当然のようにある事の、あやうさ
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夕寂の許、凪風 ― another,side story「陽はまた昇る」
夕暮の淡い光が、机に落ちかかった。部活動の声が遠く聞こえる。
がらんとした教場で、斜め前に座っている宮田の背中が、ゆっくりとうなだれた。
「俺、また失敗したな」
「…失敗?」
周太の問いに、宮田が続ける。
「言いたくない事を、皆の前で話させた。…湯原の時と同じ事、また、やったんだよな」
斜め後ろからでは、顔はよく見えない。それでも背中の表情が、宮田の落ち込みを伺わせる。
もうすこし、近くに行った方が話しやすそうだ。周太は立ち上った。
すぐ隣へ歩み寄ると、宮田は腕組み、目を瞑っていた。
「宮田、」
声をかけても、瞑った目は開かない。相当、落ち込んでいるのだろう。
以前の宮田からは、こんな姿は想像できなかった。それとも今の姿が、本来の宮田なのだろうか。
普段通りの口調のまま、周太は口を開いた。
「遠野教官、笑っていたから」
きれいな切長い目が開き、見上げてきた。
「遠野が、笑う?」
「かすかだけど笑ってた。すっきりしたんじゃないのかな、教官も」
すこし微笑んで、周太は隣の机に浅く凭れた。
「…そっか」
宮田も椅子に凭れかかり、ほっと息を吐いた。
幾分は落ち着いたのか、空気がすこし穏やかになっている。
誰かの隣で、こんなふうに周太が立つのは、いつ以来だろう。
父が殉職して以来、同情や好奇を向けられる事が煩わしくて、少しずつ、他人とは距離をとるようになった。
ここに、警察学校に来てから、少しずつ肩の力が抜けて行くように感じる。
目の前で、宮田の短めの髪が、夕陽に光っている。
端正な横顔は、落着いた表情を見せていた。
本当に、少し前とは別人のような、良い顔をするようになったと、周太は思う。
父の話を、無理に引き出させたのは、宮田だった。
宮田の無神経さに、腹が立った。普通であることが当然だと信じている様な、ぬるい人間に何が解るのだろう。
警察官の危険な現実を教えてやればいい、覚悟が出来ないなら辞めろ。そう思って父の事を話し始めた。
けれど、話したら少し、すっきりしていた。
-強くなれ
遠野教官の言葉が、周太を受け留めたからかもしれない。
そして、宮田が父を受け留めてくれた。
-俺、湯原の親父さんみたいな警官、目指したい
警官は精神的に削られるだろ。それでも周りの人を忘れない男に、俺もなりたい
お前の親父さん、俺は尊敬する
殉職を同情するのではなく、先輩として男として、宮田は父を見てくれた。
そういう精神の健やかさが、宮田の良いところだと周太は思う。
あの時、周太は宮田に救われた。その事を、まだ伝えていない。
気恥ずかしいけれど、今が伝える時かもしれない。
ぼそりと周太は言った。
「俺も、すっきりしたから」
「…え、」
端正な顔が見上げてくる。
軽く口元を結び直してから、周太はまた唇を開いた。
「父さんの事、拳銃の事。話して、すっきりした」
抑揚のない声で言うと、周太は目を伏せた。
父も学んだ警察学校で、殉職した父の事を話せたのは、良い供養だったのかもしれない。
宮田は何も知らずに話させたけれど、そう思うと少し、感謝したくなる。
「…ありがとう、な」
宮田の声が、かすかに震えている。
切長い、きれいな目許から涙があふれ、頬つたって落ちていく。
周太は、そっと指で眦を拭ってやった。
「ほんと泣き虫だよな、宮田は」
本当に宮田は、よく泣く。その素直さが、周太には少し眩しい。
素直に涙流すことを、周太はもう、捨ててしまっていた。
父が殉職したあの日、多くのものを捨てさった事を、改めて思い知らされる。
「…じゃ、もう泣かね」
宮田の微笑んだ呟きに、周太は涙拭った指で、軽く目許を叩いてやった。
その指を、宮田の長い指が絡めとってしまった。
「宮田?」
どうしたのだろう。
宮田は時々、こんなふうに触れたがる。
― 俺は、寂しがり屋だから
スキンシップが少し過剰なのは、一人ではない事を、感触でも納得する為かもしれない。
気がつくと、宮田が目を閉じている。具合でも悪くなったのだろうか。
「だいじょうぶか?宮田」
だが宮田は、目を開くと、普段通りに笑って、周太の顔を見上げた。
「今日の授業の、復習しようぜ」
「その前に、手、離してくれない?」
淡々と周太は言いながら、宮田の顔を覗き込んだ。
切長い目が、一瞬すうっと細くなったが、いつも通りにまた笑った。
「やっぱり湯原、かわいいよな」
「そんなこと言うの、宮田くらいだよ。眼科行った方が良いんじゃない」
落着いた声で言いながら、周太は自席に戻った。赤くなる首筋は、見られたくない。
さっさとノートや教本を、鞄に詰めながら、宮田に声を掛けた。
「学習室行くんだろ?早く支度しろよ」
「おう、」
手を動かしながら、宮田は言った。
「俺さ、取調の名人になりたいな」
屈託なく笑いかけられたら、人は喋ってしまうかもしれない。
鞄を閉じながら、周太は少し考えて言った。
「宮田なら、なれるよ」
嬉しげに宮田が笑った。
本当に表情がよく変わる、素直な情感が宮田の良さかもしれない。
他人と関わるのが苦手な周太でも、裏表ない宮田の傍は、楽だった。
「湯原に言われると自信、持てるよなあ」
気楽な事を言うものだ。
つい周太は、混ぜっ返してやりたくなった。
「ただし、努力がかなり必要だと思うけど」
喋りながら並んで、廊下を歩く。こんなふうに、誰かと他愛なく話しながら歩くのは、悪くない。
周太は少し、宮田の隣を居心地良く思い始めていた。
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