眠らない街でも、ひとすじの光
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/91/1fad07684a11c150f981b69b091c5375.jpg)
不夜城、居場所―another,side story「陽はまた昇る」
初めて周太は、父が殺された場所に立った。
それでもあの夢は蘇らなかった。
ガード下は、どことなく薄暗い。急ぎ足の雑踏が、ただ行き交っていく。
新宿駅の東口と西口を結ぶこの場所で、父は狙撃されて死んだ。
父が最後に立った場所は、この辺りだったのだろうか。周太は足許を見つめた。
目を上げると歓楽街が目に入る。
東洋一の歓楽街という歌舞伎町。ここに約120箇所の暴力団事務所拠点があり、推定1,000人の構成員が居る。
父を殺害した犯人もここに居た、けれど今はもう居ない。
服役後、組から追放された事までは調べられた。その後はまだ解らない。
父が殉職した夜は、新聞配達の音で明けた。
被弾する父の血塗れた幻は、幼い周太を眠らせなかった。ただ自室の天井を見つめ、バイクの音に朝だと気付いた。
そっと玄関を開けてポストへ向かい、新聞をこっそり取り出した。
自室で広げ、父の記事を探した。そこには犯人の名前と所属暴力団の名が記されていた。
周太は母に黙って、父の記事を集め続けた。
ただ真実を知りたかった。
犯人を担当した弁護士は、威嚇発砲が偶然当たったと主張し、認められた。
懲役13年。それが与えられた刑罰だった。そして態度良好により刑期を切り上げられ、釈放された。
父は死んだ。けれど犯人は生きて、今もどこかで暮らしている。
周太は踵を返し、巡回の続きへと歩き出した。
ガードを出た脇に、一人のホームレスがぼんやり蹲っている。
以前は何をしていたのか、今はもう解らない襤褸を着ていた。
巡回を終えて、所属の新宿駅東口交番に戻った。
おつかれと当直の若林が声を掛けてくれる。この先輩の体格は威圧的だが、笑顔は穏やかだった。
東口広場に立つ交番は、格好の待合わせ場所になっている。そのため、地理指導や遺失物等の届出が非常に多い。
そして歌舞伎町にも近い為に、喧嘩の仲裁も多いという。
穏やかな笑顔と立派な体格は、きっと適任だろう。
おつかれさまですと答えると、若林が話しかけてきた。
「卒配初日だが、特錬の話がもう来たぞ。射撃だそうだ」
やっぱり来たと周太は思った。
警視庁は警察署、機動隊、交通機動隊など所属ごとに「特錬」が居る。
「特別訓練員」の事で、年に1~2回行われる剣道大会、駅伝大会、その他色々な大会に出る選手たちの事を言う。
署の特練なら経験者は間違いなく入ると、警察学校で白石助教に言われていた。
若林は気さくに笑って、訊いてきた。
「普通は2年目以降が多いらしいが、湯原は全国大会の実績があるらしいな」
「はい、」
あまり本当は、この手の話はしたくない。自分を宣伝するような事は、周太は得意ではなかった。
周太の短い返事にも、若林は気にせず話を続けた。
「11月の大会だが、あまり時間が無い。術科センターに明日から通っていいとの事だ」
新木場の警視庁術科センターには、大きな射撃場がある。
新宿から新木場まで40分程かかる。勤務の合間に行く事になるのだろう。
詳細はまた署で説明があると言われ、日勤扱いで新宿署へ戻る事になった。
新宿署へ向かう途次、ガード下をまた通った。
先程のホームレスはまだ蹲ったまま、ぼんやり座り込んでいる。
これから寒くなる季節はどうするのだろう。そんな事を考えながら通り過ぎた。
父も射撃の特錬だったと聞いた。そしてオリンピックの代表選手になった。
射撃の名手が交番勤務で終わる訳が無い事を、今の周太は知っている。
父はここで撃たれた。その時の父が所属していた部署は、まだ知らない。
父と同じように射撃の特錬に選ばれた。
オリンピック代表になる事は無くても、警視庁での進路は父とほぼ同じ道だろう。
父が歩いた道を、追体験して辿る。それしか父の殉職にある真実は解らない。
その為に周太は今、ここにいる。
夕暮が降りてくる。
ふと振り返ると、歌舞伎町にネオンの原色が点り始めていた。
夜が迫る時、この町の本番が目覚める。
この街の歓楽に遊ぶ事はないだろう。けれど、そこに蹲る闇とは向き合わざるを得ないだろう。
― 人の闇と付き合う仕事
遠野教官の言葉どおりだと、周太は思う。
自分で望んで選んだ配置先は、特に闇が多い場所だと解っている。
父が殉職した現場だと思うと、その闇は濃密さを増して圧しかかった。
ガード下を抜けて、周太は空を見上げた。
高層ビルの頂上の、ライトが点灯し始めた。たしか民間障害標識という名前だった。
摩天楼に囲まれて、大勢の人が歩いている。
けれど周太は孤独だった。
6ヶ月、いつも隣に居た笑顔が懐かしい。
ちょっと馬鹿じゃないかと思うけれど、きれいな優しい笑顔が好きだ。
この雑沓も並んで歩いていた。そんな時でも静かで、やさしいあの隣が好きだ。
今どうしているのだろう。
宮田の赴任先は今頃は、きれいな黄葉が山里を彩っているのだろう。
きれいな空気で、星も見えるだろうなと思う。
でも今、周太には星は見えない。
目的のために選んだこの場所は、昨日までとの落差が大きすぎる。
昨日までの時間が、夢だったのではないかと思えてくる。
周太の唇がかすかに動いて、小さな声が零れた。
「宮田、」
雑沓に紛れて誰にも聞えない。
寂しさが募った。けれどふと、一軒の明りが目に入った。見覚えがある。
「あ、」
宮田と行ったラーメン屋だった。あれは何度目の外泊日だったろう。
懐かしさに周太は微笑んだ。
こんな所でも、あの隣は佇んでくれている。
非番の日が来たら、あの公園に行けばいい。
あの書店に行って、本を買おう。一昨日行った、あのラーメン屋で昼を食べよう。
自分がここを選んだ、もう一つの理由を周太は思い出した。胸が、ゆっくり温かくなる。
孤独ではないという事が、こんなに嬉しい。
空をまた見上げると、暗さに慣れた目に一つだけ星が見えた。
汚れた空気で遮られてはいるけれど。本当は、星は今も見えている。宮田の見上げる空と同じ数だけ。
新宿署に着くと、射撃の特別訓練員に選抜された旨の、正式な話があった。
明日からのスケジュールなどを教えられて、寮に戻ると夕食の時間になっていた。
食堂に入ると、同じ教場出身の深堀が、トレイを受取っている所だった。
おつかれさまと笑って、一緒に食べようと誘ってくれた。
「東口交番、どんな様子だった?」
「ん、道案内が一番多かったかな。百人町は?」
「外国の人、やっぱり多かったよ」
発音が上手く聞きとれなくて困った事など、にこにこ話してくれる。
深堀とこんなふうに話すのは、周太は始めてだった。
「巡回行ったら、アジア系のお店多かった。近くのアパートは多国籍みたい」
「じゃあ深堀には適任なんだ。何ヶ国語、話せるのだっけ」
他愛ない会話が楽しくて、緊張がほぐれてくる。
周太は少し、自分で驚いている。気さくに話が出来るように、何時の間に自分はなったのだろう。
やっぱり宮田の隣に居たからなのかな。そんな事を思いながら、焼魚に箸を伸ばした。
きれいに骨を外しながら相槌をうっていると、不意に深堀が黙った。
なんだろうと目を上げると、深堀は不思議そうな顔をしていた。
「湯原、雰囲気なんか変わった?」
思わず、魚に箸を突き刺してしまった。
けれど深堀は気付かずに、卒業式の日となんか違うねと笑っている。
こんな時、顔に出にくい方で良かったと思う。
どうしていきなりそんな事を言われるのだろう?
雰囲気変わった心当たりなんて、有りすぎて。自分でも途惑っている時なのに。
昨日、立川から戻って、新宿駅の洗面で前髪を上げた。
ネクタイもきちんと締めて鏡を見た。
それでも自分の顔は、卒業式の、あの夜の前とは違っている。
どうしようと思ったけれど、でも嫌な顔じゃなかった。
けれど同期に、こんなふうに図星を言われてしまうと、余計に途惑う。
全部もう宮田のせいだ。けれど今それを言える訳がない。
どうしたらいいのだろう、こんな事には慣れていない。
そうだ。こういう時は、質問で返せばいいか。
周太は深堀に訊き返した。
「どう変わった?」
とりあえず黙りこむのは避けられた、ちょっと安心して水のコップを手に取った。
そうだなあと深堀は考えながら口を開いた。
「なんか宮田に、ちょっと似てきたかな」
水に口つける前で良かったと、周太は思った。もし後だったら、きっと盛大に吹きだしていた。
それにしても図星をついてくる。首筋がいつ熱くなるかと不安になる。
コップをトレイに戻しながら、そっと溜息を吐いた。
なぜそう感じるのだろう。周太は訊いてみた。
「どうして宮田?」
「うーん、いつも一緒に居たからかなあ」
いつもどおりの人好さげな微笑みで、深堀が答えた。
いつも一緒、確かにそうだった。けれど改めて言われると、なんだか恥かしい。
困ってしまう、けれど深堀は何も気付いていないようだった。
そうだねと深堀は頷いて、口を開いた。
「宮田も随分と変わったよね、穏やかに落着いてさ。うん、湯原に似てきたよ」
どうしてこんな恥かしい事を、にこにこと同期に言われるのだろう。
これは一体何の罰ゲームなのかと思ってしまう。
首筋が少し熱くなってきた。いま食べている煮物の味も、なんだかよく解らない。
もう全て宮田のせいだ。どうしたらいいのだろう。
困惑してもう、何言っていいのか解らない。
周太はすっかり途方に暮れながら、箸だけ動かしていた。
それでも深堀は、にこにこと頷いた。
「でもそういうの、羨ましいよ」
意外な事を言われた。
思わず周太は、ぼそりと言った。
「そうかな」
そうだよと笑って、深堀は言った。
「一緒に居てさ。お互いに良い影響与えられるって、良い関係だよ」
「良い関係?」
思わず訊き返してしまった。
本当は宮田との関係を、今はもう他人に堂々とは言えない。後悔なんてしないけれど、少し胸が刺される。
それでも、あの隣を諦める事は出来ない。
どんなに痛くても、やさしい静かな笑顔から離れられない。今だって会いたい。
良い関係だよ。
深堀は相変わらず、人の好い笑顔で答えてくれた。
「宮田も湯原も、話しやすくなった。なんかね、雰囲気良くなったと思う」
そうかなと周太が言うと、深堀が微笑んだ。
「正直に言うとさ、俺、ちょっと苦手だったから。
宮田は、気さくだけど本音が分かりにくかった。湯原は周りに無関心な感じがしてさ。
でも今は二人とも話しやすいよ。だから俺、湯原と同じ配属で嬉しいんだ」
率直に言ってごめんと謝りながら、深堀が煮物の鶏団子をくれた。
良い奴なんだなと周太も嬉しくなった。
「いや、ありがとう」
周太は微笑んだ。
深堀が笑い返して、感心したように言った。
「良い笑顔するね、湯原。なんか宮田みたい」
宮田の笑顔って良いよねと、にこにこ深堀は焼魚をほぐし始めた。
首筋が見られていなくて良かったと、周太は心から思った。
深堀は良い奴だけれど、なかなか油断が出来ない。
風呂を済ませて自室に戻ると、21時前だった。
デスクライトを点けると、システム手帳と携帯を取り出した。自分のシフトを確認して、特錬のスケジュールも加える。
丸一日休める日は、なかなか少なそうだ。
宮田のシフトと合わせられるだろうか。少し不安になる。
それでも、会う予定を考えられている。今、それ自体が嬉しい。
手帳を眺めて考えていると、携帯の着信ランプが灯った。
液晶を見なくても、着信音で誰なのか分かる。
すぐに開いて耳に当てた。
「はい、」
「俺だけど、」
きれいな低い声が聴こえる。
この声を、いつからこんなに好きだと、思うようになったのだろう。
「勤務のシフト分ったから。メモしてくれる?」
「こっちもシフト分かる」
答えながら手帳を開いて、ペンを持った。
自分のシフトに宮田のシフトを加えていく。休みが合いそうな日が、2回位ありそうでほっとした。
電話の向こうから、楽しそうな気配が伝わった。
笑っているのかなと思って、すこし気恥ずかしくなった。もう気配だけで解るようになっている。
どれだけ一緒に居て、ずっと隣を見ていたのだろう。
― いつも一緒に居たからかなあ
深堀に言われた通りだな、と改めて思う。
いつも気がつくと、宮田は隣で笑っていてくれた。
やさしい静かな笑顔の、隣が好きだ。
昨日会ったばかりなのに、今もう会いたい。スケジュール帳の、休みが重なる日が嬉しかった。
「…なんか宮田、笑ってる?」
周太の問いに、宮田の声が嬉しそうになった。
「うん。ちょっとさっき、藤岡がさ。俺の事、なんか湯原と雰囲気が似てきた。って言ったんだ」
「え、」
なんで藤岡までそんな事を言うのだろう。
二人にも言われるなんて、そんなに解りやすいのだろうか。途惑いが周太の首筋を熱くする。
それでも、宮田は嬉しげに続けた。
「お前ら仲良いだろ、いつも一緒に居たしって言われてさ」
本当にその通りだと思う。けれどそんなに、二人揃えたように言わなくたっていいだろうに。
途惑いばかりが大きくなる。こんなこと慣れていないのに。
けれど宮田は、のんきに笑っている。そんな電話の向こうに、少しだけ周太は腹が立った。
ぼそっと周太は言ってやった。
「俺も、同じ事を深堀に言われた」
えっと息を呑む声が聞えた。珍しく宮田を驚かせてやれたらしい。
周太は、ちょっと満足だった。
「お互いに良い影響与えられるって良い関係だよ、って」
深堀がそう言ってくれたよと、周太は笑った。
電話の向こうから、少し照れたような気配が伝わってくる。
「俺もさ、同じ事を藤岡に言われた」
離れているのに、同じ時に同じ事を言われている。
おかしくて、そしてなんだか嬉しい。
離れていても、同じような時を過ごせている。そんな隣がいてくれる事が、嬉しかった。
今日は初めて、父の絶命した場所に立った。
幼い日の絶望と、濾過されたような今の悲しみと、犯人への鋭い感覚。
人の闇に向き合う事が、心を重くしていった。
けれど今、こうして自分は笑っている。
この隣があれば、自分は大丈夫だと思っていた。それは本当だと今、思える。
闇に向き合っても、闇に捕まえられずに、自分は居られるのかもしれない。
今もう、逢いたい。
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1664_1.gif)
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1670_1.gif)
![にほんブログ村 イラストブログ 風景イラストへ](http://illustration.blogmura.com/fukeiillust/img/fukeiillust88_31.gif)
![にほんブログ村 小説ブログへ](http://novel.blogmura.com/img/novel88_31.gif)