萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

上弦月の上、越風― another,side story「陽はまた昇る」

2011-09-19 21:15:37 | 陽はまた昇るanother,side story

見慣れた光景の現実




上弦月の上、越風 ― another,side story「陽はまた昇る」

すこし傾きかけた陽が、低く射しこんで部屋を照らす。
自室で手錠を磨きながら、周太は教場での事件を思い出していた。

― どうして、警官になりたかったのか、わかりました
  誰かの役に立ちたかったんです
  人の為に尽くそうなんて、かっこ悪い事、言えなかったけど
  もし誰かの為になにかできたら、どうして生きているのか、分かるかも

宮田が毅然と言った時、周太はただ見つめてしまった。
出会った頃は大嫌いだった。要領良い人間らしい冷淡さが、偽善者にも見えていた。
犯罪の緊迫した現場で、あんなふうに言えるとは思わなかった。

周太は自分にも少し驚いていた。
夜明け前から、何時間も続いた安西の拘束。心身の消耗は酷いのが普通だろう。
その渦中にあって、冷静な自分がいた。遠野教官が撃たれた時も、驚いたがショックは少ない。
繰り返し見た、父の夢。
狙撃される瞬間は、現実には見ていないのに、夢は現実の様に再現される。
死んだ父の想いが、夢に現れたのだろうか。それとも、無残な父の遺体から、脳が作り上げた幻だったのか。
その夢の残像のように、現実の状況を冷静に見つめる自分がいた。

拳銃は、現実でも夢でも、脅かし傷つけようと現れる。
けれど今はもう、どちらを見ても、冷静な自分がいる。
夢に苦しんだ頃は、逃げることだけを考えていた。
けれど今は、戦うことを決めて、掌に拳銃と手錠をもっている。人間は決意によって、強くなれるのかもしれない。

周太は手錠を見つめた。
さっきまで、安西と無理やり繋がれていた手錠は、今は自分の手にある。
もう二度と、あんなふうには捕まらない。

扉が叩かれ、周太は目を上げた。
開いた扉から、宮田が入ってきた。綺麗な顔の憔悴しきった表情に、周太の胸がきつく押され、痛い。

「俺。入っていいか」
「もう、入っているだろ。だったら訊くな」

間髪いれずに素っ気なく、いつものように返してやる。
「いつものように」は、人を安心させる。馴染んだ日常は、寛げる空気を作りやすい。
一瞬驚いて、すぐに宮田が少し微笑んだ。

「…っわ、ひでえな」
「それくらいが宮田には、丁度良いだろ」

普段通りに手厳しく言って、周太は宮田を見上げた。切長い目が、少し腫れている。
救急搬送される遠野を見送った時、教場の皆が、同じような憔悴した顔をしていた。
狙撃現場も、犯罪者の狂気も、銃口向けられる事も。誰もが初めての事、それが普通で当然だろう。
憔悴するのが普通で、正常だ。その方が良い。

「屋上で話そう」

立ち上がりながら、周太は宮田に微笑んだ。
たぶんまた、優しい顔になっている。



屋上の空は明るい。見上げると、ほっと息をつける。
宮田の話を聞きながら、周太は遠くを眺めていた。すこし傾きかけた日が、頬を照らして温かい。
聞き終わって、周太は口を開いた。

「これが現実の、流れる血なんだ。そう思って見ていたよ」
「湯原は今までに、見た事があったのか」
「目の前で人が撃たれたのは、俺も初めてだって」

静かに周太は微笑んだ。

「父さんの時は、瞬間は見ていないだろ。現実には、ね」

『現実には』言葉に気付いたのか、宮田が周太の目を見つめる。
周太は少し微笑み返した。

「何度も夢でうなされた。小さい頃からずっと、毎晩毎晩。夜中に吐くことが、幾度も続いた」

自分の声が落着いている。
思い出すのも辛かった、父の無残な夢を、こんなふうに話せる。
向き合い続けた十数年が、無駄では無かったと思えた。

「交番は避けて道を歩き、警官やパトカーから目を背けた。
 それでも夢は終わらなかった。
 テレビ、映画、小説。警察や拳銃を描いた全てから、目を背けても。それは続いた。
 泣いて、泣いて、涙もだんだん麻痺していくようだった。
 逃げられない、と思った。
 逃げられないなら、戦って、向き合うしかないじゃないか」

きれいな切長い目が、真っ直ぐに見つめて聴いている。

「苦しくて苦しくて、戦って楽になるなら、
 少しでも早く向き合いたかった。だから、射撃部のある高校を選んだんだ」

ゆっくり一つ瞬いて、ひとつ息を吐く。周太は宮田を真直ぐ見た。

「初めて拳銃に触れた日の夜、夢は見なかった。それからはもう、その夢は見ていない」

周太は少し微笑んで、宮田を見上げた。

「宮田。俺は本当は弱い。弱くて弱くて、だから強くならなくては、生きられなかった。
 強くなったと思っていた。けれど、結局は安西に銃を盗られた」

ほんの少し、自嘲が混じる。それでも周太は、穏やかだった。
青い空を眺めていると、風が頬を撫でていく。父の笑顔がふっと周太の心に現れ、消えた。
右掌で左手首をふれると、秒針が動く感触が伝わる。自然と周太は微笑んだ。

「俺は、強くなりたい」

風音が流れる静かな屋上で、周太の落着いた声が、低く響いた。
黙ったまま、宮田と並んで遠い雲を眺めている。隣の肘が、相変わらず触れそうに近い。
宮田の隣に居ることが、周太は少しも嫌じゃない。
当たり前のように、隣に居てくれる宮田を、今は大切に思える。

本当は、安西の前で宮田が立ちあがった時、周太の心臓は鼓動を忘れた。
僕を撃って下さい。だなんて言わないで欲しかった。
もし宮田がここで死んだら。そう思った時、感じた事のない感情が周太を打っていた。

泣き虫なくせに、宮田は繊細な優しさが、強い。
そんな宮田を今は、大切な存在だと素直に認められる。
きれいな笑顔のままで、幸せになって欲しい。そう思っていた自分に気付かされた。

木々わたる風の、梢揺らすざわめきが聞える。
無言のまま並んでいても、息苦しくない。宮田の気配は静かで、優しい。
周太は隣を見上げた。きれいな笑顔が、いつも通りに返ってくる。だいぶ立て直せた様子に、周太は少し安心した。

眼下に校門が見える。
あの場所で出会った時は、こんなふうになるとは思わなかった。
大嫌いだと思った、軽薄で冷淡で端正な顔。けれど、こうして今、隣合わせに立っている。

お互い反発しても、制限された空間では、嫌でも向き合わざるを得なかった。
この警察学校で出会って、隣で一緒の時間を過ごした。そうして積まれた時間が、心を解いてしまった。
もっと自由で、楽な場所で出会っていたら、隣でこうしている事も無かっただろう。

柵に凭れる隣の横顔に、真っ白い雲の落とす影が、穏やかに横切っていく。
隣には、安らぎが自然に立っている。風が心地よくて周太は目を細めた。

「湯原は、強いよ」

宮田の声に、周太はすこし振向いた。見つめて、宮田が微笑んだ。

「拳銃、自分で取り返しただろ。湯原は」

慰めてくれるんだ。素直に周太は微笑んだ。
以前だったらきっと、放っておいてくれと自分の殻に籠っただろう。でも今は、宮田の言葉を受取れる。
ありがとう、と微笑んだ周太は、宮田を見つめて言った。

「でも俺は、強くなりたい。拳銃を奪われないほど、強くなりたい」

暫く見つめ、そうかと宮田は微笑んでくれた。
微笑みながら、すこし首傾げて宮田は、周太の瞳を覗きこんだ。

「強くて、きれいだな。湯原は」

どうしていつも、こういう事を宮田は言うのだろう。
きれいな笑顔で、そんなふうに見つめて、男に言うものだろうか。

「男に、きれいって言うものなのか?」
「きれいなら、言うだろ」

そういうものかと言って周太は、遠くへ目を遣り、柵に片頬杖をついた。
お前こそ綺麗じゃないか。周太は宮田を見遣って、かすかに微笑んだ。

「じゃ、宮田も、きれいで強いな」

言って、しまったと思った。首筋が熱くなってくる。また赤くなってしまう。
なぜこうなるのだろう。空へ視線を遣って落着くと、周太は疑問に思っていた事を思い出した。
宮田が周太を教場で見つけた時、宮田は逃げなかった。その理由を知りたい。
周太は口を開いた。

「なぜ、逃げなかった。あの時、宮田は逃げられた筈だ」

綺麗な笑顔で、ごく自然に宮田は答えた。

「湯原を残しては、行けなかった」

治まりかけた周太の首筋が、また熱に染まっていく。首筋に視線を感じる、きっと宮田が見ている。
梢わたる風が、屋上まで緑の香りを吹き上げた。周太の髪が乱され、額にかかっては揺らされる。
言葉も無いまま、夜の影が屋上に降り始めた。
僅かに湧きだした黒雲に、上弦の月が昇っていく。流れる空気は静かで、穏やかだ。

卒業したら、この隣はどれくらい遠くなるのだろう。
卒業すれば、死や暴力と隣り合わせの日常が、現実になる。

―ちょっと身の上話をしただけで、心を許したとでも?人間の見方が単純すぎるんだよ

遠野教官の言葉は、本当だった。
一度しか言葉を交わしていない安西に、無防備だった自分がいる。
俺はまだ甘い。他人の事など興味ないと、言っている場合ではない。

父が殉職した時のように、他人との関わりは、傷つけられる事がたくさんある。
けれど、宮田と関わらなければ、人の温もりを知る事も、きっとなかった。
温もりを失うことを、恐れる気持ちも得るけれど。知らないままよりは、ずっといいと今は思える。
隣に誰かがいる事は、優しい強さをくれる事もある。

― もし誰かの為になにかできたら、どうして生きているのか、分かるかも

もう宮田は、周太にしてくれた事がある。
その事を宮田に教えるのは、今はまだ気恥ずかしくて、周太には出来そうにない。



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