トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

株が小さすぎる・・・

2025-01-06 | 蝶の食草園

 昨秋に定植したキジョランの様子を見に行ったのだが幾つかの食痕が見られるではないかい。実際の処、昨秋にはアサギマダラは一頭たりとも影すらも観る事が出来なかったシーズンなのだった。だから産卵しているとは露ほども思わずに過ぎたのであるが今日の発見はいささか驚きでもありがっかりでもある。と言うのも定植したばかりの株では蛹化に至るまでの食料には不足だ。観察を続け食料枯渇に至る前に引っ越しさせる手法もあるけれど、近隣の蔓は高くて手が届かなくなった。蔓に取り付かせれば葉の部分まで移動はするだろうけれど、まだ小さすぎて移動には耐えられまい。

 二株定植して地上30cmほど、葉の数も5枚前後なので食料としては絶対量が無い。現在、思案投げ首したところでどうにかなる訳も無し。生まれた幼虫が全て蛹になれる訳も無い自然界の日常だからまあ、ケセラセラなるようになる・・・で行こう。


食草の変更

2024-11-20 | 蝶の食草園

 トンボ池横の草地に設定した吸蜜・花粉用のノアザミとフジバカマの囲い枠の中は手入れ不足もさることながら宿根草なのに衰退気味で遂には消滅してしまったのだ。宿根・多年性であっても実態は数年性なのかも知れないけれど補植をしようにも先日に補植したノアザミ10株ほどしかポット苗を用意していなかったので全ては埋まらない。

 空いてしまった範囲は深耕してネザサの地下茎を取り除いておいたものの吸蜜か食草になる植生で埋めたい。そこで自宅に残っていたクララとアシタバのポット苗を運び一枠を使って定植した。クララを食草とするオオルリシジミは生息はしていないけれどネットの頁に「ウラギンシジミが発生した」との情報があって「確かめてみたい」と導入したのである。

 アシタバはアゲハチョウの食草になるのだけれど食草園の木漏れ日の当たる範囲に定植されたアシタバにはまだ幼虫は発生していない。自宅のアシタバには発生は確認できたもののヨトウムシの食害も甚だしくて終齢までは追跡できなかった。今回、定植した枠囲いの中は食草園よりは日当たり良好なのでクララもアシタバも生育は良好になるだろうと推測しているがポット苗を定植すると遅からず威之志士様の跋扈蹂躙に遭うのが今までのお約束で、今回はそれを防止するために木炭粉に竹酢原液を吸わせたものを散布しておいた。「野獣は焼け焦げの臭いを嫌う」にヒントを得たのだがもう一方の野獣は金メダルが好物らしい。幸いにも我が姥捨て山には金メダルなど皆無なのでこの野獣は出没しない。

      


尾根突端部の手入れ

2024-11-18 | 蝶の食草園

 尾根突端部は一夏出向かなかった。結果的に盛夏の手入れが出来なかった事でフジバカマは全滅に近い惨状となったのである。この日、春の萌芽を助けるために園地を覆ってしまった蔓草や席巻し始めたチカラシバなどの障害草本を片付ける事にして刈り払い機を用意して上がった。勿論、坊主刈りはやってはいけないので高刈りで済ますのだけれど部分的には地際から刈り払いたいネザサの株やシュートなどが育ったいて、これは冬の間に折りを見ながらコツコツと抜去せねばならん。

 土壌の相違なのか立地環境でフジバカマの衰退がこれほど激しいとは思わなかった。水域の周りでは草丈2mに達する大株で繁っているのだがノアザミは消失している。一方、この園地ではノアザミは立派なロゼットを広げた高刈りした下に見えている。来季のノアザミ開花は大丈夫そうでほっとする、フジバカマも少しは残っていたものの貧弱な株ばかりでアサギマダラを呼ぶほどの魅力は無かったと言って良い。

 花畑の周囲に巡らした囲いも腐食が進みバラバラになってきた。これもそろそろ寿命だから片付ける時になったようである。最近は外来者が入り込まないから柵を用意する必要も無いけれど無いと縦横無尽に歩かれるのでロープくらいは巡らそうかどうしょうか迷いがある。ロープにしろ柵にしろ設置すると手入れの邪魔になるのは必定なのだが手入れの障壁を排除するより傷められるのを防止するのに手間を掛けねばならないのは何とも本末転倒に思える。


荒れさせてしまったバラフライガーデン

2024-11-14 | 蝶の食草園

 トンボ池傍に設えた誘蝶エリアだったが今期は諸々の気象状況や都合がつかない日々があったりしてすっかり荒れさせてしまった。本来ならば今頃はフジバカマに多くのアサギマダラを見終わった時期に当たるのだが今期は一頭も見ていない。既に花の盛りは終わって綿毛を抱いた種子を散らし始めたのである。それでもメドハギには多くのキタキチョウが群れて、こちらはガールハントと産卵に大忙しなのである。

 庭で育成したノアザミのポット苗も移植時期を逸してしまって立冬を過ぎてしまったものの冬越しは大丈夫だろうと定植した。不要な野草を抜き取って残っていたであろうノアザミのロゼッタを探したのだが全てが消え失せていた。ノアザミは多年草とばかり信じて疑わなかったのに昨年、今年と株の衰退は著しく遂に消え失せたのだった。S先生でも「多年草ではなく数年草なのかなあ⁈」とおっしゃっていたぐらいだから小生に判るはずもなく、せいぜい苗を育成し補植し続ける事しか用は足せないのだった。

 同じころに設えた尾根突端部のバタフライガーデンも同様の憂き目に遭ってしまい、フジバカマは全滅だろうしノアザミはどうなのか気になるところなれど水源地の復旧作業も行わねばならないから我が日々の行動は分裂気味になってしまいそうだ。手入れを急ぐべき箇所は数カ所あるがわが身はひとつで若き日のように猪突猛進は出来なくなった現在、まあ、ボチボチやるしかない。


キジョランの手入れ

2024-07-30 | 蝶の食草園

 連日の熱中症警戒アラート出っ放しでも暑さにめげないのは戦わないからである。既に壮年期ではなく、国に本音を言わせれば前期や後期ではない臨終期高齢者として処遇し国庫負担を軽減するのを目論みたいのだろうが、それでは票田を失ってしまう。であるからして負債を孫子の代に先送りして汗水は流さないで済ますのが本流と言えよう。そもそも今を凌ぎぶら下がっていればよいのであるし・・・。と言ってしまえば身も蓋も無いのだが戦わなくても折々の見回りは必要で、この日も警戒アラート発表中なのだが雲の多い空模様なので出かけたのだった。

 いつもの如く水見回りして、しばらく足を運ばなかった尾根突端部も周る。昨季に定植したキジョラン2鉢分の株はどちらも葉を大きくして元気だった。ツバキの根元に植えた株は日当たりが悪いので蔓の伸びは少なかったものの蕾を付けている。しかし、蕾が付いたからと言って、開花したからと言って結実する訳でも無いのが当フイールドでの経験値である。台地の肩に定植した株は蔓を1mほど伸ばしているが、それよりもヤマノイモやオニドコロの方が優勢で覆われていた。これを外すに刃物は不要だけれど細い蔓でも意外と強靭で不用意に手繰るとキジョランの方を傷めてしまいかねない。

 とりあえずは根元を断ち切って上部を枯らす作戦で対処する。ついでにキジョランの株周囲を坪刈りして再萌芽し絡まるまでの時間稼ぎもしておいた。帰宅するには多少は早いから上部の絡まった部分を軽く取り除きキジョラン本体に光を届けるように手入れをし、このクソ暑い日の作業を終えた。時間的には大した時間でも無いのだがフイールドに立っただけで汗ばむこの頃では、軽作業と言えど肌着まで濡れる発汗だった。無理はするまい転ぶまい、これがお爺の活きる道・・・。

 


ウマノスズクサ、増えているのにジャコウアゲハは姿が無い!

2024-07-13 | 蝶の食草園

 昨季からウマノスズクサの繁茂が止まらない。深い場所に地下茎を広げ鼠の額程度の庭の至る所に蔓を伸ばしてきたのが今期の姿なのだ。孤爺の姿はとうに婚期は過ぎ去って今期も黄昏状態なのだがまあ、活きていると言って良いので祝着至極である。さて、ウマノスズクサの導入は「身近で変な花を楽しみたかった」程度の動機なのだったが、これがジャコウアゲハの食草であって導入の年こそ繁茂して花を観賞できたものの翌年から蔓丈1m程度になるまでに産卵され地際まで食い尽くされる、と言う状態が晩秋まで3~4回続いていたから花を観賞する事など絶望だったのである。

 しかし、昨季は久しぶりの花を庭で観れる事と相成ったけれど、その一方で庭で繁殖した個体は数頭でしかなく今期も今の処は3頭だけである。故にウマノスズクサの立ち上がり本数は増えるばかりで蔓ごとに抜き取っても地下茎は健在なので数は増えるままである、と言うのが今期の手太楽だ。食草としてのウマノスズクサが増えればジャコウアゲハの個体も増える・・・と言う図式は成り立たないのが昨季・今期の経験値である。逆に飛来する成蝶が極端に減った事は別の要因がある!と考えるのが自然だが姥捨て山の小年金高年齢の孤爺に分かるはずも無し。フイールドに目を向けると一昔前まで盛夏に絞り水の滲みた場所で集団吸水するアゲハは20頭5~8種も数えたのだが最近は数頭いれば大盛況と言う現状で、飛翔数は増えたようにみえるものの吸水に群がる個体数を見る限りは減少しているのが現状で、繁殖力の劣化が想われるのだ。

     


キジョランの定植

2024-07-08 | 蝶の食草園

 定植場所を決め藪を整えたまでで終わっていた定植予定地。間に降雨があって滑り易い斜面なのでスリップ事故に注意しながらの作業となった。ヒサカキなどの小灌木は転落時の支えになるやもしれんと残してあるのでストレートにドンドン壺に落下する事は無い、と思っているけれどとっさの対応が難しくなってきた身体髪膚の対応能力では心許ないのである。

 この日、定植するのは二鉢だがそれぞれ3本の蔓の寄せ植えである。播種は昨年の早春で既に泥水池1の近くに昨秋、二鉢を定植しておいたがようやく活着し成長が認められるまでになってきた。今回の定植地はこれまでとは環境を大きく変えて自生地に近い沢近くの急斜面としたのでご機嫌麗しく育ってくれれば祝着至極である。それぞれ二鉢、蔓が這い上る支樹の根元を穿って据えている。今の処、キジョラン自体は40cm程度で絡みつく能力は無いので支柱を添えて軽く結わえておく。このまま観察を続けながら自力で幹に取りつけるまでに数年は要するはずだが、とりあえずは活着して欲しい。

    急斜面の一鉢      エノキを支樹とする一鉢

 孤爺の努力や思いをぶち壊す存在が威之志士様の跋扈蹂躙なのだが、周囲の環境にはなかった保育物を入れると日を置かずほじくり出されるのがお約束みたいになっており、その防止に今回も竹酢液を植えつけ周囲に噴霧しておく。これでしばらくは大丈夫なのだが月一くらいで噴霧に立ち寄る必要があって来期くらいまでは気が抜けない。今期、播種したキジョランは発芽したのだが数日を経ずにすべての地上部が消えてしまった。孤爺としてはナメクジやダンゴムシが周囲に多いので犯人と思ってはいたけれどS先生の見立てでは「ヨトウムシ」だった。なるほど、奴らなら犯行現場の様相からぴったりする。しかし悔しいなあ。来季に播種しても定植できるのは更に翌年ではもう見通しが立たない、足腰がたたない、足と腰の間も…まあ、現実は厳しくも侘しいなあ、お天道様よぉ。てなもんや三度笠。


キジョランの定植地

2024-06-29 | 蝶の食草園

 度々触れている事なのだがフイールドでのキジョランの生育は思わしくない。とっかえひっかえ場所や手当てを工夫しても満足のいく結果は皆無なのだ。今春、里帰りしたキジョランの種子を播き発芽して20本ほどの双葉を見たのだがほどなく全滅した。ナメクジかダンゴムシの食害ではないかと地上部の食害を発見したその日に移行性殺虫剤の散布も行ったのだが薬石効なしとなったのだ。蒔き床にはノアザミを蒔いて活用するが、先々を考えると今ある苗3鉢を定植してキジョランとの悪縁も終わりにするしかないだろう。

 だからこそ定植地を選択するのだが今回は自生地により近い沢筋の急斜面に定植する事にした。選んだ場所は南向き斜面の下側は沢水の落ちる壺になっている場所でイメージとしては適正かとも思える場所にした。しかし足場が悪いので転落防止措置を行わねば危ないかと思っていたのだがヒサカキなどの小灌木が足場になるみたいなので藪になっていたフジ蔓と野ばらを排除して何とか定植場所を確保した。この日、鉢植えは運ばなかったから翌日以降に作業となったのだがさーて、どうなるやら。

 決めた場所  ➡  藪を払って場所確保


ホトトギスのお里帰り

2024-06-11 | 蝶の食草園

 フイールドではホトトギス、サンコウチョウ、モリアオガエルの鳴き声が喧しい。フイールドで作業を開始した当時、サンコウチョウもホトトギスも鳴き声など聴けなかったのだが今では至近で当たり前のようにさえずっておる。これも樹木が育って林相が好みになってきたためとホトトギスに関しては托卵させる相手、恐らくウグイスと同程度まで数を増やしているリュウキュウサンショウクイの定着繁殖に由るのではないかと妄想している。

 さて、今日のホトトギスは植物なので鳴き声は無い。この苗は春先の頃、林道上に堆積した土砂の片付け作業中に堆積土の中から芽生えた株を拾ってポットに移し肥培した苗なので名実と共に里帰りである。ホトトギスも食草の一画を占めている植物なのだが通路周囲は坊主刈りされ続けてきたために大株が無いのだ。林道上の薄い土砂に芽生えても大きくなれず踏み潰され食草としての役割は果たせない。

 そこで苗を取り肥培して戻すことを続けていたのだが「雑草=坊主刈り」の範疇で処理されるので植生はなかなか育たなかったのが現実だ。里山保全や生物の多様性なんてコピー口上を言っているだけでは到達できるはずも無く、ウクライナやガザの空爆地に同じく生物的廃墟を生み出しているようなものである。かくして孤爺が植え続けてきた幾多の植物は刈り取られ抜き取られして現在に至るのだが「生物生産緑地」の立て看板を出してからはいくらかは破壊の手出しが減っている。だからと言って理解されている訳では無いのは承知で「いつでも風前の灯火」「刈り払い一発、生物的廃墟」はすぐそこにあるのだ。

 さて、今回のポット苗は林道を流れ下る砂泥を窪地に誘導して土壌の嵩上げを図り、ようやく定植できる高さまでに至ったから野草の中に点在させ植え付けて来た。良ーく見たところでホトトギスの株なんて野草の一部でしか無いから選択的刈り払いの自覚を持ち、植生育成の作業として認識しない刈り払い機作業者が目を付ければまた元の木阿弥だが、そういう連中の生命より野草の生命の方が長いはずで、それに期待するしかない。


ノアザミの採種

2024-05-30 | 蝶の食草園

 ノアザミの種子がようやく熟して種を散らし始めた。「もう少し…」なんて横着をこいて翌日回しにでもしたら最後、風と共に散りぬいいえ、風がなくともばらけて失ってしまうのだ。袋の用意が無かったので車載されたままの日帰り温泉用のタオル袋で代用する。今回の採取量で苗を作る十分な量は採れたのだが、ばらけさせ風に飛ばしてもほとんど繁殖には役立たずなので採種できるだけ採種しておいてボチボチ苗づくりに励もう。まあ、頭頂は若きみぎりより意思も無いのに禿んでいるわい。二度童ともなれば若々しさ復活!と期待したけれど幼児化しつつも若々しさ、いいえ、ふさふさ化は伴わなかった。悔しいからノアザミくらいはふさふさにしてやろう・・・。

 だけどなあ、種子の飛んでしまった姿を見るにつけ終生直視する事は叶わない頭頂部を見る様で「こんな姿なんだか…」と哀しい。

     


前立の肥大、後悶の痔疾

2024-04-27 | 蝶の食草園

 常識的には「前門の虎、後門の狼」とでも言えば良いのだろうがトラもオオカミも現代の実生活ではピンとこない。そこで「ピンとくる!」諺にするにはタイトルのような言い換えが大切になると小生は信じて疑わないのである。これだと「泣くに泣けない、万事休す」感が如実で切実である。まあ、ピン!と来なくて万事休すの事態もあるけれど・・・・・・・・。

 さて我がフイールドでアサギマダラ用の食草としてキジョランの育成を試みてはや20年、その生育実績は思わしくないのが実態である。とにもかくにも育ちが悪く、いろいろと手を替え品を変え場所を変えて育成これ努めているけれど思わしい成果は出ていない。トチノキに絡ませた蔓はトチノキの先端まで上り詰めてはいるけれど蔓の太りは思うほどでなく葉の繁り量も豊かとはいえない。

 その上に健全な苗を定植しても数年も経たずして黄変して来る。S先生の観察によれば「ウイルス感染の症状」との事だからまあ、「薬石効なく」いずれは枯れ死の運命だ。写真は一昨年に播種し昨年に定植した苗なのだが1年を立たずして黄変して来た。定植当初は先端の成長も良く、期待していたけれど「どっこい、そうは問屋が卸さない」てなもんや三度笠である。キジョランは気難しい植物と言う印象があるけれど自らの生育環境を選ぶ傾向は強いのに加えウイルス感染には弱いのかも知れない。まあ、一般的には個性の強い植物ほど生存競争には弱い傾向があるようなので前立腺の肥大、肛門の痔疾と例えたい悩みは続くのである。ちなみに我が身を振り返れば年齢相応の天の配剤、お約束事は死ぬまでのお付き合い、に加え「…も」あったもののまだ珍しく高価だった洗浄便座を取り付けてから無くなった。これは投資した甲斐があったと言えるが投資話には関心は無し・資金も無し・・・。

                     


カラスザンショウ移植

2024-03-01 | 蝶の食草園

 裸木の新芽も萌えてきたのだろう裸木だった里山の斜面が霞んだように見えるようになってきた。冬芽一つ一つを観察しても大きくなった感覚は覚えないのだが風景はまさしく点描の絵に見えて来る。そうなると移植の時期でもある。水源地の保全作業を行いたかったのだが何日要するか計れないのでカラスザンショウの実生苗を一カ所に集めた。幼虫のリスクを軽減する視点からは分散させておいた方が望ましいと思いつつも囲いの中や日照条件の悪い場所での実生樹なので、ここは幼虫観察樹としてまとめた。

 昨季の幼樹にはアゲハの3種類が産卵して、その好みぶりが理解できたので今回定植した段々斜面には採種した種も直播してある。どの程度が発芽するかは不明だけれど産卵食草用に高さ2m程度のまま随時、萌芽更新を続けるつもりなのである。カラスザンショウが移植にどのような反応なのか経験値が無いので未知数だけれどその分、植穴をしっかり掘り根鉢を保った掘り上げ苗を据えた。

 後は泥土をスコップ1杯施し水決めし支柱を添えて終了した。根回りに土が密着できるように手間は掛けたし根が動かないよう支柱も添えたので発芽してくれれば活着できるだろうと期待している。


鉢植えのキジョラン

2024-01-24 | 蝶の食草園

 生育の良かった二鉢は晩秋にフイールドへ定植した。残った三鉢のキジョランは2~3本植えなのだがどれも生育が悪くて晩秋に定植できなかったのである。深鉢が足らず間に合わせに使った少し小振りの容器に臍を曲げられたのかまでは曲解しないけれど気難しい植物である事には変わりがない。

 当地郊外にも株数は少ないのだが野生のキジョランは存在しており採種できる株もあるのだが、わざわざ出かけなければならないので採種まではやったことが無い。フイールドでの野生種については「昔はあった」とS先生はおっしゃるものの、なにぶん若い頃の話で現段階での存在状況は不明だ。だからこそフイールドでの育生に手間をかけるのだが未だに太い蔓に生育した株も無く、15年以上の維持管理してきた株でも開花さえしない。繁茂し葉数を増やさないと幼虫の食料が足らないと言う事だけでなく発見されやすく狩られる機会も多くなってしまう環境のままで越冬する事になる。今期も定植株には10卵ほど数えたのだが現在では見回りで視認できる範囲の葉には一頭も幼虫は確認出来なくなっている。

 まあ、一説では3000卵の内、幼虫は300,蛹化体は30、羽化成虫は3、とも言われる世界なので気にしてもしょうもないのである。せいぜい、せっせせっせと株と葉数を用意しておくことぐらいしか小生に出来ることは無い。

     


寒中のツルモウリンカ

2024-01-20 | 蝶の食草園

 寒中ともなれば南国産の動植物には厳しい環境だろう。冬越しさせるためには寒冷紗で覆うなり軒下に匿うなりするのが親切な心使いだと思わぬ訳でも無いのだが、もともとが野草でもあり本格的に生育させたとしても本来の「食草」としての意義も無く、まずは「当地で越冬できる植物なのかどうか⁉」を確かめたい。そのために当冬を庭で過ごさせている。

 冬になって今のところは葉の緑色が薄くなっているけれど霜焼けなどの影響はないようで、年が明けてから最低気温0℃の時が数回あったけれどなんとか維持できている。発芽してまだ1年経過していない株であるが昨秋にはガガイモ科特有の小さな花を開花させた株もでたから四苦八苦しているキジョランの育成に比べれば性質は温厚そうに思えた。これも琉球列島産の性質に由来するのかどうかまでは判らない。

 運よく冬越し出来たらリュウキュウアサギマダラは居ない当地なので食草になる相手もいないと言う事になるけれど、アサギマダラが食草にしてくれる実態が確認出来ればそれはそれで越冬幼虫の食草が増える事にもなり多少はリスク管理が行き届きそうに思えるので、ひとまずは庭先で春を待たせる。ちなみに右下の株は先端に蕾を付けている。ツルモウリンカの生理は全く知らないのだが「年中開花」の性質があるのだろうか・・・。だとしても常夏南国原産種、「時知らず」の性質であっても何らおかしくは無いだろう。

     


キジョランの莢

2024-01-14 | 蝶の食草園

 直ぐ上の兄が「数個、結実したから…」とその中のひと莢を送ってくれた。莢が青かったし割れていたけれど熟したと言うには時間が不足している段階かも知れないなあ、と思いつつ水切りネットに入れてカーテンレールにぶら下げた。乾燥が進みはじけて溢れ出ても部屋中「なんてこったい!」なんて事態にはならない。

 もともと結実したキジョランは小生が育成した苗なので、端的には「里帰り」の種子になるのだが当地で育てている兄弟姉妹、はてまた大先輩のキジョラン達は未だに結実してくれないのが小生のフイールドの現実である。「キジョランは気難しい、育てにくいい、生育不良のまま」なんて心証は小生だけでなくS先生も同意してくれるほどのキジョランの扱い難さであるが「鬼女蘭」と漢字で書けば生易しい植物ではないと言うのが窺い知れる。写真のキジョランに発芽能力が備わっているかどうかは播種して見なければ判明しないけれど、数本でも発芽してくれれば願ったり叶ったりだ。

 年明けの4日、フイールドのキジョランを見回ってみたが観察できる高さの葉には既にアサギマダラの幼虫は発見できなかった。ただトチノキの梢にまで上ったキジョランには食痕は見えているので1頭くらいは生存しているかも知れない。ここはまあ、生存していると思って眺める事にした。

 莢ごと送ってもらいそのまま水切りネットに入れてカーテンレールにぶら下げて置いたらモコモコと大冠毛付きで溢れ出て来た。この大冠毛、タンポポの冠毛の比ではなく大きいものは40mmほどに達する。それだけに捕縛から逃せば屋外では僅かな風に乗って行方不明になるし、室内では千切れた冠毛が室内を漂い、呼吸もしたくなくなる惨事となる。

 播種までネットの中という訳にもいかないので45リットルのゴミ袋の口を二折りほどしてからその中で種子と大冠毛を外した。屋外ならばネットから摘まんで取り出すだけで済むけれど、何せこの日は寒さ厳しい曇天では庭に出る気にもならず暖かな室内でと横着を決め込んだのだ。取り外した種子はおおよそ60個、中には明らかに未熟果と見える物もあるから歩留まりは7割程度だ。しかしながら播種して発芽までに至るかどうかは現時点では不明の完熟莢とも思えない実からの採種である。まずはお彼岸ごろに播種して発芽するのは梅雨に入る頃になるから結果が判明するのは半年も先だ。育林だけでなく草本の育成も時間と手間が必要なのだった。