萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

夕寂、 告白・秘密― side dtory「陽はまた昇る」

2011-09-11 21:56:16 | 陽はまた昇るside story
告げられる事実、隠される真実


夕寂、 告白・秘密― side story「陽はまた昇る」

夕暮の淡い光が教場を照らす。
放課後の静けさの底に、英二と湯原は座っていた。遠野の告白が、頭を廻る。

― 妻が指名手配中の容疑者と一緒にいるからです
  男は過去に、警察官を殺して服役しています
  妻は彼の幼馴染でした、そして逮捕したのは私です

― 事件の関係者と結婚したという事ですか
  はい、本来あってはならない事です

遠野は、正直苦手だ。こんな横暴な大人に会った事はなかったから。
けれど遠野は、いつも誤魔化さない。弱点を曝せるほど強い。
初めて、絶対に勝ちたい相手が見つかったと思った。

ただ、知りたかった。遠野に何があったのか。
けれど、こんなに大きな問題だとは、思っていなかった。

湯原に、父親の事を皆の前で話させた、あの時と同じじゃないか

ひとつ開けたむこうに座る、湯原の顔を、見られない。
ため息をつき、英二は目を閉じた。

「俺、また失敗したな」
「…失敗?」

落着いた声が、すこし後ろから低く響く。
いつも通りの声音が、英二をすこし和ませた。けれど目を閉じたまま、英二は口を開いた。

「言いたくない事を、皆の前で話させた」

やや息を呑んで、英二は言葉を続ける。

「湯原の時と同じ事、また、やったんだよな」

何も苦労せず悩む事もなく、要領よく生きてきた自分は、訊かれて困る事なんてなかった。
訊かれる事が、痛みを穿つ事になるなんて、知らなかった。

― これからは普段なら出会う事のない 凶悪犯に立ち向かう
  大切な人の命を奪われ、打ちひしがれた遺族の前に立たなければならない

現場に立ったら、その悲しみを訊かなくてはならない。
自分は本当に、警察官として相応しいのだろうか。

かすかに気配が動き、かたんと椅子引く音が響く。
すぐ隣に、穏やかな空気がふっと揺れた。

「宮田、」

落着いた声が、隣から降ってくる。けれど英二は、目を瞑ったままでいた。
普段通りの口調で、湯原が言った。

「遠野教官、笑っていたから」
「遠野が、笑う?」

意外さに英二は、目を開け見上げてしまった。黒目がちの瞳がふっと微笑んだ。

「かすかだけど笑ってた」

すっきりしたんじゃないのかな、教官も。言いながら湯原は、隣の机に浅く凭れた。

「…そっか」

英二も椅子に凭れかかり、ほっと息を吐いた。
ゆっくりと西日が教場に射しこんでくる。英二の机に、隣から影が翳し始めた。
ぼそりと湯原が言った。

「俺も、すっきりしたから」

隣を見上げると、黒目がちの瞳がこちらを見ている。
軽く口元を結び直してから、湯原はまた唇を開いた。

「父さんの事、拳銃の事。話して、すっきりした」

抑揚のない声で言うと、湯原の目は伏せられた。
英二の切長い目許に、かすかな熱が浮かぶ。

「…ありがとう、な」

周りを気遣える男になりたい。湯原の父の事を、英二は思い出していた。
目許の熱が、頬つたって落ちていく。

俺って、こんなに泣くヤツだったかな

警察学校に来てから、泣いたり怒ったりした。前はただ笑ってばかりいたのに。
でもこういうのも、悪くないよな。
思いながら、涙拭こうと手の甲を上げかけた時、不意に、すべらかな感触が頬に触れた。
湯原の指が、そっと眦を拭っている。

「湯原、」

覗き込む顔が、ほんの少し近い。
教場を照らす西日の、陽射しが頬におちて明るんだ。
きれいに涙拭っていく指の、触れる温かさが、英二の心を浸食していく。
これ以上、触れられたら。求めたい心を諦める事なんて、出来るのだろうか。

「ほんと泣き虫だよな、宮田は」
「…じゃ、もう泣かね」

涙拭い終わった指が、軽く目許を叩く。
その指を、英二の長い指が絡めとってしまった。

触れてしまいたい、もっと

心が軋んでいくのを、英二は唇噛み締める。
目の前の、黒目がちの瞳が、怪訝そうに覗き込んだ。

「宮田?」

どうしたと、落着いた声が訊いてくれる。
こんな時でも、湯原との空気はどこか穏やかで、やさしい。
握りしめた指に、英二は目を落とした。その手首の、青い袖が目に入る。
警察官の制服を、自分も湯原も着ている。

― 俺は絶対に警察官にならなきゃいけない理由があるんだ

警察学校内の禁則。
男同士の恋愛沙汰なんて、きっと退職だけの問題ではない。

傷つけたくない、失いたくない。湯原の想いを叶えてやりたい。
願っていいなら、湯原の穏やかな空気を、壊されたくない。

この隣の空気が、俺は好きだ

何も求められない、英二は目を閉じた。

「だいじょうぶか?宮田」

結んだままの唇を、英二は少し綻ばす。
目を開くと、普段通りに笑って、湯原の顔を見上げた。

「今日の授業の、復習しようぜ」
「その前に、手、離してくれない?」

淡々と湯原は言い、繊細なくせに勁い視線で、英二の顔を覗き込んだ。
黒目がちの瞳を、長い睫毛が翳す。西日を横顔に受けて、頬おちる睫毛の影が鮮やかだった。

きれいだ

至近距離で見せられて、英二は少し複雑な気持ちになった。
思わず口を吐いて、言葉が零れた

「やっぱり湯原、かわいいよな」
「そんなこと言うの、宮田くらいだよ」

眼科行った方が良いんじゃない。落着いた声で言いながら、湯原は自席に戻ってしまった。
さっさとノートや教本を、湯原は鞄に詰めていく。

「学習室行くんだろ?早く支度しろよ」
「おう、」

湯原が触れた目許に指をあてると、どことなく温もりが残っている。
教本を鞄に入れながら、遠野の言葉が思い出された。

― 狭い取り調べ室でのやりとりが、被疑者の人間観を今後の人生を左右する
  ここで被疑者が人生を投げたならば、その者は再び罪を犯す
  取り調べが最後の砦だと言うのは、そういう意味だ

湯原のような想いをする人が、少しでも減ってほしい。
手を動かしながら、英二は言った。

「俺さ、取調の名人になりたいな」

かちりと鞄の蓋が閉じる音がし、落着いた声が答えた。

「宮田なら、なれるよ」

おう、なるぞ。言いながら、英二は微笑んだ。

「湯原に言われると自信、持てるよなあ」
「ただし、努力がかなり必要だと思うけど」

喋りながら並んで、扉を出ていく。歩き出した廊下を、夕暮のオレンジ色が濃く照らしていた。


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翠風、衝動 ― side story「陽はまた昇る」

2011-09-11 02:16:03 | 陽はまた昇るside story
風さそう はなのいろ


翠風、衝動 ― side story「陽はまた昇る」

群青濃い空を、雲が横切り流れている。開け放した窓から夜風が、そっと頬を撫でた。
起き上がり、室内燈をデスクライトに落とす。仄かな光の青白い色調は、苛立ちを少し治めてくれた。

― いくら教官でも、プライベートにまで立ち入れないよ
 
湯原の言う通りだった。
ベッドに座り直し、英二は片膝を抱えた。

― 解ったような顔して、結局、何もしないだけだろ

酷い、言い方をした。
英二はため息を吐き、膝に額を当て俯く。

結局何もしないだとか、解ったような顔だなんて、昔の俺自身だよな

英二が脱走した時、制止したのは湯原だ。
女子寮侵入の疑いを掛けられた時も、手伝ってくれた。山岳訓練では、救助の為に怪我まで負っている。
湯原が何もしなかった事なんて、無い。

― 教官の奥さんって、どうなったのかな

誰よりも先に、遠野を気にかけたのも湯原だった。
冷静な顔をしているけれど、見過ごす事は決してしない。

― 顔に出ないだけだよ

その事を、英二はよく知っている。

それなのに

酷い言葉と態度で、置き去りにした。幼稚さを見透かされて、居た堪れなかったから。
為す術を知らない自分が、もどかしくて、悔しい。
ぽつんと英二は呟いた。

「傷つけた、かな」

苛立つ心に、かすかな香がふっと届いた。
顔を上げた目の前に、少し気まずそうな表情の湯原が立っている。

「…ノックしたんだけど、返事無かったから」

ぼそりと湯原は言った。伏せられた睫毛で、瞳の表情が見えない。

「いつから、そこに居た?」

英二が訊くと、尚更に気まずそうな顔になる。軽く唇を噛んでから、湯原は口を開いた。

「傷つけたかな、あたりから、なんだけど」
「…あ、」

英二は立ち上り、湯原に頭を下げた。

「今日は、ごめん」

すこし湯原の顔があがり、黒目がちの瞳がこちらを見る。

「自分が不甲斐なくて、もどかしくて。八つ当たりした」

本当に悪かったと頭を下げる。
もう、呆れられたのだろうか。英二は唇を噛んだ。

「…」

かすかな吐息が聞え、英二は目を上げた。
湯原が真直ぐに見ている。その黒目がちな瞳がゆっくり瞬き、口を開いた。

「俺、」

湯原は何を言うんだろう。英二の心で、不安が靄になる。
だが、湯原の口調は、いつも通りだった。

「今度の外泊日、ラーメン食いたいんだけど」

また、ラーメンでいいのかよ。英二は笑った。

「この間より、もっと旨いとこ、連れて行ってやる」
「楽しみにしとく」

ぼそっと言って、かすかに湯原は笑った。その横で風に、カーテンが大きく揺すられる。
吹きこんだ風は、湯原の洗いたての髪を乱して、秀でた額を隠した。
黒目がちの瞳に、すこし伸びた前髪が落ちかかる。

「風が、涼しいな」

風に瞳を細め湯原は、ほのかに微笑んだ。
掻き揚げようとした湯原の手を、英二の長い指が掴んだ。

「なに?」

途惑ったような声で、湯原が英二を見上げた。長い睫毛が僅かに震えている。
手を離し、英二は湯原の髪に触れた。

「やっぱり前髪、おろした方が似合うな」

濡れた前髪に、長く細い指が絡まる。かすかな香が指先から零れた。
その指先が、僅かに震えてしまう。

こんなに近くに居るのに

このまま抱きしめてしまえたら、どんなに楽だろう。
濡れた髪に顔を寄せる。穏やかで潔い香が、英二の頬を掠めた。

「あ、俺好みの匂い。俺もこれ使ってみようかな」

掠れそうな声を、いつも通りの口調で隠した。
仕方ないなという風に、湯原はされるがまま髪に触れさせている。

「あんまり、勝手に触るなよ」

心が軋みをあげる。胸がこんなふうに傷むことを、英二は知らなかった。
ゆっくり1つ瞬いてから、英二は顔を離した。

「湯原が使っているの、なんていうやつ?」

普段通りの声で、英二は微笑んだ。
けれど、軽く握りこんだ指先は、妙に冷たくなっていた。

「なんか、適当に買ったやつだから」

よく分らないと呟く湯原の、首筋は紅色だった。

きれいだな

夜風がカーテンを揺らし、夜露で濃くなる樹の香が漂っている。
こんな場面なのに、流れる空気は穏やかだった。
どさりと英二は、ベッドの縁に腰掛けた。

「さっきの電話。遠野のやつ、いつも通り偉そうでさ」

拗ねたような口調で、湯原の顔を英二は見上げる。
ふっと湯原が微笑んだ。

「訊いて、すぐ答えるような人じゃないだろ」

普段通りの、落着いた声。
繊細だけど勁い視線が、英二をからかうように眺めている。

「宮田が、単純すぎるんだよ」

言いながら、隣に腰をおろす。隣り合わせる距離は、いつもと変わらなかった。
よかった、避けられていない。
温かな安堵が、冷えた指先にまで浸みるのを、英二は感じていた。

「どう聞いたら、話してくれるのかな。遠野」

英二の言葉に、難しいんじゃないかなと湯原が言った。

「もし本当に、奥さんが重大犯罪に関わるのなら、話し難いと思う」

いったん唇を結んで、湯原が真直ぐ英二の目を見た。

「詮索するの、俺は苦手なんだ。父親の事とか訊かれるの、嫌だったし」
「…ごめん、」

無神経な自分に、英二は気がつかされる。
湯原自身が、家族を重大犯罪で亡くしている。気遣えなかった迂闊さが、悔しい。
ため息がこぼれた。

「俺って、本当馬鹿だな」
「ふうん、自分を解っているんだ」

隣へ目を上げると、からかうような笑みが湯原の目に浮かんでいた。
どうせ馬鹿ですからと笑い、英二は言った。

「チャーハン、付けて良いからな」
「中華丼とかの方が、好みなんだけど」

おろされた前髪の下で、黒目がちの瞳が笑う。その繊細で勁い視線が、英二は好きだ。
指先に、触れた髪の感触と香がまだ、残っている。

― 求める事は、しない

けれど、求める心を誤魔化す事は、どこまで出来るのだろう。
隣では、湯原が窓の外を眺めている。
互いに無言で考え事をしていても、空気は穏やかに満たされていた。

湯原の隣は、忘れられない。きっと

居心地のいい隣で、過ごした記憶。この部屋は、忘れられない場所になる。
けれど本当は、現実のまま隣に居たい。
どこまで想いを、誤魔化す事が出来るんだろう。

英二は立ち上って机に手を伸ばし、教本を取出した。

「取り調べの練習、しようぜ」

今は練習だけれど、数ヵ月後には現場での業務になっている。
その時には、自分はどこに居るのだろう。

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