八咫烏なでしこ乗せて奥の国暁の空光もたらす
花開く川原なでしこ復興に力を添える猛暑の災地
野にあって猛暑日さえも咲き過ごす数は少なき撫子強し
戸を開けて網戸の横で伏し居れば雨の香りに撫子は咲く
猛暑日は明けて降雨の日となれば庭の草木の艶やかな昼
驟雨あり生えるがままの庭草はウエーブのごと揺れては返す
雨降れば蒸したる香り部屋にみつ汗拭きつつも鼻腔は涼し
アカハギは雨に打たれて騒ぎおる光る水玉飛ばし散らせて
この広い野原いっぱい(小園江 圭子)
この広い野原いっぱい咲く花を
一つ残らずそのまま棄てる
赤いマークの立て札立てて 良子
さとうきび畑(寺島尚彦)
ざわわ ざわわ ざわわ
広い海辺の町や村
ざわわ ざわわ ざわわ
期待とおりぬけるだけ
今日も見渡すかぎりに瓦礫の波がうねる 夏の日差しの中で
おざわ おざわ おざわ
いつも国民雨ざらし
おざわ おざわ おざわ
この苦しみは消えない 御苦惨会々歌
陽いずこ瑞穂の国の秋津島米も作れぬ汚染列島 心土不治
パンドラの箱が破れて闇覆う街地田畑人の影消ゆ 玉手箱
七重八重釜の裂けたる父祖の地は身のひとつだに置けず悔しき 同感
あなうれし作業待つ身に線量計 藤枝衆
秋立つや今日まだ昇る白蒸気 洗濯屋
腹立つや狂まだ続く永田諜 トロル
家の中から見るだけだから、アオハダトンボかハグロトンボか見分けがつかない。それは別にして野生動物の姿を身近に見るとほっとする。
今は膝関節のギプス制限は解消して、注意をするなら脚後方に被せた装具も外せる時も「あり」なのだが、重力に逆らっての膝から下の屈曲や上げ下げは辛い状態だ。そんな事で足首の操作は湯の中だけである。だから小生にとって「極楽トンボ」はほど遠い。
24日はリンゴの木の中でアオマツムシが鳴いた。長く鳴き続くことはなく、途絶え途絶えである。それでもベッドの直ぐ外だから悩ましい。本格的に鳴き出したら、一晩中枕元で鳴かれるようなものだ。セミはついぞ一回も鳴き声を立てていない。時々姿は見かけるが羽音ばかりだ。
なぜ一夜にして、こんなに見た目に相違が出来たのかごま塩頭をひねってみると、ギプス装着による「浮腫み」に起因しているのだろうと推察できた。ギプスを装着して一ヶ月を経過する頃から浮腫を起こすまでの時間が短縮してしまった。トイレへの行き帰り、椅子での姿勢など下肢を下げると容易に浮腫がひどくなる。
起きている時間の大半は「浮腫を軽減する」姿勢変換に明け暮れていたようなものだ。筋肉量が落ちてギプス内に空間が広がったのを認知していても、容易に浮腫が発生し窮屈になる事、多々なのである。それが見かけの大きさを維持していたと言わざるを得ない。今、半分のギプスを包帯で固定し、入浴時やマッサージの時は開放するから浮腫も酷くない。それが萎縮を顕在化させている。まあ、考え様によっては当たり前の過程だ。
患足の足首の可動範囲は15度程度で、健足の6分の1だ。膝関節も90度が厳しい。健足は120度は可動する。
「忘却とは忘れ去る事なり」の台詞で一世を風靡したドラマがあったが、小生的には「棒脚とは(歩くのを)忘れ去った故なり。歩かなくて棒脚は解消しない」なんてね。 しかし、歩けるまでになるにはどれだけの蓄積が必要か・・・。「セレブ並みのバカンス!?」なんて冗談を言っている場合でも無い。
一転にして10月の気温になってしまった…。先日の暑い盛りに甘酒のコンポートに連想して、サラダと言うより和え物風だが一品を作った。
辛いのがあるから収穫しないままのシシトウを採集し、種を外し乱切りしたものをリンゴに加えて、塩糀に砂糖を少々加えたドレッシングを絡めた一品である。
塩糀は冷蔵庫で熟成していたから香りも味もまろやかなのだが、塩味が勝るから砂糖を加えたのだ。
リンゴも虫害で傷んだ物ばかりだから、処理に手間取ったが、なにせ暇な身分だから時間つぶしにはちょうど良い。しかし一本足での不安定さは危険と隣り合わせでもある。作った時は、連日の熱帯夜に加えて最高気温36.5℃の日で、室内に入る風が熱い。それでも冷えた一品は食欲不振とは無縁の仕上がりだった。火を使わない台所仕事は動けぬ身にとっては「プール遊び」みたいなものだ。水が心地よい。
朝起きて一歩をついたら足裏が「いた痒い」。蜂に刺された痕がしこりを生じて痒くなっている。まあ、薬の塗布もせずほっといたからやむを得ない。
6週間ぶりに再々通院した。ギプスは外れ、少なくとも杖だけで歩行できるかと期待していたのだが、「期待」はもろくも「気体」のようなものに過ぎなかった。それでも後半分だけになったのは一歩前進なのだ。生活は今まで通り松葉杖、生活範囲も「居間まで通り」するだけ・・・。
朝の構想では、受診後直ちに「日帰り温泉場へ直行!」と浮き浮きしていたのだが、あえなく惨敗で寂しく家の風呂に入る。こういうことを「憂き目」と言うのか…還暦を過ぎてようやく知った。さて、7週目ぶりに陽の目を見た下肢は当然垢だらけ、丁寧に洗ってようやくすっきりする。
廃用性萎縮で脚回りはげっそりと細ってしまったかと覚悟していたのだが、思っていたほど見た目の痩せはなかった。しかし足首の関節はともかく、同じように固定されていた膝関節の可動域と筋力の衰えは明確だった。伸展も屈曲も中途半端だし、椅子に座って膝関節から先を上げ下げ、屈曲させようとすると結構大変なのだ。抗重力能力が落ちている。
甘い期待は打ち破られて、今日から始まると思った「甘い期待」が幻の様に去った。テレビの特集番組を見て感じた事は、大本営と原発も永田も霞ヶ関も共通点ばかりだった。小生も、その例に漏れなかったが、一つだけ異なるのは「虚飾・虚偽や隠蔽がない」ことである。
急に涼しくなった空き地を眺めていると「アキアカネ」が一匹飛翔している。家で養生している間に季節は秋になってしまった。昨晩はコオロギが初鳴き、先週はカネタタキが鳴いた。小生も鳴こう。
「あっちいー!」、36.8℃という全国第二位の最高気温も陽が西に傾いて安心した頃、突然の熱さに襲われた。南側のデスクに陽射しが届かなくなったのでPCの前に腰を下ろした途端だった。何事が起きたのか判らなかったが、右足の裏を のぞいたらすでに赤くなっている。足を置いた近くには黒い虫がいた。一見して「蜂」と判って「こんちきしょう!」とばかり、デスクの下にあったスリッパで叩いたが、なにせ自由の効かない身だから逃げられてしまった。
けんけんしながら、隠れたと思しきベッドマットをずらしてみたのだが発見できない。左脚が使えないのに、健足の足裏を蜂に刺されたのでは「萬古急須」、いや「万事休す」と暗澹たる思いで「寝たきりー痴呆ー介護度4?」と不吉な黒雲が垂れ込めた。
と思ったところに畳の上を歩いているではないか。ここぞとばかり、なおかつ「生かさず・殺さず」の極意で討ち取った。「ざまあみろ!」である。社会的弱者を更に痛めつけ被害を与えるような輩は許しがたい。小生なりの「弱者保護法」にのっとり、重加算犯罪として「打ち首・野ざらし」の刑にしたのである。
なんで侵入を許したのか、それは猛暑と関係している。玄関をチェーンの分だけ開けておいたのだ。こうすると風の通りが真によろしい。数日前には居間の網戸にもくっついていた。それは網戸を開けて逃がしたのだが、恩を仇で返してきた。
ベッコウバチの仲間なのだろうが図鑑では検索できなかった。踏んだり蹴ったりで、二度悔しい。