トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今は昔に

2009-11-30 | 今日は真面目に

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 2007年から2008年にかけて混合林内に侵入したアズマネザサや真竹、孟宗竹を除伐したら落葉樹と針葉樹の粗放林が姿を現した。

 入り込めないほどにビッシリと混み生えたアズマネザサの藪を刈り払ったら、五段の段々畑跡だった。子ども達の林内活動に格好の場所だと思いながら片手間に手入れをしてきたが、今年からボーイスカウトの所属地区は異なるが二団が利用し始めた。

 29日(日)はたまたま二団が活動することになったが「ようやくここまで来たか」と言うのが実感だ。それぞれツリーハウスを作る団と秘密基地つくりの団と、テーマは異なってはいたが森を利用しての活動が見られることは嬉しいことだ。

 通りすがりに立ち寄ったが、遠い日の自分が思い出されたのだ。「大人も指導者もいなかったなあ」と。

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米どころ秋立ちぬ

2009-11-30 | 旅行記

Photo_7『籾焼きの煙たちてはたなびきぬ』

『漂うは立ちて昇りし田の煙』

『籾焼けば狭霧のごとく田は霞み』

『藁塚に田ごとの煙人の影』


攻守交替

2009-11-29 | 小父のお隣さん

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 28日(土) 今日も暖かな日和だった。こんな時は昆虫の飛翔も増えてくる。蝶やトンボは必ずと言っていいほど陽射しをいっぱいに受ける姿勢で止まろうとする。身体を温めないと動きにくい気温になってきたと言えるが、蝶の仲間は羽の痛みが目立つ個体が多くなった。

 ほとんどが色もかすれて羽根の周囲は千切れているものが多い。「良くぞ使った」と言わんばかりの尾羽打ち枯らした姿だ。バッタ類は大きな茶色い個体だけがみられる。

 そんな一方では早くもタンポポが花を見せて来た。これから花を上げてくる株は増えていくのだろうが、来春の原っぱはどんなタンポポ原となるか楽しみでもある。季節の移り変わりだけでなく命の循環を感じないわけにはいかない原の風景だ。

 


何かおかしい

2009-11-29 | 性向有毒の翁なれば

Photo_8  『穀でエコするはエゴなりメタノール』

  『身体より車で燃やす食の種』

  『脱炭素だから電気と拠る火力』

  『エコライフ真っ向勝負エゴ頼府』

  『初っ端に史上最大赤予算』


初体験

2009-11-28 | 今日は真面目に

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 竹の除伐をするつもりが緩い一日にしてしまった。今日の作業への道すがら「筍を見つけるにはこういう所を 云々…」と薀蓄のつもりで実演してみたらヒットしてしまったのだ。

 日和見主義者の小生としては直ちに宗旨を変えて筍掘りに半日当ててしまったと言う次第。連日の竹の処理にいささかウンザリしていた事もあるが、アリン子三匹でそこそこの収穫だ。

 最盛期でも旬でも、誘われても掘りには行かずに掘ったものを頂いていた小生だったが、その意味では自発的であったから初体験でもあった。

 小生だけでなく今日の三匹の蟻さん、いやガラガラドンかもしれないが11月に筍掘りなど全員が初体験である。小生は先日たらふく食べたからお二人で分けてもらったが、さて献立が気になるところだ。


再度アカイカタケ

2009-11-28 | 小父のお隣さん

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 アズマネザサを刈り払った跡に出てきた侵入竹を 処理していたら古いヤマイモを掘った穴に足を落としてしまった。穴だらけなのは承知だったがネザサのヒコ生えが腰の辺りまで伸びていて見落としてしまったのだ。

 立ち上がろうと手を突いたその前に今年二体目のアカイカタケがあった。先日の個体より小振りだが新鮮でクレバも形も損なわれてはいない。根元の幼菌時代の卵の殻もはっきり残っている。このキノコを見るたびに昔の映画に出てきた一つ目の宇宙人を思い出す。

一般的には、このキノコを目にすること事態が珍しいのだが、形が損なわれていないのも小生としては珍しい。概ね虫食い状態で目に止まる時がが多かったのだから。

 穴に落ちたお陰で発見できたが「オムスビコロリン」の童話もこんなことから出来たのか、まあ「禍福はあざなえる縄のごとし」そんなところだ。骨折しなくて良かった。


日出ずる国の死合わせ

2009-11-28 | 小人閑居して憮然

Photo_7『血脈の規範無き者集まりて国計鳩首薄氷細工』

『合わせ水本流に取り替わりても割れ鍋芋煮煮えず焦げたり』

『張りぼての一夜城なり永田山継ぎ接ぎ評定雑兵は飢ゆ』

『関みれば水は濁りて霧立ちぬ永田は漏水モグラで枯渇』

これより

『関見ればモグラネズミの穴だらけ永田も枯渇籾一つ無し』がいいか。自分でもよしあしが判断できぬことに憮然とする。


かぐや姫は居らず

2009-11-27 | 今日は真面目に

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 21日の定例会以来、片付けていた竹の処理がようやく終わった。沢を挟んで南と北側の斜面の最小限度だけの除伐だが随分と雰囲気が明るくなった。

 見通しが利くようになったこともあり景観も全くと言っていいほど改善されたと感じる。だが12月の定例会と1月の定例会で除伐したのを細々と片付けていって2月には予定範囲の全伐が終了するのかどうか、終了すれば針葉樹林内の弱小木の間伐に入れる。

 初夏までに間伐と風倒木の処理が済めば森は見違えるように変貌するはずだ。どちらにしても「雨だれ石を穿つ」ではないが、そんな進度だろう。山の中では蟻の一匹程度にしかならないが、今日は三匹もいたから随分とはかどった。

 それにしても、いくら竹を切ってもかぐや姫は現れないなあ。埋蔵金も出てこない・・・。


亡国の蟲

2009-11-27 | 勢子、雨毒に侵されて呻く

Photo_8 『治む人養われるに民を喰う望無き者が亡に誘う』

『血吸い蛭霞ヶ関に連綿と農夫の脛を吸いに続きぬ』

『職獲られ保険獲られて保護反故に働きありは奴隷に及かず』

『労に暮れ治む者ども食わせても枯渇枯渇と骨まで盗らる』

『定義などかかる家族は成り立たぬ子も育てれぬ苦荷の逝く末』


私は綺麗?

2009-11-26 | 小父のお隣さん

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 竹切りにいく途中、アカイカタケを見つけた。これで今のところ毎年出合っている ことになる。既に虫に食われていて破損もしていたが、色彩も綺麗で形も斜めなのが惜しまれたがすっきりと角を伸ばしていた。

 このキノコもスッポンタケと同じように幼菌の時は卵に入っているが、発生自体が珍しいから幼菌の時は確認できていないのだ。その上、例年同じところには発生してくれないし、神出鬼没みたいなキノコである。

 支障木として伐採した合歓の木に試験的にヒラタケの菌打ちをしておいたのだが、ぼちぼちと発生してきた。しかし、どうも適合しにくいようで弱弱しく小さいキノコばかりだ。

 コナラに打ったのは手のひら大の大きく厚いのがビッシリと発生をしたのに、合歓の木は原木として不適切だったようだ。軟らかいからといっても、それだけでは駄目なようで、これは失敗体験でもある。

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久方の秋景色

2009-11-26 | 旅行記

Photo_6 『トンネルを抜けて目映い紅葉山』

 『渡り鴨溜池に落つ秋の暮れ』

 『鴨の群れ凍りたるよな水おもて』

 『休耕の田にアワダチソウ黄金色』

 長いトンネルを抜けると、そこの天候は一変していて風景も紅葉一色だ。駒子さんが居たかどうかは存じてないが、あの地震の爪あとが山肌にくっきりと残っている。

 この程度の崩壊はまだ良いほうだが、通るたびに思い出す。


世界の唱歌

2009-11-26 | 感じるままの回り道

 『アヴェマリア我も野の果て嘆きあり慈悲も憐れもただねぎ祭る』

 『故郷を離るる時に歌いけり還暦過ぎてまだ歌い継ぐ』

 『ローレライ歌いて既に半世紀山に在りては山に現る』

 『山澄めば村の娘を口ずさむソノシートにて覚えし歌を』

 『少年もブロンドの髪ふさふさと歌えば熱き高鳴り覚ゆ』

 『若き日は胸高鳴りしこの歌も今は侘しきカンツォーネ聴く』


今日はタナボタ

2009-11-25 | 何よりの楽しみ

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 竹の除伐を行っていた時、気配があったので後ろを振り向いたら沢に下りようとしていた人と目があってしまった。出会うのを避けた「筍掘りだ」と思ったものの、挨拶代わりに頭を下げてみたら向こうも頭を下げた。

 そんな出会いは忘れて午後の作業をやっている途中、また同じように振り返って目があってしまった。「採れましたか?」と訊ねたら近寄ってきて開口一番「これ食べてみろ!」と渡されたのが掘り取ったばかりの筍だ。どうも挨拶が良かったようだった。

 今春は筍が不作だったから「今期は出るぞ」と出かけてきて両手の袋に目いっぱい詰めて、もう二袋は持てないから埋めてきたのだとのたまう。

 小生より一回りも年上だから久しく忘れていた「傾聴」なんて単語を思い出して聞いていたら結構な長話になってしまった。

 それはともかく、教えてもらった食べ方で、採ったばかりの椎茸もあわせて夕食の献立にしたのだが、あちこちで重宝がられるほど美味しくはなかった。もともと筍や山芋など掘らないタイプだが、あえて掘ってまでして食べたいというものではない。とは言え、この時期に筍を食べれたのは挨拶のお陰です。

 ちなみに夕食の主菜は「カタクチイワシのトマト煮」。いつもの献立に比較すると豪華になった。贅沢をしてしまった。主食は玄米だったけど・・・。


光は暗きを照らす

2009-11-25 | 今日は真面目に

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   針葉樹林と放置竹林が接する地区は、放置竹林が南側にある事も相まってトレイルも林内も薄暗く日中でも薄気味悪い雰囲気が漂う。

 ここは遊歩道の導入部でもあることから、侵入竹除伐を至近で行ってはいるが思い切って境界部分の孟宗竹を帯状に刈り倒した。

 一本倒すごとに空が現れて、昼ごろには光の回廊が出現した。冬の淡い斜め陽でも針葉樹林内の林床に届くようになった。それも嬉しいことだがトレイルに明るさが戻ったことも佇んでいて清々する気分だ。定例会の時に除伐した部分はまだ作業継続中だが、随分と開けてきた。

 しかし足元を見ると長さ15メートル超の竹が足の踏み場も無いほどだ。切り分けて枝を払い集積する手数を思うと溜息が出るが、空を仰いで「光の回廊」が目に入るとモチベーションが高まるのが不思議だ。

 光の回廊を眺めていたら「その時はきっとこんな感覚なのだろうか」と生涯一度きりの体験のときに思いが入ってしまった。


赤いベベ着た

2009-11-25 | 小父のお隣さん

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 林道を歩いていて斜面に目をやったら赤いものが目に入った。大きめだったから「ハゼの葉でもないし…」と近寄ったらマムシグサかテンナンショウの実だった。改めて周囲を見ればサルトリイバラやセンリョウの赤い実がある。

 サルトリイバラは久しぶりにお目にかかった。蔓はあちこちにあるのだが実を付けていたのは久しぶりだ。

 この時期、フユイチゴの赤い実だけが目に入って、このような食用にならないのは注意がいかないのだろう。ガマズミの赤い実も目立つが渋いだけなので「色付いたか」でおしまい。

 どちらしても初冬の山野に赤い色彩は目立つけれども「クリスマス」「年末」を連想させる。