トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

**もういいかい まーだだよ

2025-02-21 | 感じるままの回り道

          辛い別れの 夢見た朝は

          少しほっこり また会えた ハアコリャコリャ

 

          辛い別れも また会う日まで

          土産話を 紡ぐ日々 ハアコリャコリャ

          

          元気なババア バリバリ鰯

          孫子に贈る 太い骨 ハアコリャコリャ

 

          元気な爺 稼いで見ても

          孫子に喰われ 痩せる脛 ハアコリャコリャ

 

          お山の孤爺 ばりばり作業

          腰に貼り貼り 肩に鍼 ハアコリャコリャ

 

          バレンタインで 買ってはみても

          ばれたんあかん 孤食なり ハアコリャコリャ

 

          生きる苦しみ 賄い三度

          食えぬ苦しみ いかほどか ハアコリャコリャ

 

          価格下がらず 悲鳴は上がる

          二十一万 張る一番 ハアコリャコリャ

 

          逢えば別れが 辛くて怖い

          逢わねばスイーツ 優しいの ハアコリャコリャ

 

          遅寝早起き 深夜に疼痛

          眠る間無くも 来る永眠 ハアコリャコリャ


バンビーノ通信

2025-02-16 | 感じるままの回り道

 バンビーノガーデンの所有者Nさんから日照障害になっている林の伐採を始めたと言う折々の様子はラインで送られてくるので行かずとも承知なのだが、先日に危惧していた1本を伐採した折にやはり「道路上に倒してしまいガードレールの一部を凹ませてしまった」旨の写真が届いていたが、数日後のこの日は大寒波が去り作業日和に見えたけれど風が強かったので見回りで身体慣らしをしておく。

 その一環でフイールドを見回った後に作業中の場所に立ち寄ってみた。確かに公共物であるガードレールの一部は破損してしまったものの通行する人や車両に被害はなく架線も接触はしたものの揺らしただけで済み、まずは胸を撫でおろせる事態で収束したのだった。切り口を見ると沢方向に伐倒する意思は見えたけれど受け口と追い口のバランスが悪く、また蝶番の働きをさせるツルの形成が雑だった。同じ幅にしなければならないツルは道路側が厚く反対側がほとんどない断面は三角形に近いものになっていた。これでは道路の反対側から切れ初め道路側は最後まで残る設えになるので牽引していても立ち木の重量には勝てないはずである。まあ、それでもワイヤーロープで牽引していたから立ち木そのものの重心方向ではない横方向に倒れてくれて架線直撃には至らなかった、という構図が見えて来た。とはいえ際どい伐採だったのは間違いない。

 写真左側にはもう1本の傾斜樹があるのだがこれも伐採し難い環境にあってすぐ横は道路反対側の電柱を引っ張っている補助電柱が立っている。この傾斜樹の伐採は行わない方が安心だ。一応、見立ては伝えておかねば。

     


* 大寒波もうすぐ春のお約束

2025-02-15 | 感じるままの回り道

           日脚伸ぶ夕餉遅らせひと仕事

           春待つや葉裏の虫の食の痕

           氷盤の下の卵塊知る息吹

           春近しデデッポッポと林より

           春なればカンツォーネを聴く気分

           オリオンを望む踊り場夜に三度

           我が苫屋そこかしこより虎落笛

           大寒波春の先駆け凍え待つ     

           春までに散りし幸あり桜咲く

                       


まだ使ってない・・・

2025-02-12 | 感じるままの回り道

 林道に倒れた山桜の大樹、林道終点まで車で入れず道具の搬入に手間がかかるし倒木直前まで運転しても行きか帰りのどちらかはバックになるので痛い右腕でハンドル操作は危なっかしい事この上も無かった。バック走行でのハンドル操作で車の挙動はダイレクト&クイックになりがちだからハンドル操作が遅れれば山側に衝突なら怪我の心配は無いものの沢に転落では大怪我する可能性がある。

 道を塞がれて既に半年が経過したけれど何の動きも無くて、取水堰の掘り出しに通った1月はひやひやし通しだったのだ。しかし一旦、取水堰上端面に到達出来たら「この規模では孤爺の人力・尽力では到底復旧は不可能!」が想いたくも無かった現実的認識になった。そこで取水升の掘り出しは諦め、せめて水流を取水升上に通す事を「水源地の手入れ」として行う事にしたのである。そのためには導水堤代わりに大木を横たえねばならず、まずは伐採し牽引して所定位置に杭で固定する作業を行わねばならない。

 そうなるとチェーンソーやら牽引器やらコンテナ2箱分程度の資材を作業の度に運んでまた片付ける事になる。故にどうしても林道終点まで入りたいのであった。かくして待ちきれず危険を承知で処理したのが先日の事なのだが、その後、大寒波が居座り日中の気温も一桁台では肩の冷えが酷くなる=疼痛増加の原因になる事必至なので山詣は休んでいた。その間、断水になれば姥捨て山の環境は劣化するのは目に見えずとも確実なので「終焉」に向け資料の改定をしていたのである。ここにきてようやく大寒波の緩みが期待できるようだからそろそろ重い腰、痛い肩を上げなければならない。Uターン場所のドン詰まりには脱輪しない様に処理した桜の太枝を横たえておいた。これでツッツモッツ、切り返ししている時の安全装置にはなるだろう。

 画面右上に見える丸太橋、一年前はこの丸太橋下で立ち作業が出来ていたのだ。沢の河原幅も2倍以上に広がって、度重なる集中豪雨による砂礫の流出の膨大さがはっきり判る景観になっている。こんなあり様では取水升上に150cmも砂礫が堆積してしまったのも妙な納得するだけになってしまった。まあ、立ち向かう!、なんて誇大妄想は無しにして天変地異は従順に受け入れ従う事にする。どうにもならないのはどうにもならないのだ。水域創出で多くの生物を呼び寄せ反映させてみたものの物事には終わりがあるものだと言う現実を痛いほど知らされた。肩の痛みもうんざりするほど味わえる日々でもあるが平和であることは間違いない。

     


バンビーノ通信

2025-02-10 | 感じるままの回り道

 二月になって水源地整備に用材を調達しなくてはならなくなった。必要な牽引器や楔はバンビーノガーデンに陰を作っている道路脇のヒノキ伐採に貸し出しているから「そろそろ返してもらわねば…」と水見回りのついでに立ち寄って作業の進捗状況を確かめに行ってみた。現場は道路脇だし山上の団地に送る電力線も張られている場所なのでリスクを避けるために伐採時に牽引は必須なのである。道路側に傾いて「ヘルプ!」のラインが来て放置できず手助けに行って道具を預けてから3回の週末を挟んでいる。その後のラインで「上手くいった!」と写真で様子が送られてきたので順調だったろうとは思っていたのだ。

 この日、現場を見ると思っていたよりはかどっていて、ほとんどが薪用サイズに切断されていた。北側のバンビーノガーデンを見れば畑の半分に日差しが届いていたが残り半分が切り残しの林で日陰のままであった。この部分は土地所有者が異なるから伐採するかどうか承知はしていないけれど伐採出来れば畑の日当たりは十分になる。しかしながら道路脇のヒノキの大木1本は道路側に枝葉を張り出していて幹も道路側に傾斜している。これをたかだか500kgの牽引器で引き起こすのはリスクがあるなあ、と言うのが印象だった。他人の土地ならこのままだけれど、自分の土地で伐採範囲ならちょっと考えないと危ない。下の画像では左上の斜行木になる。

     


春よこいこい 早く来い

2025-02-02 | 感じるままの回り道

 「春よ来い 早く来い 赤いべべきたみーちゃんが 春よこいと待っている…」だったかどうだか記憶が薄い。まあ、頭頂部は若きみぎりより薄いのであるから年齢を考慮すれば「歳相応」なのだろう。前向きに捉えれば「健康に加齢しています」と爺我自賛の結論を出せる。それはともかくフイールドで春を感じるのは何と言ってもニホンアカガエルの産卵なのだが1月30日現在、卵塊は発見できていない。例年通りなら1月末には卵塊を見いだせるのだが水見回りも意気が上がらん。

 産卵がいち早く行われるトンボ池は日当たり良好、陽だまりヌクヌクなのだが他の水域はまだ尾根の陰になっていて氷結したままなのだ。水源地の復旧作業は孤爺の人力で尽力しても不可能なことが骨身に滲みて納得平伏したのだが、このまま伏流水の取水が止まればおっつけ速やかに水域は干あがるのである。昨年、県内東西の横綱と我がフイールドを比較検証して面積比較では盃と釣り鐘の差ほどあるもののその生物生息密度は圧倒的に横綱を凌駕している。

 この事実は数年前に報告書として県と市の担当部署に届けたけれど、昨秋のクラス会で「何の反応もなかった」とぼやいたところ、役所務めしていた級友は「そういう物は積読!」と説明してくれた。まあ、孤爺はそれなりに納得したのだが価値判断が緩いのは情けない。ともかく一点豪華主義ともいえる現状なので生息地を点在させてネットワークを広げるなんて面倒は考えないのかも知れん。どちらにしても断水の憂き目が大きく現実の事として実感できる今期、春になってもそうそう喜べない心情でもある。昨秋9月の吐水量は25ℓ/分だったのだが1月末は18ℓ/分にまで減少して来た。排砂バルブの操作で復旧するのか、あるいは砂礫の空間に泥土を引き込み断水に至るのかは全く分からず「為すべきか為さざるべきか⁉」老いたベルテルの悩みは続く。

     

 さてトンボ池は陽だまりなので今期の産卵は何時か?や春に現れるチョウの初見は何時になるのかとか楽しみは待っているものの「水を断たれて環境崩壊」もまた現実として迫っている。つまりは色即是空空即是色、すべて変わらないものなど無いのだと思うしかないなあ。

 


ミツマタの蕾

2025-01-09 | 感じるままの回り道

 周囲に一本だけしかなかった母樹は既に根元から刈り払われて消えてしまったものの、その前に刺し穂で作った苗木がここ数年、開花するようになっている。今期も立ち寄ってみたら蕾を付けていたけれど、草地に定植した株は寒さと言うか霜に当たって葉が委縮している。灌木の中に定植した苗木の葉は傷んではいない。ミツマタは常緑樹ではない落葉樹だったと思うが未だ落葉もせず緑のままである。

 ミツマタを植えても和紙の原料にする訳でも無く開花しても早春の蜜源や花粉源になるかどうかも知らない小生ではあるが花の少ない季節に野生の草本や木本の花が増えるのは環境にとっては好ましい事だろうと植え付けたミツマタなのである。でも大変残念なことに、世間では「残念な生き物」なんて流行があるようなのだが小生、孤爺、ミツマタどころかフタマタも経験がない。今からでは時すでに「遅かりし由良之助・・・」なのである。だからこそ金運も無かった訳で高年齢低年金、貯蓄は金二つだけで生きておる。


凍れる月影霜に冴えて

2025-01-02 | 感じるままの回り道

        あな嬉し昨夜のトイレ一度きり

        アカトンボ孤爺の膝で日向ぼこ

        あれ温しお日様布団も一夜きり

        屈葬の如き寝入るや寒月夜

        わらべ追い林道掛ける落ち葉かな

        木星と西の満月しもばしら

        天空を満たして枯葉富士の嶺

       わび住まい温み感じし初日射す

       餅ひとつ無きぞ新年肩痛し

       湿布貼り懐炉を貼って御出爺

 

※ 朝から「ページに到達できません」のメッセージが出て来るだけで全く様子が不明だった。昼のニュースで親会社のサーバーに攻撃があったのを報じていて理解したのだが、まさか渦中に巻き込まれるとは思いもしなかった。プリンターのインクが無くなりプリントできないと校正もし難い小生なので開店時間に合わせて購入に行ったけれどひどい混雑でレジには大行列。世間様はお金が唸っていると見える。相変わらず肩は痛いし年始は資料作りに励み自宅軟禁である。


間を置かず役立つ

2024-12-31 | 感じるままの回り道

 古いジスクグラインダー二台から一台を使える様に再生したのはつい先日だったのだが間を置かず役立つ時が来たのだった。暮れも押し詰まった29日と30日の両日、夕日が山の端に掛かる時間まで作業をしたのは成行きと言えば成り行きでかって無かった事なのだが、暇つぶしと言えばそうなので多分に肩の痛さの塩梅を確認する意味もあった。しかも作業はコンクリート床の凸凹直しなのでタガネとハンマーを使っての斫り作業が中心になる。衝撃のある作業を続けるので肩へのダメージは想定していたものの結果的には肘を高く上げる必要が無い作業になって打撃もハンマーの重さに頼って済んだので何とか事なきを得たが、さすがにフルタイムに近い作業日二日は疲労感が出る。

 今日は大晦日だけれど子どもたちも都合がつかないとかで我が苫屋での正月料理は無し。「日々是平日」と古来から申すではないか。「毎日が日曜日」ともいえる孤爺にとっては「新年なんて毎日の事」でもあろうぞ。童謡に「もういくつ寝たらお正月・・・」なんてのがあったが今の子どもたちは歌う事などあるのだろうか。幸いにして孤爺は記憶にあり忘却してはいないけれど中身はすっかり変質している。「もういくつ寝たらご来迎・・・」待ち望んでいる気は頭頂部の様に毛頭無いけれど、切れない赤い糸で結ばれているのは世間様の恋愛模様とは異なる事でもある。世間様、こっちは切れたり結びなおしたりされるし・・・。ご来迎の赤い糸は古今東西・現在過去未来、切っても切れない固い縁で結ばれているのである。ご来光には万人みな「万歳」やら合掌をするようだが、さすがにご来迎に万歳するのは敵方だけだろう。

 さて、再生したジスクグラインダーと合わせて2台のジスクグラインダーが役に立ったのは床の手直しが終了し、ついでに棚を設置したいとの事で単管パイプの切断に使えたのだ。切断しバリ取りするのは1台でも可能なのだが切断用とバリ取り用があれば先端を取り替えずに使える。1台だと最低1回は取り換える必要があるけれど忙しい時は1回でも煩わしい。草臥れてくればなおそうなのである。かくして孤爺の年末大仕事は片付いたのだが今日、大みそかは温かい部屋で資料をまとめなおす。お正月中に何とか関連部署に提出できる精度に仕上げたい。かくして高年齢低年金の孤爺には「お盆も正月も無い」日々是平日であるが、皆様方は良いお年をお迎えください。

  


バンビーノ通信

2024-12-25 | 感じるままの回り道

 菜園「バンビーノ」の日照障害になっているヒノキを伐採するのに手伝い要請のメールが入ったけれど、現状は腕が上がらず身支度でさえ痛いのであるから断ったのだが「現場で教えて欲しい事もある」との事で本当に久し振りに出かけたのだ。前回はゴールデンウィーク前のはずだから8カ月ぶりくらいになる。肩を冷やしたくないからお日様が高くなるころに出かけたものの、現場は沢横の日陰地で温かくもない。

 伐倒するには空間のある沢の上に倒した方が楽だし重心も沢側に偏っているからロープや楔を使うことなく1本目は伐採出来た。二本目からは径も大きくてロープで牽引しつつ伐採する必要があるのだったが昼も過ぎた時間なので小生は帰宅する。地主のNさんと友人は昼食後も作業予定だったようだが肩が冷える時間を少なくしたい小生は「うどんがありますから…」と誘われたものの大事を取って昼食は自宅にしたのだった。到着時には気が付かなかったが畑の中に立派な小屋が建っている。前々から「道具小屋が欲しい」と言う話は出ていたから地主のNさんがDIYで建てたようだ。とりあえず撮影だけして帰宅した。四方山話は次の機会に、である。

 薪用のサイズに寸断       沢内での処理


押しつけ廃棄だ⁉・・・

2024-12-22 | 感じるままの回り道

 一月末に予定されている「森の市」出品の木の玩具を肩の痛みに耐えながら自宅軟禁中の時間を活用して作ってはいたものの「あと一カ月余り」という師走になれば「その期間で肩の痛みから解放される」目安など無理だと感じるようになって「寒い土手の吹き曝しの中で8時間の立ちんぼ冷え」は絶対に肩と膝の痛みを強くする」のは明白なのだった。そこで早々と不参加を決めたけれど、そうなると在庫の玩具を始末しなければならない。

 そんな折に電話があって以前、姥捨て山で幼児と活動していたIさんだった。孤老に用も無いもんだと思いつつ応対すると「森の幼稚園の十周年記念行事を開催します。姥捨て山ではお世話になりましたし来てください」と言う事だった。そんな話の中で「泥ん子遊びが大好きで思う存分遊ばせていただいたAちゃんも高校生になってお母さんと来てくれます」と言うではないか。泥ん子遊びに熱中していた幼児の記憶は微かにあるけれど名前など知らんし・・・。しかしなあJKだとー。んー誘惑力が高い。まあ、孤老に敢て連絡をくれたのだし無下に断るのも失礼だから曖昧に返事をして話は終わったのだ。

 その後で気が付いた。記念行事なら現役のJK、いいえ通園中の幼児も参加して来るはずで、そこに木の玩具を持ち込めば処理出来るではないかい。園児の活動で不要でも式典参加者にばら撒けば一括処理は可能だ。まあ、ただより安い物はないのであるからゴミと思っても手を出す人間はいくらでも存在する。で、在庫一掃のために式典時間を外して持ち込むことにした。持ち込むのは一点ものの動く玩具は外して数の揃った「イースターエッグ」と「三葉虫のペーパーウェイト」、それに時間つぶしには面白く不思議膏金鵄丸な幾何回転体の三種類を取りそろえて用意した。

 くねくねヘビや泳ぐ魚、機関車トーマスなどの一点物は近所に開設された施設にでも持ち込むつもりなので外す。苦労して作る一点物は相手を選んで贈りたい。と思うものの数を揃える加工はそれなりに苦労はあるのだが大和男たるもの苦労を見せてはいけない。それと共に「JK参加!」に誘惑されたのでは無い木の玩具の廃棄機会を活かしたかったのであるし。

     

 開会の時間を外して10時半頃に到着した。「駐車場が広いから…」と普段の拠点と全く方向違いの場所で開催した理由は一目瞭然。駐車場は50~60台は楽に並べる芝生の広場で、少し歩くと疎林の中が会場だった。既に個人のお店が並んでおり写真では寂しく見えるけれど入り込んでみれば結構なにぎやかさだったのだ。九段の靖国、いいえ件のJKは来たかどうかは話題にはならず、とりあえず「好きなように使って!」と渡す事が出来たのだ。お店は殆どが卒園生や在園生などの関係者らしくて母と子でお店を広げている風情だ。和やかだけれど孤爺には用も無し、だから一巡りして退散。

     


初霜と初結氷

2024-12-16 | 感じるままの回り道

 朝の最低気温が2.6℃と報じていたから「初霜ありか⁉」と出かけたのだが姥捨て山の水域は結氷していたが霜は薄かった。毎日、乾燥注意報が出ている日々では気温が低下しても霜は発生し難いのだろう。昨季は記録できなかったのだが記録を眺めれば概ね初霜と初結氷は同日の時が多い。これが何を現しているが知る由も無いけれど「本格的に寒さ到来」なのであって、冷えが増せば肩の痛みの回復は遅れるのだろうと観念せざるを得ない。そうなると年明けの1月中に回復は難しいかと年末年始も我慢で暮れ明ける気がする。年内鍼治療に行っても二回程度のはずだから年越し間違いなしだろう。


落ち葉掻き先送り、孤爺、閑居して不全を成す・・・

2024-12-10 | 感じるままの回り道

 9日朝、今期最低気温の2.5℃を報じていた。姥捨て山は初霜かそれとも同時に初氷もありうるので「確認に行かねば…」と思ったものの冷やすと肩の痛みが増すので恐れ入ってご辞退申し上げたのだった。先日、道具小屋に工具があるかと探しに行った折り、落ち葉が溜まり始めているのを見ると「落ち葉掻きをせにゃー」と思うけれど熊手を伸ばして引寄せるのは痛いだけだし、更に斜面では腕を上げなければならないから更につらい。まあ、落ち葉掻きをする以前に水源地の河床を浚うのが優先しなければならないのだがどちらも痛い腕には辞退せねばならない。

 鍼治療の回数券を購入して今日が3回目の治療日だけれど、施術直後は腕の動きになんら不満も無いものの一夜明ければ元の木阿弥になる。それでも施術ごとに少しばかり緩和傾向を感じているのだが回数券を使い終わる頃には作業に出れるようになるのかどうかわからない。最大の障壁は「冷え」なのであって初夏に左肩の痛みに泣いた頃は暑さに向かう時期でもあり「冷え」は考えなくともよかったのだ。入浴して肩まで沈めて温めると右腕は痛みも無くオツムテンテンが出来るので血行不良が要因だろうと納得もしつつ、木の玩具作りを在宅に飽きて行っているようでは自ら血行不良を生み出しているようなものであるが、わかっちゃいるけど止められないのが脅迫製作症なのである。

 結局昨夜も夕食中に「ビビビッ」と降臨してしまい玄関で薄板を切り抜いたのだった。糸のこ盤は掃除機を接続して集塵機扱いできるので屋内作業は可能なのだがそれでもフロアーには粉塵がうっすらと溜まっていく。落ち葉も溜まるし汚れも溜まるけれど腕が痛くては年末の大掃除も嫌だなあ・・・。それでも痛みを育ててくれる工作は止められないのは因果である。

     


*秋うらら鼻くそ丸めピンと撃つ

2024-10-13 | 感じるままの回り道

            木立闇明ける晩秋はらはらと

            トワイモア歌うはこれか青天井

            どこまでも白き峰々遠き里

            つばくろも猛暑も去ってみる群青

            夜半の秋窓を閉じればただ寂々

            昼寝せば布団抱えて夜半の月

            床延べて家蚊と二人夜半の月

            秋うららキチョウ道行ここかしこ

            野ざらしとなりし空蝉かしらのみ

            秋の日や胸の渇きもつのる夕

          赤とんぼ野は緑なり嶺白し


**深川どぶ板長屋「秋の夜長論語読みの論語知らず講記」

2024-10-07 | 感じるままの回り道

     礼儀をもって党を収めん 裏金隠蔽不問じゃよ ハアコリャコリャ

     石橋叩く打出の小槌 ひと焉んぞ廋さんや ハアコリャコリャ

     改むるには憚らないで 朝令暮改のスピード感 ハアコリャコリャ

     苦節万年講釈しても 巧言令色鮮なし仁 ハアコリャコリャ

     石橋築く腐和雷同は 義を言い飾る信無きなり ハアコリャコリャ

     未だに仁を好む者居ぬ 新造石橋ひびの音 ハアコリャコリャ

     あしたに道をぶち上げ廻り 夕べの椅子で死んだふり ハアコリャコリャ

     朽木だったし糞土の垣だ 石も破れりゃただの礫 ハアコリャコリャ

     椅子を獲ったら豹変為して コメツキバッタの宙返り ハアコリャコリャ

     痴者は楽しみ陣者はアジる 椅子取りゲームのアッパッパ ハアコリャコリャ

     痴者は惑わず陣者憂えず 幽者恥無し同じ舟 ハアコリャコリャ

     他人の助けで石橋わたる 飾って為すのは命乞い ハアコリャコリャ

     同じて和せぬ在庫の一掃 カチカチ山の泥造舟 ハアコリャコリャ

     平時を壊す獪力乱心 過ぎたるよりは中庸よ ハアコリャコリャ