トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

返礼品は幾何回転体で 2

2025-01-31 | 今日は真面目に

 贈ってもらった絵本のお礼にと知人友人経由で、あるいはお孫さんに渡っても構わないのだが幼児がよろこぶ幾何回転体の木製玩具を製作中だ。既に円盤型の物は作ってみたけれど「どうせなら立体形も…」と持病の脅迫工作症が出てしまった。難儀な思いをしながらの災の河原の砂礫掘りは取り止めとして河床安定化作業に変更したものの「痛む肩を休ませたい!」との親心で休日を入れたのである。とは言え脅迫工作症が発症してしまったので工作するほかはなく柱の端材を使い桐材の幾何回転体と円の直径が同じ幾何回転体を作る事にしたのである。たまたまと言うか板材と柱材の寸法が同じ幅だった事が幸いしたのだが考えるまでも無い製材規格の結果なのである。

 サイズは桐材の物と同じ寸法で製作するけれど板材とむくの立体形では加工の難易度が異なるし要領も異なって来る。必要な寸法に切り出し角材に製図した円の中心と円弧の0度、90度、180度に竹串を埋める。これは製作加工の途上で重要な点になるから外せない。全てはこのポイントを基準にして加工し仕上げるのだ。今回、加工を始めて気付いたのだが竹串を着色しておけば見やすくなる。次回からはそうしよう。

 まずは製図線に沿って荒取りをする。これは鋸で切断する。面倒に思えるけれどギリギリまで鋸で切断すると次の段階、サンダーで削るのが粉塵も少なく作業も楽になる。サンダーでの加工は左手に部材、右手にサンダーを持っての作業だからまあ、肩には辛い作業になった。それでも日中は何かと動かすから疼きは生じない。就寝中は動かさないので2時間程度で疼きが襲ってくる。こうなるとモミモミゴリゴリしながら深夜放送のリスナーとなってしまい不規則な睡眠が続いてしまうのだった。

 荒取りが終わったら円弧の部分を仕上げて、円弧から一点に向かう円錐形の部分を形作る。写真右側がその段階が済んだ状態だ。最終的にはサンダーで仕上げるけれど円錐面となるべきところが膨らみ易いから折々に直線定規を当てながら修正しつつ仕上げていくことになる。大雑把な荒取りは午前中で3個分が済んだもののサンダーでの中仕上げは夕方まで掛かり、最終仕上げは転がり具合を観察しつつ微調整の必要があり、更に1日以上必要だった。サイズが大きいだけに手間も余計に必要だった。こういう物は販売品とすると採算が取れない。趣味や好意で作るべき対象だなあ…と感じながらの作業になった。軟硬二種類の材を使ったのだが結果的には作る物を取り換えれば良かった。理由は簡単、ヒノキ材での立体形は柔らかい方が修正が容易だし軽くなる。

     


災の河原の砂礫掘りは終わった・・・

2025-01-30 | 水辺環境の保全

 覚悟して掘り続けてきた取水堰と取水升発掘作業だったが取水堰躯体に到着確認した12日目の作業で撤退を決めた。掘り続けた砂礫層の厚さは1mもあり、これは予想通りなのだったが取水升の維持管理が可能なように露出し続ける環境にするには取水堰下流を堰は最低でもオーバーフロー部の高さと同じにしなくてはならず、取水堰上流部は自然傾斜角に河床を整え更に浸食防止のために沢止め工を施す必要がある。これを可能にするには堆積した砂礫をダンプ2台分位を移動させる必要があるから、とても孤爺の馬力ではやりきれない。そもそも今回の発掘でも行うのは孤爺位なものなのだ。

 作業の必要上、水流は外してある ➡  発掘した溝に流入させる

 さて堰の躯体にたどり着いたものの水中から露わにするには排水路を更に掘り下げる必要があるけれどそこまでしたとて無益に等しい。現状、フイールドの吐水口での水量は16ℓ/分で黄信号なのだが水量が低下した要因に「砂礫に隙間に砂泥が蓄積」あるいは「作業で流路を遠ざけた事による伏流水の減少」のどちらかか両方の可能性があるものの掘削を止めた事で流路を取水升上部に戻せば伏流水の増加が得られるかも知れない。と言う事で早速、流路を掘り進んだ溝の中に戻したのだ。当然急傾斜の溝を流入していく訳なので砂礫もドドドーと流れ込んでいく。ものの数分で苦労して掘り下げた窪みは埋まってしまった。今回の労苦で報われる事のない老躯ではあるけれどとりあえず納得できたし気は済んだと言えよう。

 確認出来るところまで行ったし、これ以上行う事は二度童の孤爺が賽の河原で延々と崩される石積みを行うに等しい。現場は災の河原であるから「ひと掘りするのはケロの為、二掘りするのはヤゴの為、三掘りするのは界の為・・・」とは言え力尽き、伏流水に神頼み、てなもんや三度笠。

 

 伏流水頼みと言えど流路が逸れれば伏流水は減少する。まあ、流路を取水升上部に通しても砂泥の堆積が早まるから結果は断水なのだが「それまではやれることを行う」で、次なる災の河原の作業は上流部の河床安定工事を行わねばならない。幸いにも立ち枯れした大径木が4本ほど沢筋で調達できるので、これを導流堤代わりに使用する。この伐採と移動据え付けも難儀な作業だが水商売・自転車操業の範疇には変わりない。せめて今期生まれるトンボとカエルの幼体までは育てたい。全ては「水があるか無いか」に掛かっている。カエルが減ればキーストーン種の蛇類も減少するだろうから生態系の破壊はお約束である。


あたりがあったようだが濁りで見えない

2025-01-29 | 今日は真面目に

 年明けはほぼ災の河原の砂礫掘りを続けている。まあ、例えて言えば「ありんこが遺跡発掘」しているようなもんだけれど送水が滞れば我がフイールド環境は悪化の方向に一変する。前日、帰宅後に探索棒を黄色に塗装した。販売されているままだと濡れた砂礫と区別がつき難く足に引っ掛ける心配もあるので見えやすくしておく気遣いも大切だ。

 さてこの日は前日に探索棒で「あたり⁉」と思えた感触があった場所を掘り進める。掘り進めるに従い水深も深まるので排水の必要が増す。そのために排水路を穿つのは必要欠くべからざる作業で、この付帯作業が本来の掘り出し作業より量が多くなる。排水を円滑にするためには水勾配は必須で探索穴が深くなれば排水路の深さも下げねばならないし、水勾配を維持するためには流路が長くなる。そのうえ、水路に砂礫が落ちないようにするには水流幅の何倍もの幅で側壁を広げなければならない。故に探索穴を掘り下げ、排水路を掘り進みを交互に繰り返しながらようやくこの日、探索棒にコンクリート体と思われる手応えを確信できるところに到達したのだ。水が濁ったままなのでコンクリート面の視認は不可能だったが、素手で砂礫をどかして触ってみると平面になっている。間違いなく取水堰の一部に到達できたのである。

 視認で確認できるようにするには翌日回しにしたのだが既に元の河床より1mも掘り下げているし取水堰の上部に到達できたとしても取水升面は更に30cm下なのである。これ以上掘り広げても取水升を露わにしたまま取水できる環境まで築けない。この河床の埋まり方では個人の努力や力量を超えた世界になる。素手で触れたコンクリート面は堰き止め堤の部分なのか右岸部の擁壁部分なのか判明はしていないけれどこれ以上、掘り進めても取水堰と取水升を維持管理し易い様に露わにしておく構築は無理だろう。個人で出来る事は「ここまで」で所在を確認しただけで後は伏流水が取水升に入るのを「末永くお願いします」と神仏に願うしか孤爺には打つ手がないのだ。まあ、柏手打っても両手を合わせても肩が痛むし・・・。歳は取りたくなくても正月は開けてしまったし動ける間は動くしかない孤爺蟻の世界。

     


伐採用楔の再生

2025-01-28 | 今日は真面目に

 以前、丸太切断作業の折りに使った楔にチェーンソーの刃を入れてしまった。これで使えずアウトとなったのだが代わりの楔を購入したけれど捨てずに残して置いたのだった。今回、災の河原の砂礫掘りを掘り続ける無駄な作業を止める事にして上流部の流路と河床の安定化作業をすることにした。砂礫の河原幅が三倍にもなった結果、流路を氾濫流に委ねておけば抵抗の少ない取水堰が突破された左岸流になるのは必至だからだ。そのために立ち枯れた大径木を倒して流路を誘導する誘導堤代わりに使いたいのである。

 しかし伐採に必要な機材は現在貸出中で二月に入らないと戻ってこない。牽引器は無くても構わないが楔は必須なので破損した楔を再生して使う事にしたのだ。加工はどうて事も無い、傷んだ部分を切り捨てて先端部から程々のところまで傾斜をつけてやれば良い。実際問題として楔の長さが3割ほど失われているから「それなりの」楔であるけれど「楔もどき」であっても無いよりはましなのである。これが用意出来たので伐採への方向転換はいつでも可能になった。取水堰まで発掘し取水升のメンテナンスを常時可能にしておく事がフイールドの水域保全に必須だけれど堰下側をダンプ1台分、堰上流をダンプ2台分以上の砂礫を取り除き河床安定化の段差工を施す事は孤爺の体力でなくても個人の力量では不可能なのだ。行政も確実に手を出さないから伏流水が止まればフイールドの環境は消失する。

 それに加え必要欠くべからざる取水部の復旧は崩れる砂礫掘りの連続で果てる事のないもがきであり、それに引き換え伐採作業は超危険重労働なれど達成感もあり粛々と行ってさえすれば取水部の保全が為されるのである。とは言うものの取水升を露出しメンテナンスが不可能になった現在、流路を埋まった取水部へ誘導している作業なんて他人が見れば「何をしているんだか・・・⁉」程度にしか思えん行為だ。我が人生は無駄な行為の苦労で成り立っているのだ。まあ、このもがきは取水部のもがりに等しい。


一所懸命・一日一処

2025-01-27 | 今日は真面目に

 「本日も晴天なり。あーあ、掘ってますか⁉」掘ってますようんざりしつつも。と自悶自闘しつつ今日も日日是平日なのであった。寒中とは思えない温かさには有難いけれど水域に水が切れる事態は避けたくて砂礫掘りしているものの全くあたりは無い。探索棒を使うようになったしトレンチで溝を掘れれば作業も早いはずなのだが砂礫層は掘り下げれば掘り下げる程、比例して開口部も広げなくては崩れて来る。この量が掘り下げたい量の何倍にも達するからご老体かつ腕・肩の痛みに憑りつかれているわが身には辛い。

 30cmほど上流側を掘り進めたいけれど掘り捨てなければならない砂礫の量は何倍に増えるのだろうか。流路ギリギリまで攻めれば浸透水で更に崩れやすくなるし、ここまでくると「何時、撤退の決心をすべきかどうか」も現実的になっているのである。この日は前日に掘り出せれなかった流木を金梃子を使って水面上に持ち上げたのでチェーンソーを使って切断出来る。半分になれば動かすのも楽になる。まあ、穴から場外に出したとて探索棒からは何の返信も無かった。すでに元の河床からスコップの長さに相当する深さに達したのだが当たりは無いのだった。

 ➡  

 ここまでに至ると「伏流水で送水できているのだから、これにだけ頼って維持するか⁉」の浮気心もちょくちょく頭をもたげて来る。上流部まで河床が埋まり河原が広がった状態を放っておけば流路が出水の度に移動して取水堰から離れた左岸流になる可能性は高いままなのだ。立ち枯れしている大径木を伐採して流路安定化のための堤代わりにする作業をした方がベターに思えて来た。流路安定化作業の方が即効性があるからだし、仮に取水升を掘り出してみたところで周囲と上流側に大量に堆積している砂礫の再堆積で埋没を防ぐ算段は今の処皆無だし・・・。深夜、肩の疼きに悶えてみたところで解決策は出て来ないのである。そもそも孤爺の人力、馬力に換算すれば0.1馬力にも満たない出力では無勢に多勢なのである。勝負は決する事すら不要で既に決している中のもがきでありあがきなのである。

 まあ、溺れる者は藁をもつかむ、そのものでもある。そろそろニホンアカガエルが産卵に来る頃になったのだが水域への送水が滞るにしても、せめてオタマジャクシが幼体になるまでは水を維持したい。現状では定着したトンボの絶滅回避までは無理の様に思えて来た。

     


骨折り損!心はもっと折れる・・・

2025-01-26 | 小人閑居して憮然

 この日、大寒なのに暖かく穏やかな日になった。前日の作業は曇り空で作業を始めたらポツポツと落ちてきたのだ。シーツや包布を干したままなので大急ぎで帰ったから無駄もいいとこだった。この日は気合を入れなおし山側に添ってトレンチをする。もしかしたら透水壁や取水升のフイルターに当たるかもとの儚い希望はこの日も費えてしまったのである。探索棒に当たって探りの障害になる木質部、排除するために掘り始めたらことのほか長い流木だった。への字に曲っているがゆうに3mはあったのだ。その上、下側に枝が埋没しているようで上部だけを露出しても動きが悪い。この日はこの厄介者のせいで掘り上げは思ったほど進まない。

 牽引器があれば一発で引きずり出して蹴とばし三発くらいは見舞ったのだが孤老のご老体、肩の痛みに耐えかねての作業なのに足を痛めては万事休す、緑茶も急須、てなもんや三度笠。ツッツモッツと進まない作業なので妄想も著しくなる。孤老の傷心を埋めるものなどあるのかどうか、つらつら考えてみてもご馳走に魅力は無し、スイーツも麩菓子くらいでよろしい。まあ、遊興飲食娯楽など癒しにもならず、読書も睡眠導入剤代わりでは肩は冷えるし本を持つ腕は固定されたままだから肩や腕の痛みを増長させるだけだ。であるから図書館からの借り出しは数年ぶりで全面禁止にしている。

 で、テレサテンのCDを買ってみた。生誕70周年記念アルバムが出ているのだがスーパーのレジ前には置いてない。街に出かけるかネットで注文するか、まあ、とりあえずは傷心の孤爺をCD1枚で梃入れするのである。BGMにしながら聞きほれていると確かに「アジアの歌姫」と言える実力だけれど、音調が綺羅星の歌姫なのに何か哀しい。スターであっても心の深淵には寂しさや哀しさが満ち満ちていたように思えた。まあ、孤爺が流木一本で心を折ってしまうとは日本男児にあらざりき。頑張ろう!突き上げる空に…突きあがらない現実は痛いままである。フイールドのカラスさえ泣いてはくれなんだ・・・。


*内憂外患

2025-01-25 | 小人閑居して憮然

          今日は鍼外出懐炉夜湿布

          わび住まい温み感じし初日受く

          餅ひとつ無きぞ新年節痛し

          ああ疼く深夜動かす肩回り

          三角筋乳房の如く揉む深夜

          異常気症冬に笠雲ふじの嶺

          初春や冷報不二は吹き曝し

          不治の山大沢崩れや治山不可

          へたれ嶺樹海に迷う不二の人

          奢れ者久しからずや自滅なり


そろそろ産卵期だが…

2025-01-24 | 小父のお隣さん

 一月も終盤になるとニホンアカガエルの産卵が始まる。今期は隣り沢災の河原の砂礫掘りに勤しんでいる結果、水域の巡回が疎かである。その穴を埋めるために災の河原の砂礫掘りを終えてから我がフイールドに立ち寄って水見回りをした。前年の度重なる大量出水で各々の池の水深は浅くなっており早急に浚渫の必要があるものの取水地の破壊に振り回され手が回らないし肩の痛みで腕も肩も回らないのだ。なんと切ない老境だろう。

 取水升の在りかが判明しないまま伏流水が得られている状況で送水は維持出来ているのは天恵と言わざるを得ないけれど今日、吐水口で水量を計測したら16ℓ/分だった。通常は黄信号の水量であるが現在、隣り沢の流路は掘削発掘の関係で流路を取水堰から遠ざけている。その結果なら水路を戻せば水量は復活するはずだが、これはその時になってみないと判らない。

 さてニホンアカガエルの卵塊があるかどうか水域を辿りながら観察したがまだ産卵はしていなかった。だがエノキ林内に置いたトンボ用の産卵水槽の中にニホンアカガエルのメスが一体沈んでいる。孤爺に気付いて沈んだのかと思ったけれど既に絶命した個体だった。皮膚はまだ新鮮だったし、これと言った外傷も無いので絶命した理由は不明だ。腹部が膨らんでいるから産卵前のメスだと判断したのだが体格が小さ目だから今期、初産卵するはずの個体だったのだろう。水中に置くと水を汚染するので水から出したけれど埋めずに他の肉食生物に供する事にして草の上に置いた。惜しいかな惜しいかな、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。


返礼品は幾何回転体で・・・

2025-01-24 | 今日は真面目に

 昨年末にようやく出来上がった吾輩、孤爺渾身の一冊をわが友にして先輩格の奥様宛に送ったのだったが寒中見舞いを兼ねながらお礼状が届き同封されていたのは絵本だった。近くの里山で野外保育を行っているグループの実際の活動の中から生まれた絵本だと言う事で定年まで保育者であった奥様も多少はかかわりがあるらしかった。

 わが姥捨て山フイールドでも同様な活動があって孤爺も及ばずながら気配りはしていたのだった。その頃の中心メンバーが独立して尾根向こうをフイールドにして「森の幼稚園」を運営し始めてからは疎遠になっていたのだが師走に突然の電話があり「10周年記念行事を行うので参加してください」との内容だった。この当日の様子は既にアップしてあるが、この時にお祝い品として贈ったのが幾何回転体である。ネットサーフインすれば容易に出てくるようになった回転体だが、まだ幼児向けの玩具として作っているのは少ないのでは…と言うのが孤爺の心証である。

 さて絵本を送られて普通ならお礼状と言うのが順序だろうけれど筆不精かつ悪筆の孤爺としてはすんなりとはいかない。高校時代からの付き合い先でもあるし堅苦しく義理堅く考える相手方でも無いのだが現役時代は保育者であった事、現在も多少の現場や後輩などと関わりはあるのだろうと言う孤爺特有の妄想逞しくした結果、幾何回転体を送ってみる事にしたのだ。今回もヒノキ板ではなく桐の集成材を使った。何時もの様に板に製図してジグソーで切り抜き木工旋盤で外周を整えてから再度、ジグソーで組み合わせ部を切り抜く。この一連の加工は粉塵が出るので室内では行えない。この日は「温かい日になる」との予報だったから縁台工作する積りで災の河原の砂礫掘りを休んだ。まあ、正直に言えば砂礫掘りより工作の方がなんぼも楽しい。

 円盤の切り抜き ➡ 外周の加工 ➡ 組合わせ部の加工 

 加工した部材は所定の位置まで嚙合わされるかを確認してから接合する。材料が桐材だから非常に軽く感じるけれど軟らかい事もあり幼児が手にするだろうとの事も考慮して荏胡麻油を塗付して仕上げる事になる。塗付された荏胡麻油の酸化が進めば表面硬化していくから傷がつき難くなるだろう。しかし色合いが土壁色様に変色するから木目を活かしたくてもそこが難点に感じるが仕方がない。

     

 右の円盤型、上段は中心間距離が√2Rで等高重心のツーサイクルローラー、下段は中心間の距離が半径に同じの不等高重心であるオロイド(言い間違いは無いと思うが記憶が朧になっている)。左側がスフェリコンという。通称は円盤タイプをコロコロ、扇タイプをコロリンとして、ここには写ってはいないヘキサ・スフェリコンをガタコンと称して渡している小生である。これは動きの特徴で言っているのだが感覚的に馴染むと思える。まあ、爺我自賛のひとつだろう。


ちょっとぉー榾木伐採だってぇー⁉

2025-01-23 | 小人閑居して憮然

 拠点、道具小屋横に生えているカシワ1本、日当たり良好だし周囲に枝葉を展開するのに邪魔になる立ち木もないので伸び伸び育ったのだ。周囲にカシワの自然樹は見当たらないから大方、往時の地主さんが柏餅用に植えたのかも知れないのだが現在は周囲を日陰で覆うだけの存在になっており「伐採して!」との話はあったのだ。しかし孤爺にとっては格段急いで処理しなければならない対象でも無く、ましてや右腕が痛くて使い難い現状では災の河原の砂礫掘り以外にすべき作業など無いのである。

 そんな状況なのに代表から「伐採」の依頼が来た。他に男衆はおるけれど伐採の経験値は持ってはいない会の現状となった現在、斯様な作業は小生に回ってくるのである。まあ、よくよく経緯を思い出してみればむざむざ廃木にするのも資源としてもったいないから「榾木になるかもしれない…」と口を滑らせていたのは孤爺なのであった。そんな事があり年が明けての定例会時に榾木を作る活動となったのである。お偉い様達と異なり「秘書が、秘書が・・・」とか「記載漏れだから修正!」なんて習性の無い孤爺であれば泣く泣く砂礫掘りを先送りし、肩の痛みに耐えながら定例会前日に伐採する事にしたのだった。

 ところがである。伐採予定の朝、朝食が済んだ頃合いに代表からの電話で「定例会当日に皆の前で伐採してくれないか…⁉」との要望があった。喫緊の課題、災の河原の砂礫掘りを先送りしつつ痛い肩を抱え重心の変化が大きく難しい作業になる落葉樹の伐採をギャラリーの前で行って欲しい、なんて無理にもほどがある。三本の幹を持つカシワは一筋縄ではいかないし伐倒方向は重心方向には小屋やミカン樹があり避けなければならない。端的には「作業はどう展開するか成り行き次第」になりそうだし「枝掛かり」必至の環境ではギャラリーなんて危険なだけで役にも立たないのである。であるから断って予定通りの開始にする。

 まずは低い位置からねじれて伸びた幹を切除する。これは難なく出来たのだが残った二本は難物である。使いたい牽引器はバンビーノガーデンへ日当たりを良くするための伐採に貸し出しており手元にない。そこでに荷締め用の牽引器を代用したのだが牽引距離は1メートル余りだし使うロープは麻ロープで効きが悪いはずだ。でもこの環境で伐採するしかないので、ここも粛々と進行にこれ努める孤爺なのであった。二本目は思った通りにクリの樹とヒノキに枝掛かりがして落ちてこない。ロープを曳きつつ齧ったままの切断面を修正しつつようやく地上に落とせたのだった。しかし幹は落ちても枝葉の部分で立ったままだ。ここで「行ってはならない掛かっている樹の元玉切り」をせざるを得なくなった。処理作業の安全のために「行ってはいけない方法」は幾つかあるのだが、これもその一つだけれど現状、これ以外で掛かり木処理は不可能だ。こういう作業をギャラリーの前で行うなんて愚の骨頂、年寄りの冷や水、悪法の刷り込み以外の何物でもなくなる。

2本目は案の定、掛かった     ➡  ようやく地上に落とせた。3本目は余裕がなく撮影できなかった。

 最後の1本は高さも高いし重心の外れも大きい。何もせずチェーンソーを入れれば道具小屋、ミカンの樹、キジョランが這い上って展開しているネズミモチを直撃する。荷締め器では役不足なのだが重心と反対方向に曳いてから伐採開始する。案の定、牽引距離が短いので伐倒位置まで曳けない。追い口に楔を打ち込み固定してから再度、荷締め器を設定しなおす。幸いにも再設定の間、立ち姿を維持できていた。こういう状態になる不安定な伐採現場にギャラリーなんて問題外である。見物する方は暇つぶしで面白いかも知れないけれど作業する側は見世物でしかなく、見物させれば微力と言えど里山保全に寄与するでも無いし、たまったものではない。で、ようやく地上部に落とす事が出来た。残った株元を綺麗に切断して昼前に作業は無事に終えたが定例会当日の処理作業には参加せず水源地の取水堰掘り出しに痛い肩をつぎ込む日々に戻れたのである。


粛々と行いシュクシュクとなる・・・

2025-01-22 | 今日は真面目に

 今日もコロッケ明日もコロッケ、ではないけれど今日も砂礫掘り次も砂礫掘りのエンドレスが続く。神君家康公は「厭離穢土欣求浄土」を旗印にしたそうだけれど孤爺栗栄太君は「御利得堰欣求浄水」が目下の旗印なのだ。孤爺、沢奥に入りて埋没した取水堰と取水升の発掘発見にこれ努めている日々であるが一向に日々是祝日とならないのである。そこで少しばかり環境改善、いいえ道具の調達をしてみた。6尺の金梃子は突き刺さりが悪いしツルハシも扱いが肩に悪い。スコップを押し込んで探るのも非効率だ。

 そこで思案投げ首「ビビビッ」と降臨したのが探索棒なのである。今日日、あちこちの大雪の惨状を報道しているが雪崩による人的被害は発生していない模様だ。この雪崩被害に遭った場合に埋まっている人体探索に使う探索棒を取水堰の発見に使って見ると言うアイデアなのだ。思い立ったのが夕食後で翌日購入とすればその日の作業は遅い開始になってしまう。そこで閉店間際に出向いて2mの鉄筋を購入して来た。先端を尖らせるのに暗くなってからでは近所迷惑だから翌朝、出掛ける直前に尖らせる事にして、とりあえずは用意出来たのである。

 翌日の最低気温は0.6℃、林道周辺は降霜で白くなっていた。冷えれば肩に悪いのは十二分に承知だけれど取水機能を維持できなければ春には水域は回復不能の生態系絶滅への道を突き進むことになる。だからこそ粛々と行っているのだが今日も女々しく鼻水シュクシュクして終わった。それでも探索棒の威力、効果効率は秀でていて、掘り進めている範囲にヒットする様な兆候は得られなかったのである。まあ、とにもかくにも掘り広げ掘り下げていく事に尽きる粛々と・・・。


山の神様!水神様!

2025-01-21 | 今日は真面目に

 「肩が痛い!」とて自宅にいるだけでは耄碌するだけである。作業療法のつもりで水源地に行った。行う作業はただ一つ、粛々と砂礫を掘り続ける事なのだ。砂礫にスコップを押し込むのは長靴で踏み込めば入るけれど砂礫に入った剣先に砂礫を載せて起こすには右手でスコップの握りを下げて剣先を上げねばならない。要はシーソーの様にするだけなのだがこの時が痛いのだ。砂礫の載った剣先を速度を付けて放り上げるのも右腕を伸ばす事になってやはり痛みが来る。仕方が無いので動作は小振りになる結果、掘り出される砂礫の量も「それなり」なのである。

 それでも「やらないよりは進む」とボチボチ作業を続けて身体が温まる頃合いで撤退する。いつ果てるかも知れない砂礫掘りに痛みをこらえてやったところで長引かせるだけだろう。しかしながら送水条件の不具合は長引かせる訳にはいかず、現状の砂礫層の透水が止まれば水域は全滅するのは必至なのであって、これは時間との勝負でもある。さて何時もの様に脱線するのだが、ここに柴犬がいれば「ポチ‼ポチ!」と慰み相手にもなるけれど生憎「愛犬同行」にはならず、昔、飼っていたキャバリアはリードを外せばダッシュして迷子になる馬鹿犬だった。ものの本には「愛玩犬として育種された犬なので訓練性能は低い」とあり納得したのである。

 さて、深く掘れば掘るほどすり鉢状の開口部は広げなくてはならないし、掘り下げる深さで排出される砂礫より深さを温存するために掘り出さねばならない砂礫の量が圧倒的に多くなる。この日の最深部はスコップの剣先を押し込めるだけ押し込んで、掘り始めからスコップの長さ程度までに達したけれどまだ構築物には当たらない。まあ、直下にあるかどうかさえ判明しない場所を掘っているのであるから当然なのだが「山の神様、水の神様、助けてください!」と沢の中で独り叫んだところで信仰心の無い孤爺には木霊さえ帰ってこないのだった・・・。ああ!天も行政も取水復活の助けにはなりそうも無く「天は自ら助ける者を助ける」はまやかしなのであった。かくして孤爺は災の河原の砂礫掘りをボトボトと行う。

 


竹輪パン・トリオ惨敗

2025-01-20 | 何よりの楽しみ

 近隣の社会インフラに支障をきたす可能性の発生した伐採SOS、聞捨てる訳にもいかずサポートに出かけたのだがやはり無理がたたってその夜の疼きは収まらず深夜3時間ほど寝付けれなかった。起床して昼前には鍼治療の予約があったので出かけたのだがやはり凝り部の拡大は指摘され、一週間おきで施術していたのだが間隔を半分にされてしまった。これは出費の増加と言うよりも回復期間を遅らす事になったのが痛い。

 その深夜の出来事、眠れぬままにグリグリモミモミを繰り返しつつ「グリグリで痛めては更に悪くなる」のであるから行いたいのを自粛して深夜放送のリスナーに変身していたのだが、その中で北海道の「竹輪パン」がソウルフードであるような紹介があった。個人的には「美味しいはずも無い…」と思いたいけれど肩の痛みで「一日二日、肩を休ませよう」と出かけなかったのだが、そうなると日中の時間をどう過ごそうかと思案投げ首、シアン猛毒の手太楽になる。で、竹輪パンを試作して実証実験する事にしたのだった。

 竹輪も無いし、中に詰める食材を考えながら買い出し。詰めるものは小倉羊羹、チーズ、キムタクの三種にした。キムタクと言っても説明が必要だ。普段のお惣菜にしているキムチにヨーグルトチーズ、糀を混ぜたキムチーズに飽きてヨーグルトチーズの代わりにプロセスチーズを混入させレシピを変更して食べていたのだが、これに沢庵を刻んで混ぜたのがキムタクなのである。この三種三品パンで夕食を、と言うのがこの日の狙いだ。

 生地作りはレンジ発酵にしたのだが、どういう訳か膨らまなかった。牛乳が無くてヨーグルトを牛乳の代わりに使用した事が悪かったのかどうかさえ不明だ。であるから全く発酵していない生地のパン、これをパンと言えるかどうか、発酵しなっかったからパンで無い、と断じた方が正しいのだろう。故に今回は「竹輪パン」とは程遠い結果であった。試食したら羊羹一番、チーズは二番、三番キムタクどうの屁・・・。たしか味の薄い事を郷里では「どうの屁」と言っていたように記憶するが方言集を眺めても載っていなかった。まあ、ともかくキムタクは味が薄かったと言う事。またチーズを「とろけるチーズ」にしたばっかりにチーズ入りは解け出てしまったし捲土重来、次回は発酵万全で再見!。


流木ダムのオーバーフロー部

2025-01-19 | 今日は真面目に

 最低気温は3℃台で前日・前々日の氷点下に比べれば温かいと言えるがどんよりとした曇り空で日差しが無いからフイールドには行かないと決めてビデオを見始めたのだが9時頃には薄日が射して来た。それで気が変わり流木ダムのオーバーフロー部を整えるために出かけたのだった。現地作業する河原の温度は7℃で可能なら二桁台が欲しいけれど欲張ってもしょうもない。とにもかくにも流木ダム周りの整備を済ませて置かないと取水部に更なる災いが重なる事になる。

 前回は通常雨量での排水路を整えたもののいかにせん幅が狭すぎる。断面底辺がチェーンソーの長さ程度では100mmを越える雨量では通しきれないだろう。ゆえにオーバーフロー部を用意しておかないと溢れた水流が林内突破で新たな流路を形成してしまうと取水堰を横方向から直撃する水流となる。河床の安定化のためにも従来の合流部で流したいのだった。そのための整備は積み上がり絡まり合った流木ダム上部を滑らかにしオーバーフロー部を用意しておくに尽きる。そのための作業はチェーンソーだけで済むのだが、何せ足場が悪い。足場が小さいうえに大きな窪みはあるし落とし穴に近い空洞もある現場である。ヒョイヒョイと身軽に動けなくなったご老体では足拵えをしっかりしただけでは不十分で、出掛ける前に足三里にお灸を据え神経系と筋肉系を賦活しておかねばならない。

 枝、幹、根っ子など絡み合った部分を少しづつ切断し排除しながらようやく流木ダム上部と前面を処理出来た。一番上に横たわっている大木は水平ではなくやや右岸寄りに傾斜しているので水流全体の方向を右岸寄りに向かわせる作用があるしこの流木を切断して流路を開くと上流部の堆積砂礫を排出する事になってしまうから残す事にした。この状態で10年は保てるだろうから、倒木が崩壊する頃には小生の活動も出来なくなっている公算が強い。まあ、とりあえずこの流木ダムの整備はこれで決着とする。次回からは先の見えない災の河原の砂金掘り、いいえ砂礫掘りに精を出さねばならん。


和綴じ製本の品質

2025-01-18 | 今日は真面目に

 枚数の多い書類を綴じるのにパンチ穴を開ければ何種類かの留め具を使えるけれど単なる書類綴りでも無い我が人生の最高傑作「確認生物種による生物多様性の現状報告」書は生物生産緑地での取り組みをまとめ、また県内東西の横綱フイールドとも比較してみた爺我自賛のドン・キホーテ的産物なのだ。別の表現をすれば「自然生態修復活動」でもあり「自然誘致手法」の我田引水的作業でもある訳で、印刷部数はたかだか手足の指の数にも達しないものの製本の質には拘ってみた。

 今までに行った和綴じは「単純に糸だけで綴じる」から「綴じる側の角を和紙で補強する」の二種類だった。しかし昨年末、後者の製本を行った際に表紙ともども和紙で補強してしまい「見た目」が無残になってしまった。これはまさしく「しまった!…」の典型ともいえる。間違いを犯さず質の良い製本を行う方法はあるはずなので肩と腕の疼きで眠られぬ深夜、モミモミグリグリしつつ深夜放送を聞きつつまどろみながら寝入るのを待っていた折りに「ビビビッ」と救いの耄碌が降臨したのである。

 反故紙の裏側をメモ用紙代わりに使うためにボンドでメモ帳もどきを製本していたのだが「それを使えば良い!」と回路が通じたのだった。まあ、通じたのかショートしたのかはこの歳になれば五十歩百歩であって「結果良ければそれで良い」のである。早速、抑えの板2枚を用意し綴る用紙の端を束ね揃え固定した。ここに筆でボンドを塗り付け乾燥すればまずは第一段階はOKである。筆は絵筆の平筆の先端部を切り取り、敢て腰を強くして使う。これにより用紙一枚一枚の凹凸にしっかりと接着材が行きわたるはずだ。実際には夕食前にボンドを塗り付け夕食後に穴開け和綴じと作業は早く、また出来上がりもしっかりとして見た目も綺麗に仕上がったのである。

 圧着し接着剤塗付 ➡  塗付後の乾燥 ➡  しっかり綺麗な仕上がり、執着至極である

 これで脅迫工作症もひとまず収束したけれど腕と肩に生まれる「眠るな!眠るな!」の脅迫疼き症は改善の兆しはなく春までかかるのだろう。フイールドでは皆、静かに冬眠しつつ春を待っているにも関わらずおいら孤爺は夜中に目覚め、グリグリモミモミせざるを得なく、睡眠の質が低下して「睡眠、暁を覚えず」どころではない深夜放送のリスナーになってしもうた・・・。で揉んで、いいえでもんで懐かしい歌謡曲や面白いインタビューについついつられ覚醒してしまうし、生活の質さえ落ちかねない状況がある。でもさて、この貴重な成果品は老々介護に邁進している級友に贈る。気分転換になってくれれば嬉しいし呆れ果てられれば不徳の致すところ…である。