トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「手に出来るのはこんな時」

2020-08-31 | 小父のお隣さん
 泥水池3の除草中に水面に浮いているトンボがあった。水面に落ちて数日以上は経過していると思える傷み方だ。腹節に僅かに認められる赤銅色から「マルタンヤンマ」だと思って洗って確かめようとしたのだが、掌で掬い上げても破損の恐れがあった。ここは慎重を期して車の荷室に放り込んであった鉢底ネットを取りに戻り救い上げたのだ。

 流水では更に傷める可能性があるから、頭部のタオルに噴霧して気化冷却を期待するスプレーの用意もあったのでスプレーしながら汚れを落としてみた。翅色は着色していたので「当たり!」と喜んでみたものの腹節の色彩は芳しくない。それでも翅色と腹節の赤銅色から「マルタンヤンマ」と決めたのだった。他人に教える訳でも無し「思い込み」で一向にかまわないのである。
 たとえ認識不足で誤認であったとしても事実である必要もなく実物だと思う「喜び」こそが明日の英気を養ってくれる。小生にすれば「千歳一遇」の機会なのである。まあ「嘘も方便」病ん坊、認亡、頓ボで構わん。
 朱里エイコの「愛は旅びと」の一節、「どこまでがあなたで どこまでがあたしか ふたりともわからなくなる」なんて歌詞があるがさしずめ「どこまでがさぎょうで どこまでがあそびか おじいにはわからなくなる」と歌ってみる。まだ歌えたから耄碌は少ない、はずだ。

 さて子細に観察しようにも傷みが進んでいて胸部の色彩は分かりにくい。それでも他の種も含めてだが実物を手にするなどシーズンにあるかないかの事なのである。そんなことで作業継続は不可能、横道にそれてしばらく遊んだのだ。もう一生懸命作業を行うような歳でも無し「二度童」であるがゆえに「童の遊びは仕事である!」。
 それにしても我が世の春、いいえ、我が世の夏を謳歌していた虫たちの亡骸が目につく頃に入ったのだなあ。

             

コナギの排除

2020-08-31 | 水辺環境の保全
 棚田部と上棚の二つ池にコナギが繁茂してきた。葦もコロニーを形成しつつ面積を拡大中である。カサスゲもそうなのだが適期に抜根除去しておかないと晩秋にはさらに侵出著しく、その上、抜くのに多大な労力を要するのだ。まだ残暑厳しく真夏日の中、水域に脚を入れているとはいえ涼しさは微塵も無い。抜き取るだけで汗が滴るし陸に投げるだけで衣服は泥だらけである。
 だからと言って見ているだけで片付く訳も無く、先送りすればさらに作業量は増え、抜く労働強度は高まるのだ。まあ、何事も我慢とあきらめが肝心、の見本みたいな水商売である。先達は申して居る「夏草に追いつく草取りは無し」いいや「草取り暇なし」だったか・・・。

 発生量が多く除草2回目の棚田部はまだ成長期のコナギが多いのだけれど、小さくて数が増えた事で手取りが煩わしくなった。閃きでコナギ刈り鋸を作ったものの妄想倒れに終わり、結局は造林鎌で水底で根と切り離し浮いた葉茎をガーデンレーキで掬い取り陸にあげる。これはコナギが小さいから数は多くても重さは少なく効果があった。手で抜き取るより数倍も早く終わって楽だったのだ。とは言え根が残っているから萌芽するだろう。結局は抜根除去しなければならない顛末になる。

 そんな中、蕾を着けた株になると鎌を使ってもガーデンレーキが重さに耐えられない。大株は手抜きの方が効率的である。そんなこんなで棚田部と温水田、二つ池のコナギを排除し、ついでに葦を抜きカサスゲをも間引きした。引き続いて泥水池の除草が待っているが、そっちはイネ科の大株が多いので更に大変になる。でもやらねば終わらないし誰かがやってくれるでも無し。かくして自らの尻を叩きつつ自転車操業に突入である。おいらってSなのか自傷的なのか自虐的なのか、よくわからなくなった昨今ではある。
 侵入竹除伐も植樹も一通り済んだ現在、日々の保全作業は草刈りと水域の保守になっている。前者は「やれば片付く」が後者は「エンドレスの再生産」で、これこそ業の輪廻と言うべき渦中なのである。「抜けられない終わらない。刈る身の河童忌み選」なんちゃって・・・。

 鎌を入れた  ➡   集草場外搬出

        温水田カサスゲ抜去  ➡   間引き終わり

                二つ池葦抜去  ➡   終了  ➡   抜去葦

蜂満総社建立14「落成!、まっこと慶賀也」

2020-08-30 | 何よりの楽しみ
 作業完了が見えてくると空元気でも出てくるらしい。午前で片付かなかったのを翌日回しに出来なくて陽が傾いてから再び出かけて始末した。とりあえず本殿は完成したのだ。この慶賀に夕食の一品をコンビニで増やした110円の「レーズンクッキー」を引き出物代わりにした。まあ、取り立てて言うほども無い祝いの膳なのだった。

 全体としてみればスケッチで妄想したイメージ通りに出来たし、遊び心はより派手に出してしまったし、暑い盛りを日陰の工作で乗り切れたし、まずは祝着至極であったわい。据え付けも終わらないうちから柱材の穴に蜂が寄ってきているから、一週間もすれば何種類かは見れるだろうか…。
 さてさて作ってはみたものの蜂や昆虫に興味・関心があるわけでも無し、妄想を現実化・具現化するのが面白いだけの小生であるからして「あとは勝手にお使いください」の境地でもある。まだ刈り払いや水域の除草がソーシャルデスタンス無視しつつ、手ぐすね引いて並んでいる。水商売は盛夏猛夏中は臨時休業していたが、際限のない自転車操業がまた始まる水商売なのだ。

      前   後ろ   斜め   扁額

 完成した蜂満総社をありていに申せば、従来普遍的なバグハウスから脱却し一境地を築きたいと踏み込んだのだったが、それは達成されたとは言えない。「遊べた!」とは言えるものの「羊質虎皮」あるいは「羊頭狗肉」のそしりもあるかも。まあ、爺我自賛で何が悪い!
 さて、小さな生物の寄る辺は混合林にしても単純林にしても泥水池にしても草原・若木にしてもそれぞれ贔屓がある。お爺がいかに揉み手をしたところで「ハイハイ」と寄りつくような単純ではないのは理解してきた。この揉み手や優待あるいは高額割引などしても飛びつかないのが健全な社会出来指向と言うもので、恋愛物語に同じく恋焦がれても振り向いてはくれない相手に向かったところでストーカー止まり、要は胸襟を開いて誠実に待つしかないのであった。これぞ野に於ける「おもてなし」である。古来「待てば海路の日和あり」と申すように「雪が降る、あなたは来ない」とはならないのが姥捨て山のやさしさでもある。

 あの「GoTo何とやら」は高額領域が順調なのだとか、あおり被害を被って食事も事欠く民草には何の恩恵も無い血税無駄遣いに違いない。まあ、そんなこんやで蜂満総社の趣や佇まいは資材とブロックがインセクトホテルやバグハウスと共通せざるを得なかったしキャンペーンに乗らなかったし、ゆえにそれらを飛び越え重力圏から宇宙には飛び出なかったのだろう。「だから総社は鎮座する」てなもんや三度笠、越後ではそう申しましたとさ…。


ワルナスビ駆除、三回目か⁉

2020-08-30 | 小人閑居して憮然
 今期3回目になると思われるワルナスビの駆除を行った。猛暑のせいか生長がはやく葉もみずみずしく健康体だ。前回は8月初めの頃と思うが再萌芽した茎は1尺ほどに育った。地下茎は牛房根で石ころだらけの土壌では抜去し難く、その上、容易に千切れて残った部分で成長を始める厄介者でもある。毎年駆除を続けている結果かフイールドの他の部分に侵出は確認しては居ないけれど根絶は難しい。
 どういう経過で侵入したか定かではなかったのでS先生の考えを聞いた時があった。S先生曰く「近くの里山もどき施設から運ばれたのでしょう」との見解で、そこと当地を往復する人たちも居るし、今のところ駐車場だけと言うのも推定を裏付けている様に思える。

 根絶は厄介だけれ駆除を続けねば更なる侵入拡大を見るのはヌスビトハギの現実を見るまでも無い。このワルナスビも伝播者が絶えない今日とこれからも駆除は続くのだろうが、ワルナスビの種子生産地との往復活動をしている人たちに「拡散させない・蔓延させない・種産地の根絶作業はする」という防除の気持ちが無い以上、侵入は続くし泥縄式の駆除も続く。新型コロナと異なり困った点は免疫が出来ずいつまでたっても「ワルナスビ」のままだという事。

 今回も炎天の下、ハンドスプレーに除草剤を詰めて一草一草散布して回った。おおよそ20本ほどもあったが一掃できる日は浮かばない。そして我が手間暇も浮かばれない・・・。

                   


蜂満総社建立13「部材を詰める」

2020-08-29 | 今日は真面目に
 午前中に据え付けが終わらず一旦は帰宅して昼食を摂り一休み。翌日の空模様が怪しいし少年期を思い出すまでも無く夏季の農作業は昼食後に午睡をとって3時頃から夕暮れまで作業するのが常だった。それに倣った訳でもないが午後出勤も「たまには良かろう」てなもんや三度笠で片付けに出かけた。

 必要な水準器は忘れずに携行、前後左右の水平を正しくして柱を固定した。水準器で正しく水平を出しても視覚的には傾いている風に見える。地表が僅かに傾斜していてそのための錯覚なのだが見るたびに気持ちがザワザワする。気持ちよくないから床下に玉石を並べて隠した。玉石自体にも役割はあって爬虫類の日光浴場所なのだ。さらに日本ミツバチ用の丸胴巣箱を転用し、中に鉋屑を詰めてヘビの越冬用に置くつもりだ。狙いはシロマダラで捕獲器では難しい状態だから新たな仕掛けでもある。

 中央部の4区画はネザサの稈、樹皮、葦、松ぼっくりで、二重天井は薄く棕櫚繊維を敷き松ぼっくりを入れた。屋根裏は天津すだれを差し込むつもりだったのを余った棕櫚繊維を押し込んでみた。網で防護しないと小鳥が巣材として持ち去る可能性もあるが、その時はその時なのだ。

                

食べたいお惣菜は自前・・・

2020-08-29 | 何よりの楽しみ
 田舎育ちで歳もとったから「食べたい」欲求は昔帰りする。今様な食べ物は「ご馳走」とはとても思えないから外食したとしてもお惣菜を選べる食堂程度なのだ。
 そうはいっても作るのに伝統のお惣菜は小人数には向かない。いきおい量り売りのお惣菜を購入したりするけれど味が濃すぎる。結局は自分好みでわがままに作るしかないのだった。ほんと歳とって頑固・固くなになってくると自分でわが身を持て余す。

 この日もショーケースの前に立ち、量り売りを購入しようかと迷ったのだが、後戻りして人参・牛房・マイタケ・コンニャクを購入し昼食後の暑い盛りに調理を開始した。今日、作るのは「きんぴらもどき」で、きんぴらごぼうが電子レンジでいともたやすく出来上がるのを知ってからは手を出しやすくなった。準備で手間を喰うのは「ささがき」や「細切り」だろうが、生姜糖を作る時にスライサーを購入してあって、これが切り方に合わせて使えるのだった。それを思い出して人参と牛房をチャッチャッとスライスして早い事早い事。

 前回作ったのはレシピ通りで美味しかったのだが、今回は量的には3倍以上でコンニャクやマイタケまで入っている。重量比で調味料は増やしたけれど加熱時間も同じ倍数で良いのかどうか判らず、結局は3回にわたって加熱した。美味しく食べれる出来上がりだったものの、最初に作った時ほどの喜びは無く、まあ、これから二週間はこのお惣菜を食べ続けねばならないバッカリ食の始まり。んなもんで半分は冷凍庫だ。作り置きのお惣菜が一品でもあると食事の支度は楽になる。これに納豆と糠漬け、卵焼きを添えれば豪華な副食オンパレードになった。
 夕刻のどの民放地方局も食べ物の金太郎飴状態であるが興味関心を起こす内容は何一つない。まあ、時間つぶしの企画だろうから視線を送る方が悪い。秋波は副食にこそ送らねばならぬ。


 準備   ➡    調味液と混ぜる   ➡    加熱して出来上がり

蜂満総社建立12「総社本殿の据え付け」

2020-08-28 | 何よりの楽しみ
 据え付けは拠点から一輪車で下ろし食草園の一画、流路を挟んだ東側のクワ二本を除伐して日当たり良好になった場所に据える。一輪車に重量物を乗せ下るのはきつい。水平を保つために膝を曲げ腰をかがめての移動で、更に速度を抑えるためにブレーキを効かせねばならない。そんなことでヘロヘロとなり、もう一歩のところで流路に落としてしまった。
 据え付け場所は棚田跡で、今は横に第二トンボ池があり土壌は湿気が多い環境だが柱には塗装をしてあるから無塗装より数年は維持できるだろう。この構造物の趣旨から言えば塗装や石油製品など排除しなければいけないものの「保存性」を向上させるためにやむを得ないとしたのだった。

 この日は据え付けだけでも終えたいと気張って竪穴を掘りにかかった。棚田跡なので穴掘りスコップで間に合うかと思ったものの土壌の乾燥が甚だしくて固い。結局はツルハシを持ち出す羽目になった。
 設置場所には四つの竪穴が必要で穴掘りスコップで土を取り出した。一応地中には1尺入れて固定する設計だが必要な深さの穴が出来たらそこに礎石を置いて本体を差し込み水平を出して柱周りを固める、と文字で書けば容易に見えるが総社本殿の重さは骨格だけでもヒノキ3寸角4m分の柱だし、更にハチの巣壁も同様の40cm4本など据え付けてからでは取り付けし難い部材が固定してあるから独り作業では骨が折れる作業だ。その上、猛暑に近い。頭部に巻いたタオルには時々水を補給してカッパ状態で気化冷却を行った。

 水平を出す作業は水準器の用意が無くて目測見当で行ってみたけれど「これで良し!」と思い立ち位置を替えてみると偏って見える。やはり水準器が無いと作業は出来なかった。中途半端で帰宅。
 ビックプロジェクトではなくとも、たった一品の不足で中止せざるを得ない場合は結構あるものなのだ。
              

穴穿つやつ、使うやつ

2020-08-28 | 小父のお隣さん
 拠点道具小屋の作業台に屋根を被せ、そこに雨ざらしだった厚板を「何かの時に使えるだろう」と屋根下に置いたのだが、ほどなく蜂の巣作りに使われてしまった。木材に穴を穿ち卵を産む習性や蜂の姿かたちから「クマバチ」ではないかと思っているのだが、確かめたところで何の役にもたたない。
     

 その穴に今期は別の種が巣作りをしている。木材の穴から伸びた土のトンネルから、蜂満神社を使っている蜂と同じだと思うものの、S先生から名前は聞いているはずなのに思い出せない。まあ、同じ種なのである。
 この蜂は穴の入り口から土のトンネルを伸ばすのではなく、いくつかの穴を除くと奥から内壁に土を塗り付けている。まるで中古住宅を自分好みに塗り替えたような雰囲気なのだ。
            内壁仕上げ中   
 それはそうとして、乗っ取られたクマバチの方は攻撃したのかしないのか、防御したのかしないのか不明のままで、隣り合っていても喧嘩する事も無く無関心の様相。板材の中は長年にわたって穴だらけだろうから使えるかどうか分からない材になってしまった。これをもって蜂を罪人と呼んで良いやら悪いやら。猛暑が続くと頭が回らぬ。銭こはとっくに回っていない・・・。
 目が回るようなら熱中症を疑わねばならない。

 この厚板と屋根の波板の間に、恐らくアシナガバチだと思われる巣が大きくなっている。小さいサイズの時に気がついていたのだが、すでに差し渡し20cmに達しようとしている。
 工作をしている頭部斜め上方4尺の位置で襲われる可能性も零ではないけれど、何の役にも立たない「様子をみましょう」で済ましている。これからが「太陽の季節」いいえ「危険な季節」になるから襲われる前に「攻撃は最大の防御」で行くか。悩ましい。

蜂満総社建立11「散逸を防ぐ網」

2020-08-27 | 何よりの楽しみ
 パーツも詰め物も揃った。ここまでくると「落成神事」も考えておかねば、と言う気分にもなる。それはともかく中心になる4区画に詰めた資材が散逸しないように網が必要だ。庭先に設置するならともかく山荒師諸氏の跋扈するフイールドなので何を仕掛けてくるのか留意しておく必要がある。一番怖いのは「付け火」だが全て耐火材で賄うのは不可能で、二番手は詰め物を抜き出される事だ。これは老若男女ありうる行為で環境破壊教育NPO御一行様が最初に浮かぶ予想加害者である。

 現実的に泥水地軟弱構造の踏み付け破壊、林床や泥水地の過剰踏圧植生破壊、はてまた植え付けた幼木の支柱や苗木そのものの抜き取りなどがオンパレードだったのだ。この幼木の被害は池の凍結期に集中し、池に降りる算段で法面の植栽や支柱を手掛かりにしてくれたのである。
 これら不都合な真実を度々指摘しても何の反応も無く、あろうことかある会合で「うるさい事ばかり言う」と言う話を聞いてからは「お隣さん」としての関係は断たせてもらったしロープを張ったり「入るな!」と注意したりで利用は減ったものの気配りは必要だ。一時期、遠ざかっていたが「だるまさん転んだ」をやって元に戻った実績がある。
 小生的には「エセNPO」とか「エゴNPO」などと表現して、板挟みでかわいそうな連絡担当者に伝えた。きっと「エーッゴロ爺が!」と言われていることだろうが、わたくしとしましては「エーッ、エロ爺が!」と言われるよりはいい。

 それはともかく網を張らねばと考えた時点が遅かった。バーベキューの焼き網を使えばステップルで止めるだけで済むのに、そこまで考えずに寸法を決めてしまったから焼き網は使えず、10年も前にカブトムシの養殖槽に張るつもりだった金網が転がったままであるので使う事にした。これだと枠兼止め板で押さえなければならず板材と手間が必要だが焼き網のように新品購入は必要が無いものの、巾木は4m購入することになった。

 ところがである。金網を切り出す前に念のためバーベキューの焼き網、これは燻製炉で使っていたものだが当ててみたらほぼぴったしだった。これだと額縁加工が必要なくステップルだけで止められる。で、結局はこれにして、金網はまたのご利用お待ちしております、になってしまった。まあ、毎度おなじみのやっつけ仕事である。
 今回の「ちょいと拝借」で燻製炉は「使わない」気分大に傾いている。これ「持ってけ泥棒!」に近いが自費製作品で数年に一度程度の使用だし宗旨替えも悪くはない。使ってこそが物に価値を生じさせるのだ。
           

レモングラスの芳香蒸留水

2020-08-27 | 何よりの楽しみ
 特に使う当ても無いけれど猛暑のせいで戸を全て開け払って家にいても暑いのは暑いし、暇だと一層、暑さが募る。網戸のない勝手口の戸は全開にして蚊取り線香を添える。これで風通しと蚊通せんぼが出来る。

 この暑さでレモングラスも繁茂しすぎて蒸れそうなので隙刈りして健康に保ちたい。紅茶に入れるにしても一葉必要は無いしトムヤンクンだかに使うほどの趣味は持っていない。時間つぶしに蒸留鍋一杯に刻んだ葉を入れてちゃっちゃっと300㏄採集した。前述したように茶には使わないしチャットもしない、単なる庭でススキのようにのさばっているグラスなのだった。

 最初の100㏄は白濁した。二本目、三本目と白濁ぶりが薄まったのだが、いまだに理由が判明しない。最初、白濁していてもしばらくすると透明になった芳香蒸留水もあるからだ。手の甲に時折は滴下させ香りの状態を嗅ぐ。夕食の時間になっても香りが残っていて、香しいのか暑苦しいのか、よくわからぬ顛末になった。まあ、レモンの香りよりミカンの香りの方が豊かに感じるし、ヤマハッカの方がこのクソ暑いときにはミント系より爽やかに思われる。

 材料を用意 ➡  1本目は白濁 ➡  蒸留カス ➡ 

蜂満総社建立10「仮組み立てしてみる」

2020-08-26 | 何よりの楽しみ
 詰め物は揃っていないものの大まかな恰好だけは見てとれるようになった。とりあえず組み付けは出来ないけれど所定の部材をあるべき場所に据えて全体を眺めてみた。不都合が無ければ資材を詰めて完成に至る。
 側面のハチの巣壁は最初の想定を変更したから隙間が出来ているけれど、この隙間が生じたことでより趣旨にかなう状態になっただろうと推測する。単なる隙間を好む虫もいるだろう。
 柱材を切断始めた当時は、この柱に穴を穿つつもりで、側面は細い真竹壁にするつもりだったのだが、真竹壁だと外来種のタケクマバチを引き寄せそうだし、正面柱に穿孔するのは持ち帰りや穴開け作業が大変だから変更したのだった。
     

 全体像は写真の通りでほぼイメージ通りに出来上がった。まだ賽銭箱や扁額は取り付けられていないけれど前面と後面に金網を張れる算段が出来たら食草園まで下ろし据え付けられる。ようやく「ここまで来た」と言う感がする。暑い最中にここまで11日掛かっている。
 例年より厳しい炎天下で刈り払い作業や水辺の抜去・間引き作業を行っていたら11日間の作業日は取れなかった。猛暑日が数回あったのだが小屋の日陰での作業だった故に可能だったのだ。眺めながら思ったことは体力気力の低下、別の言い方をすれば危機管理能力が向上しつつ歳をくったということだろう。
         

今日のトンボ「ミヤマアカネは忘れた頃にやってくる」

2020-08-26 | 小父のお隣さん
 夕刻、遠雷を効きながら蜂満総社を設置していた時、傍の流路で白い点々が動いているのに気が付いて注視したのだった。ほどなく流路脇のシダに止まって、よく見たら「ミヤマアカネ」だったのだ。トンボの判定はなかなか出来ないままなもののミヤマアカネは分かりやすい。縁紋が太くて大きく目立つ。その上、この縁紋にかけて褐色帯があるから小生的には判別できる数少ない種でもある。
 
 写真と図鑑を比較すると体色が薄いので紛らわしくも思ったけれど、未熟体では色がのらないのは普通なので大丈夫だろう。メスと言う場合もあるが小生に判断は無理だ。フイールドでは稀種に入れても良く期間中に度々視認できるほど出現は無いし繁殖しているのかどうかも不明な種だ。お盆過ぎ頃から見るトンボでもあり、その縁紋の目立つ感じは精霊の感じも受けるトンボでもある。

 深山 茜で空高く 幸いなりと吾思う だだ汗濡れてただ立てば 茜蜻蛉は目の前に 衣服濡れつつ至福受けつつ 今日も暮る

           

蜂満総社建立9「飾り立てた屋根」

2020-08-25 | 何よりの楽しみ
 神聖なる神社の領域建造物に「もどき」を持ち込むなんて権禰宜にお目玉をくらいそうだけれど、もとより神道には暗い小生だし根暗でもあるし他人様の物でも無し虫様のお宿であるから外野の雑音は無視するのだ。

 最初はグー、でなくてYの千木もどきだけで済ますつもりだったが仮組みしてみたらいささか侘しい。設置すれば水見回りの度に前を通ることになる構造物なので、少し気張ってみたらますます「もどきに」なってきた。千木も鰹木も断面は円形なのだが完成を急ぎたいから角のままにする。どうせ「もどき」で模型とは異なるのだ。とは言え、ああでもないこうでもない、ああしてこうしての過程は「どうなるか?」の想いもあってドキドキする。もしかしたら脈拍異常かも・・・。

 さて、屋根裏は中央に支えの壁を通し二室に分けられた。両方とも詰める材は同じにするつもりだ。今のところはアズマネザサの稈か天津すだれの束を予定している。屋根の取り付けは本体を据えてから載せ、ねじ止めするだけの簡易なやり方とした。外れはしないし必要強度も十分なはずである。

           

 

快刀乱麻のはずだった・・・

2020-08-25 | 小人閑居して憮然
 コナギ除草してまだ半月も経っていないのに数の上では除草株数を上回る発芽があった。このまま放置すれば田んぼ一面コナギに覆われはじけた種子で来季は下流域まで侵出してしまう。コナギやイヌビエ、カサスゲなどは除草必須の対象だけれど全てが手抜きともなれば辟易もするし手抜きもしたくなる。いいえ合理化作業で手間を減らしたい。

 そこで田んぼを見ながら考えた「そうだ、コナギにはなぎなたで・・・」とかなんとかおっしゃいましたの縮れっ毛で妄想したのが両刃の薙刀ならぬナギ鋸だった。刃は竹切り鋸の廃用刃を使ってY字形に取り付け、枝はしなった方が刃の角度を水底に添わせられると思い塩ビ管を使った。チャッチャッと作り田んぼに入ったけれどしなりが逆に使えない。押したり引いたりの力が殺がれてしまうのだった。これは大誤算で、これなら造林鎌の方がよほど役に立つ。
 しかしアイデアが大誤算なのはとっても悔しい。しなやかさと剛性の塩梅を間違えたのだった。鋼管と交換し好感度のあるコナギ掻きにしたい。でも結局、この日は戦闘意欲消失で、オニヤンマを眺めつつ昼まで過ごした。まあ、程よい仕事の中休み・・・。

 秀逸のアイデアと思ったもののカサスゲは地下茎ごと抜き取る必要があるし、イヌビエは根株が強靭でこれでは引き切れない。対象は道具の強度から「コナギ専用」なのだ。水底に刃を押し付けながら引き切れば一度に大量の株を根と分離できる。理屈の上では効率が良いけれど現実は厳しく改良の余地ありだ。本当のところは台所にある皮むき器のお化けが望ましかったのだが、ガーデンレーキに刃を取り付けるのも面倒で・・・横着はいけません。

           全体     刃先

蜂満総社建立8「巣材、詰め物の準備」

2020-08-24 | 何よりの楽しみ
 虫に提供する空間は屋根裏中央分割で2、二重天井・床で2、中央仕切りで4、それに側面のハチの巣壁で合計10区画ある。すべて別々にしても同一材を入れてもかまわないけれど、そこは己の美的感覚が出る。集積場所や集草場所のように「一材てんこ盛り」とはいかない。ましてや「蜂満総社建立」なのだ。神聖にして厳かな佇まいが欲しい。

 稲藁やもみ殻はあるけれど放火されるのが懸念され使えない。葦束は遊水地まで刈り取りに行けば入手できる。松ぼっくりはテーダ松で済まして樹皮は間伐材から採収しネザサの稈も至近で調達する。葦とネザサの稈より細い穴が欲しかったがムギワラは入手不可能だ。そこで気が付いた。季節も終わりで安売りの「天津すだれ」が使えそうだ。数百円でなんとかなるだろう。
 越冬室には小枝を入れようかと思いつつ近くの棕櫚から繊維が調達可能だ。一応は「棕櫚」として詰め物は決まった。

 葦材を集めるのに泥水池の葦を集めてきた。細すぎるのは外して所定の長さに切りそろえてみたものの詰めたい量の半分ほどしかなならなかった。葦を刈れる場所は遊水地まで出向く必要があるのかとウンザリしてみたが、自宅近くの河川にツルヨシがある。これで不足分を充当する。葦もツルヨシも変わらんだろう。「馬も四つ足、鹿も四つ足」で決断した故事もある。

 松ぼっくりは赤松か黒松のそれが欲しかったけれど近場に松林は知らない。仕方が無いからテーダ松の松ぼっくりにする。少々大きめなのは構わないとしても棘付きで扱うのに注意が必要だ。虫にはどうて事無い形状でも繊細な芸術肌の小生には怖ろしい物体でもある。

 アズマネザサの稈を用意した。真竹だと少々太めになるし同径のものが揃い難い。自然素材だけで穴の多様性を満たすのは難しく、不足径は木工ドリルの出番になる。それが側面壁にした3寸角のヒノキ材。大小2種類の穴をドリルで開けてある。

 樹皮も用意した。間伐・除伐材から採った樹皮なのだが、杉やヒノキが採りやすいものの宿る虫たちの好みが偏り過ぎるきらいがしてヤマグワやコナラの樹皮も混入させた。初夏に伐採したヤマグワの樹皮を剥いでいたら玉虫の幼虫が何匹も現れて「ヤマグワも喰うのか」と驚き、さっそく中止。人生思うようにはいきません。

 棕櫚の繊維は二重の天井と床の隠し部屋に入れる。棕櫚だけで大きく1区画用意しても良かったのだが蜂満総社は高床式なので、床下に置く丸胴の中にでも入れれば残りは処理できるはずだ。