トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のエッ!品「マイブームはスープなのである」

2025-03-17 | 何よりの楽しみ

 コマーシャルでは「一流料理人が推奨する即席味噌汁」なんてものも含めインスタント流行りだけれど、そうそう続けて欲しい味でも無く飽きの来るのが早い。やはり拙くても折々に作る味噌汁の方が飽きは来ないのである。まあ、レシピなど何もない目分量の成行き献立でもあるから味に飽きが来るはずもなし。基本的な性向としては「あるものを食べなければならない」没落平安貴族の生活のような育ち盛り盛りを通った孤爺としては食に「云々」はないのであった。南瓜バッカリ、芋バッカリの様な収穫期の「バッカリ食」から水増し、材料増しの「増量食」やら「湯っ掛け飯」等々、貧しきお膳と言えどレシピは母や祖母の腕の見せ所、多様だったのである。

 さて、そうは思いつつも毎回毎回作るのもいささか面倒に感じる時もある。特に今期は正月から災の河原の砂礫掘りが続いていてその単調さと労力の蓄積にいささか疲弊感も覚える今日この頃なのだが、そうなると食事と睡眠が大切な要素となるのは間違いないだろう。その睡眠は昨年以来のん⁉十肩の結果、夜中の疼痛で度々目覚める結果となり、その傾向が続いている。悪い事に眠れぬまま聞いていた深夜放送が意外に面白くて更に覚醒してしまう悪循環となった今日日での頼みの綱は食事で摂取する栄養だけになったのである。

 そこでつらつら考えたのがスープを作り置きしておく事であった。味は付けず素材のままのスープと言うか煮込みと言うかまあ、どっちでも構わぬ、出る時は同じになるからであって「いかに必要な養分を消化吸収させるか」が無い知恵の絞り処なのだ。作り方も基本の材料は似たようになるし、煮方もコトコトと煮たり圧力釜で炊き上げたりと気分次第・時間次第の節操のなさであるけれど、基本は爺我自賛で構わない事だから老後の自由は横臥してしまう前に凌駕せねばなるまいて。そんな事で今回も圧力鍋で作ってみた。日に二食分としても3日で消費する量だから冷蔵庫保存で痛む事も無いだろう。

 この日は大根スライスに塩を振り水分を少なくしてから千枚漬けのレシピに糀を加え漬け込んで置く。作り置きしているスープもどきは調味料は入れておらず材料の風味だけで食するから副食に魚の開きや漬物、あるい振り掛け等々、少々塩味がある方がご飯が進む。とはいっても盛り切り一杯の定食なのだし品質の良い米なら古米でもご飯だけでも美味しいのだから。まあ、考えてみるまでも無くお米が一番の贅沢品だなあ・・・。

 思い出したのは母から聞いた話なのだが、孤爺が母に背負われつつ片手にお握りを持っていた時に当時、買い出しに来ていた何処やらのおやっさんが羨ましそうに長らく目を離さなかった事があったのだとか。また引揚者の千葉の叔母さんは実家からコメ袋を背負って帰宅途中、大宮駅で検閲に逢い、線路横の側溝に米を投げ捨てた話も聞いた事がある。当時ならいざ知らず今時、米騒動・コメ不足なんていかに農政に係わる公僕が仕事を軽く見つつ怠けていたのかが判る。一方商品券配る余裕があるなら子ども食堂にでも落としたらどうだ。情けない輩ばっかりになって馬鹿ばっかりよりバッカリ食の方がまだましである。

     


今日の素労風努「フキ味噌捻作り⁉」

2025-03-11 | 何よりの楽しみ

 この日、小雨が落ちてきたから水見回りして帰宅と相成ったのだが巡回の折りに目についたフキノトウを採集して来た。通常は景観植物として植栽したのであるから採集はしないけれど、正月以来の災の河原の砂礫掘り三昧の日常では多少は目先を変えてみたいのであった。採集量は150g、フキ味噌にする心算の材料なのだがフキ味噌の作り方もレシピも様々ある。今回は少々捻くれた作り方をしてみた。まあ、雨の日の手慰みで結果、旨いご飯のお供が成れば良いのである。小生、どうも「美味しい」表現は好きでなくやはり「旨い」が胸に落ちるのである。「美味しい」は食物に対する表現に思えないし「老死へ」なんて連想はしないものの「旨い」方が口に出してもストレートに思える。「美味」は味ではなく「美見」の感じ方であるのだ。まあ、捻くれ者でかまわん。

 さて、まずはアク抜きだが今回は蒸して行った。炒める時もオリーブオイルと使い道が無くて残ったままのバターも加えて消費を加速させる。炒め始めて気が付いたのは刻まないでフライパンに投入してしまった事だ。仕方が無いので炒め上がってから微塵にしたけれど結果には影響はしないだろう。この微塵に味噌と味醂を加え再び炒め直して完成!、としたいところなれど「もうひと手間!」とホイル焼きで焦がしの風味付けをしてみる。グリルの中火で15分ほど加熱したのだが、何せ初めての事だから火力が強かったようで12分で自動停止してしまった。

  蒸してアク抜き ➡  今回の材料 ➡  炒め終わり

 まあ、「開けてビックリ玉手箱」にはならんかったが焦げ付きの廃棄分が多くなって、これは非常に惜しい気分である。ご飯のお焦げならいの一番に胃の腑に落とすところなれどフキ味噌のお焦げはゴミ箱に落とすしかなく「あーあ、もったいない!」。それでも好物にありつける胸の高鳴りは消えず、客観的に見れば色恋沙汰ではなく春なのにフキ味噌に高鳴っているようでは情けない感もあるのだが、これが孤爺の人生でもあるのだ。早速、熱いご飯に載せて噛みしめる。寂しい孤爺の人生においても幸せな瞬間もあるのだった。これだけで夕食に出来たほどだが、先日に作った「大根の千枚漬け糀入り」を副食として更に幸福度が増したのであった。イチゴサッテモウシタモウシタ・・・。より「鍋の底ガーラガラ」の方が今回の閉じ方としては上手い!、はずである。


今日のエッ!品「拙速なビスコッテイ」

2025-03-02 | 何よりの楽しみ

 ビスコッテイはパンの類いなのかお菓子に属するのか未だに理解できない孤爺なのだがどうであろうとも腹に入れば皆同じになるのはこの世の道理で常識なのである。気温が低くて肩の疼痛発症を避けるためお山詣では自粛したけれど何分、三度の食事だけでは何とも唇が寒い。茶を緑茶にしたりほうじ茶にしたり生姜紅茶にしたりしたところでお腹は茶プ茶プになるだけで口寂しいのは相変わらずだった。そこでココアに変えたりコーヒーに変えたりしたものの満足感は零なのだった。コンビニにでも出かけて「お茶菓子でも…」と思ったのだが気温は7℃程度では出かける意思も芽生えず散々と家の中で魂の彷徨遍歴の結果、ようやく三時のおやつにビスコッテイを用意する事にしたのだった。

 とは言え事前準備も計画性も無い毎度の手太楽で混ぜ合わせるドライフルーツの用意が無い。無くても構わないのだが庭に撒くつもりでシンクの上にぶら下げていた「小豆茶」の出がらしを入れてみた。もともとは小豆であるし、本来は全粒、腹に納める食材なのだからビスコッテイに入れて何が悪い!。本当に悪ければ官憲が獲り縄を持ってくるだろう。悪ふざけではなく更についでに「生姜紅茶」のパックの中身も混入させたのである。これで孤爺人生初、本邦初、世界初のビスコッテイが出来上がるのだ、と奔放さはまだ失ってはいない青春時代に戻った孤爺なのであった。

 ➡ 

 焼き上がってみれば「良い色合い・良い香り!」もう❤な気分で齧ったのだが、時刻は既に夕食時間で三時のおやつには間に合わなかった。まあ、残渣入りであっても香りも色合いも良い。口に含めば甘さがほろ苦い青春に回帰させるようだったのに思わぬ伏兵がいたのだ。それは小豆の粒子で煮え難い小豆の粒子を焼き上げてしまったから固くなって歯に当たる。健康な歯には問題ないのだが予約日待ちの患部の歯にはちょっと辛い粒子の固さだった。残渣物さえ活かすSDGsの試みはあえなく散々な手太楽であった。それでもまあ、歯の間に有る食物を意識しつつ嚙み砕き呑み込むので、お陰様で誤飲の事態は訪れなかったのは祝着至極であったわい。

     

 

 


今日のエッ!品「メレンゲ失敗、えっ!呆巻き」

2025-02-03 | 何よりの楽しみ

 節分に恵方巻を食すなんて感覚はない孤爺だけれど予報で「節分当日は雨確定」だったので暇つぶしを考えなければならなくなった。そこで先日に発酵が進まずパンにならなかった分の捲土重来を期して前夜にヨーグルトメーカーでドライイーストの活性化を促しておいたのだが朝になり気が変わりパンベースではなくロールケーキベースで「エッ!呆巻き」を作る事にしたのだ。何時もの如く「ビビビッ」と降臨する案なので材料はあり合わせになった。活性化させたイーストは冷蔵庫に入れる。

 ロールケーキの手順で作るとなるとメレンゲを用意しなければならない。その過程で泡立て器で奮闘したのだが右腕の痛みでメレンゲの角が立つまで泡立て出来ず考えた結果、フードプロセッサーのホイップ機能を使う事にしたのだ。「これなら素早くメレンゲが出来るはず…」、ところが30秒ほどで済むはずのメレンゲ作りは卵白内の気泡を払拭させてしまい単なる液体になってしまったのである。もうここでいくら泡立て器でかき混ぜてもメレンゲにはならなかった。仕方なしに気泡はベーキングパウダーを投入して作る事になったのである。こういう事は失敗にあらず「魔改造」の範疇である。

 写真はメレンゲが消失してしまったホイップ機能を使った後の卵白だ。もう「何でこうなるの‼」だが後の祭りである。それでも気を取り直し粛々と手順を踏んだけれど既に意気消沈の手太楽であってスポンジを焼く紙の容器もおざなりな作り方になった。それでも焼き上がりは「まあまあ」の出来栄えである。しかしこの時点で「巻きす」が無いのに気が付いた。大昔はあったのだが久しく使用しない用品だから捨てたのかも知れないが、ここでも後の祭りだった。

 ➡  メレンゲは絶不調だったがスポンジは合格

 恵方巻ではないもどきの「エッ!呆巻き」だし、巻き込む食材の準備も悪いけれど冷蔵庫内の物で安易に済ましたのだ。まずは南瓜のステックとツナの油を搾りサーモンと混ぜ合わせたフレークにザワークラフトとは言えないキャベツを塩・一味唐辛子・酢での一夜漬け。これらを巻き込んで冷蔵庫で休ませれば丁度、昼餉時になった。一本では多すぎるので半分を昼飯代わりとして残りは翌日にでも食べるか。テキストにはレモンジャムを塗る事になっていたものの、そんなものは無いので完熟梅と紅玉のジャムを使った。やはりお菓子っぽくて代用食みたいな気分ではあったがそこそこ美味しい。まあ、点数を付ければ80点か…。

 


竹輪パン・トリオ惨敗

2025-01-20 | 何よりの楽しみ

 近隣の社会インフラに支障をきたす可能性の発生した伐採SOS、聞捨てる訳にもいかずサポートに出かけたのだがやはり無理がたたってその夜の疼きは収まらず深夜3時間ほど寝付けれなかった。起床して昼前には鍼治療の予約があったので出かけたのだがやはり凝り部の拡大は指摘され、一週間おきで施術していたのだが間隔を半分にされてしまった。これは出費の増加と言うよりも回復期間を遅らす事になったのが痛い。

 その深夜の出来事、眠れぬままにグリグリモミモミを繰り返しつつ「グリグリで痛めては更に悪くなる」のであるから行いたいのを自粛して深夜放送のリスナーに変身していたのだが、その中で北海道の「竹輪パン」がソウルフードであるような紹介があった。個人的には「美味しいはずも無い…」と思いたいけれど肩の痛みで「一日二日、肩を休ませよう」と出かけなかったのだが、そうなると日中の時間をどう過ごそうかと思案投げ首、シアン猛毒の手太楽になる。で、竹輪パンを試作して実証実験する事にしたのだった。

 竹輪も無いし、中に詰める食材を考えながら買い出し。詰めるものは小倉羊羹、チーズ、キムタクの三種にした。キムタクと言っても説明が必要だ。普段のお惣菜にしているキムチにヨーグルトチーズ、糀を混ぜたキムチーズに飽きてヨーグルトチーズの代わりにプロセスチーズを混入させレシピを変更して食べていたのだが、これに沢庵を刻んで混ぜたのがキムタクなのである。この三種三品パンで夕食を、と言うのがこの日の狙いだ。

 生地作りはレンジ発酵にしたのだが、どういう訳か膨らまなかった。牛乳が無くてヨーグルトを牛乳の代わりに使用した事が悪かったのかどうかさえ不明だ。であるから全く発酵していない生地のパン、これをパンと言えるかどうか、発酵しなっかったからパンで無い、と断じた方が正しいのだろう。故に今回は「竹輪パン」とは程遠い結果であった。試食したら羊羹一番、チーズは二番、三番キムタクどうの屁・・・。たしか味の薄い事を郷里では「どうの屁」と言っていたように記憶するが方言集を眺めても載っていなかった。まあ、ともかくキムタクは味が薄かったと言う事。またチーズを「とろけるチーズ」にしたばっかりにチーズ入りは解け出てしまったし捲土重来、次回は発酵万全で再見!。


車輪を作らねば・・・

2024-12-30 | 何よりの楽しみ

 腕が痛くて上がらないし冷えるとピリピリ痛みに変わるので姥捨て山は遠慮しているのだが結局は血行不良を助長する工作に走ってしまう。父祖の時代から雅な米作百姓であるゆえに「貧乏暇なし、年金少なし」がすっかり定着した孤爺なのであった。今回の車輪作りは木の玩具の車輪なのだが最低限24個作る必要があって「どういう工程で作るか⁉」と決まらなかった。以前は糸のこ盤で円形に切り出し旋盤で外径を整えて完成としたのだが寒くて冷える縁台作業の時間は減らしたい。

 そこでホームセンターで薄板をボール盤で切り抜く道具を購入に行っては見たものの外径と厚さで使える道具が無くて頓挫した。その折に並んで陳列してあったホルソーが使えそうだと気が付いたのだが切り取れる木材の外径を計ったら2ミリほど大きいのであった。しかし今回は木材の円盤のまま使うのではなく「飲むヨーグルトの蓋」が車輪の外周になり滑り止めの役割も持つのでホルソーを使用したけれど最終的には縁台作業で木工旋盤を使わねばならなかった。

 とは言え、それでも最初から糸のこ盤で丸く切り出すより早くて正確だった。この方法で製作する条件は昔から揃っていたのに何で気が付かなかったのか不思議だがまあ、人生、不思議な事などたんとあるのだ。さて、車輪は出来たが作業は停滞で既に晦日である。予定表には通院日しか入れない主義の小生なのだったが頼まれて昨日も今日もモルタル打ちになった。「盆も正月もない」のが人生、黄昏期に突入した孤爺の現実なのである。だからこそ我が苫屋は今年もお化け屋敷のままだなあ・・・。大車輪で年末大掃除にご活躍、なんて時期はもう無い!。


ヘキサ・スフェリコンの薄板造り

2024-12-20 | 何よりの楽しみ

 孤爺こそ閑居すれば不全を成すのだった。腕が上がらないのに蟄居閉門・自宅謹慎の身では人生の残り時間は少ないにも関わらず動きが取れず暇な時間が否応なく長く感じるのであった。そうなると十八番の「ビビビッ」と降臨は止むことなく「ヘキサ・スフェリコンの薄板造り」はどうすれば良いのか頭から抜けない。まあ、何時も記している事なのだが脅迫工作症はこういう時点で頻発するのである。今回も「ヤレヤレ完了した」と幾何回転体を眺めていたら「まだ試作してないタイプがある」と気が付いてしまった。六角形の中板を入れたタイプをまじまじと真面目に眺め、つらつら考えて「何とかできそうだ」と結論付けたのが夕食前だった。薄板は供物のお線香容器が桐薄材の箱で使いそうだから枠だけ外して利用する。一般的にはバルサ板が入手しやすいのだろうけれど敢て購入する事も無いのだ。

 製図は既に製作した中板タイプと同じ寸法なので面倒がない。しかし夕食後では縁台作業をする訳にもいかず玄関で糸のこ盤に掃除機のホースを接続し集塵機として使った。板上に溜まる切粉で切断線が見えなくなるのを防ぐためにエアーで吹き飛ばされるので集塵機も100%の回収率とは言えないけれど何もないより屋内への粉塵は減少した。夜鍋仕事で1個の試作品を作ったのだが不要な部分を切断する位置を間違えて転がらなかったし、その前に組み付ける溝の位置も間違えて二度手間となったのである。まあ、製図設計は全て小生の勘と妄想で成り立っているから実質はこういう事も豊かなのであった。

 仕方なく二個目の円盤を切り出して組みつけた。瞬間接着剤で仮り付けしておき、ボンドを全ての合わせ目に塗って一晩置いた。翌朝、朝食前から既に出来上がっている中板タイプとムクタイプを眺めつつ「切り取る部分は何処だろう⁉」とにらめっこである。判ってもまだ朝が早くお日さまも当たらない。「待てない性格」の孤爺としては4リットルの焼酎ボトルの底を切り取り、口には掃除機からの蛇腹ホースをつないでサンダーの粉塵を吸い込ませるように仕掛けを用意して食卓でサンダーを使い不要な部分を削ったのであった。室内に粉塵が舞わない、とはならなかったものの、この簡易集塵機でリビングでサンダーを使えたのであった。サンダーも一般的な高速回転するタイプではなく刃物研磨用の低速回転の物であったればこそ、室内で使えるのである。

 転がしてみればやはり気難しい。スタートの位置を何処にするかで動きに大きく差が出るのだった。また桐薄板なので軽くて運動エネルギーを溜めて置けないし中央部に菱形の中子が入っているから空気を孕んで抵抗になる。まあ、タイプを違えて製作すれば新たな課題が出てくるのは当たり前だの苦労かあ・・・。そこでアイデア降臨した。「団扇で扇いで動かせばよいし、これで競争して遊べる」てなもんや三度笠。

 だからと言って幾つも作る気にもなれず「アイデアが結実」したので満足満足、執着地獄からようやく解放されたのだが、10:00と思っていた鍼治療が9:00だと気が付いた時には既に遅し。無断欠席で一回分徴収されてしまう馬鹿をやらかしたのである。理由は簡単だった。暦に記入しておいた9:00の数字に目立つように赤い〇シールを貼ったのだがシールが9の頭を隠してしまった。歳は取りたくないもんだ・・・。あーあ、鍼治療が一週間先に延びてしまった。泣きたいのに腕で目を覆えないので泣けれない、因果である。

     

 写真はどれもヘキサ・スフェリコンである。上から骨組みに近いタイプで右側が今回作った薄板タイプ。下のボール状の物がムクのタイプだ。どれも同じ方向を向かせているがタイプにより同じ運動をするものとは思えない感覚がある。気難しいのは似ているけれどやはり転がし易いのは骨格タイプである。むくタイプは傾斜角や摩擦係数、始動方向や与えるエネルギーの大きさが微妙だ。楽しく遊べる素材にはならなかった。こういう事を「無駄な作業」というのであろうが脅迫工作症の小生としては「馬鹿を承知で行う」事が薬になったのだ。


簡単!ヘキサ・スフェリコンのムク立体形製作

2024-12-09 | 何よりの楽しみ

 前回、ヘキサ・スフェリコンの試作タイプを見比べていて欠けているのはムクの立体形なのだった。削り出すのは難しそうだからスフェリコンやオロイドのように試作する気持ちは無かったのだが、新調した遠近両用メガネで注視していたら「ビビビッ!」とアイデアが降臨したのだった。そうなると脅迫製作症の僕としては落ち着かなくなる。早速、図面だけ製図して翌日は加工に入ったのだった。相変わらず肩が痛くて腕が上がり難い状態なのにこんな作業は良くないことは判り切っているけれど脅迫製作症は薬が無いのである。

 ➡   まずは杭の端材を利用して作る事にしたので杭に直接、必要な線を描きいれた。これを万力で押さえて寸法に切断した。切断面は軽くサンダーを滑らせ滑らかにして竹串を貫通させる穴を通す。串を芯棒として接着剤を塗付してから出来上がりの外端線を合わせた角度で固定し圧着する。完全に接着せずとも30分くらいで動き難くなるので鋸で不要部分を切断する。これが出来るので後のサンダー作業が大幅に減らす事が出来て完成までも短時間だったのである。

 ➡   圧着はシャコ万を使った。形が円筒なので上から重しで圧着は難しい。鋸で不要な部分を製図線に沿って切断して曲面はサンダーで形成する。二個仕上げるのに5時間程度だった。意外と簡単であっけないけれど、やはり転がりは気難しい。色々なタイプを製作して気難しい理由の一端が判明した。「質量が大きくなると慣性も増加して安定した転がりを阻害し、また、ヘキサ・スフェリコンの様に急激な運動方向を変化させる物体は運動エネルギーの消耗が大きいのでエネルギーを早くに消失してしまう。この理由で骨格だけのタイプや塩ビ管で作ったタイプの転がりが良いのであるが運動方向の大きい変化は接地面の摩擦係数も関係してスリップし難い組み合わせを考えないとスリップして運動力を消失する事に繋がる。まあ、どちらにしても厄介なタイプなのであった。それでも結果上々だったからようやく強迫性製作症が消失したみたい。なんだかおいらもヘキサ・スフェリコンの親戚みたいだ。

 作っては見たものの「容易に作れる」実証試作みたいなもので、作ったところで子どもたちが遊ぶには少々難しい。斜面や摩擦係数、動かす力加減や方向が微妙だ。木目を生かしたいと精密研磨すればスリップし易くなり期待される転がり運動が出て来ない。これは曲者である。出来上がりを見て妄想した。これは星の王子様の天体でマリオのカーコースに作り替えた代物なのだと・・・。そこでまた妄想がバージョンアップする。展開図を紙で作れば更に易しいかもかもと妄想は果てしなく、でも腕は痛いし疲れるなあ因果だなあ業だなあ脅迫製作症。

     


美しい木目を出したいオロイドの製作 1

2024-12-06 | 何よりの楽しみ

 円盤の組み合わせではないむくの立体形は既に試作しているのだが、相変わらず腕・肩が痛くて作業が辛い。姥捨て山では水源地の回復作業が待っているのだが結局はブラブラ病みたいになって暇で身が持たない。室内で可能な作業、子供服の縫製もそれが痛みの要因でもあるらしいから控えなければならないし結局は縁台作業を選ぶしかなかったのである。しかしながら腕の使い方は似たようなもので身体の全面で固定して作業する傾向が強い。結局は痛みの要因を温存しながらの作業である。温泉で二~三日保養などよろしかろうが更に孤爺化の傾向を助長するし・・・脚下。

 円盤の組み合わせではない削り出す一体物は木目が美しく出て来る。これが何とも魅力的でヒノキやホワイトシーダーではない木目で得て見たかった。拠点道具小屋の端材を物色していたら廃棄寸前の座卓の脚が出て来た。カツラ材だったと記憶しているが一部腐食も進み傷もあるけれどオロイドとツーサークルローラーの材を取れそうなので自宅に持ち帰った。前回と同じ工程では芸も無いし試行してみたい「ポイントに竹ひごを埋める」方法で行う事にしたのだ。前回までの二回の試作は角材と杭材に製図をして切り出したのだが鉛筆線だけで他に目印も無く、不要部分を切り捨てていく間に消えてしまうのだった。であるから削っても点として残る竹ひご(爪楊枝でも可)を埋め込めば最後まで正確な位置を示してくれるはずだ。

 まずは角材いっぱいの寸法で製図を行い半円孤の始点と終点及び中間点にドリルで穴を開け串を埋める。反対側は90度回転させて同じ作業だ。これで不要な部分の目視が明確になって鋸で切断する範囲がギリギリまで攻める事が可能になった。鋸で大きく粗切り出来る事は次の作業、サンダーでの切削や研磨の手間を大きく減らす事になる。ネット上には切り出しナイフで丹念に削り出す様がアップされてもいるけれど、小生は待てない性分なのでとても無理なのである。

 修行を積んだ仏師のように木材の中に仏様の御姿が浮かぶ小生では無し、やはり要所要所は目にも明らかにしておきたい。鋸で切断するのに今回から道具小屋に放置してあった万力を持ち帰り使ったので大幅に危険は減ったし楽になった。しっかりと固定できると作業も捗るし正確で安全である。しかし最終期の詰め、仕上げ直前からは手持ち作業になる。固定していては微妙な曲面の仕上げが難しい。しかし痛い右手でサンダーを保持しての作業は辛かった。お風呂の低い椅子に腰かけて膝の上に腕を載せ支える事で幾分かは荷重を軽減できたのだった。最初に仕上げしたのは中心間の距離が半径と同じオロイドである。下の写真右の段階は出来上がり直前なのだが実に良く転がり木目も美しい。しかし反対側に鋸目の深い傷があるからバテを挿入して乾燥中でしばらくは養生して、その後仕上げに入る。オイルフェニッシュが待ち遠しい。

      

 加工の勘所は反対側の円弧の中心軸の外ポイントから手前の円弧に延ばした線が直線になるように削り出すのだが中心点は1点だけれど放射状に円弧に延ばした想定線は無数にある。これの連なりで曲面が形成されるので念入りに行うほど動きはスムーズで良く転がるが骨を多くした唐笠の半分と見立てればイメージしやすい・・・という結果だが仕上げは五郎次郎てなもんや三度笠。

 


気難しいヘキサ・スフェリコンの多様化

2024-12-04 | 何よりの楽しみ

 子どもたちの木製玩具として面白いと思って長年作り続けている幾何回転体なのだがヘキサ・スフェリコンは製作過程もそうだし転がす条件も同じように手間を要する。とにかく立体化が進めば進むほど気難しくなりオロイドやスフェリコンのように平面で良く転がる性質は無いのであった。これまで数種類のタイプを試作してみたがそれぞれ狙いが異なり「工作簡単に」とか「安く手軽に」とか試作錯誤しては見たものの軽薄短小から抜け出せない。そもそも自分を見ているようで言い当てられているようで情けないのである。

 結論を言えば一番手間暇かけて材料費もかかる骨格様のタイプが軽快さを出してくれた。初期の頃にも試作をしていて中子に菱形の材を入れたけれど位置の合わせが難しく円柱から切り出したり円筒から作ったりと試行錯誤していた。その過程で最終的解決案が正六角形の基盤に据える事だった。これなら接着面が広くて強度のある円柱仕様から円筒仕様、パイプ仕様まで応用が利く。そこで良く転がる骨格系タイプで試作してみた。正六角形の基盤の厚さを3mm、2mm、0,5ミリと変えて3種類試作したのだが、写真で黄色の基盤が薄いのであるが今回の試作品には向かなかった。ねじ止めの必要があるのにネジで止めると変形し反り上がってしまう。これでは正確な形が保たれない。一方、小さくて接着面の比較的広いタイプは接着時にマスキングテープの仮り止めで済んだのでネジ止め無用である。

 結論としては「基盤の厚さにはあまり影響を受けないだろう」と言う事であった。この骨格系の外周は片刃の包丁のようになっている。オロイドやスフェリコンの外周ははまぐり刃状の仕上げでここが異なるのだが、過去には全てハマグリ刃状で支障はなかったものの接地面は主に外側なのだろうとの推測でそうしてある。元より理系の孤爺ではないので正確さは不明だけれどアレンジの範囲でもあって物作りの面白さはこう言う処にあると思っている孤爺なのだ。

 むく材仕立てで削り出すつもりは毛頭なかったのだが写真を眺めていて「ビビビッ」と降臨したのは写真上段左側の円柱半割合わせタイプの長さを長くして、現在空間になっている部分を埋めそこから曲面を削り出せば良いのだと理解した。これなら既存の寸法を基準にすれば容易にむくのヘキサ・スフェリコンが作れそうだ。杭の端材があるから今夜の夜鍋で製図し明日、早速試作するか・・・。それにつけても肩が痛いわい。針治療は効き目があったが週に1回では年内に完治はおぼつかないだろう。水源地の掘り出しも行いたいけれど、じっと我慢の、我慢の出来ない孤爺であった。

 縫製作業も玩具の工作も寝落ちするために読む読書姿勢も全て両腕の長時間固定で行う。これが固定された動作筋群の血行不良を起こして痛みに繋がっていると言うのが見立てなので毎日、大手を振って歩くしか能がない日々になりそう・・・。それは詰まらんし姥捨て山行きが無理なら自宅で工作、てなもんや三度笠だといつまでも治らず痛みで目覚めるし八方ふさがりが今日日である。我が人生、痛みに悩まされ続けるか取るに足りない工作物の完成に満足するか、二足のわらじも選択も辛い。

     


ラトルバックの試作

2024-12-02 | 何よりの楽しみ

 ラトルバックとかセルト石なんて言ったところで「何の骨体」もとえ「何のこったい⁉」と一般的には言われるのが落ちだけれど小生的にはその動きの特徴から「ガタガタ」と呼んでいる。1月の「森の市」向けに端材の玩具試作を始めたのだがそうそう端材も無くなって材料は購入しなくては数を揃えられない環境になった。その上、卓上丸鋸盤の台座兼容器の樹脂が劣化してばらばらと分解し始めて使えなくなった。それでも容器をベニヤ板で調達しようと試みたけれど金具の取り付け位置取りが難しく、またネジが錆びていて外れない。これではお手上げになる。精度の必要な切断は単なる丸鋸や鋸では難しい。

 さて、そんなボヤキもあるけれど古材の中から直ぐに使えそうな木片を拾い出して午後から作ってみた。午前はフイールドにいたのだが右肩が痛くて腕が上がらない状態で作業を行えば治癒が遅れるだけで、結局はミニ耕運機のオイル交換をしたり水域をぶらついたりして浪費したのだった。

 昼食前から縁台作業に入った。木片に製図をすればサンダーで削り形を整えて仕上げに入るだけだから加工は容易なのだが目標とする「ガタガタ反転」が出るかどうかは仕上げて見なければ分からない。今回の加工は回転中心凸面頂点に竹串を入れた。これで削り出しながら肝心の頂点を失ってしまうリスクが減る。最初の物はネットにある図面を参考に二本削り出してみたけれど思う様な動きをしてくれないし加工が結構面倒なので、そこで従来作っていた回転面の背分けを対角線にして作った。

 これの方が余程簡単だし個人的には失敗のない印象なのだ。しかし作って悦に入り喜ばれもしたのは十年も前の事なので勘所を忘れている。背分けを対角線にして裏表で逆方向に設えたので右回転、左回転と裏返せば両方ともガタガタ言って止まる。理屈はあるのだろうが「変なもの」に違いない。特別に作らなくても家の中にある物で回転させれば似たような動きをするのが見つかるはずだ。紡錘形の物は粗削りが追わり動きを確認しただけの段階で、長方形の物は仕上げが終わっている。稜線が不明瞭だけれど紡錘形と回転させる動きは同じ向きになる。

     


幾何回転体の試作

2024-11-29 | 何よりの楽しみ

 先日に板厚12mmで作ったばかりなのだが見た目が野暮ったいのだ。転がり具合は申し分ないけれど板厚が増せば購入価格も高くなるし外周を削る量も増えるので丈夫さは折り紙がつくけれど簡便にしたくて9mmの板厚で試作する事にした。安い杉板でも良かったのだが幼児の手に渡る事を想定すると割れやすい杉板は遠慮した。板に製図は前日に済んでいたので早速、朝食後から円盤を切り抜く事から開始する。

 実は前日の寒い日から一転して快晴の日となったけれど未明まで降雨だったし一輪車で土を運び漏水浸食穴を埋めたてる作業では痛めた肩の治りを遅くするだけだと思って姥捨て山詣では断念したのである。先日、早春に開花するタチツボスミレの群落のある崖に育ったウツギなどを鎌で断ち切っていた折りに痛めてしまったのだと納得していたが連日湿布が必要だし腕の重さで痛みが生じるので着替えも痛い、目薬点すのに左手で右ひじを上げてやらねば「アイタタタッ!」になる始末なのだ。寒くなったので治りが遅くなるだろうと思っているけれど完治するまで姥捨て山禁止と言う訳にもいかず、痛くてもどこかで折り合いを付けねばならん。

 我慢していたが夜間に疼痛で目覚めるに至って限界、頼み込んで鍼に行ってきた。前回の左肩の痛みの時もソーイングに熱中した頃だったし今回もロープカーディガンなどをせっせと縫っていた後に発症している。施術の折りにそんな経過を話していたら「ミシン掛けの姿勢や糸目を切る姿勢や動作が肩の血行不良を起こしているのでしょう」と言われたのだった。そう言われれば掌、肘、肩などは胸の前で長時間固定されている。そこで愕然としたのだが「痛いから姥捨て山には出かけず自宅で木工、玩具作り」は一見、合理的の様だけれど肩、肘、手首を固定して作業するから負担度は変らないのだった。眼精疲労から肩凝りの発生する事もあるので眼鏡を新調したものの、さすがに手元は良好になったけれど両腕を胸の前で固定するのまでは解消しない。

 さて、庭の縁台作業は午前中は背中に日差しが届くので何とも心地よく糸のこ盤や木工旋盤での作業は粉塵が多いので防塵マスクは必須なのが恨めしい。前回の部材製図は外形出来上がり線だけだったので糸のこ盤で円盤を切り抜く時に目見当に注意が必要だったから今回は出来上がり線の外側に糸のこ盤での切り取り線を描いた結果、目安が出来たので旋盤での切削は割合と楽だったのだ。

 旋盤で所定の円盤を加工出来たら糸のこ盤で組付け合う部分を切り抜く。この切込みにjは直線切刃を使い切り離しは曲線切り刃を使うと言う手間が必要だ。曲線刃で一回で切れなくも無いのだが直線部の加工精度が欲しいので手間を惜しまずに行う。タイプによって切り込み長さが異なるのでそこは丁寧に加工しなければならない。今回の製作はオロイドとツーサークルローラーとスフェリコンの三種である。オロイドとツーサークルローラーは中心間距離が異なってその関係で不等高重心と等高重心の違いとなり動きにムラが出るのと安定しているのとの違いなのだが見た目には判り難い。

 その意味もあって色分けしてみたのだがオイル仕上げなので色付けに何を使用するか考えて水彩絵の具でも良かったけれど子どもが手に取る事を考慮して食用色素を使ってみた。しかし水溶性で荏胡麻油には溶け込まず、仕方なく水で溶いて塗布し、乾燥させて荏胡麻油を塗った。黄色はムラが出なかったのだが赤はムラになってしまいお世辞にも綺麗な仕上がりとならなかった。木工用の着色剤が良かったのかどうか調べて見なければならんなあ。写真の六点、この日一日がかりで出来上がった代物である。

 森の市での価格は一個当たり200円だと採算割れするので最低300円は必要か。200と300では財布の締め具合がはっきりと異なるのは経験値で理解できるから数量は必要ないだろう。

     

 


寒さの夜はアンコウ鍋で

2024-11-27 | 何よりの楽しみ

 寒くなれば鍋料理が恋しくなる。主材は好みだけれど小生の好みはアンコウ鍋なのだ。しかし昨今の物価高騰の折り、相対的に年金目減りではアンコウなど購入できない。売り場を通っても秋波さえ送る事も無いので値段も知る由も無いのだ。

 しかし性根が卑しいのでバーチャルでも「アンコウ鍋用意したい!」となり目の毒ではあったが揃えてみた。贅沢にもアンコウはチョウチンアンコウ丸々一匹である。こんな贅沢は生涯初めての事だろう。しかし、その後がいけなかった。シイタケは原木栽培品の当日採集品、写真には入らないが掘り取ったばかりの里芋もある。結局、芋煮となったのだが冷蔵庫内に肉類は皆無だった。本当に100%芋煮鍋になったのである。まだ小生、ベジタリアン宣言はしていないのに…高齢者は蛋白質を摂取しなければいけない…と言われているのに・・・。アンコウツバキはアンコウツバキはあーあー垂れるだけ・・・お粗末。

     


今日のエッ!品「パジャマのサイズダウン」

2024-11-26 | 何よりの楽しみ

 中国土産の定番シルクのパジャマ、着る事も無く箪笥の肥やしだったのを大人用Lサイズをダウンサイズして子供用150に直してみた。既製品の手直しは二回目で手順は承知だけれど絹地の扱いにくさはなかなか慣れる事が無い。縁かがりすれば丸まるし待ち針は止まらずすっぽ抜けやすいし、何とも扱い難いのだった。その縫い方のムラを無くす方法は「紙を敷いて縫えば良い」と教えてもらった結果、綺麗に縫えたのだったが直線縫いならまだしもジグザグ縫いでは縫い目の中の紙が外せない。つらつら考えた末に洗濯機の「お洒落着コース」で水洗いする事を思いついたのだ。行ってみると挟まれた紙は綺麗に外れてくれたのだが結局、「紙を挟んだことで水洗い一回手間が増えた」事になる。

 しかしながら手間を掛けた事が幸いして縫い目が綺麗に揃い変な皺よりも無かったのである。紙が抜ければ、その厚さ分、縫い目が緩くなるけれど最終的には縫い合わせた切り端はジグザグミシンをかけてから倒して生地に縫い付けたので支障はない。さてズボンの縫い合わせをする段になって左右とも同じ型なのに気が付いたこれではズボンが出来上がらない。確認すると裏表間違って縫ってしまったのだった。結局は縫い目を切り外し新たに縫い合わせる事になった。概ね一作品に一回程度は間違いを起こし縫い目をほどき縫い直しする羽目になる。まあ、お約束みたいなもんか…

 それでも何とか完成したのだが仮縫いが出来る訳も無し、着る当人の趣味や意向を知っていてでは無しなので多分に押しつけがましくお仕着せなのは自覚している。それでも雨の日や早い日暮れの季節の暇つぶし・手慰みとしては上質だし楽しめた分だけ一文の得。作家なら「文才がある」と言われるのだけれど裁縫では「才縫がある」では意味わかんないし「縫才がある」と言ってみたところで「ホウ、そうかい…」で終わるか。やはり孤爺は孤爺なのであった。あーあ、人生は努力していても認められるとは限らんものだ。

     


二八ソバ粉でドライフルーツ入りビスコッテイ

2024-11-24 | 何よりの楽しみ

 今期最低気温の日は雨模様だ。当然、自宅謹慎・軟禁状態やむなしでさーて就寝時間まで長ーい一日になる。ソーイングは始末が一段落で「森の市」に出品する玩具でも準備するかとホームセンターの開店時間に合わせてヒノキ板を買ってきて製図したのは良いけれど室内でジグソーや木工旋盤を使う訳にもいかない。時折は雨が止む状況だったのだが外気温12℃前後ではおいそれと縁台作業もしたくはないし結局、午前は板材に部材の製図を済ませてお終い。午後は久しぶりにビスコッテイを作る事にしたのだった。

 と言うのもお茶菓子が全く無いのである。スーパーの棚を眺めてもこれと言って食べたいお菓子も無くて何時も買いそびれてしまっていたのだ。この日は暇つぶしに新機軸に挑戦した。そば粉でビスコッテイを作る事にしたのだが「そば粉100%」だとつながるかどうか分からず薄力粉を混ぜてみた。実際には卵を三個使うのでボロボロにはならないと思っても経験値を欠く。材料を混ぜ合わせた段階で水分が不足して固すぎた。原因は明白で「レシピは薄力粉80gに卵三個」なのを「二八そば粉100g」に卵三個だから当然だったのだ。結局、味醂を入れヨーグルトを入れ賞味期限が過ぎた青きな粉も投入して生地が出来上がったのだった。まあ、孤爺だけが食するお菓子なのだから何を入れようと文句はない。この逸脱感が食べたいより優っている様にも思えるので、やはり異人変人奇人老人の類いなのであった。

 大和男なので賞賛は恥であり程々にして後は焼くだけであって1回目と2回目は順調に終わる。量がレシピより多いので焼き時間を増やす事になるのだが理屈は無くて山カンで済ました。1回目は芯まで火が通っていたし2回目もカリカリにはならなかったものの十分な出来上がりで、これで漸く数日間はお茶菓子が食える事になった。さて、肝心のお味なのだが行き当たりばったり、だったにもかかわらず出来上がりまったりで、行き倒ればったりにもならず、なんとも小生孤爺の腕が上がった事よと独り悦に入ったのだった。まあ、難を言えばそば粉が主原料なので色合いが悪い。「焼き上げてきつね色」美味しそう、とにはちょっと遠かったものの満足で執着至極だったわい。

 二回焼きのレシピなのでそば粉の風味が飛んでしまったように思えて残念な気持ちもあるけれどそば粉は残っているからまた作ろうか、それとも蕎麦掻で風味を堪能しようかと浮気の虫の欲望は果てる事が無い。