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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「助産婦の手記」34章  しかも、二ポンドのバターのために!

2020年08月27日 | プロライフ
「助産婦の手記」

34章

戦争は、あまりにも長くつづく。田畑の中だけでなく、家庭の中でも、すべての秩序はゆるむ。特に一九一六年から一七年にかけての冬は、「かぶ」ばかり食べさせられたが、その飢餓の年は、各種の道徳的な悪習を起させ、かつ拡めるのにあずかって力があった。今や、パンと肉、脂肪とミルク、卵と粉、それから馬鈴薯、豌豆(えんどう)と豆、小麦粉、大麦、燕麦、麦粒、代用コーヒー―その他、何でもが切符制となった。靴下と靴、シャツと上衣、おむつとゴムの乳首の切符。すべてのものが、統制された。一切のものが、 供出されねばならなかった。私たちの村のような社会、すなわち、その半分が農業であり(その一部分は大百姓である)、そしてその半分が工業である(それは、高い戦時賃銀にもかかわらず、赤貧洗うが如き工業であって、パンを一日も予備に持っていない)というような社会においては、困難な時代には、農工間の対立は、特に鋭く現われた。

農民が一切のものを供出しないで、各種の不正手段によって自分自身の需要品を確保したということは、私たちには非常によく判るように思われる。しかし当時は、人々は違った考えと、違った感じとを抱いていた。特に、切符をもっては暮して行けなかった時は、そうであった。そして、ちょうど農民の近くに住んでいた人々は、彼等が切符で手に入れた以上のものがはいっている瓶(かめ)の中をのぞき込んでは、日一日と腹を立てて行った。――

賃銀は、上った。人々は、統制を受けたにもかかわらず、何ものかを獲んがために、互いに高値を吹っかけ合った。そこで値段のうなぎ上りが始まった。それは最初に百姓の方からますます大きな要求を出したのではなかった。そうではなくて、高い戦時賃銀を受取った貧民や、都会の裕福な人たちが、生活物資を獲得するために、ますます高い値段をつけはじめたのであった。もちろん、そういう具合に、ひとたび車輪が回転しだすと、百姓はさらにそれを廻すことに、非常に速く慣れた。そして彼らは、朝には、売ることはできぬと言った。なぜなら晚には、もっと多くの利益が得られたからである。生活必需品のための残忍な戦いが、人間のうちにある各種の良からぬ本能を解放した。その戦いは、そういった範囲内のみに限られていなかった。狡猾、不正直、奸策と詭計、おべっかや、さては、恥ずべき不道徳と不貞に至るまでが生じた。一部分は、目的のための手段として、一部分は道徳的堕落と肉体的疲労の結果として。

人が戦争中、そんなに無反省に送っていた人間生活は、家庭にも及び、もはや何らの価値をも持たなかった。

私たちの職業も、戦争の影響を受けた。出産は、自然に非常に減退した。出征した男たちが、賜暇(かし)で帰ることは、稀れであった。戦争の初めに、急いで結婚した若夫婦で、まだ自分の家庭を持たないものが少なからずあり、そして彼らは子宝を予防するか、または妊娠しても、母親は、分娩のために入院した。それからまた、人々が以前にはあまり多く知らなかったいろいろな事柄が起った。

女たちは、捕虜や、その他の男たちと関係した――そして、その因果の種は、取り下ろされた。目立って多くの流産、早産が起った。確かに、一部の女たちは、以前、男たちがやっていた非常な重労働をせねばならなかった。それは、彼女たちのために、よくなかった。多くの若い生命が、そのために破滅したようである。もっとも、それは十分な説明ではなく、ほかのもろもろの力のなせる業であった……
『あの助産婦のウッツ奧さんは、何か様子が変ですよ。』と、隣り村のその同僚が、繰り返し私に訴えた。『あの人は、お得意が沢山ある――それなのに出産は一つもないのです。每日、年配の人も、若い人も、そこへ行きます――時々は遠方からも。そしてウッツさんは、悪い暮しはしていません。もっとも、旦那さんは仕事をせず、奥さんもあまり大して働いている様子はないんですが。』

私は、そのことを、初めには悲劇的なことには取らなかった。ちょっとした競争上の嫉妬だろうと私は考えた。小さな村に助産婦が二人いるということは、いつの場合にも、よくない事柄である。双方のどちらも、十分な仕事と儲けが得られない。なるほど、二人とも結婚はしているが、それにも拘らず。その上、ウッツは、以前から私たちすべてのものの好感を得ていなかった。というのは、彼女は分娩料金を引き下げたり、そのほか馬鹿なことをしたからである。それゆえ、この場合、判決を下すには、特に注意深くなければならない。私たち人間は、同情するにしても、嫌悪するにしても、不公平になり易い。私は、みだりに判決を下したくない――
ある日、一人の非常に身なりの立派な、一見金持らしい紳士が私のところへ来て、こう言った。自分は、ドイツ系アメリカ人で、戦争がすむまで、新しい故郷に帰ることができないのだ、と……
『で、あなたは、免許を受けた助産婦さんですし、また私の聞くところでは、御専門には非常に堪能なんだそうですね。』
リスベートよ、気をつけなさい、と私は自分自身に言った。お世辞が使われる場合には、何かを獲ようとたくまれているのだ――恐らく禁ぜられた何ものかを。
『私は長年、助産婦をしています。で、御用は何でしょうか?』
『ハー、実は、僕の家内が、身重なんです。このことは、ホテル住いだと、もちろん非常に厄介な事柄なんです……』
『この村の病院の中に、新規に分娩部が、来週、開設されるんです。というのは、今日では皆さんが自宅でお産ができないことが、たびたびあるからです。もし、あなたが、そこに申し込んでおこうとされるのでしたら……』
『いえいえ。あなたは、考え違いをしていますよ。僕たちは、束縛を受けちゃ堪まらないんです。子供というのは、実に恐ろしく邪魔なんです……僕たちは、故郷に帰るまでは、自由でなくちゃならないんです…』
『それでは、あなたは多分、育児所が欲しいんでしょう? その子をどこへやればよいか、私、思いつきました!』
『いや、子供が生れちゃいけないんです。僕たちは今のところ、子供は全くいらないんです。このことは、ぜひ判って下さい。僕たちの事情では……』
『あなたは、そのことをお嫁さんと、もっと早く、よくお考えにならなければいけなかったんです。何としても、新しい生命が出来ている以上、人は何事もしてはならないんですよ……』。
『もちろん、人は何事もすることはできません。ところで、あなたは助産婦さんですから、流産の方法を全くよく御存知のことと思います。お礼は、うんと出します。三百マルクでも、私は問題ではありませんよ……』
『それでは、あなたは、罪のない、防ぐ力のない子供を殺す契約をしようと思っているんですね。そうだとすると、あなたは、お門ちがいをなさったんです! どうか帰って下さい!』

そして彼は、思いも設けぬうちに突き出されて、階段をよろめき下りた。私は、帽子を後から投げてやった。その人は、私のところへ忍んでやって来たのだった! 私は直ぐ村役場へ行って、胎児を保護するために、その男と嫁とを監視するようにと通告した。しかし、もちろん、何の処置も取られなかった。二三日後、セメント工場の女通信係――花嫁さんが、私たちの病院に運びこまれたが、それはひどい内部傷害による流産のためであった。そして彼女は、そのため死亡した。まだ二十にならない若い娘であった……
そしてその翌日、ウッツ夫人は、その亭主と共に逮捕された。彼らには、子供が四人あって、一番上のは十二だった。誰も、その子供たちを構ってやらない。ウイレ先生を通じて、私は、その両親がどうなろうとしているかを知っていたので、二三の同僚と事の成行きを見るまで、子供を一人ずつ引き取ることに取り極めた。しかし、私は四人の子供を全部、病院へ連れて行って、彼らをよその地方へ送る機会が来るのを待つこととした。
数日後に、私はウッツが未決拘留を受けている区裁判所のある町へ行った。彼女は、私を見るや否や、ののしりはじめた。
『私、なんて馬鹿だったんでしょう……三百マルク! あいつは、三十マルク呉れただけだった。いつも、そういうことになるんですよ……みんな大層な約束をするんですが、後ではそれをちっとも守らないんです。ある人は、百ポンドの小麦と言いながら、十ポンドしか持って来ない……かと思うと、ほかの人は卵百個と言いながら、十五個しかよこさない……そんなもののために、私たちが危険を冒して仕事をするなんて……』
『そう、あなたは、一体、もうたびたびそんなことをなさったの?』
『生きて行かねばならぬとすれば、人は一体、何をやらないでいましょうか! 助産婦の職業では、一ヶ月に実際五マルクも稼げないんです。お産は、もう一つもないんです。もし私があることをやらねば、若い男たちが自分でやるんです。そうすると、飛んだ間違いが起るんです。だから、もうどうしようもないんですよ。』
『しかし、ウッツさん、あなたは助産婦として、そのような手術は、生命に危険を及ぼすものであること、それはうまく行かないことがあるということ、そしてその時には、あなたは監獄にはいらねばならぬことを、よく御存知のはずですが……』
『その外、まだ何か言うことがありますかね? 私は、全く適当に手術したのでしたよ。それは、マルクス先生に習ったのです。ただ今度は、あの馬鹿娘が、もし静かにしていてくれたら、何も起らなかったでしたろうに……』
『では、 あなたは、 もう長い間、そのことをしていらっしゃるのですか――マルクスさんが来てから?』
『一度、ひとに知られると、もう止めることはできないものでね。噂が広がるんです。そして、もし一人の女にしてやると、その人は、逆に訴訟人になることができるんですよ。婦人を助けてはいけないという、あの呪わしい法律がある限りはね。そしてそのことは、みんなが知っており、そしてそれゆえ、後で支払いもしないんです。あの淫らな女たちは。』
『ウッツさん、それでは、あなたは、私たちが助産婦学校で教わったことを全部忘れてしまったのですか。そう、受胎した日から、それは一人の人間の生命で、私たちはそれを、ちょうど母親が、生れた赤ちゃんを保護すると全く同じように、よく保護し育て上げねばならないということを?』
『え、何ですって、人間の生命! そんなものは、もう世の中には有り余っているんですよ! どれだけ多くの人が、戦場で殺されていることでしょう! 大きな強い男たちが。それなのに、それは、まだ、まともな生命ではなく、ロシヤ人どもが、生みつけた毒虫なんですよ。そして、それらは、みんな劣等児で、後々には、一般の人々の負担になってしまうんですよ。この生命は、やっと四ヶ月になったばかりでしたよ……』
『そんなことが喋べれるようだと、ウッツさん、あなたは、悪い感化を受けたに違いないですね! どうか真実になって下さい。少なくとも自分自身に対して。あなたは、自分が殺したのは、人間の生命だということを確かに知っていらっしゃったのです――それも利益を得るために。――やはり、マルクスさんと同じように。なぜあなたは、三百マルクをあなたに約束したあのやくざ者を追っかけて、森の中で殺して金を取らなかったのですか?』
『そんなことは、してはいけません――人を殺すなんて……すると監獄へ入れられますよ……』
『今あなたは、自分自身を裁いたのです。あなたは、あのことをした方がよかったと思いますか? あなたは幾度も、可哀想な防ぐ力のない赤児を殺したんじゃないですか――二、三ポンドのバターや粉のために! 恐らくあなたは、そのとき、未来の学者を殺したか、または私たちを不幸から救うことのできる人物を殺したかも知れませんね? 誰がそれを知っているでしょうか? しかし、その赤児たちは、人間だったし、そしてその霊魂は天主の御前に立って、あなたが流したその血に対する復讐を要求するのです。どのようにして、あなたは、その償いをしようと思っているのですか?――
そして、あなたのお子さんたちは、いま家にいて、パンがなく、村中から軽蔑されているんですよ――あなたの子供だというので。それでいいですか?』
『それでは、私は何をしたらよかったでしょうか? 収入もなしに? 私の村区では、私を雇ってくれなかったから、半俸もくれていないのです……』 彼女は、突然泣き出した。 それはしかし、そのような種類の人間にあっては、残念ながら、全く真面目に取ることはできない。
『自分の生活費を稼ぐために、人を殺すようなことをしてはいけないということは、あなたは御存知でした。現に私たちの同僚も、助産婦の職業ではいま殆んど仕事がなく、しかも家族は養わねばならぬので、工場で働いているじゃありませんか? あなたは十分健康ですから、やはり、そういうようにして、自分で何とかやって行くことができたはずです。ねえ、それに御主人は……』
『あの碌(ろく)でなしが、私を不幸につき落したんです。自分では働こうともしないくせに、居酒屋へ飲みに行き、そして勘定は私のところへ取り立てに来させたんです。いつも人々は、こう言うんです。御主人は、あんたは工面がつくんだと言いましたよって……』

私は、彼女の子供たちを私たちが引き取ったということは、告げないでおいた。三週間の後、彼女が子供の成行きを真剣になって心配し、そして自分の正しくなかったことを認めたとき、はじめてそれを知らせた。――三十七件の堕胎を、彼女がやったことが証拠立てられた。実際は、幾件あるか判らない。裁判所では、彼女に七年の懲役を言い渡した。――
自分に四人も子供のある母親が、無情にも、かつ計画的な考慮の下に、人間の生命を殺すことがあり得るとは――しかも、二ポンドのバターのために! 誰が人間の心の奥底を測り知ることができようか!





総務省などによる2019年の調査によると、「いずれ」または「10年以内」に無居住化の恐れがあると自治体が答えた集落は全国で3197に上った

2020年08月27日 | プロライフ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

【参考情報】
集落で最後の1人、浮かぶ「消滅」 もう目指さぬ人口増

菅原普、上田学、宮沢崇志 編集委員・真鍋弘樹

 1億2427万1318人。総務省が8月5日に発表した今年1月1日時点の日本人の数である。

 前年から50万5046人減り、減少幅は1968年の調査開始以来、最大となった。中核市規模の都市が丸々消えた勘定になる。社会の中軸となる15~64歳のいわゆる「生産年齢人口」は日本人全体の6割を切り、過去最低を更新した。

 東京、神奈川、沖縄以外の道府県がすべて人口減少の坂道を下っているなか、地図から消えようとしている地区は全国にある。

 そんな里の一つ、徳島県つるぎ町の旧一宇(いちう)村にある十家(といえ)集落を昨冬、訪ねた。最後の3キロは車が通れず、山道を歩くしかない。

 老いた両親から畑を引き継ぐため集落に戻ってきた上家(かみけ)敏一さん(62)は、数年前からここに1人で住んでいる。父は亡くなり、足を痛めた母親が弟とともにふもとに下り、高齢住民たちも次々と去った。

 コロナ禍を経た最近の様子を電話で尋ねると、こう話した。「1カ月間、誰とも話さず、寂しい時もあるが、コロナに感染する心配はない。こういう状況だと1人がええでよ」

 一宇村は15年前、2町と合併してつるぎ町になった。戦後の最盛期には8千人近い住民がいたが、現在は700人余。現在残る32集落のうち、半数以上の19集落で、いずれ住民がゼロになるとみられている。

 総務省などによる昨年の調査によると、「いずれ」または「10年以内」に無居住化の恐れがあると自治体が答えた集落は全国で3197に上った。徳島県だけで267集落が消える。

 6年前、「消滅」という言葉が列島を揺さぶった。



過疎地域にあり、65歳以上の高齢者が住民の半数以上を占める「限界集落」は、2019年4月時点で2万349になったことが20日、総務、国土交通両省の調査で分かった。15年4月から約6千増えた。生活利便性の低さなどから若い世代の流入が進まないのが主な要因。一部は、住民がいなくなって消滅する恐れが出ている。

 過疎法の指定地域がある814市町村にアンケートを実施し、状況を調べた。集落の総数は6万3156。限界集落が占める割合は32.2%となり、前回の22.1%から約10ポイント上昇した。

 住民全員が65歳以上の集落も956あり、うち339は全員75歳以上だった。









【再掲】兄第愛について : ピーター・フォルティン神父様 2019年9月12日聖霊降臨後第十二主日の説教 

2020年08月27日 | お説教・霊的講話
2019年9月12日(主)聖霊降臨後第十二主日の説教 
聖ピオ十世会司祭  ピーター・フォルティン神父様


典礼年全体にわたって、福音には兄弟愛に関して述べられている箇所がたくさんありますが、本日の福音は、私たちの主のこの非常に重要な掟を扱うのに良い機会となっています。

この主日の福音は、良きサマリア人という美しいたとえを採り上げ、兄弟愛という聖徳を、キリスト教の独特のしるしとして提示しています。これから、このたとえをその文字どおりの意味で見て、あわれみと愛についての非常に深い教えを学んでいきましょう。良き母としての教会は、その子どもたちに、最も重要であることをいつも思い起こさせます。年間を通じて、兄弟愛は何度も出てきます。ある霊的な書き手によれば、兄弟愛こそが、キリストの愛する弟子である使徒聖ヨハネがその使徒職においていつも信者たちに思い起こさせていたことであった、ということを、教会が常に私たちに思い起こさせているのです。聖伝によれば、聖ヨハネはいつも聴衆に対して「小さな子どもたちよ、互いに愛し合いなさい」と言って、互いに愛し合うように勧めていました。その後、彼は信者たちに対して、「これは主の掟である。これが成就されるならば、それで十分である」ということを思い起こさせていました。教会は年間を通じて同じことを行い、飽くことなく信者に兄弟愛を思い起こさせています。私たちは、これら思い起こさせてくれるものを不必要で、当たり前のことだとは思うことはできません。その反対に、教会が特定の点を強調すればするほど、私たちはそれをもっと重要視しなければならないのです。

私たちの主は、私たちがこの兄弟愛という掟の重大さを理解することができるように、美しく力強い方法で兄弟愛について黙想させてくださいます。第一に、天主の国についての基本的教えを含んでいる山上の垂訓があります。真福八端には、特別に兄弟愛を扱った二つの幸いがあります。それは、「あわれみのある人は幸いである、彼らもあわれみを受けるであろう」(マテオ5章7節)と「平和のために励む人は幸いである、彼らは天主の子らと呼ばれるであろう」(マテオ5章9節)です。私たちの主が天主の律法の成就あるいは完成についてお話しになるときはいつでも、それは兄弟愛、隣人愛に関係しています。聖パウロは、これについて、「愛は律法の完成である」(ローマ13章10節)と書いています。

山上の垂訓で、私たちの主は、旧約の掟は新約においてさらに完全で、さらに大きな義務となることをお教えになっています。私たちの主は、旧約においては、第五戒が「汝、殺すなかれ」とされているのに対して、新約においては、この掟は「兄弟に怒(いか)る人はみな裁きを受ける」(マテオ5章22節)であることさえ指摘なさいます。この掟は、殺すことについてさえ言及してないばかりか、人は兄弟を憎んだり、軽蔑したり不作法な扱いをすることも許されていないということです。聖ヨハネの書簡には、「兄弟を憎む者は人殺しである」(ヨハネ第一3章15節)と書かれており、人殺しは天国にあずかることはできません。山上の垂訓において、イエズスは次のようにまで言われるのです。「知ってのとおり、『目には目を、歯には歯を』と教えられた。だが私は言う、悪人に逆らってはならぬ。人があなたの右の頬を打てばほかの頬も向けよ」(マテオ5章38-39節)。私たちの主によるこの垂訓は、兄弟愛が私たちの主の教えの中で非常に特別な位置を占めているということを証明しています。

聖ヨハネの福音では、私たちの主は私たちに対して、「私はあなたたちに新しい掟を与える。あなたたちは互いに愛し合いなさい。私があなたたちを愛したように、あなたたちも愛し合いなさい。あなたたちが互いに愛し合うならば、それによって人はみな、あなたたちが私の弟子であることを認めるであろう」(ヨハネ13章34-35節)とお教えになっています。ファリザイ人たちは、私たちの主がラザロをよみがえらせられる前に、墓の前でラザロに対して示された愛に注目しました。「本当に、どんなに彼を愛しておられたことだろう」(ヨハネ11章36節)。

私たちの主が、深い印象を私たちの霊魂に与えることを望まれるもう一つのものは最後の審判の場面で、私たちは自分がどのように裁かれることになるかについて教えられます。主は、さまざまな悪徳、うそ、盗み、殺人、姦淫などを挙げることをされず、むしろ人がどれほど兄弟愛を実践するのかを重視されます。主は、私たちが隣人の中にキリストを見ることができたかどうか、私たちがキリストへの愛のゆえに隣人を愛し、隣人に対してあわれみのわざを行うことができたかどうかで、私たちを裁かれるのです。私たちの主は、「あなたたちが私の兄弟であるこれらのもっとも小さな者の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」(マテオ25章40節)ということを、私たちに思い起こさせてくださいます。

私たちは、主が罪びとたちに、また貧しく苦しんでいる人たちに対してどれほど大きな愛を持っておられたかという、私たちの主の完全な模範を見ます。それは、「私は良い牧者で、私は羊のために自分のいのちを捨てる」(ヨハネ10章11節)とか、「友人のためにいのちを与える以上の大きな愛はない」(ヨハネ15章13節)というものです。そのあと、十字架上で私たちの主は、処刑人たちのためにこう祈られます。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているか知らないからです」(ルカ23章34節)。自分の処刑の瞬間に、まさにその処刑人たちのために赦しを願うとは、信じられないことです。最後の晩餐において、主は奴隷の仕事をされ、弟子たちの足をお洗いになります。私たちの主が死の前に弟子たちにお与えになる最後の遺言は、「私があなたたちにしたことをあなたたちがするようにと、私は模範を示した」(ヨハネ13章15節)というものです。兄弟愛に関するこれらの美しい言葉を聞き、そのあと、隣人を自分のように愛せよという天主のこの掟に従うカトリック信者にとってのまことの理想を実際に見ることは、胸を打たれることです。




【英語原文】
12th Pent 2019 Korea Osaka
Fr Peter Fortin, SSPX


There are many mentions throughout the liturgical year concerning fraternal charity, but today’s gospel allows an opportunity to treat of this very important commandment of Our Lord.

This Sunday marks the beautiful parable of the Good Samaritan and presents the virtue of fraternal charity as a distinctive sign of the Christian religion. We will look the parable in its literal meaning and learn from the very deep lesson of mercy and love. The Church as a good mother always reminds her children of those things that are of most importance. During the year, fraternal charity comes up many times. One spiritual writer remarks that the Church is constantly reminding us that fraternal charity is what St. John the Apostle, the beloved disciple of Christ, would always remind during his Apostolate. By tradition, he would always exhort his hearers to love one another by saying often “Little children, love one another”. And then he would remind the faithful that “It is the command of the Lord, if it is fulfilled, it is enough”. The Church does the same throughout the year, never tiring to remind the faithful about fraternal charity. We can not take these reminders for granted thinking that it is not necessary. On the contrary the more that the Church stresses a particular point then the more importance must be given.

Our Lord makes us reflect on fraternal charity in a beautiful and forceful manner so that we can grasp the seriousness of the commandment. First, there is the Sermon on the Mount which contains the basic precepts for the Kingdom of God. In the Eight Beatitudes there are two beatitudes treating specifically of fraternal charity. “Blessed are the merciful for they shall obtain mercy,” and “Blessed are the peacemakers, for they shall be called the children of God.” Whenever Our Lord speaks about the fulfillment or perfection of the God’s law, it is concerned with fraternal charity, love of neighbor. St. Paul writes concerning this: “Love is the fulfillment of the law”.

In the Sermon on the Mount, Our Lord shows that the commandments of the Old Law are more perfect and binding in the New Law. Our Lord even points out that in the Old Covenant, the fifth commandment reads: Thou shalt not kill.” In the new covenant this commandment says; “Whosoever is angry with his brother shall be in danger of the judgement”. It does not even mention killing, one cannot hate his brother, nor despise nor to treat in ill manner. In St. John’s Epistle, is written “Whoever hates his brother is a murderer” and no murderer can have part in Heaven. In the Sermon on the Mount, Jesus goes on to say: “You have heard it said ‘An eye for an eye and a tooth for a tooth.’ But I say to you to resist evil; but if one strike on thy right cheek, turn to him also the other.” This sermon by Our Lord proves that fraternal charity has a very special place in the teachings of Our Lord.

In the Gospel of St. John Our Lord instructs us “A new commandment I give unto you, that you love one another, as I have loved you, that you also love one another. By this shall all men know that you are my disciples, if you have love for another.” (John 13:34) The Pharisees had marked the love that Our Lord had for Lazarus outside the tomb before He raised him “See how He love him.”

Another deep impression that Our Lord wishes to leave on our souls is the scene of the Last Judgement, by being instructed on how we will be judged. He does not enumerate the different vices, lying, theft murder or adultery but on how one practices fraternal charity. He will judge us on whether we were able to see Christ in our neighbor, whether we were able to love our neighbor and to perform acts of mercy for our neighbor but out of love for Christ. Our Lord reminds us “Whatsoever you have done to the least of my brethren, you have done to me.”

We see the perfect example of Our Lord, How He had a great love for sinners for those who are poor and afflicted. “I am the Good Shepherd and I lay my life down for my sheep” and “Greater love than this no man has than to lay down his life for His friends.” Then on the cross, Our Lord prays for executioners: “Father, forgive them for they know not what they do.” Incredible, asking pardon for the very executioners at the moment of execution. At the Last Supper, He performs the work of a slave and washes the feet of the disciples. The last testament that Our Lord gives to His disciples before His death, “I have given an example that you may do what I have done to you.” It is striking to hear these beautiful statements on fraternal charity and then to really see the true ideal of a Catholic to follow this commandment of God to love our neighbor as ourselves.





【再掲】2018年8月12日 聖霊降臨後第12主日のミサ 「イエリコにくだるユダヤ人」

2020年08月27日 | お説教・霊的講話
2018年8月12日(主日)聖霊降臨後第12主日のミサ(東京)
小野田神父 説教


聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2018年8月12日、聖霊降臨後第12主日のミサをしています。

“Homo quidam descendebat ab Jerusalem in Jericho.”
「ある人が、エルサレムからイエリコに下って行った。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日福音の中で、「ある人が、エルサレムからイエリコに下って行って、そして強盗の被害にあって、半死半生で、全く全財産を失って、生きるか死ぬか、グッタリ倒れているところを助けられた」という話があります。

実はこの被害者は、このユダヤ人は、エルサレムからイエリコに下るこの被害者は、私たちです。人類です。私たち一人ひとりです。

そこで今日、この福音のこのミサのテキストに従って、

⑴ 私たちに一体、何が起こったのか?

⑵ 一体、誰が助けてくれたのか?

⑶ 私たちは今日、どうしなければならないのか?

という事を黙想しましょう。


⑴ エルサレムとイエリコの間は、現代では37㎞の距離があります。でも昔は今の迂回の道路がなかったので、もう少し短かったと考えられています、35㎞とか。1日で、朝早くから起きれば歩き通す事ができる距離です。
しかし、今でも昔も変わらずそこに、非常に人気の少ない、寂しい、そして強盗や盗賊や追い剥ぎがいっぱい住み着いていた危険な場所でした。
エルサレムは高い山の上にあったので、イエリコまでは1000mの標高の違いがあります。ですから、非常にイエリコまで行くのは簡単で、ただ道をダラダラと下っていけば良いのです。

これは何を意味しているかというと、聖なる都市エルサレムから、簡単な道を下って、道を外して、人生を間違えてしまった、誘惑に流されて、あるいは世間の言う通りに流されて、あるいは悪魔の誘惑に流されて、あるいは肉欲に負けて、ダラダラと行った私たちです。

この強盗とは盗賊とは、カトリックの教える3つの敵です。私たちの救霊の敵です。
「世俗」と「悪魔」と「私たち自身の肉欲」です。

そして、この3つに襲われなかった、という人は、一体世界に誰がいるでしょうか?マリア様とイエズス様を除いて、洗者聖ヨハネを除いて一体誰がいるでしょうか?
私たちは多かれ少なかれ、攻撃を受けて、そして原罪の傾きを、原罪の傷を負いながら、そして私たち自身の罪の傷を負いながら、多かれ少なかれ、半死半生のもうグッタリとして、悪魔に、あるいはこの世俗の考えに染まって、道端に倒れて、身ぐるみ剥がされて、そして息絶え絶えに、殴られ、蹴られ、そして自分の力では起き上がる事もできずに、「誰か助けを、早く助けてほしい。」

今日ちょうど入祭誦で歌ったように、“Deus, in adjutorium meum intende. Domine, ad adjuvandum me festina.”「早く主よ、助けに来て下さい」と言っている、口でブツブツ言っているかのようです。

もしかしたら私たちは、その自分が半死半生だという事にさえも、身ぐるみ剥がされたという事さえも、気絶して気が付いていなかったのかもしれません。「全身が痛い、もうどうなっているか分からない。目の前も真っ暗だ。どうしたら良いか分からない」という事だけでなっているかもしれません。

その私たちの目の前に、旧約の司祭が通り過ぎます。レビ人が、祭壇に仕える人たちが通りますが、彼らはチラリと横目で見て、そのまま何もせずに行ってしまいました。何もする事が、する力が無かったからです、する事ができなかったからです。

しかしユダヤ人にとって、傷付いた私たちにとって、異国人であったはずの、呪われた人であったはずのサマリア人が、そこの道を通りすがります。すると私たちを見て、哀れに思って近付いて、「大丈夫か。しっかりしろ」と言って、自分の持っていたブドウ酒をドクドクドクと注いでくれて、そして傷口を洗ってくれます。

これは、この良きサマリア人とは、天から私たちを探して、私たちの、傷付いた私たちを救おうと、赦そうと、聖化しようと、浄めようと人となられた、イエズス・キリスト、まさに良きサマリア人、イエズス・キリストです。

自分の御血をブドウ酒であるかのように注いで、私たちの傷を癒して下さいます。罪を赦そうと浄めて下さいます。そればかりか、油を私たちの傷口に塗って、聖霊の力で私たちを強めようとして下さいます。弱ってグッタリしている私たちを、自分の腕で受けて、そして持っていたロバに乗せて、あるいは動物に乗せて、そのまま近くの旅籠屋に旅館に連れて行きます。そして御自分自身で、この弱っている私たちを介護してくれます。「しっかりしろ。」「美味しい、力あるものを食べろ。」「その布団で寝ろ。」

そしてその翌日、「自分は天に帰らなければならないから」と言って、この旅籠屋の主人に、「さぁ、この人を看護を頼む」と言って、2デナリオを与えます。1デナリオは1日の肉体労働のその値ですが、この介護の為に2デナリオは十分すぎるほどでした。「もしもこれで足りなかったら、私が帰ってきたら、また再び世にやって来る時に、報いを与えよう。さぁ、この彼を癒す為に、健康になる為に、世話をしなさい。」

これは、この旅籠屋はこの旅館は、カトリック教会でなくて一体何でしょうか。この主人は、その聖職者じゃなくて何でしょうか。イエズス様はこの霊魂の世話を、彼らに任せます。イエズスの聖心は彼らに、全ての力を与えます。十字架の贖いのその値を全て委ねて、「さぁ、ここに必要なものがある。これを使って、彼らを世話をせよ。」

私たちは今日、こうやって旅籠屋にやって来ました。傷付いた私たちは、イエズス・キリストによって連れられてきて、そして今日また、ブドウ酒とそして油を注がれます。そしてますます強められて、ますます癒されて、ますます浄められて、ますます聖化されて、聖なるものとなって、天国への旅路を辿る事ができるように世話を受けます。


⑵ 第2のポイントは、一体ではなぜ、旧約の司祭たちは、私たちを見て見ぬふりをして行ってしまったのだろうか?何故なのだろう?

旧約の司祭たちは、特にモーゼに代表される司祭たちは、栄光あるものでした。今日の福音書の直後にある奉献誦を見て下さい、聖歌隊が素晴らしくそれを歌います、使徒信経の後に。モーゼが祈ると、「アブラハムの天主、イザアクの天主、ヤコブの天主、どうぞこの民を御憐れみ下さい」とモーゼが祈ると、その罪の為に非常に怒っていた、天主の正義を傷付けられて、罰を与えようとしていたその天主が、宥められて、そして彼らを赦そうとする力を持っていました。

モーゼは天主と、シナイ山で十戒を受ける時に、顔と顔を合わせて、お話をして対話をして、そしてその結果、顔は光に光栄に満ちていて、イスラエルの民はモーゼの顔を直視する事ができないほど、栄光に満ちた司祭職でした。

しかしそれでさえも、その真のヤーウェに仕えていた旧約の司祭でさえも、私たちを癒す事はできなかったのです。

その為には、真の良きサマリア人、イエズス・キリストが、天から私たちの為に、私たちを探して、御自分の御血のブドウ酒を、そして聖霊の油を注いで下さらなければなりませんでした。そして私たちを、その御自分の立てたカトリック教会に世話を任せなければなりませんでした。そうしてこそ初めて、私たちが健康に力を付けて、悪魔からの受けた傷を癒されて、天国への道を再び歩む事ができるように、ようやくなる事ができたのです。

そして今日ミサの時に、典礼学者によると、私たちはもう一度、良きサマリア人であるイエズス様から、ブドウ酒と、そして油を受けます。ですから今日、聖体拝領誦を聖歌隊が歌う時には、「地は、主の御業の実りによって満たされている、満足している。なぜかというと、御身は地から、大地から御聖体を、私たちを養うパンを下さり、そしてブドウ酒は私たちを喜ばせるから。」

これは御聖体の事でなくて何でしょうか。イエズス様の下さる、私たちに下さるブドウ酒でなくて何でしょうか。ブドウ酒は私たちの霊魂を、人の心を喜ばせてくれます。

それと同時に、更に聖体拝領誦では言います、「主は、私たちの顔をその油において喜ばせてくれる。」なぜかというと、聖霊の油がまた注がれるからです。そして私たちを強めるからです。

「聖霊の油が注がれて、パンが人の心を強める」というのは、何か堅振の話をしているかのように、私には聞こえました。

一体、旧約の司祭たちは力が無かったのみならず、もしかしたらその真の宗教の核心が、ただ石によって刻まれた十戒だけであったので、人の心に刻まれなかったのかもしれません。人の心に刻まれる為には、聖霊が私たちの心に染み通らせなければならなかったのかもしれません。

今日イエズス様は、この例えを話す前に質問されます、「永遠の命の道を行く為には、歩き通す為には、どうしたら良いのですか?先生。」
「聖書には何て書いてあるのか?」
「全ての力を尽くし、心を尽くし、精神を尽くして、汝の主なる天主を愛せよ。そして天主を愛するが為に、隣人を我が身の如く愛せよ。」

まさに宗教の核心とは、この「天主への愛」にあるのではないでしょうか。

そしてそのカトリックの教えのその核心というのは、イエズス様が私たちに教えようとしているこの核心というのは、「天主は愛であって、私たちの父として、私たちを御自分の子供として、父親が子供を愛しているかのように、その愛を超えた愛を以て愛している。」
「宗教の関係というのは、天主と人間との関係というのは、愛の関係であって、親子の関係であって、そして私たちが天主から無限に愛されている、憐れみを以て愛されている、という事を知り、そしてその聖父に、愛を愛で以て返す。ここにあるのだ」という事を教えています。
そして「聖父を愛するが為に。隣人を我が身の如く愛する。なぜかというと、同じ父を持つ兄弟だから。同じ家庭の家族の兄弟だから」という事を私たちに教えています。

「しかしこの核心が忘れられてしまうと、天主を全てに超えて愛するという事が、単なる石に書かれた冷たい文字だけになると、形式的だけになると、外見だけの話になると、宗教というのも、単なる外見の形だけのものになってしまって、本当の隣人愛というものを実践する事ができなくなってしまう」という事を教えているのかもしれません。


⑶ では今日、この御ミサのイエズス様が教えて下さるこの天主の愛について、天主が私たちを憐れんで愛して下さっている事について、私たちが多くのものを受けた、という事について、ますます理解する事ができるように、お祈り致しましょう。

先週私たちは、「エフェタ」と言われました。耳が開いて、目が開いて、そして心が開いて、眼が開いて、天主の憐れみをますます分かる事ができるように、お祈り致しましょう。

マリア様にお祈り致しましょう。マリア様は、私たちがどれほど愛されているか、という事を御存知です。今日、この特に御聖体拝領の時に、傷付けられたこのユダヤ人が、良きサマリア人から多くの御恵みを受ける事ができるように、マリア様にお祈り致しましょう。


“Homo quidam descendebat ab Jerusalem in Jericho.”
「ある人が、エルサレムからイエリコに下って行った。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




「助産婦の手記」33章 「賜暇(かし)のお土産」

2020年08月26日 | プロライフ
「助産婦の手記」

33章

今や私たちは、もう数ヶ月以来、世界戦争の真只中に立っている。誰かが予感したよりも早く、戦争という宿命がやって来た。あんなにたびたび人の言った、あの愚かな無思慮な言葉が、その怪物の鎖を解いてやったかのように。今やそれは、四方の国境で荒れ狂い、不幸と腐敗とをヨーロッパ中に吐き出した。

作物が取り入れを待っている八月一日に、農民は大鎌を片づけた。労働者は、工場から流れ出た。その工場では、すべての車輪が停ってしまった。祖国を防衛することが、死活問題であった! 心の一致が、たちまちにして老若、貧富、上下の間に作られた。こういうことは、以前には誰も経験したことはなかった。切迫した共通の危険が、種々の対立を解消して、人心を一つにしたのであった。

工場の女工たちは、百姓の女たちと一緒に田畑に出て、正直に陰日向なく、全力を尽くして収穫物を運び入れ、 田畑を耕やす手伝いをした。そのお礼として彼女たちは、その農場から取れたパンと馬鈴薯、粉と卵をもらった。貨幣は、田舎ではますます少なくなって行った。しかし、農業を手伝った女たちは、毎日のパンを持ち合わしていたので、それを買うお金を必要としなかったことは、彼女たちに取っては、また愉快なことであった。

数ヶ月後には、様相が変わって来た。これまでの前線における進軍が、不幸な陣地戦に移り変わった。戦争は直ちに終るだろうとの希望は、消え失せた。人々は、長期戦に備えはじめた。工場は、操業を再開した。セメント工場ですら、経営を開始した。軍隊の需要を満たすことが肝要であった。全馬力を出して、生産が行われた。ただ手さえ持っているものは、工場へ行かねばならなかった。婦人や、また殆んど学校を出たか出ないような児童が、出征の父親の後を受け継いで働いた。捕虜になったロシア人が、一部分は農業へ、一部分は石坑とセメント工場へ投入された。

種々な社会問題が続出して、殆んど私たちの手におえなかった。すでによほど以前から出来ていた幼稚園に、なお一つ秣槽(まぐさおけ)が置かれて、母親たちは、赤児をその中に一日中、入れておくことができた。それゆえ私は、監督せねばならぬ仕事が沢山あった。数名の上流婦人、すなわち工場支配人の奧さん、医者の奥さん、ヨゼフィン、その他の方々は、非常によく助けて下さった。私たちは、指導を分担した。私が職務上、差支えのある場合には、妹が私の代理を勤めねばならなかった。

それから、さらにスープを作る仕事が増えたが、それは、工場通いの母親や赤ちゃんに、お昼には少なくとも温かいスープを与えるためであった。彼女たちは、自分でそれを作る時間がなかった。最初の年には、出産が比較的多かった。そこで私は、そのために、いかに婦人たちが、すでにしばしば健康が衰えて来ているかということを知った。そして、このことが、スープを作るきっかけを与えたのであり、その指導は、ベルトルー夫人に委任された。

このようにして、 次第にすべてのものは、 持久状態へ移行しているように見えた。軍人の奥さんは、今や扶助料をもらった。彼女たちの大多数は、その上にさらに、自分でも稼いだ。それゆえ、この意味における困難は、当時はまだなかった。しかし、十人の赤ちゃんが、すでに戦争の第一年目に、父なし児として生れた――この村だけでも。

ある日、ウイレ先生が私をお呼びになった。『リスベートさん、一緒に行って、ロート奥さんのために、「賜暇のお土産」【註、賜った休暇のとき出来た子供の意味】 をほどく手伝いをしてあげて下さい。』と。ロート奥さんは、結婚してから十三年間も子供がなかったのであるから、もう赤ちゃんを得ようという希望は一切捨てていた。彼女は、すでに四十の始めになっていた。ところが、不思議にも――彼女の夫が賜暇で帰って来てから、本当に妊娠した。それは、あたかも自然が、戦争による人間の生命の損失を再び補おうと考えているかのように思われた。こんな例外は、戦争では到るところで現われる。私の同僚は誰でも、そのことを知っている。ロート奥さんは、自分の年では、もはやうまくお産ができぬのではないかと非常に心配している。そこで奥さんは、早速医者を呼びにやった。しかし、それは全く正常なお産であった。そして、その年を取ってからの子供についての母親の喜びは、筆紙に尽くされぬほどであった。
『私は、今はもう、この世に独りぼっちではないんです。私のヘルマンに万一のことがあっても、この子供が私のそばにいるんです。リスベートさん、もしあなたが、誰か貧しい母親をお知りでもしたら、私は喜んで、もう一人ぐらいの赤ちゃんの面倒は一緒に見てやりましょう。』ロート家は金持だから、そんなことはもちろん出来るわけだった。それゆえ、私も喜んで、その申し出を二度とは繰り返えして言わせなかった。貧しい母親に何か親切なことをしてもらえるというのに、どんな助産婦が、そのために当惑すると いうようなことがあるだろうか? 本当に、もし、そういう助産婦があったら、その人は自分の職業を正しく理解していないのだ!
『それは全く有難いことです。何週間も前から、私はどうすればブレーム奥さんを助けて上げることができるか、考えていたんです。』
『あの仕方屋の、あの肺労【肺結核の旧称】の? もうまた、そうなんですか?』
『そうです、ロート奥さん、もうまたなんです。あのうちの事情は悪いんです。いつかのヘルツォーグさんの場合よりも、もっと悪いんです。九ヶ月毎に一人の赤ちゃん。しかも、お上さんは、今では旦那さんと殆んど同じように相当弱っています。そしてお上さんは、確かに肺労じゃありませんが、しかし食べるものが丸っきりないんです。お上さんは、十分に稼ぐことができません。稼げるのは、いつも僅か二三ヶ月だけです。旦那さんは、一本立ちの親方ですが、現金もなければ、保険にもかかっていません。そしてお役所も、もう何もしてくれません。というのは、この場合は、絶望だからです……親方は、数年前から、もう一針も縫っていないからです。』
『旦那さんは、体力もなくなっているんだと思います。でも確かに、もう少しは働けるんでしょうがね。』
『しかし、誰でも、その親方に仕事をさせると、病気がうつりはしないかと心配するんです。』
『そういう人たちが、もう子供を作らないというぐらい、理性的であればいいんですがねぇ……』
『そのことは、私も前に考えて、繰り返しブレーム奥さんと話したんです。お上さんは、旦那さんを非常に愛しています。旦那さんの健康も、以前には全く普通だったのです。ただ結婚してから、早くも約二年後に病気になったのです。しかし今でも奥さんは言っています。「あの人は、私の夫です。そして私は、あの人と一緒にその十字架を背負わねばなりません。そのような病人は、夫婦愛を特別に必要とするんです。そのことは、私、よく知っています。そして私は、あの人がどんなにその病気で苦しんでいるかということ、そして非常に弱っているため、自分で容態を変える力がなくなっているということを每日見ているんです。」と。』

そこで、ロート奥さんは、非常に考え深そうに言った。『私だって、もしもそんな事情だったら、主人を拒むことはできないでしょう。その時には、私も主人の妻でなければならぬでしょう。人妻というものは、そういうとき、夫をつれなく拒み切れないものです。そんなときには、妻はいつも譲步するのでしょう。というのは、妻は夫を愛しており、そして夫の病気をとても気の毒に感じるからです。』
『もし人がそのことを話すと、ブレーム奥さんの眼には、すぐ涙が浮ぶのです。「私は村中の人々が私のことを嘲っているのを知っています。何だってあの夫婦は、あんなに子沢山なんだろうって! しかし、私はいつもこう考えねばならないのです。いま私の夫は、あの通りの病人です。どのくらい生き長らえるものか、誰が知りましょう。もし死んでしまうと、私が夫と仲を好くしなかった月日と、一つ一つのつれなかった言葉が、私を後悔させるでしょう。そうすると、私は主人が死んだ後でも、自分自身を責めねばならぬのです。」と。』
『リスベートさん、なるほど今よくそれが判ました。ねえ、私はこう考えるのです。私のヘルマンは、あす帰って来ますが、間もなく再び戦争へ出かけねばならぬでしょう、多分永久に。ですから、私は、あの人のしたいと思うことは、何でもやらせたいと思うのです……』
『今、あの可哀想なお上さんは、五番目の子供が生れるんです。十ヶ月每にまさに一人の割です。どれもみな惨めな子供です。風が吹けば、倒れます。それなのに、この村では、誰もあのお上さんのために、何かしてやろうとはしないんです。』
『でも、あの方は、盗みをしちゃいけなかったんですね……そのことが、みんなを非常に怒らせたんです。』
『ロート奥さん、私はその盗みを確かに弁護はしません。でも、何を盗んだというのでしょうか! 一度、畑から馬鈴薯を一籠ぬすんだだけです。それもある日、子供たちに食べものを全く与えることができず、しかもどこへ行っても、一塊(ひとかたまり)のパンさえ、掛け【代金後払いで商品を買うこと】で手に入れることができなかったからです。もし、この村の誰かほかの女が、そんなに貧しく暮しているとしたら、その人も豊富に食物を持っている人のところから、盗まないかどうかを、私は見たいのです……
二度目は、こうなんです。あのお上さんは、ほかの人たちと同様に、赤ちゃんを、さっぱりした身なりで、種痘へ連れて行けるように、よその生垣から、二三枚のおしめと子供用の上衣を取ったのでしたが、帰宅したら、それを洗って、またそこへ掛けて置こうと思っていたのでした……
ところが、お上さんは、間の悪いことには、飛んでもない人に当たったのでした。あの太った指物師のお上さんですが、あの人ったら、かみそり研ぎ師のようなうるさい口を持っていて、その仕立屋のお上さんを村中追い廻し、そしてその後ろから、大声でわめき立てたんです……
そして三度目には、お上さんは病気の赤ちゃんのために茶を沸かし、そして一番小っちゃいのに、ミルクを温めてやろうと思って、木切れを二三本、取ったのでした。このような事柄が、私たちの間から起らねばならぬということは、キリスト信者団体にとって一つの恥ですね。』
『リスベートさん、すぐ出かけて、あのお上さんを見てあげて下さい。もし、ある人たちは非常にいい境遇にいて、赤ちゃんをレースやリボンの中に包みこんでいるのに、ほかの母親は、赤ちゃんを飢え死にさせないために、盗みに行かねばならないということを、考えねばならないとすると、私は今夜眠ることができないでしよう。私の妹に言いつけて、色んな物を入れた籠を一つ、あなたのところへ送らせましよう。』
『私は、あのお上さんがそんなに困っていることを知ってからは、いつもよく見守っています。あの憐れな女が、誤った考えを抱かないように。現に、きょうも、あるお節介な忠告者が、こう言っていましたよ。「赤児をおろしてもらいなさい、 あんたは子供を育てることはできないんだ、そんなことは、お金持の奧さんのすることだよ」、と……

そして別の忠告者が来て、こう言っていました。「もし御亭主が健康に注意しようとしないなら、あんたの方で用心しなさいよ」、と。』
『そんなことをしてはいけません。それは自然に反しますね。もし、このような事柄を明るみに出して、色んな詰らぬことをするようなことがあれば、多分私は、主人が厭になるでしょう……夫婦が正しい愛のうちに、ぴったりと一体になるということは、自然に生じるものでなければなりません――もっとも、私たちはもともと、それがどういうようにしてかは、自分では知らないんですが……』
『ブレーム奥さんも、そう感じているんです。あの人は、一度私にこう言いました。「私は、夫に対して身を守らねばならないなんて、言うことはできません。なぜなら、私は夫を愛すればこそ、夫のために喜んで、それをするのだからです。それは、夫の方からの強制ではありません。私は、夫のために存在しているんです――そして私は、神かけて、それとは違ったことはできません」……』
『自分自身に対して、そんなに誠実な婦人、しかも真理から生じるいろいろの結果を自分で引き受ける婦人に対しては、私は心からの敬意を捧げます。何百というほかの女たちは、自分自身の良心を欺くことになってしまうのでしょう……』
『ただ、あのお上さんも、困難があまり大きいと、気が変になるのです。五人の子供は、食べるものが何もありません。あの人は、もはや、おむつも肌着ないんです。それなのに、いま六番目の子供が生れようとしているんです……そして、それが生れるとすぐ、多分、七番目のが出来るでしょう。四人食べているところでは、また五人食べられるとは、うまく言ったものです。そうです。しかし、五人飢えているところでは、六番目のものが、よりよい扱いを受けるということは、確かにありませんね。子供を、いきなり飢えの中へ、全くの不幸の中へ生み落すということは、母親にとって、恐ろしくつらいものです。そういう時には、母親が何事かを仕出かしても、怪しむには足りないでしょう……』
『なぜまた、天主様は、そんな場合に助けて下さらないのでしょうか?』
『それは、困難なときに、人間が人間を助けねばならないように、天主様は兄弟愛を御命じになったからです。この村の誰かが、そんなに貧乏のために苦しむということは、やむを得ないことなんでしょうか? しかも、あのお上さんだけが助けを要するただ一人の母親ではないんです……』
『私は、あの人が、ほかの人からは、何も貰おうとしないということを、人から聞いたことがあるんです。そうでなければ、私はもっと早くあの人をたずねたことでしょう。』
『問題は、 どういう風にして助けるかということです。もしも、こう言ったとしたら、どうでしょう。お前は実に憐れむべきものだから、私はお前を助けることにしてやろう――そして、そのことを後で、村中に吹聴しよう、と――すると、ロート奥さん、御存知のように、誰もそんなことを喜びはしませんね! そうではなくて、もしあなたが、いま生れる赤ちゃんの代母とおなりになったなら、あなたは、いつでもその赤ちゃんのところへ行って、いつでもあなたの好きなだけ、そして出来るかぎり、沢山の贈物をすることができるでしょう。代母というものは、親と共同して子供を養育する権利と義務とを当然持つものです。そして、代母がそうすることは、誰も悪く取ることはないし、むしろ人は、そうすることを代母に期待するのです。私たちカトリック信者が、他人の感情を損うことなしに、彼らを助けることの出来るこの方法を用いることが非常に少ないということは、ほんとに遺憾なことです! 私は、このことを、どうもよく了解することができませんでした。』
『全く、それはほんとですね!』
『私は、代母になってやった子供が二人います。そして私の妹も、そうしました。それくらいのことは、私たちにもできます。しかし、もしもそういう子供があまり多くなると、もう適当に助けることができなくなってしまいます。』
ロート奥さんの『賜暇のお土産』は、仕立屋のお上さんだけでなく、きょうまでに、さらにほかの二人の母親にとっても幸いとなった。ほかの多くの奥さんたちは――未婚の職業婦人もまた――この方法によって、自分が愛し、保護し、世話をする何ものかを、というのは、自分の子供に代るものを、つまり自分の生活のための正しい内容を、自ら作ったのであった。




【再掲】 2018年8月12日主日説教 「イエズス様は良きサマリア人である」

2020年08月26日 | お説教・霊的講話
2018年8月12日(主日)イエズスの聖心小黙想会
聖霊降臨後第12主日のミサ

小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年8月12日、聖霊降臨後第12主日のミサをしています。

15日の、聖母の被昇天の為の聖歌の練習も計画
“Homo quidam descendebat ab Jerusalem in Jericho.”
「ある人が、エルサレムからイエリコに下って行った。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日イエズス様が、「私たちにとって隣人とは誰か」という事を教える為に、例えの話をします。「エルサレムから、聖なる街、天主ヤーウェの神殿のある街、ユダヤ教の中心地エルサレムから、娼婦で有名なイエリコまで、ある人が下って行った。」

このエルサレムとイエリコの間は、聖書学者によると、37kmあるそうです。そしてエルサレムは聖なる山の上にあったので、イエリコまではずっとほぼ下り坂で、1000mの高さの違いがありました。

この人は簡単な下り坂をトボトボと歩いて行きました。現代でも、つい最近までは今でも、警察、あるいは駐屯所があったにもかかわらず、警備していた人がいたにもかかわらず、非常に強盗や盗賊、追い剥ぎなどで有名だったところです。

この寂しい道を、この人は通っている間に、やはり強盗に追い剥ぎに遭って、暴力を受けました。

殴られ、叩かれ、身ぐるみを剥がされて、そして持ち物を全部奪われ、傷付き、血だらけになって、半死半生になって、ぐったりと道に倒れて、息絶え絶えに助けを待っていました。

そのままほっぽらかされていて、この男はきっと入祭誦の始めにあったように、「天主よ、早く我が救いに来たり給え。早く助けに来たり給え。とく助けに来たり給え」と心の中で祈っていた事でしょう。

祈りが通じました。このかわいそうな人、この人の近くを、司祭が通ったのです。旧約の司祭です。おそらく神殿での務めを終えた事でしょう。エルサレムからイエリコの方へと歩いて行きます。「あぁ、司祭が来た!」声も出せずにその方を見ていると、司祭はこの人を見て、そのまま通り過ぎました。うめき声をあげて、「助けて下さい」と言っていたかもしれません。司祭は手ぶらで何もする事ができなかったのかもしれません。声すらもかけませんでした。横目でチラリと見て、通り過ぎました。ラテン語によると、“praeterivit.”「横を去って行った。」

「主よ、早く助けて下さい。」“Deus, in adjutorium meum intende. Domine, ad adjuvandum me festina.”何度お祈りした事でしょうか、「助けて下さい。あぁ、来たり給え。」

すると、レビ人がレビ族の人が、ユダヤ人がやって来ます。「あぁ!来た来た来た!」レビ族も特別に天主から選ばれた、神殿に仕える者です。「あぁ!」

「主を、全てを越えて、心を尽くし、力を尽くし、精神を尽くし、愛せよ」という掟を知っているはずの男のはずです。しかしこの彼を見ると、そのまま通り過ぎて行きます。“pertransiit.”「そのまま通過した。」

同胞の聖なる人々から見捨てられた、このかわいそうなユダヤ人。息絶え絶えに、「ハァ、ハァ、もうこのまま、ここで息尽きるのか」と思っていると、そこによそ者がやって来ます。サマリア人で、ユダヤ人からは憎まれていて、呪われた人々、破門された人です。

この人はきっとお金持ちだったのかもしれません。歩いていたのではなくて、動物、家畜を持って、それに荷物を運んでいたらしいのです。そしてブドウ酒や、旅行用の油も持っていました。この彼が来るのを見ると、「あぁ、この人また通っちゃうのかな。ユダヤ人ではないな。サマリア人のようだ。この帽子のかぶり方から、服から、ユダヤ人じゃないな。これはダメだ。」

すると、サマリア人はその様子を見て、半死半生のこの傷だらけのぐったりした人を見て、近寄って、そして哀れに思って、「大丈夫か」と声をかけました。「ハァ、ハァ、はい…はい…。」

そしてこの傷にブドウ酒を注いで、ドクドクと注いで洗って、そして油も塗って、早くこの油の染み通って、早く傷が治るように、そして息絶え絶えのこの男をきれいにしてから、今度は抱きかかえて、自分のその持っていたこの家畜の上に乗せて、それから近くの旅籠屋(はたごや)、宿屋まで連れて行くのです。

そして宿屋に一緒に泊まって、この男を看病します。「大丈夫か。」「ご飯を食べろ。」「さぁ、このきれいな布団で寝ろ。」

翌日、この男は行かなければなりません、このサマリア人は行かなければなりません。「あぁ、あなたの名前は何ですか?どうしてこの私の、ユダヤの私に、あなたはそんなに親切をしてくれるのですか?」

このサマリア人は旅館の主人にお願いして、「ここにお金があるから、2デナリオ、(1デナリオは1日の給料、肉体労働の値でした。それを2デナリオ与えて)、これをやるから、どうぞこの男を看病してほしい。面倒を見てほしい。もしも足りなかったら、十分なはずだけれども、足りなかったら、また用事が終わって帰ってくる時にもっと払う。」それを見て旅館の主人は非常に喜んで、「あぁ、分かりました!」と言ったに違いありません。

イエズス様はこの例えを聞かせて、一体、私たちにとって隣人は誰かというと、もちろんこの憐れみを下した人が私たちの隣人です。確かに、同胞、同じ血を持つ者としては、司祭、あるいはレビ人が最も隣人であったかもしれません。しかし本質を知っていた彼は、「憐れみを施した者がそうだ」と言います。

今日、ではこの例えが私たちに語っている事は何でしょうか?

この聖なる街エルサレムからイエリコに下って、簡単な下り道を下りて行った人は、私たちです。私たち一人ひとりでした。この薄暗い、誰も人通りのないような寂しい道を、トボトボと簡単に下って行く間に、私たちは敵に襲われました。この世と、悪魔と、肉欲でした。

そして私たちも、このかわいそうなユダヤ人のように、敵に、三重の敵に襲われて、身ぐるみを剥がれ、天主から受けた全ての超自然の恵みも、聖寵の御恵みを奪われて、傷付き、罪と誘惑の傷を受けて、血もダラダラになって、傷を受けて、もう一人で立ち上がる事ができないほど半死半生の身で、このままほっぽらかされて、そのまま永遠の死を迎えなければならない、地獄の火で焼かれるべき者でありました。

私たちもお祈りをしました、「あぁ、このまま死んでしまうのか。このまま息絶え絶えに、もうそのままどうしようもないのか。誰か救いの手は差し伸べられないのか。」

旧約の教えは力がありませんでした。旧約の司祭は、たとえモーゼのような者であったとしても、その栄光に満ちた者であったとしても、石に書かれた文字の宗教では、私たちを生かす事はできませんでした。私たちはただその律法の重さと厳しさに、罪に定められ、裁かれるだけでした。レビ族も何もできません。

しかし、天から良きサマリア人、イエズス・キリストが来られました。私たち、罪を負っている、罪によって傷付いて、半死半生の私たちを探して来られました。イエズスの聖心は来られました。私たちを癒す為に、私たちを聖とする為に、私たちに命を与える為に、私たちに赦しを与える為に、私たちの無知を照らす為に、教える為に、探して来られました。

そして御自分の御血を、ブドウ酒のようにドクドクと流して、きれいに洗ってくれます。そして御自分の聖霊を、油のように染み通らせて、私たちを力強めてくれます、養ってくれます。私たち一人ではとても動く事ができない、体中が痛く、足もぎこちなく、頭もふらふらしている私たちを抱きかかえて、ちょうど迷子の子羊を良き牧者が肩に担いで運んでくれるように、傷付いた私たちを抱きかかえて、イエズスの聖心は、宿屋まで運んでくれます。

この「宿屋」というのは、御自分が立てた「聖なるカトリック教会」です。そしてこのカトリック教会の主人に、聖職者たちに、司祭たちに委ねます、「この罪人を彼を世話をしてほしい。さぁ、ここにデナリオがある、秘跡がある、ここに教えがある。これを使って、彼の世話をしなさい。また私がもう一度戻った時には、報いを与えよう。」

この「デナリオ」というのは、「イエズス様の十字架の死によって勝ち得た贖い」でした。私たちに命を与えるそのお金でした。その功徳でした。

私たちは、今日福音で語られたこの傷付いたユダヤ人です。しかし、傷付いて道で息絶え絶えに救いを待っていたユダヤ人ですが、良きサマリア人、イエズス・キリストに出会って、救われて、教会の中に運ばれた、このユダヤ人です。そしてイエズス様からワイン、ブドウ酒と油を塗ってもらった、この介抱されたユダヤ人です。良きサマリア人に出会ったユダヤ人です。

今日、ミサ聖祭だ、それと同じ事が起こっています。イエズス様は私たちを、御自分の旅籠屋に旅館に連れて来ました、「この彼の世話を、このデナリオでこの世話をしなさい。十字架の贖いであるミサの効果を以て、御聖体を以て、御血を以て、この世話をしなさい。聖霊の油を以て、この霊魂の世話をしなさい」と教会に委ねています。

皆さんが今日御聖体を拝領する時には、教会はこう歌います、「主よ、御身の御業の実りは、この地上、大地を満足させる。御身は力、この大地からパンを導き出し、そしてブドウ酒は人の心を喜ばせる。」

私たちも、ブドウ酒を御聖体を受けるので、心は御聖体拝領の時に喜びます。そして「油において、私たちのその顔は喜ぶ。パンは人の心を強める。」私たちもこの御聖体拝領する時に、看病を受けたサマリア人のように喜び、心は強められ、主に満たされる、満足します。

これが今日私たちの、福音の事が私たちに今日起こる事です。

典礼学者によると、「サマリア人が連れて行った、良きサマリア人イエズス様が連れて行ったこの旅籠屋、旅館とは、カトリック教会の事であって、そして良きサマリア人が注ぐ油とワインは、御聖体の事であって、聖霊の御恵みの事である」と言います。

「更に、書簡を通してこの福音を見る事によって、書簡と奉献誦を比べてみる事によって、実は旧約の時代の司祭たちは、無力のあまりに通って行ったけれども、それでもこの司祭職は栄光あるものであった。なぜかというと、モーゼが十戒を、石に刻まれた十戒を受け取る時に、天主とその顔と顔を合わせて話を対話をしていた。それなので、その顔は、その天主と対話したそのモーゼの顔はあまりにも輝いていて、イスラエルの人たちはモーゼの顔を見る事ができなかった、直視する事ができなかったので、モーゼは自分の顔の前にベールを被らなければならかった。それほどモーゼの、旧約の時代の司祭職でさえも栄光に満ちたものだった。」

モーゼがせっかく十戒を持って地上に帰っても、イスラエルの子らは偶像を作って、天主以外のものを崇拝していました、礼拝していました。そこでモーゼは非常に怒って、十戒を粉々に、石を粉々にして、また天主に行きます。そして何とか彼らの為に取り次ぎを願います。すると天主はその怒りを宥めて、モーゼの言う事を聞きます。モーゼの言う通りにします。

「たとえ力の無い旧約の職務でさえも、これほど力があって栄光に満ちているものであるならば、新約の本物のモーゼ、イエズス・キリストの栄光とその聖務は、どれほど力があり、どれほどの栄光に満ちたものであるのか。良きサマリア人イエズス・キリストはどれほど力に満ちているものか、という事を教えようとしている」と言います。

ところで典礼学者は、「私たちはモーゼよりも更に恵まれている。モーゼでさえ、旧約の王でさえダヴィドでさえ見る事ができなかった、聞く事ができなかったものを、私たちが見る事ができ、聞く事ができるから。」「なぜかというと、私たちはミサの時に、イエズス様を見て、イエズス様を拝領して、イエズス様とお話をする事ができるから。愛の対話をする事ができるから。」ですから、「私たちの顔はモーゼ以上に輝かなければならないのではないか。」

聖体拝領誦でも言います、「油において、私たちの顔は喜びに輝く」と。

ミサの時にイエズス様と親しく一致して、会話のできる私たちは、何と幸いな事でしょうか。

モーゼがこの旧約の人たちをイスラエル人たちの為に取り次いで下さったように、良きサマリア人であるイエズス・キリスト、新約の本物のモーゼはイエズス・キリストは、私たちの為に更に取り次いで下さいます。

これが、イエズス様の聖心の愛であって、私たちに注がれる、溢れるばかりの愛情です。どうぞ良きサマリア人の愛を感じ取って下さい。この中に深く入って下さい。

この話を黙想している中に、少し私も個人的に考えた事があります。

もう長くなるので、本当はもうこの私の勝手に考えた事は言わないようにしようかな、とも思うのですけれども、1分間、話を続けます。

確かに旧約の、確かに傷を受けたユダヤ人が、この話は愛徳の話と、天主に対する愛の話と、そして旧約と新約のその違い、新約の優位さ、優位性について私たちに教えるものです。

しかし21世紀の日本に生きる私たちにとって、何んで、なぜこの司祭たちは傷付いた人を、この同胞の、同じユダヤ人を見て見ぬふりをして通り過ぎてしまったのだろうか?と思いました。

一体、別の仕事があったのだろうか?仕事が終わったから、もう早く家に帰って休みたいと思ったのだろうか?それとも無関心だったのだろうか?「関係ねぇよ」と思ったのだろうか?でも同じ、同じユダヤ人なのに?「これはお医者さんの仕事であって、司祭の仕事じゃないから」と思ったのだろうか?あるいは見るからに身ぐるみ剥がれて、手伝ってやってもお金も持ってなさそうだし、お礼もする事もできないし、そのまま「儲からないよ」と思ったのだろうか?「面倒くさい」と思ったのだろうか?一体何だろうか?と思いました。

この傷付いた人は私たちですけれども、どのようなもので傷付いたのだろうか。

罪を負っていて、この「罪の重荷に、傷を早く癒やしたい」と思っている私たちです。ですから「告解をしたい」と思って、「罪の、告解の秘跡を受けたい」と思っている人たちなのかもしれません。しかし「告解を聞いて下さい」と言っても、もしかしたら聞いてくれる人はいなかったのかもしれません。

あるいは、イエズス様についての、天主についての真理にあまりにも無知で、息絶え絶えだったのかもしれません。しかし公教要理について教えてくれる人がいなかったのかもしれません。

あるいは、この世俗の考えに惑わされたり、あるいは肉欲に引かされて家庭がボロボロになっていったり、苦しんでいたりする人なのかもしれません。

しかし、イエズス様のカトリックの教えを本当は聞きたくて、知りたくて、御恵みを受けたかったのですけれども、それを本当に受けるべき人から、受ける事ができなかった霊魂たちの事も表しているのかもしれません。

イエズス様はこの例えの時に、福音書を読むと、こう質問されるのです、「永遠の命を受ける為には、どうしたら良いのですか?」
「永遠の命を受ける為には、何と書かれているのか?」
「はい、全ての力を尽くし、霊魂を尽くし、精神を尽くし、天主を愛する事。」

真の宗教というのは、天主への愛に基づいています。天主への愛に基づく、隣人への愛に基づいて教えています。カトリックの教えは、「人間と天主との愛の関係」を教える宗教です。

「天主が聖父であって、憐れみ深い聖父であって、私たちがその被造物であって、子供のように愛されている、聖父と親子の関係のように愛されている」という事を教える宗教です。

しかし、もしその超自然の、「天主が聖父である、天主が聖父であって、私たちを愛している」という聖心の神秘の中に深く入る事ができないと、もしかしたら宗教は、イエズス様の当時のユダヤ教のように、形式的で、外的で、見かけだけのものに成り下がってしまうかもしれません。

ですから「外見だけやってればそれが宗教だ。だから、一致のために、日本では、御聖体は手で立って拝領しなければならない。」「もしもそうしなければ、一致を乱す。」「もしもそうしなければ、教会から離れている。」
今の新しいミサの教会のようです。

でもカトリックの本当の真髄は、天主を全てに超えて愛して、心を尽くして、力を尽くして愛して、そしてこの私たちを子供として愛する父のような天主の愛、この親しい関係にあるのではないか。もしそのような時に、この天主を愛を込めて礼拝する時に、なぜ跪いてはいけないのか。もしもそのようであれば、もしもそのような天主への愛をもしも表してしまったとすると、呪われた者になります。破門された者になります。教会から離れた者になります。一致を乱す者に。

非常に外見的で、形式的で、もしかしたらファリサイ人のような態度になってしまうような危険があるのではないでしょうか。

でもこの罪に傷付いた私たち、イエズス様への命に、イエズス様への教えに渇く霊魂たち、また超自然の命を受けたくて、「救い主は来ないか、救いの手は来ないか」と待っていた私たちに、良きサマリア人がやって来ました。

この良きサマリア人は現代では、ルフェーブルと言われています。そしてちょうどこの良きサマリア人ルフェーブルは、傷付いた私たちの所にやって来て、そして油とブドウ酒を注いでくれます。

「ブドウ酒」は「聖伝のミサ」であって、「油」は「聖伝の堅振の秘跡」です。

ちょうどあと数日後に、デ・ガラレタ司教様が私たちに、良きサマリア人のように来られるというのも、ちょうどこの主日のミサが私たちに現実に起こりつつある、という事をイエズス様が準備して下さっているかのようです。

イエズス様の深い愛の中にますます入る事に致しましょう。イエズス様は私たちを決して見捨てたり、そのまま通り過ぎたりする事はありません。イエズス様の愛がますます理解できるように、マリア様にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




【再掲】あるサマリア人が、彼を見て憐れみを起こした。

2020年08月26日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年8月7日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年8月7日 聖霊降臨後第12主日
小野田神父説教

“Samaritanus autem quidam videns eum,misericordia motus est.”
「あるサマリア人は、彼を見て憐れみを起こした。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は有名なサマリア人の話です。
今日はサマリア人が一体、このイエズス様の例えで何を仰りたいとしたのか、このサマリア人の例えを教父たちは一体どのように解釈していたのかという事を見て、ではその教父たちの解釈を超えて何かそのサマリア人に似たような人物が今現代にいるのではないか、という事を見て、
第3にでは私たちは、イエズス様が最後に「行って同じようにしなさい」と仰ったのですから、サマリア人のようにするには、サマリア人を真似るにはどうしたら良いのだろうかという事を考えて、遷善の決心を立てる事に致しましょう。

ではこの今日の例えは、どういう機会にどういう事を言われたのでしょうか?これはある時に律法学士が、イエズス様を試みようと、「律法の中で一番重要なものは何ですか?」と聞くのです。するとイエズス様は、あまりにも公教要理のABCの最も基本的な質問なので、「お前は一体聖書の何を読んでいるのか。何と書かれているのか言ってみなさい」と言うと、
自分で答えて、「天主を心を尽くし、力を尽くし、精神を尽くして愛し、隣人を同じように愛する事です。」
「まさにその通りだ」と言われてしまい、何かあまりにも下らない質問をしたという事がばれてしまいました。そこで自分を何とか正当化しようとして、「私の聞きたかった事はそれではなくて、隣人とは一体誰かという事なんです」と言ったのです、「私の隣人とは一体誰ですか?」そして私の隣人とは誰か、という事にその答えをする為に、イエズス様はこのサマリア人の例えを出しました。でもイエズス様がその答えようとした時には、この律法学士の答えに直接その通りに答えるのではなくて、ちょっとだけ観点を変えて説明しました。それは律法学士でも「そうだ」とすぐ答える事ができる為でした。

エルサレムからエリコに旅をするある人が、これはユダヤ人なのかサマリア人なのかどこの国の人なのか、どんな宗教の人なのか分からないのです。ある人が強盗に奪われて、そして倒れて半死半生になって、身ぐるみ剥がされてしまった。そこを旧約の司祭が通るのです。何もする事なしに却ってそれを避けて通ってしまうのです。司祭よりもちょっと階級の下のレヴィ族の人がやって来るのです。やはり同じようにします。ところがユダヤ人とは全く関係のない、異邦人の異端の異教のサマリア人がやって来ると、この半死半生の犠牲者を、盗賊に遭った人に近付いて、きっと道すがら忙しかったと思います、何かビジネスをやっていたかもしれません。でもその事をほっぽらかしてその人に近付いて、憐れみを起こして、まず持っていたぶどう酒でその傷口を洗って、その傷口が早く治るようにオリーブオイルを塗って、そして自分の持っていた動物の上に乗せて、宿屋まで連れて行って、宿屋の主人に、「さぁお金をここにやるから、是非この病人を看病して欲しい。そしてあのもしもこれ以上お金が必要ならば、帰って来てまたここに来るからその時に借金を払う。さぁお願いする。」

そしてこの例えをした後で律法学士に、「ではこの3人の内に、一体この盗賊に遭った人にとって隣人として態度を見せたのは、隣人の態度を見せたのは、この怪我をした人にとって、半死半生した人にとって隣人であろうとしたのは一体誰か?」と言うと、律法学士は、「それは、憐れみを見せた人です」と言うのです。そしてイエズス様は、「その通り。お前も同じようにせよ」と言うのです。

この例えではイエズス様が、「私にとっての隣人は誰か」というのを、「傷を付いた、憐れみを必要とする人にとって、隣人として行動したのは誰か」という風な質問に変えたので、「ちょっと理解ができない」と思われる方も、「難しい」と思われる方もいるかもしれません。

しかしイエズス様はそれが、「憐れみを必要とする人が誰であれ、どの国籍の人であれ、肌の色が何であれ、どんな言葉を話すのであれ、その人を隣人として取り扱え」という事を仰ろうとしていました。これは律法学士にとっては革命的な事でした。律法学士にとってはユダヤ人にとっては、ユダヤ人はこれは隣人だけれども、まさか他の人にとっては隣人とは思えずに「敵ではないか」と思っていたからです。

教父たちはこれを大きく解釈しました。つまり、「どのような全てこの全人類、ユダヤ人のみならず全て全人類は実は、天の成聖の状態から悪へと傾いてしまった。そしてその為に悪魔によって成聖の状態を取られてしまった、半死半生の状態になってしまった。もう天国には行く事ができない罪人の状態になった。もう霊的には生きているのか死んでいるのか分からない状態である。そのそれを救う為には、ユダヤの旧約の教えは律法は全く用が立たなかった、レヴィ族も用が立たなかった、何もする事ができない。しかし天から降りて下さった天主の御言葉イエズス・キリストが私たちを憐れんで、これにぶどう酒を注ぎ、つまり御血、御自分の御血を流して罪を赦し、そして油を注いだ、オリーブ油を注いだ、つまり聖霊の御恵みを私に与えて下さった。そして私たちを御自分の肩に担いで、公教会に私たちの霊魂を委ねた。そして公教会にその霊魂を委ねながらも、『私が帰ったら、この霊魂をよく世話した報いを与えよう。』と仰った」と解釈しました。「良きサマリア人とは実はイエズス・キリストの事であって、私たちを霊的に死から生けるようにして下さった、憐れんで下さった方である」との解釈でした。

この教父たちの解釈を見ると、私はどうしても、聖ピオ十世会の創立者であるルフェーブル大司教様の事を思い出します。

何故かというとルフェーブル大司教様は、ローマで教皇様から選ばれて教皇使節としてアフリカに、教皇様の代理として仕事をして、多くの神学生たちを指導し、司祭を指導し、将来アフリカに備えて立つ司教様たちを選んで、そしてアフリカのカトリック教会の独立の為に、しっかりと白人たち無しに自分たちで進んでいく事ができるように基礎を築いた方でした。

もうお年を召して引退されて、聖霊修道会の総長をされて、もう実は何もしなくても悠々と暮らしていく事ができたにもかかわらず、ローマの家もあったし何も苦労する事もなく、心配する事なく生きていく事ができたにもかかわらず、神学生たちが司教様に、「神学校ではこんなおかしな事を勉強しています、神学校ではこんな事が起こっています、」という報告を聞いて、「是非司教様、なんとか私たちを助けて下さい。」或いは世界中の方々がルフェーブル大司教様に、「どうぞ良い司祭を送って下さい。私たちはもうミサが無くて半死半生です」と言う声を聞いて、もう老人であったにもかかわらず、その霊魂を助けようと神学校を創立し、聖ピオ十世会を創ったからです。

霊魂の管理の為に、霊魂の世話の為に、自分の名誉が傷つけられる、その世間体がどうなってしまうにもかかわらず、破門という汚名を外面的には着せられつつも、「何とかして霊魂を救いたい。教会の為になりたい」と命をかけて、名誉をかけて、全てを尽くして、霊魂の救いの事だけを考えてきたからです。ルフェーブル大司教様の姿と、良きサマリア人の姿が、私にはどうもこう一緒に重なってきます。

では、私たちの主イエズス様はこの例えの後に、「隣人とは誰か?つまりこの目の前にいる憐れみを必要としている人だ」という事を、「それが誰であっても、憐れみを必要としてる人がそうだ」という事を教えながら、「行って同じようにせよ」と言われました。ルフェーブル大司教様も同じようにしました。

では私たちは一体どのようにしたら良いのでしょうか?

2000年6月29日にローマは、「ファチマの第3の秘密」と呼ばれるものを公開しました。それによると、シスタールチアはあるビジョンを見たのです、そのビジョンの内容というのは、「教皇様のような白い服を着た司教様が、半分瓦解している、死体だらけの大きな街を歩んで行く」と言うのです。そして「司教様たち、神父様たち、修道者、男女の修道者、そして色んな身分の階級の色んな方々の、平信徒の男女の方々が居る。その方々が、一人一人、殺されていく、殉教していく。そして遂にはそのような死体を通って、屍を通って行って、遂には十字架の下に行くのです。その十字架の下で教皇様さえも、この白い服を着た司教様さえも銃殺されてしまって、そして二位の天使がその殉教者の血を集めて、天主様に近寄ろうとする霊魂の為に振りかけている」というビジョンがあります。

これがファチマの第3の秘密で、来年私たちはそのファチマの100周年を祝おうとしています。その他にも実はまだ公開されていないマリア様のお言葉というのがあると私には思えます。しかしそのビジョンによればそうです。

これはもしかしたら霊的な事を言っているのかもしれません。多くの霊魂たちが、司教様も、神父様たちも、修道者たちも、或いは男女の多くの信徒たちが、或いは多くの人たちが霊的にもしかしたら苦しんで、半死半生である、という霊的な状態をシスタールチアに見せたのかもしれません、幼きルチアに見せたのかもしれません。

或いは1週間前のジャック・アメル神父様の教会でミサをやっていた時に人質になって、そして殺害された、そのテロリストの事を考えると、或いはそのIS関係のテロが色々な所であちこちで頻繁に起こっているのを見ると、もしかしたらこれは霊的な事だけではなくて、本当に実際に肉体的にそのような事が全世界で起こってしまうのかもしれません。

それが何であれ私たちは、その現代世界が今、多くの悪魔によって半死半生になった傷付いている、霊的に傷付いている多くの人々が私たちの目の前にいらっしゃるという事を教えています。

すると私たちは良きサマリア人として行動する為に、この傷付いてる人たちに対してどのようにすれば良いのでしょうか?或いは旧約の司祭がやったように、「あぁ、関係ない、知らない」と言って横を素通りして、何もそのまま通り過ぎてしまうべきでしょうか?

それともこの霊魂の救いの為に私たちが何か近付いて、憐れみを起こして、そしてぶどう酒と油を注いで、何とかしてそれを宿屋まで運んであげるべきでしょうか?

イエズス様は、「同じようにしなさい」と言いますから、私たちも少なくともこの多くの傷付いた、霊的にまだ死んでいる、罪の状態にいる多くの方々の為にお祈りをする事に致しましょう。

聖ベルナルドによると、「このサマリア人の油は『お祈り』の事だ」との事です。私たちもこの私たちの日常、目に見える方、生きてはいるのですけども霊的にはまだ罪の状態にいる様な方々、イエズス・キリスト様を知らないような方々の為に、イエズス様の事をよく知り、罪の赦しを受けて天国に行く事ができるように、お祈りをして、お祈りの油をそこに注ぐ事に捧げて、注ぐ事ができるように致しましょう。

ルフェーブル大司教様がアフリカにいた時にこう決心したそうです、色々な決心があるのですけれどもその内の1つが、「霊魂たちを成聖の状態の観点から見る」という事が1つの決心でした。つまり、「この霊魂たちが霊的に生きる事ができるように力を尽くす」という事でした。「この霊魂たちが罪が赦され、天国に行く事ができるように、霊的に天主によって生かされるという事だけを、その観点だけを見る」という事を決心していました。

まさに私たちもそれに倣って、この道で会う方、或いは電車に一緒に乗る方、或いは仕事をする方の「霊的な傷が癒されますように、成聖の恩寵に生きますように」とお祈り致しましょう。そればかりでありません。この良きサマリア人がぶどう酒をこの傷口に注いだように、私たちも小さな犠牲を捧げる事に致しましょう。小さな犠牲によって、私たちの苦しみや悲しみや、疲労、或いは侮辱、誤解、嫌がらせなどもマリア様の御手を通してお捧げ致しましょう、「是非この方が回心しますように、この方がイエズス様を知る事ができますように。」

では最後にどの様な決心をしたら良いでしょうか?

私はこの是非ロザリオの十字軍に参加する事が、この良きサマリア人になる為の一番の方法であると確信しています。何故かというと、マリア様は8月19日にこの3人の子供たちに言ったからです。

「多くの霊魂が地獄に行っている。この半死半生のまま地獄に行っている。何故かというと、彼らの為に祈りと償いをする、犠牲を払う人がいないからだ。」

ロザリオの十字軍はまさにこれに応える為に作られました。どうぞ皆さんのこの寛大な参加をお願い致します。

「あるサマリア人が、彼を見て憐れみを起こした。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。






今日の富士山

2020年08月26日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

この頃は、富士山の姿を見ることがなかなかできませんでした。
今日は、少し、頂上が見えますね。





「助産婦の手記」32章 英雄の追憶を留めておく記念碑が英雄的な母親の名前を告げるために、永遠に書きしるされている

2020年08月25日 | プロライフ
「助産婦の手記」

32章

それは、運命的な一九一四年七月三十一日のことであった。百姓たちは、大鎌を研いで、仕事の準備をしておいた。畑には収穫物が、太陽の灼熱の中に、成熟して立っていた。もう二三日すれば、取り入れの仕事がはじまる。すでにあちこちで、裸麦の畑が刈り取られて横たわっていたが、それは穀類を束ねるために、藁(わら)が必要だったからである。

そのとき、ひそひそとささやく声が、村を通して行った。それは、嵐のたける音のように、段々大きくなった。村会の小使が、議事堂から大きな鐘を手に携えて出て来て、村を通って右の方へ走って行った。警察官が火災警報でもするように、ラッパを携えて左の方へ走って行った。工場の汽笛が、うなり出した。工場の門は、開け放たれて、職工の群れが、きょうは多分、たっぷり一時間も早く、夏の夕の中へ吐き出された。到るところで、人々は興奮し、せかせかとしていた。すべての車輪は、急に停まった。教会の鐘すら、けたたましく鳴りはじめた……

『何事が起ったのでしょうか。』 と妊婦が尋ねた。私は、そのベッドのそばで、お昼から心配し興奮しながら、出産を待っていたのであった。『大火事ですか?』
そこで、私は開け放たれた窓にかけよった。『戦争! 戦争!』と、それは一千人の心臓から出た一つの叫び声のように、下から響いて来た。
『ロシアとの戦争! フランスとの戦争! 総動員! あすは、もう男たちは、入隊せねばならない……』
『戦争、』と、母になろうとしているその婦人は言った、『そう、戦争……でも、平和というものは、非常に貴い宝です……家庭の平和……心の平和……それとも、大きな地球の上では、一体、事柄が違うものなのでしょうか?……人々は戦争とは何か、ということを知っているのでしょうか……何ヶ月も、存亡のために戦うということは、どういうことかということを……』

ここに、戦いに疲れた一人の女が陣痛のうちに横たわっている。彼女のように、この戦いに勝ったものは稀れである。彼女の傷ついた心は、いかに安静と平和とを熱望したことであろう。しかも外界では、人々は、戦争と叫んでいるのである……

七ヶ月、それは、彼女の結婚生活と同じ長さであるが、それはまた彼女の悩みでもあり、妊娠した子供のための戦いの期間でもあった。しかしその子は今や生れた。彼女は、もともと、ウイレ先生の奧さんの女中としてその家に住んでいた。そういうわけで、彼女は、この村でオットー・ベルトルーという、非常に熱心で功名心に富んだ工場の専門研究者と知り合いになった。彼は、繊維製品用の染料を作る研究に従事していて、より良いものを得んがため、常に秘密に試験と実験とを行っていた。

そして実際、いままでも時々、染料の合成に成功した。そこで彼は、化学実験所の中に、仮りに小さな住み場所を与えられていた。彼は一晩たりとも、そこにいないということは稀れであった。
しかし、恋愛の神は、いたずらものである。その神様は、彼のところへも赴いた。衛生部のある山林祭で、彼はエルゼと出会い、そして火が彼に燃えついた。一体、そのことは、彼にとって都合の悪いことではなかった。なぜなら結婚すると多くの利益が得られたから。すなわち、彼は社宅に対する請求権を獲得した。しかも彼はすでに手廻しよく、秘密のうちに、自分のはいる家を探し出していたのである。それは、村はずれの森の傍らに数軒建てられた新しい二軒長屋の一つである。彼はその家のそばに、小さな試験室を建てて、工場とは無関係に、さらに一層勉強しようと思っていた。なぜなら、彼は自分の才能と、来るべき大きな幸福とを、確信していたから。そこで、彼はエルゼを――彼女はすでに、彼の嵐のような願いを容れて、すべてを彼に与えてしまったのであるから――法律上でも正式に妻にしようと決心するのに、長くはかからなかった。彼はまた、彼女と話し合っているうちに、彼女が小金を貯めているのだと想像した。しかし、それは当たっていなかった。彼女は、自分の貯金は、すでに新世帯のために使ってしまったのであった。

それは、彼らが新家庭を持った最初の晩のことであった。『あなた、私たちは、あまり長くたたないうちに、二人きりではなくなると思うんですよ。』と、エルゼは夫に言った。『私は、ここ数週間というものは、とても具合が悪いんです、いつも吐気を催すんですのよ……』
『お前は多分、気でも狂ったんだろう!』と、彼は喧嘩腰で食ってかかった。『そんなことは、まだまだあってはならないんだ。ここ十年間は、子供なんかいらないんだ、解ったかね! それが、お前の結婚持参金の全部なら……すると……』
『でも、それはあなたの子ですよ! 私のと同様に、あなたの子ですよ。あなたが、あんなに嵐のようにならずに、欲望を我慢して下さったなら――私たちは、もっと結婚式まで待っていられたでしょうに。』
『そんな古くさい修身の格言なんか持ち出さないでくれ。男と女というものは、互いに相手のものとなり合い、互いに身を与え、受け合うために、この世に存在しているんだ。それは、情欲が彼らを動かし、駆り立てるままに、きょう――あす――あさって――というように、自然にそうなっているんだ。なぜ、強いて人為的に待っていさせようとするのかね? 人はおのおの自分自身の体の主人公だ。お前にしても、僕にしても。もし子供がいらない場合には、ほかの女たちは何をするか知っているだろうね。』

その母親は、沈黙した。そんな話になると、彼女の心臓は、胸の中で凍結するかのような気がした。さては、彼女が身を捧げたこの男は、そういう人だったのか! 結婚は、そんな風にして始まるのか? 氷のような戦慄が、彼女にしのび寄った。自分の前に横たわる将来に対する恐怖が。熱で震えているように、彼女は起ち上って、ベッドにはいった。もう一語も話すこともなく。

このように、結婚第一日目に、不和の松明(たいまつ)が、新家庭の中に投げ込まれた。翌る朝、彼は挨拶もせずに、勤めに出かけた。彼は昼食に帰宅しなかったが、晚には、したたか飲み過ぎて、妻を官能的濃情をもって、ゆすぶった。そして彼女は、たとえ、前日以来、いや気がさして来ていたのであるが、子供のためにそれを辛抱した。彼は、そういうことを二週間も続けてやった。なぜなら、彼は腹立ちまぎれに工場内の酒保(しゅほ)【売店】で昼飯の予約をしたのであるが、それを解約するには、彼はあまりにも高慢であり、そうかと言って、それを棄権するにはあまりにも吝嗇(りんしょく)だったからである。每朝、不必要に支出した金銭が彼を悲しませた。そしてお昼ごとに、彼は閉口した。――

『さて様子はどうかね? お前は、必要なものを探して見たかね? 僕にお説教をしようなんてことは思いつかないでくれ!』と、彼は二週間後に、ぶつぶつ言った。彼女は、一言もいわずに、一冊の本を彼の鼻先きに突き出した。『生れざるものの権利』と表紙に書いてあった。
『呪われた坊主のたわごとだ! あの人たちは、よくおしゃべりするものだ! なんと、彼らは子供を育てるかね?』 彼は、その本を読もうともしないで、片隅に投げやった。『町の専門医のところへ行って来たまえ。そこへは、ほかの女たちも行くんだ。さもなければ、我々は分れるよ!』
『いやです。もし私が想像するように、ほんとに妊娠しているのでしたら、その子は生存権を持っており、私はそれを侵害しようとは思いません。』
『そんなことを、よくもお前は僕の面前でつべこべ言えたものだね! それでは、お前は僕の言うことをきかないんだね! 誰が、この家の主(あるじ)なんだ、お前か僕か?』彼は怒りのため、我を忘れて彼女の髪をつかんでいた。足で彼女をけった。『お前が何をしなけりゃならないか、見せてやろう……』

彼女が、急に驚いたため、力を失って崩れ落ちたので、彼はやっと正気に返った。しかし、彼は妻を床に倒れたままにして置いて、あたかも何事も起らなかったかのように、出て行った。
同じような場面が、二三日ごとに繰り返された。そしてその暴行のあとには、いつも同様に無意識に荒れ狂う官能的行為が行われた。その際、彼は親切らしい口説きをもって、しかもさらに贈物すらをもって、彼女に、言うことを聞かせようと試みた。一週間また一週間と経過した。しかし、その気丈夫な妻の側からしては、子供を処分する何らの方法もとられなかったので、彼はますます残酷に荒っぽくなった。サタンのような残忍性をもつて、彼はその母親を苦しめることを心得ていた。彼は、彼女に、もはや一文の金も渡さず、そして自分で生活物資を最小限度に買って来たので、彼女は生れて来ようとする子供のために必要な準備をすることは全然できなかった。

ある日、その母親は私のところへ来て、その苦しみを私に訴えた。なぜなら彼女は、もはや二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなった。そんな具合にこれ以上生きてゆく勇気は、もはやなくなったからである。
『ブルゲルさん、私はもうこれ以上やって行けません。今やっと五ヶ月目なんです。そして、もし主人がきのう言ったように、あの例の男にこの家へ来てもらうことにすると――そうすると、私はもう何もかも成り行きに任せてしまいます……』胸が張り裂けるように、彼女は泣きはじめた。

こうなれば、迅速な処置がぜひ必要であった。私は、ウイレ先生のところへ行った。その同じ晚のうちに、ウイレ先生はベルトルーを訪問し、奥さんを数週間、臨時の手助けのために、自分のところへ、もう一度来させて頂きたいと頼んだ。今までいた乳母が、暇をとろうとしている。その後釜が得られるまで……あなたの奥さんは、私の家の事情をよく御存知です、そして家内が今晚、独りぼっちにならないように、奥さんに直ぐ一緒に来ていただきたい。自分はまた田舎を旅行せねばならない。ベルトルーさんは、私が奥さんをお借りしている間は、昼食を食べにお出で下さって宣しい、と……ベルトルーは、よほどはげしく反対したかった。しかし彼は、良心に疚(やま)しいところがあったので、それをあえてしなかった。もし彼の行状が世間の評判になると、それは面白からぬこととなる恐れがある。そこで彼は、しぶしぶながら、その依賴に応じ、そして親切な夫の役割を演じた。すなわち彼は、自分の妻のために、いくらかの衣類を入れた行李を急いで荷造りして、それを別荘「こうの鳥の巣」へ運んで行ったのであった。

そういうわけで、その憐れな母親は、少なくとも二三週間は、よりよい日を過した。昼食の際、彼女の人前で温雅な夫は、いつも彼女に素早く小言をいおうと試みたが、彼女と二人だけで会うことは、大抵できなかった。 そして、やっと逢うことに成功しても、拒絶された。彼女は、今や再び幾らかの金を手に握った。そして赤ちゃんのために一切のものを整えるため、親切な医者の奥さんと競争して働いたのであった。

数週間後に、ウイン先生は昼食のとき、こうおっしゃった。『ベルトルーさん、お目出とう。私は奥さんが妊娠していらっしゃることを確かめました。そう、大体六ヶ月です。父親になったということを知ることは、いつも本当に喜ばしいことですね。』 そして今度もまた、その夫は、歯ぎしりしながら、怒りを押えつけるよりほか仕方がなかった。彼が、うまく瞞(だま)されていたということは、彼は幸いにも気づかなかった。――

分娩の時の約八週間前に、その母親は自宅へ帰ることにした。夫がそのことを非常に頑張りはじめたからである。彼は、もう今となっては、事実を変更し得ないことを悟ったように思われた。妊娠がとうとう公然と知られ、かつそれがそんなに進んでいっている以上、もはや何事も起るべき筈はなかった。それなのに、私たちすべてのもののお人よしの期待は、裏切られた。なぜなら、今そこで陣痛のうちに横たわっている憐れな母親は、血のにじんだ斑点やみみず腫れやらで一杯だったから。その赤ちゃんは、普通より四週間早く生れる――そして、彼女が何よりも平和を熱望する言葉を語るときに、彼女の頬を流れる涙こそは、その苦悩を声高く、かつ、はっきりと私に物語るのである……
そのとき、その夫が駈けこんで来た。『戦争、フランスとの戦争! 僕はフランス人だのに……どうすればいいんだろうか……神様……どうすればいいのですか……帰国するか、射殺されるか? わからない……どこへ行ったらいいのか?』……妻のためには一言も言わない! ただ彼の可愛い「自我」のみが、彼のことを心配するだけである。
で、私は我慢ができなかった。
『もう暫らく待っていらっしゃい。すると、どうすればいいか、きっと誰かがあなたに言いに来ますよ。だから、今はどうか外に出て行って下さい。私は仕事をしている時には、そんな大騒ぎをする人たちは用がないんです……』そうして、私は彼を押し出した。彼は部屋の外で、行李の荷造りをした――またそれを解いた。街路を走り、そしてまた帰って来た。半狂乱のように、駈けりまわった。このような中に、ペーテルが生れた。その子は、忠実な母親の胸に、よく保護されて抱かれていた。その子のために彼女が、どんな悩みをして来たかは、誰も知らない。それなのに、父親は、子供を見ようとはしない。彼は、憐れな自我をば、目前に迫っている危険から守るために、非常な心配をしているのだ――三日後に、彼が監禁されたことは、仕合わせであった。さもなければ、彼は気が狂ってしまったであろう。

英雄の追憶をしっかり留めておくために、到るところに記念碑が立てられている。英雄的な母親は、あらゆる時代に存在していたし、現在もいる。ところが、記念碑のような死んでいる石が、今日に至るまで、彼女たちの名前を告げるために、特に立てられた例はない。彼女たちは、ただ自分の子供たちの心の中にのみ生きつづける――天主の御心の中に、そして「生命の書物」の中に、永遠に書きしるされているのである。




「助産婦の手記」31章  その家は、砂の上に建てられたのではなく、岩の礎の上に立っている。

2020年08月24日 | プロライフ
「助産婦の手記」

31章

きょう、私たちの村では、お祭がある。初ミサと結婚式とが同時に行われる。私が最初に取りあげた二人の子供のうち、ヨゼフは初ミサであり、ヨゼフィンは結婚式である。全村が、こぞって祝った。屋根窓からは、大へん種々様々に組合わされた旗がひるがえっている。街路は、美しく掃き清められ、そして緑の葉が撒いてある。家々に添って、新鮮な白樺が立っている。花飾りが、大きなカーヴをなして、窓から窓へと、花の咲いた樹木の上を伝って絡みついている。御聖体の祝日のように、少女たちは、白衣を着、頭には花冠をつけて、校舎の前に集合し、そして新しく叙品された司祭を、初ミサを捧げに教会に案內して行けるその偉大な瞬間を待ちに待っていた。近隣の村々から出て来た音楽隊や、それぞれの旗をおし立てた種々な団体も、すでに停車場の前に立っていた。そして空には、親愛な太陽が暖かく笑い、そして一緒に喜んでいた。

祭日。若い司祭としてのヨゼフと、幸福な花嫁としてのヨゼフィン。彼女は、良い相手を得た。大きな紡績工場の第二支配人であり、かつ商業上の指導者である人が、彼女と結婚するのである。全村は、羨ましがった。ほかの母親たちも、娘たちも、この男を手に入れようと、どんなに骨折りをしたことか! それなのに彼女たちは成功しなかった。そして、全然その男を顧みず、全然そのことを考えていなかった彼女に、その大きな幸運が落ちて来たのである。ヨゼフィンは、全く清らかで美しい娘であった。 悪意に満ちた蔭口も、ないではなかった。しかし、それはすべて嘘であった。 ヨゼフィンは、自分の道を真直ぐに進み、何ものによっても、誤らされることなく、そしていかなる護步もしなかった――このようにして、彼女はその男を手に入れた。もしもあらゆる予想が誤っているのでなければ、それは幸福な結婚になるであろう。

私もその祝典に招待された。全く公然と、お祝いの賓客に伍して【と同等に】。およそ助産婦が、洗礼の場合以外に、一家のお祝いに招待されるということは、珍しい事である。 私たち助産婦は、実に一つの『必要な禍』に過ぎないのである。人々は、各種の困難と心配とを堪えて、私たちのところへやって来る。本当に切端つまって、私たちを呼ぶ。しかし、総じて、もし私たちを必要としないならば、非常に喜ぶ。私たちの顔を見るよりも、背中を見たがる。それは、正しいことではない、―――しかし人間的である。
『良い助産婦さん、本当に村の母です。その人は、村中のほかの誰よりもっとよく一切の悩みと困難とについて知っています。ですから、助産婦さんは、また喜びと佳い日にちあずかるべきではないでしょうか?』このように、駅長は、私を祝典の食事へ連れて行ったとき言った。それは、正鵠を得たものであった。人は全くそう言ってよい。もっとも、みんながそれを模倣するという危険、および、そうすると私たち助産婦が祝典ばかりあるために、もはや自分の職業上の仕事をやらなくなるという危険は、この場合、大きくはない。これについては、問題は余りにも簡単であり、かつ余りにも判り切っている。

ヨゼフィンは、きようの祝日を公明正大にかち得たのであった。元来、ヨゼフが、高等学校の三年生(上から数えて)を修了し、そして司祭になろうと思ったとき、彼の兄の一人は、高等学校の最上級にあり、もう一人の兄は大学にいた。一番上の妹は、結婚したいと思っていた。そこで資金が、もはや足りなくなった。勤め人の扶養家族手当ては、まだ無かった。小さな弟妹が、まだ三人もいた。

そこで十五になるヨゼフィンは、工場の事務所に勤めようと決心した。彼女は、兄弟をさらに助けるために、金を得たいと思った。彼女は、機敏で利巧であったから、間もなく電光のように速く速記し、タイプライターを打つことができた。私は、工場主と支配人に彼女を雇ってくれるようにと頼んだ。当時は、そんな若い娘を採用する習慣はなかった。しかし、特にそうしてくれた。
『お前、どんなものでも、気に入ってはいけないよ。』と駅長が言った。『何も、もらってはいけないよ。招待されちゃいけないよ。お前の自由を保って、誰のことにも、少しもかかわる必要のないようになさい。』

間もなく、工場の人たちは、彼女の仕事の速いのと、動作のしっかりしているのに驚いた。彼女は可愛らしい娘であったから、 彼女の愛を得ようとする動きもまた、間もなく始まった。 多くの人々は、小さな贈物をして、彼女に近づこうと試みた――しかし、拒絶された。『有難う、でも私は、原則として何も頂かないことにしていますのよ。』とヨゼフィンは言って、品物を見もしないで、押し返した。
そこで人々は、芝居や、音楽会への招待など、ほかの方法を試みた。『大へん御親切に有難うございますが、お断わり致します!』とヨゼフィンは言った。『私は、行こうと思えば、自分で切符を買いますわ。』
『あなたは、まだそんなに旧式なんですか、お嬢さん?』
『いえ、とてもモダーンなものですから、私は自分で正しいと思うことをする勇気があるんです。私は、誰にも御礼を言うことなしに、自分の自由を保たねばならないんです。』
『何と勿体ぶるんでしょう! あなたも、やはり我々みんなと同様に、同じ原始猿から出ているんですよ……』とある一人が抗議をあえて述べた。
『猿が人間になったということは、まだ誰も見たことがないんです。しかし、人間が猿になることは、私は毎日見ています。』とヨゼフィンは、生れつきの頓智をもって、たしなめ、そして人々を味方に引き入れ、そして段々心が平静になった。

ただ一人の人が、すなわちそれは工場主のある親戚であるが、ある日、実に卑劣にも、少しばかり愛情をあえて発露して、彼女の頬を撫でようとした。そこで、彼女は、わざと大きな声で言ったので、みんなにそれが聞えた。
『もしもし、ハンケチは更衣室にかかっていますよ。私は、あなたの汚い指を拭く雑巾の代りに雇われているんじゃありませんわ!』
『ひどい奴、いやな奴』と、そのやり損じた男がブッブツ言った。しかし、その娘に対する一般の尊敬は増した。人々は、彼女を本当に貴婦人として取り扱い、そして彼女にあまり近づかないように注意した。彼女は、厚かましくはなかった。反対に、他の人々が節度を守っている限りは、彼女は可愛らしく、かつ愛想がよかった。しかし、それだけにまた、彼女は仕事においても頭を使い、ずば抜けてよく働き、昇進し、そして段々と商業指導者の注意を引きつけた。特に重要な商議の場合は、速記を取らねばならなかったし、 また会議および相談の場合には、謄本を作らねばならなかった。彼女は、知らぬうちに、女秘書となっていた。給料は、仕事に応じて自由に加減された、というのは、その頃は、賃銀表は、まだ今日のように、すべて何でも、紋切型に定められてはいなかったから。

支配人は、女の子というものに対しては、大した評価をしていなかった。もうすでに、そういうことをよく経験したことのあるすべての人のように。しかし、彼女は、彼の注意を呼び起した。しかもいよいよますます。
ヨゼフィンが一度、病気になったとき、彼は非常に淋しく感じたので、翌日のお昼に、彼女を見舞おうと思い立って、駅長の宅へやって来た。
『あんたは、我々を淋しく感じさせますよ、シュタインさん。ほんとに、直きに帰って来てくれなければいけませんね。』
『かけがえのないような人はいない、とビスマルクのような人でも言いましたわ。もし私の弟が、もう二年で卒業したら、すると……』
『すると、あなたはまさか我々を見棄てて、弟さんの家政婦になるつもりじゃないでしようね? それはいけませんよ……』
『もう勤め口は、きまっていますわ。だって、私たちの小っちゃいのが、一番小さな妹が、それを待ち構えているんですもの。でも私は、職業を鞍変えして、乳児看護婦になりますわ……』
『それは、よその子供でなくちゃいけませんか?』
『いいえ。でも自分の子が出来るかどうですか……』
彼らは、その夜、家庭の中で、全く無邪気におしゃべりをした。『しっかりした夫を得られますかどうか、というのは、自分の子供たちの父親として持ちたいような、そしてその責任を負わせることのできるような、そんな人をです……』
『あんたは、十分に選択できますよ。』
『ああ、どんな女のスカートの廻りででも、おべっかを言い、そして、チョコレート一枚で卑しいことをしてもいいと信じるようなものは、男じゃありませんわ――全く憐れむべき人です!』

この日から、本当の嫉妬心がその支配人を捕えた。もし誰かが来て、ヨゼフィンを征服し、彼女を連れ去ったら……彼は早くも頭の中で、彼女の襟首をつかんで引廻した! そんなことが起ってはならない。――さてヨゼフィンが、また出勤して来たとき、彼はこの太陽の光を確保するために、何をなすべきかを急に知った。元来、そんな綺麗な娘を事務所で古い書類のように、塵まみれにしておくことは、気の毒であった。しかも彼の住宅は、空っぽだった。彼はその二部屋に家具を備えつけておいた。年寄りの家政婦が、やっとその家の中を整頓していた。一体、何が彼のしようと思っていたことを妨げたであろうか?
それは、容易に同意を得べくもなかった。彼が、長い間考慮した揚句、ある日、ちょっと小さな突擊を敢行したところ、ヨゼフィンは非常に咎めるように、かつ悲しそうに彼を見つめた。『でも、支配人さん……』と、あたかも天が半分くずれ落ちたかのような眼つきをして、ただそう言ったきりであった。涙が眼の中に光っていた……

そこでとうとう彼は、古来の確かな道が最良のものであるということに考えついた。彼は、その日のうちに、駅長のところへ行って、その娘さんに求婚した。父親は、彼をお婿さんにすることは、恐らく満足であり得たであろう。彼は真直ぐな男であり、同じ信仰を持っており、保証された社会的地位を持っていた。ヨゼフィンは、すでによほど以前から、知らず識らずの間に、その支配人が好きになっていた。ところが、初めて、きょうという日に、何かがいつもより変っていることに気がついた。彼女は、彼もまた、ほかの男たちと同じだということを痛切に悟って悲しんだ! しかし、その誤解は、晴れ上った。そして親愛なる太陽は、再び笑った。
ヨゼフィンは、ヨゼフが卒業するまで、勤めを続けたいと思った。父親は、しぶしぶながら、彼女がさらにその婚約者と一緒に働くことに同意した。
『お前、いつもよく注意して純潔でいなさいよ。お母さんと私が、いつお前を見ても決して困る必要がないように、万事がなっていなければいけないよ。礼儀上のキッス、それはよろしい。しかし多すぎないように、いいかね、多すぎないように。お前は、そんなに長い間、忠実に身を守って来たのだから、今もまだ身を落してはいけないよ。愛する人に対しても、絶対にお前の純潔を守りなさい。』

一度、支配人は燃え上がる激情のため、少し我を忘れたことがあった。しかし、直ちにその娘の心の中には、防衛の構えが作られた。
『パウロさん、一体、きょうは、私を何と考えていらっしゃるの? 私はあなたに、そんなことをさせるきっかけを与えたでしょうか? もしあなたが、あす来て、許しを乞わなければ、私たちは、もうお分れです。』 そして彼女は行った。それは、仕事じまいの時刻より一時間前のことであった。

翌日の日曜日に、支配人はもう朝の八時頃に、停車場の小さな職員住宅の前に立っていた。いま直ぐヨゼフィンをあえて訪問していくかどうかを決し兼ねて。その娘が、彼にとってはいかなる宝であるかということを、今はじめてよく知った。彼は、非常に真直ぐな人であったから、自分がいかに甚だよくなかったかを認めたのであった。

私は、その結婚式から満一年後に、初めての女の子をとりあげたとき、この婚約物語を聞いた。この話は、支配人が自身で、お産の夜、妊婦を見守っていた際、話してくれたものであった。よくそういう時に、人があれやこれやの話をするように。
『私の家内がかつてそうであったように、すべての娘さんたちが、そのようであるなら、大抵の結婚もきっと幸福になるでしょう。結婚改善がいろいろ企てられていますが、その際、人の考えつかない一番の弱点が、まさにこの点にあるのです。それは、結婚前の純潔ということです。このことは、私を信じて下さい。もし、人々が結婚前に純潔を守ることが出来るならば、問題は、九〇パーセントまでは解決されるでしょう。』

かようなわけで、ヨゼフィンは、幸福な結婚への基礎を置いた。彼女の夫は、自分の妻を全く心より尊敬することを、よい時期に学び、そして二人の若々しい幸福の上には、過去のいかなるわずかな陰影すらない。その家は、砂の上に建てられたのではなく、岩の礎の上に立っているのである。






2020年8月23日 聖ピオ十世会 聖伝のラテン語ミサの報告 Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka, SSPX Japan

2020年08月23日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

聖霊降臨後第十二主日のミサを捧げることができました!

東京では82名、大阪では23名が聖伝のミサに与ることができました!天主に感謝いたします。日本で合計105名でした!

また今回は、聖ピオ十世会アジア管区の神学生たちのために、寛大な献金をありがとうございました!東京と大阪とからは108,691円が集まりました。

今日は、入祭文で「天主よ、私の助けに来たり給え、主よ、私を助けに急ぎ給え」と、悪魔から身ぐるみ剥がれて、半死半生となっている私たちが、良きサマリア人の助けを求めて祈るようなところからミサが始まりました。

第二のモーゼとも言えるイエズスの祈りと犠牲と取り次ぎを経て、良きサマリア人であるイエズスの介護と介抱を受けて、イエズスの御血と御体に生かされて、ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油において顔を喜ばせ、パンは人の心を強め、ミサが終わる頃には私たちはすっかり回復していた感じがしました。

頂いた報告をご紹介いたします。

東京と大阪とでミサが滞りなく、スムーズに行くことができるように、陰で働いてくださっている兄弟姉妹の方々には、心から感謝いたします。天主様が、マリア様が、何百倍にして報いて下さいますように!

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

今日東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計82人でした。

09:00のミサ
男: 20人(内、子供2人)
女: 18人(内、子供2人)
計: 38人(内、子供4人)

11:00のミサ
男: 15人(内、子供3人)
女: 13人(内、子供4人)
計: 28人(内、子供7人)

12:30のミサ
男: 7人(内、子供0人)
女: 17人(内、子供1人)
計: 24人(内、子供1人)

3回のミサの合計(ダブルカウントの8人を除く)
男: 39人(内、子供5人)
女: 43人(内、子供7人)
計: 82人(内、子供12人)

【報告】
第二献金(アジアの神学生のため)
09:00のミサ中の献金:29,856円
11:00と12:30のミサ中の献金:46,635円
ミサ中献金計:76,491円

【報告】
今日の、聖ピオ十世会アジア管区の神学生のための大阪の第二献金は、32,200円でした。



【秋田巡礼での写真】

2020年8月23日(主日)前後の聖伝のミサの予定:Traditional Latin Mass for August 23, 2020

2020年08月23日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。

最新情報は次のカレンダーをクリック
年間の予定はSSPX JAPAN MISSION CALENDARをご覧下さい。

今週末:2020年8月21日(金)22日(土)23 日(主日)のミサの予定を再確定します。予定通りです。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

 8月21日(金)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 8月22日(土) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

 8月23日(日) 17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 8月24日(月)  06:30 ミサ聖祭

【東京】 7月5日(日)から、東京では会場がもと通り、これまでの会場になりました。

これまでの会場は「聖ピオ十世会 聖なる日本の殉教者巡回聖堂」 東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図

8月23日(日)主日ミサが三回捧げられます。

午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。二階です。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。二階の告解の部屋に司祭は待機しております。

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of August 23, 2020.

Mass times in Tokyo:
09:00 - Sung mass Facebook live
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.
Mass location:
"Holy Japanese Martyrs' Mass Center"
Akebonocho Jido-kaikan
1-12-5 Honkomagome, Bunkyo-ku, Tokyo

Mass schedule in OSAKA:

Fri, August 21: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Sat, August 22: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, August 23: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Mon, August 24: Holy Sacrifice of the Mass at 06:30 am.







「良きサマリア人」のたとえ_主イエズス・キリストこそがこのサマリア人であり、瀕死で横たわるのは人類なのです。人類はこの大恩人に何をしなければならないのでしょうか?

2020年08月23日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2020年8月23日は聖霊降臨後第十二主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「聖霊降臨後第十二主日の説教」の動画をご紹介いたします。

8月をマリア様の月として良く過ごしましょう。今日の主日を聖として良くお過ごしください。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介ください。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


聖ピオ十世会のアジア管区神学生たちの為の特別献金

2020年08月22日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

今日は、日本の最上位の守護者である聖母の汚れなき御心の祝日です!おめでとうございます!

さて明日の主日のミサでは、東京でも大阪でも、アジア管区の方針で、第二特別献金をミサ中にお願いすることになっております。

意向はアジア管区の神学生たちの為です。ご賛同下さる方は是非ご寛大な援助をお願い申し上げます。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田神父





「助産婦の手記」30章 今こそ自分で作ったスープを飲みほさねばならぬのだ!

2020年08月22日 | プロライフ
「助産婦の手記」

30章

『世の中に空席が出来るように、一度戦争がなければならないですね! 人があまり多すぎるんです。若い人たちは、もうどこへ行っても職にありつけないんです。若者をどうすればいいんでしょう……』
『でもヘルツォーグ奥さん、もし戦争があると――あなたも、いま、十七と十六のお子さんが二人おありですね……もし、お子さんがそのとき出征して、弾丸にあたって死なれたら……そうなったら、いかがですか?』
『ああ、私の子供たちの番になるまでには、長くかかるでしょう。今日では、戦争は六週間で終ってしまうんですよ……』
『しかし六週間のうちでも、戦死者と傷痍(しょうい)者とは、どうしても沢山できるでしょう。もし、あなたのお子さんがそうおなりにならなくても、ほかのお母さんの子供がそうなるのでしょう。』
『でも、今のままでは、二進(にっち)も三進(さっち)も行きません。人は皆、もっとよい時節が来るように戦争がもう一度なければならないと言っていますよ……』
『ヘルツォーグ奥さん、あなたはもう覚えてはいませんか、一八七〇年の戦争不具者たちが、蔵の市やその他、街角に坐って、物乞いをしていたのを? そんなことを言うだけでも罪ですよ……』
『まあ、これは御免なさい……でも、今度は、そういう人たちの保護のため、何か条件をつけるんですね、そうすれば、きっとよく世話ができるでしょう……』

ヘルツォーグ奥さんは、その長女のお産が近づいたので、世話をしにここに来ているのである。いま彼女は、ちょうどコーヒーを運んで来て、私たちのいる寝室に坐りこみ、そして自分の博識を振りまわしたのであった。というのは、こういうわけだ。旦那さんのヘルツォーグ氏は、工場に勤めていた。彼は、仕事じまいの後とか、特に土曜日や日曜日の朝には、時おり、村人の髭を剃ってやったが、そのとき、彼のベターハーフたる妻は、石鹸の泡を塗る習慣だった。その際、彼女はもちろん、男たちの会話のあらゆる断片をつかまえ、そしてそれを彼女一流の話術で、再び人に話して聞かせるように努めたのであった。

一度、戦争がなければならない!
それは、一九一二年のことでめった。この考えが、どこから来たのか判らない。風に吹き寄せられたように、それは突然やって来た。繰返し繰返しそれは現われた。一つの定見のように、それは人々の頭の中に、しっかりこびりついた。人々は、一体、自分たちが何を言っているのか、全然知らない。その背後には、何十万人にとっての不幸、困苦、死など、およそ何が横たわっているかを考えない。もっとよい時節に対する非合理的な希望が、こういう口癖を作っていた。人が普段、よく『もう、二進も三進も行かない。』と言うように――人々は『また戦争がなければならない。』 という恐ろしい言葉を、語りはじめたのである。

この村ばかりではない。先週、私たちは年次助産婦大会を州の首府で開いた。この折りにも、またこう言われた。人々が到るところで、戦争のことを、そして戦後のもっとよい時節のことを語っているのは、非常に注目すべきことだと。今日となっては、こう言いたい。大きな事件は、その影をあらかじめ投げるものである、と。しかし、当時においては、人々はその意味を解く術(すべ)を知らなかった。一体、私たち助産婦というものは、新しい子供が生れて来ようとしているときに、非常にしばしば心配に満ちて、人生の入口のところで、辛抱づよくそれを待ち受け、そしていかなる母の悩みが、子供の誕生と結びつけられているかということを、每日見、かつ聞いているのであるが、この私たち助産婦にとっては、いかに人が根拠も理由もなしに戦争のことを、破壊のことを云々することができるかということは、二重に理解できないのである……
『弾丸は、全部あたるものじゃありませんよ。それに、人によっては、一度暫らくの間、性根(しょうね)をすえて白刃の下に身をさらすことも、為めにならないことはないでしょうと、ヘルツォーグ奥さんは、三杯目のコーヒーを飲みながら、しっかりと言った。『大酒飲みの習慣が、なくなるかも知れませんね……』
話がこの具体的な事柄に向って、そんなに急転換をしたので、私はそれを外らすことができなかった。私は驚いて、若い母の方を見た。しかし、彼女は、それを全く冷静に受け取った。恐らくきょうは、母親と同じ意見なのであろう。有名な酒飲みの夫との三年の結婚生活は、どんな薔薇色な雲でも、どんな黄金色の希望でも、恐らく黴(か)びさせることができるであろう。

さて彼女は、結婚してから三年になり、そして四番目の子供を生もうとしている。十ヶ月每に一人できたわけである。しかし、それは不幸な憐れな子供たちで、数週間ずつ早く生れた。一番上のが、まだ独りで自分の脚で立っていることができないのに、もう四番目のが生れるのである。ここに困難があり、粗末な取扱いが生じるわけであるが、こんなひどいのは、私も見たのは稀れであった。どこも、かしこも、汚物とぼろばかり――そして、その外には何もない。たぶん最も必要な家具があるだけで、他のすべてのものは、すでに飲みつぶされていた。三人の子供は、一つのベッドに寝ているが、その布団は、いつも濡れているのに、ちっとも乾されないから、もう半分腐っている。一番上の子供にしても、まだ実に不潔だから、年下のは、全くお話の外である。ベッドの敷布も、ぼろで出来ている。お祖母さんは、もう余程以前から、子供たちを少なくとも一時、自分の手許に引き取ってやりたいと思ったのであるが、お祖父さんは、それを許さなかった。彼は、かつては、あらゆる手段をつくして、その娘の結婚に反対したのであるから、今さら娘を助ける気にはなり得なかった。今こそ娘は、自分で作ったスープを飲みほさねばならぬのだ!

彼女の夫は、評判の酒飲みであった。しかし非常に狡猾で意地悪かったので、誰も彼に近づくすべを知らなかった。彼は工場の技師で、職場では不思議にも自分の職務をよく果した。しかし每晚、泥醉して帰宅し、妻を虐待した。それも、彼女が私に語ったところによれば、夜だけではないようだ。もし彼女が逆らおうとでもするなら、恐ろしい場面となって、彼女は、結局、暴力に屈服したのであった。彼女は小柄で弱々しい女だったのに、彼は逞しく頑丈な奴であった。そこで彼女は、結婚して数年たつうちに、抵抗を全く放棄したのである。それに、その家では、実社会で非常にその例が多いように、妻は夫に依存していた、何だかんだといっても。次ぎのことは、私の解き得ない一つの謎であるが、しかし一つの事実である。というのは、妻が夫から最も人格を無視した取扱いを受けていながら、よくも夫を簡単に放棄し、捨て去ることのできぬぐらい、そんなに強く夫に結びつけられていると感じておれるものだ、ということである。この話の場合には、さらになお、一つの道徳的要素が加えられている。

『リスベートさん、もし私が離婚して、ここを去ってしまうと、あの人はどうなるでしょうか? 完全に破滅してしまわないでしょうか? なおもっと、ほかの娘たちを不幸にしないでしょうか? 私は一度あの人と結婚したんです。あの人は、いつかは、このことが判るでしょう。もし私が、もう一度、そうせねばならぬのでしたら、すると……でも、それはもう出来てしまったことなんです……』
彼女は結婚する前に、いろいろ忠告を受けたのであった。主任司祭、教頭、医者のウイレ先生、それに私も極力、その男との結婚を彼女に思いとどまらしめようとした。というのは、彼は結婚前からすでに、本当の酒飲みだったから。彼女の父は、あらゆる手段を尽して反対した。私たちは、彼女に来たるべき不幸を、極彩色で描いて見せた――ところが、実際の状態は、いま現に示されているように、それとは全然ちがった遙かにひどいものであった!
『ああ、それでも、もし私が結婚してあの人についていれば、あの人は変わって来るでしょう。私のために、人が変わるでしょう。あの人は、正しい家庭を持っていないために、酒を飲むに過ぎないんです。私は、あの人の酒飲みの習慣を直せるでしょう……愛は、どんなことでもできるのです……』と彼女は、結婚前に、あらゆる道理のある忠言に対して耳を籍(か)さなかった。酒飲みというものは、周知のように、美しい約束や、うまい弁解を、非常に物惜しみせずに、するものである。彼女は、全く彼のために欺かれたのであった。結婚してから二三週間は、何のこともなかった。それから不幸が起り、そして、それは子供が出来るたびに、ますます大きくなった。彼は生計のために、すでによほど以前から妻に心配をかけた。そこで彼女は、結婚前と同様に、また勤めに出た。彼女は、彼を決して拒んだことはなかったのに、夫は妻に対して忠実を守らなかった。それは、すでに三番目の子供が膿漏痲のため、殆んど目くらになったことで判る。私は、なおも四番目のが生れるということが不思議なのである、そして、その子はどういう状態なのであろうか……?
私たちは、今年、硝酸銀の滴剤を手に入れたが、それは、あらゆる新生児に対して予防薬として使用するようにという指示を受けた。それも指示であって、服務規則ではなかった。村会は、その薬剤を私が使うのを承認しなかった。この村では、その必要はないということだった。しかし、私はそれを用意して置いて適用した。この一年間に、それがこの村でも、必要であったことが、すでに六回も起った。もつとも、私はそれを黙っていなければならぬのであるが――
終に、子供が生れた。憐れな赤児! どんどん拡がる水泡疹のような著しい水泡で、被われていた。しかし、その子が生後一時間で死んだのは、その子の状態から考えれば、最もいいことであった。私は、非常洗礼を間に合うように授けた。
ぼろぼろに破れたベッドの中では、三人の憐れな子供たちが、はい廻って泣きわめいていた。一人は盲目であり、他の二人は、せむし病で、栄養不良な、精神薄弱のように見える子だった。母親は、生れた子供が死んだので、泣いた。もっとも、早くも数日間のうちには、五番目の子が宿っていることが認められるであろう――もしも性病が、その間に不妊症を引き起させなければ。そのような子供たちの道徳上の性質は、どうなるのであろうか? 彼等の遺伝的素質は、どういう状態なのであろうか? そのような場合に、最も悲惨な生命でも、無いよりは増しだと主張するのは、まことに超人間的な信仰である……
私は、その母親に言っておいた。あなたは病気なのだから、手当てを受けにウイレ先生のところへお出でなさいと。残念ながら、彼女は、私のあらゆる期待に反して、五番目の子供をはらんだとき、やっとマルクスのところへ行った。彼が、どういう具合に彼女を説き伏せたのか、私は知らない。とにかく、彼は手術を施した――そして、その憐れな母親は、そのために出血して死んだ。マルクスは、その同じ日の夜、スイスに向けて出発した。彼が良心の上に疾(やま)しく感じているのは、あえてこの村だけのことではない。多くの婦人が、他国から彼のところへ来た。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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