黄泉路への童の頭つつむ母胸に抱けねど中にて生きよ
身を尽くしやり尽したる想いかな寄り添う家族うなづく彼も
担当であれば同僚と箸合わす一期一会を何処にぶつけん
名簿読む身罷りし子ら数多ありこの手に職のこの手の職は
夏の盛りに刈り払ったヌスビトハギとアザミの枯れ草の上に白いキノコが大量に頭を出してきた。笠の大きい物は20cmもある。白いけれどもツボもスカートも付いていないから猛毒のドクツルタケの仲間ではないようだ。
全体に軟弱で、笠の上には幼菌の頃に体を包んでいた薄膜の破片が残っている。オブラートが千切れた印象だ。枯れ草を押し広げると、その下は菌糸で一杯だった。指で突いてもしっかりした密度である。
悪戯していて思ったのは、祖母が繭を重炭酸ナトリュウムを入れ茹で上げ、引き広げて真綿に加工していた情景だ。出来上がった真綿にそっくりなのだ。菌糸であるけれども、感覚的には絹 糸と言いたい状態だ。菌類の世界は、いつも「すごいなあ!」と一緒に現れる。
雨降り続く奄美の島に溢れ出て暴れ狂うたあこぎな出水
奔流の寄せ溢れたる市街地に車は浮いて水栗毛なり
助く間もあらじ寝床と没したり濁流一瞬悔やみ渦巻く
ひいふうみい不可抗力と思いたい未曾有の中に救いも幾多
箸を置く間もあらばこそ濁流は終の棲家でもろとも流す
ようやくツーショットが撮れた。もちろんジョロウグモのオスとメスである。人間に当てはめればメスはアフリカゾウ位になるのだろう。考えなくてもゾーとする小生である。
メスの周りをウロウロしていたが、恐怖心一杯なのか闘争心に燃えているのか知る良しも無いが、蟷螂と同じように食べられてしまう運命のオスとは、なんとも同情に値する。人事ではない蜘蛛事だけど、かの小説「くもの糸」の主人公は人間でなく「オスの蜘蛛」だったりして…。
機会があったら作者に尋ねてみなければなるまい。しかし、アタックするたびに攻撃されて逃げながらも、再三再四アタックをかけるオス蜘蛛のなんと健気なことか…。虫の世界も「男はつらいよ」なんだなあ。
フイールドは水辺環境が貧しいから、食草園の東側に「トンボ池」を設えることにした。ここも棚田跡だが、葦草とノイバラで覆われた藪になっている。ちょうど棚田一枚分の段を刈り払って集草し、本日の作業は終了とした。
刈り払いは動力だから大鎌より楽と言えば楽だけれど、背丈を越え勝手に伸び放題のノイバラと葦の原は、刈払機を縦横無尽に振り回さざるを得ないから、草刈り場のような往復作業とはいかない。
若い頃に見た吉永小百合と浜田光夫 の「草を刈る娘」を思い出しながらの作業だったが、青春ならぬ老秋の今日、冷えた空気が心地よいだけで、胸躍る歌垣もない一人作業の身だ。それにしても16歳の吉永小百合の歌う「刈り干し切り歌」は良かった。
吉永小百合との草刈り作業ではないが、池の形や水の取り入れ口、排水路などイメージとしては浮かぶから、まあ、これが慕情といえば慕情である。ここは水生生物のゆりかごにする心算だから浅水池であるが、今までの溜池より面積を大きくとるので、掘り上げる土の量は結構な量になる。
掘り上げた土は全て堤の材料だ。堤の地固めでは「よいとまけ」が待っている。そういえば三輪明宏氏の歌う「よいとまけの歌」は過去の歌の様でも、極めて現代的の歌の様にも思えるのは小生だけか…。
食草園の山椒が枯れてしまった。樹高は一番大きくて150cmほどあったのだが、移植するには太根ばかりで細根が少なかったから危惧していた樹だった。予想していた通り、夏を迎えて枯れ死してしまったのだ。
山椒はやや小振りだけど、もう一本あるからクチナシを補植した。蝶の食樹ではなくオオスカシバのそれだけど、イモムシの観察には丁度いいだろう。オオスカシバはハチドリの様に空中停止をしながら吸蜜する飛行能力に長けた昆虫だが、時折はオオスズメバチと誤認してしまう大きさや飛び方のガだ。この幼虫の食欲もすさまじく、気がついた時は丸坊主になっているだろう。
まだ一尺ほどだけど山椒の幼樹もあったから、これはウマノスズクサの中に植え込んだ。上手く活着してくれれば、ウマノスズクサの支柱代わりになるだろう。ウマノスズクサはジャコウアゲハの食草になるが、花がなんとも奇妙な形で渋い感じがする。ジャコウアゲハは麝香の香りがするのかどうか確かめたことはないけど「するんだろう」と勝手に思っているチョウだ。
幼樹の刈り出しをしていて、見慣れない幼虫を見つけた。勿論、名前は知らなかったが、運よく物知りのS氏がフイールド観察に来てくれたので名前を尋ねると「シモフリスズメ」の幼虫とのことだった。
食べていたのがナンジャモンジャの木で当地の在来種でなかったから、その疑問をぶつけると食草の範囲は広い種類なのだそうだ。ゴマの葉を食べる幼虫も同類と説明してくれたのだが、小生の記憶のゴマ虫とはかけ離れた色彩だった。S氏は採集して、クサギの葉で養うとの事だった。
帰宅して図鑑と照合すると「色彩や文様は個体差が大きい」事が記載されていて、多様な色彩や文様の幼虫が写真で表示してあったから納得した次第だ。
季節は霜降になったばかりで「シモフリスズメ」に出会うなんてサインめいた気もするが、もう少し立つとフックラスズメがお目見えする。早いもので猛暑の頃は嘘の様な季節になった。
春に植え込んだユズの木は何度か坊主になりながら葉を広げてくれている。久しぶりの立ち寄ったらアゲハの幼虫が三匹いた。
黒いのは3センチくらいで鳥のウンコそっくりだが、緑の個体は4cmくらいになっている。脱皮の回数が異なるだけで同種かどうか知る良しも無いけど、緑の個体の頭部を見て感心した。
「おしゃれ!」なのである。バンダナを巻いて「頑張る!」風情なのだ。文様が民族衣装を彷彿とさせるところがなんとも心憎いばかりだ。これらの個体はサナギで越冬するのか、成虫になるのか知らないけれど、食草を丸坊主にしながらも今年何回目の世代になるのだろうか…。
下草のレンゲも花を付けた株もあって、食草園らしくなってきたのは嬉しい限りだ。大型のチョウはモンキアゲハくらいしか見かけなくなったが、そういえばアサギマダラは秋になったのに、まだ見ていない。昆虫に詳しいフイールド利用者によれば「今年は少ない」のだそうだ。道理で…。
冬を前にして、この夏に枯れ死した苗の補植をする。枯れたのはコナラだが今春に発芽した苗を移植するわけにもいかず、仮植えしていた苗木を転用したから雑多になってしまった。
結果的には、単一樹種で単純化ということにならずに済むのだが、掘り上げて植え込み、水決めで落ち着かせるのは、けっこう汗ばむ作業だ。苗床から補植地まで100m、水場まで100mで、水決めするのにバケツ2杯の水が必要だったから、午前で6本の増・補植を済ませて気分は「お帰りモード」だ。
植えたのはサルスベリ、山萩、シモツケだから、どちらかと言えば昆虫様の食料みたいなものだ。植えつけた一帯は草原として維持している部分で、今は背丈が膝上くらいまで伸びて、花や種子をつけているので刈り払うのに迷う。枯れ伏す草がほとんどだけど、幼樹の周りは刈り込む必要がある。残りは小鳥の餌に立春の頃までそのままだにしたいが、若草の萌える障害になるなら刈ってしまいたいし、悩ましい。
トンボはめっきり減ったけど、ヒョウモンチョウ、タテハチョウ、シジミチョウの類は溢れんばかりに飛び交っている。今日は気温が低かったせいか、日光浴している個体が目立ち接近しても逃げないのが多かった。