないようだ」と。

● ● ●


 さて、以前、陳(Zhen)トマス さん【仮名】から、以前幾つかコメントや情報をいただきましたが、たとえば「国際政治の潮流に逆らう露」など、今回はこんなことを教えて頂きました。参考資料としてのみ、お知りおき下さい。

 以下は陳さんからの参考資料です。

====引用開始====


今年初めに福田政権に小沢との大連立を働きかけた読売新聞のナベツネ会長ですが、まだぞろ国会議員に麻生政権を見放して民主との連立政権を樹立しようと声かけて回っているそうです。
産経を除く全国紙全てでグルになって麻生氏を辞任に追い込むキャンペーンを始めるとのこと。
だから自民党の国会議員は麻生を見放して、与謝野氏を次期総裁にして倒閣運動しろとのことらしいです。

麻生下ろしを宣言した読売新聞ですが、社主の渡辺恒夫氏が元日本共産党員であるということは有名な話です。そして渡辺恒夫氏の親友で、麻生下ろしと民主党・社民党との大連立を一緒に画策しているのが中曽根康弘元首相です。

渡邉恒雄読売新聞社社長

政治記者時代
旧制高校卒業後、東京大学に入学(東京大学在学中は、日本共産党に所属していた)。東京大学文学部哲学科卒業後は読売新聞社に採用試験次席で入社(その年の採用試験主首席は三好徹)。『週刊読売』(現『読売ウイークリー』)記者を経て、政治部記者となる。

中曽根氏は元タカ派ではありますが、いわゆる「保守」の政治家ではありません。
レーガン政権と組んで打倒ソビエトには協力しましたが、反中国共産党ではないのです。
というのは、そのころ、中国共産党政権とソビエト連邦は敵国同士だったからです。
そして日本と中共は同盟国ではありませんでしたが、中共とアメリカは反ソ連という点で敵の敵は味方で準同盟国でした。

靖国神社とカトリック信仰についてはさておき、総理大臣の靖国神社参拝を「中国に遠慮して」最初に取りやめたのは誰だったでしょうか?中曽根元首相でした。

ですから、中曽根氏やネベツネ読売新聞社会長は自由と繁栄の弧という概念で、インドなどと組んで中共封じ込めを提唱する麻生氏や、麻生氏と思想的に同じ前任者の安倍政権を目の仇にしてきました。
http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-397.html
このブログ記事を読めば、わかるように、今麻生氏を引き摺り下ろそうとしているのは、保守の皮を被った親中派であり、彼らの最終的な目的は東アジア共同体を設立して、日本・朝鮮半島・台湾・フィリピンからアセアン諸国の全てを中国の支配下に置くことです。

金融危機でアメリカの国力衰退が顕著になったため、今まで保守の皮をかぶっていたこうした中共の工作員もかなり大胆な行動をとるようになってきました。

ここで麻生氏が引きずり下ろされるようなことになれば、中共の崩壊が遅れた場合、日本はマジで中華人民共和国倭人自治区になってしまいます。

アメリカはそのような事態を既に想定しています。
航空自衛隊がアメリカの最新鋭戦闘機のF22の購入の意向を示しているのですが、メーカーのロッキードマーティン社は売りたくても、国防総省や議会がOKを出しません。
今までは日本は最高の同盟国としてイスラエルやサウジアラビアと共にアメリカのその時の最高の戦闘機を売ってもらえていたのにです。

航空自衛隊は仕方なしに戦後初めてイギリス製のユーロファイター戦闘機の購入も本気で検討することになりそうです。(日本は安保条約に基づく米軍との共同作戦を第一に考えているため、今まで国産以外ではアメリカ製の軍用機しか採用した事はありません)

FX商戦 F22の禁輸でユーロファイターが攻勢

アメリカは不況突入で、本来ならばこうした高額な買い物を日本がするといえば、貿易赤字も減りますし、ウエルカムなはずです。
なぜでしょうか?
それはF22が一機で航空自衛隊の一番強いF15戦闘機との模擬空中戦で不敗という高性能によるものです。
つまり一機のF22はF1540機どころか80機に相当する戦力なのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/F-22_(%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F)

2007年1月現在においてF-22には実戦経験はないが、「目視は出来ているのに(F-15の)レーダーに映らない」ことさえあるというステルス性により、「1機でF-15を5機同時に相手にできる」と言われており、訓練中の模擬戦闘で「F-15を相手として100戦以上行われた模擬戦闘で無敗」「アグレッサー部隊のF-16が300回もの模擬戦闘出撃を行ってついに一度もミサイルの射程内に捉えられなかった」「F-22のパイロット4人をF-15に乗せて1対4の模擬格闘戦を行い4機を全滅させた」等の逸話が生まれている。

このような戦闘機を日本が沖縄に配備したら、F15以下の性能のロシア戦闘機のライセンス生産機しかもたない中共空軍は核兵器を使わないと日本に手出しができなくなります。
そのため、中共の手先のアメリカの民主党議員が日本への売却をしないように政府に圧力をかけているというのも一つの理由です。

しかし、本当の理由は、F22を売却したのはいいが、日本に親中政権が誕生して、日本が中共の支配下に入ってしまったら、アメリカの最新の軍事技術が中国に渡ってしまうと、共和党やペンタゴン・CIAの一部が心配しているからです。

アメリカは昔最新鋭戦闘機であるF14を忠実な同盟国と思っていたイランのパーレビー王朝に売却して、イスラム革命がおきたためにそれがそっくりそのまま革命政権を通してソ連の手に渡って、その核心技術であるフェイズドアレイレーダーシステムとフェニックスミサイルシステムがソ連にコピーされてしまった苦い記憶があるのです。

ですから、F22を売らないということが正式に決断されれば、アメリカは日本はもう半分中国の支配下におちかかっている国と見ているということでもあるのです。

これがアメリカの国力が充分にある状態でなら、自民党に対するてこ入れができるのですが、今のアメリカにはそんな気力もありません。韓国にノムヒョン極左政権ができたときのように傍観するでしょう。

というのも、中共に金融危機の対処のための資金を中共から資金提供をしてもらい、ドルが暴落しないためにも継続して米国の国債を保有しつづけてもらうことが不可欠だからです。

アメリカは日本の政治問題に関与するつもりはありません。日本が中国の支配下になっても、それは日本国民の選択であり自業自得と考えています。

これは親中派派で知られるヒラリークリントンの国務長官就任で加速するでしょう。
ギリシァでは元共産主義者の過激派が若者をたきつけて革命寸前の暴動を起こしています。
このままでは日本でもおなじようなことが起こる可能性は高いでしょう。
航空幕僚長の論文問題のスキャンダル騒動はこうした文脈で見なければなりません。

====引用終了====


天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!
天主の御母聖マリアよ、日本を守り給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.


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