トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

かくれんぼしましょ、アッパッパー

2020-11-30 | 小父のお隣さん
 10日ほど前にEメールでアカボシゴマダラの幼虫写真を送ってもらって、その後に心当たりを探したが見つけれなかった。久しぶりにS先生らと出会ったので場所を尋ねたら予想とは異なり更に小さい幼木であった。いないところを探しても「見っけー!」になるはずもない。その上、葉の上でなく幹の樹皮上に移動し、更に体色まで変えている。そんな予想が出来なければ樹木が判明していても見つけ出すには無理がある。

 S先生の話では「既に越冬準備で移動して、概ね木の又の部分に居つく事が多い」のだとか。そういわれればまだ移動中の1頭は別にして動かなくなった2頭はともに二又近くで見いだせた。いわゆる「隠遁の術」なのだがエノキの樹皮ソックリになってしまっては、その気で探索しないと見落とし必死であろう。
 育っていたエノキは1mそこそこなので来春、蛹化に至るまで育てば綺麗なグリーンの蛹を見られる可能性が出た来た。まあ、春の楽しみが増えたというところである。

 ところがである「網を張らず移動しながら捕食するクモや小鳥に食べられる個体も多いだろう。」の言葉に貧血が起きそうになる。姥捨て山でのセルフデイサービスはプログラムが少なく、いきおい楽しみも少ないのだ。衰退する身としては成長変化の現場が楽しみでもあり喜びでもあるのだが「食物連鎖」に組み込まれ相互に生かされ生きているという関係は理解していても我慾は押さえようもない。その我慾でさえ小生自身がかくれんぼの仲間入りすれば悠久の虚無となる。

                     

勘ぶり屋、大暴発2

2020-11-30 | 何よりの楽しみ
 色塗りさせるための品物を用意していてハタと気が付いた。腹節用の板は厚板から切り出していたが既成の板材を使えば厚さは均一だし杉板なら価格も安く仕上げも容易だ。もともと強度を必要とする物ではないのだ。そこで一体試作してみたのだったが気に入ったのだけれど浮気心が出てきた。まあ人間、満足すれば更なる欲が出るものである。そう、僕らはみんな生きている!。

 体節の形状は最初から「中央が高くて両端は低い」デザインだった。これを化石で見るようなポコポコポコした食パンの山のようにしたらどう見えるか具現化したかったのだった。それに合わせて「量産」する場合の省力化も確認したい、といつもの妄想に押し切られたのであった。

 省力化の第一歩は杉材を用い腹節を全て同じ形にする事であった。これで胴体はずん胴になるが、もともとの三葉虫はずん胴といおうか小判型と言うべきか、それよりも多様で尻すぼみのスリム体型ではないのだった。もう一点は頭部と尾板を同じ板厚材で切り出す事だ。これで加工の手間が大幅に省略できる。もともと扁平な体型なのだから、造形的な強調はしなくても構わない。ただ、それで見た目が悪くなるなら再度の修正とすれば良い。


 結果は写真の通り、左側が腹節の絞りを試作型よりやや広げた改良型で、右側が腹節を同一サイズのポコポコポコタイプにした物。どちらも奇異には見えないしずん胴タイプの方がそれらしく見える感もある。

 プロトタイプモデルを並べ比較しやすくしてみた。頭部の形で変化を出してあるが、これはまだ半分だ。と思ってはみたものの作っては見たものの「量産」なんてする気は親指の痛みで消えてしまった遠ーい夢。まあ、片手の数を越えれば小生的には「量産」なのだがそれは達成したし退散の次期かも・・・。
            

拠点斜面の刈り払い

2020-11-29 | 今日は真面目に
 拠点上り下りする斜面はすっかり林の雰囲気になってきた。クヌギを主にして植栽したのだがエノキ、クルミ、トチ、ガマズミ、ヤマボウシなど1品種に限定しない混成の林を作った。クヌギは数年前からドングリを落すようになったから、それだけで活発な青年期の林と言って良いだろう。
 フイールドとした当時は孟宗竹の藪で、全伐し根株が枯れ始めた頃に植樹した樹木も良い林相を呈している。過去を知らない人たちは勿論、知っている小生でも想像がつかない。まあ、小生の場合は経年劣化でしかないのだが…。

 さて夏の盛りになれば葉が茂るため林床は日陰になるので刈り払いに難渋するような時期は過ぎたのだが、変わらないのはネザサの萌芽とヤマフジやヌスビトハギの発生だ。草本の成長が止まった初冬の今はネザサとフジの刈り払いが主眼である。西の段々と異なるのは石や礫がない表土だという事で、刃先が火花を散らす様な事にはならず刈り刃の振りもストレスなく行える場所でもある。

 クヌギの落葉が盛んで、刈り払っている頭上から1枚また1枚と落ちてくる。透かして見ていると葉が降りやまぬ空模様にも思えてくるのだった。今期はこの落ち葉を下の溝に集積し落ち葉堆肥を作ってみる心算である。腐葉土数袋をホームセンターで購入すれば済む量しか必要ないものの、あまりにも大量な落ち葉が溜まるし、春にはほとんどどこかに消えていくのではまことにもったいない限りなのだ。そんなことを会友に話せば「猪を引き寄せるだけ」と笑われる。

                 刈り払って数日、落ち葉に埋もれた

山の孔多も空とぼけ…

2020-11-29 | 小人閑居して憮然
 泥水池4に3からの流入はあるのだが4のオーバーフローが無い。これだけで「漏水孔顕在化!」と断定できる。3~4日ほど横目で通り過ぎていたのだが、水が無くなった付録ともいえる泥水地5に威之志士様ののたくった痕跡を目の当たりにしては我慢が出来ない。「為さぬ堪忍、するが堪忍」なんて祖母から教わった心持など屁の河童になってしまい漏水孔潰しに池に入ったのだった。

 枯れ草を分けながら喫水線の漏水孔を探したらほどなく判明した。いつものように漏水孔が顕在化する範囲は決まっていて記憶にある付近が概ね「そこ」になってくる。
 流入する水を土塊で遮断し流入口から40㎝ほど孔伝いに掘り下げてから掘り出した土を投入し踏み固めて終了となる。時間にすれば15分程度の作業だけれど、やるとやらないのでは影響が大きく反映する作業であって手抜きは出来ないのだ。見て見ぬふりで空とぼけはいかん!。

 オーバーフローしていない   ➡    漏水孔    潰して整復

林床のネザサ刈り、1,2段目

2020-11-28 | 今日は真面目に
 西の段の根笹刈り払いはようやく終わった。ネザサの根絶は不可能なので萌芽株をしゃくり取る感覚での作業だから、刈り払われた量から言えば比較にならない時間と手間がかかる。1段目と2段目は開放的な平坦地なのだがヤマフジの萌芽蔓が多く長さは40~50cmにも達している。これもほっとけなく処理の相手である。

 テーダ松、松葉の堆積している範囲は歩くとフカフカ感があって草本の定着は少ない。せいぜいヌスビトハギ程度だが、ヤマフジとリョウブ、ウツギは嫌わずに発芽している。リョウブウツギも繁殖力旺盛で根元を切断すればひこばえがワンサカと出現してしまう。これらも厄介者といえば言えよう。

 夏草を刈り払う時と異なり、根絶衰退が目的の刈り払いなので刈り払い機をブン回す訳にはいかない。回転を落して刈り刃が表土を削るくらいに滑らせ、勢いのある株はえぐり取るから刈り刃のダメージは大きい。それでも「ネザサ刈り」用なら使えるのだった。刃が無いから引きちぎる事になるのだろうが軟弱な草本の葉茎と異なり倒れ伏す事が無いから使えるのだ。

 1、2段目は下の段と異なり空間があるが、ここはウルシを植え付けたくて維持していた部分なのだが、苗の入手に手立てはあっても担当部署から止められてしまった。10年経てば伝統産業の振興に役立つ植樹だと理解していても自分の土地ではないだけにどうにもならないけれど、そう言った担当者は既に言ったことなど記憶にないに違いないし移動で無関係の部署に行ってしまっただろう。
 ウルシの苗木を扱えば自ずと皮膚症状が出る可能性が高い。少年の頃、手から炎症が始まり、顔だけでなく日常的に触れなければならないあの部分にもかぶれが広がった事があった。今とは異なり薬は亜鉛華軟膏だけだったから「あーっ、いいんか?難航しそう…」とは思わなかったが、ネットで予防対策などを見ていてもネザサ刈り払いと同じく手間暇が要る。このことは小生側の躊躇要因で、会友に植栽を頼むのもなんだしと、結局は先送りで今になる・・・。

             1段目  ➡  

                         2段目  ➡  

ミカン切りで採ってきた…

2020-11-27 | 感じるままの回り道
 頼まれ作業なのだが2回目のミカン切りに行ってきた。国道は朝のラッシュで渋滞中、行き先はカーナビが立ち上がらずにプリントした地図のみだ。前回、現地を案内され帰宅したけれど帰宅の順路は記憶にないからトレース出来ないし、ペーパー1枚が頼りだった。ともかく現地の農園に到着したが現場をも特定できない。「この中のどこかで作業しているので探してください」と言われていたのを思い出し、走りつつ訊ねてみても「あちこちにあるし・・・」ともっともな返事ばかりだ。

 仕方が無いから「帰宅します」のメールを送って圃場の出入り口まで走ったら右手前方で収穫作業をしている一角が見える。車を回して確認したらやっと「そうだった」のだ。ハサミと収穫かごを借りミカン切り作業に入る。ほどなくして空巣を見つけた。ミカンの樹の内部では無くて葉の数枚で隠されているような位置であった。
 巣の中には卵の殻があったのだが「巣立ちするまで殻がある訳もない」。きっと孵化して早い段階で捕食されているに違いない。

 ただ不思議だったのは獣鳥害に果実が遭ってはいない事だった。広い圃場をみわたしてもカラスやヒヨドリの姿もない。猪の被害や猿の被害にも遭ってはいなかった。「何でだろう 何でだろう」の御仁に聞けば分かるのかもしれないし分からないかもしれない。まあ、そんな事を考えるより園主に聞いた方が早いに決まっているが、寄ってたかってミカンを切っている作業者の手前、馬鹿な質問も出来なく聞かずに帰ってきた。
 で、みかん切りはしてきたが小生の収穫は空巣1個だった。もちろん、この夜は本を抱えたまま寝落ち。小生、生まれも育ちも由緒正しい真正のコシヒカリ産地だし寝相も良いタイプなので数時間後に目覚めたら読書姿勢のままだった。こうだから腰痛が頻発する。寝返りは頻繁にしなくてはと判っちゃいるけど寝てたら前後不覚で役には立たない…

                  

首切り早房、残念無念‼

2020-11-26 | 感じるままの回り道
 Sさんが習性の説明にという事だろう、首なしのバン1羽を持ち寄って見せてくれた。話によるとハヤブサの居ついている鉄塔があるらしく、その下に首なしの鳥が時々は落ちているのだとか。悪戯で行っているのではなく、食べようと持ち帰ったところにカラスなどの攻撃を受け落としていると推測できるのだとの話だった。まだ落下させる瞬間には出会っていないので「恐らく・・・」の注釈付きである。

 そこだけでなくハヤブサの習性として頭部は最初に切断してしまう傾向があるらしいのだが小生には見当もつかない。「運ぶ途中でブランブランすると安定飛行が損なわれるからだろう。」というのがSさんの意見だった。
 小生、フイールドで猛禽類の食痕は何回か見ていてもほとんどがハトらしい羽毛と血糊程度しか見る事が出来ず、一度だけコサギの脚が残っているのに出くわしたものの、これはハヤブサではなく環境から言ってもオオタカなのだろう。コサギの脚はさすがに飲み込むのは骨である。まあ、ほとんど骨みたいなものだから当然と言えば当然なのだ。
 とは言え捕獲した食料を横槍で落としてしまうなんて「なんて骨体!」と嘆いているのだろうか。猛禽類とて狩りに成功したとしても全て口に入るわけでも無い厳しい日々があるのが分かる。骨折り損のくたびれ儲け、と言うに尽きる。

 首なし体を観察すると胸筋なのだろうプリップリの筋肉が見えた。例えるとニワトリの砂肝の見た目に近くムネニクなど及びもつかないのだった。それだけ活動的で筋肉質だったという事なのだが、飛翔羽ばたきを行う筋肉なのだから当たり前なのだった。小生が拝見する前に学習会の資料として観察対象にした場面では同好の士、さすがに参加者は女性でも嫌がらずに良ーく見入っていたという話を聞くと、目的意思を持ち参加する人ならではの反応か…。生態や生活臭を感じさせる格好の資料であっても一般的にはこういう物体は眉を顰められる。
 それはともかく、小生の興味は足先の大きさだった。身体に比較すると大きすぎるようなバランスに見える。水掻機能を加味しつつも泥地の歩行や採餌に適した進化なのだろうと感じた。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、南無涙お陀仏。

                  

ハナグモちゃーん!

2020-11-25 | 小父のお隣さん
 蜘蛛は虫であるかどうかの確認は無視して#虫の範疇に入れるのは虫が良すぎるだろうか。今更分類学でどうこうするほどもない中身なのだから良いだろう。
 クモ類は郷里の芋穴の中でいつも見れたユウレイグモ以来好きでは無かったのだが、多眼の頭部やハナグモを知ってからは少しだけ距離が狭まったように感じる。ハナグモを知ったのは拠点駐車場の植木の葉上で、小生に前脚と言うべきか二本高く掲げて威嚇してきた時だ。

 「なんだ、このクモは⁈」と思った一方で透き通るような白体がなんとも美しい。威嚇のポーズも可愛い限りで、娘盛りが集まってドンチャカするアイドルなんて屁の河童であろう。そのハナグモが小生の庭、工作していた縁台に登場したのだった。このハナグモはどーもしおしいらしくて隠れたい一方の行動を取り、カメラを構えても静止してくれずまともなポーズで写すことは叶わなかった。まあ、アイドルになりたいなど心の片隅にも無いのだった。
 大和なでしこだったら、こう歌えるのだろうか。
                妻をめとらば才たけて 見目麗しく情けあり                  小生の場合は、残念…

                 


勘ぶり屋大暴発!

2020-11-25 | 何よりの楽しみ
 「道理屋」大爆発とならず立ち消え頓挫し、車輪付きは「しーばし別れの夜汽車の窓よ…」で、「君の名は?」「三葉!」様への第三波が収まったように思えたのだが燻っていた。突如として「節が不適切ではないか?」と今回に限れば「不適節」に思えたのだった。
 三葉虫のバリエーションは数万以上ともいわれているから、どう形成しようと「チーン」にはならないはずなのだが、どうも節の雰囲気が気に食わない。少々スマートすぎるきらいがする。そこで小判型の体型に近づけるよう寸法を替え作ってみた。

 写真資料で見る限りに於いては、小判型がポピュラーと思いモデルを作って並べたものの小判体型では感じが悪く、やや尻すぼみの形が審美眼に合ったのだった。体節の標準はこれで決め、後は頭部と尾部で変化を付ければバリエーションは増やしやすい。
 今回の製作は「ペイントして仕上げてもらう玩具」として考えたので塗装が活きる白木材である。この着想の最初は部材から組み立ててもらう加工教材タイプにする予定だったものの、とりあえずは無難にアクリル絵の具での仕上げで提供してみるのだ。まあ、どう転ぼうとニーズは無い領域なので爺我自賛の「極まれり」なんである。

            

 体節、上側から最初のデザイン寸法、2番目がやや太めにした改良型。3番目が資料に近づけた小判型なのだが小生的にはなじめない。頭部のないのが最初の形で小判型と比較すると随分と差があるのが判るだろう。
 小生の美的感覚では上から2番目の体節がしっくりきた。



今日のトンボ「ミヤマアカネ」

2020-11-24 | 小父のお隣さん
 小雪にマユタテアカネとオオアオイトトンボの二種を撮影、まだミヤマアカネも飛翔しているはずだと見当をつけ、小春日和になった翌日に下手のY川沿いを歩いてみた。土手沿いの遡上ではマユタテアカネ1匹だけで、トンボ池の陽だまりより数も密度も無い。「これでは無理か…」とあきらめて下る途中に行く手の地面に1匹確認できた。接近しつつ数枚を撮影しているところにハイカーがやってきて飛び立ってしまった。

 少し歩いて対岸に渡り、そこで1匹。下ってまた1匹と同一個体かどうかの判断は出来ないまでも、とにもかくにも場所。位置を違えて3回の遭遇は小生の最多記録であった。これで初霜さえ降りなければもう一週間後の12月にも観られる可能性が出てきた。12月に3種確認できれば小生にとっては歴史的快挙となる。まあ、こんなつまらんことに喜んでいるような日々では情けない・・・とは思わん!。シーズン終幕なのに、こんなに視認できるとは「増えたか?」とも思ってしまう。「土手に降りてるアカトンボ 増えたかどうだか聞いてみた まだ増えない あーあ」

 地表の草本は枯れたのがほとんどだったが、まだ緑を保って花を着けているのもある。視線を送ればシジミチョウやタテハチョウ、はてまたセセリやキチョウなどもいた。小さいし低い位置だから目に留まり難いものの、活動はトンボより賑やかだった。初冬にこういう情景は何ともほっこりする。

                      

大いなる誤算

2020-11-24 | 小人閑居して憮然
 トカゲを餌にシロマダラを捕獲しようと試みたものの成果は無かった。しかし短い筒だった試作品で仕掛けた時は数日後には餌のトカゲが居なかった。トカゲ自体が脱出できる構造とも思われず、蛇の体長より短い筒だったから尾部が筒外に出たままでトカゲを喰ったと考えている。
 そこで長い筒に補正し、更にもう1本追加して仕掛けたけれど、真夏の温度では、中にトカゲの餌となるだろうバッタ類も入れてみたものの衰弱が激しく仕掛けるのは中止にした。涼しくなりトカゲの持ちも良くなってから仕掛けようとの魂胆だった。

 ところがである。涼しくなったら今度はトカゲが見つからない。日向でも石や丸太の下でも影すら認められなかった。かくしてシロマダラの捕獲は頓挫したのだった。が、それでも諦めないのが「年寄りの冷や水浴びせ」で、今度は越冬場所を提供し捕獲しようと越冬容器を設置する事にしたのだ。
 越冬場所を提供し捕獲しようとする試みは過去1回行っている。この時は厳冬期に廃棄されていたビニールの間で冬眠体で3匹見ていた事を参考に不織布、土嚢袋、肥料空き袋などを重ね数カ所に設置したけれど入らなかった。

 今回はコンテナに入れた木屑や木片の間に入り越冬場所とするかのようにいたのを見ていたから、コンテナに落ち葉と鉋屑を混ぜ中は2段にして雨風が入らぬよう覆いをして設置した。入るかどうか分からないものの、まあ、遊び・暇つぶしの類であるが、シロマダラの習性を理解していないのに「そう行動をとる」前提で捕獲器を用意しているのも幸せ者の行う行動である

 一層目 ➡  2層目 ➡  底蓋 ➡  雨除けを巻く

今日のトンボ「小雪のトンボ」

2020-11-23 | 小父のお隣さん
 11月22日は「小雪」だ。雲が多く、小春日和とはならなかったもののトンボ池の陽だまりにはマユタテアカネとオオアオイトトンボを確認できた。例年、この2種で生き残りを競うのだが、今期はミヤマアカネも12月に確認できるのかどうかが楽しみでもある。
 しかしトンボ池端の陽だまりに出現し難いのは分かっているから少し下ってY川の土手を歩かねばならない。少々強引で場違いなのだが恐らくフイールドで見かけるミヤマアカネはY川産なのだ。それというのも水源地の手当てを終え、尾根越えの道を通らず尾根末端のY川べりを通ると結構見かける事が多かった。撮影は出来なくても視認できているから自分的には確信があるのだ。

                

屠竜の技

2020-11-23 | 小人閑居して憮然
 仏陀は「拘るな!」と教えているが、それはとても難しい。流行りのマインドフルネスなんてものを取り入れてみても焼け石に水、いいえ、焼け棒杭の火は鎮火しないのだった。フイールドの水見回りを行う度に惨憺たる有様を直視しなくてはならない。「クソ!」と歯ぎしりするものだから歯科医にマウスピースを作られてしまった。だからといって原因は消えず「元を断たなきゃ駄目!」なのであった。

 忌避剤として手に入るものは使ってみたが役には立たず、柵で囲うか全滅させるかしかない二者択一なのも理解していても現実問題として選択肢ではないのは耄碌してきても分かっている。そこで「灯篭に斧」「夏炉冬扇」等々、言われようと自ら思ってしまったとしても精神衛生には砂粒でも投げつける必要がある。「クソ!」だけでは不足なのだ。

 そこで今まで試した物質を組み合わせ「ハイブリッド忌避剤」を作ってみた。もう崩壊決壊寸前の棚田部と二つ池のオーバーフロー部を再々々補修をしたうえで散布してみた。結果は1週間もあれば判明するだろう。作って散布したことで結果を見ていなくても「一矢報いた」気分も出てきて血圧も脈拍も下がった。まあ、今以上下がってもらっても困るが…。
 木炭粉砕  ➡    材料  ➡    粉塵はかなりの量だった

 材料は木炭4㎏、竹酢液、クレゾールである。竹酢液とクレゾールは混合してから木炭紛に混ぜる。木炭は吸着剤・維持材として使う。液体だけの散布では降雨で流出しやすい。木炭はそのままだと大きいのでハンマーで潰した。微粒子が鼻に入るのが判ったからマスクをしたのだが、終わった後は使い物にならなくなっている。木工でも粉塵には気を使わねばならず「糞!」なんてそっぽを向いても駄目なのだ。

 棚田の温水田との畔を盛り上げ修復し出来たばかりの忌避剤を振りかけた。上棚の二つ池のオーバーフロー部周囲にも修復後振りまいておく。気分は多少なりとも希望的観測で上向いたものの、一方では「年寄りの冷や水」感も否めない。表題「屠竜の技」としたが「徒労の技」でもあることは爺々いいえ、重々承知だけれど悔しいでがんす。
 まあ、そこで人生は耐える事に他ならないと喝破出来たのだった。神君も言っておる「重い荷を背負い坂道を行くが如し」と。
            崩壊寸前  ➡    修復しハイブリッド忌避剤を試行、結果は数日で判明するだろう

爺様は山へミカン切りに行った

2020-11-22 | 感じるままの回り道
 頼まれて駆り出された、というより気分転換のつもりで出かけたのだ。中学の同級生が冬の出稼ぎでやっていたというのを同級会で聞いていたためもあるし選果外となったミカンを頂いた事もあったので「お返し」程度の感覚だ。朝、6時半に家を出て途中の渋滞でケータイの電源を入れたらメールが入っていた。「夜間の降雨で午前は出来ません。正午から行います」との内容だった。結局、一旦はKターイ、でなくUターンし三葉虫の工作をダラダラ行い時間つぶしだ。

 早めの昼飯を食べ待ち合わせ場所まで走る。そこから山道を開けるところまで走ったのだが、お茶摘みの場所もそうだったけれど急傾斜の断崖の農道である。ガードレールがあるところは半分もなく車窓からは遥か下の谷間まで見通せるような場所を上った。小生は高所恐怖症だから運転して高度感を感じると肝が竦む。テレビで崖や高所の窓際などが写るとそれだけで肝が竦み股間がキュンキュンするほどなので、画面とは異なる現実現場では逃げようもない。ただ「南無三」とか「クワバラクワバラ」とかつぶやきつつ先導車に追従していくだけである。
 このキュンキュンは黒服大鎌の御仁がいる場所でしか体験が無く、キューピットがいる場所には当たったためしがない。

 さてミカン切りは10人ほどが集まって作業となった。着果数の多さにびっくりするが、1個1個の切り取りと言えど多勢に多数でも、切り取りは早く進むのだというのが印象だった。つかみ損ねたりハサミを引っ掛けしたような果実は地面にそのまま放置していたけれど切り取り終わる頃には結構な数になっていて、正直、お持ち帰りしたいくらいだった。小生猫又、いいえ、これまた「お持ち帰り」は体験したことが無い。
 そろそろ休憩かと思える頃に驟雨となって作業中止。まあ、1日作業とはならなかったが「ミカン切り」体験はしたのだった。役には立たない体験であろうともだ。

            ミカン切りに行ってきた
            重いで籠は坂道も
            遥かに見えた黒い雲
            驟雨となってやってきた

 元歌は川田正子の「ミカンの花咲く岡」なのだが、この歌を歌える世代は少数派になってしまったが、子供の頃に歌った世界にようやくお目見え出来たという事だろう。今回はミカン切りで花ではないが、花は「摘花」で今季体験している。しかし歌の内容や歌い方の何と様変わりしたことだろう。今の流行り歌など知る気も無い小生だが、熱中して聞いて歌っている世代は長じて折々に思い出すことなどあるのだろうか。読書から離れデスプレイに見入ってばかりの時間も人生の折々に役立つ要素はあるのだろうか、ちと気になるのはミカンばかりではない。いっぱい気になっている…。

             ➡   



林床のネザサ刈り 3,4段目

2020-11-21 | 今日は真面目に
 弁当持参で夕方まで踏ん張れば5段の段々ネザサ刈り払いは済んでしまうのだが、既にその気概は失われて刈り払い機の燃料タンク一杯分を消費すれば「給油して継続するかやめるか?」とハムレットの心境になる小生だった。この日は朝早く出かけたこともあり給油して2段分のネザサを刈り払った。

 3段目4段目は小灌木が多いけれど平坦な5段目とは異なり成樹が目立つ起伏の多い地表で大石が頭をそこかしこに出している刈り払いし難い段でもある。地表を舐めるように、いわばシェーバーを使う感じのネザサ抑制だけにしか効果のない刈り払いを続けているが、続けなければ数年でネザサの藪となり立ち入る事もうっとおしくなるのは間違いない。
 そうなったところで誰も利用していないエリアで、小生だけが「実生樹育成林」を夢見てネザサ抑制をしているだけなのだった。まあ、物事の実相はそんな程度なのかもしれない。

 5段目はヤマハギやガマズミの実生樹が多かったが3,4段目はアケビやサルトリイバラなどのつる草が目立つ。サルトリイバラは食草となるから刈り残してきた成果なのだろうが、結果として作業し難い環境を作ってしまった。立ち上がれる樹木が傍にある蔓は問題ないけれど、草地で伸びた蔓はだらしなく展開してジイトリイバラになってしまった。結実させている蔓は残しているが、ほどほどにしないと我が身が絡めとられてしまいかねない。
 そうこうして食草として温存していても、その割にはルリタテハの幼虫は付いていないのが通例だ。

               三段目       四段目