トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

戯けき者 終にはほころび

2009-07-30 | 小人閑居して憮然

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            『民意無き壊革進み日暮れなり』

            『壊造と壊革の貧日暮れ六つ』

            『実も無き檄消える空鳴る梵鐘』

            『壊官が壊革をする国壊は壊造七重壊花かな』

            『任期すら全うせずに操無き携わる者民も同罪』


防犯より不安

2009-07-29 | 感じるままの回り道

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 初めて乗る国際線の機体を見てびっくりした。色の使い方の派手さに目を疑ったのだ。京劇の衣装か隈取か、そうとも思ったが個人的にはセンスが感じられなかった事も大きい。

 その上、梅雨前線の上の気流の悪いところを飛行するのだろうから酔いも覚悟しなければならなかった。

 19歳の時、100ドルもって鹿児島空港から那覇空港までフレンドシップという双発機を利用したことがあったが、この時は晴天だったが気流が悪く乱高下が続いて機内食は食べれなかったのだ。そんなことを思いながら出発したのだが乱高下は一時でホッとした。

 行程の中で建物のデザインにも出発機に感じたようなことがあった。それは中高層の建物の屋上部分の設計だ。日本で見る様子とは異なり、思いっきり個性を競い合っている。理由があるのだろうけどわからなかった。

 もう一つ、住宅の三階部分までの窓に設置した鉄格子も理解が出来なかった。おそらく防犯上の設えと考えても「火災」になったら逃げ場が無い。田園地帯より都会の住宅密集地に多かったから火災になったらどうするんだ、と他人事ながら不安の風景だった。

 「命の値段の安いところなんだろう」なんて冗談を言っていたが、そうとも思えるのだった。


驚き桃の木三枝の木

2009-07-28 | 旅行記

Photo 寒山寺の石碑を見て勘違いに気がついた。それは「寒山=寒山寺」と認識していたことだ。確かに石碑の句は有名だが「寒山」で思い起こすのは「遠く寒山に登れば・・・」の一句だったからだ。どうでもいいことだが個人的には「寒山に登れば・・・」のほうがしっくり染みてくる。

 庭園や植栽をみて気がついた事、一つは日本に比べて桃の木の植栽が多かった。これは桃源郷の故事に由来するのだろうと勝手に推測した。

 庭園に植栽され樹木の手入れは大雑把で、日本のような繊細さは感じられなかった。樹種も乏しいように思えた。特になじめなかったのは石の好みだ。太湖石というのか刺々しい岩石が多くてなじめない。庭園の佇まいは大陸らしいゆったり感が感じられなく藪に潜り込んだような印象を受けるところが多かった。日本と異なり地平までさえぎるものの無い土地柄では囲まれた感じに安らぎを覚えるのだろうか?。

 街路樹に植栽された樹木は幼木のうちに主幹を切って「茄子の3本仕立て」あるいは「果樹の杯状仕立て」の中間のような樹形に仕立てられているのが普通だった。

 街路のプラタナスは例外なくそうだったし、造成中の園地に植栽された幼樹もそのような樹形に仕立てられたものが多かった。

 理由を尋ねたわけではないが(ガイドは知らなかった)効率的に木陰を作るための樹形だろうと推測する。


垣間見た事、とも言えないか?!

2009-07-27 | 感じるままの回り道

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  旅行客として度肝を抜かれたのはサービスの中身だった。夕食を摂ったある立派な店のテーブルクロスに目がいったら接ぎ当てがしてあった。見える範囲に2箇所あったが、当てたところが表になっている。タバコの焼け痕なのだが裏表に注意を払わないのか気づかなかったのか日本では考えられない。

 店舗の接客態度は資本力の無いところほど横柄だったり、無気力だった。最初にコンビニに入って淨水を買った時、お釣りはクシャクシャのまま顔を向けずに投げて寄こした。話には聞いていたがびっくりした。 ショーケースやカウンターに寄りかかっているのは当たり前、ドライブインではショーケースに突っ伏して寝ている売り子も見た。

 地元の客より国外の団体客が多いと思われる食事処での若い従業員の無表情は気になった一つだ。考えてみれば自分達の日給分がビールで消えてしまうなら顔も引きつろうと言うものだろう。

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 自称四つ星ホテルでは飲水も部屋におく消耗品も全て有料だった。これもビックリだ。一品一品の価格も決して廉価ではない。ほかのホテルはそうでなかったから、ここは特区なのだろうと納得。

 一見の旅客相手ではそれでもいいのだろうが、みやげ物の扇子が四分の一にまで値下げされたり、100元のシルクのパジャマが最終的には2着で60元になったり、こんなことは普通だった。さすがに官庁直轄に近いところは値下げには厳しかった。

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 写真には写っていないが、撮影者の後方に物乞いの父子がいた。プレスなどの機械で上肢を切断されたと思える身障者だった。3~4歳に見える男児を連れていた。父子とも真っ黒というか赤銅色に日焼けして屋外にいることが長いことを窺わせた。下船したら会いたいと思っていたら下船場所が違って会えなかった。心残りがある。

 西湖の雑踏の中には高齢者の物乞いが何人もいた。まとまっていたから連れ立ってきた仲間内か?。暇つぶしと実利を兼ねた過ごし方とすれば「これも有りか」と思わずにはおれなかった。

 日本でもこんな風景は記憶にあるが、この国の格差は半端ではないのを感じた反面、大衆のたくましさは随所で見ることができた。伊達ではない「眠れる獅子」を実感する。


カオスは続く

2009-07-25 | 勢子、雨毒に侵されて呻く

『ワンマンの祖父似て非なるワンのマン』

『釜茹での舌なき者の内輪もめ』

『票により存在職務は票集め』

『夏の陣見得切るだけの役者かな』   

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未明に想う異国

2009-07-25 | 旅行記

『炙られし干物のごとき心地する上海の地は稀なる熱暑』

『赤銅に焼けた肌みせ身障の物乞う父子のたくましきかな』

『赤鬼に囲まれしと思えども西湖遊覧異国語を聴く』

『食べきれぬ円卓中華昼も夜も庶民は食べぬ健康体型』

『風化せし住居仰げば高層群瓦礫の中に生業があり』

『往来の雑踏呈す無秩序に民の息吹きも近隣もあり』

『地平まで連なる銀の雲海にラピュタの城で飛びしと思う』

『薄明のしじまに想うかの国は人も車も既に往来』

『洗浄の便器に思うこの国は飲水をもち肛門洗う』


中日友好 感的詩文

2009-07-24 | 旅行記

     余山皆既の旅

   余山 水煙に隠れ

   漆黒の昼 稲妻が射る

   驟雨一時 熱地の慈雨

   生涯一会 雷雨と去る

                      余山日全食之旅(意訳:添乗員Kさん)

              余山 云霧繚続

              漆黒的日天 雷電滾々

              暴雨傾盆 清涼大地

              生涯一会 随雷電失去像影


初乗 磁浮列車

2009-07-24 | 旅行記

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磁浮列車ホームへ           全席自由席             降雨のため413キロならず

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片側4席向かい合わせ            フエースはこんな顔

 上海空港へはバスでなく、世界初の営業運転をしている磁浮列車で行くことになった。これはツアー客の要望だったがガイドとしては最後まで気が抜けない道中となっただろう。

 ガイドブックでは当日乗車の航空券を提示すれば二割引(40元)とあったが集金は100元、これはご愛嬌の口か。

 未明より激しい降雨で最高時速は300キロ超と掲示が出ていてがっかりしたが、413キロ出ても表示で「そうか」と思うだけなら、初乗車に価値がある。

 想っていたより揺れたし、走行音があった。これは以外だった。空港について雨は小康状態となって、バスから機内に入るとき濡れずに済んだのは楽機ーだ。


観光最終日

2009-07-23 | 旅行記

 杭州観光のハイライト「西湖遊覧」と西冷印社を巡って昼食となった。自分用の土産に硯と墨を買った。これが一番高い買い物となった。

 西湖の混雑は半端でなく、道路も渋滞で予約の舟に乗れずコースを変更し時間切れで霊雲寺は見学できなくなった。

 一言も発しなかったドライバーの声を駐車場の係員に怒鳴ってくれたため聞くことが出来た。空港での別れ際では穏やかな顔をしたおっさんになっていた。きっときつい業務と責任から開放された安堵の顔だったかもしれない。

 遊覧船の展望デッキはドイツ語、イタリア語、スペイン語、聞きなれない北欧らしい言語が飛び交っていた。丁度、日本に帰化したJ.W.ニコル氏のような風貌のクループは、さすがに「赤鬼が来た」と思わずにはおれない迫力だった。

 昼は上海料理、そのあと上海までひた走る。新天地・外灘を見学して夕食は広東料理だった。明日はフライト日。

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皆既に続き日が暮れる

2009-07-22 | 旅行記

 雷雨に翻弄された日食観測?が終わり、天気も回復した。それぞれサバサバしていたように思いました。

 昼は余山の郷土料理を食べて、杭州観光に出発する。夕食は杭州料理。ホテルは初めて飲用水が蛇口からでた。

 でもバスタブの栓は使えない。シャワーを使えば排水が滞って水位が上がってきた。すっぽんぽんで通水させたのはお客の私です。ホテルさん!。

Img_0140 昼の郷土料理


星も見えない昼、寂しく眺め…

2009-07-22 | 旅行記

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  並ぶには理由が          準備はしたのよ          ご存知宮元アナは隣組

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 予報は大当たり           真昼の夜は体験しました       報道班ももう撤収ムード

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    ちなみに予報は「雷雨」              焼け糞の添乗員、でもないか?!


朝一番早いのはパンダの小父さん

2009-07-22 | 旅行記

 年の性もあって未明には目が覚める。まだ暗い、眼下の町並みを見下ろすと人や車の動きがある。五時ともなると通りには活気が感じられる。ともかく朝は早い。夜は日付が変わる頃まで人通りがある。通りには涼みに出ている住民が溢れている。まだ上半身裸で闊歩する男が多いのも驚きだ。

 町はどこも「スクラップ&ビルド」で破壊と建設、近代と前世代の風景が混在しているのが当たり前だ。その意味では町並みに落ち着きは無い。どこもかしこも婚前一体、ではなくて渾然一体だ。

 未明から露地で卓を囲んでいる四人がいた。マージャンかと思ったらトランプだった。隣の鍋ではうどんを削って作っている。道路の通行は人も車も優先されなく「度胸優先」社会そのものだった。人民元・気の国だなあ。

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 自転車が多いのは知っていたが、半分は電動アシストというより電動だった。それに昼でも夜でも二人乗り、三人乗りは当たり前で、夜中でも学齢前の幼児を足置きに立たせて走る親も多く見られた。

 びっくりしたのはアセチレンガスのボンベをスクーターの足置きに横に乗せ走っていたことだ。都会の雑踏の中を平気だったし、誰も注意を払わない。大陸的といえばよいのか・・・。


足にもバカンス

2009-07-21 | 旅行記

 暑い日も寒いときも厚手の靴下二枚をはかされ、編み上げの安全靴で閉じ込められている我が足君に、今回は本場のバカンスを与えることにした。

 いわゆる「足マッサージ」だ。ホテルの別棟のエステ館に行くことになったが、そこで当惑する羽目になった。

 実は、靴下や下着は使い捨ての心算で、古くて悪いものばかりを用意していたからだ。今日、はいていた靴下は、両足とも親指が出ていたから、人目に触れるのは恥ずかしい。

 そこで、入館する前に素足にしたのだが、素足で運動靴を履いている小父さんをみて「あの芸能人」を連想してくれただろうか。

 指定はしなかったが若い娘が施術した。しっかりやってはいたが、経験値と技能の習熟は得られようもないから、眠くなる快感は無かった。でも翌日も足は快適だったのだ。

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 言葉の通じない異国の地で、言葉の通じない相手と対峙するのはなかなか気を使わねばならなかったから、足は快適だったが小生としてはストレスがあった。

 まっ、いい経験だった。全身マッサージを体験してみたかったのだが、肋骨の骨折部分がネックで足だけとなったマッサージ初体験でした。


大陸のセミも鳴く

2009-07-21 | 旅行記

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 二日目は蘇州観光。寒山寺、虎丘、留園、刺繍研究所など。オプションで運河観光にも出かけてみる。古い家並みが残っているところは佇まいが優しい。

 今日も暑い一日だった。セミの鳴き声がかまびすしい。入場する時は「謝エー謝エー」と鳴いているが、お暇する頃には「熱ジー熱ジー」と鳴く。セミも大変だ。

 ハスの実を初めて食べてみた。周りの人は手を出さなかった。おいしいモンではない。

 宿に向かう途中、積乱雲が見えてきた。明日の空模様が気になる。夕食は上海料理だった。材料は全く同じものというわけでなく「田うなぎ」はおいしかった。

 今日は余山宿泊。宿は豪華だった。バスルームはベットを入れて泊まれるほどだった。一人ではもったいない。

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熱烈歓迎

2009-07-20 | 旅行記

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 上海空港ビルから一歩外に出たら、足元から頭まで電気ストーブのに囲まれたような熱気に包まれた。翌日の新聞を見てびっくり仰天、暑いはずだった。

 宿泊は蘇州、ホテルは自称星四つと言うだけあって豪華だった。しかし部屋の消耗品がことごとく販売品なのには参った。飲用の浄水までも一本6元だった。これはやりすぎだろう。

ホテル到着は21時半、180キロほどバスで走行したとのこと。

 夕食は上海料理と上海風焼きそばが予定されていたが、焼きソバは出なかった。しかし写真は前菜の分、主菜を含めると焼きソバは無くて正解。

 今日明日暑い天候との予報らしいが、22日が心配だ。日本でのチェックは一週間前から「曇り」の予報が変わらないのだから。