トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

車輪を作らねば・・・

2024-12-30 | 何よりの楽しみ

 腕が痛くて上がらないし冷えるとピリピリ痛みに変わるので姥捨て山は遠慮しているのだが結局は血行不良を助長する工作に走ってしまう。父祖の時代から雅な米作百姓であるゆえに「貧乏暇なし、年金少なし」がすっかり定着した孤爺なのであった。今回の車輪作りは木の玩具の車輪なのだが最低限24個作る必要があって「どういう工程で作るか⁉」と決まらなかった。以前は糸のこ盤で円形に切り出し旋盤で外径を整えて完成としたのだが寒くて冷える縁台作業の時間は減らしたい。

 そこでホームセンターで薄板をボール盤で切り抜く道具を購入に行っては見たものの外径と厚さで使える道具が無くて頓挫した。その折に並んで陳列してあったホルソーが使えそうだと気が付いたのだが切り取れる木材の外径を計ったら2ミリほど大きいのであった。しかし今回は木材の円盤のまま使うのではなく「飲むヨーグルトの蓋」が車輪の外周になり滑り止めの役割も持つのでホルソーを使用したけれど最終的には縁台作業で木工旋盤を使わねばならなかった。

 とは言え、それでも最初から糸のこ盤で丸く切り出すより早くて正確だった。この方法で製作する条件は昔から揃っていたのに何で気が付かなかったのか不思議だがまあ、人生、不思議な事などたんとあるのだ。さて、車輪は出来たが作業は停滞で既に晦日である。予定表には通院日しか入れない主義の小生なのだったが頼まれて昨日も今日もモルタル打ちになった。「盆も正月もない」のが人生、黄昏期に突入した孤爺の現実なのである。だからこそ我が苫屋は今年もお化け屋敷のままだなあ・・・。大車輪で年末大掃除にご活躍、なんて時期はもう無い!。


ヘキサ・スフェリコンの薄板造り

2024-12-20 | 何よりの楽しみ

 孤爺こそ閑居すれば不全を成すのだった。腕が上がらないのに蟄居閉門・自宅謹慎の身では人生の残り時間は少ないにも関わらず動きが取れず暇な時間が否応なく長く感じるのであった。そうなると十八番の「ビビビッ」と降臨は止むことなく「ヘキサ・スフェリコンの薄板造り」はどうすれば良いのか頭から抜けない。まあ、何時も記している事なのだが脅迫工作症はこういう時点で頻発するのである。今回も「ヤレヤレ完了した」と幾何回転体を眺めていたら「まだ試作してないタイプがある」と気が付いてしまった。六角形の中板を入れたタイプをまじまじと真面目に眺め、つらつら考えて「何とかできそうだ」と結論付けたのが夕食前だった。薄板は供物のお線香容器が桐薄材の箱で使いそうだから枠だけ外して利用する。一般的にはバルサ板が入手しやすいのだろうけれど敢て購入する事も無いのだ。

 製図は既に製作した中板タイプと同じ寸法なので面倒がない。しかし夕食後では縁台作業をする訳にもいかず玄関で糸のこ盤に掃除機のホースを接続し集塵機として使った。板上に溜まる切粉で切断線が見えなくなるのを防ぐためにエアーで吹き飛ばされるので集塵機も100%の回収率とは言えないけれど何もないより屋内への粉塵は減少した。夜鍋仕事で1個の試作品を作ったのだが不要な部分を切断する位置を間違えて転がらなかったし、その前に組み付ける溝の位置も間違えて二度手間となったのである。まあ、製図設計は全て小生の勘と妄想で成り立っているから実質はこういう事も豊かなのであった。

 仕方なく二個目の円盤を切り出して組みつけた。瞬間接着剤で仮り付けしておき、ボンドを全ての合わせ目に塗って一晩置いた。翌朝、朝食前から既に出来上がっている中板タイプとムクタイプを眺めつつ「切り取る部分は何処だろう⁉」とにらめっこである。判ってもまだ朝が早くお日さまも当たらない。「待てない性格」の孤爺としては4リットルの焼酎ボトルの底を切り取り、口には掃除機からの蛇腹ホースをつないでサンダーの粉塵を吸い込ませるように仕掛けを用意して食卓でサンダーを使い不要な部分を削ったのであった。室内に粉塵が舞わない、とはならなかったものの、この簡易集塵機でリビングでサンダーを使えたのであった。サンダーも一般的な高速回転するタイプではなく刃物研磨用の低速回転の物であったればこそ、室内で使えるのである。

 転がしてみればやはり気難しい。スタートの位置を何処にするかで動きに大きく差が出るのだった。また桐薄板なので軽くて運動エネルギーを溜めて置けないし中央部に菱形の中子が入っているから空気を孕んで抵抗になる。まあ、タイプを違えて製作すれば新たな課題が出てくるのは当たり前だの苦労かあ・・・。そこでアイデア降臨した。「団扇で扇いで動かせばよいし、これで競争して遊べる」てなもんや三度笠。

 だからと言って幾つも作る気にもなれず「アイデアが結実」したので満足満足、執着地獄からようやく解放されたのだが、10:00と思っていた鍼治療が9:00だと気が付いた時には既に遅し。無断欠席で一回分徴収されてしまう馬鹿をやらかしたのである。理由は簡単だった。暦に記入しておいた9:00の数字に目立つように赤い〇シールを貼ったのだがシールが9の頭を隠してしまった。歳は取りたくないもんだ・・・。あーあ、鍼治療が一週間先に延びてしまった。泣きたいのに腕で目を覆えないので泣けれない、因果である。

     

 写真はどれもヘキサ・スフェリコンである。上から骨組みに近いタイプで右側が今回作った薄板タイプ。下のボール状の物がムクのタイプだ。どれも同じ方向を向かせているがタイプにより同じ運動をするものとは思えない感覚がある。気難しいのは似ているけれどやはり転がし易いのは骨格タイプである。むくタイプは傾斜角や摩擦係数、始動方向や与えるエネルギーの大きさが微妙だ。楽しく遊べる素材にはならなかった。こういう事を「無駄な作業」というのであろうが脅迫工作症の小生としては「馬鹿を承知で行う」事が薬になったのだ。


簡単!ヘキサ・スフェリコンのムク立体形製作

2024-12-09 | 何よりの楽しみ

 前回、ヘキサ・スフェリコンの試作タイプを見比べていて欠けているのはムクの立体形なのだった。削り出すのは難しそうだからスフェリコンやオロイドのように試作する気持ちは無かったのだが、新調した遠近両用メガネで注視していたら「ビビビッ!」とアイデアが降臨したのだった。そうなると脅迫製作症の僕としては落ち着かなくなる。早速、図面だけ製図して翌日は加工に入ったのだった。相変わらず肩が痛くて腕が上がり難い状態なのにこんな作業は良くないことは判り切っているけれど脅迫製作症は薬が無いのである。

 ➡   まずは杭の端材を利用して作る事にしたので杭に直接、必要な線を描きいれた。これを万力で押さえて寸法に切断した。切断面は軽くサンダーを滑らせ滑らかにして竹串を貫通させる穴を通す。串を芯棒として接着剤を塗付してから出来上がりの外端線を合わせた角度で固定し圧着する。完全に接着せずとも30分くらいで動き難くなるので鋸で不要部分を切断する。これが出来るので後のサンダー作業が大幅に減らす事が出来て完成までも短時間だったのである。

 ➡   圧着はシャコ万を使った。形が円筒なので上から重しで圧着は難しい。鋸で不要な部分を製図線に沿って切断して曲面はサンダーで形成する。二個仕上げるのに5時間程度だった。意外と簡単であっけないけれど、やはり転がりは気難しい。色々なタイプを製作して気難しい理由の一端が判明した。「質量が大きくなると慣性も増加して安定した転がりを阻害し、また、ヘキサ・スフェリコンの様に急激な運動方向を変化させる物体は運動エネルギーの消耗が大きいのでエネルギーを早くに消失してしまう。この理由で骨格だけのタイプや塩ビ管で作ったタイプの転がりが良いのであるが運動方向の大きい変化は接地面の摩擦係数も関係してスリップし難い組み合わせを考えないとスリップして運動力を消失する事に繋がる。まあ、どちらにしても厄介なタイプなのであった。それでも結果上々だったからようやく強迫性製作症が消失したみたい。なんだかおいらもヘキサ・スフェリコンの親戚みたいだ。

 作っては見たものの「容易に作れる」実証試作みたいなもので、作ったところで子どもたちが遊ぶには少々難しい。斜面や摩擦係数、動かす力加減や方向が微妙だ。木目を生かしたいと精密研磨すればスリップし易くなり期待される転がり運動が出て来ない。これは曲者である。出来上がりを見て妄想した。これは星の王子様の天体でマリオのカーコースに作り替えた代物なのだと・・・。そこでまた妄想がバージョンアップする。展開図を紙で作れば更に易しいかもかもと妄想は果てしなく、でも腕は痛いし疲れるなあ因果だなあ業だなあ脅迫製作症。

     


美しい木目を出したいオロイドの製作 1

2024-12-06 | 何よりの楽しみ

 円盤の組み合わせではないむくの立体形は既に試作しているのだが、相変わらず腕・肩が痛くて作業が辛い。姥捨て山では水源地の回復作業が待っているのだが結局はブラブラ病みたいになって暇で身が持たない。室内で可能な作業、子供服の縫製もそれが痛みの要因でもあるらしいから控えなければならないし結局は縁台作業を選ぶしかなかったのである。しかしながら腕の使い方は似たようなもので身体の全面で固定して作業する傾向が強い。結局は痛みの要因を温存しながらの作業である。温泉で二~三日保養などよろしかろうが更に孤爺化の傾向を助長するし・・・脚下。

 円盤の組み合わせではない削り出す一体物は木目が美しく出て来る。これが何とも魅力的でヒノキやホワイトシーダーではない木目で得て見たかった。拠点道具小屋の端材を物色していたら廃棄寸前の座卓の脚が出て来た。カツラ材だったと記憶しているが一部腐食も進み傷もあるけれどオロイドとツーサークルローラーの材を取れそうなので自宅に持ち帰った。前回と同じ工程では芸も無いし試行してみたい「ポイントに竹ひごを埋める」方法で行う事にしたのだ。前回までの二回の試作は角材と杭材に製図をして切り出したのだが鉛筆線だけで他に目印も無く、不要部分を切り捨てていく間に消えてしまうのだった。であるから削っても点として残る竹ひご(爪楊枝でも可)を埋め込めば最後まで正確な位置を示してくれるはずだ。

 まずは角材いっぱいの寸法で製図を行い半円孤の始点と終点及び中間点にドリルで穴を開け串を埋める。反対側は90度回転させて同じ作業だ。これで不要な部分の目視が明確になって鋸で切断する範囲がギリギリまで攻める事が可能になった。鋸で大きく粗切り出来る事は次の作業、サンダーでの切削や研磨の手間を大きく減らす事になる。ネット上には切り出しナイフで丹念に削り出す様がアップされてもいるけれど、小生は待てない性分なのでとても無理なのである。

 修行を積んだ仏師のように木材の中に仏様の御姿が浮かぶ小生では無し、やはり要所要所は目にも明らかにしておきたい。鋸で切断するのに今回から道具小屋に放置してあった万力を持ち帰り使ったので大幅に危険は減ったし楽になった。しっかりと固定できると作業も捗るし正確で安全である。しかし最終期の詰め、仕上げ直前からは手持ち作業になる。固定していては微妙な曲面の仕上げが難しい。しかし痛い右手でサンダーを保持しての作業は辛かった。お風呂の低い椅子に腰かけて膝の上に腕を載せ支える事で幾分かは荷重を軽減できたのだった。最初に仕上げしたのは中心間の距離が半径と同じオロイドである。下の写真右の段階は出来上がり直前なのだが実に良く転がり木目も美しい。しかし反対側に鋸目の深い傷があるからバテを挿入して乾燥中でしばらくは養生して、その後仕上げに入る。オイルフェニッシュが待ち遠しい。

      

 加工の勘所は反対側の円弧の中心軸の外ポイントから手前の円弧に延ばした線が直線になるように削り出すのだが中心点は1点だけれど放射状に円弧に延ばした想定線は無数にある。これの連なりで曲面が形成されるので念入りに行うほど動きはスムーズで良く転がるが骨を多くした唐笠の半分と見立てればイメージしやすい・・・という結果だが仕上げは五郎次郎てなもんや三度笠。

 


気難しいヘキサ・スフェリコンの多様化

2024-12-04 | 何よりの楽しみ

 子どもたちの木製玩具として面白いと思って長年作り続けている幾何回転体なのだがヘキサ・スフェリコンは製作過程もそうだし転がす条件も同じように手間を要する。とにかく立体化が進めば進むほど気難しくなりオロイドやスフェリコンのように平面で良く転がる性質は無いのであった。これまで数種類のタイプを試作してみたがそれぞれ狙いが異なり「工作簡単に」とか「安く手軽に」とか試作錯誤しては見たものの軽薄短小から抜け出せない。そもそも自分を見ているようで言い当てられているようで情けないのである。

 結論を言えば一番手間暇かけて材料費もかかる骨格様のタイプが軽快さを出してくれた。初期の頃にも試作をしていて中子に菱形の材を入れたけれど位置の合わせが難しく円柱から切り出したり円筒から作ったりと試行錯誤していた。その過程で最終的解決案が正六角形の基盤に据える事だった。これなら接着面が広くて強度のある円柱仕様から円筒仕様、パイプ仕様まで応用が利く。そこで良く転がる骨格系タイプで試作してみた。正六角形の基盤の厚さを3mm、2mm、0,5ミリと変えて3種類試作したのだが、写真で黄色の基盤が薄いのであるが今回の試作品には向かなかった。ねじ止めの必要があるのにネジで止めると変形し反り上がってしまう。これでは正確な形が保たれない。一方、小さくて接着面の比較的広いタイプは接着時にマスキングテープの仮り止めで済んだのでネジ止め無用である。

 結論としては「基盤の厚さにはあまり影響を受けないだろう」と言う事であった。この骨格系の外周は片刃の包丁のようになっている。オロイドやスフェリコンの外周ははまぐり刃状の仕上げでここが異なるのだが、過去には全てハマグリ刃状で支障はなかったものの接地面は主に外側なのだろうとの推測でそうしてある。元より理系の孤爺ではないので正確さは不明だけれどアレンジの範囲でもあって物作りの面白さはこう言う処にあると思っている孤爺なのだ。

 むく材仕立てで削り出すつもりは毛頭なかったのだが写真を眺めていて「ビビビッ」と降臨したのは写真上段左側の円柱半割合わせタイプの長さを長くして、現在空間になっている部分を埋めそこから曲面を削り出せば良いのだと理解した。これなら既存の寸法を基準にすれば容易にむくのヘキサ・スフェリコンが作れそうだ。杭の端材があるから今夜の夜鍋で製図し明日、早速試作するか・・・。それにつけても肩が痛いわい。針治療は効き目があったが週に1回では年内に完治はおぼつかないだろう。水源地の掘り出しも行いたいけれど、じっと我慢の、我慢の出来ない孤爺であった。

 縫製作業も玩具の工作も寝落ちするために読む読書姿勢も全て両腕の長時間固定で行う。これが固定された動作筋群の血行不良を起こして痛みに繋がっていると言うのが見立てなので毎日、大手を振って歩くしか能がない日々になりそう・・・。それは詰まらんし姥捨て山行きが無理なら自宅で工作、てなもんや三度笠だといつまでも治らず痛みで目覚めるし八方ふさがりが今日日である。我が人生、痛みに悩まされ続けるか取るに足りない工作物の完成に満足するか、二足のわらじも選択も辛い。

     


ラトルバックの試作

2024-12-02 | 何よりの楽しみ

 ラトルバックとかセルト石なんて言ったところで「何の骨体」もとえ「何のこったい⁉」と一般的には言われるのが落ちだけれど小生的にはその動きの特徴から「ガタガタ」と呼んでいる。1月の「森の市」向けに端材の玩具試作を始めたのだがそうそう端材も無くなって材料は購入しなくては数を揃えられない環境になった。その上、卓上丸鋸盤の台座兼容器の樹脂が劣化してばらばらと分解し始めて使えなくなった。それでも容器をベニヤ板で調達しようと試みたけれど金具の取り付け位置取りが難しく、またネジが錆びていて外れない。これではお手上げになる。精度の必要な切断は単なる丸鋸や鋸では難しい。

 さて、そんなボヤキもあるけれど古材の中から直ぐに使えそうな木片を拾い出して午後から作ってみた。午前はフイールドにいたのだが右肩が痛くて腕が上がらない状態で作業を行えば治癒が遅れるだけで、結局はミニ耕運機のオイル交換をしたり水域をぶらついたりして浪費したのだった。

 昼食前から縁台作業に入った。木片に製図をすればサンダーで削り形を整えて仕上げに入るだけだから加工は容易なのだが目標とする「ガタガタ反転」が出るかどうかは仕上げて見なければ分からない。今回の加工は回転中心凸面頂点に竹串を入れた。これで削り出しながら肝心の頂点を失ってしまうリスクが減る。最初の物はネットにある図面を参考に二本削り出してみたけれど思う様な動きをしてくれないし加工が結構面倒なので、そこで従来作っていた回転面の背分けを対角線にして作った。

 これの方が余程簡単だし個人的には失敗のない印象なのだ。しかし作って悦に入り喜ばれもしたのは十年も前の事なので勘所を忘れている。背分けを対角線にして裏表で逆方向に設えたので右回転、左回転と裏返せば両方ともガタガタ言って止まる。理屈はあるのだろうが「変なもの」に違いない。特別に作らなくても家の中にある物で回転させれば似たような動きをするのが見つかるはずだ。紡錘形の物は粗削りが追わり動きを確認しただけの段階で、長方形の物は仕上げが終わっている。稜線が不明瞭だけれど紡錘形と回転させる動きは同じ向きになる。

     


幾何回転体の試作

2024-11-29 | 何よりの楽しみ

 先日に板厚12mmで作ったばかりなのだが見た目が野暮ったいのだ。転がり具合は申し分ないけれど板厚が増せば購入価格も高くなるし外周を削る量も増えるので丈夫さは折り紙がつくけれど簡便にしたくて9mmの板厚で試作する事にした。安い杉板でも良かったのだが幼児の手に渡る事を想定すると割れやすい杉板は遠慮した。板に製図は前日に済んでいたので早速、朝食後から円盤を切り抜く事から開始する。

 実は前日の寒い日から一転して快晴の日となったけれど未明まで降雨だったし一輪車で土を運び漏水浸食穴を埋めたてる作業では痛めた肩の治りを遅くするだけだと思って姥捨て山詣では断念したのである。先日、早春に開花するタチツボスミレの群落のある崖に育ったウツギなどを鎌で断ち切っていた折りに痛めてしまったのだと納得していたが連日湿布が必要だし腕の重さで痛みが生じるので着替えも痛い、目薬点すのに左手で右ひじを上げてやらねば「アイタタタッ!」になる始末なのだ。寒くなったので治りが遅くなるだろうと思っているけれど完治するまで姥捨て山禁止と言う訳にもいかず、痛くてもどこかで折り合いを付けねばならん。

 我慢していたが夜間に疼痛で目覚めるに至って限界、頼み込んで鍼に行ってきた。前回の左肩の痛みの時もソーイングに熱中した頃だったし今回もロープカーディガンなどをせっせと縫っていた後に発症している。施術の折りにそんな経過を話していたら「ミシン掛けの姿勢や糸目を切る姿勢や動作が肩の血行不良を起こしているのでしょう」と言われたのだった。そう言われれば掌、肘、肩などは胸の前で長時間固定されている。そこで愕然としたのだが「痛いから姥捨て山には出かけず自宅で木工、玩具作り」は一見、合理的の様だけれど肩、肘、手首を固定して作業するから負担度は変らないのだった。眼精疲労から肩凝りの発生する事もあるので眼鏡を新調したものの、さすがに手元は良好になったけれど両腕を胸の前で固定するのまでは解消しない。

 さて、庭の縁台作業は午前中は背中に日差しが届くので何とも心地よく糸のこ盤や木工旋盤での作業は粉塵が多いので防塵マスクは必須なのが恨めしい。前回の部材製図は外形出来上がり線だけだったので糸のこ盤で円盤を切り抜く時に目見当に注意が必要だったから今回は出来上がり線の外側に糸のこ盤での切り取り線を描いた結果、目安が出来たので旋盤での切削は割合と楽だったのだ。

 旋盤で所定の円盤を加工出来たら糸のこ盤で組付け合う部分を切り抜く。この切込みにjは直線切刃を使い切り離しは曲線切り刃を使うと言う手間が必要だ。曲線刃で一回で切れなくも無いのだが直線部の加工精度が欲しいので手間を惜しまずに行う。タイプによって切り込み長さが異なるのでそこは丁寧に加工しなければならない。今回の製作はオロイドとツーサークルローラーとスフェリコンの三種である。オロイドとツーサークルローラーは中心間距離が異なってその関係で不等高重心と等高重心の違いとなり動きにムラが出るのと安定しているのとの違いなのだが見た目には判り難い。

 その意味もあって色分けしてみたのだがオイル仕上げなので色付けに何を使用するか考えて水彩絵の具でも良かったけれど子どもが手に取る事を考慮して食用色素を使ってみた。しかし水溶性で荏胡麻油には溶け込まず、仕方なく水で溶いて塗布し、乾燥させて荏胡麻油を塗った。黄色はムラが出なかったのだが赤はムラになってしまいお世辞にも綺麗な仕上がりとならなかった。木工用の着色剤が良かったのかどうか調べて見なければならんなあ。写真の六点、この日一日がかりで出来上がった代物である。

 森の市での価格は一個当たり200円だと採算割れするので最低300円は必要か。200と300では財布の締め具合がはっきりと異なるのは経験値で理解できるから数量は必要ないだろう。

     

 


寒さの夜はアンコウ鍋で

2024-11-27 | 何よりの楽しみ

 寒くなれば鍋料理が恋しくなる。主材は好みだけれど小生の好みはアンコウ鍋なのだ。しかし昨今の物価高騰の折り、相対的に年金目減りではアンコウなど購入できない。売り場を通っても秋波さえ送る事も無いので値段も知る由も無いのだ。

 しかし性根が卑しいのでバーチャルでも「アンコウ鍋用意したい!」となり目の毒ではあったが揃えてみた。贅沢にもアンコウはチョウチンアンコウ丸々一匹である。こんな贅沢は生涯初めての事だろう。しかし、その後がいけなかった。シイタケは原木栽培品の当日採集品、写真には入らないが掘り取ったばかりの里芋もある。結局、芋煮となったのだが冷蔵庫内に肉類は皆無だった。本当に100%芋煮鍋になったのである。まだ小生、ベジタリアン宣言はしていないのに…高齢者は蛋白質を摂取しなければいけない…と言われているのに・・・。アンコウツバキはアンコウツバキはあーあー垂れるだけ・・・お粗末。

     


今日のエッ!品「パジャマのサイズダウン」

2024-11-26 | 何よりの楽しみ

 中国土産の定番シルクのパジャマ、着る事も無く箪笥の肥やしだったのを大人用Lサイズをダウンサイズして子供用150に直してみた。既製品の手直しは二回目で手順は承知だけれど絹地の扱いにくさはなかなか慣れる事が無い。縁かがりすれば丸まるし待ち針は止まらずすっぽ抜けやすいし、何とも扱い難いのだった。その縫い方のムラを無くす方法は「紙を敷いて縫えば良い」と教えてもらった結果、綺麗に縫えたのだったが直線縫いならまだしもジグザグ縫いでは縫い目の中の紙が外せない。つらつら考えた末に洗濯機の「お洒落着コース」で水洗いする事を思いついたのだ。行ってみると挟まれた紙は綺麗に外れてくれたのだが結局、「紙を挟んだことで水洗い一回手間が増えた」事になる。

 しかしながら手間を掛けた事が幸いして縫い目が綺麗に揃い変な皺よりも無かったのである。紙が抜ければ、その厚さ分、縫い目が緩くなるけれど最終的には縫い合わせた切り端はジグザグミシンをかけてから倒して生地に縫い付けたので支障はない。さてズボンの縫い合わせをする段になって左右とも同じ型なのに気が付いたこれではズボンが出来上がらない。確認すると裏表間違って縫ってしまったのだった。結局は縫い目を切り外し新たに縫い合わせる事になった。概ね一作品に一回程度は間違いを起こし縫い目をほどき縫い直しする羽目になる。まあ、お約束みたいなもんか…

 それでも何とか完成したのだが仮縫いが出来る訳も無し、着る当人の趣味や意向を知っていてでは無しなので多分に押しつけがましくお仕着せなのは自覚している。それでも雨の日や早い日暮れの季節の暇つぶし・手慰みとしては上質だし楽しめた分だけ一文の得。作家なら「文才がある」と言われるのだけれど裁縫では「才縫がある」では意味わかんないし「縫才がある」と言ってみたところで「ホウ、そうかい…」で終わるか。やはり孤爺は孤爺なのであった。あーあ、人生は努力していても認められるとは限らんものだ。

     


二八ソバ粉でドライフルーツ入りビスコッテイ

2024-11-24 | 何よりの楽しみ

 今期最低気温の日は雨模様だ。当然、自宅謹慎・軟禁状態やむなしでさーて就寝時間まで長ーい一日になる。ソーイングは始末が一段落で「森の市」に出品する玩具でも準備するかとホームセンターの開店時間に合わせてヒノキ板を買ってきて製図したのは良いけれど室内でジグソーや木工旋盤を使う訳にもいかない。時折は雨が止む状況だったのだが外気温12℃前後ではおいそれと縁台作業もしたくはないし結局、午前は板材に部材の製図を済ませてお終い。午後は久しぶりにビスコッテイを作る事にしたのだった。

 と言うのもお茶菓子が全く無いのである。スーパーの棚を眺めてもこれと言って食べたいお菓子も無くて何時も買いそびれてしまっていたのだ。この日は暇つぶしに新機軸に挑戦した。そば粉でビスコッテイを作る事にしたのだが「そば粉100%」だとつながるかどうか分からず薄力粉を混ぜてみた。実際には卵を三個使うのでボロボロにはならないと思っても経験値を欠く。材料を混ぜ合わせた段階で水分が不足して固すぎた。原因は明白で「レシピは薄力粉80gに卵三個」なのを「二八そば粉100g」に卵三個だから当然だったのだ。結局、味醂を入れヨーグルトを入れ賞味期限が過ぎた青きな粉も投入して生地が出来上がったのだった。まあ、孤爺だけが食するお菓子なのだから何を入れようと文句はない。この逸脱感が食べたいより優っている様にも思えるので、やはり異人変人奇人老人の類いなのであった。

 大和男なので賞賛は恥であり程々にして後は焼くだけであって1回目と2回目は順調に終わる。量がレシピより多いので焼き時間を増やす事になるのだが理屈は無くて山カンで済ました。1回目は芯まで火が通っていたし2回目もカリカリにはならなかったものの十分な出来上がりで、これで漸く数日間はお茶菓子が食える事になった。さて、肝心のお味なのだが行き当たりばったり、だったにもかかわらず出来上がりまったりで、行き倒ればったりにもならず、なんとも小生孤爺の腕が上がった事よと独り悦に入ったのだった。まあ、難を言えばそば粉が主原料なので色合いが悪い。「焼き上げてきつね色」美味しそう、とにはちょっと遠かったものの満足で執着至極だったわい。

 二回焼きのレシピなのでそば粉の風味が飛んでしまったように思えて残念な気持ちもあるけれどそば粉は残っているからまた作ろうか、それとも蕎麦掻で風味を堪能しようかと浮気の虫の欲望は果てる事が無い。


今日のエッ!品「サイドボタンノースリーブを冬物に転用」

2024-11-21 | 何よりの楽しみ

 ロープカーディガンの生地購入に際して「間違うリスク」も考慮し長めに購入してきたのだが、当然余ってしまった。さーて、これをどうするか眺めていたら夏用のノースリーブなら型どり出来そうだった。しかし今は冬で寒冷地仕様にしたいのでサイドボタンは止めて前開きの前ボタンにし、着丈も少し長めにして腰回りも保温できるようにした。端切れを見ればポケットくらいは出来そうなので寸法を測ったけれど折り込んで縫い代を作る余裕がなく、ここはバイアステープで処理して使った。

 この日は絶好の小春日和で、当然フイールド直行日和でもあったが前日にはこの縫製を想起していたので迷わずフイールドはお休みにする。どちらかと言えばフイールドの優先度が高いのだけれど、向こうは一日行っても終わる事は無しで、こっちは本日で決着を見るから逐次処理の原則に立ったのだった。まあ、朝令暮改、手前勝手、支離滅裂を大手を振って行えるのも宮仕えの身では無くなった賜物でもある。

         じいさんが 夜鍋をして

         部屋着を縫ってあげた

         信濃の夜は 冷えるだろうと

         せっせと縫っただよ

         世話焼きの 小包送る

         加齢の臭いがした       元詩 窪田 聡 作詞・作曲「母さんの詩」

     


今日のエッ!品「ロープカーディガン⁉韓服⁉…」

2024-11-16 | 何よりの楽しみ

 我が年中行事みたいなものでもあるし自己脅迫的欲求みたいなものでもあるけれど早い話「ビビビッ」に追いまくられての結果であって私は弱い人間なんです。そして齢は忘れてしまった状態なんですけれど手作業と自転車の乗り方はまだ消えてはいないのである。先般、弟の処に立ち寄った折りに「オジサン風」を吹かせたく手土産を持って行ったのだが、これを結構喜んだとの話だったから再度の「オジサン風」を吹かしたくなってきたのである。「ヤナギの下に二匹目の泥鰌はいない」と言われるけれどKYなのが「オジサン」の特権である。しかしJKにはまったく無縁なのが姥捨て山孤爺の特筆事項である。

 で、今回のチャレンジは「ロープカーディガン」にしたのだが寒気厳しい佐久平の事だからキルトで作る事にした。キルトでは袋物を作った経験はあるものの洋服など未経験なのでどうなるやら全く見当もつかない。しかしそれはそれ「良い事も悪い事もすぐ、ビビビッが原動力」の今日日では「やるっきゃない!」のもまた事実なのだった。まずはキティちゃん柄のキルトとバイアステープを購入して来た。手順通り型紙を用意しパーツを切り出した。アイロン,縁かがり、待ち針の三要素は丁寧にやるのが綺麗に製作する秘訣だと理解できているから心を込めて行ったのだったが・・・。

 しかし、パーツの縫製やパーツの縫い合わせになるとミスが多発する。生地が生地なので裏表や左右を取り違える事はありえなかったが縫製が進むとモコモコと嵩張るし縫っている場所の邪魔をするようになる。これが結果的に赤い紐を同時に縫い付けてしまうミスにつながった。こうなると最小限、糸目を切り外し、再度縫い直しが必要になる。まあ、こんな手太楽で二日目にして完成したのだが、吊り下げて見て愕然とした。後ろ身頃に見返しが入っていないし見た目は「韓服」になっている。テキストにあった「ロープカーディガン」の軽やかな洋服のイメージは消えてしまった。がしかし、夜の防寒着としてキルト地にしたのだから、後は着る当人が好んでくれるかどうかが最終関門だ。まあ「NO!」となったとしても雨の日の手慰みで楽しんだのは帳消しにはならないのである。

 この洋服から妄想し回想療法に入ったのは小学校入学式当日の集合写真だ。保護者も含めての写真なのだが半分くらいが子を背負いネンネコバンテンを羽織っている。中にはおっとちゃんもいるのは時代であろう。表情を見れば笑顔は一人とていない。これも写真慣れしていない時代である。我がマドンナも仏頂面していたがやっぱり可愛い。まあ、「こんな頃もあったなあ…」が実感か。

     


手拭いで作った頭巾帽

2024-11-15 | 何よりの楽しみ

 スキンヘッドと言うレベルでも無いが3分刈りの頭部は何かと危うい。直射光は厳しいし何かに当たると傷にもなり易い。そこで「頬っかむり」では不審者通報に晒されるので箪笥貯巾の手拭いで頭巾帽を作り愛用しているのだ。手拭いは配り物で入ってくるものの、昔ほど使い道がある訳も無しで、最近はやりの美術的な飾りにも出来る手拭いであれば良いけれど、配る方も1枚千円以上もする手拭いでは気軽に配布も出来ない。

 てなもんや三度笠、いいえ、てなもんや頭巾帽てなもんで使っていても数年は使用できるのでそうそうは減らないのである。そんな折にクラス会に着用していた頭巾帽を「使いたい」とリクエストがあったから暇つぶしの手慰みに最適と早速、箪笥貯巾の手拭いを総動員して縫ってみた。雨の日の一日を朝食後から夜鍋仕事まですれば10枚程度は容易に縫える代物だ。しかしそこはそこ、メジャーリーグをチェックしたりお茶を一杯飲んだりとグダグダの休日だし裁縫ボランティアでもあるから気ままに作業する。

 やり始めれば浮気の気性がムクムクと頭角をもたげて来るけれど肝心の頭角はとうの昔にもたげる事も無くなったのであるからして貴重なムクムクなのだ。一方、頭髪のムクムクモコモコは青春時代を境に減退し始めて現在に至るのであった。まあ、人生なんて思い通りにも希望的観測のようにもならなかった思い出ボロボロ湿疹ボロボロだったなあ。そういう事は「水に流して」と想えども流せるもんで無し、わが身我が心が流されるままに時が経過したのだった。

 ここまでに至って本題から大きく逸脱した事に気が付いて被り物に軌道修正すると、貯巾してあった手拭いとインドネシアの手織りの民族布、越後の麻布でも作ってみたのだが使い勝手に難がありそうに思える。麻布の通気性は抜群なのだが固めでフイット感が悪いかも知れず民族布は派手過ぎて好みに合うかどうかわからない。頂き物の手拭いは基本「広告」なので装着者の好みやセンスにかかわって来るから被ってもらえるかどうかわからない。そこで少しはセンスの良い手拭いで作る気になって販売店を探したら車で15分程度の処にあった。HPを覗くとあるある好みの柄が、しかし数千円もするのだった。まあ、遊び半分手慰み半分のソーイングだからと廻ってみたけれど残念、扱いは無くて大型ショッピングモールもガーゼの品物だけで頓挫。通販にすれば良かった・・・。

 


ヘキサ・スフェリコンの製作デザイン

2024-11-05 | 何よりの楽しみ

 一月末に「森の市」が予定されていて出品はコロナの影響で今年と昨年は出品しなかった。そのため作りためた木の玩具が邪魔になり昔のよしみで施設に引き取ってもらったのだが、今になると市に出品する品物が無い。11月、12月はそれでも縁台加工が出来るのだが1月に入ると寒くて屋外工作は遠慮したい。そんな事から見本に残して置いた玩具の点検をしている時にビビビッと何時ものお告げがあったのである。

 幾何回転体は作り易いオロイド、スフェリコン、ヘキサ・スフェリコンと3種制作してきたが今回のビビビッはヘキサ・スフェリコンだった。今まで木材で製作していたのを簡便に塩ビ管で作れば早い、と思ったのである。

 とりあえず試作見本として作ってみる事にして塩ビの継手と中隔壁になるアクリル板を購入して試作してみた。管径で正六角形の寸法が決定するのだが計算できないから図面に現物の切断幅を合す事になる。材料の管と隔壁の素材が異なり、安い塩ビ用の接着剤が使えない。瞬間接着剤も瞬間では接着できなく固まるまで我慢辛坊が必要だった。固着してから転がしてみたのだが思ったよりうまく転がった。材の継手もワンサイズ太いのだと肉厚でこちらの方が丈夫だし接着面が広くなるから安心かも知れない。ネジ止めも可能な幅がある。しかし価格は倍近いからコストは上がる。

 さて、既に実物見本は無く画像も失せたので「半円形4枚接合型」が一番最初に試作したのだがパーツが多いのと正確に組み立て固定するのが面倒で円柱を縦半分に割ったのをずらして接着したのが二作目である。これは市販の円柱を外径で決まる高さを出して半割にすれば接合部も広く丈夫で重さもあるから転がる事は転がるのだが重心の偏移が大きいので慣性の作用も大きくなり平面で転がすと長続きしないし見た目も「野暮ったい」のでもう少しセンスを上げたデザインにした。

 三作目が木工旋盤で中刳りして円筒形に仕立てこの外寸から長さが決まるから切断・半割して接着した。デザイン的にも好きだったのだが旋盤で中刳りするのが結構、危険な作業で時折は材料を吹っ飛ばしたりするからそうそう数はこなせない。どのタイプにしても運動エネルギーの損失が大きく長く転がり難いので緩斜面で重力の助けを借りて遊ぶのがベストか…。 

 一方、片持ち状態では強度に難があり、また子ども等が遊ぶ事になると角が出ていたり指を挟むかもな、などの可能性が捨てきれないから隔壁を入れてリスクを解消する事にした。これで隔壁採用となり半円四枚使用時の中子や隔壁を伴った初期型に戻った感覚である。

 四作目が今回、ビビビッときた塩ビ管を使う制作方法である。作ってみれば製作時間も少ないし出来上がりも均一性がある。数を作るにはこれが楽だけれど、いかにせん木材ではないのが気になるのであった。ここにきて一番最初の試作過程を思い出した。「骨格だけだと接合部が小さく弱い」ので接合部にダボを入れて接着したのだが面倒だし強度も向上しなかった。そこで菱形の中子を入れたのだが、これも接合と正確に菱形を作るのが面倒で量産型にはならなかった。

 結局は写真左と右のタイプが量産型だろう。個人的には真ん中のタイプが好きで隔壁の樹脂板をカラーにすれば見た目にも可愛くなるし隔壁が正六角形なので半割した片側を60度ずらして合わせたのも一目瞭然、明快である。正式名称はヘキサ・スフェリコンと言うのだそうだが「なんのこっちゃい」であって小生は「ガタコン」で通した。他は「コロリン」と「コロコロ」と転がり方の特徴で名前を付けたのだ。

     


今日の素労風努「北秋田なっつとナチュラルチーズ、糀の合体」

2024-11-02 | 何よりの楽しみ

 常備菜の薄幸惣菜が切れてしまったのだがキムチを主材とした同じレシピにするかどうかで食べきるまでにつらつら妄想した結果、「もったいないけど…」なっつと合体させてみる事にした。テレビの画面に「合体!」と大きく出るシリーズ、合体だから尻sでもあるだろうが主役の突然死は他人ごとではない。今際の際は原因からして極めて短時間だっただろうと想像するが当人にとっては長い時間と感じたかもしれない。とは言いつつも長患いの無かった身じまいの結果は大方の高齢者にとってはポックリ様を信仰する、しないに関わらず願う事でもあろう。

 さてそれはともかく「もったいない」と思いつつ三味合体させたのはこの期でしか賞味出来ないと思った結果だ。ナッツはご飯のお伴として☆☆☆なのであるが材料を揃えるのに難があるし既にご飯にサラダにと使い回しをして体験もしたのでこの際、のこったなっつを合わせる気になったのだった。特濃特密ヨーグルトはスキムミルクを合わせ24時間培養したヨーグルトなので既に塩分の無いナチュラルチーズに近い。糀も水分最小にして保温して戻してあるからただ合体させるだけで済んだ。

 食べて見れば惣菜と言うより甘くないペーストスイーツを口に入れた感覚だ。咀嚼をしてみれば素材の漬物の粒々が感じられて、これはこれで新鮮だった。まあ、敢て難を言えばキムチやザーサイが主材の物よりインパクトと言うか物足りなさがある。キムチ主体のこれを食べ続けた結果もあるだろうが「穏やか、主張が少ない」美味しさだ。まあ、こんな老後が日々是好日なんだろうなあ。こんな物を作り続け食べる事の出来ている日々は、食が口まで届かない多くの子どもたちも居る事を思うと決して貧しくもなく不幸でも無い孤爺の日々なのであろう。自前自作であるにせよ世界唯一の薄幸惣菜なのだ。