萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第9話 黎明 act.2― side story「陽はまた昇る」

2011-09-20 22:40:00 | 陽はまた昇るside story
記憶の場所、君に



第9話 黎明 act.2― side story「陽はまた昇る」

この部屋に湯原がいる、不思議だけど。

冷蔵庫とテレビ付カウンター、椅子、窓際のフロアーランプ、ソファ、セミダブルベッド。
ビジネスホテル標準の部屋は7ヶ月前と変わらない、7ヶ月前も卒業式で大学の同期数人とここで呑んだ。
あのときと同じシンプルで清潔な部屋、けれど穏やかな空気が違う、そんな違いの真中シャツ姿に英二は笑いかけた。

「湯原、さっきから見まわしてるけどこの部屋、気に入らない?」
「え…いや、」

ふり向いて黒目がちの瞳が見つめてくれる。
まだ濡れた髪やわらかに額おおって眼差し透かす、その頬あわく赤い。
湯あがりの紅潮やさしい顔は幼くて、そんな全て見慣れた6ヶ月の相手は微笑んだ。

「珍しくて見てる、こういうとこ初めて来たから…きにいってる、」

すこし恥ずかしそうな微笑と答えが嬉しくなる。
そして見えてくる相手の大学時代を確かめたくて訊いてみた。

「湯原は外泊って初なんだ?」
「ん、」

短く頷いてくれる答えに正直ほっとする、だって「外泊って初」だ?

『そんなふうに誰かに求められたこと、ないから、』

そう公園のベンチでも言っていた通り外泊する相手もいなかった。
けれど今ここで初めてを過ごす笑顔は言葉すくなくても楽しげで、無邪気で嬉しくなる。

―誘って良かったな、こんな笑顔を見せてもらえてさ、

初めて来たから「きにいってる」と笑ってくれた、その無邪気な笑顔ただ嬉しい。
こんなふうに自分が笑わせてあげたい、何度も「初めて」を楽しませてあげたい、そして笑顔を見せてほしい。
そんな願い見つめるから明日が軋みだす、この夜が明けたら次いつ「初めて」をあげられるか解らない、この現実に尋ねた。

「急に外泊決めたけど、湯原の母さん大丈夫か?湯原が帰って来るの楽しみにしてたんだろ、」

母子ふたり家族で親戚もいない、そんな母親は息子の帰りを待っている。
もう夫を亡くして息子しか彼女にはいない、それなのに自分が今夜を奪ってしまった。
こんな自分の我儘ほんとうは許されない、それでも今夜を願いたかった本音に黒目がちの瞳は微笑んだ。

「よかったわね楽しんでって言われたけど…なんか母うれしそうだったけど、」

いつもと変わらない口調、笑顔、けれど明日には遠くなってしまう。
そんな実感に軋みながらも告げられた言葉すこし安堵して笑いかけた。

「湯原の母さん、嬉しそうだったんだ?」
「ん…なんか、ね、」

頷きながらテーブルの缶に手を伸ばしてくれる。
水滴あわいオレンジ色ひとつ取り、かつん、プルリング引くと訊いてくれた。

「あの、…のんでいいか?のどかわいた、」

なんだか照れている?
そんなトーン見つめる真中で長い睫伏せてしまう。
どうして「のんでいいか?」で恥ずかしがるのだろう?そんな含羞が可愛くて笑った。

「ちょっと待って?」

笑いかけ自分も缶ビール手にとらす。
プルリング開くとテーブル越し、こん、缶に缶ぶつけ笑いかけた。

「はい乾杯、呑んでいいよ?」

こうして一緒に乾杯ってしてみたかった。
そう今また気づかされる前で黒目がちの瞳が微笑んだ。

「ん、…かんぱい?」

ほら、その「?」って言い方ちょっと狡いだろう?

本人まるで自覚なんか無い、けれど自分にはいつも狡かった。
そんな想い気づかない相手はオレンジ色の缶そっと口つけ微笑んだ。

「のみやすい…ありがとな宮田、」

ほらまた「ありがとな」の飴くれてしまう。
いつも生真面目で無表情に近い湯原、だけど笑うと可愛い。
そう気がついてから笑わせたくて色んなこと探してきた、だから今日も選んだ酒に笑いかけた。

「湯原ってオレンジの飴よく口に入れてるだろ、だからオレンジのカクテルが良いかな思ってさ、」
「ん…おいしい、」

素直に頷いてまた口つけてくれる、その頬すこし紅色を明るます。
もう酒に赤くなりだしている、そんな笑顔が幸せになるまま永遠を願いたい。

―あと一晩は隣にいれるんだ、だから今を笑って記憶したいな?

今ここで君が笑う、その笑顔だけ今夜は見ていたい。
もう明日には遠く離れてしまう、次いつ会えるか解らなくて寂しい、だから今を記憶したい。
どんなに今日が遠くなっても逢えなくても笑顔ひとつ記憶に見つめられるなら多分、自分は幸せだ。

たぶん幸せだ、君を知らないまま生きるよりずっと幸せだ、だから今も知りたくて記憶の相手に笑いかけた。

「湯原なら東大も余裕で行けたんだろ、なぜ行かなかった?」

警察学校でも首席だった、たぶん小学生の頃から首席だろう?
そう思わされる生真面目なひとは首すこし傾げながら口開いた。

「大学は近所って決めてたんだ、なるべく母を独りにしたくないから…警察学校は全寮制だし卒業後も単身寮だろ、」

必然的に家を離れる、だから傍にいられる時は離れない。
そんな言葉に母子ふたりの家庭は見える、それでも湯原は警察官になる事を止めなかった。
こんなふうに辛い選択いくつして湯原はここに居るのだろう?そんな疑問に缶ビール口つけ考えこむ。

―なぜそこまで拘りたがる、そこまで大切な母親がいちばん悲しむことをなぜ選ぶ?

きっと湯原は父親を愛しているのだろう、昔も今も。
だからこそ父親の道を辿ろうとしている、けれど「なぜ?」と想ってしまう。
どうして「なるべく母を独りにしたくない」くせに最も孤独にする進路を選んでしまった?

―なんか矛盾だよな、俺には解らないことかもしれないけど、

ほっと息吐いてアルコールかすかに香らす、こんな無言の時間も寛げる。

いつもの穏やかで静かな空気は向かいのソファに佇む、その真中いる白いシャツ姿が温かい。
このシャツも「初めて」だった、自分が泣いた弁償にこのシャツ贈ったのは初めてあのベンチ座った日だ。
そして通り雨ふるベンチに想い自覚した、あれから見つめ続ける貌は少しずつ笑うこと増えて、けれど離れてしまう。

もう今夜が最後だ、だからこそ記憶ひとつでも増やしたくて笑いかけた。

「湯原、湯原の父さんってどんな警察官だった?」
「ん…警察官だった父?」

穏やかなトーン応えながら見つめてくれる、その頬さっきより紅い。
やっぱり酒あまい体質なのだろう、こんなところ初心でまた好きになる。

―酒の飲み方とか教えたくなるな、なんでも俺が教えて、笑わせて、

まだ10歳前で父親を亡くしたから教われなかった、それは酒だけじゃないだろう。
そんな全てから自分が護りたくなる、けれど今より近づけない相手は穏やかに唇開いた。

「父が亡くなった夜…迎えに行ったとき父の手錠を見たんだ、父の同期って人が見せてくれて、」

ほら、言葉に心臓また掴まれる。
まだ話し始めたばかり、それでも掴まれる想いに穏やかな声は続けた。

「傷がたくさんあったけど歪みも錆も無かった、きれいに磨いてたんだと思う…万年筆とか本とか綺麗に大事にするひとだから、」

静かな声に写真の記憶が映りこむ。
端正な笑顔だった、真直ぐな眼差しから誠実で切長の瞳が美しい。
物言いたげなすこし厚めの唇と意思の強そうな眉間、そして穏やかな優しい温もりが息子と似ている。

似ている、だから不安になる予見に缶ビール飲みくだし笑いかけた。

「書斎の本棚、ほんと綺麗だって俺も想ったよ?どの本も大切に読みこんである感じで、」

本当に自分もそう思うよ?
そう笑いかけた真中で黒目がちの瞳も微笑んでくれる、その唇そっとカクテルに口づけた。
何も言わない、けれど微笑んだ瞳に長い睫に想いは解かる、そんな静かな時間くるみだす。

―こういう空気が良いな、ほんとに、

無言でも優しい時間、この温もりに座りこみ片膝たてて頬杖つく。
片胡坐の窓辺すこしカーテン開いて薄明るい、ネオン照らす空は明るくて、けれど月は昇る。
あわいグレーの空にも月光まばゆい、こんな月を寮の窓からも眺めていた、そんなこと考えている端から昨日がもう懐かしい。

「湯原、いざよいってどう書くんだっけ?」

懐かしい言葉を声にして今また訊きたい。
いざよい、そんな言葉を初めて教えてくれたのもこの隣だった。

『いざよい月のいざようは何の意味だと思う?…ためらいって意味、今日は月が出るの遅かっただろ?だからためらう月、』

ためらう、なんて今の自分そのままだ。
離れる時間ためらって今夜も誘ってしまった相手は黒目がちの瞳すこし微笑んだ。

「ん…なに急に、」
「ためらう月って湯原が教えてくれたろ、漢字も教えてよ?」

笑いかけた真中で小柄なシャツ姿が立ちあがってくれる。
見まわしてすぐベッド腰掛けサイドテーブルのメモ帳にペン動かす、その横顔がランプに優しい。

―きれいだな、

やっぱりこの隣は綺麗だ。
そんな確認に鼓動から疼きだす、だって今こんな近く居るのに?
それでも離れてしまう、あと24時間すれば笑って別れて、けれど約束ひとつ何も無い。

「いざよいはね、十六夜と不知夜…はい、」

穏やかな声に瞳ゆっくり瞬いた前、メモひとつ示してくれる。
その手が自分より小さい、この手に護りたいとまた願って、けれど手ひとつ掴めない。

「ありがと、2つも書き方あるんだな?」

微笑んで立ちあがり歩みよる、その一歩ごとベッドの微笑に近くなる。
示されたメモに手を伸ばして、その指先すこし触れた温もりに呼吸ひとつ窓際へ離れた。

「漢字が違うと印象が変わるな、同じ月で同じ読み方なのに、」

笑いかけ眺めながら窓枠へ凭れこむ。
ふれた背にシャツ透けてガラスが涼しい、カーテンはざま見あげた月は満月すこし過ぎている。
いつものように今も隣の傍近く月を仰いで、けれど明日からは隣に誰もいない哀惜に振り向いた。

「湯原、」

振向いて呼んで、けれど俯いたまま返事がない。
どうしたのだろう?歩みより覗きこんで、その長い睫伏せた顔に微笑んだ。

「…寝ちゃったのか、」

座ったまま眠りこんだらしい、前にもこんなこと何度かあった。
警察学校の寮でもそうだった、湯原の実家に泊まった夜もこんなふう眠りこんだ。
電池切れのよう急に眠りこむ墜落睡眠、こんなところ幼い子供みたいだ?そんな寝顔に笑いかけた。

「…最後までかよ、こんなとこ見せて…困るよ?」

本当に困ってしまうのに?
その想いごと抱えあげベッド横たわらせて、抱えた頭の髪ふわり指に絡みつく。
やわらかな感触は肌から沁みてしまう、そんな感覚が未練のまま残りそうで怖い。

「…ごめんな、」

この想い謝りたくて声になる、だって迷惑だろう?
指先すら未練がましい自分の想いは世間で蔑まれることもある、それが湯原の傷になったら?
そう想うから何ひとつ触れられない、それでも見つめてしまう寝顔は紅潮なめらかな頬に睫の翳が蒼い。
きれいで息が止められる、この想いごと寝顔きっと幾度も繰返し思いだす。

―もう寝顔見ることも無いんだ、これからは、

この寝顔は今夜が最後、だから今夜きっと眠れない。
そんな想いに視線は眠れるひと見てしまう、その小さな右掌に微笑んだ。

「ペン握ったまま寝ちゃったのか、湯原?」

前もこんなことあった、あれは湯原の実家の部屋だった。
今と同じように本を持ったまま眠りこんで、その本を片付けようとした手を掴まれてしまった。
もしまた手を握られたら今夜は困るかもしれない?けれどペン持ったままではベッドをインクで汚してしまう。

―また手を握られたら俺、どうするんだろう?

ボールペン握ったままの手にためらう、けれど本当は望んでいる。
そんな本音に小さな掌そっと解いてペンを抜く、途端また手を掴まれた。

「…またかよ、」

ため息吐いて、だけど本当は嬉しい。
こんなふう手を繋いでくれた、それなら言訳ひとつ自分に赦していい?
その思案しながら腕伸ばしてサイドテーブルにペン戻し、寝顔の右手を見つめた。

「あったかいな、」

繋がれた手から体温やわらかに息づかす、この温もり今夜は手放さなくて赦される。
そんな言訳に隣そっと横たわった至近距離、あどけない寝顔はランプの燈に前髪を透かす。
その生え際ちいさな傷痕は知っている、あのベンチ初めての朝に自分が扉ぶつけてしまった痕だ。

もう一度、あの日に戻れたらいいのに?

「傷つけてごめんな、でも…俺のこと思い出してくれる?」

ちいさな傷痕に願い声になる、けれど聴いてもらえない。
寝顔に言葉は聴かれない、そのまま明日に別れて隣から離れてしまう。
それでも傷痕を見るとき少しは自分を想い出してくれるだろうか、その願いごと小柄な背を抱きしめた。

「…あったかいな湯原は…す」

好きだ、

そう言いかけて飲みこます、だって仕方ない。
たとえ告げても迷惑かけるだけ、嫌われるかもしれない、それなら黙ってただ抱きしめたい。
いま眠って何も言ってもらえない、それでも前髪ふれあうまま穏やかな深い香やさしくてオレンジが甘い。
寝息の呼吸ごと柑橘こぼれだす、ゆったりした鼓動、体温のぬくもり、抱きしめるシャツ透かして触れられる。
香も鼓動も温かい、やさしい温もり穏やかで安堵ゆるやかに満ちていく、こんなふうに抱きしめられる隣の今が幸せだ。

この隣に、居たい。



(to be continued)
※2011.09.20掲載「黎明、木洩日の翳 ― side story「陽はまた昇る」加筆校正Verです


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第9話 黎明 act.1― side story「陽はまた昇る」

2011-09-20 00:12:00 | 陽はまた昇るside story
木洩陽の翳、いつも



第9話 黎明 act.1― side story「陽はまた昇る」

いつも座ったベンチに今も座っている。

いつものように新宿で降りて、ラーメン屋に行って公園に来た。
いつものように隣で湯原は本を読み、自分は背凭れぼんやり空を仰ぐ。
けれどいつもよりお互いの荷物が少し大きい。

卒業式が終わった。

警視庁警察学校教官として出席した遠野に最後の挨拶した。
それから教場の皆で少し喋って携帯番号とアドレスを交換し、各方面ごと迎えのバスで卒業配置先へ向かった。
明日は休日の今日は卒配先で着任挨拶の後、初休暇に実家へ戻る途中を新宿で降りた。
そして湯原と待ち合わせて、いつものコースを辿っている。

もう「いつものように」は今日で終わる。

この現実ごと仰いだ緑の翳が額に落ちる、ゆれる木洩陽まぶしく温かい。
時折ゆっくりページ繰る音が静かに聴こえる、この光も音も好きだ。
そんな想いに空を見上げるまま顔を少し傾けて、そっと隣を見た。

―きれいだな、

やっぱり綺麗に見えてしまう、こんなふう視界から本音を思い知らされる。
落着いて静かな横顔の輪郭とる木々の葉が淡く黄色もう染まらす。
もう秋が近い、こんな時の流れに心がついていけない。

だって初任地は遠く離れてしまった。

―遠いよな、西と東の端同士だ、

自分は山間部の警察署を希望し湯原は新宿署、歩き慣れた街で実家に近いことが湯原の理由だった。
だから湯原は卒業配置後もこの新宿にいる、着任したら湯原は一人でもここに座るのだろうか?

―独りで座ったらなに考えるんだろ?

そんな想いごとスーツの胸押えた内ポケットには湯原の番号とアドレスが携帯に入っている。
会いたければ会える距離、けれど隣に居られる訳じゃない約束ひとつ無い。
どんな約束が出来るのかも解らない、だって湯原の父は死んだ。

『父は警察官だった、でも殉職したんだんだ、』

殉職した夜も帰宅したら息子に本を読み、妻の手料理と会話を楽しむつもりだったろう。
きっと幸せな約束いくつもあったろう、それでも湯原の父親は帰れなかった。
約束をしても果たす事が出来るのか?警察官にはその確約すら無い。

次、なんて約束が自分たちは出来る?

唯そんな思案に木々の葉摺れから陽光ゆれてさしかかる。
捲るページが光の明滅にモノトーン瞬かす、そんな読書に黒髪ゆれる。
眩しそうに瞳細め顔上げたその手元、紺青色の表装に見覚えがなぞった。

『Le Fantome de l'Opera』

ここに来た最初の日に湯原が買った本、そしてこのベンチで初めて開いていた。
その後、怪我で帰れない湯原につきあった外泊日にあらすじを聞いたけど途中のままだ。
だから今聴いておきたい、そんな願いに微笑んで隣に声掛けた。

「あらすじの続き、教えてよ」

振り返る黒目がちの瞳に光ゆれて明滅する、風おろした前髪が揺らぐ。
きれいだ、そんな想い息止まりそうになって、けれど素っ気ない口調は言った。

「自分で読めばいいだろ」

いつもの素っ気ない口調、けれど微笑んで本を膝に置いてくれる。
いいじゃんと笑って重ねて強請ってみた。

「湯原が怪我した外泊日に途中のままだろ、教えてよ?」

いま聴いておかなかったら、いつ続きが聴けるか分らない。
だって自分の卒配先は青梅警察署御岳駐在所、そこに勤務することは山岳救助隊の所属になる。
もう明日の正午から任務に就く、そして遭難の報があれば自分だって奥多摩山中を駈けるだろう。
もう自分には次の約束が果たされる補償なんて無い、そんな現実に笑いかけた。

「明日の午後には俺、駐在所に就くんだ。もし遭難があれば俺も救助に出るよ、だから今がラストかも?」
「縁起悪いこと言うな、」

ぱしん、切るようなトーン言ってくれる。
その視線も真直ぐ睨むようで、けれど溜息ひとつ湯原は口開いた。

「…オペラ座は巨大なカラクリ箱なんだ、舞台の底には奈落っていう巨大な地下室があって、そこに怪人は自分もろとも彼女を閉じ込める、」

淡々、いつもの口調で話してくれる。
ぶっきらぼうな一本調子、だけど話してくれる温もりに笑いかけた。

「湯原、俺がホントに死ぬかもって思ったから話してくれてる?」

ほんと縁起悪いこと自分で言ってるな?
こんなこと自嘲したくなる、だって幾らか自棄になっている所為だ。
こんなふう肚底で自嘲することは今に始まった癖じゃない、そんな木洩陽のベンチに穏やかな声が言った。

「…それ以上縁起悪いこと言うなら教えない、また……」

また、そう言いかけた頭上を風わたる。
葉擦れ鳴らせて梢ゆらぐ、ひらり舞いふる葉に光に黒髪あわく艶めかす。
ひるがえる前髪から黒目がちの瞳こちら見つめる、その貌どこか儚くて腕伸ばしかけて、けれど止めた。

―ダメだ、抱きしめるとか絶対に、

男が男を抱きしめる、なんて「おかしい」だろう?

同性愛は差別される、蔑まされる。
そんな現実には絶対に惹きこめない、想い募るほどこんなことダメだ。
そう自分も何度も考えてきた、そうして自分を止めている、けれど自分は蔑まされても構わない。

この腕、伸ばして抱きしめてしまえたら良いのに?

「また、って何、湯原?」

ほら、なんとか普通に話せる、だから今も唯笑っていればいい。
こうして隣に座り話せるだけで今は幸せだ、そんな想いに唇そっと開いた。

「だから、また続きを…」

言いかけて、また途切れてしまう。
何を言ってくれるのかな?そう目だけで問いかけた真中で睫そっと伏せてしまう。
木洩陽ゆれる顔へ長い睫は影ゆらす、その青い陰翳に惹きこまれる真中で唇は再び開いた。

「…奈落で怪人はね、歌姫に跪いて愛を乞うんだ…恋人の命と引き換えに脅迫して、」

話しだす言葉に考えてしまう。
さっき言いかけた「また続き」はこのことだろうか、そんな思案とベンチ凭れこむ。
ゆるやかに頬なでる風は深く穏やかな香やわらかい、これは森の匂いだろうか?
香も風も穏やかなベンチは寛げる、この居場所をくれる隣の声が優しい。

「脅迫して泣いて贈物して、いろんなことで彼女を引きとめるんだけど…必死でかばいあう二人を怪人は解放するんだ、自分は姿を消して、」

跪いたら、愛を求められるだろうか?

そんなに簡単に得られるなら自分はいくらでも土下座する。
けれど自分はそれすら赦されない、求めたら湯原を傷つけるに決まっている。
大切だから求めない、それでも訊いてみたい誘惑が木洩陽のした英二の口を開かせた。

「湯原だったら、どうする?」

何がだろう?そんな眼差しが見つめてくれる。
もう目だけでも何を言いたいのか解るようになった、それほど6ヶ月は自分に深い。
この隣で過ごした半年間どれだけ大切な時間が積まれたか?思い知らされるまま笑いかけた。

「もし湯原のために巨大なカラクリ箱を作って閉じ込めて、跪いて愛してるっていわれたらさ、湯原ならどうする?」

受け入れるだろうか、それとも拒絶する?
その答えただ知りたい問いに静かな声は言った。

「…俺、解らない、」

静かで、けれど素っ気ない。

こんな言い方は前から変わらない、けれど不安になってしまう。
自分が失敗したのかもしれない、その不安に首傾げさせられ考えこまされる。

―俺の下心が見透かされたのかな、そんなつもり無いとは言い切れないし、

不安になる隣の表情はとくに見えなくて、けれど木洩陽にやわらかい。
濃やかな緑と黄色あわい光に横顔が明るます、こんなふうに樹影に見るとき湯原は綺麗だ。
もし青梅署まで来てくれて一緒に山登ったら?そんな想像ついしかけた真中で黒目がちの瞳が微笑んだ。

「そんなふうに誰かに求められたこと、ないから…だからわからない、」

穏やかに微笑んだ瞳、でもどこか寂しい。

『主人がね、亡くなった後なの。でも周、最近は笑うようになったわ、宮田くんのこと話す時によく笑って、』

そんなふうに話してくれた湯原の母も寂しげに微笑んだ。
警察学校に来るまで親しい友達はいない、そんな息子に親として心配だったろう。
孤独でも端正に生きる息子と寂しさにも微笑む母、それは寂しくて端正で綺麗だ、だから自分は求めない。

―でも俺のこと話すとき笑ってくれたなら、なにか最後に今日は、

きっと友人と遅くまで飲み明かすことも湯原は無かったろう?
頑固で気が強い孤独でも構わない、けれど本当は繊細で穏やかな本質は優しい。
この本質に気付かない相手といても寛げないだろう、それでも自分なら楽しんでもらえる?

―誘ったら笑ってくれるかな、

頬なで馳せていく樹林の風がやさしい、いま言葉ないけれど寛いでいる。
隣は本を持ったまま風に目を細めさす、その穏やかな空気が愛しくて鼓動を軋ませる。
この空気は明日から遠い、そんな現実に少しでも今日この時間を引き延ばしてしまいたい。
だって警察官は明日どうなるのか解らない、この一瞬後さえも本当は解らなくて、だから尚更に誘って良いのか解らない。

―でも湯原の母さん待ってるよな、でも、

母子の時間を奪ってもいいのだろうか?

そう思うと声が出ないまま梢の太陽ゆっくり斜め傾いでいく。
透明だった光に淡いオレンジいろ混じりだす、いつも「帰ろうか」と立つ時間がやってくる。
だけどまだこの隣から立てない、穏やかな空気に未練が居座って身動き出来ない。

今を引き延ばしてしまいたい、唯ひとつ願うまま声が出た。

「オールで呑むか、」

言ってしまった、でも断られるだろう。

きっと母親と約束があると言わる、そう解かる諦めに微笑んでしまう。
だって最初から「フラれる」と解って誘うなんて初めてだ?
こんな初めてすら嬉しいまま笑って続けた。

「大学の時にさ、サークルやコンパで終電逃すと仲間と朝まで呑んだんだ、そういうの今日やらない?」
「朝まで、て凄いな…部活ですこしなら呑んだけど、」

応えてくれる顔すこし笑ってくれる、この笑顔も明日からは隣にいない。
昨日までは毎日いつも隣で眺めていた、その当たり前が明日から消えてなくなる。
こんなこと今更だけれど「当たり前」なものは無い、そんな初めて咬んだ傷みに隣は言った。

「いいよ、」

ぼそり、ひとこと告げて横顔すこし俯かす。
また本を開いてページ繰る、そんな横顔の「いいよ」は何を指してくれるのだろう?
量りかねて隣の顔を覗きこんで見た真中、いつもの落着いた瞳は怪訝そうに見つめ言ってくれた。

「呑むんだろ朝まで…ゆっくり話すの今夜の後はいつか解らないし…場所とか任せる、」

言いながらページにまた目を戻してしまう、けれど俯けた首すじ微かに赤い。
いま恥ずかしがってくれている?そんな反応とくれた予定に空気また温まりだす。

―今日がすこし引き延ばせたな、

今日はまだ終わらない、それが嬉しいまま携帯を胸ポケットから出して開く。
電話帳のメモリー久しぶりに眺めながら「ゆっくり話す」こと叶う場所を考えてビジネスホテルの番号止まる。
ここは学生時代に終電を逃すと泊まっていた、シングルルームでもソファベッドを使って2、3人なら安価で気楽に呑める場所だった。

この懐かしい場所を湯原に見てもらえたら?

そう想いながらまた気づく、懐かしい場所を誰かに見て欲しいと思うことは今、初めてだ。




(to be continued)
※2011.09.20掲載「黎明、木洩日の翳 ― side story「陽はまた昇る」加筆校正Verです


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