まだ結実樹齢に達しない幼樹の根元を掘り返されつづけ枯れ死寸前まで来た。プラムや栗などは購入した樹種なので、多少は防護したくなる。
この場所は除伐したアラカシの枝葉を長年朽ちるままに集積していた場所なので腐植質が多い。それが判るから猪が集中して掘り返し続けるのも無理からぬ、と思うものの理解を示して「なすがままに」も出来ぬ。
この一角に設えた生姜畑が全損になってしまい、業を煮やしてクレオソート剤、小生のマーキング、ウルフピーなど忌避剤を散布していたのだが、効き目は一過性だ。
今回はウコンの株が荒らされない事に目をつけて、スライサーでスライスしながら振りまいてみた。「結果がどう?」と言うより精神衛生を図る必要がある段階になった。焼酎で抽出した忌避剤は、この後に出番が来る。ここまで来ると結果効果より遊びの要素が強い。物理的防護ではないから張り合っても負けるだけである。
縦位置で撮影したのだがアップすると横になってしまう。回転させても同じ結果だ。ソフトのせいなのかイラつく。
ジャコウアゲハの幼虫が外壁を登って動かない。翌日見ると少々移動しているが、体型は変わらない。移動が止まれば変態するものとばかり思っていたが、変態開始を見たい。
数日後には体動が続き「そろそろか!」と期待したのだが、翌日には忘れてしまい、気が付いた時には変態していた、その気が付いた理由と言うのも、下の縁台に排泄物と思しき汚れが散っていたからで、これが無かったら、思い出さなかったかもしれない。
「近い所から忘れる」とは本当の事のようで、録画した映画の内容をチェックしても、一通り終わった頃には思い出せなくなっている。それはともかく「お菊虫」はよくよく見れば気持ちが悪いというか、エイリアンのような形態だ。横から見ているに限るが、春までこのままなのだろう。
我が家のウマノスズクサ十数本で幼虫の発生は5回を数えられるし、その都度二桁の幼虫がいた。適正密度ではないから、毎回食べつくし終齢幼虫まで至った数は不明で、お菊虫として確認できるのは数体でしかない。生き残る厳しさがある。
菜の花の色に見えたり黄金の田
猪に喰わせるものかと栗あさる
草刈りも栗を拾って昼餉なり
山栗を拾い進まぬハイキング
子は拾いママはいらない栗拾い
降霜直前まで生育させれば10kgの生姜が収穫できたと思っているが、床を猪に掘り返され根茎と地上部は分離したので拾い集めた。
種生姜を2kg植えこんだのに、回収できたのは1200gだから損失は甚だしい。しょうがないからチップにして天日干し、一日目は段ボールの上に広げ、二日目は笊の中で干した。乾燥重量は100g少々で、意外に水分が多かった。日光に当てたのは「なんとか」と言う体を温める成分が飛躍的に増加するからなのだが、まあ、これは某番組の受け売りでもある。
失った水分量を日本酒で補い、後はレシピ通りに材料を投入して煮込む事1時間、1500mlほどのシロップが出来た。味見に小さじ少々を口に入れたが、この時期の食品ではない。体が熱くなってしまった。
残った生姜のスライスは味噌と炒めて「生姜味噌」に仕立てる。これを熱いご飯にのせても美味しいし、お握りに塗布し焼きお握りにしたら、これはもう天にも昇る心持になる。魚沼コシヒカリの新米が待たれる…。待たれる。
出掛けに台風20号の余波で雨がポツポツと落ちてきた。「降られたら帰ればよい」と道具の手入れに出かけた。出かけて大正解だったのだ。恋焦がれていたシロマダラを捕獲できたのである。
越冬中の3匹を見たのが最初だが、カメラの持ち合わせがなく撮影出来ず、翌日以降は「越冬中だから…」と露出させなかった。同じ場所の環境が変わらなかった数年間、確認に行ったのだが居合わせず、昨年だったか、捕食残しの尾部15㎝程を手にすることが出来た。
今回は体長40㎝の成体で、実際に手に取って見ることが出来たのだ。視認する事は珍しいから、市内の動物園の担当者まで持って行ったが、「飼育スペースが無いから」と結局は元の場所に放したのである。
出合えて感激、手に取ったら反撃、指をかまれて痛撃と、なんともまあドラマチックな出会いであった。ヒバカリに噛まれた時は痛くもなんともなかったが、シロマダラは歯があるようで出血してしまった。鋭い痛みではなかったけれど、親指の関節を二回噛まれたから傷跡も4か所出来ている。見ていてニタニタする自分が可笑しい。
写真は濾過槽のフイルターなのだが、左が取り外したばかりのフイルターで、右端が取り外して20日ほど経過したフイルターだ。これを装着して池の濾過を行っている。
今まで濾材は、取り外した時に水道水で清掃していたが、たまたま放置した濾材をダンゴムシが綺麗にしてくれる事がわかり、ダンゴムシに清掃を委ねたから、ダンゴムシの活動期は水道水を使わなくて済んでいる。
難点は、フイルターを数点用意しなければならない事だが、モーターの寿命があるので廃棄した濾過機のフイルターを利用している。言わば「生物処理」なので、その意味では「最先端」の英知なのだ!?。
これに着想を得て、毎日出る茶殻と夏季に出る麦茶の茶殻を窓から庭に落としているが、これが一向に蓄積されないのだ。茶殻の塊を持ち上げると、下はダンゴムシの密集地、麦茶のパックは穴だらけで、破るとダンゴムシのコロニー、小さな生物でも、その処理能力には感心する。
今回の台風18号でテーダ松一本が折れてしまった。もともとは途中から双幹だったのだが、写真後方部にあった幹は昨年の台風で折れている。大型台風なら十八番だろうが、ハルゼミの鳴く樹を、また一本失った。おしゃかである。
残った幹も枝が片張りなので、折れやすいとは思っていたが、予想より早く折れてしまった。問題なのは折れた部分が表皮一枚程度で残っている事だ。
今のところ枝が支えになっており、突然瞬時に落下する事は考えにくいが、安全のためには処理を急ぐ必要がある。集積できる大きさに切断しながらの作業となるから数日間は見なければならないのだろう。
急がなくても良いと思える手間を惜しんで、取り返しのつかない結果を生じさせる事象の例は事欠かないし、こんなことで予定通りにはいかないから、これも悩ましい。
ストーブを釜戸に改造して、9月の定例会で燃焼試験を行おうと思っていたのに、台風18号で10月に持越しとなったが、その台風18号によって落下させられた栗を茹でるために火入れをしてしまった。
携帯用のガスコンロで栗を茹でていたのだが、沸騰直前でガス欠となり、火入れせざるを得なかったのである。鍋の用意などなかったから、電気炊飯器の内釜を活用した。炉内にすっぽり入ったためか加熱効率が良くて、少しの薪でも激しく沸騰する。まあ、成功したと言って構わないだろう。
栗はと言えば、口が開いて落下した物でないから皮の着色が悪く、当然、熟果とは言えないまでも美味しかった。ほとんどはフイールドに来ていたおチビちゃんの手元に行ってしまったのだけれど…。
棚田の稲刈りに田植えをした子ども達と、先輩にあたるボーイスカウトのメンバーがやってきた。水の流入は止めておいたが、水生生物のために乾田にはしてない棚田はぬかるみが半端でない。
子ども達は母親たちに「入っては駄目!絶対入っては駄目!」と言われ、一人も田圃に入れなく、当然、稲刈りも出来なかった。泥汚れの洗濯の大変さは理解できるけれど、親が刈り取ってしまう場面でもなかったろうにと、少々残念でもある。
そんな位置づけだったから、バッタやヤゴを見つけては大はしゃぎ、今度は隊長にお小言をもらう始末になった。子どもにしてみれば踏んだり蹴ったりのイベントだが、事前教育がなされなかった事も態度に繋がったのだろう。稲束を結えて車道まで2往復が活動内容だった。
倒伏してしまった稲ばかりだったので、半数は沢水で泥落としをしたのだが、「最後にどうしてこんな汚い事をするの?」と意見を言った児童がいたが、「さもありなん」である。小学生ともなれば、小生の世代は大事な労働力として役立ったはずなのだが、今の子は大人びていて幼い。
獣害、特に猪の被害を防止したくて「効果がある」と宣伝されていた「狼の尿」を棚田で使った結果も「効果なし」だと言って良いだろう。敵も生存がかかっている、馬鹿ではない。
田圃の周囲、畦や堤に所定の間隔で配置したのだが、装着支柱の根元まで掘り返されている始末だった。泥水地での試行も「まったく忌避効果なし」だったし、棚田での試行結果など自明の理だったのだが、多少は期待していた面もある。
安くない費用を投じて、我らの棚田での「費用対効果」はマイナスと断言できる。気分商品にもならなかったが、ドクダミやクレオソート丸薬、ウコンチップ、栗の毬などは多少は敬遠してくれた。結果は同じでも、こっちの方が精神衛生上、遊びがある分、ストレスが無い。
早い話、とりあえずは「物理的防止策」、放獣した結果なので、長期的には「生息絶滅策」が最良なのだろう。
今季の最終刈り払いになるだろう、真竹の全伐地の刈り払いをした。お盆前の前回までの様に真竹の再萌芽が全く無く、夏草だけだったから刈りやすかった。それでも、オヒシバ、メヒシバのようなイネ科の草本は地上部でビッシリと絡み合って密生していたから、刈り刃を移動させる時は、結構な抵抗になる。ともかく量が多いのだ。
燃料タンク二杯分の燃料を消費してようやく終わった。刈り草はそのまま放置だけれど、ここは竹の根が密生している場所だから、猪も遠慮気味である。どっちかと言えば「掘り返して欲しい!」。
あと2日分ほどの面積を刈り払えば、ようやく林内の作業に入れる…と思っていたら、棚田の稲を乾燥させるための稲架を23日までに設えねばならなくなった。貧乏暇なしである。