萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

夕寂の許、凪風 ― another,side story「陽はまた昇る」

2011-09-16 21:58:59 | 陽はまた昇るanother,side story

当然のようにある事の、あやうさ



夕寂の許、凪風 ― another,side story「陽はまた昇る」

夕暮の淡い光が、机に落ちかかった。部活動の声が遠く聞こえる。
がらんとした教場で、斜め前に座っている宮田の背中が、ゆっくりとうなだれた。

「俺、また失敗したな」
「…失敗?」

周太の問いに、宮田が続ける。

「言いたくない事を、皆の前で話させた。…湯原の時と同じ事、また、やったんだよな」

斜め後ろからでは、顔はよく見えない。それでも背中の表情が、宮田の落ち込みを伺わせる。
もうすこし、近くに行った方が話しやすそうだ。周太は立ち上った。
すぐ隣へ歩み寄ると、宮田は腕組み、目を瞑っていた。

「宮田、」

声をかけても、瞑った目は開かない。相当、落ち込んでいるのだろう。
以前の宮田からは、こんな姿は想像できなかった。それとも今の姿が、本来の宮田なのだろうか。
普段通りの口調のまま、周太は口を開いた。

「遠野教官、笑っていたから」

きれいな切長い目が開き、見上げてきた。

「遠野が、笑う?」
「かすかだけど笑ってた。すっきりしたんじゃないのかな、教官も」

すこし微笑んで、周太は隣の机に浅く凭れた。

「…そっか」

宮田も椅子に凭れかかり、ほっと息を吐いた。
幾分は落ち着いたのか、空気がすこし穏やかになっている。

誰かの隣で、こんなふうに周太が立つのは、いつ以来だろう。
父が殉職して以来、同情や好奇を向けられる事が煩わしくて、少しずつ、他人とは距離をとるようになった。
ここに、警察学校に来てから、少しずつ肩の力が抜けて行くように感じる。

目の前で、宮田の短めの髪が、夕陽に光っている。
端正な横顔は、落着いた表情を見せていた。
本当に、少し前とは別人のような、良い顔をするようになったと、周太は思う。

父の話を、無理に引き出させたのは、宮田だった。
宮田の無神経さに、腹が立った。普通であることが当然だと信じている様な、ぬるい人間に何が解るのだろう。
警察官の危険な現実を教えてやればいい、覚悟が出来ないなら辞めろ。そう思って父の事を話し始めた。
けれど、話したら少し、すっきりしていた。

-強くなれ

遠野教官の言葉が、周太を受け留めたからかもしれない。
そして、宮田が父を受け留めてくれた。

-俺、湯原の親父さんみたいな警官、目指したい
 警官は精神的に削られるだろ。それでも周りの人を忘れない男に、俺もなりたい
 お前の親父さん、俺は尊敬する

殉職を同情するのではなく、先輩として男として、宮田は父を見てくれた。
そういう精神の健やかさが、宮田の良いところだと周太は思う。

あの時、周太は宮田に救われた。その事を、まだ伝えていない。
気恥ずかしいけれど、今が伝える時かもしれない。
ぼそりと周太は言った。

「俺も、すっきりしたから」
「…え、」

端正な顔が見上げてくる。
軽く口元を結び直してから、周太はまた唇を開いた。

「父さんの事、拳銃の事。話して、すっきりした」

抑揚のない声で言うと、周太は目を伏せた。
父も学んだ警察学校で、殉職した父の事を話せたのは、良い供養だったのかもしれない。
宮田は何も知らずに話させたけれど、そう思うと少し、感謝したくなる。

「…ありがとう、な」

宮田の声が、かすかに震えている。
切長い、きれいな目許から涙があふれ、頬つたって落ちていく。
周太は、そっと指で眦を拭ってやった。

「ほんと泣き虫だよな、宮田は」

本当に宮田は、よく泣く。その素直さが、周太には少し眩しい。
素直に涙流すことを、周太はもう、捨ててしまっていた。
父が殉職したあの日、多くのものを捨てさった事を、改めて思い知らされる。

「…じゃ、もう泣かね」

宮田の微笑んだ呟きに、周太は涙拭った指で、軽く目許を叩いてやった。
その指を、宮田の長い指が絡めとってしまった。

「宮田?」

どうしたのだろう。
宮田は時々、こんなふうに触れたがる。

― 俺は、寂しがり屋だから

スキンシップが少し過剰なのは、一人ではない事を、感触でも納得する為かもしれない。
気がつくと、宮田が目を閉じている。具合でも悪くなったのだろうか。

「だいじょうぶか?宮田」

だが宮田は、目を開くと、普段通りに笑って、周太の顔を見上げた。

「今日の授業の、復習しようぜ」
「その前に、手、離してくれない?」

淡々と周太は言いながら、宮田の顔を覗き込んだ。
切長い目が、一瞬すうっと細くなったが、いつも通りにまた笑った。

「やっぱり湯原、かわいいよな」
「そんなこと言うの、宮田くらいだよ。眼科行った方が良いんじゃない」

落着いた声で言いながら、周太は自席に戻った。赤くなる首筋は、見られたくない。
さっさとノートや教本を、鞄に詰めながら、宮田に声を掛けた。

「学習室行くんだろ?早く支度しろよ」
「おう、」

手を動かしながら、宮田は言った。

「俺さ、取調の名人になりたいな」

屈託なく笑いかけられたら、人は喋ってしまうかもしれない。
鞄を閉じながら、周太は少し考えて言った。

「宮田なら、なれるよ」

嬉しげに宮田が笑った。
本当に表情がよく変わる、素直な情感が宮田の良さかもしれない。
他人と関わるのが苦手な周太でも、裏表ない宮田の傍は、楽だった。

「湯原に言われると自信、持てるよなあ」

気楽な事を言うものだ。
つい周太は、混ぜっ返してやりたくなった。

「ただし、努力がかなり必要だと思うけど」

喋りながら並んで、廊下を歩く。こんなふうに、誰かと他愛なく話しながら歩くのは、悪くない。
周太は少し、宮田の隣を居心地良く思い始めていた。


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翠風の煽、突風 ― another,side story「陽はまた昇る」

2011-09-16 21:18:19 | 陽はまた昇るanother,side story

むべ山風を 嵐といふらむ




翠風の煽、突風 ― another,side story「陽はまた昇る」

風呂から戻ると、デスクライトを点けて窓を開けた。
涼しい風が窓いっぱいに吹き込んでくる。心地良さに周太は目を細めた。

 宮田の奴、どうしているかな

公衆電話で、受話器を叩きつけていた。おそらく、遠野教官に電話して、素気無い態度で返されたのだろう。
遠野の性格から言って、そういう態度に出るのは解りきっているのに。
宮田は、ああいう子供っぽさと、端正な顔立ちがアンバランスだ。

隣室からの物音はないが、気配はある。
たぶん、落ち込んでいるのだろう。

 放っておいても、いいのだろうけど

脱走した夜の、宮田は直情的だった。それまでの要領良い浮薄さは消えていた。
あの夜から宮田は雰囲気が変わったと思う。
あんな風に感情がストレートだと、今も辛いかもしれない。
周太は窓を閉めた。

薄暗い廊下に出ると、隣室の扉の下から光が洩れている。
そっとノックをしたが、返事が無い。
ちょっと考えて、周太は思いきって扉を押し開けた。

「傷つけた、かな」

出し抜けに言われて、周太は少しだけ息を呑んだ。開けた途端に、急に言わないで欲しい。
そっと扉を閉めて室内を眺めると、宮田はベッドで、ぼんやり座りこんでいる。その端正な顔は無防備で、周太に全く気付いていないようだ。

 独り言を聞いてしまったのか

傷つけたなんて、誰の事を考えているのだろう。随分と、気まずいフレーズを聞いてしまった。
声をどう掛けたらいいのか、周太は途方に暮れた。
その目の前で、宮田の顔が不意に上がった。

「あ、」

きれいな切長い目が、驚いて見開かれた。仕方なしに、ぼそりと周太は言った。

「ノックしたんだけど、返事無かったから」
「いつから、そこに居た?」

軽く唇を噛んでから、周太は口を開いた。

「傷つけたかな、あたりから、なんだけど」
「…あ、」

宮田は立ち上り、周太に頭を下げた。

「今日は、ごめん。自分が不甲斐なくて、もどかしくて。八つ当たりした」

意外だった。
さっきの独り言は、自分に向けられたものだとは、思っていなかった。

― 解ったような顔して、結局、何もしないだけだろ

教場で言われた言葉は、本当は、傷ついた。
父が殉職してから、自分だけで考え、自力のみで解決する頑固さが、周太には備わっていった。
他人に頼る事が、父を失った同情を引き出すような気がして、嫌だった。

その態度が「解ったような顔して」と他人に言わせるのだと、周太にも解っている。
けれど「結局何もしない」と言われたのは、悔しかった。
頑固で独善的ではあるけれど、何もしなかった事なんて、自分は無いと思っている。

 でも宮田、謝ってくれるんだ

本当は少し、罵ってやりたい気持ちもあった。
けれど目の前の、悲しそうな顔を見たら、もういいやと思えた。美男は得だなと感心しながら、周太は口を開いた。

「俺、今度の外泊日、ラーメン食いたいんだけど」
「また、ラーメンでいいのかよ」

宮田が笑った。裏表の無い、きれいな笑顔で笑っている。
こういう顔されると、簡単に許せてしまう。それが周太自身、不思議だ。

 他の奴なら、こんなふうに許せないのに

自分に厳しい分、他人にも厳しくなる癖が、周太にはある。
自分に厳しくなかったら、きっと周太は生きてこられなかった。
父の殉職という現実は、遺された母と周太にとって、容易ではない。
耐えられる厳しさがなくては、心は壊れてしまったと思う。

「この間より、もっと旨いとこ、連れて行ってやる」
「楽しみにしとく」

嬉しそうな宮田の、きれいな笑顔が話しかけてくる。
こういう顔を見ているのは、何か懐かしい。ふっと周太の心が、軽くなった。

 昔は俺も、こういう顔していた

普通に幸せだった頃の写真は、周太は全部、笑っている。
宮田の笑い方と、少し似ていただろうか。

頬に風を感じた。見ると、カーテンが大きく揺すられている。
吹きこんだ風が、周太の洗いたての髪を乱して、秀でた額を隠した。
すこし伸びた前髪が、視界の上に落ちかかる。心地良さに、周太は少し微笑んだ。

「風が、涼しいな」

風に瞳を細めながら周太は、前髪を掻き揚げようとした。
その手を、不意に宮田の長い指が掴んだ。

「なに?」

途惑ったような声が出て、周太は宮田を見上げた。
すぐに宮田は手を離したが、そのまま周太の前髪に触れてくる。

「やっぱり前髪、おろした方が似合うな」

濡れた前髪に、長く細い指が絡まる。その指先が、僅かに震えているように見えた。
なぜ宮田は、いつもこんなふうに触れてくるのだろう。
途惑いながらも、そんなに嫌でも無い。そんな自分が、周太は不思議だ。

 他人に触れられるなんて、嫌いなはずなのに

宮田の顔が、ゆっくり周太の前髪へと降りてくる。
距離があまりに近くて、周太は身を引くタイミングを失った。

「あ、俺好みの匂い。俺もこれ使ってみようかな」

前髪がくすぐったい。
膝に抱きあげた父が、こんな風に頬寄せてくれた記憶が、ふっと蘇った。

 なんで宮田に、父さんを重ねるんだよ

自分の思考回路が謎だ。それでも、そんなに嫌じゃないのが、不思議だと思う。
けれど、されるがままに触れられながらも、口ではきつい事を言いたくなる。

「あんまり、勝手に触るなよ」

言いながら、首筋が熱くなってくるのが自分でわかる。
きっと赤くなってしまう。顔の表情には出ないのに、何故だか赤くなりやすい。
血流ばかりは、自制も難しい。

「湯原が使っているの、なんていうやつ?」
「なんか、適当に買ったやつだから」

夜風がカーテンを揺らし、夜露で濃くなる樹の香が漂ってきた。
風が気持ちいいな、と思っていると、宮田の顔がようやく離れた。

「さっきの電話。遠野のやつ、いつも通り偉そうでさ」

どさりとベッドの縁に腰掛け、宮田が拗ねたような口調で見上げてくる。
本当に子供みたいだ、端正な顔に不似合いで、周太は思わず微笑んだ。

「訊いて、すぐ答えるような人じゃないだろ。宮田が、単純すぎるんだよ」

言いながら、隣に腰をおろす。
隣に座る事が、ごく自然になっている。その事が周太には不思議で、なんとなく嬉しい。

「どう聞いたら、話してくれるのかな。遠野」
「もし本当に、奥さんが重大犯罪に関わるのなら、話し難いと思う」

犯罪に家族が関わる事は、他人では理解できない辛さがある。
いったん唇を結んで、周太は真直ぐ宮田の目を見た。

「詮索するの、俺は苦手なんだ。父親の事とか訊かれるの、嫌だったし」
「…ごめん。俺って、本当馬鹿だな」

きれいな顔を悲しげにさせ、宮田が呟いた。呆れるほど、顔に出やすい男だ。
警察官としては如何なものかと思うけれど、人間としては得かもしれない。
そういう顔されると、つい元気づけたくなる。
こういう時は慰めるより、からかう方が男はプライドが傷つかない。周太は笑みを含ませた。

「ふうん、自分を解っているんだ」
「どうせ、馬鹿ですから。俺は」

宮田が笑った。屈託のない笑顔が端正な顔に咲いている。

「チャーハン、付けて良いからな」

本当に奢ってくれるんだ。少し周太は意外だった。もう何度目の約束だろう、外泊日のたびに、宮田は奢ってくれる。
その後は、公園で本を読む周太の隣で、ぼんやりと宮田は座っている。
いつの間にか、それが外泊日の習慣になっていた。自分といて、宮田は楽しいのだろうか。

「焼豚丼の方が、好みなんだけど」

つい混ぜっ返したくなる。
どっちでも好きな方でいいよ、と言いながら宮田は立ち上った。
机から教本を取出して、ノートと鉛筆を渡された。

「取り調べの練習、しようぜ」
「ん、」

答えながら、鉛筆を持ってしまった。
なぜ自分は、さっさと自室に帰らないのか。周太は自分が不思議だった。


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十六夜の影、天風 ― another,side story「陽はまた昇る」

2011-09-16 02:49:07 | 陽はまた昇るanother,side story

他愛ない会話と、時間





十六夜の影、天風 ―another,side story「陽はまた昇る」

白いページにときおり、雲の影が映る。
窓際に近い場所で本を読むのが、周太は好きだ。
ゆっくりページを捲った時、扉を軽く音が、しずかな部屋に響いた。

「俺。入るよ」

トレッキングシューズを提げた、宮田が入ってきた。泥や水浸しの汚れが、すっかりきれいになっている。
自分も洗うついでだから、と周太の分まで洗ってくれた。

「しまうの、ここでいいか?」
「ん。ごめん、ありがとう」

どういたしましてと言いながら、宮田はベッドに腰を降ろした。
包帯を巻かれた周太の足を見、痛むかと聞いてくれる。

「だいぶいいよ。骨がどうかした訳じゃないし」

それでも、痛いだろうなという顔で、宮田は眺めている。
随分心配してくれる、周太はかすかに微笑んだ。

「捻挫で済んだんだ。ラッキーだよな」

言いながら、周太は壁に寄りかかった。
長い事、同じ姿勢で座っていた為か、少し疲れたようだ。
そうかと言いながら、ごく自然に周太のすぐ隣で、宮田は座りこんでしまった。
 
― こんな奴まともに相手する価値ないよ

以前そう言っていたのに、宮田は毎日部屋にやってくる。
単に、寂しがりなのだろうと思っていた。
けれど外泊日の今日、怪我で実家に帰れなくなった周太につきあって、宮田は残ってくれた。

 なんでこんなに、構ってくるんだろう

最初は、宮田が大嫌いだった。
要領の良い人間の冷淡さが、どこか透けて見える笑顔が嫌いだった。
けれど、最近の宮田の笑顔は、全く違う印象になっている。

 こんな短期間でも、人間って変わるんだな

ちらっと隣を横目で見遣ると、周太は紺青色の本を開いた。
周太自身も、短期間で人が変わってしまった事がある。
あの日、父を亡くしていなかったら、今の自分は全く違っていただろう。

「それ、あの時に買った本だよな」

ちょっと見せて、と宮田が覗きこんでくる。
宮田の距離感は近くて、いつも周太は途惑う。こんなに誰かと、至近距離になるのは、いつ以来だろう。
調子を狂わされそうで癪だが、そんなに嫌でもない。そう思っている事が我ながら不思議だ。

「これ、何の話なんだ?」
「怪人の話」

素っ気なく言って、周太は再びページに目を落とす。開かれたページは、終りに近い。
早くラストを読んでしまいたかった。

ページ照らす陽の光に、隣の影が射しこんでいる。
捲る度、隣の影も捲られ、新たな影が追いかけては射しかかる。
すぐ隣に宮田がいるのに、気配が気にならない。周太は本の世界をゆったり楽しんでいた。

推理小説だと買ったこの本は、本当に恋愛小説だった。母の言った事は事実だったが、それなりに面白かった。
ぱたんと本を閉じ、周太はほっと一息ついた。
ふっと隣の気配が動いて、宮田が笑いかける。

「怪人って、おばけの話なのか」
「違う」

なんとなく不機嫌に、周太は返事してしまった。なんとなく、あまり答えたくない。
それでも宮田は訊いてくる。根負けして周太は、ぼそりと答えてしまった。

「恋愛小説、かな」

隣では、大笑いが始まった。
なんとなくこうなる予想はしていたけれど、軽く睨んでぐらいやりたくなる。

「推理小説だと思って、買ったんだよ」

なぜいつも、こうなのだろう。
そんなに自分は、「恋愛」が似合わないタイプなのだろうか。
考えてみれば、女の子と話した事が少ない。話さなくては間が持たないような空気は、苦手だった。
大学も、工学部では女子自体が居なかった。理系男子らしく寡黙なタイプが多くて、合コンも無い。
それ以上に、周太にとっては、恋愛に割く時間が惜しかった。

「でも全部、読んだんだろ?」

まだ笑いながら、宮田が訊いてくる。
折角買ったんだから勿体無い、と答えたが本当は、意外と周太には面白かった。
専攻は建築工学では無かったけれど、オペラ座の構造を、頭で組み立てながら読んでいくのは、結構楽しい作業だった。

「あらすじ教えてよ。気に入ったシーンとか、あるだろ?」

宮田がまた訊いてくる。
そんなに興味があるなら、自分で読めばいい。とは思うけれど、今は世話してもらっている。
仕方ないなと顔に出して、周太はページを開いた。

「怪人は、オペラ座の設計者なんだ」

目次を眺めながら周太は、順序立てて話しだした。
窓からの陽光が落ちかかる部屋で、特に予定も無く、ただ本を開くのは居心地がいい。
ページを照らす、あたたかい光の色がやさしい。

「それで、歌姫の誘拐犯として彼は追われる。棲家にめぐらす罠が華麗っていうか…」

ふと、宮田の気配が嫌では無い事に、周太は気がついた。
他人が、こんなに近くに居るのに、周太のペースは乱されていない。
他人がいると気が張るのに、宮田の隣はなぜか、楽だった。

 嫌いなタイプだと、思っていたのに

隣を見ると、宮田がぼんやりと周太の顔を見ている。
周太はページ捲る手を止めた。

「厭きた?」
「いいや、厭きてない。おもしろいよ」

時計を見ると、18時に近い。ちょうど夕飯の時間だ、周太は本を閉じた。
ベッドから腰を上げようとした時、隣から腕が伸ばされた。

「え、ちょっ」

宮田に抱えられて、ベッドから降ろされた。
肩を掛けて支えてくれる宮田を、周太は眉を顰め見上げた。

「降りるくらい、できるって」
「でもほら、いいもんだろ?お姫様だっこ」

宮田は、馬鹿なのだろうか。時折、そんなふうに周太は思う。
支えられながら廊下を歩きだすと、宮田はちょっと嬉しそうな顔になった。

「お、生姜焼きとか?」

甘辛い香が食堂から漂ってくる。
肉系の献立のような気がしたが、周太は少し、意地悪を言いたくなった。

「どうかな、煮魚かもよ」
「えー。俺、肉食いたいなあ」

一喜一憂する宮田の顔は、表情が豊かだ。普通に幸せに育った健やかさが、笑顔に香っている。
父が殉職してから、周太には「普通」は遠くなってしまった。
屈託ない宮田の笑顔は、周太には眩しい。

今日だって、実家に帰りたかっただろうに、一緒に居て笑ってくれている。
山岳訓練でも、崖から落ちた周太を助けに降りたのは、宮田だった。
下山する時も、随分長いこと背負ってくれた。
どうして宮田は、ここまでしてくれるのだろう。なんだか申し訳ない気持になって、ぼそりと周太は言った。

「ごめん、宮田」
「なに、いきなり」
「せっかくの外泊日なのに、俺につきあわてる」

周太を支えて歩きながら、宮田は笑った。

「首席のマンツーマン授業、受けられて俺、ラッキーじゃん」

宮田は確かに甘ったれで泣き虫だ。けれど、軽やかな優しさがある。
いい奴なのかもしれない、周太は隣を見上げて、ゆっくり微笑んだ。



風呂から上がり、ベッドの上に足を投げ出す。挫いた足は、朝より良くなったように見えた。
包帯を巻き直し始めたが、うまくいかない。まだ痛む足は曲げにくくて、足首まで手が届きにくかった。
どうするかなと考えていると、扉が叩かれた。

「おう、入るぞ」

入ってきた宮田が、なんだよと呟き、周太の前に跪いた。
ちょっと貸して、と周太の手から包帯を取り上げ、巻きかけた包帯を解いていく。
長い指が手際良く動くのを、周太は少し驚きながら見ていた。
手を動かしながら、宮田が口を開いた。

「中山道が流された時さ、湯原、どんな気持で飛び込んだ?」
「え、」
「お前さ、遠野の事、ちらっと見てから飛び込んだろ」

少し首傾げ、周太は思い出すような目になる。
あの時他に動いたメンバーでは、助けられるのか不安だった。

「助けなきゃ、俺が行かないと。かな」
「ほんとお前って自信家だよな。場長が落ちた時もそうだけどさ」
「宮田こそ、どうだったんだよ」

包帯からちょっと目を上げ、宮田は周太の顔を覗き込んだ。

「湯原が飛び込んで、つられた。かな」
「つられて、って」

なんで俺につられる必要があるのか、疑問だった。
そんなんじゃ駄目だろと言っても、宮田は笑って答えた。

「お前が崖落ちた時は、絶対に俺が助けるって思った」

 なぜ絶対に、宮田が助けたいのだろう

周太は思ったが、助けられたのは事実だ。今も助けられている。

「ん、マジ助かったよ。ありがとうな。今日も悪いな」

言いながら、首筋が少し熱くなってきたのを、周太は感じた。
たぶん今、首筋が赤くなっている。

「どういたしまして、だ。ほら出来たぞ」

きれいに包帯は足首を覆っている。きっちり整った巻き方を見、周太は顔を上げた。

「うまいじゃん、宮田」
「練習したんだ。川でさ、俺、遠野にボロクソ言われただろ」
「ふーん。ちゃんとやるんだね、宮田も」

機嫌良く宮田は笑い、ベッドに腰掛けてノートを広げた。

「さ、早く勉強しよう」

今日もここで、勉強して行くらしい。
最近の宮田は勉強にも熱心で、以前と印象が違う。今の方がだいぶ良い。

「なにそんな、張り切ってるの。熱でもあるんじゃない、宮田」

憎まれ口ききながら、周太もベッドに座る。

「それは教本のここ」
「あ、そういう訳なんだ。じゃこっちは」

一人で勉強する方がはかどるけれど、こういうのも悪くないかな。
そんなふうに思っている自分が、周太は不思議だった。


消灯時間になり、宮田は自室へ引き上げていった。
ぱたんと扉が閉まると、急に静けさが耳についた。
静かになったな、勉強机に座ろうとした時、隣の窓が開く音がした。
窓を見ると、大きく月が夜空にかかっている。十六夜月だろうか。
ベランダへ出ると、宮田の気配がすぐ近くにあった。

「満月か、」

呟く宮田の声に、思わず周太は、違う、と声をかけてしまった。
慌てたように宮田は湯原を支えてくれた。

「なに、どうしたの湯原」

どうしたんだろう。
他の人間がいる場所へ、別に用も無いのに出て行くのは、周太にとっては無い事だ。
我ながら不思議だったが、外の空気が吸いたくなったと言っておいた。

壁に凭れかかると、ちょうど月が良く見える。
うすい雲が風に動き、月光がベランダを流れた。十六夜月は大きく見える。
ぼんやり月を見上げていると、宮田が口を開いた。

「そのシャツ、着てくれているんだ」
「ん、着心地良い。ありがとな」

宮田が脱走した夜、シャツをハンカチ代りにしたからと言って、宮田がくれたものだった。
ふっと周太に、言葉の記憶が思いだされた。

「十六夜月の『いざよう』は、何の意味だと思う?」
「て言うか俺、十六夜月なんて言葉、さっき初めて知ったし」

すこし振向いて、周太は宮田を見遣った。
きれいな切長い目を、宮田は僅かに顰めている。考えてみるけど解らない、そんな顔をしている。
周太は回答を教えた。

「『ためらい』って意味。今日は月が出るの遅かっただろ」

周太はいつもの抑揚少ない声で続ける。

「ゆっくり昇る月だから、現れるのを躊躇う月って意味らしいよ」

なぜか宮田は、ちょっと変な顔をした。腕組んで、壁に凭れ月を見上げてしまった。
宮田のこんな雰囲気は、ちょっと珍しい。
何を考えているのか、周太は少し興味があったが、別に訊かなかった。



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