三月末ともなればフイールドの裸木も萌芽して全域が霞のかかったようなパステル調になってきた。一陽来復の後、日差しが戻ってきた地表は低草類のお花畑になっているのだが、これを「雑草が生えて疎ましい」と感じる者が少なからずいる。常日頃「農地でも宅地でも無い里山の環境保全するための作業」と言っても通じない。この雰囲気は周囲の保全団体会員にも通じる傾向なのだ。
一方、街に視点を向ければ「三月二十八日」が小生の暦の上ではツバメの戻って来る頃なのだけれど近年は四月に入る事が多く育雛期でも巣の数は激減した。当然ながら雀の営巣部も稀になって環境が人為的に大きく変化している事を伺わせる。
さて「歌は世につれ世は歌につれ」と言われるし「十人十色」とも言うけれど、こと「里山保全」活動の中にも矜持は求められると思っている小生なのだが、そんな事はあくまでマイナーであって、もっと正確に言うならばこの小さな活動範囲でも自らの意思で参加しているにもかかわらず保全活動者としての自覚や、それよりも何よりも保全活動の在り方さえ意識に上らない感じがしてならないのである。
草が伸びれば「雑草茫茫で・・・」と丸坊主にされるし「綺麗でしょう!」と刈り払った跡には洋種の園芸花卉を植え込む感覚はとても理解できない「保全にたいしては何も頭にないのだ」と思わざるを得ない。
桜満開の頃だからまだ「刈り払い」での破壊欲求は小さいだろうけれど里山保全のベースが宅地や農地と全く同じ視点で野草を見られては長年粛々と植生を創出して来た立場からすると暴虐極まりなく「生物的廃墟」を作り出す手先にしか見えてこない。しかしこの「植生が保全の基本」になると言う視点はとても理解できないのだと言うのがこの頃の小生の認識である。「綺麗にしましょう」がかけ言葉で裾群落や林床、トレイル脇を丸坊主にしていく作業など日常ともいえるグループも存在する。
内包する問題と言うか課題は「学ばない」に尽きる。まあ、公僕と言えども「これ僕の…」で済む浮世なのだから推して知るべしではあるが・・・。フイールドの木々は萌芽で染まり始めてきたが、それより先に地表は緑になり春のお花畑が出来ている。
写真の場所はやや日当たりが弱いからタンポポは少なめでカキドオシが満開だけれど、日当たりの良い場所にはタンポポやオオイヌノフグリ、タチツボスミレ、セントウソウなど低草種がお花畑を為している。
こう言う環境を「素晴らしい」とも感じず刈り払い、あげくは外来園芸種を植え込む感覚はとても理解できないのだ。町内会や学校の「花いっぱい運動」ならまだしもなあ・・・。
歌に「愚痴は言うまいこぼすまい。これが男の生きる道」とあるけれど既に齢お爺ともなれば男とも言えず単なる弱い高齢者だから愚痴ってもいいだろう。表題の如く「学ばず思わずでは無茶苦茶だし思わず学ばずでは環境破壊者」でまあ、兵器を持たせれば暴国のように振り回したくなるのが小人の小人たる所以であろうか。今期も唖然茫然愕然となる刈り払いの季節が巡ってくる。てなもんや三度笠。
一方、街に視点を向ければ「三月二十八日」が小生の暦の上ではツバメの戻って来る頃なのだけれど近年は四月に入る事が多く育雛期でも巣の数は激減した。当然ながら雀の営巣部も稀になって環境が人為的に大きく変化している事を伺わせる。
さて「歌は世につれ世は歌につれ」と言われるし「十人十色」とも言うけれど、こと「里山保全」活動の中にも矜持は求められると思っている小生なのだが、そんな事はあくまでマイナーであって、もっと正確に言うならばこの小さな活動範囲でも自らの意思で参加しているにもかかわらず保全活動者としての自覚や、それよりも何よりも保全活動の在り方さえ意識に上らない感じがしてならないのである。
草が伸びれば「雑草茫茫で・・・」と丸坊主にされるし「綺麗でしょう!」と刈り払った跡には洋種の園芸花卉を植え込む感覚はとても理解できない「保全にたいしては何も頭にないのだ」と思わざるを得ない。
桜満開の頃だからまだ「刈り払い」での破壊欲求は小さいだろうけれど里山保全のベースが宅地や農地と全く同じ視点で野草を見られては長年粛々と植生を創出して来た立場からすると暴虐極まりなく「生物的廃墟」を作り出す手先にしか見えてこない。しかしこの「植生が保全の基本」になると言う視点はとても理解できないのだと言うのがこの頃の小生の認識である。「綺麗にしましょう」がかけ言葉で裾群落や林床、トレイル脇を丸坊主にしていく作業など日常ともいえるグループも存在する。
内包する問題と言うか課題は「学ばない」に尽きる。まあ、公僕と言えども「これ僕の…」で済む浮世なのだから推して知るべしではあるが・・・。フイールドの木々は萌芽で染まり始めてきたが、それより先に地表は緑になり春のお花畑が出来ている。
写真の場所はやや日当たりが弱いからタンポポは少なめでカキドオシが満開だけれど、日当たりの良い場所にはタンポポやオオイヌノフグリ、タチツボスミレ、セントウソウなど低草種がお花畑を為している。
こう言う環境を「素晴らしい」とも感じず刈り払い、あげくは外来園芸種を植え込む感覚はとても理解できないのだ。町内会や学校の「花いっぱい運動」ならまだしもなあ・・・。
歌に「愚痴は言うまいこぼすまい。これが男の生きる道」とあるけれど既に齢お爺ともなれば男とも言えず単なる弱い高齢者だから愚痴ってもいいだろう。表題の如く「学ばず思わずでは無茶苦茶だし思わず学ばずでは環境破壊者」でまあ、兵器を持たせれば暴国のように振り回したくなるのが小人の小人たる所以であろうか。今期も唖然茫然愕然となる刈り払いの季節が巡ってくる。てなもんや三度笠。