トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

朽木不可杇也

2023-11-30 | 今日は真面目に

 「朽木は彫るべからず」と言えども彫刻するで無ければ使い道はある。今回、朽ちるに任せた集積場から護岸用資材として活かしたけれどまだ残りがあるし設えの必要な場所もある。重い材を曳き護岸に据え杭を打つ作業などそうそう続けたくもない作業であるけれど「だーれもやらず。じゃあ誰がやる?」と自問すれば自分しかいないのだった。てなもんや三度笠で何時もの顛末に相成ったのだ。

 この日は曳きだすだけで任務終了とした。たかだか10本を曳きだし並べただけだけれどやはり疲労感が出て来る。牽引器をどれだけキコキコしただろうか。太い材で300φの長さ4mであるから水分たっぷりの古材は数百キロに達しているはずである。太すぎる材3本は2mに切断してみたがこれを50mほど曳かなければならないし泥濘部で据え付け作業もせねばならない。眺めているだけでは進まないのが人生である。

 先日「当事者が研究者」という番組を観た。なかなか面白い内容で「捨てる国あれば拾う人あり」みたいな状況は興がつのったのだ。考えてみれば小生だって「当事者で研究者」であろう。姥捨て山での孤老にてコロッといくかどうかの保証は無いもののカエルやトンボに研究されている。もちろんそこにはアカデミックのかけらも無い棄民としてのかけらだがスッタモンダモヤモヤ感を持ちつつ蠢いている状況は近いと言えるだろう。寄る辺のない結果として結局は放置された朽木を曳きだし活用するなんて事は期せずしてSDGsに適っていようし、その意味では姥捨て山の孤爺と言えど最先端な行動なのである、とイチゴサッテモウシタモウシタ・・・。


二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「ああ、美しい日本のチョウは」

2023-11-29 | 小父のお隣さん

 晩秋から早春にかけても陽だまりが続くトンボ池北側は格好の越冬地でもある。越冬しない昆虫でも生き延びられる期間はその姿を終期まで見せてくれる一等地でもあるのだ。11月末の段階で普通に観られるチョウはキタキチョウやタテハチョウの仲間、それにシジミチョウの仲間と言って良いけれどシジミチョウの仲間は小型ながら美しい色合いを呈してくれる。翅を閉じていると地味だけれど日光浴をしたくて展開すると美しさが満開だ。

 写真の種はムラサキシジミだったかと記憶しているがまあ、間違えていたところで支障はない。他人に教える事も無いし自ら眺めて楽しむだけの独りよがりであるからだ。老眼と乱視では眼鏡補正をしなければスッキリ観察も出来なくなっているけれど眼鏡を外せばそこはまた別次元の極楽である。チョウは数匹重なり合って見えるしボケ具合が何とも身の丈に合うではないか。しかし眺めて想う事は何時も同じで「何とグラデーションの美しい光沢なのだろうか」。とはいうものの世界のチョウなど知らぬ存ぜぬの小生が発した言葉など爺我自賛であるがかの詩に歌われたように「ホメラレモセズシカラレモセズ」の姥捨て山では自賛でも大切で痔惨では生きる意欲を失ってしまうが「ソウイウヒトニワタシハナッタ


導水路の整備 5日目

2023-11-28 | 小父のお隣さん

 今回、泥浚いまで行う予定では無かったのだが4日目の翌日に50mmほどの降雨があって導水路の具合を確認するために行くことにしたのだが、そうなればついででオオカナダモの抜去と泥浚いを行い堤の盛り上げを行うのが無駄がないと判断したのだ。

 上の池に投入され繁茂させられたオオカナダモは発見次第に抜き取る事のイタチごっこするしか手段は無くなって水が澄んでいたら行う心算が降雨の結果ではなくコガモが夜間飛来して塒と採餌を行って飛び去り始めたのでこの日も濁りが増してオオカナダモは見えず抜去作業は断念したのだ。

 上の池には下部水域のようなシャジクモの繁茂は少ないのだがオオカナダモを食べてくれるならそれはそれで大歓迎だ。さて、次の作業は泥浚いでしかない。長柄のジョレンで新たに二段丸太設えにした堤は導水路の流れをようやく保っているだけの高さしかない。今回設えた二段丸太設えの護岸いっぱいに泥を上げれば流路からの越流は防げる。これでようやく誘導堤の役割が機能するのだ。

 後は黙々とジョレンを投じ粛々と泥を浚い引き上げ積むのを繰り返すだけである。この日はたまたまここを勢力下におくグループの活動日で代表から「よくやりますね!」と声かけられたから「ほかにやる人など居らんもんで…」と返したら「確かに頼まれても嫌がりますもんね…」と言われてしまった。どうせ変人奇人老人孤老の口だわい。

 溜息粛々、爺泥を浚う事しばし・・・ようやく再構成した範囲に泥の堤を築く事が出来た。春までは歩く事も出来ない堤ではあるけれど流路の増水には負けないはずだ。ここまで行って越し方を眺めれば池の北側一辺は護岸が無い。集積場所を眺めれば古材だけれど使える適材が必要量残っている。そうなるとため息をつきつつ更に一週間ほど作業を続ける気になってきた。こういう事は意思が全てで身体は後回し。カチカチ山では火打石がカチカチと鳴ったが姥捨て山では腰・肩・膝がパンパンとなる。そして背中に火が付いた狸の悲鳴が童話では聞くのだけれど姥捨て山では背中に貼った湿布が効く、少しだけ・・・。

 流路と堤を眺めれば判るように「何でこんな余分な設えを・・・」が大方の反応なのだが浚った泥を場外搬出し易くするにはどうしても林道近くで泥浚いをする必要がある。まあ、こんな手太楽は孫子の代に借金を背負わせ仕事をしていると思っている輩や「ボタ餅ボタ餅!」と喜ぶ手合いには判らない事だろうけれど俯瞰すれば小生の呻吟作業も「飢えたタコの食事」に等しく「みんな一緒クタ」なのだろう。あーあ、くたびれた。

 


導水路の整備 4日目

2023-11-27 | 水辺環境の保全

 上の池の護岸作業はひとまず終えたので林道から流れ落ちる雨水の流路の護岸もついでながら済ます事にした。降雨の度に落ち込むのでえぐれているだけならまだしも両脇の侵食も発生しているし、その結果の土砂流入は少しでも避けたいからだ。

 低年金高齢者ともなれば「避けたい身体」そのものの重量物移動作業になってしまうのだが泣き言は言えない。独りで泣いたところでカラスが「バカア バカア」と唱和する位なものだし時折はジョウビタキが「ヒッヒッケッケッ…」などとせせら笑いに寄ってくるだけの姥捨て山なのだ。捨てられた以上は孤児であろうと孤老であろうと自ら「生きる!」のが矜持であってせめて冬至まではその矜持を保ちたい。そうできれば一陽来復、春が見えてくるだろう。そんなわけでしばらくは背中あぶりが唯一の幸せである。

 さて、この日の丸太材は大物だ。長さ4m×300φあって古い放置材だけれど水分だけはたっぷりと含んでいて重い事重い事、生木の比では無かった。金梃子と鳶口だけで移動させ据えるには無理なので半分に切断したのだがそれでも重さは数百㎏になるのだろう。溝に落とすと突き刺さったようになって「梃子でも杓子でも動かん!」状態となり四苦八苦させられた。牽引器を使う手も考えられるが支点となって引ける環境が無いので全てはツッツモッツの作業である。

 まあ、とにもかくにも据え終えて祝着至極かつ執着地獄はようやく脱する事が出来たのだった。林道から眺めれば我ながら惚れ惚れする出来栄えで、眼前にあるものを「映えー!」なんて写すだけの輩には判らん充足感疲労感腰痛感であるが「いい子、いい子」してくれる血の通った人間は居ないので自ら禿げ頭をナデナデしたらン十肩が痛くて藪蛇だった。それと同じでこの国の政治・社会は弱いものに優しくない。「映えー!」なんて喜んでいる輩は人生の蠅すら追えなくなるであろう。

     


上の池、導水路の整備 3日目

2023-11-26 | 水辺環境の保全

 三日目にしてようやく護岸丸太の入れ替えが出来る。まずは埋もれてしまった護岸丸太を外しながら新たな、とは言っても古材であるが太い丸太材と交換した。一通り入れ替えたところで外した丸太材をその上に載せ固定すれば二段重ねの護岸が出来上がった。

 入れ替えの用材を配置して目見当を付ける。ここまでは前日の作業だ。

 入れ替え終了した。外した材は池の中にある。文字にすれば他愛も無く簡単だったが堤の部分は泥濘状態だし池に入れば長靴が泥にとられて抜くのもおぼつかない。何度か「オットットー!」となったけれど今では誰も「オットゥー!」なんて呼ばないし「ヤットゥー」なんて場所違いだし「ナットゥー」も泥土は似たようなもんだが口には出来ず「結局は丹衛門どん」であって独り言で気合を入れたわい・・・。さてこの「結局は丹衛門どん」は越後出身者でも死語になった。

 まあ、それはともかく、これでようやく池の泥浚い出来る泥上げ場を設えたのだ。同時に山体からの絞り水を誘導する堤の高さも上げる事が出来るので出水の度に池に拡散していく泥土を沈泥部まで誘導し易くなったはずである。

丸太二段の護岸完成 


二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「あら!見てたのねー」

2023-11-25 | 小父のお隣さん

 誰とは言わず食べるところを注視されるのは心地が悪い。カマキリだってそうなのだろうと慮るが実際の処、カマキリと人間の思考や感性が異なるからどうなのだろうか。ささやかな役にも立たない疑問はさておき気分よく頭部にかじりついていたカマキリ様をしげしげと眺めようとしたのだが確かに視線で刺して来た。撮影した視線も紛れもなく咎める表情である。今期はことのほかカマキリの個体数が多い様に感じたのは坊主刈りが無かったからに他ならないと考えている。

 保全活動一般では坊主刈り、はてまた丸刈りなどは当たり前田のクラッカーみたいなものだけれどそれは終始一貫して行う事ではない事が理解されない。坊主刈りされた後は当然一木一も無い生物的廃墟と化す。言い換えれば一目一掃なのでもある。農地や宅地、はてまた公園の芝生広場と同じ感覚で刈り払われてしまうと粛々と積み上げた事が一気に崩壊に向かう。見た目を綺麗にする事が目的化してしまうと破壊活動と同じ事になる。強いて言わずとも「対生物的テロ」と言って良いだろう。

 まあ、愚痴はともかく今回もリアルな捕食場面を堪能させてもらった。捕食されていたのはツチイナゴだったがバッタ類やセミなどを齧っている時の音は「バリバリ」と聞こえて感激する。もちろん小生がイナゴの佃煮を食する時もバリバリと音を発するけれど感激する音ではない。「美味しいー」という食感の溜息なのである。ツチイナゴを食べているカマキリを眺めていて小生も冷凍イナゴを注文しようかどうしょうかと腹の虫がうずいてきた。もう少し下部がうずくのは三遊亭小遊三に同じく近くなったからであって、これはイナゴとは縁もゆかりもない現象である。田舎なら解き放てるが山中と言えど近くに人が居るのではねえ・・・。

 食事中のカマキリ嬢はまだ新鮮な個体だった。S先生曰く「もう一回は産卵するかもしれないね…」、となればツチイナゴも冥利に尽きるはずだ。もてなすものが無かった兎はわが身を火に投じたと古典にあるがツチイナゴも我が身をささげたのだ。まあしかし冷凍イナゴは伝統食としての佃煮にされるのであるから一緒くたにはならず少々可哀想・・・。しかしクタクタからパリパリに仕上がった佃煮は美味しいし旨い!。夕方にでもポチッとするかも。

     

 


上の池の導水路の整備 2日目

2023-11-24 | 水辺環境の保全

 最終的な作業は「水辺環境の整備」だけれどこの段階では丸太の曳きだしが主なので林内作業に近い。この日も前日と同じく用材の曳きだし作業を行う。水域の護岸用丸太の積み上げ増設と道路から流入する流路の保全のために使う量は結構必要なのだった。伐採され集積され放置されていた朽ちるに任せる丸太を活かして使うためにはどうしても牽引器で水際まで曳かねばならない。玉切り材の長さは標準で4mあり直径も外周は腐植しているとはいえ300から400φの径があり乾燥していないので生木をしのぐ重さがある。

 集積場所の下部になっていた丸太は大径が多く、その上、実生のヒノキの根っ子や蔓草がまとわりついており浮かせてベルトを掛けるだけでも一苦労だった。まあ、「倒木に小手先」で手向かうのであるから手間と足数でなんとかせにゃならんのだった。そんな事でこの日は曳きだすだけで終わり、もう1日分も曳きだしで終わりそうである。しかし見込みで並べてみればしっかりした護岸の設えが出来そうに思えてきたのだが、そのためには肩腰膝、みんな湿布の助けを借りる事になるのだろう。今日の丸太はどれも大物で曳くのでさえ苦労した。

 


上の池の導水路の整備 1日目

2023-11-23 | 水辺環境の保全

 上の池も流れ出るままにせず堰き止めてカワセミやカルガモが集まるように設えたばっかりに泥の層が厚くなるばかりだ。既に二度にわたり堰の高さを上げた結果、水深の二倍も泥の層が堆積してしまった。浚渫するのは岸辺からほんの気持ち程度の量なので効果は無いのであるけれど全くやらないよりは良いだろうとやってきた。それに合わせて池の中央に泥が流れ込まないよう沈泥部を拵え護岸丸太を施し泥上げ作業の場所作りもしてきたけれど既に場所が不足している。今回は思い切って護岸丸太を大径木として泥が流れ落ちない様に始末する事にしたのだ。

 除草し地表を出す ➡  用材の牽引 ➡  

 用材は伐り出さず、長らく放置されていたヒノキの朽木を使う事にしたのだが既に二昔も経つのに心材はしっかりとしていて用が足りる品質である。しかしながら集積場所から護岸現場まで50m以上ある。この距離を乾燥していない丸太を鳶口や転がして移動させるのは馬力不足である。そこで牽引器の出番だとして使ったのだけれどハンドル操作1往復で曳ける距離はわずか5cm程度なのでセッセッセのヨイヨイヨイと汗を吹きだし孤軍奮闘したのである。しかし、これに時間を喰ってこの日は丸太をどうにか並べただけに終わってしまった。それでも放置され朽ちるがままに苔生していた材が活かされるのであるから祝着至極であろう。けれどこんなことを行う小生は執着地獄の真っただ中であるわい。まあ、つまり爺子ちゃんはシカトされたままの作業なのであって、シカラレモセズホメラレモセズ ソウイウヒトニ ワタシハナッタ・・・。


二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「春までお預かり…」

2023-11-22 | 小父のお隣さん

 小学生向けの「蛹の観察会」が終了して観察用蛹の一部を小生が預かる事になった。早春の羽化までの間なので5カ月くらいを自宅軒下で越冬させねばならない。屋外だと小鳥や野猫の被害に遭う可能性も高くなるしたとえ玄関内であっても外気よりは温かいから羽化が早まる可能性が高い。そんな事態になると砂糖水を与えたところで長生きはすまい。やはり外気の中で維持し自然な羽化が望ましいのだ。

 今回の蛹の親はフイールドで用意した種なので羽化したらフイールドに帰さねばならないけれどとりあえずは安全に越冬させるのが課題である。つらつら耄碌し斑な思考をそれでも動員し出した結論は「ネットで覆い春を待つ」事だ。寒冷紗で覆う方法もあるけれど「保温」されるきらいがあるのでここは「隙間風スウスウ」を維持させるために鉢底ネットで囲う事にしたのだ。プラ鉢の中に挿し花用のオアシスを固定し、そこに蛹の付いた竹櫛を差し込んでネットで覆うだけの簡単な設えである。自宅の外壁には毎冬、ジャコウアゲハの越冬幼虫「お菊虫」が二桁も引っ付いてきたのだが今期の幼虫の発生は零だったのでお菊虫は無し。まあ、代わりにアゲハの蛹が来たと考えれば良いのだろう。

 背中の曲がり角度で判別する     茶系だが3種と言われたかどうか…

 今回の蛹は3種類でその中には色違いがある。何故、色違いになるのかは環境周囲の色に合わせている事でもないらしい。S先生も判然としない現象では小生がモヤモヤしても始まらない。ここはシンプルに「羽化させて野に放つ」に徹しよう。お預かりする時にそれぞれの種を伝えられたのだが帰宅した時点で忘れている。メモしておけば防げたことなのだがあまりにも精妙な蛹の違いを見せられるとメモなど意中には無くなる。それでも似ている蛹の見分け方のひとつに背中の曲がり方の違いで判断する事は覚えているが「どっちがどっちだか…」のあり様ではなあ・・・。現段階の段取りでは「内部でチョウの姿が出来上がり蛹の色が変ったらフイールドの枝先に引っ越しさせて放蝶させる」考えだ。

 羽化の過程は感動ものだけれど自宅でのジャコウアゲハの羽化さえ一回たりとも出会わなかった。「明日は羽化する!」と早起きしても既に飛び立っていたり翅の展開硬化も終わっていたりと一期一会は手ぐすね引いていても難しいものである。それに引き換え一期一会だと直感してもカツカツの収入や不安定な身分が多くなってしまった社会情勢下では手ぐすね引くのではなく身を引く立場の男女が多いのだろうと妄想するけれどひどい社会に仕立てたものよのう。衆愚政治という様な表現があるが、昨今のそのものが衆愚議会であるからしてどうにもならんわ・・・。せめて籠の鳥ならぬ籠の蛹だけでも飛び立って世代を繋いでほしい。子どもたちの瞳を輝かせたご先祖様になるのだから。

 越冬容器


朽木の再集積

2023-11-21 | 今日は真面目に

 先日の事、林床のネザサ刈りを行ったのだが切断して放置されたままになっている朽木が迷惑だった。重なり合って半分朽ちているような朽木周りにはネザサの勢いも良いのだけれど刈り刃を突っ込み地下茎を傷めつつ刈る芸当は出来ない。結局は上辺だけ刈るか一旦作業は止めて朽木を片付けてから再開するかの択一を迫られる。しかし作業当事者としてはリズムを乱されたくないので上辺だけの処理で済ますのだが結果はその部分だけネザサの株が大きくなると言う悪循環に陥るのだった。

 この日は林床の朽木を集積する事に合わせ最終集積場所の朽木の再集積も行った。これを行う事で朽ちて高さが減った集積部の通路への張り出しを減らせる。これにより集積部が2mほど後退したので踏み跡も迂回ルートではなく緩やかな曲線を描いた踏み跡になるのだ。まずは林内のクワの朽木から処理する。高圧送電線の保全伐採で中途切断され立ち枯れとなったままの枯れ木も含め切断処理しスッキリさせた。

 ➡  ➡  

 現在の伐採樹の集積場所はナラ枯れで根の支えが無くなり倒木となったコナラの大木の幹を処理できないままに斜面から倒れた状態で太枝のみを切断し幹の周囲に集積したのだが既に腐食が進み集積部はボロボロ状態になったのとまだ形を留めている中央部残りの部分との混在だった。鳶口を打って形が残っている部分を曳きだして山側に再集積した。倒れた幹の通路部分は径が60cmはあったけれど出っ張っていると避ける距離が大きい従来通りのままになるので思い切って切断して全体で2mほど斜面側に後退させることが出来た。これで通路を一望しても奥まで見通しが効くようになってすっきりしたし威之志士様も少しは警戒してくれるだろう。幹の部分も1mほど詰めて後退させたかったものの三つ又部分で鳶口では転がせずとりあえずは切断したままになった。


林床のネザサを刈らなくっちゃー

2023-11-20 | 今日は真面目に

 低年金高齢者なので「喰っちゃぁ寝、喰っちゃぁ寝」は出来ないもののかといって日傭取の仕事がある訳でも無し、てなもんや三度笠だから普段は手出しなどしない雑木林のネザサが繁茂していて威之志士様の跋扈蹂躙を許す元、いいえ、跋扈蹂躙は許さなくても「毎度!」であるのだが見通しを悪くすると侵出範囲を拡大させる要素にもなるから「まあ、大した手間でも無いし…」と刈り払ってきた。対象がネザサであるから選択などありえず刈り刃を斜めに株元へ突っ込むように痛めつつ刈る。丈が三尺近くともなると刈り払った跡の残渣もうっとおしいけれどとりあえずは放置して乾燥である。

 この場所は草地として設えていたのだが何処のご仁か知らないけれど疾風のように現れて疾風のように去っていき、後には密植されていく苗ばかりが増えて今の姿になってしまった。時間帯も異なるし勝手に植えた物であっても勝手に処分も出来ず放置状態だったのだが、さすがにネザサの繁殖まで許すわけにはいかない。その上、林の上部には3,300Vの高圧送電線が通っていて一部は線に触れるようになっている。そんな状況なので今冬は「保安伐採」として送電線下の樹木を伐採して送電事故を発生しない様にしたいのだ。既にここより山腹側は「奥の院」として架線下は大木を伐採したのが数年前で、ある意味「着手できなかった場所」なのだが今期の様子を振り返ると手入に入っている痕跡も無かったので手を出してみた。こんな事でも「ご注進!ご注進!」とばかり担当部局にクレームを入れるご仁とは合点承知の助であるゆえにまあ、様子見でもある。


*深川どぶ板長屋寡夫徒然編

2023-11-20 | 感じるままの回り道

           産んだ子の世話で黄泉路へ旅起ちぬ

           黄泉路へと去りし親友一周忌

           砂湧かし黄泉路から洩る清水かな

           黄泉路でも八十路でもよし寡夫爺や

           アルバムに入りしは誰かカノーブス

           忘年会行こか止めよか今喪中

           浚土盛る土饅頭のよう谷地黄葉

           今夢中断って追われる今喪中


今日のエッ!品「ミックスナッツ入りのビスコッテイ」

2023-11-19 | 何よりの楽しみ

 1日雨模様である。午前は下駄箱の整理を行って時間を費やしたのだが午後がガラ空きになった。木の玩具作りは室内では粉塵まみれになるし、どうせ粉塵を出すのなら石臼製粉でもするかとなかなか減らないミックスナッツを粉にしようと用意して回してみたのだが全く持って失敗だった。ナッツ類の持つ油脂で粉砕されても排出出来ないのである。上臼を外してみれば溝の中にねっとりとした物質が詰まったままである。結局は掃除に多大な時間を要したのだがまあ、暇つぶしには丁度良かったし・・・。結局は角材で押しつぶして粉砕したのだった。

 今回の材料は以下の通り

          ミックスナッツ      120g     プルーン      60g

          強力粉(薄力粉無しだから)110g     砂糖        70g

          鶏卵             3個

          シナモン          小匙1     ベーキングパウダー 小匙1

 1回目の焼きは予熱170℃で20分、粗熱が取れてから切り分け更に予熱150℃で30分で出来上がりとした。まあ、いつも通りの出来上がりでお茶菓子類とかお八つなどが全くない雨の一日には重宝したもののおおかたビスコッテイでは少々秋が、いいえ飽きが来る。小生的にはナッツ類よりも小豆たっぷりが好みに合うなあ。ビスコッテイは手軽で良いのだがそれだけに飽きやすい。飽きやすい要因の一つはパティシエならぬぱあ呈爺でもあるからだろうと常々思うもののこればっかりは甘くないわい。あの人気漫画の「シェーおじさん」はほんまもんのぱあ呈シェーであろう。ワンダーフォーゲル部の山行で北アルプスの「針金渡し」を渡る途中で全員が「シェー」ポーズで撮影した事があるがその頃はジーになるなんて想像すらしてなかった。あそこの「針金渡し」は今はどうなっているのだろうか。

         ➡    ➡  

 

 

          


くそ!くそ!くそ!威之志士様の跋扈蹂躙・・・

2023-11-18 | 小人閑居して憮然

 配水管の移設作業を終え堤の嵩上げも終え、久しぶりのまとまった降雨にも沈泥分水池の機能は確かめられて「やれやれ」と思った翌日に堤と配管埋設面、漏水孔潰しをした範囲が威之志士様の跋扈蹂躙でグサグサに荒らされてしまった。ホントにどういう訳か苦労して作業した箇所を狙い撃ちされ破壊されるのが常なのである。今回、盛り土した用土はミミズなど生物のない崩壊面の用土なのにもかかわらずなのだった。この日の予定は冬季を前にクヌギの苗を植えつけマテバシイのドングリを点在させ地表に埋める予定だったのに急遽、土木となってしまった。

 数日前に嵩上げ整復したばかりの堤と地表を再び嵩上げし整復したものの、このままでは同じ憂き目に遭いそうだから竹酢液を噴霧しておく。効果のほどは不明だけれど獣は焼け焦げた臭いを嫌うとどこかの本で読んだ記憶を頼りの助っ人なのだ。これで効果が無ければ周囲に立ちションし加齢臭をまき散らしてやる。「どうだ!参ったか⁉」と言う事態になればご満悦、甘酒1杯となるであろう。立ちションは軽犯罪に当たるようだが威之志士様の跋扈蹂躙が軽犯罪にならないのは合点がいかない。

 てな事で気分はすっかりヘコヘコモードだ。気を取り直して種子の散布をする気にもならず沈泥地の上流部の改善を行った。この改善も頭にはあったけれど着手するまでには至らなかった整備作業なのだ。流路10mの中に2段の丸太段差工を施して沈泥池と合わせれば3面の浅く水面面積はやや広く水流の弱い水域が出現した。この環境は水生生物には大切な環境で作業中にも大型のヤゴが姿を見せていたし設え終わった頃にはマユタテアカネの連結産卵が始ったりと、結果はすぐに現れた。小さな生き物たちの環境分析は早く、好所適所と判断すれば作業中でもやってくる。まあ、それはそれだけ生存環境が少なくなっている裏返しでもあるけれど・・・。

        


堤の補強

2023-11-17 | 水辺環境の保全

 一旦は「完了した!」と考えたものの翌日には朝令暮改ならぬ朝改暮疲になってしまった。近くで調達できる用土は水を切った浚渫土と掘り上げた土だけなので放流路の堤上端面を揃えられなかったのである。もともと沈泥池を設えた部分はV字侵食溝で、低い丸太ダムから始まり年々浚渫土を蓄積して漸く現在の平坦部までになったのだがまだ塩ビ管を埋めた堤の上端面は高さが不足したままなのだった。

 「せっかくここまで仕上げたのだから…」と思い直しもう一日を上端面の嵩上げに使ったのである。用土は200mほど離れた上の池近くの山腹流土から採土するので一輪車で往復しなければならない。長靴だと足元が安定しないので濡れる場所でも無いからスパイク付きの地下足袋を履いての作業である。やはりスパイク付き地下足袋は足さばきも歩行安定性も長靴に勝る。スパイク付きの長靴も以前は使用してみたが舗装路やコンビニ店内のフロアーでは非常に滑りやすく危険なので止めたのだった。かといって現場で履き替えるのも面倒で、と言いながらも今回は安全優先で履き替えたのだった。長靴の危うさは靴の中で甲を支える状態に無く足が靴の中で踊るのが危ないし使用感も悪い。

 それはともかくスパイク付き地下足袋のお蔭で歩行は快適、呼吸は早いけれど必要な用土を運び一応は放水路までの堤上端面を揃える事が出来た。これで増水しても越流で今回埋設部の土流出は今までよりも避けられるはずだ。ついでに放流路の浅くなった部分を削り堤の上端へ敷いた。その上で胴突きを行い一件落着である。まっこと祝着至極であるものの別の視点では執着地獄でもあったわい。