トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

寒中のひと匙

2022-01-31 | 蝶の食草園
 「ひと匙」と書いても実際はスコップ大のひと匙なので文字面とはだいぶ趣きが異なろう。この日、未明までの小雨でフイールドは濡れたままである。前日と前々日も同じような気象で休んだので身体慣らしの半日になった。水域の水見回りを行いコガモ二羽を眺めて水域はお終い。二つ池の漏水防止のための埋め立て部は未着手のままなのだがニホンアカガエルの産卵前か、それが出来なかったらヒキガエルの上陸後まで延ばさねばならない。そんなことで安定している水域の作業より、これから成長が進むだろう柑橘樹の世話をしてきた。

 駐車場と沢筋の崖の境に「見切り」としてクワノキやアジサイ、トチノキなどを植えたのだがまだ間隔が広いので柑橘樹を昨季に定植しておいた。S先生が育てた実生苗なので親樹と同じ結果があるとは思われないけれど果実が欲しい訳では無くて食樹としての用途なのである。ついでに崖の肩の「見切り」として用いただけの事なので、いわば食草園の延長、飛び地でもある。
 昨季は樹高30cm程度しかなかったから産卵して欲しくなかったけれど産卵に最適な若木が周囲に無い事もあり苗木の成長を阻害する事は明白なのだが産卵は容認した。産卵させたくないならネットを被せれば済んだのだ。
 その結果、植え付けた苗木の半分近くに産卵があって繁った葉の半分ほどが食料となって消えた。食べた幼虫は蛹化したかどうかまでは追跡などしないので皆目不明の手太楽ではあるけれど、そこまでかかわる趣味も責任も無い。

 植え付けた場所が崖の肩と言う場所でもあり昔は棚田の縁でもあって、造成地の廃土を埋め立てた土壌は礫も多くて痩せている。苗木はへこたれもせずそれなりの生育を見せてもいるから少しだけ沈泥地で浚って盛っておいた土を客土しておいた。スコップ1杯分程度でも化学肥料を施すよりは優しいはずだ。成長具合も見ながら初夏までに腐葉土のマルチングを根元に施せば夏の日差しにも耐えられるだろう。

その以す所を視、その由る所を観、その安んずる所を察すれば…

2022-01-31 | 小人閑居して憮然
 一言で言えば「アンタッチャブルの裏の顔」であって、これ以降の文章は読まなくても構わない。時間の無駄である。
 タイトルの一文に続くのは「人いずくんぞ廋さんや、人いずくんぞ廋さんや」である。PCを立ち上げネットに接続するたびに苦々しく思わされるパワハラが初期画面を乗っ取った広告だ。たばこの箱程度の広告ではない。PCモニター全面積の30%に及び画面の中央に鎮座おわしますからこの画面は用をなさない。
 比率はメジャーと計算機で出した数値なので恍惚の人でも間違いはしないが3割とは言え冒頭画面は役に立たなくなる。左の写真は白がモニター画面で黒抜きが広告画面のサイズだ。こういう広告手法をユーザーは喜ぶはずも無く、提供する側が優位な立場を活用し無視して放っているに間違いない。まあ、「私たちは道理も常識も信義則も誠実さも欠落しています」と自ら広告しているのに等しい。既に指摘されている事柄だが巨大IT企業の暴走振りの一旦である。

 こんな場所と占有する面積の大きい広告、ただのうっとおしい邪魔物でしかないから✖をクリックしても広告は消えても空白が残っている。これを消すにはアンケートに答えなければならない手順だ。それも念入りで「何故消したか⁉」の意向を四択の中から集める仕組みになっていて「ただでは消えない、情報は取る」と、はっきり言えば「迷惑上塗りで、なんとも阿漕な広告を打つ」無頼ぶりの会社姿勢だ。
 例えて言うなれば「食事をしようと食卓に着いたらウンコを出された」そんな感覚であって、こういう事を平気で行う感覚は真っ当であるはずも無く、中身だって信用できないと断言する。このクリックを余分に行わせる手法はネット上に溢れていて常態化していると言っても良いだろう。TV視聴中に切り替わるCMのタイミングは視聴者のストレスを高める手法を敢て連発している。どうせ心理学か何かで効率有効性を数値化してのワンパターンだろうが万民を馬鹿にしたやり方である。

 まあ、こういう輩、社名の背後には算盤片手の輩が群れている訳なのだが、こんなところでユーザーをないがしろにする傲慢金権姿勢が歴然としている。あろうことか先日の事、煩いのでクリック、クリックと手間をかけ消したはずなのに数秒で復活した広告が出て来た。広告のジャンルは際限もなく、もう初期画面は何の用も為さず推して知るべしである。メール枠をクリックしようとするタイミングで現れクリックは無駄になるやら、検索事項を打ち込みクリックするタイミングで打ち込んだ文字列が無効化してしまうなど迷惑この上もない。ここ一週間ほど出現してはいないのだが、大方苦情が多くて引っ込めたかもしれぬ、

 次々と現れる広告まで確認するほどの酔狂さは無いけれど概ね、ここにこんな広告を貼る姿勢組織など金もうけだけのユーザー無視の社風精神に溢れているに違いない。甘い言葉や真面目そうな文字列を並べても所詮は外道で、モニターを見ている大勢の他者に向かって射精をし続けるのだけは厭わない社風なのであろう。まあ、概ね「俺が俺が!」なんて輩にロクなもんはおらんわい。オレオレ詐欺に等しい。
 こういう広告を出すこと事態、モラハラやパワハラと同格以上なことぐらい認識できない組織とは一体何なのだ!。ネットに接続するたび血圧が上がるわい。ハイ、これが今年の愚痴はじめ!。まあ、この元締め、国際的に悶着あった雄なのだったから推して知るべし、いいえ、推測せずとも容易に判りきった元凶だった。

地拵えは痔・腰に悪い⁉

2022-01-30 | 今日は真面目に
 ボチボチと行っていても「ポチ」が尻尾を振りながらついてくる姥捨て山でも無し、気合を入れないといかん。痔や腰が痛んでも独りボヤくだけである。自ら行う事の結果は全てが我が身に降りかかり結局は「鍋の底ガーラガラ」になるのがオチであろう。話は飛ぶが上越線の「ガーラ駅」はここから来たのだろうか。語り部の昔話、終いはこのフレーズを使っていたはずだ。故郷は「イチゴサッテモウシタモウシタ」だったけれど。
 それはともかく整地している北面の窪みが「もう少し」と言うのにコブから採土していた用土が無くなって一畳ほどの窪みを残したままになっている。一旦は作業終了と思ったもののどうも気持ちが悪くてケリをつけたくて現場に行った。

 先日、頭頂部から採土していた小山から埋め立て用土を運ぼうかとの心づもりではあったが、現場周囲を見渡して再度斜面から採土する事に決めた。この方が手軽だし平坦部も少しばかり広がるし用土も間に合いそうに思えたためである。
 平坦部と駆け上がりの接線部を唐鍬で打ち崩し窪みに搔き集めつつ均して何とか恰好が付いた。さらにその先、段々を築いた横の窪みも同様にして均して、ここも我慢の範囲に収める事が出来たのだった。
  ➡   最奥部の整地

 均しは大雑把のままだし鎮圧もしてはいないけれど通常立ち入る範囲でも無く刈り払いなどの手入が容易になった事でストレス軽減になるのである。まあ、ボーイスカウトが冬季に1回くらいは整地にご来場してくれると思っていたのだけれど「絵にかいた餅」であった。それでもこれからはキャンプサイトとして使う時があるだろうから使い勝手は格段に向上しているはずで向こう1年間、盆暮れの付け届けが欲しいくらいの出来になったわい。
 唐鍬の打ち込みや土の掻き寄せ掘り取り、運搬等々、どれもお腰様に悪い作業が続いたもののなんとかお腰様にはご機嫌麗しくして頂いたのは何よりも祝着至極であった。野草が萌えて茫々となる頃が待ち遠しい。早く来い来い初夏よ来い!

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今日のエッ!品「小豆餡とオートミールのビスコッティ」

2022-01-29 | 何よりの楽しみ
 「お菓子」と「スイーツ」の区別が分からなくて検索したのだが、結果は「どっちでも構わない」ようで定義など無用な事だった。要は好きな方を選べばよかったのだ。
 さて、ただいま追っ掛け中と言うかストーカー中と言うべきか、ビスコッティを違う材料で作っているのだがクラッカーより我が口に合う。そんなかやでまたもや午後の暇つぶしに正月の小豆餡が残っているから使ってみたのだ。薄力粉は在庫なしで玄米粉は100gほどはありそうなのだがパスし、オートミールを石臼で製粉して使うべく用意したのだが、封を開けたオートミールはクラッシュタイプだったから製粉せずとも使えそうに思えたから石臼は用無しで骨折り損となった。

 缶詰の小豆餡も水分を抜く必要もなくてレシピ本のアーモンドの代用でもある。紅茶葉を混ぜようかどうかと迷ったのだが前三作は紅茶葉入りにしたから今回は無しとした。しかし小さじ1杯のシナモンパウダーが無くて、迷った末にカルダモンパウダーを入れたのだ。どちらも「モン」繋がりで粉末だし爺我自賛で自食であるから文句などは出てくるはずもない。
 生地を混ぜ合わせる段階でオートミールはクラッシャータイプとは言え粉末ではない。繋ぎになるのは卵だけだから結合を心配したものの何とか形を保っていた。さすがに断面の見た目は粗さが目立つが食感は見た目の粗さほど荒れてはいない。

 生地が完成  ➡   1回目焼き上がり

 基本通り170℃20分が1回目、150℃25分が二回目で焼き上がる。小豆餡に砂糖が入っているのでレシピのキビ糖は半量にしてみたけれど少々甘味は不足のように感じたし「甘い風味が出ます」と容器に記載されていたカルダモンの効果反映は分からなかった。
 これで4種類のビスコッティが揃ったから1月の例会日にフイールドで無理やり試食させて感想を訊いてみるつもりだった。以前から小生の作るお菓子は「美味しそうには思えない!」と減らず口を叩く会友が多いので押し黙らせたい!。「実学・実業・実務」こそ若きみぎりに学び舎で得た座右の銘であって、権力を行使するでも無く金権で従わせるのでもなく職人は腕が全てなのである。
 そう、里山栗栄太は粉悶栗栄太に変態脱皮したのであって、これこそが生涯学習であり生涯現役の体現であろうぞ。

         

オオイヌノフグリ開花していた

2022-01-29 | 小父のお隣さん
 トンボ池傍の陽だまり、開花数は少なく花も小さいのだがオオイヌノフグリが開花し始めた。最盛期のように青い絨毯とまではならないけれどおっつけそうなってくれるのが楽しみの一つである。その頃にはショウジョウバカマも開花して来るだろうけれど小生的にはオオイヌノフグリが好みである。

 何時だったかTVの子供向けの科学番組でオオイヌノフグリとイヌノフグリについて放映した時があった。イヌノフグリが在来種で繁殖戦略でオオイヌノフグリに負けて衰退中との内容だったのだが、小生はその時初めてイヌノフグリの存在を知った。良ーく良く考えれば「オオ」がついているから「小さいのもある」と連想しそうなものだけれどそうはならなかったのだ。まあ、こんなことはどうでも良い範疇でもあるから記事にするまでも無いけれど「春の花」と認識している小生にとっては嬉しい花だよりなのである。
 その意味では在来種タンポポより贔屓するのであって、在来種タンポポの原っぱ出現は今期もあるだろうが早咲きと言うか狂い咲きと言うべきか師走に咲いた場所もあるので「春だぁ!」の感激は薄い。

      

**日々是業日 2

2022-01-28 | 温故痴新
              老いた身の頭に生える白髪の
                        寂しき春になりにけるかな
               大比叡の峯に夕ゐる白雲のさびしき秋になりにけるかな     八田友紀

            
              この面はまだ乾かぬぞ腹立ちの
                         時雨なりたり寄りし立ち飲み
               庭の面まだ乾かぬに夕立の空さりげなく澄める月かな      源頼政

              
              人の住む国辺を圧し逆波が
                         生死両分けしはてに来にけり
               人の住む国辺を出でて白波が大地両分けしはてに来にけり    伊藤左千夫

コガモのカップル

2022-01-28 | 小父のお隣さん
 連日とまではいかないけれど日を置かず池が濁っているのが続いている。この日も幾つかの池で濁りがあったが鳥の姿は無くて、いつも通りだから何気に水見回りをしつつ二つ池への法面を降りようとしたその時、右下のどんどんから二羽のコガモが飛び出した。舞い上がりたい空間は小生の目前を横切るしかない飛行ルートなので羽根の濃い緑色がはっきりと見えて「コガモだ!」と瞬時に理解した。この翼は先日ご馳走様をしたハヤブサの落下物から翼だけ保存してあるから忘れる訳もない。

 今期は二羽だけのご来場なのだが数年前には10数羽の群れで飛来していた時もあった。この二羽、オスとメスなのかと判断すれば羽毛のデザインは同じだったからカップルであってもメスなのは間違いない。つがいで活動するものとばかり思っていた小生だから意外と言えば意外だけれど気にする事でも無いのだったが地上部で巣作りするタイプには向かない環境なので、そこは見透かされた感もある。はい、千客万来、でも山荒師だけは御免こうむりたい。

**日々是業日 

2022-01-27 | 温故痴新
              忍ぶれど臭い出でけり我が身体
                          災事あるらん問われ恥ずかし
               忍ぶれど色に出でけりわが恋は物や思うと人の問ふまで     平兼盛


              何んとなし飽き間に宿る憑き見れば
                          我が身一つも業の波間に
               難波江の葦間に宿る月見ればわが身ひとつもしづまざりけり   藤原顕輔

              
              盛り場の憂ムクドリの喚き酒
                          帰ります間も広げるコロナ
               春山の友ウグイスの鳴き別れ帰ります間も思ほせ我を      柿本人麻呂

今日のエッ!品「紅茶葉入り蘇のビスコッティ」

2022-01-27 | 何よりの楽しみ
 ビスコッテイの第三弾は蘇を加えてみた。蘇自体は牛乳の加熱濃縮物なので紅茶葉が入ったことで「チャイ風味」のビスコッティになるのか、それとも蘇の濃厚な味わいと紅茶の香りを堪能できるのか確かめたかったのだ。
 まずは紅茶葉入りの蘇を作らねばならない。紅茶葉はすり鉢で摺って粉末にしてからホットプレートで煮詰め始めた牛乳に投じた。投じた途端にパアーと広がり牛乳の表面に不思議な芸術的なまだら模様が広がる。撹拌してもなかなか混入せず時間は要してものの最終的には紅茶風味と色合いの蘇が200gほどになった。混ぜ合わせる必要があるから煮詰める頃合いを判断したかったけれどやってみなけりゃ分からない。この200gの半量を使用し、残りは冷凍室に入れ次の機会に使う。


 蘇を作る間に必要な材料を揃え卵を泡立てしていたから用意した材料の撮影は無し。基本は前2回のレシピに等しいのだから敢て再々掲するほどの事では無いだろう。
 用意した粉もんに蘇を入れたのだがヘラを動かしても混ざるはずも無い。仕方が無いのでバターを捏ね入れるように指先で摺り込むように混ぜ合わせて泡立てた卵黄を入れてさらに混ぜる。最終的には容器にヘラで押しつぶしながら混合することになった。

 生地  ➡   1回目焼き上がり

 焼きは170℃20分が一回目、短冊に切って切り口を上下にし二回目は150℃25分で完成。紅茶のせいなのかどうか蘇の濃厚さはやや減少したが美味しいのには不足なし。ただ蘇の水分が生地の緩さを上げてしまったけれど焼き容器はボール紙で外枠を作ったから問題は無い。水分量が多い事もあり二度焼きしても前2回のようなカリッとした感じは弱くなっていた。
 これも美味しいのは紛れも無いのだが「蘇を作る」工程だけで作業時間の半分を要し、つまりは倍の時間を要する事になる。だからこそ、そう度々作れる代物でもないなあ、が齧りながら思った事だ。自らが食べたいと思う美味しい物は自らが汗水たらして作らねば口に入らない。
 しかしながら「汗水垂らす」ほどの労働強度では無いし「涎を垂らす」年頃と食品が相まって餓鬼道ここに極まれり…かも。食い気も色気も眠気も三大欲求の仲間であるからビスコッティに秋波を送ったとて、とやかく言われる筋合いも無いが次は「ビスコッティー」と言うお茶を堪能したい!。が、ビスコを溶かした飲み物なのかどうか誰も知らんかった。

 二回目焼き上がり

雨降りお挽き賛・・・

2022-01-27 | 感じるままの回り道
 夜半に降雨があってフイールドは濡れており、その上薄曇りときては出かける気分にもならず引き籠り。撮り溜まった映画を観始めたものの午前で飽きてしまい午後は石臼を縁台からリビングに引きこんで玄米を製粉しながら暇つぶしをする事にした。既に製粉しておいた玄米粉は尽き欠けようとしていてマイブームのビスコッティの材料に事欠く次第になったためもある。
 ともかく2ℓのペットボトル1本に充満させておきたいので床が汚れるのも構わず製粉開始する。木工玩具作りの粉塵に比較すれば製粉時の粉塵などたかが知れているのであった。

 S先生から譲り受けた石臼は思わぬところで小生の暇つぶしの役に立ち、お茶受けの材料を提供し、わたくし好みのお茶菓子を口に出来る口福をもたらした。「甘いお菓子や夢でなく 今の今をより美しく美味しさ味蕾に届くため」なんて若いみぎり放歌大笑していた頃の歌を思い出しながらひたすら石臼を回したのであった。
 その甲斐あってペットボトル満杯となり、しばらくは新たなレシピで午後の一時を楽しめる。貧乏な老居人ともなると暇が最大の敵なのであってTVは「一億総白痴化」と断言された過去もあり、その語句は禁止語になっているのだろうけれどスマホは更にそれより数倍の強度がありそうだ。

 新型コロナウイルスによるパンデミックは連日かまびすしい報道の連鎖なのにいつかは終息するパンデミックばかり脚光を浴びて深く静かにその病根で生活や社会を侵して止まない文明の利器という物に人は危機感が無いのは取り込まれ中毒したせいなのかどうか、あのハリガネムシは寄生したカマキリを水辺に誘導すると言う手練手管をお持ちなのだが、耄碌してきた爺爺にはとんと見当もつかない。きっと振り返って分かれば「土砂降りお憑きさん」に違いないのだ。
 ウイルスとの攻防は終息はあっても終わりは無いだろうけれどスマホ中毒との攻防は終息も無ければ終わりも無くどうなる事やら。スマホ旅旅路の果ては岬先、てなもんや三度笠で「喜望峰」なんてことは絶対に在り得ない結末…。で窓の外のメジロを眺めていたら目が合って「粉挽き爺さん、粉挽いたかい⁉」と言われたようで思わず長く曳いた鼻水を啜った。粉には絶対に垂らしてはいない。神仏に掛けて誓える!。

          

ご無沙汰をしてた間にウメの花

2022-01-26 | 小父のお隣さん
 夜半の降雨で濡れていたり茶舞台の工作などで水見回りを数日行わなかった間に上の池傍のウメが開花していた。南北を尾根に挟まれたいわば懐みたいな日当たりの悪い場所なのだが開花はフイールドの中ではいつも最初である。それで「早生種だろう⁉」程度の推測はするものの品種名までは分からない。
 もとより小生らの活動域では無くて隣接グループの勢力圏なのだ。しかしながら水管理は小生しか行わなくなってしまった現在、吐水口からトンボ池に至る水系は、その中に勢力範囲ではないエリアが入っていたとしても「水域は一体」として目を行き届かせ維持管理していかねばならず、そのお鉢が小生にあると言うのが現在進行形なのだ。

 他にもウメの樹は数本あるけれど紅梅はまだ蕾が固く色目しか分からない。この樹より日当たりの良い場所の樹は一輪も見られなかったけれどおっつけ開花するだろう。まあ、梅見をするような風流な小生でも無いけれど「梅の開花」という季節の情景には寒さが厳しい寒中の日々であっても「ようやく春を迎えられる」感がして来る。童謡の「赤い花緒のジョジョ履いて・・・」の一節のように赤いチャンチャンコを着ていなければならない小生は「おんもに出たいと待っている」なんてお利巧さんでは無く、既に出ずっぱりの何事にも「待てない性格」の姥捨て山なのであった。

           

               梅は咲いたか桜はまだかい
                        カエルの産卵ゆび折りつ ハアコリャコリャ

畑の茶舞台製作

2022-01-26 | 何よりの楽しみ
 自身が借りた訳でも耕作するわけでも無い畑なのだが「老多くして役少なし」の現実では、その中に少しばかり茶会の楽しみを見つけないとやってらんない。てな訳で年に何回出かけるか分からない畑地の一画に茶舞台を置く事にしたのだ。もとより勝手次第そのものだけれど先日の刈り払いで耕作不適な草地もあった事からその一角に置くべく廃棄材を寄せ集めて作ったのである。

 天板の元は集成材のテーブル板だったのだが雨ざらしで使っていた結果、接合面は離れ幾つかの割り板になってしまい、その上腐食も進んで放棄となったのだ。既に厚いべニア材は無く使える厚板はこれくらいしかない。使えそうな部分を見繕ってみると短辺は2枚合わせになるものの長辺は80cmほどは取れそうだったから使うことにして切り出した。接合面のひび割れ全てを外すと更に小さくなるから目を瞑って80×60cmほどの天板を用意出来た。脚周りはCチャンの廃棄材をボルト締めで組み上げて天板と接合して一件落着する。

 Cチャンのは気持ちだけだけれどワイヤーブラシで錆落としを行ってから天板ともどもペイントする。ペンキも頂き物だから色が選べる訳もないものの畑で雨ざらし陽ざらしになるのだから塗らないよりは保てるだろう。台の高さは通常のテーブル標準より中途半端で座卓と食卓の中間程度の高さにしておいた。椅子は丸太材の輪切りで賄うから高さがあると安定しない。茶舞台を座卓並みの高さにすると草に埋もれかねない。まあ、いろいろ妄想した結果が中途半端なのである。

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一挙両得、腰用心

2022-01-25 | 今日は真面目に
 前日1日限りで片付けが終わると思って作業したのだが寄る年波には勝てず、かといって秋波を送ってくるのは近くの枝で暇そうに尾翼を震わせて「ヒッヒッ」と鳴き続けるジョウビタキだけだ。メスならまだしもオスだから憮然としたい。まあ、姥捨て山である事だしジョウビタキのオスでも秋波を送ってくるのは「幸せ」と思わねばなるまい。

 さて、前日の残りのコブ、最後の部分が大きくてはかどらなかったのだが、この日も思った以上に運び甲斐があったのだった。しかし前日のような季節風は無く日差しは弱かったけれど作業日和と言って良いだろう。とにかく瘤を削り取り整地して突端部の端の用土採集は終わり。残りは崖下に落とした用土を窪みに移動させ均すだけなのだったが、これも意外と労力を要した。前日の作業で「湿布を貼らねばなるまいか⁉」との懸念が出てきた我がお腰様、傷みがお越します前に作業を終えたいし入浴後は湿布を貼って休まねば危ない。昨夜は懸念しつつ貼らずに寝てしまったから今夜はなにはさておき「お越します前の湿布!」である。

 腰を据えての唐鍬の打ち込み、腰を据えてのスコップでの土移動と何より「腰大事!」を心掛けての作業だったのだが、そういうところに気配りをしなければならなくなった我が身の現実「樹凋葉落」の昨今、「体露金風」と言う言葉が思い出された。まあ、物事は考えようでピンチはチャンスか⁉。まあまあ老い先を考慮すればピンチはピンチのままで挟まれると痛い。腰痛は更に痛い。

 生まれた平坦部は4畳半ほどあったのだが手前の畳一枚分ほどが埋まらなかった。既にコブからの採土は無理で左手の法面下部を掘り崩し埋める段取りしか浮かばないものの、しばらくはこの作業は止め「お腰様大事」としなければならないだろう。昔より「慌てる乞食は貰いが少ない」とか「無理を通せば腰痛威張る」とか言われるではないか。新型コロナ拡大中の今日「Goto Itai!」は避けなければならない・・・。てなもんや三度笠。

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今日のエッ!品「紅茶葉とグラノーラのビスコッティ」

2022-01-24 | 何よりの楽しみ
 やはりお菓子なのかスイーツなのか曖昧模糊としている小生だが、どっちに転んだとて影響するものはない。紅茶葉を入れたビスコッティの香りが良く美味しかったので悪乗りし「紅茶葉とグラノーラ」を入れたのを焼いてみた。グラノーラはレシピにあったアーモンドの代わりであってレシピ通りでは面白くも何とも無いのである。

 スーパーの売り場では何種類ものグラノーラがあり「はて、さて」と多少は迷ってみたものの「果実入り」を選んだ。しかし開封してガッガリである。皿に開けただけで包装の絵柄ほどの果実は入っていないのが判明。まあ、誇大広告とは言わないし、上げ底商品、騙り商品とまで言わないけれど次の購入は無い。
 広告によくある手法「イメージです」とか「個人の感想です」の類いに近い。イメージなど人によって様々だし「個人の感想」など受け手は求めてはいない結局は我が身可愛さの危機管理に尽きるのだろう。

 容器外枠はボール紙製  ➡   そこそこの焼き上がり1回目

 さて脱線はしたが焼き上がるまではレシピ通りの手順を踏んだ。初回のビスコッティが美味しかったし「胡麻」を「グラノーラ」に替えただけなので美味しさは変わらない。ただ胡麻入りの時は噛みしめると胡麻風味が沸き上がる感がしたものの、グラノーラにはそういう風味は無かった。まあ、食感が命か・・・。
 グラノーラ自体は初めて食する食品なのだが、これに牛乳をかけ主食替わりなど考えられない。お粥に梅干しの方がずーっと良い小生である。

二回目焼き上がり  

瘤取り爺さん、瘤取れん・・・

2022-01-23 | 今日は真面目に
 北縁部の台地、窪みを埋めて刈り払い易くかつまた安全に活用し易くしているのだが最終段階にきて埋め立てる用土が無い。先日の定例会で頂部から削った小山からは採土可能だけれど、おチビちゃんたちの好む高みにもなるだろうから今以上に削りたくもなかった。
 それでも残った窪みは処理したい。前夜寝しなに思い浮かんだのは窪み上の段々上にある瘤を崩せば良いではないかという事だった。そのコブは長さが2m、幅が1mほどの蒲鉾状でラクダの背中にも似ている。崖地の際にあるからその上に立つと高所感もあるし刈り払いも蒲鉾状なので刈り難い。ここを削り平らかにすれば平坦部が広くなるし刈り払いも楽になる。20mほど一輪車で運び投下しなければならないのだが「メリットは大きい」と判断できる。

 季節風が強い日になって風当たりの強い高台での作業ではあったものの、瘤を削り運ぶと言う作業の繰り返しでは上着を脱ぐことになった。途中休息もせず作業を行い胸のアラームが帰宅時間を伝えたもののもう少しで終わりそうなので続行。しかしながら最後の部分が一番大きい盛り上がりだったため小生の盛り上がりは不発に終わった。以外に手間を要したのだ。

 作業開始  ➡   もう少しだった

 頑張ってみたものの風に乗って正午のチャイムが聞こえてきたから「もう少し」と言うところで終了とした。削り取るだけしたところで斜面下に投下した土溜まりには手を出せない。どちらにしろもう1日要するのであった。この瘤の土量で窪みが平坦になるかどうかは判然とはしないまでも広げ均してみればわかる事だし、不足していたとしても現状よりはずーと良くなるはずなのだ。心配だった腰痛は今のところ出ていない。それだけが気になるのだ。

    投下地点