実家から魚沼コシヒカリが届いた。とりあえずはこの日のために保存していた魚沼産フキノトウのフキ味噌で頂いたのだったが日を置かずに次兄からアケビが届いたのだ。それを種と果肉を外すためにクチュクチュしていて思いついたのは「そうだ、魚沼産てんこ盛りで豪華一膳を頂こう」と言う事だった。これこそ究極のグルメ、贅沢の極致で満漢全席に勝るとも劣らない、三ツ星フランス料理フルコースなど屁でもない、のである。
当人の成長過程の中で身体を作り記憶に留められた郷里の郷土料理「古コース」を眼前に置かれれば、好みや嗜好の前には格付けなど何の役にも立たないし、評判や人気物は薄氷みたいなもんだ。一品一品は貧しい暮らしのお惣菜でしかないのかもしれないが一方では宝珠の一品に近いという想いがする。
食材は新着の新米とアケビ、保存してあるのはフキ味噌、干しゼンマイ、エゴ草、葉唐辛子の佃煮である。これで主食とお惣菜、フルーツは間に合うが汁の実が不足だった。できれば、あの大好きなキノコ「アマンダレ」があればエライコッチャーエライコッチャーと踊りだしたくもなるものの無理というもので、「オボロ豆腐」も手に入らない。これは絹ごし豆腐を崩せばそれらしく見えるだろうから作ってみる。自家製醸造味噌は無いけれど「澄まし汁」だから大丈夫だ。
そこで再び思ったのはアマンダレではないけれど郷里に工場があるキノコが当地でも販売されている。笠の開いたナメタケを用いればそれらしく見えるだろう。姥捨て山の帰路、スーパーに立ち寄ってみる。さあ、キノコが良いか豆腐が良いか悩むところである。ざっと思い浮かべるとお爺に必要なたんぱく質が無い。これは「棒タラ」の煮しめを使えば完璧なのだが手に入る訳もなし。じゃあ「車麩」にするかと妄想だけは限りなし。
フイールドからの帰宅後に全品揃えるのは素人の小生には無理なので、ゼンマイの煮物とサラシエゴの味噌漬けは前日に用意した。
さて上掲の写真上列左から食用菊の甘酢和え、葉唐辛子の佃煮、デザートに魚沼産アケビ、魚沼産ゼンマイの煮物で中段真ん中が新潟産サラシエゴの味噌漬け、下段左から実家の新米と小豆のご飯、魚沼産フキ味噌、椀はおぼろ風である。これに車麩と刻み昆布の煮物を添えたかったのだが一食分としては量が多すぎるから止めた。
食べ終えて満足した後は「墓参りにも行けなかったし・・・」「兄弟姉妹も老いたなあ」とまあ、前向き思考にはならず読書しながら寝落ち・・・。目覚めれば威之志士様の跋扈蹂躙にあった畔や堤を凍結する前の修復が待っている。