10日ほど前にEメールでアカボシゴマダラの幼虫写真を送ってもらって、その後に心当たりを探したが見つけれなかった。久しぶりにS先生らと出会ったので場所を尋ねたら予想とは異なり更に小さい幼木であった。いないところを探しても「見っけー!」になるはずもない。その上、葉の上でなく幹の樹皮上に移動し、更に体色まで変えている。そんな予想が出来なければ樹木が判明していても見つけ出すには無理がある。
S先生の話では「既に越冬準備で移動して、概ね木の又の部分に居つく事が多い」のだとか。そういわれればまだ移動中の1頭は別にして動かなくなった2頭はともに二又近くで見いだせた。いわゆる「隠遁の術」なのだがエノキの樹皮ソックリになってしまっては、その気で探索しないと見落とし必死であろう。
育っていたエノキは1mそこそこなので来春、蛹化に至るまで育てば綺麗なグリーンの蛹を見られる可能性が出た来た。まあ、春の楽しみが増えたというところである。
ところがである「網を張らず移動しながら捕食するクモや小鳥に食べられる個体も多いだろう。」の言葉に貧血が起きそうになる。姥捨て山でのセルフデイサービスはプログラムが少なく、いきおい楽しみも少ないのだ。衰退する身としては成長変化の現場が楽しみでもあり喜びでもあるのだが「食物連鎖」に組み込まれ相互に生かされ生きているという関係は理解していても我慾は押さえようもない。その我慾でさえ小生自身がかくれんぼの仲間入りすれば悠久の虚無となる。
S先生の話では「既に越冬準備で移動して、概ね木の又の部分に居つく事が多い」のだとか。そういわれればまだ移動中の1頭は別にして動かなくなった2頭はともに二又近くで見いだせた。いわゆる「隠遁の術」なのだがエノキの樹皮ソックリになってしまっては、その気で探索しないと見落とし必死であろう。
育っていたエノキは1mそこそこなので来春、蛹化に至るまで育てば綺麗なグリーンの蛹を見られる可能性が出た来た。まあ、春の楽しみが増えたというところである。
ところがである「網を張らず移動しながら捕食するクモや小鳥に食べられる個体も多いだろう。」の言葉に貧血が起きそうになる。姥捨て山でのセルフデイサービスはプログラムが少なく、いきおい楽しみも少ないのだ。衰退する身としては成長変化の現場が楽しみでもあり喜びでもあるのだが「食物連鎖」に組み込まれ相互に生かされ生きているという関係は理解していても我慾は押さえようもない。その我慾でさえ小生自身がかくれんぼの仲間入りすれば悠久の虚無となる。